2009年09月29日(火)  『ディア・ドクター』(西川美和原作・脚本・監督)

6月27日[土]公開の『ディア・ドクター』をついに観る。有楽町イトシアにあるシネカノン有楽町二丁目にて、朝10時からの一回上映。公開3か月で、ロングランを続けている。

画面に映るもの、聞こえてくる言葉や音、すべてに細やかな気配りが行き届き、役者さんの呼吸やディテールの積み重ねがひとつの世界を完成させているのに立ち会えて、見応えがあった。原作・・脚本・監督を西川美和さん一人が手がけていることも世界観の揺るぎなさの理由かもしれない。

『ゆれる』と同じく、企画はエンジンフィルムの安田匡裕会長。『ゆれる』のマスコミ試写をやっていた頃、一緒にお仕事をしかけていて、試写状をいただき、「あ、西川美和監督の」と反応すると、「これ、俺なんだよ」と言われ、「え! 西川美和監督って、安田さんだったんですか!」と早合点してしまったことを思い出す。自分の関わった作品を「これ、俺なんだよ」とか「これ、わたしなんですよ」と言うのはよくあることだし、西川美和監督の美しい顔写真も見ていたはずなのに。わたしのおなかがずいぶん大きくなった頃だったから、あれから3年。一作ごとにじっくりと時間と手間をかけ、鮮やかな存在感と印象を残す。充実した仕事ぶりだなあと惚れ惚れした。

同じ劇場では『子猫の涙』の脚本をお手伝いし、個人的にも親しくさせていただいている森岡利行さん脚本、監督の『女の子ものがたり』を上映中。こちらも評判がいいので、ロングランになりそうだけど、近いうちに観ようと思う。

2008年09月29日(月)  たま大臣にインタビュー「日本をどんな国に?」
2006年09月29日(金)  金太本、ついに出版。
2005年09月29日(木)  レストランJ→カフェ・プラハ→レストラン・キノシタ
2002年09月29日(日)  『パニックルーム』→餃子スタジアム→出社の長い日曜日


2009年09月28日(月)  「瀬戸内国際こども映画祭」を子育て中

7月29日の日記に「瀬戸内国際子ども映画祭」の実行委員会に出席したことを書いたが、あれから2か月、再び実行委員会が開かれた。漢字が多いので「子ども」を「こども」とひらがなにしましょうと合意したので、以後、「瀬戸内国際こども映画祭」と表記する。

参加者は男性3名、女性6名。前回はチーズケーキの差し入れがあったが、今回は、ダクワース、手づくり栗ようかん、ミニたい焼き。女性が多いと、おやつがにぎわう。おやつがあると、話の角も取れて、会議はまあるく進む。

今日の議題は、コンペ部門の実施方法、各専門部会の割り振り、サイトの準備をどのように進めるか、予算を抑えるためにどこにどんな協力をお願いできるか、などなど。やりたいこと、やるべきことが、少しずつ具体的に煮詰まっていく。映画祭を支えるためには、ボランティアの存在が不可欠で、実行委員会も手弁当。参加する一人ひとりが気持ちを会わせ、チカラを会わせないと、志だけが空回りして空中分解してしまう。「ボランティアではなく、サポーターと呼ぼう」と意見が一致した。

映画祭のコンセプトをコピーにする仕事を託されたので、帰ってから、前回思いついた「二十四の瞳、きらり」をキャッチコピーにして、ボディコピーを考えてみた。さ来年夏に産声をあげるこの映画祭は、名前にも「こども」がついているけれど、これから育っていくべき存在で、そのためには、たくさんの「育ての親」が必要だ。そんなストーリーが浮かんだ。


折しも9月下旬から配布中の池袋シネマ振興会のフリーペーパーbuku21号(表紙は『悪夢のエレベーター』監督の堀部圭亮さん)に掲載された「出張いまいまさこカフェ」13杯目のタイトルは、「母と子と映画」。『ぼくとママの黄色い自転車』公開の話とあわせて、こども映画祭のことも紹介していて、「映画祭を産み育てる」という言葉が、ひと月前に原稿を書いたわたしから出ている。

たくさんの人に愛されて、その愛を未来にお返しできるような、「こども」になって欲しいと願い、育ての親の一人として、注げるものを注ぎたいと思う。

2008年09月28日(日)  オレンジの壁のユキちゃんち
2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』
2002年09月28日(土)  料理の腕前


2009年09月27日(日)  客に聞こえる声で叱る飲食店

どっか外で食べよっか、どこにしようと候補の店を頭の中で検索して、「あそこのピロシキ食べたいと思ったけど、こないだ感じ悪かったからなあ」とダンナが言った。そのお店のピロシキが抜群においしかったけれど、食事している間じゅうずっと女主人が店員の女性に小言を言い続けていて、せっかくの味を何割か損ねてしまっていた。

店員さんにも落ち度というか、言われる隙はあり、女主人が期待するより動きが遅かったり、やるべきことの順序が前後したりしたのだけど、言われなければ客は気づかないような些細なことで、それをいちいちくどくどとなじる女主人の言葉のほうが、よっぽど不愉快だった。店員さんがビクビクしながら給仕し、食べているこちらまで一緒に叱られている気持ちになり、胃が縮むような居心地の悪さを味わった。店を出るとき、ひとこと苦言を申し立てようかと思ったほどだ。

「もったいないよねえ、あのお店」とダンナと話したが、別なお店での出来事を思い出した。「さっきのお客さん、百円足りなかった」と延々とレジの子を責めているのを聞かされながらランチを食べた店では、「わたしが百円払いますから、百円の話はもうやめてください」と喉まで出かかって、呑み込んだ。ピロシキのお店と同じくこじんまりした家庭的な雰囲気のお店だった。目が届く小さなお店ゆえに店員のアラが目につき、ずっと顔を合わせている息苦しさがはけ口を求めてしまうのかもしれない。客に聞こえてしまわないかと気遣いする余裕すら失われているのは、気の毒でもある。

先日デニーズへ行くと、厨房のそばに通され、隊長のように新米店員を𠮟り続けるボス格店員のよく通る声が丸聞こえだった。デニーズへ行くのは食事よりもネタを味わうことが目的だったりするのと、ボス店員の歯切れのいい言葉が小言ではなく格言調で、これは聞いていて痛快だった。「手ぶらで帰ってこないの! わかる? お皿運んだら、お皿下げてくる! 片道だけが仕事じゃないの!」。その言葉を肝に銘じ、家事に応用すると、あら不思議。探しものが多いせいで無駄に家の中を動き回る毎日なのだが、そのついでに少しずつ部屋が片付く結果となり、デニーズ効果と喜んでいる。

2008年09月27日(土)  生傷が絶えない足
2007年09月27日(木)  1979〜80年「4年2組 今井まさ子」の日記
2005年09月27日(火)  串駒『蔵元を囲む会 十四代・南部美人・東洋美人』
2003年09月27日(土)  ハロルド・ピンターの「料理昇降機(THE DUMB WAITER)」
2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS


2009年09月26日(土)  川越「つばさ」展会場で最終回

半年間、これまでにない熱心さで観続けた朝ドラ「つばさ」の最終回。7:45からのBS2、8:15からの総合、9:30からのBS2一週間分再放送を観て、一家で川越で向かう。「つばさ」展を開催中の鏡酒造跡地で、みんなで最終回を観ようという試みがあることを「つばさ」ファン掲示板で知った。

4度目の川越、クレアモールを歩いて鏡山酒造跡地へ。「なんか のみたいよー」を連発するたまをなだめすかし、到着すると、前回飲んでおいしかったグレープフルーツジュースを買う。ごっくんと飲んで、笑顔を見せるたまに「我慢して良かったでしょ」。

「つばさ」展会場に入ると、並べたパイプ椅子を埋めた人々が「つばさ」PR映像に見入っていた。プロデューサーの後藤さんと初めましての奥様を見つけて、ご挨拶。わたしの服をほめていただく。パコダテ人の衣装に使ったアップリケを3900円の古着ワンピースに縫いついたもの。古着な上に7年も着ているから、相当ボロボロだけど、チャーミングな奥様と話が弾むきっかけになった。

12:45から今日4度目の最終回。みんなで見守るテレビの背景には川越キネマと甘玉堂のミニチュアセット。


パイプ椅子に座っていたたまは、落ち着かず、立ち見のわたしの元へ。展示のジオラマと画面のジオラマを見比べて、「おんなじー」。知秋が万里にメロンの新作菓子を差し出す場面では、さざ波のようなくすくす笑い。終わると、大きな拍手が沸き起こった。サプライズゲストとして紹介された後藤さんが地元の皆さんに感謝の挨拶。再び拍手が贈られた。

わたしとダンナは川越ファンミーティングのときに立ち寄ったけれど、そのとき留守番だったたまは初めてで、「これなあに?」と展示物に興味津々。川越キネマの前で記念撮影。「なかにはいりたいよー」が叶わず、指をくわえて、いじけのポーズ。「かわごえきねま」「らじおぽてと」と言えるようになったのはドラマの終盤だった。大きくなっても覚えてくれているかな。

甘玉堂の前で母娘ショット。二人で写ることは珍しいけど、母と娘の物語ですからね。たまは「こちらあまたまどうですー」のポーズ。

撮影小物もいろいろ。これは、小料理屋「こえど」に飾ってあったもの。

斎藤興業にあったブーメラン。グラスの展示もぜひ!

浪岡が音楽にはまるきっかけとなった記念のレコード。7週で登場。

16週で登場した加乃子の売れ残り防災グッズ「防災くん」。


9週で初登場し、その後いろんな人がかぶることになった加乃子手づくりの「あまたま君」「ぽてと君」。たまはマネキンと同じポーズを取っているつもり。

「つばさ」展は10月末まで期間延長。「つばさ」公式サイトも年内まで見られるとのこと。「つばさ」ファン掲示板へも番組や川越の感想、印象をぜひぜひ。

3歳児のたまの体力を考慮し、今日は川越駅と鏡山酒造跡の間で過ごすことに。同じ敷地内の明治蔵で乾物を買い、駅へ向かってクレアモールを引き返す。行きにチラシをもらったインド料理屋でランチ。ナンの大きさにびっくりしたけど、味は予想の範囲内。写真のほうがおいしそうかな。お店の雰囲気は明るく、かわいく、子どもにはオレンジジュースをサービスしてくれた。インド人のやっているカレー屋さんは例外なく子どもにやさしい。壁際がベンチタイプの椅子だったのも助かった。

クレアパークという公園前で、川越の保育園の質の向上を訴える署名をやっていた。「ほいくえん?」と他人事ではないという顔で、たまが立ち止まる。市外住人も署名できるとのことで応じると、最後の一個という風船をくれた。風船を持って、たまは公園の中へ。裸足になり、ズボンを脱いで、水遊び。ここが保育園の園庭だと思ったらしく、「また かわごえで ほいくえん いくぅー」。

ユニクロとGAPで服を買い(この二軒がとても近いのはうれしい)、行きに気になっていた茂蔵という豆腐屋で豆腐ハンバーグ、枝豆豆腐、もちもち豆腐(皮がドーナツ、中身がおからぎょうざのようなもの)を買って帰る。夕食で食べたら、とてもおいしかった。クレアモールはいつも素通りだったので、買い物が楽しい通りだと発見。

2008年09月26日(金)  スーパー家事執行人Mさんの仕事っぷり
2006年09月26日(火)  マタニティオレンジ11 ひるまないプロデューサーズ
2005年09月26日(月)  『東京タワー』(リリー・フランキー)でオカンを想う
2004年09月26日(日)  新木場車両基地 メトロ大集合!撮影会
2003年09月26日(金)  映画の秋
2002年09月26日(木)  ジャンバラヤ
2001年09月26日(水)  パコダテ人ロケ4 キーワード:涙


2009年09月25日(金)  朝ドラ「つばさ」残すところあと一回

いつも朝ドラが終わりに近づくと、最後はどうなっちゃうんだろという楽しみよりも、もうすぐお別れなんだという淋しさが勝る。開発から関わり、放送を一日2回から4回観続けてきた「つばさ」との別れを惜しむ気持ちは、これまでとは比べ物にならず、小豆島のテレビで「ウェルかめ」が特集されていたときも、「つばさ」の終わりばかりが意識されてしまった。

そんなときに、今日の放送。ラジオの男とつばさの別れは、いっそうせつなかった。

感覚としてはあっという間だったけど、半年間お祭りを見られて、楽しかった。いよいよ明日は最終回。ありがとうの気持ちで観たい。

9週以降、週の見どころ紹介に添えるために撮っていた台本と小物の写真。楽しみにしてくれていた人もいたので、まとめてどうぞ。毎回、家の中に転がっているものを週のテーマに合わせて選んで、光を当てた。今週は何を合わせようかと狭いわが家を見渡すと、掘り出し物を発見できて楽し待った。幸せもまた、そんな風に、なにげなくそこにあるけど、あまりにも当たり前の光景になっていて、普段は日常に埋もれているものなのだろう。

第1週「ハタチのおかんとホーローの母」
第2週「甘玉堂よ、永遠に」
第3週「家族の周波数」
第4週「つばさよ、あれが恋の灯だ」
第5週「運命の人」
第6週「父のぬくもり」
第7週「もうひとつの家族」
第8週「親子の忘れもの」





2008年09月25日(木)  ロハス(LOHAS)より愛せるセコ(SECO)
2007年09月25日(火)  すごい本『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』
2003年09月25日(木)  ディズニー・ハロウィーン
2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」
2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2009年09月23日(水)  旅する、恋する、たま3歳1か月。

4泊5日の小豆島旅行から帰宅し、一夜明けた。荷解きをし、洗濯をし、お礼状(俺以上と変換された!)を書き、家でのんびり過ごす。

おやつは、昨日、香川県三木町渡邊邸でのグループ展「和今感彩」で買い求めた「小豆島ブラウニー」。焼き菓子工房【oyatsu】の木村美智子さんの作品。一日持ち歩いたので、崩れてほろほろになっていたけど、指で固めて食べるのの楽しい。やさしい味を噛み締めながら、小豆島の風景に思いをはせる。

【oyatsu】のページがあるのは、Thingsという小豆島を拠点にした服飾小物ブランドのサイト。このブランドとサイトを運営しているユッコさんという人が、「和今感彩」展のまとめ役だったようで、昨日はいろんな人が「ユッコさん、ユッコさん」と噂していた。いちばん声が大きくて、たくさん動いていたあの女性がその人だったんだろなと振り返る。Thingsの作品を見ると、絵描鬼・柳生忠平さんの妖怪鞄もこのブランドのものかもしれない。

「和今感彩」展でもらった靴入れ用エコバッグは、わたしの仕事椅子のクッションとなじむ色合いであることを、「おんなじ!」とたまが発見。

夕方は「おみやげあるよ」の電話を受けて、ご近所仲間で映画通のT氏が立ち寄ってくれる。お土産は、小豆島・二十四の瞳映画村の無添加佃煮(柔らかくて美味!)と香川・池上製麺所るみばあちゃんのうどんと、思い出話。高峰秀子版『二十四の瞳』のDVDをいただいてきたので、お貸ししましょうかと言うと、「何度も観て、細部まで記憶しております」。次回はぜひ一緒に行きましょうと話す。いつものように、たまが読む絵本を贈ってくださり(今回は『てぶくろ』というウクライナ民話)、どっちがお土産なんだか……と恐縮。

昨日3歳1か月になったたまは、旅行でたくさんの刺激を得た様子。旅行前夜は「あした りょこう」と躍りだし、旅先では「きょうも りょこう」と踊って出会った人たちを和ませ、家に帰ってくると「あした ほいくえん」と踊っている。普段は保育園があるし、休日もわたしが仕事のことが多いので、こんなにべったりと長いこと一緒にいたのは、保育園に入る前以来だったかもしれない。たくさん遊んで、甘えて、いちだんと言葉や表情が豊かになった気がする。「ママ だいすきー」と一日に何度も言ってくれ、一時期のイヤイヤを卒業し、素直さや無邪気さが戻ってきた。

小豆島から持ち帰った芸は、「ちゅうべいこうせん」。指を軽く曲げた掌を向け合って、「ガオー」と光線を送りあう忠平さんと延々とやっていた。アレンジで「大阪名物たこ焼き光線」や「お好み焼き光線」をわたしが仕込むと、それも気に入って、「どやー」と繰り出している。「ちゅうべい また あいたいね。やじゅうさん(柳生さんと言えず、野獣さんになる) また あいたいね。また しょうどしま いこうね。ぼくママ いこうね」。故郷ができたような気持ちなのだろう。大型旅行が、ひと月遅れの誕生日プレゼントになった。

この一か月の大きな変化は、人との交流を積極的に楽しむようになったこと。保育園で同じクラスのリオ君と帰る方向が同じなので、お迎えの時間が同じときに一緒に帰れるのがうれしくてたまらない。リオ君はたまより5キロも大きいけれど、3歳になるのは3か月後で、たまは姉さん女房気取りで靴をはかせてあげたりする。二人で手をつなぎ、ショップ99で仲良し夫婦のようにお買い物。信号を待ちながら「たまちゃん すきー」「リオくん すきー」と大声で言い合っている。一軒家のリオ君の家にはエレベーターがないので、いつもうちのマンションのエレベーターを昇って、降りる儀式の後、マンションの入口まで戻ってきてバイバイとなる。明日になればまた会えるのに、毎回リオ君が泣いて別れを惜しみ、たまはまんざらでもない顔をしている。リオ君が泣かないときは、たまが泣く。これが初恋ってやつかしら。

2008年09月23日(火)  さつまいもの町、川越。
2007年09月23日(日)  オフコースを聴いて思い出すこと
2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション
2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2009年09月22日(火)  小豆島5日目は香川県三木町の渡邊邸で妖怪三昧

小豆島のゲストハウスで4回目の朝を迎え、冷蔵庫の中身大掃除の朝ごはん。明日の午前中の飛行機で東京に戻る予定だったのだけど、今日、柳生さんに高松を案内していただくことになったので、高松へ渡ったついでに東京へ向かうことにした。やる気の出るキッチンと眺めのいいベランダ、洗い場にベッドを二つ置けそうな広々したお風呂……わが家の何倍も広く、快適なゲストハウスと名残を惜しむ。

土庄港の高速艇乗り場では小豆島にまつわる曲が順繰りに流れている。一昨日、うちの両親を見送ったときに『ぼくとママの黄色い自転車』の主題歌、さだまさしさんの「抱きしめて」が聴こえてきて感激したが、今朝もちょうどいいタイミングで「抱きしめて」が流れていて、見送られているようだった。

柳生さん、峰子さんとともに高速艇に乗り込む。二階があり、ラウンジのようにソファが置かれているのを初めて知る。小豆島の話、柳生家の成人した四人のお子さんたちの話、窓から見える風景の話(二つ重なった不思議な岩が見えた)……あっという間に30分、高松港に着くと、長男忠平さんのお嫁さん、陽子さんがお出迎え。これから高松市の隣の三木町で開かれている忠平さんのグループ展を見に行く。

19日に通った県庁公園前の大通りを走っていると、「たまちゃん、ここで、ズボン落っこちたねえ」とたまが言い出した。県庁公園近くのうどん屋「さか枝」で食べた帰り、ウエストがゆるくなったジーンズが漫画のようにすとんとくるぶしまで落っこちた。それをよく覚えていることに驚く。今回の旅行のいろんな出来事も、小さな思い出の引き出しにしまわれていることだろう。


小豆島での「ぼくママ}上映会を主催した映画館ホール・ソレイユの前を通っていただく。「ぼくママ}がかかっているかなという期待があったが、違う作品だった。『子ぎつねヘレン』の太一役、深澤嵐くん主演の『いけちゃんとぼく』、『子猫の涙』でご一緒した森岡利行さんが監督、脚本の『女の子ものがたり』を上映中。

グループ展「和今感彩」の会場は、渡邊邸という古い茶室が集まった情緒あるお屋敷。門をくぐると、大きな紅い和傘が目に飛び込み、着物美女がチケットと引き換えに、靴を入れるエコバックとラムネなどのガラス瓶に入った冷たい飲み物が差し出してくれる。一瞬でこの空間、空気に恋してしまった。「和今感彩」というタイトルは、「和魂漢才」をもじったもの。前にいた外資系広告会社のモットーが「和魂洋才」だったことを思い出す。

中に足を踏み入れると、手づくりのお菓子やら和風小物やらTシャツやらを展示販売している。夜市のような楽しさ。小豆島のお菓子作家さんのブラウニーを、たまが試食を気に入ったので、購入する。

さらに奥の間に進むと、お目当ての忠平さんが襖(!)に描いた妖怪の絵を前に説明していた。蝋燭の炎が、ゆらめき、妖しさを盛り上げる。


絵は描きかけで、昨日も今日も泊まり込み、筆を進めて進化中なのだという。部屋の片隅にはただならぬ妖気を放つ、これまた襖に描かれた妖怪画が。これは、もともとこの屋敷にあったものだそうで、時の洗礼も受けて、すごみを増している。忠平さん、この絵に大いに刺激を受けたそう。

「夜に来ると、いいですよお」と忠平さん。こんな部屋に泊まり込んだら、背筋が冷えそうだけど、それがまた絵描鬼・柳生忠平にとっては、筆に妖気を呼び込むチャンスなのかもしれない。以前、妖怪もののアニメを開発する仕事に半年ほど首を突っ込んだことがあり、妖怪についてけっこう勉強したが、この世と妖怪の世界はつながっていて、妖怪たちは自由に行き来しているのだという。それも文明の発達で、道がふさがれつつあるらしいが、ここならいくらでも通り道が開いていそうだ。

作品はちょっと怖いけど、妖怪をデザインしたTシャツを購入。男物なので、Sサイズでも大きい。そのうちレディースも作る予定とのこと。パフスリーブとか、ワンピースとか、かわいいラインに妖怪の組み合わせを希望。

その隣の間には、忠平さんデザインの革のバッグを展示。こんなの見たことない。面白い。

忠平さんの妖怪画の前にお供えされているのは、20日に小豆島で見た井口三四二さんのコレクションのひとつ。民俗資料館を案内してくださった柳生さんが、展示物を「妖怪のもと」と呼んだ理由がわかった。今は休眠していて宝のもちぐされとなっているコレクションをどのように展示したら人を引きつけられるだろう、と考えをめぐらせていたが、古い道具に新しい感性を吹き込む忠平さんの発想にヒントがあるように思った。

外に出る。お堂の中にも妖怪画、これ以上ふさわしい展示スペースがあろうか。鬼気迫る提灯は、昨日、会場の設営をしているときに見つけたのだとか。これが灯って絵を浮かび上がらせるところも見てみたかった。ちょうどお堂の後ろを電車が走る。琴平鉄道、通称「こと電」の白山(しろやま)駅から徒歩10分とのこと。東京のわが家の最寄り駅は白山(はくさん)で、いつも乗り換え案内を調べると、「白山(新潟)」「白山(香川)」という候補が出るのだが、香川の白山駅はこんなところにあったのか。

「妖怪のもと」×柳生忠平の競演は続く。やかんや鍋が妖怪になるのだから、鍵と錠前だって妖怪になる。自分で自分をかんじがらめに施錠しているのか。

これはセメントを平らに塗る道具だったっけ。近所で大工さんが仕事するのを惚れ惚れ眺めた思い出が蘇る。この妖怪も自分で自分を塗り固めているのか。


左は煙管(キセル)で右は分銅か。分銅妖怪も自分の重みで身動き取れなくなっている。

これは携帯筆らしい。筆ペンの祖先か。

代々受け継がれてきたこの屋敷を管理している小橋さんとお話ができた。「前はこういうものを背負わされて重荷で重荷で……でも今は、どうやって活かしていこうかと考えてたら楽しいですね。白州邸にも行って、じっくり見てきました」。快活で頭の回転のいい女性で、お話もキレがいいと思ったら、ラジオのパーソナリティもなさっているという。ダンナ様はテレビ局に務めていて、「ぼくママ」試写会などにも関わられていたとのことで、作品のことをよく知ってくれていた。

お堂の隣に建つ蔵の前で立ち話したのだが、蔵の下の部分の色が変わっている部分を指差し、「あそこから泥棒が入ったんです」。数年前のその出来事がきっかけで、それまで眠らせていた屋敷を開放して、風を通さなくてはと思ったという。蔵から何を盗まれたのかもわからないらしく、「風穴だけ開けに来たのかもしれませんね」と話す。この建物に人といい空気が集まっている場面に出会えて、とても幸せだった。建物の外観の写真を撮り損ねたのが惜しまれる。


香川といえば、うどん。クルマを走らせて目に留まった「根っこ」というお店へ。わたしは釜揚げを、たまはざるを。「昼どきを過ぎてもこんだけ人が入ってたら、当たりや」と柳生さん。本場でうどんを食べるというだけで、わたしには十分おいしさの条件はそろっている。

食後は高松市内に戻り、柳生さんの親戚がやっているというきらら温泉でひと風呂浴び、マッサージでほぐされる。その間、たまはこんこんと昼寝。目覚めてお風呂に入ると、大浴場に興奮。露天風呂も泡風呂も楽しんだが、調子に乗って風呂から風呂の移動にダッシュし、洗い場の床に勢いよくダイブして大泣きした。あわてて脱衣場に引き上げたが泣き止まず、地元のおばちゃんが「痛かったなあ」と同情してなだめてくれ、「子どもを泣かせたままにしとくと、お母さんの器量が疑われるよってな」とわたしに耳打ち。たまは「たかまつばあば」となつき、「たかまつばあば、おおさかばあばのこと、しってるかなあ」。

畳敷きの休憩スペースで休み、柳生さんの親戚の方とご挨拶。パワフルで強運の持ち主の女主人は柳生さんの叔母さん。「山あり谷あり、わたしの一代記、おもろいよー」。

四国に来たからにはお遍路さんに会いたかったが、車で移動する人がほとんどとのことで、道を歩いている姿は見かけなかった。温泉近くの八十三番札所、一宮寺を訪ねたが、参拝時間が終わっていて、静かだった。その分広々としていて、たまは大はしゃぎ。お地蔵さんがエプロンをしている姿に親近感を抱いた様子だった。

陽子さんに空港まで送っていただき、JAL最終便で羽田へ。ひさしぶりに旅行らしい旅行をして、狭く散らかったわが家に帰ると、なんだか気が抜けつつも、ほっとした。

2008年09月22日(月)  「せつない」が言葉になった、たま2才1か月
2007年09月22日(土)  マルセル・マルソー氏死去
2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年
2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2009年09月21日(月)  小豆島4日目はアートの島「直島」へ

娘のたまが生まれた頃だっただろうか、友人に「すっごくいいよ」とすすめられ、直島のことを調べたことがあった。岡山からさらにフェリー、しかも宿泊施設は限られていて、ほぼ満室。これは無理だと断念し、それから数年、思い出したように小豆島滞在中に日帰り旅が実現した。土庄港からは直行の船はなく、高松に出てから直島行きに乗り換える。高速艇なら乗り換え時間を入れても2時間足らず。

今回お世話になりっぱなしの小豆島の柳生さんのお友だちで、瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わっている直島の井下良雄さんが船着き場まで出迎え、早速、古民家をアートスペースとして活用している「家プロジェクト」へ案内してくれる。

室内に浅く水を張って発光ダイオードを浮かべ、数字が明滅するアート(その間隔は島民たちに秒数を決めてもらったそう)。碁会所の畳に木でできた花をちりばめたアート。壁の絵が鏡のような床に映りこみ、深い崖の底にすいこまれるような錯覚を覚える「FALLING」というタイトルのアート。

有名な地中美術館へ抜ける山道をたくさんの人が歩いている。ここは竹下通りか、と思うほどの人通り。約4000人の島民に対して、年間の訪問者数は約40万人。今日は大型連休でにぎわい、島民を上回る勢いの旅行客が押し寄せているのだとか。なんにもない山道の途中に突如巨大ゴミ箱が現れる。いたるところにアートがあって、これは楽しい。

地中美術館の整理券待ちの列に井下さんの奥さんが並んでくれていた。朝から女文楽の練習をしてから昼前に並び、17時半入場の整理券を取れたという。9時に並んでも11時入場だったとか。「今日はえらい人や」と井下さんもびっくり。

草間彌生のオレンジかぼちゃに、たまは大興奮。るるぶを見たときから、「ここいく!」と所望していた。「台風のときに流されかけて、大変やった」と井下さん。


井下さんの同級生がやっている山本うどん店は大人気で、ベネッセミュージアムの中にある和食屋に名前を残し、作品を見ながら待つことに。

イタリアから運んだという大きな石のオブジェに寝そべり、建物に切り取られた空を見上げるというアート。雲までなんだか絵画的。

30分待ちのはずが1時間半待ちとなり、メニューは親子丼を残すのみ。小鉢がちょこちょこついて上品な定食といった感じ。食事の前にフレッシュジュースを注文。島にいると、喉が渇く。退屈したたまがぐずると、元保育士というウェイターさんが松葉を持ってきて、あやしてくれる。たまは松葉をひきちぎり、「ちょうちょさんつくるー」と遊びだした。


長蛇の列で入れなかった「家プロジェクト」のひとつ、古い歯科を再生させた「歯医者」。10分待って3メートルというペースだったから、一時間待ち覚悟? 廃屋のような建物が行列に取り囲まれている図もまたアート。「自由の女神みたいなんがおるんやけど、狭いとこに押し込められてるから不自由の女神やー」と井下さん。

港近くにできたお風呂やさん。「アーティスト大竹伸朗が手がける実際に入浴できる美術施設」、その名も直島銭湯「I♥湯」。カラフルなコラージュが楽しい。

右も左もゴテゴテと。色とりどりで何とも楽しい。目を輝かせていると、「いかにも君好みだねえ」とダンナが呆れる。

「中もすごいで」と井下さんに言われ、入浴。大人500円、子ども200円。そして、直島島民は300円。番台のおっちゃんも「I♥湯」シャツを着ている。男湯と女湯の仕切りの上には巨大な象! 浴槽はタイルがコラージュ。サボテンがニョキニョキの温室がのぞめて、作品の中にどっぷり浸れる感覚。

脱衣場のベンチには映像スクリーンが埋め込まれ、トイレもまたコラージュ尽くし。便器と洗面台には中国の骨董のような絵が描かれている。プロデュースはベネッセの福武總一郎さん。アートと生活の融合に脱帽! 散髪屋やマッサージ屋もぜひ作ってほしい。

銭湯から歩いてすぐの港近くには、赤くて大きな草間彌生かぼちゃ。ここは大人気のフォトロケーション。

島のあちこちの触れるところにアートがあり、自分もその一部になれたりする。その感激が口コミで広まって、島に人を連れてくるのかもしれない。「人がいっぱい来よると、年寄りは元気になるし、どんどんええ顔になりよる。みんな家もきれいにしよるし、見られてるゆうのは大事なことや」と井下さん。たしかなセンスと方針を持ったプロデューサーがいれば、宝は磨かれるんだなと感銘を受けた。

帰りは高速艇がなくフェリーを乗り継いで小豆島土庄港に戻り、迎えてくれた柳生さん夫妻に「島勝」という日本料理屋の庭の見える個室で会席をごちそうになる。盛りつけも味もすばらしく、カメラを車に置いてきたのが残念。たまはフェリーから爆睡してたが、ゲストハウスに帰って目を覚ますと、食べきれなくて持ち帰った天ぷらをむしゃむしゃ食べた。

2008年09月21日(日)  「プロポーズ・アゲイン。」と『最後の初恋』
2006年09月21日(木)  マタニティオレンジ8 赤ちゃん連れて映画に行こう
2003年09月21日(日)  花巻く宮澤賢治の故郷 その2
2002年09月21日(土)  アタックナンバーハーフ


2009年09月20日(日)  小豆島3日目ロケ地めぐり&朝ドラ「つばさ」最終週は「二度目の春」

『ぼくとママの黄色い自転車』ロケ地、小豆島を訪ねて、3日目。今日はオリーブの記念植樹から始まった。映画でも今回の滞在でもお世話になっている柳生好彦さんは小豆島ヘルシーランドというオリーブオイル関連商品を扱う地元企業の会長さん。滞在先のゲストハウスのすぐ隣にオリーブ畑がある。今の季節は苗木を植えるのではなく、すでに根づいた木に土をかけるセレモニー。木の脇に記念メッセージのプレートを立ててくださるというので、「たまえの木」と名付け、「のびのび育て! たまえの木」と願いを込めた。

今はたまの背たけの倍ぐらいの大きさだけど、大きくなると、7〜8メートルほどになるのだという。小豆島の大地に根を下ろした「たまえの木」が枝を伸ばし、実をつけ、のびのび、すくすく育つのを想像するだけでも愉快だ。もう少し大きくなったたまを連れて、大きくなった木を見に来よう。

今日大阪に帰るうちの両親とともに、柳生さんに小豆島を案内してもらうことに。昨日のバーベキューでたまとよく遊んでくれた地元のユウキ君(5歳)とお母さんのミカさんも一緒で、にぎやか。車窓の外を黄色いレンタサイクルが連なって走るのをあちこちで見かける。真新しい車体の黄色が、島の緑に実によく映える。主人公の大志少年を黄色い自転車に乗せたいというのは、わたしのこだわりだったから、映画の中だけでなく現実の光景となったのは、とてもうれしい。

小豆島には農村歌舞伎の舞台が二つ残っていて、神社にしつらえられた舞台だけでなく、そこでの上演も300年あまりにわたって受け継がれているのだという。こちらは肥土山離宮八幡神社。上演は奉納という荘厳な儀式であり、とても神秘的な体験なのだそう。


映画にも登場する棚田は、もうひとつの歌舞伎舞台がある中山の春日神社の近くにあった。

「民俗資料館に興味はありますか?」と柳生さんに聞かれて案内されたのは、閉館となって久しい資料館。同級生のお父様、井口三四二さんが散逸していく島の生活道具を後世に残したい一念で集めた膨大な資料が倉庫に所狭しとひしめきあっている。別名「妖怪の元」と柳生さんが呼ぶ理由を、2日後の22日に知ることになる。

「店台」などと道具のひとつひとつに添えられた味のある説明書きは、三四二さんの直筆。亡くなる間際、柳生さんに資料館を頼むと言い残し、今は柳生さんが管理されているというが、三四二さんの想いを知っているだけに責任は重く、どのような形で公開すればいいのか、思案しているところだという。

美容院の一角を再現したこのコーナー、磨けば面白くなりそう。外観も再現して、フォトロケーションにするとか。

運営していた頃の看板は、今は役目を休んで転がっている。これも骨董の趣。


建物入口に立てられている資料館への想いを綴った看板からも三四二さんのひたむきさが伝わってくる。私財を投げ打ち、膨大な時間を費やし、まさに人生を懸けたのだろう。このまま眠らせておくのは宝の持ち腐れで、宝の山にする手はないものかと考えてしまう。

再びロケ地めぐり。大志(武井証)が自転車を走らせた石畳の道沿いに、大志がママの琴美(鈴木京香)を思い出す夢と、ラストの奇跡が起きる場面に登場する風車があった。宣伝写真の沖田家スリーショットを真似て、家族写真を撮る。

沖田一志(阿部サダヲ)と山岡静子(市毛良枝)が木陰で大志と琴美を見守る大きなオリーブの木は、昭和天皇が植えたものだとか。根元に大きなバッタがいて、恐らく生まれて初めてバッタを見るたまは、飛び跳ねて逃げるバッタをしつこく追いかけていた。

近くには「オリーブ発祥の地」の碑が。101年前、オリーブが根づいたのが、この場所らしい。

「光彩園」のロケ地は、町が運営するスパ施設。

その手前にある「道の駅」では、ハーブを使ったお土産を扱っていて、ホールではハーブのリース越しに「ぼくママ」ミニ展示をのぞめる。

眺めのいい2階のレストランでハーブカレーとフレッシュハーブティーの昼食。カレーは辛口、甘口ともになかなかおいしい。

ポットにびっしり詰まったフレッシュハーブには感激。しかし、店員さんの余裕のなさはハーブがもたらすゆったり感にはほど遠く、受け答えもぶっきらぼうなのが惜しまれる。

たまが出発前に「るるぶ」を見たときから目をつけていた「むらさきのアイス!」が売っていて(ラベンダー味)、オリーブ味とともに食べる。たまは口のまわりをクリームまみれにしながらほぼ一本食べきった。

オリーブ公園を後にし、映画で3歳の大志が「おせんべいのにおい」と呼んだ醤油のにおいがこぼれる醤油工場へ。においと記憶は強く結びつくが、わたしが小豆島で真っ先に思い出したのは、醤油のにおいだった。

続いては、昨日お会いした有本裕幸さんのいる二十四の瞳映画村へ。「魚にえさをやれるんですよ」と有本さんに聞いていたが、シャリシャリに凍ったシャーベット状態の小えびを箸でくずすという豪快な絵付け。タイがジャンプして食いつきにくる。

大石先生と子どもたちの像。Vサインをしている子や手を振っている子……ではなく、先生を相手にじゃんけんをしている。映画を観ていないのに、たまはすばやく理解して、「じゃんけん」とチョキを出していた。

87年公開版の撮影で使われたセットを中心に古い街並が再現され、土産屋などが入っている。校舎の中にはロケで使われたそのままなのか、教室が残っていて、先生になったり生徒になったり。目の前は海で、このロケーションはすばらしい。校舎近くにはボンネットバスがあり、子どもたちがうれしがって乗り降りしていた。

有本さんにおみやげをたくさんいただき、記念撮影。「麒麟麦酒」の前掛け姿。ここの雰囲気にぴったりな「昭和ラガー」というビールがあるのだそう。この空の色、まだ夏のよう。

映画村入口には、ぼくママのチラシが。有本さん、ほんとに熱心に応援してくださってます。


「二十四の瞳」の著者、壷井栄の資料館では、生い立ちをまとめた映像を見ながら、彼女が使っていたというテーブルで葉書を書く。古き良き映画好きなご近所仲間のT氏に高峰秀子版二十四の瞳のポストカードを。切手は資料館で買え、ポストは映画村を出たところにある。
バスの待合室が大きな醤油樽。これ、島の至る所にあれば、小豆島らしくて、観光客に喜ばれそう。

再びドライブして土庄町へ戻り、ちょっと疲れの出たユウキくん親子と大阪へ帰るうちの両親が車を降り、かわりに峰子夫人が合流して、小豆島で売り出し中の「迷路のまち」へ。会長の泊道夫さんは瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わられているとのこと。待合所にも「ぼくママ」チラシを発見。

泊会長自らの案内で、迷路のまちを歩く。その昔、外からの攻撃をかわすために家同士がスクラムを組むように入り組んで建てられ、路地を三叉路にした結果、迷路のような街並ができたのだという。

上から見ると、重なり合うようにひしめく屋根は、歯並びの悪い歯のようでもある。

その眺めは、西光寺の三重の塔から見たもの。正面の本殿(?)に地下に入る道があり、壁を触らないと方角を見失うほどの闇を抜けると、突如オレンジの光に包まれ、見ると、淡いぼんぼりの光が両側の鏡で無限に続いていて、その光に反射的に救済を感じるという幻想的な体験ができる。その脇の階段をずんずん登っていくと、三重の塔のてっぺんに出て、迷路のまちを見晴るかすことができるのだった。

横から見ると十字架の形に見える隠れキリシタンのものらしい墓などを見ながら、迷いそうな路地を幾度も曲がり、「咳をしても一人」の尾崎放哉の記念館へたどり着く。すでに閉館時間となっていたが、記念館の前にある現役の井戸にたまは大喜び。「いれものがない両手でうける」は小豆島で作られた句だそう。迷路のまちを知り尽くした泊さんの解説のおかげで、何気なく歩いていたら見落としそうな見どころをたくさん拾わせてもらった。

朝から柳生さんにつきっきりで案内していただいたが、夜は長男夫妻に食事をごちそうになる。刺身、天ぷら、西京焼、そうめんなど、地元の幸をたくさんいただく。長男さんは妖怪の絵を描く「絵描鬼」で、柳生忠平の名で活動している。この名前が呼びやすく、たまもすっかり「ちゅーべー」となついたので、わたしもそう呼ばせていただく。

同じブランドの自転車に乗っていたのが縁で陽子さんが声をかけたという馴れ初めはドラマに使えそうだけど、その出会いがなくても一週間後に同じイベントで会うことになっていたとは、まさに運命。もうひとつ驚いたのが、京都で学生時代を過ごした陽子さんが、わたしが下宿していた女子寮の名を「聞き覚えがあります」と言い出し、「下宿先の候補として見に行きました」。おっとりした品のある口調で「トイレやお風呂が共同のところがよかったんです」と言い、本当は吉田寮に憧れていたというから、なかなかユニーク。妖怪との親和性も高そうだ。

話が弾んだので、ゲストハウスまで送ってもらったときにお茶していきませんかと誘う。ドアの前に紙袋が置かれていて、見ると、昼間一緒だったユウキくんとお母さんからおもちゃの差し入れだった。「小豆島滞在中お使いください」とメモが添えられていた。その中に、わが家にもある「水でお絵描きセット」を見つけて、早速お絵描き大会。忠平画伯が妖怪風のたまを描いてくれた。陽子さんも絵が上手。ここでは「幽霊が見える、見えない」話で盛り上がった。

こうして、盛りだくさんな小豆島3日目は終わった。

盛りだくさんといえば、明日からいよいよ最終週の「つばさ」は最後までネタ切れ知らず。主題歌のタイトルでもある「二度目の春」の意味は? 主題歌の歌詞と物語のシンクロというのも新鮮だけど、頭の何週分かの台本を読んでこの歌詞を作り上げたアンジェラ・アキさんはタダ者ではない。演出は1〜3週、6週(斎藤と加乃子)、10週(紀菜子あらわる)、14週(大衆演劇)、16週(台風)、19週(ビバマリア)、24週(千代と加乃子和解)のチーフディレクターの西谷真一さん。目を離さず、ハンカチも手放さず、ラスト6日間お楽しみください。ファン掲示板へも感想をお寄せくださいね。

2003年09月20日(土)  花巻く宮澤賢治の故郷 その1


2009年09月19日(土)  小豆島2日目『ぼくママ』上映会

虫の声を聴きながら眠り、海からの陽射しに朝早く目覚める。島の朝! 7:30のBS hi(東京のわが家では映らない)と7:45のBS2、8:15の地上波で「つばさ」第25週の結末を観る。大画面のハイビジョンで観る冨士さんは、ど迫力。


朝食はベランダで。海まで遮るもののない眺めが何よりのごちそう。水着に着替えて海まで行き、誰もいない浜辺を一家で独占して水と戯れる。

海が大好きなたまは、おおはしゃぎ。でも、唇が紫になり、海から上がると震えていた。

午後からは今回の旅行のメインイベントである『ぼくとママの黄色い自転車』上映会。その前に、柳生さんの車で、船着き場横にある「二十四の瞳」像を見に行く。昨日着いたときは気づかなかった。若い女性二人組に「録ってください」と頼まれてシャッターを切ると、「今の人は小豆島を舞台にした映画の脚本を書かれた方です」と柳生さんが教えたので、「今日上映会があります」とチラシを渡す。

たまは船に興味津々。写真はたまが撮ったもの。


上映会会場の公民館近くの天ぷら屋さん「幸宝」でお昼をごちそうになる。今日高松で次回作がクランクインした井口喜一プロデューサーも合流。天ぷらに行き着くまでに出される一品一品が感動もの。「こちらはフグです」と説明され、「え! これが!」と驚いたのは胡麻豆腐(フグのフォアグラか!と早合点)だったが、胡麻豆腐もフグも舌でとろけて口福〜。満を持して登場の天ぷらは、衣の軽やかなサクサク感が秀逸。きす、えび、あなごなど、衣に閉じ込められ、揚げられると、海鮮の新鮮さが際立つ。今朝もぎたてといういちじくの天ぷらが珍しく、サクッ、ジュルッといただく。

途中、たまが拳を天つゆに突っ込んで母娘で天つゆまみれになる事件があった。その瞬間、頭に思い浮かんだのは、舞台挨拶どうしよう!だったが、すぐに水洗いすると、まったくしみは残らず、ワンピースの布地が薄いので自然乾燥で乾いた。たまはせっかく映画にちなんで黄色いワンピースを着てきたのに、着替える羽目に。

14:20からの2回目の上映の20分ほど前に公民館に着くと、長蛇の列! 岡山から駆けつけた今井雅子ファン第一号の「岡山のTOM」さんと一年半ぶりに再会。岡山産マスカットを求肥で包んだ「陸乃宝珠」(「珠」の字が入っているのがポイント)という源吉兆庵のお菓子をお土産にいただく。

1回目の上映を終えて出てきた人たちが2回目をこれから観る知り合いに「よかったよ」などと笑顔で声をかけていく。1回目、2回目ともに300人を超える人が観てくれたそうで、これは島民3万人あまりの2%に相当する数。全戸に配布したチラシには、わたしが舞台挨拶する旨も記されていた。

1回目を観ていたわたしの両親は、舞台挨拶を見るため、会場に残っていた。高松に住む母のいとこが友人を誘って1回目を観にきてくれていた。わたしが会うのは初めてらしい。映画のおかげで、いろんな人に会える。

入れ替えに時間がかかり、10分押しで小豆島町長、土庄町長、井口さんとともに舞台挨拶。小豆島の風景をお借りしたお礼、16年前に小豆島に来たこと、原作との大きな違いである黄色い自転車が島の緑に映える姿を見て感激したことなどを話す。映画の終盤で感動していただけたなら、その半分は小豆島という場所の力だと締めくくった。小豆島町長さんは小豆島観光協会の会長でもあり、ぼくママのプロモーションにもご尽力いただいた様子。恰幅のいい堂々たる風貌の土庄町長さんはユーモラスな語り口。このお二人とご挨拶しそびれてしまったのが残念。慣れた名調子で司会進行をされた「二十四の瞳映画村」の有本裕幸さん、上映会を主催された高松の映画館ホール・ソレイユ支配人の岡雅仁さんとはご挨拶できた。

いよいよ地元での本編鑑賞。スクリーンで観るのは、初号試写、完成披露試写、キャリアマム試写会、親子試写会に続いて5回目。地元ならではのあたたかな期待感が客席を包み、とてもいい雰囲気。小豆島の場面に差しかかると、おなじみの場所が画面に現れるたびに「おお」とどよめきが起こる。「おお?」とハテナや笑いが混じるのは、大志が自転車で移動する距離への突っ込みらしい。それもまた微笑ましい感じがして、ああ小豆島で観ているんだなあと実感できた。映画が終わると自然に拍手が起こり、ありがたい気持ちでいっぱいになった。出口で「ひさしぶりの映画で、いいものを見せていただきました」と地元の女性に声をかけられる。小豆島には映画館が一軒もないので、今日の鑑賞がひさしぶりという人は多かったのかもしれない。

「ぼくまま、みるう」と心待ちにしていたたまは、犬のアンが出てくるたびに喜び、終盤まで集中して観てくれ、エンジェルロードを見届けたあたりでコテッと寝た。舞台挨拶も印象に残ったようで、「ママの こえ きこえたよ」とうれしそうに言い、「また しょうどしま いって ぼくまま みるう。ママの こえ きくう」。保育園でも小豆島へ行くことを「ぼくまま いく」と先生たちに言っていたから、たまにとって、「小豆島=ぼくママ」らしい。

わたしたちが泊めていただいているゲストハウスに移動し、映画の関係者の方やご近所さんも集まって、柳生さん主催のバーベキューパーティ。あなごやサザエなど海鮮も豪快に。

お刺身もあふれんばかりの歓迎の意を表しているかのよう。二十四の瞳映画村の有本さんに、つくだ煮京宝亭支配人の川原英治さん、オリーブ園営業部長の永井順也さん、寒霞渓ロープウェイ営業課長の高橋俊司さんを紹介していただく。皆さん、小豆島観光協会の活動に携わり、ぼくママ公開に合わせて小豆島PRに奔走されたとのこと。公開初日に東京バルト9でオリーブ石鹸が、大阪ブルク11でつくだ煮が配られたのは、そういうわけだった。

初めて会う方ばかりだけれど、話題に困ることはなく、心地よいひとときを過ごさせていただく。わたしのありふれた顔は、初対面の人に「どこかで見たことがある」「知っている人によく似ている」と言われることが多く、今宵もそうだったが、そのおかげで、するりと小豆島の人の輪になじませてもらった気もする。「集まった人たちがそれぞれ気の合う人を見つけて、そこから交流が始まるのお見るのが好きなんですよ」と柳生さん。映画は人と人をつなげる天才だけど、柳生さん自身もそうで、映画と柳生さんが出会った「ぼくママ」は愉快な縁に恵まれている。

2008年09月19日(金)  広告会社時代の同期会
2004年09月19日(日)  2代目TU-KA

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