半年間、これまでにない熱心さで観続けた朝ドラ「つばさ」の最終回。7:45からのBS2、8:15からの総合、9:30からのBS2一週間分再放送を観て、一家で川越で向かう。「つばさ」展を開催中の鏡酒造跡地で、みんなで最終回を観ようという試みがあることを「つばさ」ファン掲示板で知った。
4度目の川越、クレアモールを歩いて鏡山酒造跡地へ。「なんか のみたいよー」を連発するたまをなだめすかし、到着すると、前回飲んでおいしかったグレープフルーツジュースを買う。ごっくんと飲んで、笑顔を見せるたまに「我慢して良かったでしょ」。
「つばさ」展会場に入ると、並べたパイプ椅子を埋めた人々が「つばさ」PR映像に見入っていた。プロデューサーの後藤さんと初めましての奥様を見つけて、ご挨拶。わたしの服をほめていただく。パコダテ人の衣装に使ったアップリケを3900円の古着ワンピースに縫いついたもの。古着な上に7年も着ているから、相当ボロボロだけど、チャーミングな奥様と話が弾むきっかけになった。
12:45から今日4度目の最終回。みんなで見守るテレビの背景には川越キネマと甘玉堂のミニチュアセット。 |
 パイプ椅子に座っていたたまは、落ち着かず、立ち見のわたしの元へ。展示のジオラマと画面のジオラマを見比べて、「おんなじー」。知秋が万里にメロンの新作菓子を差し出す場面では、さざ波のようなくすくす笑い。終わると、大きな拍手が沸き起こった。サプライズゲストとして紹介された後藤さんが地元の皆さんに感謝の挨拶。再び拍手が贈られた。 |
 わたしとダンナは川越ファンミーティングのときに立ち寄ったけれど、そのとき留守番だったたまは初めてで、「これなあに?」と展示物に興味津々。川越キネマの前で記念撮影。「なかにはいりたいよー」が叶わず、指をくわえて、いじけのポーズ。「かわごえきねま」「らじおぽてと」と言えるようになったのはドラマの終盤だった。大きくなっても覚えてくれているかな。 |
 甘玉堂の前で母娘ショット。二人で写ることは珍しいけど、母と娘の物語ですからね。たまは「こちらあまたまどうですー」のポーズ。 |
 撮影小物もいろいろ。これは、小料理屋「こえど」に飾ってあったもの。 |
 斎藤興業にあったブーメラン。グラスの展示もぜひ! |
 浪岡が音楽にはまるきっかけとなった記念のレコード。7週で登場。 |
 16週で登場した加乃子の売れ残り防災グッズ「防災くん」。 |
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 絵は描きかけで、昨日も今日も泊まり込み、筆を進めて進化中なのだという。部屋の片隅にはただならぬ妖気を放つ、これまた襖に描かれた妖怪画が。これは、もともとこの屋敷にあったものだそうで、時の洗礼も受けて、すごみを増している。忠平さん、この絵に大いに刺激を受けたそう。 |
 「夜に来ると、いいですよお」と忠平さん。こんな部屋に泊まり込んだら、背筋が冷えそうだけど、それがまた絵描鬼・柳生忠平にとっては、筆に妖気を呼び込むチャンスなのかもしれない。以前、妖怪もののアニメを開発する仕事に半年ほど首を突っ込んだことがあり、妖怪についてけっこう勉強したが、この世と妖怪の世界はつながっていて、妖怪たちは自由に行き来しているのだという。それも文明の発達で、道がふさがれつつあるらしいが、ここならいくらでも通り道が開いていそうだ。 作品はちょっと怖いけど、妖怪をデザインしたTシャツを購入。男物なので、Sサイズでも大きい。そのうちレディースも作る予定とのこと。パフスリーブとか、ワンピースとか、かわいいラインに妖怪の組み合わせを希望。 |
 その隣の間には、忠平さんデザインの革のバッグを展示。こんなの見たことない。面白い。 |
 忠平さんの妖怪画の前にお供えされているのは、20日に小豆島で見た井口三四二さんのコレクションのひとつ。民俗資料館を案内してくださった柳生さんが、展示物を「妖怪のもと」と呼んだ理由がわかった。今は休眠していて宝のもちぐされとなっているコレクションをどのように展示したら人を引きつけられるだろう、と考えをめぐらせていたが、古い道具に新しい感性を吹き込む忠平さんの発想にヒントがあるように思った。 |
 外に出る。お堂の中にも妖怪画、これ以上ふさわしい展示スペースがあろうか。鬼気迫る提灯は、昨日、会場の設営をしているときに見つけたのだとか。これが灯って絵を浮かび上がらせるところも見てみたかった。ちょうどお堂の後ろを電車が走る。琴平鉄道、通称「こと電」の白山(しろやま)駅から徒歩10分とのこと。東京のわが家の最寄り駅は白山(はくさん)で、いつも乗り換え案内を調べると、「白山(新潟)」「白山(香川)」という候補が出るのだが、香川の白山駅はこんなところにあったのか。 |
 「妖怪のもと」×柳生忠平の競演は続く。やかんや鍋が妖怪になるのだから、鍵と錠前だって妖怪になる。自分で自分をかんじがらめに施錠しているのか。 |
 これはセメントを平らに塗る道具だったっけ。近所で大工さんが仕事するのを惚れ惚れ眺めた思い出が蘇る。この妖怪も自分で自分を塗り固めているのか。 |
  左は煙管(キセル)で右は分銅か。分銅妖怪も自分の重みで身動き取れなくなっている。 |
 これは携帯筆らしい。筆ペンの祖先か。 代々受け継がれてきたこの屋敷を管理している小橋さんとお話ができた。「前はこういうものを背負わされて重荷で重荷で……でも今は、どうやって活かしていこうかと考えてたら楽しいですね。白州邸にも行って、じっくり見てきました」。快活で頭の回転のいい女性で、お話もキレがいいと思ったら、ラジオのパーソナリティもなさっているという。ダンナ様はテレビ局に務めていて、「ぼくママ」試写会などにも関わられていたとのことで、作品のことをよく知ってくれていた。 お堂の隣に建つ蔵の前で立ち話したのだが、蔵の下の部分の色が変わっている部分を指差し、「あそこから泥棒が入ったんです」。数年前のその出来事がきっかけで、それまで眠らせていた屋敷を開放して、風を通さなくてはと思ったという。蔵から何を盗まれたのかもわからないらしく、「風穴だけ開けに来たのかもしれませんね」と話す。この建物に人といい空気が集まっている場面に出会えて、とても幸せだった。建物の外観の写真を撮り損ねたのが惜しまれる。 |
  香川といえば、うどん。クルマを走らせて目に留まった「根っこ」というお店へ。わたしは釜揚げを、たまはざるを。「昼どきを過ぎてもこんだけ人が入ってたら、当たりや」と柳生さん。本場でうどんを食べるというだけで、わたしには十分おいしさの条件はそろっている。 食後は高松市内に戻り、柳生さんの親戚がやっているという きらら温泉でひと風呂浴び、マッサージでほぐされる。その間、たまはこんこんと昼寝。目覚めてお風呂に入ると、大浴場に興奮。露天風呂も泡風呂も楽しんだが、調子に乗って風呂から風呂の移動にダッシュし、洗い場の床に勢いよくダイブして大泣きした。あわてて脱衣場に引き上げたが泣き止まず、地元のおばちゃんが「痛かったなあ」と同情してなだめてくれ、「子どもを泣かせたままにしとくと、お母さんの器量が疑われるよってな」とわたしに耳打ち。たまは「たかまつばあば」となつき、「たかまつばあば、おおさかばあばのこと、しってるかなあ」。 畳敷きの休憩スペースで休み、柳生さんの親戚の方とご挨拶。パワフルで強運の持ち主の女主人は柳生さんの叔母さん。「山あり谷あり、わたしの一代記、おもろいよー」。  四国に来たからにはお遍路さんに会いたかったが、車で移動する人がほとんどとのことで、道を歩いている姿は見かけなかった。温泉近くの八十三番札所、一宮寺を訪ねたが、参拝時間が終わっていて、静かだった。その分広々としていて、たまは大はしゃぎ。お地蔵さんがエプロンをしている姿に親近感を抱いた様子だった。 陽子さんに空港まで送っていただき、JAL最終便で羽田へ。ひさしぶりに旅行らしい旅行をして、狭く散らかったわが家に帰ると、なんだか気が抜けつつも、ほっとした。
2008年09月22日(月) 「せつない」が言葉になった、たま2才1か月 2007年09月22日(土) マルセル・マルソー氏死去 2006年09月22日(金) マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年 2005年09月22日(木) innerchild vol.10『遙<ニライ>』 2003年09月22日(月) 花巻く宮澤賢治の故郷 その3
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娘のたまが生まれた頃だっただろうか、友人に「すっごくいいよ」とすすめられ、直島のことを調べたことがあった。岡山からさらにフェリー、しかも宿泊施設は限られていて、ほぼ満室。これは無理だと断念し、それから数年、思い出したように小豆島滞在中に日帰り旅が実現した。土庄港からは直行の船はなく、高松に出てから直島行きに乗り換える。高速艇なら乗り換え時間を入れても2時間足らず。
今回お世話になりっぱなしの小豆島の柳生さんのお友だちで、瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わっている直島の井下良雄さんが船着き場まで出迎え、早速、古民家をアートスペースとして活用している「家プロジェクト」へ案内してくれる。
室内に浅く水を張って発光ダイオードを浮かべ、数字が明滅するアート(その間隔は島民たちに秒数を決めてもらったそう)。碁会所の畳に木でできた花をちりばめたアート。壁の絵が鏡のような床に映りこみ、深い崖の底にすいこまれるような錯覚を覚える「FALLING」というタイトルのアート。
有名な地中美術館へ抜ける山道をたくさんの人が歩いている。ここは竹下通りか、と思うほどの人通り。約4000人の島民に対して、年間の訪問者数は約40万人。今日は大型連休でにぎわい、島民を上回る勢いの旅行客が押し寄せているのだとか。なんにもない山道の途中に突如巨大ゴミ箱が現れる。いたるところにアートがあって、これは楽しい。
地中美術館の整理券待ちの列に井下さんの奥さんが並んでくれていた。朝から女文楽の練習をしてから昼前に並び、17時半入場の整理券を取れたという。9時に並んでも11時入場だったとか。「今日はえらい人や」と井下さんもびっくり。
草間彌生のオレンジかぼちゃに、たまは大興奮。るるぶを見たときから、「ここいく!」と所望していた。「台風のときに流されかけて、大変やった」と井下さん。
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 井下さんの同級生がやっている山本うどん店は大人気で、ベネッセミュージアムの中にある和食屋に名前を残し、作品を見ながら待つことに。 |
 イタリアから運んだという大きな石のオブジェに寝そべり、建物に切り取られた空を見上げるというアート。雲までなんだか絵画的。 30分待ちのはずが1時間半待ちとなり、メニューは親子丼を残すのみ。小鉢がちょこちょこついて上品な定食といった感じ。食事の前にフレッシュジュースを注文。島にいると、喉が渇く。退屈したたまがぐずると、元保育士というウェイターさんが松葉を持ってきて、あやしてくれる。たまは松葉をひきちぎり、「ちょうちょさんつくるー」と遊びだした。 |
  長蛇の列で入れなかった「家プロジェクト」のひとつ、古い歯科を再生させた「歯医者」。10分待って3メートルというペースだったから、一時間待ち覚悟? 廃屋のような建物が行列に取り囲まれている図もまたアート。「自由の女神みたいなんがおるんやけど、狭いとこに押し込められてるから不自由の女神やー」と井下さん。 |
 港近くにできたお風呂やさん。「アーティスト大竹伸朗が手がける実際に入浴できる美術施設」、その名も直島銭湯「I♥湯」。カラフルなコラージュが楽しい。 |
 右も左もゴテゴテと。色とりどりで何とも楽しい。目を輝かせていると、「いかにも君好みだねえ」とダンナが呆れる。 |
 「中もすごいで」と井下さんに言われ、入浴。大人500円、子ども200円。そして、直島島民は300円。番台のおっちゃんも「I♥湯」シャツを着ている。男湯と女湯の仕切りの上には巨大な象! 浴槽はタイルがコラージュ。サボテンがニョキニョキの温室がのぞめて、作品の中にどっぷり浸れる感覚。 |
 脱衣場のベンチには映像スクリーンが埋め込まれ、トイレもまたコラージュ尽くし。便器と洗面台には中国の骨董のような絵が描かれている。プロデュースはベネッセの福武總一郎さん。アートと生活の融合に脱帽! 散髪屋やマッサージ屋もぜひ作ってほしい。 |
 銭湯から歩いてすぐの港近くには、赤くて大きな草間彌生かぼちゃ。ここは大人気のフォトロケーション。 |
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 映画にも登場する棚田は、もうひとつの歌舞伎舞台がある中山の春日神社の近くにあった。 |
 「民俗資料館に興味はありますか?」と柳生さんに聞かれて案内されたのは、閉館となって久しい資料館。同級生のお父様、井口三四二さんが散逸していく島の生活道具を後世に残したい一念で集めた膨大な資料が倉庫に所狭しとひしめきあっている。別名「妖怪の元」と柳生さんが呼ぶ理由を、2日後の22日に知ることになる。 |
 「店台」などと道具のひとつひとつに添えられた味のある説明書きは、三四二さんの直筆。亡くなる間際、柳生さんに資料館を頼むと言い残し、今は柳生さんが管理されているというが、三四二さんの想いを知っているだけに責任は重く、どのような形で公開すればいいのか、思案しているところだという。 |
 美容院の一角を再現したこのコーナー、磨けば面白くなりそう。外観も再現して、フォトロケーションにするとか。 |
 運営していた頃の看板は、今は役目を休んで転がっている。これも骨董の趣。 |
 建物入口に立てられている資料館への想いを綴った看板からも三四二さんのひたむきさが伝わってくる。私財を投げ打ち、膨大な時間を費やし、まさに人生を懸けたのだろう。このまま眠らせておくのは宝の持ち腐れで、宝の山にする手はないものかと考えてしまう。 |
 再びロケ地めぐり。大志(武井証)が自転車を走らせた石畳の道沿いに、大志がママの琴美(鈴木京香)を思い出す夢と、ラストの奇跡が起きる場面に登場する風車があった。宣伝写真の沖田家スリーショットを真似て、家族写真を撮る。 |
 沖田一志(阿部サダヲ)と山岡静子(市毛良枝)が木陰で大志と琴美を見守る大きなオリーブの木は、昭和天皇が植えたものだとか。根元に大きなバッタがいて、恐らく生まれて初めてバッタを見るたまは、飛び跳ねて逃げるバッタをしつこく追いかけていた。 |
 近くには「オリーブ発祥の地」の碑が。101年前、オリーブが根づいたのが、この場所らしい。 |
 「光彩園」のロケ地は、町が運営するスパ施設。 |
 その手前にある「道の駅」では、ハーブを使ったお土産を扱っていて、ホールではハーブのリース越しに「ぼくママ」ミニ展示をのぞめる。 |
 眺めのいい2階のレストランでハーブカレーとフレッシュハーブティーの昼食。カレーは辛口、甘口ともになかなかおいしい。 |
 ポットにびっしり詰まったフレッシュハーブには感激。しかし、店員さんの余裕のなさはハーブがもたらすゆったり感にはほど遠く、受け答えもぶっきらぼうなのが惜しまれる。 |
 たまが出発前に「るるぶ」を見たときから目をつけていた「むらさきのアイス!」が売っていて(ラベンダー味)、オリーブ味とともに食べる。たまは口のまわりをクリームまみれにしながらほぼ一本食べきった。 |
 オリーブ公園を後にし、映画で3歳の大志が「おせんべいのにおい」と呼んだ醤油のにおいがこぼれる醤油工場へ。においと記憶は強く結びつくが、わたしが小豆島で真っ先に思い出したのは、醤油のにおいだった。 |
 続いては、昨日お会いした有本裕幸さんのいる 二十四の瞳映画村へ。「魚にえさをやれるんですよ」と有本さんに聞いていたが、シャリシャリに凍ったシャーベット状態の小えびを箸でくずすという豪快な絵付け。タイがジャンプして食いつきにくる。 |
 大石先生と子どもたちの像。Vサインをしている子や手を振っている子……ではなく、先生を相手にじゃんけんをしている。映画を観ていないのに、たまはすばやく理解して、「じゃんけん」とチョキを出していた。 |
 87年公開版の撮影で使われたセットを中心に古い街並が再現され、土産屋などが入っている。校舎の中にはロケで使われたそのままなのか、教室が残っていて、先生になったり生徒になったり。目の前は海で、このロケーションはすばらしい。校舎近くにはボンネットバスがあり、子どもたちがうれしがって乗り降りしていた。 |
  有本さんにおみやげをたくさんいただき、記念撮影。「麒麟麦酒」の前掛け姿。ここの雰囲気にぴったりな「昭和ラガー」というビールがあるのだそう。この空の色、まだ夏のよう。 |
 映画村入口には、ぼくママのチラシが。有本さん、ほんとに熱心に応援してくださってます。 |
  「二十四の瞳」の著者、壷井栄の資料館では、生い立ちをまとめた映像を見ながら、彼女が使っていたというテーブルで葉書を書く。古き良き映画好きなご近所仲間のT氏に高峰秀子版二十四の瞳のポストカードを。切手は資料館で買え、ポストは映画村を出たところにある。  バスの待合室が大きな醤油樽。これ、島の至る所にあれば、小豆島らしくて、観光客に喜ばれそう。 |
 再びドライブして土庄町へ戻り、ちょっと疲れの出たユウキくん親子と大阪へ帰るうちの両親が車を降り、かわりに峰子夫人が合流して、小豆島で売り出し中の「迷路のまち」へ。会長の泊道夫さんは瀬戸内国際子ども映画祭の準備にも関わられているとのこと。待合所にも「ぼくママ」チラシを発見。  泊会長自らの案内で、迷路のまちを歩く。その昔、外からの攻撃をかわすために家同士がスクラムを組むように入り組んで建てられ、路地を三叉路にした結果、迷路のような街並ができたのだという。 |
 上から見ると、重なり合うようにひしめく屋根は、歯並びの悪い歯のようでもある。 |
 その眺めは、西光寺の三重の塔から見たもの。正面の本殿(?)に地下に入る道があり、壁を触らないと方角を見失うほどの闇を抜けると、突如オレンジの光に包まれ、見ると、淡いぼんぼりの光が両側の鏡で無限に続いていて、その光に反射的に救済を感じるという幻想的な体験ができる。その脇の階段をずんずん登っていくと、三重の塔のてっぺんに出て、迷路のまちを見晴るかすことができるのだった。  横から見ると十字架の形に見える隠れキリシタンのものらしい墓などを見ながら、迷いそうな路地を幾度も曲がり、「咳をしても一人」の尾崎放哉の記念館へたどり着く。すでに閉館時間となっていたが、記念館の前にある現役の井戸にたまは大喜び。「いれものがない両手でうける」は小豆島で作られた句だそう。迷路のまちを知り尽くした泊さんの解説のおかげで、何気なく歩いていたら見落としそうな見どころをたくさん拾わせてもらった。 朝から柳生さんにつきっきりで案内していただいたが、夜は長男夫妻に食事をごちそうになる。刺身、天ぷら、西京焼、そうめんなど、地元の幸をたくさんいただく。長男さんは妖怪の絵を描く「絵描鬼」で、柳生忠平の名で活動している。この名前が呼びやすく、たまもすっかり「ちゅーべー」となついたので、わたしもそう呼ばせていただく。 同じブランドの自転車に乗っていたのが縁で陽子さんが声をかけたという馴れ初めはドラマに使えそうだけど、その出会いがなくても一週間後に同じイベントで会うことになっていたとは、まさに運命。もうひとつ驚いたのが、京都で学生時代を過ごした陽子さんが、わたしが下宿していた女子寮の名を「聞き覚えがあります」と言い出し、「下宿先の候補として見に行きました」。おっとりした品のある口調で「トイレやお風呂が共同のところがよかったんです」と言い、本当は吉田寮に憧れていたというから、なかなかユニーク。妖怪との親和性も高そうだ。  話が弾んだので、ゲストハウスまで送ってもらったときにお茶していきませんかと誘う。ドアの前に紙袋が置かれていて、見ると、昼間一緒だったユウキくんとお母さんからおもちゃの差し入れだった。「小豆島滞在中お使いください」とメモが添えられていた。その中に、わが家にもある「水でお絵描きセット」を見つけて、早速お絵描き大会。忠平画伯が妖怪風のたまを描いてくれた。陽子さんも絵が上手。ここでは「幽霊が見える、見えない」話で盛り上がった。 こうして、盛りだくさんな小豆島3日目は終わった。  盛りだくさんといえば、明日からいよいよ最終週の「つばさ」は最後までネタ切れ知らず。主題歌のタイトルでもある「二度目の春」の意味は? 主題歌の歌詞と物語のシンクロというのも新鮮だけど、頭の何週分かの台本を読んでこの歌詞を作り上げたアンジェラ・アキさんはタダ者ではない。演出は1〜3週、6週(斎藤と加乃子)、10週(紀菜子あらわる)、14週(大衆演劇)、16週(台風)、19週(ビバマリア)、24週(千代と加乃子和解)のチーフディレクターの西谷真一さん。目を離さず、ハンカチも手放さず、ラスト6日間お楽しみください。 ファン掲示板へも感想をお寄せくださいね。
2003年09月20日(土) 花巻く宮澤賢治の故郷 その1
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