2008年12月31日(水)  山手線ゲームで笑い納め

娘のたまを朝からダンナ父に見てもらい、仕事納め。「すみません、おせちのお手伝いもしないで」が毎年のことになってしまっているが、ついに子守まで押しつけてしまった。夕食時にダンナの実家へ行き、ちゃっかりきりたんぽ鍋をいただいて、今年も最後の最後までお世話になりっぱなし。何度もたまを預かってもらったお礼に、暮れに落ち着いたらどこかで食事でもと思っていたのに、それどころではなかった。

ダンナ両親、ダンナ妹、わが家の3人、あわせて6人で掘りごたつを囲み、鍋をつつき、紅白を観る。今年は、ずいぶんおしゃべりがうまくなったたまを面白がっているだけで、愉快に時間が過ぎる。いちばん盛り上がったのは、山手線ゲーム。「たま、山手線ゲームできるんだよ」と発見したのは、ダンナで、一昨日の月曜日のことだった。保育園は休みだけど、わたしが家で原稿を書かなきゃとなり、寒空の下に追い出されたダンナと娘のたまが向かった先は近所の公園。ブランコで遊んでいたら、隣のブランコにいた小学校一年生ぐらいの女の子がお父さんと山手線ゲームをやっていた。おねえちゃん大好きなたまは、仲間に入りたくてウズウズ。「動物の名前」で女の子が「コアラ」と答えると、たまはすかさず「コアラ、そこにいるよ」と公園にあるコアラの遊具を指差した。続いて、「鳥の名前」ラウンドとなり、「ハゲタカ」「ワシ」などと渋い名前が隣のブランコから聞こえて来ると、たまは自信たっぷりに「ことり」と口を挟んだという。

この話をダンナから聞いて、わたしもやってみたくなったのだった。まずは「鳥の名前」を試してみると、「ことり」の回答が飛び出し、みんなで大笑い。じゃあ次は何の名前にしようかと考え、いちばん答えが出そうな「果物」でやってみると、しょっぱなに「かき」と来た。2週目は「みかん」、3週目は「ぶどう」と、なかなか手強い。大人もネタが切れてこきて、わたしが「パパイヤ」と言うと、次のたまは「ママイヤ」。応用編で「たまちゃんイヤ」も飛び出し、十分笑い納めができた。

2007年12月31日(月)  年越しモンブラン
2006年12月31日(日)  年越し番組の収穫
2005年12月31日(土)  大阪一高い山・金剛山で年越し
2004年12月31日(金)  英国旅行5日目 ロイズとパブと年越し
2003年12月31日(水)  年賀状でペンだこ
2002年12月31日(火)  大掃除に救世主あらわる
2001年12月31日(月)  祈り
2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2008年12月27日(土)  今年は早かった年賀状

このところ、年が明けてから書き始めることが多かった年賀状。今年は22日に刷り上がったので、年内に出してしまおうと思い立つ。宛名のラベルと切手を貼ってしまえば、半分はできたも同然なのだけど、今年はパソコンをWindowsからMacに乗り換えたので、「Windowsで作った筆王の住所録をMacに取り込んで印刷」する方法を試行錯誤するのに、クリスマスイブの丸一日をつぶしてしまった。あちこちの住所録ソフトやラベル印刷ソフトをダウンロードしてみたものの、エクセル形式で保存した筆王データをうまく移せず、結局、日本で最も遅いと思われる老Windowsパソコンを一時間かけて立ち上げ、重荷になっているituneのデータをすべて捨て、気の遠くなるような変換スピード(住所変更一件に5分がかり)に根気づよくつきあい、なんとかラベル印刷を完了。2時間かけて約300枚のラベルと切手を貼った。シートの切手をバラバラにするのが、これまた面倒くさい。「切ってある切手ある?」「切手、切ってよ」というダジャレが夫婦間を飛び交う。スタンプは楽だけど、切手のほうが好み。来年はシール型切手(切る手間、濡らす手間が省けると、ずいぶんラク)を早めに買っておこう。

まず宛名ラベルを貼り、次に切手を貼り、最後にコメントを書くのだけど、一人にあてる年賀状を3回見る度に、その人へのメッセージを思い浮かべるので、「もうこの人には書いたのでは」というデジャヴを味わうことになる。コメントを書かずにそのまま投函してしまえば楽なのだけど、手書きが一言ないと淋しいと思ってしまい、今年も書き添える。年ごとにどんどん字が汚くなっているのを自覚するのも、年賀状書きの季節。今年は札幌行きの機内で半分、残り半分をホテルの部屋で書いた。機内で書いたものは、かなり乱暴な走り書きになった。シートベルトサインが消えるまでは膝をテーブルにしてたので、走り書きというか、流れ書きというか、字が泳いでしまっている。該当する乱れ字バージョンが届いた方はお察しください。

無事、26日までに筆王に住所データが入っている人あての年賀状は出し終えた。だけど、今年知り合った人はまったく手つかず。今年は仕事納めが大晦日、仕事始めが元旦という事態になっているので、受け取ってから年賀状を書かせていただく人には、忘れた頃に届いてしまうかもしれない。あらかじめ、おわびしておきます。

2007年12月27日(木)  朝風呂・昼風呂
2006年12月27日(水)  ミヤケマイ展 在る晴れた日・One Fine Day・
2004年12月27日(月)  英国旅行1日目 VirginとBathと厚揚げ
2003年12月27日(土)  腐ったブドウ・熟成したワイン・腐ったワイン
2001年12月27日(木)  今がいちばん若い


2008年12月26日(金)  ラジオドラマ収録→東京帰還

朝起きると、一面の銀世界。積雪0センチから35センチに。とろとろ歩いているうちに信号は赤になってしまう。飛行機は朝から欠航が続出。夜の便で東京に帰らなくてはならないのだけど、果たして飛ぶのか、ドキドキ。ご近所仲間で鉄道ファンのT氏に「電車で帰る方法」をメールで相談。

札幌に来たからにはスープカレー! 地上を歩いていると時間がかかるので、NHK札幌放送局から地下道で行けるパルコの8階に入っているお店へ。「メークイン率いる10種の野菜」が入ったスープカレーを注文。辛さは5段階の2にしたけど、マイルドすぎず、ほどよい辛さ。オクラ、パプリカなど野菜たっぷりで満足。カレーを食べていると、T氏から電話。「札幌発上野行きの北斗七星か、札幌から青森まで急行はまなすで出て、八戸まで特急つがるで出て、あとは新幹線というルートを教えてもらう。東京からアドバイザーで来てくださっているK氏が一緒にカレーを食べながら会話を小耳にはさんで、「鉄のお友だちがいるんですか?」と聞いてきて、「実は我が家にネバーランドがあるんです」。聞けば、鉄道模型のための18畳の部屋があるそう。「エルゲージってやつですか」と聞くと、「いえ、エルより大きいです」。「18畳っていったら鉄道博物館サイズじゃないですか」「いや、あれは30畳はあるでしょう」などと話が弾む。「わたしは、鉄の人と一緒に乗るのが好きなんです。シンダー(SLの石炭のスス)入りの日本酒をありがたがって飲んだりしましたよ」などと鉄道話で盛り上がり、初めてお仕事するK氏との距離がぐぐっと縮まった。鉄道が超えるのは距離だけではない。
(※日記を読んだT氏より電話があり、「北斗七星」ではなく「北斗星」、「エル(L)ゲージ」ではなく「エヌ(N)ゲージ」と修正をいただきました。聞きかじりで知ったかぶりしてしまうのは、悪い癖。「乗り鉄」「食べ鉄」「飲み鉄」などに加えて「語り鉄」を自称していますが、鉄道知識は「砂鉄」級でありました)

12:30から収録。本読みでナマで聴くのと、収録でマイクを通して聴くのでは、また印象が違う。今回のドラマは炭鉱町が舞台で緊迫した場面が多いのだけど、効果音が入ってない段階の台詞のやりとりだけでも臨場感が伝わってくる。年越し蕎麦を食べるシーンで、本物の蕎麦が用意されていたことに感激。ラジオの収録で初めて「消えもの」に遭遇した記念に、パチリ。収録は夜遅くまで続くけれど、わたしは最後まで立ち会えず、飛行機も心配なので、余裕を持って早めに引き上げる。皆さん、あとはよろしくお願いしますと託した。ラジオドラマ『友子とモコ』は1月31日(土)22:00〜50NHK-FMにて放送。



雪を踏み分け、札幌駅から空港へ。エアポート快速の車両の一番前の席に座ると、目の前に「甘エビ 増毛」の文字。字面はエビだけど、思わず毛むくじゃらの毛ガニを想像してしまったら、「増毛」は「ましけ」という町の名前だった。留萌本線の終着駅が「増毛」だそう。雪の中を汽笛の音がポオーッと鳴り渡るのを聴いていると、朝ドラ『すずらん』を思い出した。

空港カウンターはパニックになっているかと思いきや平和だったので、ほっとする。予定より早い便に回されたけれど、到着は結局予定より遅れた。だけど、飛んでくれただけでもありがたい。札幌駅の地下のパン屋で買ったパン3つ(豆パン、醤油コーンパン、かぼちゃパン)をエアポート快速の車中で平らげ、さらに空港で買ったいくらとカニのお弁当もペロリ。立ち会ってるだけなのに、なぜかやたらとおなかがすいていた、お土産にはロイズのチョコレートを買い込んだし、皮下脂肪強化週間になりそう。

2007年12月26日(水)  最近行った汚い場所
2006年12月26日(火)  マタニティオレンジ49 アメリカのベビー服
2001年12月26日(水)  ロマン配合


2008年12月25日(木)  ラジオドラマを録りに札幌へ

NHK札幌放送局制作のラジオドラマ『友子とモコ』の収録に立ち会うため、ひさびさの札幌へ。今日は本読み。ちょうどクリスマスイルミネーションが灯っている時期で、テレビ塔も大きなクリスマスツリーのよう。空気が澄んでいるせいか、光のまたたきが、とってもきれいで、うっとり。

雪がまったくなくて拍子抜けしていたら、夜から吹雪。朝にはどっさり積もるそう。

2006年12月25日(月)  ハト男 立ち食い男 透明人間の嫁
2001年12月25日(火)  発見!


2008年12月24日(水)  クリスマスイブの朝の「ちいさいゆめ」

今朝、「よく寝た?どんな夢見た?」と聞くと、「ちいさいゆめ」という答え。夢はでっかいものという先入観を持つ身には新鮮で、「小さい夢。へえ〜」となると、「てんとうむしがいたの」。てんとうむしサイズの夢ってどんなのだろうと想像して、今日の子守話が生まれた。

クリスマスらしいことをとくにせず、母娘二人でごはんと焼き魚というイブを過ごしたので、今夜の夢もサンタがやって来る大きい夢にはならない気がする。昨日にも増して夢が縮みませんように。

子守話35 ちいさいゆめ

たまちゃんが、おひるねからさめると、おかあさんがいつものように「たまちゃん、どんなゆめみたの?」とききました。「ちいさいゆめ」とたまちゃんはこたえました。たまちゃんは、てんとうむしのゆめのなかに、あそびにでかけたのです。

たまちゃんは、はっぱのベッドにねっころがって、てんとうむしとおはなしをしました。てんとうむしは、きいろいチョウチョのことがすきなのですが、もじもじして、こえをかけられませんでした。

いっぱいおはなしして、のどがかわくと、たまちゃんとてんとうむしは、うえのはっぱからこぼれてくるしずくを、ごっくんとのみました。それから、はっぱのベッドをすべりだいにして、したへしたへとすべっていきました。いちばんしたのはっぱからおちたときに、じめんにしりもちをついて、たまちゃんはめがさめました。

2006年12月24日(日)  マタニティオレンジ48 クリスマスプレゼント
2005年12月24日(土)  ラクーアのクリスマス
2003年12月24日(水)  PLAYMATE#03『ワンダフルボーイ』
2001年12月24日(月)  イベント大好き


2008年12月23日(火)  3軒目のお菓子の家と2008年クリスマス

今年は仕事が立て込んで、サンタクロース計画をダンナと相談する時間もないまま、なんとなく「今年のクリスマスは、何もなしでもしょうがないか」という気分になっていた。ところが一昨日、わたしの本を読んでファンになってくれた元バレリーナのミキさんより「今年もクリスマスのおうちを焼いて、引き取り手を募集中なんですけど」と電話があった。「ぜひ、うちにください!」と飛びつき、ミキさんをゲストに肉を焼いてクリスマスを祝うことにした。

ミキさんにお菓子の家を贈ってもらうのは、11/12才の誕生日(>>>2007年7月22日)、去年のクリスマス(>>>2007年12月16日)についで、3軒目。初めて焼いたという11/12才のときから回を経るごとにフォルムも焼き上がりも進化している。娘のたまの反応にも成長が感じられ、「おうちねえ。ブーブーとまってるねえ」などと熱心に観察していた。ミキさんのこともしっかり記憶したようで、夕食が終わって見送った後、「バレリーナのおねえちゃん、かえっちゃったの?」と淋しそうにしていた。

親がクリスマスを後回しにしている分、今年は、まわりの人たちのクリスマスパワーに助けられた。近所のイルミネーションや飾り付けにクリスマス気分をお裾分けしてもらい、クリスマスに向けて日に日に盛り上がる保育園では、2日にわたってクリスマス会を開いて(1日目はおたのしみ会、2日目はお食事会)もらった。

ドイツのペンフレンド、アンネットからの毎年恒例のクリスマスプレゼントも、わが家のクリスマス不足を補ってくれた。クリスマス模様の包装紙をひとつひとつ破き、中から現れたぬいぐるみやおもちゃに目を丸くする。そのイベントが何よりの贈りものになった様子。

イルミネーションのお裾分けといえば、東京ディズニーリゾートのキラキラの夜に、たまは大喜びしていた。今年は獲得した言葉で「きれいねえ」「きらきらしてるね」などとしきりと愛でてくれるので、親も見せ甲斐がある。

アンバサダーホテルの幻想的な青いイルミネーションには、大人も
うっとり。
遠出してイルミネーション見物もいいものだ、と地元に戻ったら、家の近くの東洋大学が気合いの入ったキラキラを放っていて驚いた。去年もイルミネーションはあった気がするけど、今年から発光ダイオードになったのか、光り方が違う。そういえば、近所の整骨院でも「今年の東洋大はすごいきれい。そこらの名所に負けてない」と話題になっていた。夢中で写真を撮っていたら、「たまちゃんもとってよー」とたまが割り込んで来て、ポーズ。この光景も思い出だなと思う。

あちこちからお借りしたり贈られたり、の2008年クリスマス。

2006年12月23日(土)  マタニティオレンジ47 たま4/12才
2002年12月23日(月)  横浜めぐり


2008年12月22日(月)  おはなしを語りはじめた、たま2才4か月。

2006年8月22日生まれの娘のたまは、今日で2才4か月。この一か月で、さらに言葉がふえて、つっかえつっかえ単語をつなげていたのが、ずいぶんなめらかになった。放っておくと長い文章をしゃべっていて、たま語銀行貯蓄用に、わたしの記憶の一時保存では追いつかず、メモを引っ張って書き留めることがふえた。

夢で見たことを話してくれたり、物語めいたものを語るようになったのが、この一か月の大きな変化。毎朝、目が覚めると、「どんな夢見た?」と聞き出し、寝る前には、自分がお話を聞かせる代わりに「たま、なんかお話ししてよ」とこちらからせがむようになった。「ある日ってお話しして」と言うと、「あるひ パパのひ ママのひ たまちゃんのひ ぜーんぶ たまちゃんのひ」などとボケをかますこともある(それはそれで詩のようだ、と思ってしまう親バカ)けれど、「あるひ ママがゾウさんにのったの」などと、2歳児なりにお話しを作って聞かせてくれる。「ちょうちょさんとおそらとんだの。ぶんぶんもいたの。しらすもいたの。ちょうちょさんのおうち、エレベーターなの。ママもいっしょにいこうね」などと夢がそのままお話しになっていることもあり、原案をもらって共作するような形で子守話もふえた。

靴下もズボンも一人で上手にはけるようになり、保育園では、保育士さんが手伝ってあげようとすると、「ダメ。たまちゃん、じぶんでやるの」と言い張るらしい。「どうやったら、こんな風に自分のことは自分でやる子になるんですか」と保育士さんに聞かれたけれど、親の手が回らないせいで、必要に迫られて、しっかりした子になってしまっている。その割に、おむつはなかなか外れないけれど、便座には喜んで座ってくれるようになった。たまに「トイレでウンチ」に成功して、「ウンチさん、バイバーイ。うみにかえりなさーい」と得意げに水洗レバーを押す。

一人遊びも上手になって、ボーネルンドの積み木のおうち(「おうちおうちする」と言う)がお気に入り。絵本は『やこうれっしゃ』『きかんしゃトーマス』『しんかんせんシールブック』と鉄道尽くし。『やこうれっしゃ』は毎日読んでも飽きないらしく、「ウォーリーをさがせ」感覚で、絵の中にお目当ての乗客(泣いている赤ちゃんなど)を探す遊びを楽しんでいる。

わたしがパソコンに向かっていると、「ママ おしごとちゅう」と邪魔しないように離れ、休日に「ママおしごとするの?」と察すると、自分からパパを散歩に誘ったりする。その物わかりの良さについ甘えてしまうけれど、わたしが相手できるときの甘えっぷりを見ると、いつも我慢しているんだなあと思う。いまだに卒乳しないのも、ママを独り占めできるこの時間だけは譲れないという意思表示なのかもしれない。「とんとん(=おっぱい)」を飲むときの会話も、またちょっと進化して、日によって味の形容が変わったりする。たとえば、昨日の冬至バージョン。

たま「とんとん、はいってますか?(とノック)」
わたし「とんとんは出かけております」
たま「ただいまー。おじゃましまーす(とシャツにもぐりこんで飲みはじめる)」
わたし「とんとん、飲んでるかー?」
たま「のんでるよー」
わたし「何の味?」
たま「みかんのあじ。みかんのおふろはいったから」

2006年12月22日(金)  マタニティオレンジ46 ブックスタート
2002年12月22日(日)  ロッテルダムとロンドンとベルリン


2008年12月21日(日)  柚子風呂で「みかんちゃん」のお世話ごっこ

娘のたまに冬至のゆず風呂のことを「今日は、みかんと一緒にお風呂に入るんだよ」と教えると、お風呂の時間になって、「みかんはどこ?」と催促された。浮力のあるみかんが、どぼんとお湯に飛び込んで浮き沈みするたびに、たまは大歓声。「みかんちゃん」とひとしきり遊んだ後、お風呂から上がると、妹をかわいがるように甲斐甲斐しく世話を焼いていた。そんな光景から今夜の子守話が生まれた。湯上がりのおっぱいを「みかんのあじ。みかんのおふろはいったから」と言ったのも採用。

子守話34 みかんのおふろ

「きょうは、みかんといっしょにおふろにはいるのよ」とママがいいました。たまちゃんは、みかんちゃんのおせわをすることになりました。みかんちゃんはすぐにぶくぶくとおぼれてしまうので、「みそしる」のコップにうかべてあげることにしました。コップは、みかんちゃんにはちょうどいいおおきさでした。おふろからあがると、おてふきタオルでからだをふいてあげました。たまちゃんのかおよりちょっぴりおおきなタオルが、みかんちゃんのからだをすっぽりつつむバスタオルになりました。おてふきタオルをとりかえて、おふとんにしてあげました。ならんでねると、いいにおいがしました。みかんちゃんとおふろにはいったので、ママのおっぱいもみかんのあじがしました。

2006年12月21日(木)  マタニティオレンジ45 4か月検診
2003年12月21日(日)  SLばんえつ物語X’masの旅 2日目:喜多方
2002年12月21日(土)  切手占いと『鉄カフェ』1st drip
2001年12月21日(金)  サプライズ


2008年12月20日(土)  スパイス番長とタンドール番長

料理ユニット東京カリー番長の調理主任、水野仁輔くんのカレーパーティへ。数ある著書のひとつ、東京カレーバイブルを片手に都内のカレー名店めぐりを楽しんでいるダンナも飛びつき、カレー好きな娘も連れて、一家で馳せ参じた。

以前東京カリー番長特製カレーに舌鼓を打って以来、「ぜひぜひまた自慢の手づくりカレーを食べたい!」と熱望していたのだけど、ちょくちょく開かれているカレーイベントとはなかなか日程の折り合いがつかず、満を持してのカレーパーティ。カリー番長とは別に「スパイス番長」というユニットを組んでスパイス料理の研究を始めたのだが、その成果を披露し合うために、ときどき試食会をやっているのだという。そこにお邪魔させていただいた。

小粋な庭に、どーんと存在感のあるタンドール釜。写真を撮りそびれたのだけど、タンドール釜職人がドラム缶を改造して作った釜は、オレンジのグラデーションでとってもわたし好みなたtずまいに、「TOKYO TANDOR BANCHO」(タンドールのスペルはこれで正解?)と記されている。「タンドール番長」というユニットもあるらしい。こちらの研究も始まったばかりで、試行錯誤しながらナンやシーカバブ(シシカバブではなく、シーカバブが正しいとのこと)を焼いている。

和気あいあいとカレーやスパイスの蘊蓄を傾けながら、研究にいそしむ番長たち。本当に好きなんだなあ、と見ていて感心し、微笑ましくなる。作った料理はフォトグラファーさんが記録。行く行くは本にまとめる予定とのこと。夢中でやってることが形になり、仕事になるのは何より幸せなことだけど、この人たちの味に傾ける情熱を見ていると、水野君や番長たちの発信するレシピや店案内の人気の秘密がわかる気がしてくる。おいしさにたどり着くまでのワクワク感を、彼らは人一倍楽しんでいる。材料の配合や熱の加え方で味が変化する料理は、化学の実験に似たところがあるけれど、仕上がりに一喜一憂する番長たちの目の輝きは、理科室でフラスコをのぞきこんでいる少年のようにも見える。

料理はサブジというのだろうか、野菜のドライカレーのような感じのものが中心。カリフラワーが、じゃがいもが、こいもが、初めて出会うスパイスにまぶされ、あら思いがけない、なんなのこの後引くおいしさ、とおかわりしてしまう。2才児娘も「うまいねー」と果敢に攻めて、呆れるほどよく食べていた。濃厚な魚のスープ、シーカバブ、ナン、蒸し混ぜ御飯のようなもの、それからカレー。さんざん食べて、デザートは別腹。東銀座のナイルレストランの3代目、ナイル善己さんが作った濃厚なのマンゴープリンは、これまでの人生で口にした数十個の最高峰!と唸った。

2006年12月20日(水)  マタニティオレンジ44 お・風・呂!
2005年12月20日(火)  シナリオ作家協会の忘年会
2003年12月20日(土)  SLばんえつ物語X’masの旅 1日目:山都〜鹿瀬
2002年12月20日(金)  生爪様
2001年12月20日(木)  幸せの粒


2008年12月19日(金)  シルク・ドゥ・ソレイユと「ハートばたけ」

娘のたまを連れてシルク・ドゥ・ソレイユ『ZED』を観に行く。子ども連れOKとなっているけれど、大人っぽい内容だし、子どもには怖がったりわかりにくかったりするかもとためらいはあった。でも、夏に登場ディズニーシーのショーを食い入るように見ていたのを思い出し、膝に乗せて鑑賞(椅子がいらない3歳未満児は無料)することに。結果は予想以上の食いつき。たまはまばたきも忘れて舞台に吸い寄せられていた。人間離れした綱渡り(綱の上での縄跳びや宙返りに仰天!)やジャグリングに親のわたしはハラハラしているのに、たまは「人いっぱいいるね」「ぐるんぐるんしてるね」「ぶーらんぶーらんしてるね」などと拍子抜けするような大らかな反応。初めてのサーカスを、たっぷりの親近感を抱いて楽しんでいた。

幕間の30分休憩に外に出ると、ちょうど東京ディズニーランド/シーの花火が見られるようになっている。たまが興奮しながら叫んだ言葉は、「セピー!」。わたしとダンナの友人セピー君の鎌倉のセカンドハウスで夏に花火を見たことを覚えていたことに驚く。今夜のサーカスも記憶に残って、のちのち取り出せるといいなと思う。

帰り道。駅貼り広告を見ていて、たまがふとつぶやいた「ハートばたけ」という言葉がヒントになって子守話が生まれた。わたしのハート好きを受け継いで、街でハートを見つけると、たまはうれしそうに指差す。数日前にドイツから贈られてきたクリスマスプレゼントの包装紙にハートがいっぱい並んでいたのが印象に残っていて、「ハートばたけ」なんて名前を思いついたのかもしれない。「ハート」と「はたけ」の結婚、はじめてのサーカスを見て、言葉のくっつく力が強くなったのかなとも想像する。

子守話33 ハートのはたけ

たまちゃんが、おさんぽのとちゅうで、ハートのたねをみつけました。おにわにうえてみると、たねとおなじあかいろをしたハートがみのりました。そのハートを、たまちゃんはとおりがかったおんなのこにあげました。

なんにちかして、おんなのこが、おかあさんといっしょに、たまちゃんのおうちにやってきました。ハートの「み」から、たねがふたつでてきました、とおんなのこがたねをさしだしました。ひとつはさいしょのたねとおなじあかいろで、もうひとつは、きいろでした。あかときいろのたねを、たまちゃんがおにわにうえると、あかときいろのハートがみのりました。たまちゃんは、とおりがかったふたごに、そのふたつのハートをあげました。

なんにちかして、ふたごが、おとうさんとおかあさんといっしょに、たまちゃんのおうちにやってきました。あかいハートからはあかとあおの、きいろいハートからはきいろとみどりのたねがでてきたのです。あかとあおときいろとみどりのたねを、たまちゃんがおにわにうえると、あかとあおときいろとみどりのハートがみのりました。たまちゃんは、とおりがかったおとうさんとおかあさんとおとこのことおんなのこの4にんかぞくに、その4つのハートをあげました。

なんにちかして、4にんかぞくがおじいちゃんとおばあちゃんをふたりずつつれて、たまちゃんのおうちにやってきました。あかいハートからはあかとももいろの、あおいハートからはあおとむらさきの、きいろいハートからはきいろとだいだいいろの、みどりのハートからはみどりとしろのたねがでてきたのです。

8つのいろのたねをたまちゃんがおにわにうえると、たねとおなじいろをした8つのハートがみのり、ふたつずつたねがでてきました。とおりがかったひとが、ハートをもらっては、たねをもってもどってきて、ハートのいろは16になり、32になり、64になり、とうとうかぞえきれなくなりました。

たまちゃんのおうちのおにわは、ハートのはたけになりました。いちごやトマトみたいにたべることはできませんが、はたけいちめんのハートをながめていると、ごちそうをたべたときのように、しあわせなきもちになれるのでした。

2007年12月19日(水)  車内の電話に考えさせられたこと
2002年12月19日(木)  クリスマス・ファンタジー2002
2001年12月19日(水)  害虫


2008年12月18日(木)  子守話32『バナナとみかづき』

なぜかお月見の季節がとっくに終わった今週突然「うーさぎうさぎ 何見てはねる?」の歌を歌い出した娘のたま。メロディが気に入ったのか、「バーナナバナナ、なにみてはねる」という替え歌まで飛び出した。それを聞いて、バナナと三日月のお月様は似ているかもとひらめいたのが、今日の子守話

子守話32 バナナとみかづき

そらにうかぶみかづきをみあげて、バナナがいいました。「みかづきさん、みかづきさん。あたしとおなじいろ、おなじかたちをしているのに、どうしてあなたはそんなたかいところから、あたしをみおろしているの」。だけど、みかづきはこたえずに、しずかにやみをてらしていました。バナナはくやしくなって、みかづきにむかってとびあがりました。けれど、ほんの1ミリほど、はねただけでした。みかづきはまだまだとおくにいて、じんわりとひかっていました。まるでみかづきにわらわれたようで、バナナはますますくやしくなりました。とそのとき、バナナのからだがふわりとうきました。みかづきにちかづいたぞ、とよろこんでいるうちに、バナナはするするとふくをぬがされて、たべられてしまいました。

2006年12月18日(月)  映画『Hard Candy』で知ったこと、いろいろ
2004年12月18日(土)  クリスマス映画『ポーラーエクスプレス』
2001年12月18日(火)  シンクロニシティ〜天使からの小さな贈り物


2008年12月17日(水)  アンネットからの2008年クリスマスギフト

昨日、ドイツのペンフレンド、アンネットから恒例のクリスマスギフトが届いた。毎年、大きな箱が航空便で届くと、「しまった。今年もまだ送ってない」と焦ってギフト選びを始めるので、わたしからのプレゼントは年を越してしまう。娘のたまは「これなあに?」と興味しんしん。頑丈なビニールテープをビリビリ外して箱を空けるところから参加して、ひとつひとつのクリスマスラッピングをほどいたり破いたりして、海を渡ってきたプレゼントと対面した。一番喜んだのが、着色料たっぷりなラムネのようなお菓子が詰まったオモチャのラッパと、ネズミとカバのパペット。早速手にはめて即興人形劇を見せると、大喜び。キャンドルホルダーが入っていた紙箱をエレベーターに見立てて二匹を乗せるのが気に入り、「もういっぺんエレベーター」と何度もせがんだ。


そんなことがあった翌日の今日、早く帰ってきたダンナとわたしの前で、たまがいきなりパペットショーを始めた。「ネズミです。カバです。ふたりそろってネズカバです。よろしくね」。昨日わたしが見せたとき、そんな風に言ったのだっけ。一生懸命さがおかしくて、いとおしくて、びっくりして笑いながら涙が出て来た。

たまは最近、お話らしきものを聞かせてくれる。子守話で寝かしつける代わりに「何かお話しして」とリクエストすると、「あるひ……」と語りだす。今日の子守話は、たまが聞かせてくれたお話が原作。「あるひ、ママはぞうさんをのって、こうえんをいくの。どうぶつがいたの。ぶたがいたの。モーモーとしまうまがいたの。バナナたべた。カレーたべた。あそんだ。たまちゃんポポちゃんとんだ。ちょうちょもとんだ。かりんちゃんそうちゃんりおくん、せんせい、しゅっしゅって、それで、でんしゃのって、こうえんいった。ぞうさんのって、こんにちはっていったの。ぞうさん、おはようっていったの」。そのうちネズカバの子守話も登場するかもしれない。

子守話31 ママのこうしん

ゾウさんにのって、ママがこうえんにやってきました。みなのもの、ひかえおれー。ママはとってもえらそうなので、みんなははーっとひれふして、みちをあけました。ふだんはいばっているライオンも、おおきなからだのクマも、みんなゾウさんのうしろにさがって、ぞろぞろとついていきます。なんだなんだ、なんのこうしんだ。めずらしがってウサギやリスやタヌキやキツネもついてきました。あんまりぎょうれつがながくなったので、いちばんうしろをあるいていたネズミのうしろに、ママをのぜたゾウさんがくっつきました。だれがせんとうだかわからないけれど、みんなぐるぐるとこうしんをつづけました。




2006年12月17日(日)  『めぞん一刻』の浪人生、中林大樹くん
2001年12月17日(月)  映画を編む


2008年12月16日(火)  だからファミレスはやめられない 

締切前で、2日続けてファミレスでランチ。昨日はココスへ。ココスの窓際のテーブルで食事を待っていると、隣のテーブルのおばさまが突然店内に響き渡る大声を張り上げ、携帯電話で話し始めた。「今ね、ガオスにいるの! ガオス!」と席からガラス戸越しに見える外の看板「COCOS」を見ながら叫ぶ。その大声に店中の客が「ちゃうで! ココスやで!」と突っ込みを入れたに違いない。電話の相手はどうやらこちらに向かって、彼女と落ち合おうとしているらしい。果たしてガオスを見つけられるのか。「ガオスって言ってたけどココスだよな」と気づくには、あまりにも遠過ぎる。ここはやはりお節介だけど「すみません。ガオスではなくココスですよ」と教えたほうがいいのだろうか。万が一「ガオス」が二人だけに通じる愛称だとしたら、余計なお世話だ。などと思いめぐらせていると、再び隣のおばさまの携帯電話が鳴った。「そう。ココスよ。わかった?」。どうやら相手は彼女の居場所を突き止められたらしい。2度の通話の間に彼女に話しかけた人はなかったけれど、「ガオス」と呼んだことなどなかったかのように「ココス」と言ってのけた彼女は、いつ本名に気づいたのだろう。

しばらくファミレスに足を運んでいなかったのだけど、やはりファミレスにはネタがあるなと今日はデニーズへ。わたしが来る前から隣のテーブルにいて、わたしが去ってからもそこにいたのは、わたしと同世代の女性三人組。女性週刊誌の見出しのような話題を次々とテーブルに取り出してはかき回すおしゃべりは果てることなく、「なぜミスチルは今年紅白に出るのか?」に始まり、ミスチルだけで10分語る。「きっとNHKのえらい人が頭を下げたのよ」と一人が言い、あとの二人が深くうなずき、別な一人が「ミスチルって他のバンドとギターとベースの位置が違うのよ」と言い、「どう違うの?」と聞かれて、「普通はギターが右が左なんだけど、その反対側がベースなんだけど、ミスチルは逆なのよ」。結局どっちが右でどっちが左かはわからなかったけれど、紅白で確認する楽しみが出来た。

2日にわたるファミレスランチで有川浩(ありかわひろ)さんの『阪急電車』を読んだ。阪急電車の各駅を舞台にした短編連作集。片道ではなく往復になっていて、行きの電車の登場人物のその後を折り返しの電車で見せてくれる。大阪出身のわたしにはおなじみの路線であり、人生と線路を重ねているところも共感度大。各編の登場人物のつながり方も実にうまく、小物使いも気が利いている。作者のサービス精神があちこちに感じられて、読んでいて気持ちよかった。何より、どの人物も毒を含めて愛せる、というより、毒ゆえに愛おしく感じられて、もっとこの人の作品を読みたくなった。今年読めた本は3桁には届かず80冊ほどだったけれど、年の暮れに年間ベストの上位に挙げたい一冊に出会えた。

今日の子守話は、ちょうちょの話。保育園のお迎えの帰り、「なんのお話がいい?」と聞くと、「ママちょうちょとたまちゃんちょうちょ」をリクエストされた。みんなが飛ぶならリボンかなあとちょうちょの羽根色の黄色いリボンを思い浮かべた。

子守話30 ママちょうちょとたまちゃんちょうちょ

ママがきいろいリボンをかってきました。ぐるぐるまきのながいながいリボンです。はしっこをきって、ちょうちょむすびにすると、きいろいちょうちょみたいになりました。ちょうちょのリボンをかみのけにつけると、たまちゃんはちょうちょになったきぶんです。そっとりょうてをはばたかせてみると、からだがふわりとうきました。それをみていたママも、ちょうちょのリボンをかみにつけて、たまちゃんのまねをしました。

たまちゃんとママは、ぐるぐるまきのきいろいリボンをもって、ひらひらとそとにとんでいきました。そして、おともだちをみつけると、リボンをきって、ちょうちょのリボンをつくってあげました。いつもじめんばっかりみているダックスフントはおおよろこび。おいかけてきたかいぬしも、いっしょにそらをとびました。

ひがくれて、かぜがつよくなってきました。ちょうちょむすびにしたリボンがほどけてしまい、たまちゃんたちはじめんにドスンとしりもちをつきました。玉ちゃんとママはみんなからあつめたばらばらのリボンをむすびなおし、おおきなちょうちょむすびをつくりました。いちにのさん、でそらになげると、おおきなちょうちょのリボンは、ちからづよくはばたいて、そらのかなたにきえてしまいました。

2007年12月16日(日)  以心伝心クリスマスギフト
2006年12月16日(土)  マタニティオレンジ43 作詞作曲兼ボーカル兼ダンサー
2002年12月16日(月)  シナリオ作家協会の忘年会
2001年12月16日(日)  こだま


2008年12月15日(月)  「頭の中を再現する実験」のニュースが出た数日後

つい最近、新聞で読んで興味を惹かれたのが、「頭の中で考えたことを再現する実験」の話。脳を流れる電流の信号を読み取る仕組みだったか、被験者が思い浮かべたアルファベットの再現に成功したという。研究を突き進めると、想像したことをそのまま映像で再現することも可能になるという。言葉でコミュニケーションする能力を失った人が意志を伝えることも可能になり、介護の現場で役立ちそうだという記事だったが、わたしは「これがあれば仕事がはかどる」と思ってしまった。脚本家は「思いつきを文章にする」ことが仕事だけれど、頭の中のイメージをプロデューサーや監督にうまく説明できなかったり、夢で見た天才的なひらめきを忘れてしまったり、ということがよく起こる。頭に電極をつないで想像をめぐらせるだけで自動的に脚本に変換されるような装置ができればラクチンだ、と考えたのだった。近い将来、脚本家の作業は「書く」ことから「念じる」ことに移行するかもしれない。

そんな妄想を働かせた数日後の今朝、目覚めた娘のたまに、いつものように「どんな夢見た?」と聞くと、「ちょうちょさんとおそらとんだの。ぶんぶんもいたの。しらすもいたの。ちょうちょさんのおうち、エレベーターなの。ママもいっしょにいこうね」という返事があった。ちゃんとお話しになってる、とびっくりして、今日の子守話が生まれた。娘が見た夢を思い浮かべながら、「たまが見た夢と、わたしが想像する夢は決して同じにはならない」ことが面白いのだと思った。頭の中をのぞいてみたい気持ちに駆られる一方で、そのままをのぞけないから想像する楽しみが残されているのだと気づく。おはなしを創造するためには、「頭の中変換機」は、存在しないほうがいいのかもしれない。それに、もし「頭の中変換機」が実現したら、文字を知らない子どものほうが面白い脚本を作ってしまいそうで、ライバル激増の心配もある。しらすが空飛ぶなんてぶっ飛んだ発想は、わたしにはない。

子守話29 ちょうちょさんのおうちはエレベーター

ひらひら ひらひら ちょうちょさん
たまちゃん おててを つなぎましょう
いち にの さんで とんだ とんだ

ぶんぶん ぶんぶん みつばちさん
ぼくも なかまに くわえてよ
なかよく ならんで とんだ とんだ

きらきら きらきら おさかなさん
あんまり たのしそうなので
いけから とびだし とんだ とんだ

ちょうちょさんの おうちで ひとやすみ
ちょうちょさんの おうちは エレベーター
あがったり さがったり あがったり さがったり
おそらをとんで いるみたい

2006年12月15日(金)  1=0.99999999........?
2002年12月15日(日)  Weihnachtsgeschenk


2008年12月11日(木)  しゃべり足りない!シナリオ作家協会忘年会

シナリオ作家協会の忘年会に4年ぶり3回目の参加。出産と子育てで遠ざかっていたこともあるが、一緒に行かない?と誘ってくれる脚本家仲間がいないという現実も。参加しても、知り合いがほとんどいなくて、居場所に困ったりするので、今年は、同伴者を募ることに。万葉ラブストーリー募集の受賞者で関東在住の女子4人に声をかけると、行く行くと全員参加表明で、同窓会を兼ねて会場に集まった。

第一回募集と第二回募集の受賞者が二人ずつ。授賞式ぶりに会う人が二人。審査員と受賞者という関係だけど、年も割と近く、脚本家仲間という感じ。近況報告をしつつ、「こんなひどい話があったんですー」やら「こんなときはどうしたらいいんですか?」やら話は尽きない。歩けば脚本家に当たるという脚本家人口密度の高さで、そこかしこに名だたる先生方が……。

松本楼のカレーとローストビーフをがっつり楽しんだ一次会では、『子ぎつねヘレン』『天使の卵』でわたしが脚本家として一本立ちするきっかけを作ってくれた松竹の榎望さんや「二人あわせて3メートル」と親しくしてくれている映画評論家の小張アキ子さんを四人に紹介できた。毎日映画コンクールでご一緒した映画評論家の北川れい子さんにも再会。声をかけると覚えていてくれ、『ぼくとママの黄色い自転車』を観た感想もうかがえた。

初めて当たったビンゴの景品はNHKのどーも君。「つばさ」に明け暮れた今年を象徴するようなプレゼント。

「青年部」と称する二次会に、中年(仮)の域に差しかかりつつも参加させてもらうと、わたしより年配の先輩方も多く、安心。脚本家の知り合いをたくさん作るぞ、と意気込んだものの、同伴女子と盛り上がり、交流がおろそかに。でも、おひらきになったあとで何人かが話しかけてくれ、共通の知り合いがいる人や「つばさ」を観てくれていた人と出会えた。『誰も守ってくれない』や『ローレライ』の鈴木智さん、ドラマいっぱい観ました!(最近では「喰いタン」)の伴一彦さんも気さくでお話ししやすい方だった。

作l協の若手会員同士の交流を図るために発足した「自称青年部」には、気軽に集っておしゃべりしましょうということで「サロン雀の巣」という名前がつけられた。命名者は白鳥あかねさん。「白鳥が雀と名づけた!」と盛り上がる。

3次会には流れず、同伴女子4人とお茶して帰ることに。店に入ったときは11時過ぎで、終電までの一杯のつもりだったのが、異様に盛り上がり、気がつくと3時! その間、常に誰かが熱く語り、まわりが激しくうなずいていた。

6時から延々9時間しゃべりっぱなしのロングラン忘年会。会話に飢えている脚本家はわたしだけじゃなかったんだなとしみじみ思った一夜。
今日のtwitter

今宵はシナリオ作家協会の忘年会。参加は4年ぶり。脚本家の知り合いが少ないので、こういう機会に。

【たま語】一昨日のこと。指をタオルになすりつけ、「チガ」。「血?」と聞くと、「ちがう、チガ」。「血が出てる」から「血=チガ」と覚えたらしい。「チガは でてる」という珍表現も。 http://www.geocities.jp/imaicafe/words/tamago.html

11月29日(日)の日記〈twitteと斎藤緑雨とアフォリズム〉を書きました。12日遅れまで来た! http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091129 

11月28日(土) の日記〈「チャイルドオアシスライブ」と「はだしになって」〉を書きました。やっと13日遅れ。夜の忘年会までにあと何日書けるか? http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091128

11月27日(金)の日記〈「つばさ」スピンオフ脚本&「小ぎつねヘレン」じゃ大違い〉を書きました。間違えて26日の日記を上書き!「戻る」を繰り返し無事救済。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091127

11月26日(木)の日記〈「たまちゃん」は英語で「いしっころ」〉を書きました。 http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=93827&pg=20091126

古新聞となったここ一か月の新聞を整理中。読まないと捨てられない性格。使えそうな記事は切り抜くものの整理が追いつかず。アメリカの整理術の本いわく「一週間以内に作らないレシピは捨てよ」。わが家には出番待ちの10年選手がゴロゴロ。

2004年12月11日(土)  『猫又祭』に初参加
2002年12月11日(水)  Make a Wish
2001年12月11日(火)  『ハッシュ!』 1本の傘 2本のスポイト


2008年12月09日(火)  クリスマスみいつけた

昨日、保育園からの帰り道、娘のたまと手をつないで歩きながら、「クリスマスがくるね」と何気なく言ったら、「クリスマス、どこ?」と返事が返って来て、不意打ちを食らった。カレンダーを見ながら「あと何日」と数えることがすっかりしみついた身には、クリスマスとの距離を「いつ」ではなく「どこ」と測る感覚が新鮮。でも、考えてみると、「はるがきた はるがきた どこにきた やまにきた さとにきた のにもきた」という歌がある。季節やイベントの訪れを景色や気配で感じることができるのは、カレンダーで確かめるより豊かなことのような気がする。

家と保育園を結ぶ住宅街の道のあちこちにもクリスマスはやって来ていて、外の螺旋階段に等身大のサンタさんが張りついて(2階によじ上ってプレゼントを届けに行く途中と見受けられる)いたり、イルミネーションがまたたいていたり、染物屋の軒先のショーウィンドウに箸置きサイズのサンタさんが並んでいたり(左端の寝転がっている「ねんねサンタさん」が、たまのお気に入り)、ぬいぐるみが並ぶ薬屋さんのショーウィンドウにツリーがお目見えしたり。

クリスマス探しに夢中になって帰宅すると、わが家のクリスマス感のなさが際立つ。大学の卒業式にクリスマスツリーに扮したほどのクリスマス好きなのに、今年の年末はとくに仕事が忙しくて、それどころではなくなっている。クリスマスのにぎやかさの代わりにちらかり放題の室内を探険し、クリスマスカラーの赤いものを集めた。一昨年クリスマスケーキが入っていた長靴やサンタの靴下やハートの置物などなど。並べてみると、多少華やいだ感じになって、たまは「クリスマスだね」とにっこりした。

……という体験から生まれた、今日の子守話

子守話28 クリスマスみいつけた

「クリスマスがくるね」とおかあさんがいいました。「クリスマスはどこ?」とたまちゃんがいうと、「クリスマスは、もうすぐくるのよ」とおかあさんはわらいました。「でも、たまちゃんのちかくにも、もうきているわね」といいました。

たまちゃんは、クリスマスをさがしにでかけました。ほいくえんのまどには、トナカイがひっぱるそりにのったサンタクロースがいました。スーパーマーケットには、おおきなクリスマスツリーがありました。きんじょのおうちには、おほしさまみたいなライトがピカピカひかっていました。

だけど、たまちゃんのおうちには、まだクリスマスはきていません。「そうだ、クリスマスをつれてこよう」とたまちゃんはおもいつきました。そして、いえのなかをさがしまわり、サンタクロースのふくとおなじあかいいろをしたものをたくさんあつめました。あかいくつした、あかいなべつかみ、あかいコップ、あかいはこ。ありったけのあかいものに、あかいリボンをくくりつけて、みどりのはっぱのきにかざると、クリスマスツリーのようになりました。きのてっぺんに、たまちゃんはあかいぼうしをかぶせました。ぼうしにはきいろいおほしさまがついていて、ますますクリスマスツリーらしくなりました。

2006年12月09日(土)  『現代映画聖書』と『麗しの銀幕スタア』
2002年12月09日(月)  ドカ雪


2008年12月08日(月)  手抜き母の子守話

年末で締切が重なり、生活にしわ寄せが来ている。荒れた部屋でいろんなものが次々に姿を消し、探し物という仕事がふえ、また時間に追われる。布オムツを洗う暇を惜しんで紙オムツに戻したら、なんと楽なこと。たまったオムツのにおいからも解放された。ダンナの帰りが遅い日の夕食は保育園帰りにお弁当を買って娘と分け合う。お弁当を2枚の大きなお皿に半分ずつ盛り分けるのが、娘には楽しいらしい。いつまでイベント気分を味わってくれるだろうか。皿数を減らして大皿に盛るのも手抜きのため。

夕食の後はお風呂でたっぷり遊ぶ。最近のブームは自転車漕ぎ。お風呂の浮力を活かして、だっこされた状態で自転車を漕ぎ、すれ違うバスやゴミ収集車に手を振る。おいものてんぷらごっこも好き。「おいものてんぷら〜」と歌いながら、相手の体に粉をつけて揚げる。

長湯をすれば早く寝てくれるのではと期待するのだけど、お風呂から上がってからが長い。やっとママと会えたんだから、寝てたまるか、とばかりに「おうちおうちする」と出産祝いでいただいたボーネルンドのおうちを組み立て、人形のじいじばあばにお茶をふるまったり、「ねんどする」と2歳の誕生日祝いの24色粘土を広げたり。こどものとも傑作集の『おじいちゃんのかお』という絵本を気に入り、何度も読んでとせがむ。早く寝かしつけて仕事の続きをしなきゃと思うけれど、子どもと向き合う時間は手を抜けない。他のことを考えていると、たちまち見抜かれる。

真夜中に近くなって、ようやく「ねる」と言ってくれた頃には、わたしのほうが眠くなっていいて、一緒に布団に入る。そんなわけで、最近はまた子守話の出番がふえた。娘の寝息にますます眠まぶたが重くなり、仕事は明日早起きしてやればいいやと思いながらまぶたを閉じる。今夜の子守話は、「ゾウさんちょうちょ」というお題のリクエストを受けて、ゾウさんがちょうちょになって空飛ぶ話。

子守話27 ゾウさんちょうちょ

ひらひらとそらをとぶちょうちょを うっとりとながめながら ゾウさんがいいました。「ちょうちょは いいな。ぼくも ちょうちょになりたいな」。そこで たまちゃんは まほうをつかって ゾウさんに ちょうちょのはねを つけてあげました。おはなみたいな きれいないろをしたはねをはばたかせると ゾウさんのおおきなからだが ふわりとうかんで そらをとびました。「うわあ。とんだとんだ」とゾウさんはおおよろこび。ながいはなで くもをすいこんで またはきだして そらにおえかきしてあそんでいます。

そらとぶゾウさんをみて もりのなかまは おおさわぎ。「あたしも ちょうちょになりたいよう」とブタさんがいいました。そこで たまちゃんは まほうをつかって ブタさんにも ちょうちょのはねを つけてあげました。そらをとんだブタさんが はないきでくもをふきとばしたので ゾウさんのおえかきは めちゃくちゃになってしまいました。ゾウさんがおこってブタさんをおいかけ そらのうえで おいかけっこがはじまりました。

おおきなくちをあけて そらをみあげていたワニさんが「ぼくも ちょうちょになりたいよう」といいました。そこで たまちゃんは まほうをつかって ワニさんにも ちょうちょのはねを つけてあげました。そらをとんだワニさんは しっぽをぶんぶんふりまわしてスピードをあげて ゾウさんとブタさんにおいつきました。すると とつぜんゆうだちがふってきて はねがぬれてしまい ゾウさんちょうちょとブタさんちょうちょとワニさんちょうちょは じめんにむかっておちていきました。

「キャー じめんにぶつかっちゃう」とめをつぶったそのとき ぷるんとしたなにかにぶつかって ゾウさんちょうちょとブタさんちょうちょとワニさんちょうちょはたすかりました。あめがあがって なないろの にじのはしが そらにかかったのでした。にじのうえで ゾウさんちょうちょとブタさんちょうちょとワニさんちょうちょは すべりだいあそびをしました。

ひがくれて そらがくらくなって ほしがまたたきはじめました。ゾウさんちょうちょとブタさんちょうちょとワニさんちょうちょは なかよくとびながら もりへかえっていきました。きれいなはねが ほしのあかりをうけて キラキラとひかりました。「あ ながれぼし」と もりのだれかがゆびさしていいました。

さあ つぎはだれが ちょうちょになるのかな。

2006年12月08日(金)  マタニティオレンジ40 東大へ行く
2004年12月08日(水)  『frame』 by Takeshi Sasaki


2008年12月05日(金)  2008年の仕事を振り返ると

今年4月3日に放送されたドラマ『アテンションプリーズスペシャル〜オーストラリア・シドニー編』再放送決定の知らせがプロデューサーから入った。12月26日(金)15:57-17:54 フジテレビ系にて放送。考えてみると、2008年に形になった今井雅子脚本作品は、この一本。その再放送で一年を締めくくれるのは悪くない気がする。

一本しか形になってないとは、この一年何やってたんだと振り返ってみた。脚本協力作品の『子猫の涙』と『犬と私の10の約束』が公開され、これまでに書いた脚本が少し報われた。写真集『犬と私の10の約束』にも、英語の「犬の十戒」の日本語訳という形で、脚本開発の際に書いた言葉を採用された。

プロットは今年も書きまくった。消えてしまった企画もあるし、来年以降に望みをつないでいる企画もある。ホンになったところで止まって、また一年過ごしてしまった企画も本棚にずらりと並んでいる。手当たり次第まいた種が、何年か経って目を出すこともあるし、宝くじを買った気持ちであたためている。

エッセイの仕事がふえた年だった。池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuに連載中の「出張いまいまさこカフェ」は、3月に7杯目、6月に8杯目、9月に9杯目、12月下旬刊行号で10杯目。bukuが縁で『月刊看護』4月号の「巻頭の言葉」を書く仕事も舞い込んだ。他に友人の絵師ミヤケマイの2つめの画集『ココでないドコか』にエッセイ「マイルーム願望」が、映画『最後の初恋』の劇場用パンフに「嵐・海」をお題にしたエッセイ「海の中には母があり、母の中には女がある」が掲載された。あちこちに書き散らしたものがまとまった数になって、一冊の『出張いまいまさこカフェ』にできたらいいなと思う。

作詞の仕事では『ほくほく ぼく やきいも』と『ラララ ちらし寿司』の販促ソング2曲が形になったものの、流れているのを耳にしたことがない。どこで販促しているのやら。歌といえば、『およげたいやきくん』『いっぽんでもにんじん』などを作曲した佐瀬寿一さんの「チャイルド・オアシス・ソング」プロジェクトに『はだしになって』という歌詞を寄せた。佐瀬さんがつけてくれたデモを元に歌詞を補作し、あとは来年の完成を待つばかり。

他には、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で、はじめて映画祭の審査員を体験した。NHK奈良の万葉ラブストーリーの審査とイベントは2回目で、来年1月には3回目の審査が行われる。公開シナリオ講座でのパネルディスカッションや一日講師など、人前で話す仕事がちょこちょこ。ネスカフェ『これでもかコレクション』キャンペーンのマグカップとエコバッグは、初めてのイラストの仕事になった。

脚本作品が1本、脚本協力作品が2本にとどまったけれど、写真集、エッセイ、歌、イラストなどちょこちょこしたものを含めると、それなりに形になった年だった。それにしても、映画が2本(『子ぎつねヘレン』『天使の卵』)、ドラマが2本(『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』『快感職人』)、脚本協力ドラマが1本(『ドクターヨシカの犯罪カルテ』)形になった上に子どもを産んだ2006年は、史上最強の生産的な一年だったのだなあとあらためて思う。「産み年」みたいなものはあるのかもしれない。

間もなく終わる2008年。ぎりぎりまでパソコンに向かい、来年に向けて種を蒔き続ける年の暮れになりそう。1月31日(土)22:00-22:50放送が決まったNHK-FMのFMシアター『友子とモコ』は収録に向けて脚本を仕上げているところ。初号試写を終えた『ぼくとママの黄色い自転車』は2009年中に公開の予定だし、脚本協力で参加している朝ドラ『つばさ』は3月30日から26週にわたって世に出るので、来年は今年より花をたくさんつけられる一年になる見通し。

2006年12月05日(火)  石井兄弟社の忘年会


2008年12月03日(水)  「何見てるの?」「ゆめみてるの」

昨夜のこと。布団に入ってもなかなか寝つかず、目を爛々とさせて天井を見上げている娘のたまに、「何見てるの?」と聞くと、「ゆめみてるの」と返ってきた。布団の中で見る夢といえば、目を閉じて眠っているときに現れるものと思い込んでいる大人は、その答えにハッと目を見開かされる。日が暮れた道端で突然寝転がったときに同じ質問をして、「くもみてるの」と返事が来たとき以上に衝撃的だった。

「夢を見る」という感覚的な概念をいつの間にどのように知ったのか、最近、たまは寝ている間に見た夢のことも話してくれる。一昨日の朝、「どんな夢見たの?」と聞くと、「ちょうちょのゆめ」と答えた。「ちょうちょさん だっこしたの。ないてたの。おかあさんがいいようってないてたの」。なんだか物語の始まりみたいだ。たまの夢をヒントにして、子守話『まいごのちょうちょ』が生まれた。

子守話26 まいごのちょうちょ

たまちゃんが おはなばたけを おさんぽしていると ちいさなちょうちょが ないていました。「えーんえーん おかあさんが いいよう」。ちいさなちょうちょは おかあさんとはぐれて まいごになったようです。たまちゃんは ないているちょうちょを よしよしとだっこしてあげました。それから いっしょに おかあさんを さがしにでかけました。ちいさなちょうちょは きいろいはねに くろいみずたまもようがついていました。おかあさんちょうちょも おなじもようをしているといいます。たまちゃんと ちいさなちょうちょは きいろいはねに くろいみずたまもようのちょうちょをさがしはじめました。

しばらくあるいていくと きいろいちょうちょが とんでいるのがみえました。「あ おかあさんがいた」とちいさなちょうちょが うれしそうにいいました。けれど ちかづいて よくみると きいろいはねについているくろいもようは みずたまではなくて しましまでした。たまちゃんもちいさなちょうちょもがっかりしました。でも しましまちょうちょが「あっちに みずたまのちょうちょがいましたよ」としんせつにおしえてくれたので あっちをさがすことにしました。

しましまちょうちょにおしえてもらったばしょまでくると きいろいはねに みずたまもようのついたちょうちょが はなのみつをすっていました。「あ こんどこそ おかあさんだ」とちいさなちょうちょが いいました。けれど はなびらにかくれていた はねのしたはんぶんは きいろではなく あかいろでした。
たまちゃんもちいさなちょうちょも がっかりしました。でも きいろとあかのはねのちょうちょが おいしいはなのみつを わけてくれたので ちょっぴり げんきになりました。

たまちゃんとちいさなちょうちょは ひがくれるまで おはなばたけを あっちへいったり こっちへきたりしました。けれど おかあさんはみつかりません。とびまわってつかれたちいさなちょうちょを かたにちょこんとのせて たまちゃんはあるきつづけました。ちいさなちょうちょは たまちゃんのかたのうえで ねむってしまいました。たまちゃんも ちいさなちょうちょをかたにのせて きのしたで ねむってしまいました。

それから どれぐらいじかんが たったでしょう。「おかあさんよ。おむかえにきましたよ」とやさしいこえがして たまちゃんとちいさなちょうちょは めをさましました。きいろいはねに くろいみずたまがついたちょうちょが ひらひらと めのまえをとんでいました。「あ おかあさん」とちいさなちょうちょは おかあさんちょうちょにとびつきました。「おかあさん おんぶ おんぶ」とせがまれて おかあさんちょうちょは ちいさなちょうちょを せなかにのせてやりました。そっくりなおかあさんちょうちょとちいさなちょうちょは「たまちゃん ありがとう」とてをふるみたいにはねをひらひらさせて とんでいきました。

たまちゃんも おかあさんにあいたくなって おうちにかえりました。

2006年12月03日(日)  マタニティオレンジ36 撮影大会 
2005年12月03日(土)  第12回函館港イルミナシオン映画祭 参加2日目


2008年12月01日(月)  生きることは、おくりものをおくりあうこと。

ひさしぶりに著書にサインをした。絵本ナビというサイトで『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』が紹介されているのをダンナの同僚が見つけ、「奥さんが書いた本?」とサイン本を頼まれた次第。うちの娘のたまより1歳上の女の子がいる女性で、子どもに読み聞かせる本を探していたところ、偶然発見されたのだという。早速サイトを見てみると、ヘレン絵本のページがあり、「人生の宝物」などのレビューが寄せられていた。

ちょうど一週間前には、今井雅子ファン最高齢、80歳の余語先生からもヘレン絵本のことで電話があり、娘さんを亡くされた方に贈ったところ喜ばれましたという報告をいただいた。タイトルに「おくりもの」という言葉が入っているせいか、プレゼントにされることが多く、「手持ちの分をすべて贈ってしまったので、また購入したい」と余語先生。新しい命を授かった人にも、愛しい命を喪われた人にも、この絵本があたたかい何かを届けられたらと願う。

娘のたまも2歳を過ぎて、読んでとせがむようになった。まだ文字を追えないので、本棚に並んでいる日本語版と中国語版を両手に一冊ずつ持って「おんなじ、おんなじ」と喜んでいる。自分の書いた絵本のページをわが子がめくるさまは、わたしにとって何よりの贈り物。絵本が手紙代わりになって、身近な人や離れた人とつながる機会をくれ、刊行から2年以上経っても感想や反響が舞い込むのがうれしい。絵本のサインには「生きることは、おくりものをおくりあうこと」というメッセージを添えている。

絵本と言えば、最近ちょくちょくお邪魔している制作会社のロボットで、『つみきのいえ』という絵本をいただいた。家が水に沈むたびに上に上にと建て増ししてきた積み木のような家の話。家を下へ下へとたどると、そのときそこで暮らしていた家族の思い出が蘇る。過去が深いところに沈むという家の構造が人の記憶に似ている。ヘレン絵本と同じく、こちらも映画から生まれた絵本。同名のアニメーション映画を絵本におこしたのだそう。

2005年12月01日(木)  Annettからのクリスマスプレゼント2005
2004年12月01日(水)  小原孝・佐山雅弘 Piano de Duo - 4
2001年12月01日(土)  函館映画祭2 キーワード:これが有名な

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