2007年12月19日(水)  車内の電話に考えさせられたこと

ベビーカーを押してバスに乗り込んだら、愛想のいいおじさんが「危ないからこっちどうぞ」と席を譲り、座席にベビーカーを固定するのまで手伝ってくれた。ベビーカーの傍らに立つ格好になったおじさんと娘のたまをネタに話しながら揺られていると、おじさんの携帯に着信あり。「いまバスの中」と断ったが、相手に聞かれた質問にだけ手短に答えると、おじさんは電話を切った。それを待って、通路をはさんでわたしの向かいの席にいたご老人がおじさんの上着を引き、振り返らせた。「ダメだよ。バスの中で電話しちゃあ」と咎めの一言に、「かかってきちゃったんですよ」とおじさんが申し訳なさそうに首をすくめて答えると、「切っとけばいい」とご老人。「そうすればかかってこない」と続けた。巣鴨とげぬき地蔵界隈を走るバスでは、席を譲りあうのもマナーを注意しあうのもよくある光景である。

話はそこでけりがついたと思われたのだが、「切っときゃかかってこないんだよ」とご老人のお叱りは続いた。正論ではあるが、着信の音も話す声も控え目だったので、悪い人に当たったなあとおじさんに同情した。席を譲られた手前、こちらはおじさん派であり、ご老人のぼやきのほうがよっぽどボリュームが大きいではないか、と思ってしまう。タイミングよく「車内での通話はご遠慮ください」のアナウンスが流れると、「ほら放送でも言ってるじゃないか」とご老人は鬼の首を取ったようになった。

わたしのほうを向いているおじさんは、背中にぼやきがぶつけられるたびにちらちらとご老人を振り返るのだが、その顔つきはどんどん険しくなり、怒りの火薬が仕込まれているのは目に明らか。親切なおじさんには声をあらげてほしくない、と緊張した。かといって、「喧嘩買っちゃダメですよ」なんて下手に口をはさんだのがご老人の耳に入りでもしたら、火に油である。わたしにできることといえば、「ここに赤ちゃんがいますよ」が喧嘩の抑止力になることを願って、大げさにたまをあやすことぐらいだった。

マナーに疎いのも問題だけど、マナーにうるさいのも度を越すとはた迷惑になる。大切なのは同じバスに乗り合わせた他人を思いやり、譲り合う気持ちであり、その点では、贔屓を差し引いても、ご老人よりおじさんに軍配を上げたくなるのだが、マナーの物差しでは、携帯での通話が悪者であり、お小言は禁止されていない。壊れたレコードのように「切っとけばいい」をくどくどと繰り返すご老人に聞こえるように、「ご親切にありがとうございました。助かりました」とおじさんに告げてバスを降りた。

ご老人にとっては、おじさんが最初に「すみません」と謝らなかったのが不服だったのかもしれない。マナー違反そのものに目くじらを立てたのではなく、「俺の話をちゃんと聞け」という意思表示のようでもあった。それだけご老人のまわりでは、彼の話に耳を傾ける人がいないのかもしれない。最近、バスや電車の中でぼやくご老人を見かけることが増えたが、その口ぶりや顔つきから、ぼやいている瞬間だけではなく不満が日常化している印象を受ける。冷蔵庫の野菜が食べないと腐ってしまうように、誰にも聞き届けられない言葉が湿っぽくなったり嫌味臭くなってしまうのだろうか。気の毒でもあり、毒抜きが必要だと思うのだが、腐った野菜はなおさら食べる気がしなくなるように、腐った態度の人は忌み嫌われるという悪循環が起こる。あのご老人に何か声をかけたら、ぼやきが治まり、別な展開が生まれたかもしれないが、さわらぬ神に祟りなし、としか思えなかった。

車内の電話一件に、いろんなことを考えさせられた。

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