2006年12月09日(土)  『現代映画聖書』と『麗しの銀幕スタア』

近所の図書館をよく利用しているが、ベビーカーでうろうろしているうちにぐずられてはかなわないので、このところは「今日返された本」の棚からささっと数冊見繕って借りるようにしている。誰かが最近読んだという事実は、それだけでお墨付きになる。どうやら映画好きの利用者がいる(一人なのか複数なのか)ようで、毎回映画の本が固まって置いてある。先日その中から借りた『現代映画聖書』(立川志らく)と『麗しの銀幕スタア』(秋山庄太郎)が大変面白かった。共通点は作者の絶妙な語り口。書き言葉でありながら、話し言葉を聞いているようなテンポのよさと味わいがあった。

立川志らくさんはかなり辛口。例えば、女優「サマンサ・モートン」の項では、「サマンサ・モートンといっても『誰?』と思う人がほとんどだと思う」(わたしもそう思った)に続き、「スピルバーグが監督した『マイノリティ・リポート』の水槽に浮かんでいた女の予言者といえばすぐにわかるはずだ」(わたしも、ここでわかる)と紹介。とても可愛い女優であるが、あの役では「なんだかよくわからなかったであろう」と叩き、彼女がヒロインを演じたウッディ・アレンの『ギター弾きの恋』を持ち上げ、「サマンサ・モートン、彼女の芝居をもっとたくさん観たい。こんな素敵な表情ができる女優を水槽に浮かべてしまうスピルバーグはどうかしている」と締めくくっている。こんな調子で名作と呼ばれる映画や名匠と呼ばれる監督に遠慮のない突込みを入れているが、映画への深い愛ゆえの苦言なので、読んでいて不快にはならず、むしろ痛快。

自ら映画を撮られ、名画を落語で演じるという「シネマ落語」で知られるこの方とは宮崎映画祭でご一緒し、お話しさせていただく機会があったが、とてもシャイで物静かな方という印象を持った。だが、映画祭で披露されたシネマ落語『天国からのチャンピオン』の見事な翻案と面白さには舌を巻き、あの人の頭の中はどうなっているのだろうと興味をそそられた。著書を読んで、あらためて、頭の中をのぞいてみたくなった。

数々の女優のグラビアを撮ってきたカメラマンの秋山庄太郎さんのエッセイも、テンポよし、歯切れよし、自虐調に披露されるスター女優たちとのエピソードは可笑しく、落語を聞いているよう。間近で本人を見てきたこの人ならではの言葉で紹介される女優たちのイメージが立体的に浮かび上がり、名前しか知らなかった女優も、名前さえ知らなかった女優も身近にさせる。月丘夢路の項では、軍国調だった当時の宝塚少女歌劇を振り返り、「舞台に月丘夢路が出てくるや思わず座り直した。容貌にしろスタイルにしろエキゾチック、の一言。ルックスが国策を裏切っているのだ」という具合。女優たちを持ち上げる一方ではなく、気に入らない演技や作品にはしっかりケチをつける。これも親しさゆえの本音、惚れ込んだ逸材が生かしきれていないことへの叱咤なのだろう。

語り口が面白い映画の本といえば、少し前に読んだ『加藤泰、映画を語る』はタイトルの通り映画監督の加藤泰氏が映画について技法的なことや作り手の気持ちを語った講演、インタビュー集で、これまた独特のユーモアと節回しを味わえる本だった。加藤泰氏は山中貞雄監督の甥にあたり、『映画監督山中貞雄』という著書もある。この二冊はご近所仲間で映画通のT氏より「今井さん、勉強してくださいね」ということで差し出されたのだった。「フェリーニの道ってどこにあるんですか?」とプロデューサーに聞いて、「TSUTAYAとか」と言われた(よほどの通でなくても、20世紀最大の映画監督と言われるフェデリコ・フェリーニの名作『道』は知っているものらしい。地名にはあらず)勉強不足を読書で少しずつ補っているところ。

2002年12月09日(月)  ドカ雪

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