2015年08月10日(月)  「昔話法廷」の間に「武士の娘」あり!

8/10から三日間は「昔話法廷」の放送。
その真ん中の8/11の夜9時から放送されるNHKのドキュメンタリードラマ、BS1スペシャル「武士の娘 鉞子とフローレンス」のドラマ部分の脚本を担当しています。

「戦前にアメリカでベストセラーになった杉本鉞子という武士の娘の自叙伝があるんですが、その本を一緒に書いたフローレンスという女性がいて、二人の友情に光を当てる番組です」といったことを最初に言われ、面白いなと直感で思ったのが、「著書にはフローレンスのクレジットがない」という事実でした。

おそらくフローレンスが鉞子一人が書いた本にするために気を配ったのでは、と推察されていますが、国境をこえた友情はどのように育まれたのか、興味を持ちました。
脚本作りは膨大な資料を読み込むところから始まりました。

まず英語で書かれた後に大岩美代によって日本語に訳された「武士の娘(A Daughter of the Samurai)」の言葉の美しさと品の良さに、日本語ほど美しい言語はない!と「愛国語者」を自認するわたしは惚れ惚れ。目で味わって良し、声に出してなお良し。こんなに流麗な日本語は、めったにお目にかかれません。

鉞子は長岡藩筆頭家老の娘。父が没落した後も武士の娘としての誇りある生き方を叩き込まれます。アメリカ在住の日本人男性に嫁ぐために渡米した後も、その心は揺らぐことなく、「武士の娘」のそこかしこに日本の美しい心が宿るのを見るにつけ、祖国日本に惚れ直しました。

わたしがアメリカの高校に留学した1986年にこの本を知っていたら、もっと魅力的に日本という国を紹介できたのではと悔やまれます。

鉞子はとても頭のいい人で、異なる文化の違いを認め、受け入れ、人として通い合う部分も見つけるということを実に楽しそうにやってのけています。

ネットでなんでも調べられる昨今は、カルチャーショックですら質問掲示板で相談できてしまいますが、鉞子が渡米した19世紀の終わりは、自分の目で見たこと感じたことを自分の価値観で判断するしかなかったことでしょう。幼い頃から教養を身につけ、四書にも親しんでいた鉞子には、物差しになる考えがしっかりできていたのだと思います。

「武士の娘」の理解を深めてくれたのが、番組に監修として関わられている内田義雄氏の書かれた
鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯」でした。

鉞子と同郷の長岡出身で、「武士の娘」を「不朽の名作」と呼び、鉞子に惚れ抜いている内田氏がたどった鉞子とフローレンスの足跡が詳しくまとめられ、「武士の娘」に描かれている内容をより立体的にとらえることができました。

ドラマ脚本開発にあたって、内田氏からは貴重なご意見をいただきましたが、ご自身の鉞子像を大切にしながらもドラマチームの出すアイデアを面白がり、そこから想像を広げられる懐の深さと柔軟さに鉞子に通じるものを感じました。

テレビ番組放送を前に、手に取りやすい文庫版「武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス」が出ています。

番組の企画を長年温めて来られ、「語り」として参加されている星野知子さんも長岡のご出身。「世界の鉞子をもっと知って欲しい!」と熱く語り、脚本の初稿を読んで「鉞子が動き出した!」と喜んでくださいました。頭の回転が早く、思慮深く、打合せでの言葉のひとつひとつが優しくて知性にあふれていた星野さん。「武士の娘」からイメージした鉞子像と重なる方でした。

鉞子に魅せられた方々との温かいご縁に恵まれ、刺激的な打合せを重ねて作らせていただいた「武士の娘 鉞子とフローレンス」。ドラマ部分の演出は、「そこをなんとか」「そこをなんとか2」をご一緒した一色隆司さん。大学時代をアメリカで過ごされた一色さん、高校時代に一年間アメリカに留学したわたし、それぞれの体験も脚本に溶けているのではと思います。

二人三脚でベストセラー「武士の娘」を書き、何度も太平洋を共に横断し、今は青山墓地に並んで眠る鉞子とフローレンス。人情は国境をこえることを教えてくれる二人の友情の物語をドキュメンタリーとドラマでお届けします。ぜひ、見てみてください。

8/11(火)21:00〜22:50(途中ニュースを挟みます)
NHK BS1にて

2012年08月10日(金)  うひゃどっぴ
2011年08月10日(水)  NHKよる☆ドラ「ビターシュガー」顔合わせ
2010年08月10日(火)  夏が子どもを大きくする
2009年08月10日(月)  『ぼくとママの黄色い自転車』原作者・新堂冬樹さんと白黒対面
2008年08月10日(日)  マタニティオレンジ318 キンダーフィルムフェスティバルで初めての映画
2007年08月10日(金)  あの流行語の生みの親
2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー
2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2015年08月09日(日)  「昔話法廷」かぶってない人たちも熱いんです

こぶたが、オオカミが、ウサギが、タヌキが証言台に立つ光景がシュールと話題になっているEテレ「昔話法廷」ですが、検察官VS弁護人の舌戦も熱いです。

正当防衛で無罪はアリ?
“三匹のこぶた”裁判 >>>作品紹介(NHKサイト)
木南晴夏さんVS加藤虎ノ介さん
8/10月 10:00-10:15
再放送8/21金 23:25-23:40

ウサギは執行猶予を勝ち取れる?
“カチカチ山”裁判 >>>作品紹介(NHKサイト)
安藤玉恵さんVSモロ師岡さん
8/11火 10:00-10:15
再放送8/21金 23:40-23:55

まさか王妃が犯人じゃない⁉
“白雪姫”裁判 >>>作品紹介(NHKサイト)
山本裕典さんVS堀内正美さん
8/12水 10:00-10:15
再放送8/28金 23:30-23:45

名字が今井同士で親しくしている検事出身の今井秀智弁護士がガッツリ法律監修。まず争点を決め、左右に振れる心証メーターを念頭に置いて裁判を作っていきました。
おなじみの昔話が、その登場人物が、今までとは違って見えるかもしれません。
判決は視聴者に委ねられますが、どんな風に見解が分かれるか楽しみです。

2013年08月09日(金)  数十年ぶりの白浜
2012年08月09日(木)  朝ドラ「てっぱん」ファンクラブ @teppanfc
2011年08月09日(火)  【たま絵】世界が広がってきた!?
2010年08月09日(月)  蕎麦アレルギーが消えていた!?
2009年08月09日(日)  星良ちゃんインタビュー&朝ドラ「つばさ」第20週は「かなしい秘密」
2008年08月09日(土)  冷蔵庫に塩豚があれば
2007年08月09日(木)  ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』
2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』
2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2015年08月04日(火)  FMシアター「静かな生活」番宣が静かじゃいけません

ひと月余りも更新をさぼっていますとfacebookからせっつかれて、ハッ!
8/1放送のFMシアター「静かな生活」のお知らせをしたつもりが、ツイッターでのお知らせで留まっておりました。

なんたる不覚!
暑さのせいだけにはできますまい。

タイトルには「静かな」とありますが、番宣が静かではいけません。

「金魚鉢の教室」「マー子さん」「父の代理人」とこのところ年に一本ペースでFMシアターをご一緒している演出・藤井靖さんとの四作目。学習指導支援員の孤立無援を描いた「金魚鉢の教室」、改正生活保護法に着想を得た「父の代理人」に続いて、「ある問題を話し合う場から見えてくる本音と悲喜こもごも」シリーズ第三弾は、保育園の騒音問題がニュースになっているのを見て、「静かな生活とは?」と想像を膨らませました。

主人公は、マンション管理組合の理事長。ちょうどわが家も輪番制の理事長が回ってきたところで、管理会社の担当者さんをつかまえて取材もできました。

ドラマはナマモノ生き物、リハと本番でどんどん進化。毎度のことながら役者さんたちの臨機応変力に感服しました。

主人公夫婦の康平君とみちるさんを演じてくださったのは、植村宏司さんと千田美智子さん。アテ書きしたかのようなお名前!雰囲気もイメージ通り。主人公夫妻を「理事長さん!」攻撃で悩ませる隣人・駒元役の松金よね子さんは、とにかく達者。ひとつひとつのセリフとしっかり向き合ってくださっている姿勢がうれしくて、にまにましてしまいました。「話を聞かないドイツかぶれの独走教授役は大林隆介さん。受験生の息子のお弁当のことで頭いっぱいの主婦役は岡田さつきさん。自分のことしか見えてない困った住人たちがそろいました。調子のいい管理会社の本田さん役は岡田達也さん。口癖の「はい〜」がいい感じ。はると君ママ役の秋山エリサさん、その元夫と康平君の発注者役の酒巻誉洋さん(康平の翻訳の発注者と二役)も飛び道具的な設定をテンポ良く実感を持って演じてくださいました。

音楽は川田瑠夏さん。作品にご縁を感じてくださったようで、明るい表情でリハから帰られ、登場人物たちの気持ちに寄り添う素敵な劇伴を作ってくださいました。

と、ここまで紹介して、聴きたいと思ってくださった方、重ね重ねすみません。文化庁芸術祭参加作品になるか放送文化基金賞を取るか大量のリクエストが来たら再放送のチャンスがあるようです。

2013年08月04日(日)  さめない「てっぱん」を囲んで@ファンクラブ一周年オフ会
2012年08月04日(土)  『オズの魔法使い』の3年6組同窓会
2010年08月04日(水)  【たま語】おかえり……ください
2009年08月04日(火)  「役目を終えた」と思えば捨てられる
2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り
2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2015年07月17日(金)  俳句の道の入口で引き返した母の娘

広告代理店でコピーライターをしてた頃に組んでいたアートディレクターの中原道夫さんは俳句界の芥川賞と呼ばれる賞をもらったとかの大先生。「今井も作ってみる?」と言われ、20代のわたしが作った句が

稲妻の ピアスのごとく 海貫く

中原師匠の批評は
「稲妻、ピアス、貫く、全部尖ってて、同じこと言ってる。イメージが広がらない。俳句は五七五で四百文字をイメージさせないと」

なんとなくカッコいいもの作ろうと頭で考えてつなげた十七文字の薄っぺらさを看破されてしまったのでした。

中原さんは「またできたら見せて」と言ってくださったのですが、わたしは「俳句より長いほうが向いてる」とさっさと見切りをつけ、俳句の道の入口で引き返してしまいました。黛まどかさんの「ヘップバーンの会」を意識してつけた俳号「オードリーヒップボーン」が日の目を見ることはありませんでした。

時は流れ、再び俳句に出会ったのは、娘のたまの通う小学校が俳句に力を入れているから。毎月のように授業で句会をし、俳句に親しんでいるたま。脚本家の大先輩、筒井ともみさんに「台詞は吐息」という名言がありますが、息を吐くように、さらさらとスケッチするような気軽さで日常の心動いた出来事を五七五で映し出します。一年生の終わりに作ったのは

きょうしつを ぞうきんほうきで 春むかえ

学年末の大掃除の風景。新入生を迎える教室をきれいにして渡そうという、うれしさと誇らしさをわたしは感じました。

二年生で作った句は

かたつむり あるいてあるいて しわだらけ

うろこぐも みんなの上で おうえん歌

かれは見て じいさんのこと 思い出す
(じいじごめんなさい!でもわたしはルーブルかオルセー美術館で見た老婆の肖像画に「冬」と題がついていた衝撃を思い出しました)

雪どけで あんなにいた子が ひとりだけ
(句会では票が入らなくて悔しがってましたが、雪遊びしてた子たちがいなくなった後に目をつけたところがわたしは好きです)

など。

三年生になってからは

カーネーション 一枚一枚 おくりもの

小学校からあちこちの俳句賞にも応募をしていて、伊藤園のお〜いお茶新俳句大賞もそのひとつ。一年生の冬休みに作った

冬の朝 ごくりとのんで 目がさめる

が昨年二次審査を通過し、「受賞の場合氏名を公開していいかどうか」の確認がありました。ここまで来たら入賞の確率は高いのではと期待していたら二次止まり。後で「おーいお茶だから、お茶の俳句にした」とたまが言うのを聞きました。頭で考えた俳句だったわけですね。

それから一年。二年生の冬休みの宿題で作った俳句が二次審査を通過し、今年も氏名表示の確認が来ました。

はれぎきて くすぐったいな みんなの目

今度はお茶を意識していない素直な句だなと感じて、今年は行けるんじゃないかと勝手に期待。佳作特別賞に滑り込みました。今年は176万5150句の応募があったそうで、運にも味方されました。

お〜いお茶のパッケージに掲載されるのは、さ来年の春から一年間のどこかという気の長い話。二つ先の春に楽しみが待っているというのもうれしいもの…という喜びを五七五で表せない母です。

たまの俳句を中原師匠に見せたなら……?「お母さんより上手だね」と褒めてくれるのではと思います。

2011年07月17日(日)  尾道土産と福石猫の「えん」
2010年07月17日(土)  原稿送信!今から遊んで!
2009年07月17日(金)  一年ぶり!SKIPシティ国際Dシネマ映画祭
2008年07月17日(木)  最近食べたお菓子
2007年07月17日(火)  マタニティオレンジ147 働くお母さんの綱渡り
2005年07月17日(日)  阿波踊りデビュー
2004年07月17日(土)  東京ディズニーシー『ブラヴィッシーモ!』
2000年07月17日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2015年07月01日(水)  「好き」に向かって走れ!(「京大広報」6月号寄稿)

京都大学が出している広報誌、その名もそのまんま「京大広報」の《寸言》というコーナーに寄稿文が掲載されました。

タイトルは、
「好き」に向かって走れ!

広報の担当者の方が「てっぱん」の大ファン(全回録画保存してくださったそう)で、声をかけていただきました。

「京大内の正門広報センター、時計台記念館に置いてあり、無料でお持ち帰りいただけます」とのことですが、PDFでも読めます。
>>>こちら

2013年07月01日(月)  「はとぶえ」と「堺かるた」は宝物(広報さかいインタビュー)
2011年07月01日(金)  ウーマンリブ公演『サッド・ソング・フォー・アグリー・ドーター』
2010年07月01日(木)  7月になつちまつた
2009年07月01日(水)  2才10か月で「夏の扉」を開ける
2008年07月01日(火)  マタニティオレンジ305 トイレトレーニングは「まだ!」
2007年07月01日(日)  マタニティオレンジ138 いつの間にか立ってました
2005年07月01日(金)  ハートがいっぱいの送別会
2003年07月01日(火)  出会いを呼ぶパンツ
1998年07月01日(水)  1998年カンヌ広告祭 コピーが面白かったもの


2015年06月26日(金)  短編映画『やきそば』完成しました

津田豊滋監督と去年から作っていた短編映画『やきそば』(28分)が完成し、先日関係者試写がありました200人あまりの方が観に来てくださったそうです。

撮影監督出身で、『冷静と情熱のあいだ』で日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞している津田監督と知りあったのは、監督作品『丹下左膳 百万両の壺』が公開される少し前のこと。
(「今度やる映画」とチラシをもらったので)

渋谷のセガフレードでたまたま二つ隣のテーブルでお茶していて、共通の友人に紹介されたら、関西人同士で意気投合。「いつか仕事しよな」が十年越しに実現。打ち合わせは関西弁でぽんぽんと。
相方に逃げられ、妻子に去られ、引退の日を迎える鳴かず飛ばずの漫才師を萩原聖人さんが熱演。『パコダテ人』での函館スクープ記者よりさらに孤軍奮闘ダメ男。ラストの破れかぶれ漫才に役者魂を見ました。

別れた妻役に田中千絵さん(『海角七号』で台湾のトップスターに)。
音楽は稲本響さん(『長い散歩』『イキガミ』)。
短いなかに、登場人物の、作り手の、愛がぎゅっと詰まった作品になりました。

まずは海外の映画祭に出すそうで、一般公開は未定です。

2013年06月26日(水)  沈黙のち行列(実践女子大学講演・後編)
2012年06月26日(火)  地上350メートル
2011年06月26日(日)  サンリオピューロランドを「たまセンター」と呼ぶ
2010年06月26日(土)  JAGDA新人作家展とキャンドル展とことりっぷ
2009年06月26日(金)  江ノ島の大道芸人「のぢぞう」さん
2008年06月26日(木)  知らなかった、大坂夏の陣『戦国のゲルニカ』 
2007年06月26日(火)  マタニティオレンジ136 サロン井戸端
2004年06月26日(土)  映画『マチコのかたち』


2015年06月21日(日)  舞台「残夏-1945」公開稽古を観ました!(続き)

知人の野崎美子さんが演出する舞台「残夏-1945」公開稽古レポート。
一日では書ききれなかった、その続き。

聾者の母と娘を持つ主人公の「地続きになりたい」という台詞が印象的だった、その精神は「サイン アート プロジェクト.アジアン」の心意気にも通じるのではないか、というところで昨日の日記は終わった。

そのサイン アート プロジェクト.アジアン設立の中心になったのが、今回のプロデューサーでもあり出演者でもある大橋ひろえさん。

大橋さんといえば、昨年観た大窪みこえさんとの二人芝居「名もなく美しくもなく貧しくもなく」が記憶に新しい。さらにさかのぼって2008年に観た「ちいさき神の、つくりし子ら」に出演されていたのも印象に残っていた。

その日の日記を掘り起こすと、そこには「同じ景色を見ることはできなくても、相手がどんな気持ちでそれを眺めているかに思いを馳せることで、分かち合うことはできる」とわたしの感想があった。時がめぐり、今手話を学んでいるのは、そのときの気持ちが続いているのだろうと思う。

>>>2008年02月09日(土) プレタポルテ#2『ちいさき神の、つくりし子ら』

公開稽古の後の懇親会にもお邪魔させていただいた。

わたしの右隣には主人公の母を演じた五十嵐由美子さん、向かいには主人公の上司と主人公の母の両親のお隣さんを演じた西田夏奈子さん(「えびぞり子」のあだ名があり、手話ネームは「えびちゃん」)、右斜め向かいには手話通訳の高山さんという四人テーブルに着き、左隣には主人公の娘役を演じた貴田みどりさんがいて、左斜め向かいには主人公の元夫を演じた渡辺英雄さんがいた。途中で貴田さんのいた席に大橋さんが来た。

今観たお芝居の感想を伝えたくて、たどたどしい手話で話した。

大橋さんには「名もなく美しくもなく貧しくもなく」の感想も直接伝えられた。
「うちの娘は、カーテンコールのときの大橋さんの手刀が頭の上まで来る『ありがとうございました』が忘れられないみたいで、今でもやってます」というのも伝えられた。

大橋さん以外の方のお芝居を観るのは、この日が初めてだった。

五十嵐さんは、その身体表現の鋭さ、強さに圧倒された。誇りを持って生きる聾者の母の、内には様々な感情が渦巻いているけれど、凛と生きようとする姿が、伸びた背筋から伝わって来た。

お話はできなかったけれど、舞踏家として活躍されている雫境さん(主人公の母の父親役)の動きは舞踊のポーズの連なりのようで、手話表現と身体表現が溶け合って体全体がメッセージ体となっていた。

貴田みどりさんの吸い込まれそうに大きな瞳は、ときには手以上に饒舌に物語り、普段から「手話は手だけで表現するものではない。表情が大事!」と言い聞かされている手話学習者にとっては、あれだけ大きな瞳は望めなくても、手持ちの目玉をもっと表情豊かに動かせば女優の表現力に近づけるのではないかと思うのだった。

わたしの拙い手話を読み取るのは、かなりの集中力と想像力を要すると思うのだけど、お話しさせていただいた聾者の役者さんたちは「わかりますよ」と温かくうなずいてくれた。言葉が通じるってことは、地続きになるってことだなあとうれしくなった。

声のお仕事が多いのも納得の渡辺英雄さん、主人公夏実を演じた日野原希美さんのメリハリのある手話にも感心したのだけど、お二人とも元々やっていたわけではなく、今回の役が決まってから手話の台詞を身につけていったのだとか。もちろん役者の表現力もあるのだけど、手話に限らず、言葉というのは、伝えたいメッセージがまずあれば、表現はついてくるものなのかもしれない。目が離せない手話というのは、何かを懸命に訴えかけている。

手話というものにあまり触れたことがない人には、「残夏-1945」は手話表現の美しさ力強さに出会うきっかけになると思うし、手話を学んでいる人には、手話表現の奥深さに惚れ直すいい機会になると思う。

そして、自分とは異なる文化や価値観を持つ国の人たちと、あるいは戦時を生きた人々と、地続きになって同じ景色をわかち合おうとするすべての人々に、人と人がわかり合うことの意味を問いかけてくれる舞台だと思う。

サイン アート プロジェクト.アジアン公演
「残夏-1945」

座・高円寺2(東京)
2015年7月9日〜12日
9(木) 19時開演
10(金) 14時開演/19時開演
11(土) 13時開演
12(日) 13時開演

広島市東区民文化センター大ホール
2015年7月18日(土)13時開演/18時開演 

長崎市チトセピアホール
2015年7月25日(土)13時開演/18時開演 

ところで、話は昨日の日記の冒頭に戻って。
「聴こえない国の俳優と聴こえる国の俳優たちとのバイリンガル上演です」という野崎さんからの案内メールを見て、「松森果林のUD劇場〜聞こえない世界に移住して」というブログを書かれている松森果林さんを思い出し、去年講演を聞いて以来やりとりさせて頂いている松森さんにメールを送った。

松森さんのことを思い出す機会はちょくちょくあり、5月に放送されたFMシアター「沈黙とオルゴール」の作者で中途失聴者の桑原亮子さんを紹介してもらったときも、松森さんにお伝えしたいと思いながらメールを書きそびれていた。

そうしたら、松森さんのほうでもわたしのことを気にかけてくださっていたようで、
「私の友人がシアターアクセシビリティネットワークの理事長で舞台などの様々な情報支援をやっているのですが彼女と会うたびに、今井さんを思い出しいつかご紹介したいなーと思ったりしていました」と返事をいただいていた。

懇親会の帰りに公演事務局のヒロカワさんに飲み代を渡したら、なんとその彼女が松森さんのいう「いつかご紹介したいなー」の廣川麻子さんだった。
「松森さんから聞いてました!」と興奮気味の手話で伝えた。

そもそも松森さんと親しくなったのは、一昨年聞いた講演の感想をわたしが日記に書いたものを松森さんが読まれて、感想をくださったから。松森さんがお子さんと初めて見た字幕つきの日本映画が、わたしが脚本を書いた『子ぎつねヘレン』というご縁があった。

>>>2013年07月04日(木) 聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐ(松森果林さん講演)
>>>2013年08月14日(水) 「子ぎつねヘレン」と手話がつながった

手話は引き寄せ名人。手を動かすと、引き寄せビームが出るのではなかろうかと思うくらい、点がどんどんつながっていく。この先どんな出会いが待ち受けているのか、指文字の「き」(きつねの形)の指先を自分のほうに向けて顎の下に当てると、「期待」となる。

2013年06月21日(金)  EDITORY×エンブックス×ツブヤ大学「絵本をつくろう!」
2010年06月21日(月)  紙芝居のわんわんにパンをあげたい
2009年06月21日(日)  朝ドラ「つばさ」第13週は「恋のバリケード」
2008年06月21日(土)  親目線で観た劇場版『相棒』
2007年06月21日(木)  マタニティオレンジ133 おおらかがいっぱい
2005年06月21日(火)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学4日目
2002年06月21日(金)  JUDY AND MARY
1998年06月21日(日)  カンヌ98 2日目 ニース→エズ→カンヌ広告祭エントリー


2015年06月20日(土)  舞台「残夏-1945」公開稽古を観ました!(続く)

手話を学び始めて3年目。
聴こえない人とつながるための手話は、ご縁をつなげる引き寄せ名人でもある。

瀬戸内国際こども映画祭の立ち上げのときに出会った野崎美子さんから演出する「残夏-1945」のメールが届いたのは、手話講座の帰り。「聴こえない国の俳優と聴こえる国の俳優たちとのバイリンガル上演です」とあり、これは観なくては!と野崎さんに早速連絡。翌週の手話講座で時間をもらって告知をしたところ「これは手話劇ですか?」と受講仲間から質問が。内容をよくわからないままではうまくおすすめできない、と今日の公開稽古を見学させてもらった。

舞台はよく観に行くけれど、稽古場にお邪魔する機会はなかなかなく、ましてや手話通訳付きの舞台稽古を見せていただくのは初めて。演出の野崎さんの言葉を役者さんに伝える通訳さんの手話は、的確で美しいだけでなく稽古場の緊張感に溶け込んでいて、「カッコいい」と見入ってしまった。

タイトルの「残夏」をわたしは最初「ざんか」と読んでしまったけれど、正しくは「ざんげ」。チラシには「聞かせてください。あなたの手に残された夏を」のメッセージが。手に残された夏とは、七十年前の戦争の記憶。長崎で被爆した聾者の母(五十嵐由美子)を持つ主人公の夏実(日野原希美)は、聞こえない母の通訳をさせられることに反発して家を出て、広島で結婚。産まれた娘(貴田みどり)は聾者で、手話を使いたがらない夏実との溝は深まるばかり。聾者の母と娘に挟まれた聴者の夏実の追い込まれぶりは、傍目に見ていてもしんどく、別れた夫(渡辺英雄)のおおらかさがあればと思ってしまう。「取り残された夏実」も略して残夏。

タウン紙の記者として働く夏実がダメ出し連発の後に通した企画が、聾者の原爆被爆体験を取材するというもの。聾者の被爆者役は聾者の砂田アトムさんが演じられるが、稽古の日は手話通訳さんが代役。それでも手話で語られるあの日の広島に、稽古場の空気は一気に重くなり、見学者一同固唾をのんで見守った。

タウン紙の取材を終えた夏実は、母ともう一度向き合うべきだと感じる。「あんたのセラピーのためにお金は出せん」と言い切りつつ、記事になるなら出張させてやるから企画書書けとせっつく編集長(西田夏奈子)が男前!

好きだったのは、ともに聾者だった夏実の母の両親(雫境、大橋ひろえ)とお隣さん(ケガで退役した軍人=宮崎陽介とその妻=西田夏奈子)の関係。聴こえない国と聴こえる国の住人が食べ物をやりとりして心を通わせていくさまに、隣にインド人一家が越してきた幼い頃を思い出した。「お隣さんに持って行き」と母に言われ、お好み焼きや天ぷらをお裾分けに持って行っては、カレーをジャーとかけられた。そのうちに「インドの人たちのカレーは、どんな食べ物にも合うし、そうするのがインド流なんや」とわたしも家族もわかってきた。「うちらはやらへんけど、お隣さんにはあれが正解なんや」と今はやりの「ダイバーシティ」を子どもなりに理解していた。食べ物を分け合って「おいしいね」と笑い合うのは、心の壁を解かす最強の方法かもしれない。

夏実にとっては祖父母にあたる聾者夫妻とお隣さんの、戦時中で物が豊かでないながらも心豊かな日々は原爆投下で破られる。こんないい人たちを、こんなあたたかい暮らしを一瞬で地獄絵に巻き込んでしまった原爆のおそろしさが際立った。

このとき夏実の母はまだ乳飲み子だったから、母の記憶は、後にその母(夏実の祖母)から伝え聞いたものだ。夏実に被爆体験を語る母は、辛い話を聞き出して何の意味があるのかと問う。「地続きになりたい」という夏実の答えが印象に残った。被爆体験、聞こえない世界。そこに身を置くことはできなくても心を置くことはできる。それは、この舞台を上演する「サイン アート プロジェクト.アジアン」(大橋ひろえさんが中心になって設立して十周年!)の心意気にも通じるのではないだろうか。

座・高円寺2(東京)
2015年7月9日〜12日
9(木) 19時開演
10(金) 14時開演/19時開演
11(土) 13時開演
12(日) 13時開演

広島市東区民文化センター大ホール
2015年7月18日(土)13時開演/18時開演 

長崎市チトセピアホール
2015年7月25日(土)13時開演/18時開演 

※長くなったので、一旦アップします。続きはあらためて。稽古の後の懇親会に参加させてもらって出演者の皆さんとお話しできたことなど、ご報告したいことが山盛り!

2010年06月20日(日)  ぶり大根のおねえちゃんのマンマ・ミーア
2009年06月20日(土)  台詞もト書きも日々の生活の中に
2008年06月20日(金)  マタニティオレンジ301 太ももで豆腐うらごし
2005年06月20日(月)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学3日目
2004年06月20日(日)  日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
1998年06月20日(土)  カンヌ98 1日目 はじめてのカンヌ広告祭へ 


2015年06月05日(金)  堺っ子襷リレーで「阪堺電車」映像化

「わが町を映画・ドラマの舞台に!」は、あちこちの自治体で聞かれる声。わが故郷・大阪府堺市も例外ではなく、「堺を舞台にした脚本を募集して、映像化できないか」という相談を受けたのが2012年のこと。多額の費用をかけて劇場公開ご当地映画を作るより、まずは「地元の人たちが堺でシナリオハンティングして、自分たちで脚本を作るワークショップをしてみては?」と提案。

「ドラマティックな町というのは、降ってくるものではなく、住人が自分で何気ない日常の中にドラマを見出して、磨いていくべきでは」という「石ころを宝石へ」の想いから、「ドラマティック堺さがし」と名づけたワークショップ第一弾は「高校生×阪堺電車」。高校生6チームと走る阪堺電車に乗り込んでシナハンし、6本の脚本が生まれました。

>>>2013年12月14日(土)の今井雅子日記

その原形をほぼ活かして、モノローグと6本をつなぐ3人組おばちゃん(里子、和子、市子、頭文字をつなげると「さかい」)を登場させて、今井雅子が1本のオリジナル脚本にし、堺市のサイトで公開したのが2014年の2月。

>>>「阪堺電車」オムニバスドラマ脚本とオリジナル脚本

この脚本を「羽衣国際大学 現代社会学部 放送・メディア映像学科」の村上清身教授のゼミが特別カリキュラムを組んで映像化することになり、6月5日、堺市市役所にて制作発表が行われました。

村上先生、監督を務める3年生4人、ロケマネの3年生、アシスタントディレクターの2年生3人、とともに会見に臨みました。質疑応答、会見の後の囲み取材も盛り上がり、関心を寄せて聞いていただけたことに感激しました。

発言を重ねるにつれ、学生監督達たちの言葉に力がこもり、「私ならこう撮る!」という意気込みが見えてきたのが頼もしく、その後の竹山修身市長表敬では、見違えるような堂々とした受け答えに。得難い体験を積みながら、どこまで伸びてくれるか、楽しみです。

その一方で、自治体の自己満足に終わらないものを「発信」していかなくてはという思いも強くしました。学生達の手作りを言い訳にせず、技術はプロに及ばなくても、プロにはない熱量で圧倒するものを作ってほしいと心から願います。それは若いエネルギーであり、枠にとらわれない自由さであり、二十歳の今ならではの世界観だと思います。

映像作りに参加することがゴールではなく、この作品を通して、作品の向こうにいる人たちに何を届けたいか、監督一人一人の思いをのせて、思いきり暴れてほしい。遠くに住む親戚のおばちゃんのような目で、「阪堺電車」と作り手たちの成長を見守っています。

高校生が作った脚本を、わたしがつなげて、大学生が映像化。新旧堺っ子の襷リレー作品「阪堺電車」の行方に関心を寄せていただけたらうれしいです。
>>>堺市ホームページ内「阪堺電車」制作ページ(メイキング日誌があります)

ドラマティック堺さがしワークショップ、第二弾は昨年「中学生×堺市博物館」で実施。第三弾はこの夏、小学生と行う予定です。わが町をドラマの山にするかドラマの持ち腐れにするかは自分次第。そのことに気づくドラマティックハンターを育てていくことが、ドラマティックな町を作る。そんな「石ころ式」の輪が他の市町村にも広がっていくといいなと思います。

2010年06月05日(土)  野菜が食べたい
2008年06月05日(木)  マタニティオレンジ297 Macで『たまアルバム』作り 
2007年06月05日(火)  『風の絨毯』の中田金太さん逝く
2005年06月05日(日)  2人×2組の恋の映画『クローサー』
2004年06月05日(土)  『ジェニファ 涙石の恋』初日
2002年06月05日(水)  シンクロ週間


2015年05月25日(月)  その気迫を原稿にぶつけて!(第40回創作テレビドラマ大賞 公開講座)

5/16に渋東シネタワーにて行われた「第40回創作テレビドラマ大賞 公開講座」のレポートが日本放送協会のサイトに。
>>>こちら

今井雅子の講演も紹介されています。

「脚本はラブレター」と題して、20分ほどお話をしました。

目の前にそびえるデビューの壁。
高い壁をよじ登って越える人、どこかにあるドアを見つけて蹴破る人、鍵を探す人……人によって取る方法は様々ですが、「これ書いた人の顔を見てみたい」と向こう側からドアを開けさせる方法もある、そんな話をしました。

登壇前に雑談していた羽原大介さんに「講演は慣れてます」と豪語していたくせに、マイクを台から外して手に持った途端、手がぶるぶる震えていることに気づき、焦りと動揺で震えが止まらなくなりました。

受講生の皆さんの食い入るような眼差しに緊張してしまったようです。

わたしの後に登壇された中島由貴さん(NHKドラマ番組部チーフディレクター)は「ドラマ現場が求める脚本/脚本家」と題して。「余白とは、見ている人が気持ちを寄せられるスペース」 という言葉が印象に残りました。

羽原大介さん、中島由貴さんと堀切園健太郎さん(NHKドラマ番組部チーフディレクター)とのトークセッション「大賞をとれる脚本 とれない脚本」 (司会は吉村ゆうさん)は、参加しているわたしにとっても刺激的で、自分で自分に喝を入れているような感覚を味わいつつ、コンクール応募時代の感覚を思い出していました。

自腹を切って、何か盗んでやろうと前のめりな受講生100人分の熱量たるや相当なものでした。

この感じ、どこかで…と記憶をたどると、遠い昔に参加した橋田財団主催のシナリオ講座。

ライバルに勝つためには、まず自分を乗り越えること。
コンクールという目標を得て、今までの自分が書けなかった最高の作品を生み出してほしい。
たとえ賞を取れなくても、その作品が書けた自分を誇らしく思えたら、その先にいつか賞を取れる日が来ると思います。

2012年05月25日(金)  ♪わになっておどろう〜絵本『わにのだんす』発売
2011年05月25日(水)  「パンとエスプレッソと」と出版とドラマとケータイ小説と
2010年05月25日(火)  ちゅるのまわりにアイスがいっぱい
2009年05月25日(月)  「一週間は日曜日からか月曜日からか」の不一致
2008年05月25日(日)  カレーパーティ当日
2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地
2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか

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