三楽の仕事日記
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2005年03月31日(木) 平成16年度最終日

 出勤。ゴミ袋の山の運び出しお手伝い。年度末文書処理。9:15長江さんの御尊父告別式のお手伝い、参列。帰校。ふたたび文書処理。明日の運営委員会&職員会議の段取り。「平成17年度教育活動開始にあたって願うこと」を執筆、印刷。校長職2年目でやはり余裕あり。1年前の今日、ドキドキしていたことを思い出す。

 「光ヶ丘中学校2005」最終打ち合わせ。4月半ばには確実に発行できそう。もっともあと3ページの原稿次第。土日勝負。

 校長室机の整理。わずか1年でけっこうな量の文書。学校日誌をエディコムマネジャーから打ち出して綴じ。再び文書決裁。整理。これで16年度が終了。
 
 校長職2年目スタートを前に「いい学校の選び方」にあった「校長に求められる新しい役割」を再読し、メモする。
・ 教えることに関するリーダー
・ 学び続けていることをモデルで示せる人
・ 親に対する情報提供者/教育者
・ ネットワーカー
・ チア・リーダー
・ 学校のビジョンを教職員や生徒や親も巻き込んでつくれる人
・ 管理人
・ インテリア・デコレーター
・ コーディネータ
・ 生徒を熱愛しているおじさん、おばさん
 ここのところ、ふっきれるものがあり、他を気にせず、進めるだけ前に出てみるという決意あり。 

 NHKわくわく授業を見る。授業名人「斎藤喜博、大村はま、荻須正義」の3人の方の授業力分析。堀田先生が明快に解説。特に「手をかける段階から、目をかける段階」というコメントが気に入った。
 
 ある方から校長職1年目終了にあたって温かいメールをいただく。「1年でも長く玉置政権が続くことを願ってやみません」と書いていただいた。元気をいただく。

 一度寝て、夜中に起きる。そして学研NEW「授業のツボ」6月号原稿書き。


2004年03月31日(水) 挨拶まわり
2003年03月31日(月) 平成14年度終了日

2005年03月30日(水) 人事異動新聞発表

 人事異動が新聞発表された。我が校にとっては大きな異動。配膳員さんを含めて11名が転勤。光中を長年支えてきた多くの職員を送り出すことになった。そしてスクールサポータを含めて12名の方が光ヶ丘中におみえになる。

 特に僕にとっては、西川教頭さんや木村教務さんが出られるのは、阿吽の呼吸で互いにやれるようになってきただけに少々辛い。しかし、4月からは西川校長、木村教頭となるわけで、とても喜ばしいこと。さらに大城小、篠岡小と同地区の管理職。こうなったらあれこれ互いに手をとりあって、WIN&WINの精神を忘れず、いい教育をしたいものだ。すでにそんな動きもあって、またまた楽しみが増えた。

 教育長だよりが更新された。今回は「人事担当者の眠れない夜」。アップ日を見ると新聞発表前日。そして、次の一文。
異動する立場の先生から見ると、不満も多いと思います(人事は、一般にそういうものだとも言われます)。 
 人事は一般にそういうものだとも言われます・・・。どこまでも深く読んでしまう一文。

 14:00育英資金贈呈式に参加のため市役所へ。終了後、市役所で昨日のコンピュータ整備検討会議で話題にした動画・静止画インストールの件で相談。

 再び学校へ。愛教大の志水先生から夏の研修会講師の依頼電話。志水先生と広島まで一緒に行くことになった。職員からいくつかの報告を受け、労をねぎらう。今日も机上に積まれた文書決裁をせっせと。光ヶ丘中モバイルサイトの入力開始。

 退校。小牧市交響楽団理事会・役員会出席のため公民館へ。中座して、長江先生の御尊父の通夜へ。お手伝いをして帰宅。やらなければいけないことがいっぱいあるのだけれど、どうも気力は下降気味。あきらめて寝る。明日、勝負。


2004年03月30日(火) 異動発表される
2003年03月30日(日) 早起きと思いきや

2005年03月29日(火) コンピュータ整備検討委員会最終局面

 9:00市役所で「コンピュータ整備検討委員会」。9月導入のノートコンピュータ仕様検討。いろいろな視点が絡み合って一時期紛糾。再度、原点に返って整理。最終的には考えられるベストの提言ができたと自負。

 学校に戻って、年度末に関わるかなりの量の文書決裁。「光ヶ丘中2005」の原稿再チェック等。4月からの学校HP携帯サイト、子ども用HP立ち上げの相談。現状より確実にバージョンアップできそう。新年度いいスタートが切れる!

 夜、あれこれ思いつくものがあり集中できず。月末〆切の原稿も進まず。


2004年03月29日(月) 思いっきり整理!
2003年03月29日(土) どんよりした土曜日

2005年03月28日(月) いよいよ大詰め「光ヶ丘中学校2005」

 出勤するなり、重要な相談事あり。まず指示を出す。さすが年度末、人事異動に伴う書類多数。確認しながら捺印。これでけっこうな時間が過ぎる。派遣文書作成。いくつかの連絡メール。

 学年・学級・教科経営反省を読む。それぞれが実に多彩な取組をしていることがよく分かる。来年度は今年度より、もっと職員の活動を様々なメディアで紹介していきたい。ぜひ多くの方に知っていただきたい。

 僕が「グループウエアの積極的な活用を」と呼びかけた管理職メールで、誤解を生むかもしれないという指摘を受け、納得。さっそく追加メール。校内無線LANの実験に業者さん来校。付き合って情報を仕入れる。「メディアとのつきあわせ方学習会」にさっそくの反応あり。電話もいただく。光ヶ丘小校長にも連絡。「実は東京でメディアとの・・・」と話した途端、「読んでいるよ」という返答。一から話す必要なしの会話は日記の効用。ありがたい。

 「光ヶ丘中学校2005」の原稿書き。学校組織や年間行事をまとめる。いよいよ最終局面。4月半ばに完成、配布をめざす。

 朝の相談事の続き。様々な観点から検討。担当と相談。対応の指示を出す。いくつかの電話連絡。学校HPの問い合わせもあり。「実践事例アイディア集NO.13」(日本教育工学振興会発行)が発行されたとの連絡文書。ここにも我が校HPの取組紹介あり。学校HPにも紹介。

 帰宅。月末〆切の原稿をいろいろと考える。ひさしぶりに振気HP更新。「光ヶ丘中学校2005」の追加原稿を再び書く。もう一山超えるだけだ。


2004年03月28日(日) あれもこれも
2003年03月28日(金) 早朝から原稿書き

2005年03月27日(日) 米朝一門には何か・・・

 いくつかの問い合わせメールあり、その処理。そして書類整理。あちこちのブログに昨日の「メディアとのつきあい方学習セミナー」の感想あり。なるほどと思いながら読む。

 北里市民センターの「米朝一門・上方落語会」に出かける。この会は昨年11月の「吉朝&地獄企画」が演者の体調不調により流れたその代わりのもの。それなら、雀三郎、千朝、小米朝の3人の味を楽しんでもらいたいという僕のリクエスト?が叶ったもの。ところがである。今度は小米朝さんが名古屋まで来て体調が不調になったとのこと。なんということ!楽屋で「米朝一門はたたられていませんか」と思わず言ってしまった。会そのものは、雀さん2席、千朝さん、まん我さん1席で、もちろん充実した落語会。小米朝さんの落語が聞けなかったのは残念だけど、お客さんは満足だったはず。すっかり主催者側に気持ちがなっている自分(笑)。

 学校HPに、PTA新聞で掲載した「夢を膨らませる存在」をアップ。
 
 昨日のセミナーに刺激を受け、光ヶ丘中学区の皆さんを対象に「メディアとのつきあわせ方学習会」を開くことを決意。提唱者の堀田先生に相談。新年度の新事業が一つ決まる。

 第20回パチンコ大衆文化・福祉応援賞に「小牧落語を聴く会」として、ダメもとで応募することに。資料10ページを添えて応募文を書き上げる。運が転がってこないかなあ。こういう場合は「無欲の勝利」と何度も唱える。すでにダメだよね、この気持ちは。


2004年03月27日(土) オフ日にはならず
2003年03月27日(木) う〜ん、この忙しさはなんだ!

2005年03月26日(土) メディアとのつきあい方学習セミナー

 「メディアとのつきあい方学習セミナー」参加のため東京へ。全国から70名ほどが参加。実践発表、ワークショップ、講演の3本柱メニュー。僕の一番の関心事は新学期早々に開催したい保護者対象の「子どものメディアとのつきあわせ方学習会」のネタ探し。

 3つの実践発表からはメディつき学習の具体化を、ワークショップでは参加者自身が動くことでイメージ化を そして堀田先生の講演「はじめよう!メディアとのつきあい方学習」ではメディつき学習の価値と必要性をしっかりとつかむことができた。おかげで保護者向けの学習会のイメージも徐々に固まってきた。予定通り16:30終了。

 もう一つの仕事(笑)、初めて浅草演芸ホールに出かける。超満員といってもいい状態。初めは床に座っての鑑賞。いつものネタながら「たい平」は絶好調。あとは・・・。小牧落語に来てもらう落語家さん探し難航。

 行き帰りの列車の中で「ネット依存の恐怖」(著 牟田武生)を読む。ひきこもりの精神分析等、なるほどと思う内容がずらり。ますます「メディアとのつきあい方学習」の必要性を感じた1日だった。


2004年03月26日(金) 拡大企画委員会
2003年03月26日(水) 企画委員会と教師力向上の手だて

2005年03月25日(金) 転任者等事前説明会

 出勤。昨日に続いて「新組織に期待する」を執筆。転任者への配付資料準備。僕の人となりを分かってもらうために、これまで書いた原稿もセットして配布。
 
 9:00より説明。「私の学校経営はちょっと変わっているかもしれません」から始まって、「学び続ける生徒の育成」を掲げている以上、「教師こそ学び続けなければいけません」「授業をよくするためなら学校は何でもします。私は何でも支援します」など、自分が考える学校像を話す。力量に応じた校内研修プログラムも実施すると宣言。地域から厚い、そして熱い支援があることも付け加え、仲間入りを記念して、光ヶ丘中オリジナル名刺を渡す。

 校内見学をしてもらった後、個別にミニ懇談。スクールサポータさんや心の教室相談員さんには、4月からの新システム運用について思いを語る。

 13:00運営委員会。2時間30分ぶっ通し。ほぼ4月からの学校組織が固まる。「一役一人制」「他校にはない新組織がずらり」など、玉置流と言ってもらっても良い組織が固まった。もちろん、教頭さんや教務、校務さんのアイデアも大きい。

 打ち合わせで外出。再び学校に戻って事務仕事。一つ終わると、これもやりたいという気持ちが出てくる。どこかで押さえなくては。

 夜はちゃむチン家の皆様と牧中の石、紅、樋先生と飲み会。いいお酒。歩いて帰宅。明日は東京で「メディアとのつきあい方学習セミナー」。しっかり学んできたい。ネタ探し。

 


2004年03月25日(木) 新体制の準備
2003年03月25日(火) 早朝からフル回転

2005年03月24日(木) 修了式

 早いもので新任校長として光ヶ丘中に赴任して1年。今日は修了式。子どもたちには「ありたい自分、なりたい自分の姿を描け」と式辞でメッセージ。すぐに学校HPでアップ。

 4月からは玉置流?の新組織を校内においたために、その説明文「新組織に期待する」を書き始める。

 校内組織再調整。打ち合わせでは、異動のこと、来年度の新体制を簡単に発表。そして1年間学校を、そして新任校長をよく支えていただいたと感謝の言葉。年度末に今年度の活動を踏まえ、次年度の教育構想がしっかり描けたことを評価。

 午後から「第九演奏会」の参加中学生500人(小牧中、北里中、応時中)による合唱練習会で市民会館へ。実行委員の一人として、その練習ぶりを参観。吉川先生のメリハリのある指導で子どもたちの声がグングン出てくる。担当の一人、文化振興課の鍛治屋さんに「よくここまできたね」と労をねぎらう。

 1年間借用してきた書画カメラ等の返却作業。ところが朗報が舞い込む。感謝、感激。

 学校に戻って、文書整理。新組織の説明文は進まず。明日の転任者の事前打合会のための資料作り。プレゼントの名刺作り。

 帰宅。昨日の取材原稿第1弾が届く。若干の意見を添えて返答。説明文書きに向かうが咳が止まらず。早めに横になる。


2004年03月24日(水) 本年度終了
2003年03月24日(月) 息子の入学説明会に出席

2005年03月23日(水) 全職員と懇談終わる

 今日も職員と懇談。来年度構想の相談。今日で全職員と懇談終了。ほぼ組織を固める。4人で詳細な校務分掌の検討開始。

 深夜に送っておいた原稿の受領メールや確認メールが届く。対応をいくつかする。

 昨日アップした学校HPの記事「板取カップ」に対して、さっそく板取中学から感謝メールが届く。

 公立高校の合格発表日。進路主事に状況を確かめる。3年担当の最終業務がいよいよ開始。

 堀田先生、内田洋行の皆さんが本校の学校WEB取材に来校。近々「学校WEB本」が発刊される予定で、その書籍に中学校WEBの好例として本校の実践を掲載していただけるとのこと。また良い機会をいただけた。発刊が楽しみ。今日で今年度の視察&取材は終了。赴任1年目で思いも掛けず、多くの視察や取材を受けることができたのも幸運。

 市役所へ行って資料受け取り。すぐに学校に戻り、関係者へ連絡。次年度の組織図を完成させる。いくつかのメール処理。機材梱包。資料整理。

 帰宅。睡眠不足のため体がしんどい。一時、横になる。起きて修了式の式辞を考える。
 


2004年03月23日(火) 石のいれかえゲーム
2003年03月23日(日) 三連休とも仕事

2005年03月22日(火) 不審者対応訓練

 正門付近にはかなりの量のゴミ。ビニル袋5袋分程度にも。家庭でのゴミまで捨てられている感じ。清掃に朝からかなりの時間がとられる。

 市役所から電話。3年生が総合の時間で製作したバス停などに設置したベンチに対して、安全面などで指摘メールがあったとの連絡。なるほどといった内容。すぐに3年生職員と動き、とりあえずやれることをやる。

 昨日のフォーラムでの堀田先生のプレゼンを見ながら、今後の構想を考える。今日も来年度のことについて何人かの職員と懇談。話し合ってみると、新たな視点に気づく。本当はこういう時期だけではなく、日常的にできればいいのだが、よけい多忙にしてしまっては・・・。やはり難しい。

 再び楠葉西中学校から視察。今日は職員室グループウエアの概要、運用、教室ネットワークのあり方についての研修。2時間ほど対応。最後は大竹さんにも全体管理やスクールネットの対応を依頼。楠葉西中のアクティブさには驚く。やはり岩谷校長の手腕によるところが大きい。

 学校HPネタ原稿調整。いくつかの電話対応している間にログアウトで原稿消滅。しまった!

 15:30勤労センターで警察主催の「不審者対応訓練」に出席。バットや刃物をもって襲ってくる犯人に机や椅子で防御する実地訓練。訓練でも机や椅子はボロボロ。このようなことを訓練しなければならなくなったこの国。日本はこの先いったいどうなってしまうのだろう。

 帰校。ふたたびいくつかの文書処理。熱中していると、中川校長から18時30分に「校長会歓送迎会なのですが・・・」という電話。大汗。すっかり頭から抜けてしまっていた。大急ぎで会場へ。校長職ならではの会話が続く。少し気も休まる。

 再び帰校。学校HPアップ用の「板取カップ」の文書作成。顧問の西村さんにも確認をとってアップして帰宅。

 昨日のフォーラムや僕のことに関して、成田先生中川先生などがアップされていた。もちろん堀田先生も。いくつかの感想メールも届く。みなさんに感謝。

 「校長の仕事日記」6月号の原稿書き。なかなか集中できず、出来上がったのは深夜3時過ぎ。続けて「指導と評価」のコラム執筆。早朝に最後の仕上げをして編集者にメールで送付。


2004年03月22日(月) 山は越える
2003年03月22日(土) 志水塾とNPOのKEC

2005年03月21日(月) IT活用による元気な学校づくり2005

 久しぶりに5時起き。「IT活用による元気な学校づくり」で発表のため、7:08のぞみで名古屋から品川。東京流通センターアールンホールへ。

 光ヶ丘中は、第1部で学校HPの取組を発表。まず我が校HPの簡単な紹介。そして簡単アップツールを使って実際のアップ作業を見せる。コーディネータ堀田先生の質問のおかげで、HPの特徴を上手にクローズアップしていただけた。そして教頭さんのなんとも言えない良い味が会場全体に伝わって、300人ほどの皆さんもにこにこしながらプレゼンを見ていただけた。また、おやじの会代表の前田さんは僕の日記までを紹介、そして地域コーディネータの森澤さんも「学校はPRを積極的に」という意見も出していただけた。融合研の宮崎先生のまとめ、そしていつものように的確な締め(プレゼン参照)をしていただけた堀田先生のおかげで、とても満足なパネルディスカッションとなった。

 続いて地域立学校として有名な五反野小学校の三原校長のプレゼン。学校改革にITを上手に使っている実践を元に僕と神戸さんと3人で話し合い。仕切役の大西さんは、さすが五反野小も小牧中も光ヶ丘中もかかわってみえるだけに進行も的確。こちらも満足のいく時間となった。

 午後は小牧中の基礎基本&ITの実践発表、教育コンサルタントの後藤さんによる岡山の中央中学校のUプリント実践紹介も織り込んでのパネルディスカッション。そして情報交換会。ここでは個人情報に関する質問が続いた。あまり神経質になりすぎてもと思うが、今の時代、致し方ない。夕方から懇親会。光ヶ丘中に転勤してわずか1年で、このフォーラムに参加できる学校になるとは思ってみなかっただけに、とてもおいしいお酒となった。

 品川から名古屋へのぞみで。車内はおやじの会HPの相談会。ちょっとしたハプニングもあったが無事1日終了。味岡駅までは教頭さんと一緒。学校運営についてミニ会議。23時過ぎ、帰宅。〆切原稿には手がつかず。



2004年03月21日(日) 今日も出勤
2003年03月21日(金) IT活用による元気な学校づくりフォーラム

2005年03月20日(日) いい学校の選び方

 「いい学校の選び方」(著 吉田新一郎)を読了。「校長に求められる新しい役割」の記述は、自分なりにそうありたいと意識していることばかりだった。校長2年目を迎えるにあたって、勢いをつけてもらった感じ。また一つ次年度のアイデアが浮かぶ。

 本を読んでいる時間以外は、終日、部屋の清掃。本棚がいっぱいなため、本の整理して某古書店に持参して換金。

 夜は「校長の仕事日記 HP交流録」6月号を執筆。半ばまで書き、横になる。明日は5時起き(汗)。7時にはのぞみで東京へ。


2004年03月20日(土) やってもやっても・・・
2003年03月20日(木) 小学校卒業式

2005年03月19日(土) 市之久田公民館まつりで落語

 午前中は学校で。各種事務仕事。電話もなければ来客もないので、仕事がはかどる。

 午後は市役所出前講座講師として依頼をうけた落語公演のため、市之久田公民館へ向かう。ところが市之久田付近にきても公民館の位置が分からず。あちこちで訊いて、公演5分前に到着。さっそく着替えて高座へ。まくらはギリギリに着いたことをふって「急いでいる人に聞いた方が早い」という即席の話。これが受ける、受ける。その話題だけで10分ももつ。いつもの小咄でさらに会場をほぐして「子ほめ」へ。お約束の45分間の高座。満足。

 着替えていたら「会場のみなさんが先生の歳を聞きたいって・・・」と観客代表?のおじいさんからご質問。「48歳です」と応えると「やっぱり若いねえ、あと10年以上も校長先生ですね。そりゃあ、大変だあ、今の学校は難しいからねえ」と気が重くなる話(笑)に展開。もう一人、楽屋にお見えになった方は「去年も先生の落語を聞いたよ。この間、卒業式の新聞記事に先生出ていたね。あっ、落語先生だとすぐに分かったよ」と。喜んで良いのか・・・。

 「成功の教科書」(著 原田隆史)読了。つづいて副島教育長お勧めの「いい学校の選び方」を読み始める。


2004年03月19日(金) 歌える学校のよさ
2003年03月19日(水) 忙しさの2乗

2005年03月18日(金) 学校地域コーディネータ活動情報交換会に出席

 昇降口清掃。堀部先生といつものように会話。毎日、様々な視点を与えてもらえるとても良い機会。

 隣の光ヶ丘小学校卒業式列席。門出の言葉では、6年生は移動して全員がひな壇に登り、どの子も顔もしっかり見える状態。はきはきした呼びかけ、しっかりした歌でとてもよい卒業式。

 職員に来年度の校務について相談&依頼&説得。もっとも校長らしい仕事とも言える。四月当初には再度この思いを文章にして伝えるつもり。僕の思いを分かってもらえば、あとは任せきりたい。他校にない新たな仕事をぜひ楽しんでやってもらいたい。

 コスモトピアさんが学習相談室のシステムのインストール作業に来校。のべ6時間ほどで完了。いよいよあとは人間がいかに血を通わせるかだ。どんなシステムも結局は人間次第。

 選択音楽ではミュージカルに挑戦したとのこと。連絡を受けて、その発表を参観。3人の男子がとてもいい味を出していて、中学生でもわずかな練習でここまでできるのかとびっくり。教頭さんがさっそく学校HPにアップ。

 新入生の保護者から相談あり。思いをお聞きして、考えられる対応をお話しする。今後もきっちりとコミュニケーションをとっていくことを確認する。

 学校地域コーディネータ活動情報交換会に出席のため市役所へ。配置1年を終えての教育長の考えを聞く。そして各校の1年と今後についての情報交換。我が校のコーディネータの森澤さんも言ってみえたが、本当に各校の色がある。これはこれでいい!という教育長の考えで、どの学校も安心したことと思う。正直なところ我が校の歩みこそ・・・とも思うのだけど。

 教育委員会へ書類提出。課長に「えらいさわやかな顔しとるなあ」と一言。顔だけでもさわやかな雰囲気を漂わせておかなければね。この時期、校長は考えることばっかりで、意識していないと自然に渋い顔になってしまうからね。

 エドウェルさんが機器をもって来校。21日の「元気な学校づくりフォーラム」の機器最終チェック。教頭さんといきなり本番を想定したプレゼン練習。いきなりでギャグがいつくかできる!まちがいなく見て聞いておもしろいプレゼンになるに違いない。自信あり。堀田先生のHPでも紹介あり。定員の300人の参加も確実とのこと。わずか1年で東京でのフォーラムに立てることになった我が校のこの1年。まさに念ずれば叶うのだ。

 帰宅。学校HPのカウンタが3月上旬からおかしいことが判明したと連絡あり。おかしいのは最近だけだと思っていたので、えっ!という心境。しかたない。1日平均1000アクセスとのこと。1000でも喜ばしいこと。

  


2004年03月18日(木) 市P連新旧母親代表研修会
2003年03月18日(火) 体が重い

2005年03月17日(木) 来年度構想検討終わり

 今日も昇降口清掃。午前中のほとんどの時間は、何人もの職員と4月からのことについて相談。午後は「小牧市情報教育IT推進委員会」のため市役所へ。IT実施計画、ネットワーク運用手順書について協議。急いで帰校。職員会議。年度始めの行事について検討。つづいて総合的な学習、体育祭や朝の自主練習のあり方について協議。今日で来年度構想検討も終了。あるところから僕が書いたレポートがとても役立っているといううれしい連絡がいただけた。学校HPのカウンタが異常に上がってしまった原因が判明したとの連絡あり。1日3万近いアクセスはいくらなんでもおかしい。原因が分かってなりより。


2004年03月17日(水) 高校から視察
2003年03月17日(月) 新しい学校づくりプレゼン

2005年03月16日(水) 来年度の校内組織検討

 昇降口清掃。三寒四温とはよく言ったもので今日は暖かな朝。登校指導でちょっと遠出。

 定時制出願書類について高校と相談。昨夜考えた校内組織案、再熟考。プリンタ使用状況について報告&懇談。4人で1時間ほど校内組織検討会議。あっという間に午前中終わる。

 午後は生徒会選挙立ち会い演説会。その後、4人で再び来年度の校内組織検討会議。のべ4時間ほど。午後もあっという間。夕刻から仕事中の職員とちょっぴり相談。

 代車のBMW118で快適に帰宅。学校マネジメント4月号が届く。連載「校長の仕事日記HP交流録」が掲載。


2004年03月16日(火) 少人数授業を生かすには
2003年03月16日(日) 昨日に続いて休みとはいえ・・・

2005年03月15日(火) う〜む

 生徒会選挙に向けての立候補者PRを聞きながら、ひさびさの昇降口清掃。いくつかの文書決裁。連絡、調整。

 2時間目。野村さんの数学授業に参加。コンピュータを活用した回転体の授業。「身の回りから回転体を探し出すときの目の付け所は?」という発問に対して、興味深いいくつかの意見が出る。

 家庭教育新聞社の渡辺さん来校。環境プロジェクトの相談あり。コンセプトが今一歩はっきりしていない、交流の意図が不明確、テレビ会議の必要性があるのだろうか等々、率直に意見を述べさせてもらう。喋りながら新たなアイデアが生まれてくるから不思議。

 午後は奥村写真館に行って「光ヶ丘中2005」表紙の写真相談。そして市役所へ。校長会議。う〜む。帰校。資料整理。相談。PTA会長宅、地域コーディネータ宅に寄って帰宅。

 昨年あちこちで話をさせてもらったが、検索してみると、少しずつ紹介されていることが分かった。福井県ではここ、一宮ではここ。感謝。

 今日もあれこれ来年度構想。「成功の教科書」(著 原田隆史)を読み始める。


2004年03月15日(月) 来年度の校内組織の検討
2003年03月15日(土) なかなかのんびりとは・・・

2005年03月14日(月) いい人との出会いがいっぱい

 昨日の「こどもとおとなの環境会議」のお礼を管理職メールで流す。また記録アップも紹介。

 10:00NTTコミュニケーションズさん来校。新機種のデモを見る。授業を豊かにするツールとして興味深い機種だった。 

 12:00暫定版「光ヶ丘中学校2005」の原稿最終校正。14:00に印刷所に入稿予定と聞き、手分けして必死に原稿読み。いくつかの校正をお願いしてメールで最終依頼。これで3月21日のフォーラムでみなさんに手渡せる。

 いくつかの文書処理。文書作成。依頼を受けた『子どもと一緒?おやじの活動事例集』の資料を整える。資料の中心はおやじの会の活動。学校HPにこの1年間の様子はほとんどアップしてあるためにその一覧を作っただけ。それだけでもかなりの量の資料。編集にメールで送付。また一つ我が校の取組が紹介される。ありがたい。

 18:00イノベーションアソシエイツの河北さんと脇さんと懇談。河北さんは「教師力アップのためのコーチング入門」等を書かれている人材開発コンサルタント会社の代表取締役。自分のかかわりで個人やチームが変容していく姿を見る喜びを語られたときの笑顔が実に印象的。教師の仕事もまさにそのとおり。「日本の教育は変わりますよ、変えましょう」と力強く言われた脇さんからもエネルギーをもらった。

 21:00地域のMさんが栄転で「お祝い会」に遅れて出席。笑いが絶えないとっても心温まる会。地域に学校は支えられ、僕自身も大いに元気をもらってきたことを実感。地域と学校との一番の橋渡し役のMさんが遠く離れられるのは実に寂しいこと。いたしかたない。ますます地域と学校との融合を進めなくては!それが僕の役目と自覚。会の中で卒業式の式辞がよかったという声もいただき、うれしい気持ちで帰宅。いくつかのメール処理をして横になる。


2004年03月14日(日) こどもとおとなの環境会議
2003年03月14日(金) 二日間空けると山のような書類

2005年03月13日(日) こどもとおとなの環境会議2005

 早朝から「環境会議」のプレゼンデータを念のためにもう一つのコンピュータへコピー。機器も積んで、10時まなび創造館へ。

 エコネットメンバーで打ち合わせ。11時からリハーサル開始。僕は子どもの発表関係の担当。リハも順調。13時30分から「こどもとおとなの環境会議2005」本番。今年のテーマは「環境ISO」。各校の発表、企業の取組紹介、特に田邊空気さんの取組はインパクトがあった。地区の問題。そして話し合い。予定通り、15時30分に終了。残念ながら観客はすくなかったが、教育長をはじめ学校関係者の参加に支えられ、良い会となった。片付け後、反省会をして帰宅。

 「今日中にやらねば、気持ちが萎える」と肝に銘じて、4時間ほどかけてHP作成、アップ。自分で言うのもなんだけど会議の雰囲気がよくわかる力作。来年度の校内組織について熟考。疲れて早めに横になる。


2004年03月13日(土) 元気な学校づくりフォーラム
2003年03月13日(木) 池田小から三好郡教育ネットワークセンター

2005年03月12日(土) 鎌田實&小室等の会へ

 こんなことは久しぶり。目が覚めたら、昨日考えた問題のすっきりした別解法が頭に浮かんでいた。自分に感激!さっそくメモ。

 そして「光ヶ丘中学校2005」の原稿校正開始。半ばまでできたところで所用を済ませて、岐阜羽島文化センター「鎌田實&小室等 自分らしくいきる おはなしとうた」へ。

 地域医療のモデルと言われる温かい病院を作ったり、チェルノブイリで何度も医療活動をしている鎌田實さんの話は、書籍「がんばらない」「あきらめない」で読んでいた話が多かったけど、やはりライブは違う。涙が何度も流れ落ちた。自分らしく生きるとはどういうことか!重度の障害を持っても自分を失わない人の強さ、余命3ヶ月と言われても、あくまでも「ありたい自分」を追い求める人の強さに感動した。「がんばらない」けど「あきらめない」。あらためて良い言葉だと思った。小室等さんの歌も久しぶり。人生を重ねてきた人の歌の重みをしっかりと感じた。

 奥村写真館に出かけ「光ヶ丘中2005」表紙写真の相談。帰宅して再び原稿校正。ようやく送付。すぐに受領のレス、最終校正の連絡。こちらが予定通り進めなかったために多大な迷惑をかけていることが本当に申し訳ない。反省。

 「校長がかわれば学校が変わる」(著 久保田武)読了。ビジョンや戦略など学ぶことが多々あった。しかし、先日読んだ「熱血!ジャージ校長奮戦記」と同様、高校の学校経営は小中とはかなり違うと思った。いかに校長VS教員を乗り切るか、双方ともそんな印象を持つ本だった。もちろん「校長次第で学校は変わる」というのは納得させる本だった。

 今日の学校HPには、卒業式での式辞をアップ。1日のアクセス数最高記録「8047」を達成。
 


2004年03月12日(金) 環境会議のための仕込み
2003年03月12日(水) 鳴門教育大学附属中にて

2005年03月11日(金) 公立高校入試Bグループ

 朝刊に掲載されていた公立高校Bグループ入試の数学を解く。ここ数年、複合的な問題の割合が多くなって、より確かな思考力が必要な問題が多くなった。いい傾向。ただ40分の試験時間はちょっとつらいかもしれない。(誰もが同条件なわけだから問題はないのだけれど。)また、けっこういい問題だから、本当はゆっくり問題を楽しむといいけれど、Aグループ入試を控えている受験生はそういう気持ちにはなれないだろうね。もっともAグループ入試も同様な傾向なはず。漫然と最後の追い込みをするより、この問題に再度取り組んでおいた方がいいと見た。

 「compusセミナー2005in鹿児島」の打ち合わせに担当の方々が来校。4月23日はセントレアから初フライトで鹿児島。立派な案内HPもすでに立ち上がっていた。僕は「ITを活用すると学校はこんなに元気になる!」というタイトルで講演。

 HP担当が本校を視察されて「我が校も毎日HP更新に挑戦します」と帰られた鷺沼小ホームページがその通りになってきた。うれしくなって宮崎稔校長先生に電話。

 今日も数人といくつかの相談。たまっていた文書処理。13日の「こどもとおとなの環境会議」の機器準備。コンピュータ研究委員会の事業完了報告書完成。講師さんの任用文書整える。提出。

 帰宅。「光ヶ丘中学校2005」のレイアウト原稿が届く。拙い原稿をプロによる編集、子どもの4コマ漫画、イラスト等々で、とてもいいものにしていただいたことに大感激。3月21日のフォーラムでは簡易印刷で参加者に配布。正式版は4月発行予定。さっそく原稿チェック開始。


2004年03月11日(木) 集金未納宅へ
2003年03月11日(火) いよいよ授業もまとめの段階へ

2005年03月10日(木) 4コマ漫画送付で苦労

 学研NEW4月号の拙稿「ぐぐっと押さえる!授業のツボはここだ!」を紹介。学研HPでは次のように紹介されていた。「この連載では、毎月小牧市立光ヶ丘中学校の様々な授業をもとに、それぞれの授業の「ツボ」を紹介します。「授業のツボ押し名人」、玉置校長が伝授する数々のツボをマスターして、あなたの授業力をさらに高めてください」。思わず原稿書きに力が入るコピーに感謝。この4月号は原さんと野村さんの授業紹介。

 ご迷惑をかけっぱなしの「光ヶ丘中2005」編集。今日中に「4コマ漫画」送付の約束。子どもたちから届いた4コマ漫画をスキャナでとって編集・・・これがうまくいかない。何度も試みるがコンピュータは今時めずらしいフリーズ状態。最後は相談をして、そのまま送付させてもらうことにして、やっと一歩前に進んだ。なかなかおもしろい4コマ漫画が揃ったことはなりより。しかしこちらの処理がまずいため、向こうに迷惑をかけるだろうなと冷や汗。

 21日東京でのフォーラム「IT活用による元気な学校づくり」打ち合わせ。会場レイアウトや進行について最終確認。300人ほどの参加があるとのこと。今回は1日日程となったが、内容は多彩で、確かな実践に基づいた発表あり、名コーディネータの堀田先生の采配ありで、1日があっという間に過ぎるに違いない。

 13日の「こどもとおとなの環境会議」のスケジュールが出口さんから届く。家庭への事前連絡も完了報告。我が校のプレゼン写真も子どもが撮ってきて完了。あとは参加者数だけが大いに心配。こどもと大人が話し合うのが趣旨の会だからぜひ大人に応えてほしいと願うばかり。

 前小牧中学校長の山田先生が来校。毎日のように我が校のHPをご覧いただいているようで、うれしい限り。1年の歩みを認めていただき、今後の激励もいただいた。

 今日も次年度のことでいくつか相談。文書作成や処理。学校HPへのアクセスは順調。夕刻から講師さんの書類作り。

 帰宅。「校長がかわれば学校が変わる」(著 久保田武)を読み始める。学校HPで1日アクセス数の最高記録樹立。初の6000台突入。


2004年03月10日(水) 事務仕事に徹する
2003年03月10日(月) いつものように相談事が多い月曜日

2005年03月09日(水) 卒業式写真集アップ

 昨日の卒業式の様子が中日新聞近郊版に載る。校長式辞が「他人から学ぶ向上心と異質なものを受け入れる謙虚さがこれからの時代には必要」と要約されていた。一番伝えたかったことなのでこの要約には感謝。さっそく学校HPに卒業式写真集をアップ。

 さすが年度末、様々な文書作成。文書整理。決裁。そしていろいろと相談で1日が終わる。「こどもとおとなの環境会議」の相談も進む。市教委へ届け物。

 夜はいただいた小三治独演会のチケットを手に豊山町社会教育センターへ。実に久しぶりに聞いた師匠の落語。たった一言で世界を描いてしまう芸のすごさにあらためて感動。それにしても客のマナーが悪い。情けない。残念。師匠に申し訳ない。

 帰宅。いつもの評論家さんから電話。上方落語談義で1時間。いつも僕の耳を耕していただけるMさんに感謝。視点もグッと広がる。学校HPへのアクセスはさすが多い。4000を超えたのを確認。そして24万アクセスも突破!


2004年03月09日(火) やはり手をかけただけ返ってくる
2003年03月09日(日) 学校のネットワーク活用がわかる本

2005年03月08日(火) 卒業証書授与式

 天候にも恵まれ、第15回卒業証書授与式を迎えることができた。ほぼ時間通り、式は挙行。証書を渡すときに「おめでとう」と小さく声をかけたときの子どもたちのうれしい顔が特に印象的。思いだけは誰にも負けない気持ちで「式辞」は読めたが、はたしてどれほど記憶にとどめてくれたことか?幸運にも校長として初めての卒業式に市長さんが列席していただいた。これは自分の記憶に残る。主役の3年生の「出発(たびたち)の言葉」は冒頭から涙。言葉はもちろん歌にも気持ちがよくこもっていて、とてもいい卒業式だった。3年生の先生方は言葉にも表せないほどの思いがいっぱいあるはず。つくづく担任はいいなあと思える卒業式だった。子どもたちが担任に向ける表情がうらやましい。

 昼の打ち合わせで、3年生のこれまでの取り組みに改めて感謝。午後の行事について依頼する。学研NEW5月号原稿校正して返信。

 15:00スクール55掲載予定の「評価」シリーズ収録開始。今回は技術科の評価について。僕が木村さんに聞く形式。ほとんど打ち合わせなしで開始。ちょうど地域コーディネータさんが来校されたので、保護者の立場で収録を見てもらい率直な感想をお聞きする。「とてもよくわかりました」という言葉をいただけ、ほっとする。もっとも僕自身も木村さんの作品を示しながらの解説はよく理解できたし、これなら大丈夫!と思いながら、質問を重ねていたわけだから、「このシリーズはいいよ」と自然に声も出た。

 学校HPにとりあえず卒業式の写真を1枚アップ。自分に楔を打つ意味で「明日にはたくさんの写真をアップします」と書き込む。

 収録にみえた大西さんと懇談。先日の額田中の飛び込み授業の話題から、「復唱法」の活用意図について意見を求められる。コミュニケーションをしながら互いにクリエイティブになる関係は確かに理想。復唱法は意図的に使えば、新たなものを創造するきっかけにもなるはず等々、納得の1時間。そのほか、今、思い描いているものについて相談。話しながら自分自身のイメージもさらに固まってきた。

 帰宅。約束どおり卒業式の様子を明日アップできるように、ホームページ作り。これも、写真を係りが即日、フォルダに整理してくれるからできること。トップページはこれまでにないパターン。2時間ほどで完成。ふっと気づくと、明日中にやらなくてはいけない仕事がいくつか(汗)。


2004年03月08日(月) 外の方がインパクトがある
2003年03月08日(土) 落語鑑賞を兼ねての打ち合わせ

2005年03月07日(月) 卒業式前日

 昇降口掃除。転校する生徒が「僕もお世話になったのでします」と一緒に掃除。

 1時間目はマイタウンマップコンクールの表彰伝達をしたあと、最後の卒業式練習。順調。

 小牧市コンピュータ委員会関連の品物購入のため外へ。「こどもとおとなの環境会議」の進行表書き。司会の出口さんに送るために必死。学研NEWの木島さんの依頼に応えてメール。

 「桃花台百話−まちの40年−」冊子版が届く。想像以上にすばらしい出来。明日の卒業式に間に合って良かった。来賓の方々にも渡すことができる。卒業生からうれしいメッセージをもらう。

 21日のフォーラムで配布する「光ヶ丘中2005」の原稿書きも必死。ファイルサーバーから写真選択も必死。なんとか夕刻には送れる状態となって、メールで送信。随分心配をかけてしまった。でもまだまだ頑張らねば。

 適応指導教室にお礼の電話。警察官見回り、学校教育課長も激励に来校。感謝。

 午後8時30分ごろ、卒業式前夜ということでパトロールの先生方に挨拶をして帰宅。式辞を読む練習を3度ほど。何度やってもどこかで噛む(汗)。卒業アルバムをじっくりと見る。赴任してもう1年。自分だけ時間が経つのが特別早いような気がする。


2004年03月07日(日) 午後から職員室で
2003年03月07日(金) 卒業式当日 小雨

2005年03月06日(日) 第8回こまきあんず交流の広場へ

 起きて学校HPアップ。「こどもとおとなの環境会議」のPR。

 東部市民センターでの「こまきあんずの交流の広場」へ。我が校の3人が第1部でピアノ演奏。メインの第2部はアメリカ大使館報道室の小野原祐三さんの「私の見たアメリカ〜ニューヨークに7年暮らして〜」の講演、第3部は愛・地球博応援タレント川原麻衣さんのトークショー。小野原さんの渡米の思い切りのよさに感心した。道を開くにはそういう面もやはり必要。

 すぐに名古屋へ向かう。桃太郎の擬古典は聴いておきたいと思って丸善寄席へ。開演15分前に到着。行き帰りの電車の中で「経営者、15才に仕事を教える」(著 北城恪太郎日本IBM会長)を読む。これは大人が読んでもよい本。校長の在り方を考える意味でも良い本だった。そういえば昨日の東京往復等で読んだ本「学校評価」(著 金子郁容)は評価にかかる手間や時間を削減する提案には共感。しかし紹介されたツールは先日の足立区フォーラムで見たもの。心は動かなかった。

 おやじの会代表の前田さんから学校HPネタをいただく。すぐにアップ。教頭さんから昨日の怪我の状況は心配ない方向と連絡あり。ほっとする。3月21日東京でのフォーラムの連絡メールをいくつか。市子連での講演依頼あり。再び声をかけてもらってうれしい限り。振気HP自己満足コーナーアップ。


2004年03月06日(土) こまきみらい塾公開講座満席
2003年03月06日(木) 春日台養護学校卒業式に列席して

2005年03月05日(土) マイタウンマップ・コンクール表彰式

 早朝に起きて一仕事。8:47発のぞみで品川、新橋、「ゆりかもめ」(景観good!)で船の科学館前まで。3年1組・2組の生徒と担任の坂下さん、松浦さんとともに。新幹線の中では坂下さんと「総合的な学習」についてあれこれ意見交換。こんなシステムでやったらどうかというアイデアも浮かぶ。11:40頃着。昼食をとって未来科学館へ移動。「第11回マイタウンマップ・コンクール表彰式」に臨む。

 「わかば賞」から始まり、「内閣総理大臣賞」まで1時間20分の表彰式。我が校は「共同通信社賞」。生徒が舞台の上で極端に緊張しているのが客席からもよく分かる。いただいてきた目録の墨字が手の汗でにじんでいたほど。特に感激したのは我が校に寄せられた審査員からのコメント。

 分担して調べた街の成り立ちを、ひとつひとつのコンテンツにまとめることで、学校の在る街の姿(歴史や環境)が分かり易く表現できました。取材をしたものを文章化していく作業の中に、その街に流れた時間のひとつひとつ拾い出すことができたのではないかと思います。

 坂下さんや松浦さんとともに「よくとらえてもらっているね」と感激。内閣総理大臣賞「伊島塩物語」はさすが。課題決め、塩製造、失敗、成功、販売体験などそのプロセスもいいし、島内外の人とのつながりもよく分かって感心。より良いものに触れると「よし来年は・・・」という気持ちが自然にわき起こるものだ。自然にアイデアを出し合いながら子どもたちと懇親会会場へ移動。

 立食パーティ形式の懇親会に子どもたちは一番うれしそう。この応募を勧めていただいた堀田先生にお会いして、みんなでお礼。そして記念撮影。懇親会では何人かの人と名刺交換。お腹も満腹。早めに会場を出て、せっかくなので「未来科学館」の見学。僕はさっそく学校HPに表彰式報告をアップ。

 16:00出発、新橋、品川、名古屋着が18:55。教頭さんから試合中の怪我報告あり。大事に至らないことを祈りながら帰宅。


2004年03月05日(金) eスクエアアドバンス発表会に
2003年03月05日(水) 巣立ちの会

2005年03月04日(金) 校長会議&卒業式リハーサル

 いつもの通り、昇降口清掃&挨拶。9時、校長会議のため勤労センターへ。いつもより教育委員会からの指導や連絡、論議することが多く、12時までみっちりと会議。中学校長だけの打ち合わせもあり。我が校にとっては朗報もあり。

 午後は卒業式リハーサル。昨日より動きも歌もいい。いよいよ気持ちだけ。

 15時30分、枚方市立楠葉西中、枚方市教育センターから3名の視察。それに対応。中座して職員会議で校長会での伝達事項を話す。再び、IT活用についてプレゼン。18時までみっちりと応対。3人の方を小牧駅まで見送り。そのまままなび創造館に出向き「こどもとおとなの環境会議」の進行について舞台監督、松田さん、出口さん、石川さんと相談。20時近くまでかかる。

 帰宅。さっそく進行打ち合わせにしたがってシナリオ作り。進まず。明日はマイタウンマップ・コンクールの表彰式で東京。3年1,2組の生徒2名と担任に同伴。


2004年03月04日(木) 夢追いかけて
2003年03月04日(火) 視察の方の日記に喜ぶ

2005年03月03日(木) 式辞準備完了

 いつもよりちょっと遅れ気味で昇降口清掃、挨拶。卒業式式辞の準備完了。これだけでかなりの時間経過。「こどもとおとなの環境会議」の文書(学校配布、出演者依頼)を作成。各校から送られてきた写真を使ってプレゼン作成。関係者に連絡メール。午前中はこれだけで精いっぱい。
 午後は卒業式練習を見る。まずまず。あとは気持ちだけ。校長室に戻って「光ヶ丘中2005」執筆や「縄文落語&社会科授業」のコラボレーションを考える。資料検索を1時間あまり。相談メールをいくつか。保護者と夕刻から1時間ほど懇談。

 帰宅。昨夜、要望があった「中部圏寄席情報」アイデアを練る。とりあえずフリーのスケジュールを使うことにして、その準備。アップ。再び「光ヶ丘中2005」執筆。「桂米朝集成第4巻」で弟子の部分を読む。落語口演の依頼メール届く。『子どもと一緒〜おやじの活動事例集』の掲載依頼メールも届く。光ヶ丘中HPの知名度がますます上がっていることを実感。


2004年03月03日(水) 教頭会議&視察対応で日が暮れる
2003年03月03日(月) 視察対応から始まる1週間

2005年03月02日(水) 学校ホームページで説明

 終日、ひたすら「光ヶ丘中2005」の原稿書き。生徒から4コマ漫画も届き始めた。とにかく頑張るしかない。

 今日一番神経を使ったことは、このこと。地域からのメール「プルタブ回収の意義はあるか?」に対して、学校の考え方を学校HPにアップしたこと。原稿は生徒会担当、教頭さんにみてもらい、その上で、大西さんにも意見をいただきアップ。学校として何を大切にしたかは明記できたはず。実に良い機会をいただいた。「食農教育3月号」で取り上げられた本校HPの取り組みが公開されていたので、それもアップ。

 「こどもとおとなの環境会議」の諸連絡。文書作り。徐々に先が見えてきた。一安心。職員から色々と相談あり。即答、熟考様々。文書処理、決裁はいつものとおり。

 帰宅。桂九雀師匠を囲む会に参加。師匠は明日は有松中学で寄席。仕込みのため前泊。それを利用しての突然の好企画。九雀さんをはじめ、「縄文さん」でデビューした落語作家=学芸員さんや丸善落語の仕掛け人さん、いつもお世話になる落語通さんらと語り明かす。とても、とても充実した時間だった。ふっと浮かんだ学校の授業とのコラボレート、ぜひ実現したい。こういうところは自分は転んでもただでは起きないところ(笑)。


2004年03月02日(火) コの字型座席になるほど!
2003年03月02日(日) 今日も忙しい日曜日

2005年03月01日(火) 早い!もう3月

 早いもので今日から3月。ついこの前、光ヶ丘中に赴任したばかりという気分なのに。県立犬山南高校卒業式列席。「光ヶ丘中2005」の原稿書き。MLで愛知教育大学の飯島先生から「学力向上フロンティア事業にかかわってのまとめ」が流れる。一気読み。意を強くした。特推協主催の講演会「今後の特別支援教育と校内支援委員会の在り方」に出席。国はこの分野での改革も進めているが、やはりその取り組みは地域によって様々。

 帰宅。新電話機のセッティング等で時間浪費。斎藤孝「勉強のチカラ!」を読む。学ぶことの大切さには同感。それにしても斎藤さんはよくもこんなに次から次へ本が出せるものだ。家でも「光ヶ丘中2005」の原稿書き。今日は学校HPへのアクセスは5000を超えた!いったいどうなってしまったんだろうか?不思議でならない。地域から「プルタブ回収」の意義はあるのかというメールあり。いい機会ととらえ、対応を考える。


2004年03月01日(月) 高校卒業式参列
2003年03月01日(土) 高校の卒業式