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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年11月30日(土) 大掃除Part2/CD『檸檬』(遊佐未森)/DVD『サイボーグ009 バトルアライブ9 〜審判〜』

 昨日の分に書き忘れてたCD遊佐未森の『檸檬』の感想。
 『週刊文春』の『人生は五十一から』で小林信彦が推薦してたんで前から欲しいとは思ってたんだが、DVDを買うのに忙しくて、つい気が回らなかったのである。CDも一時期は貪るように買ってたんだが、ここしばらくは気が向いた時にちょっと買う程度で、日記にもあまり何を買ったの聞いたのとは書かないでいた。しかし、これは久方ぶりのヒットである。小林信彦推奨の理由は、過去の曲を現代風にアレンジし直すのでなく、「その時代の雰囲気を現代に再現しようとした」点にあることは明白。平井堅の『大きな古時計』とはベクトルが全く違っている。ある意味、遊佐未森は自らの個性すら殺し、「自分が当時の歌手としての歌い方を指導されたらどう歌うか」に腐心しているのだ。アーチストを気取ってるだけの薄っぺらな歌手とは一味も二味も違う。

 勝手な憶測だが、遊佐未森、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』を見てるんじゃないか。『ヘンダーランドの冒険』に登場したトッペマ・マペットことメモリ・ミモリ姫は遊佐未森がモデルなんじゃないかと、これも私は妄想をたくましくしているのだが(だって彼女だけだよ、シリーズ中で『歌姫』なのは)、そのつながりで『オトナ帝国』を見て、ノスタルジーに創作意欲を掻き立てられてこの『檸檬』を作ったんじゃないか。
 だいたいこの『檸檬』というアルバムタイトルがもう梶井基次郎の『檸檬』を想起させずにはいられない。あれって「精神的テロリズム」の物語なんだよね。『オトナ帝国』のケンに通じるところはないか。
 ……いや、根拠が薄弱なのはわかってますよ。わかってるけど楽しいじゃないの、こういう空想って。

 収録曲は全部で九曲。ランニングタイムが31.58と短いが、精選されたが故、と見てよいだろう。
 \超
 月がとっても青いから
 F遒硫峅任気
 ぅ▲薀咼△留
 ゥ乾鵐疋蕕留
 小さな喫茶店
 夜来香(イェライシャン)
 蘇州夜曲
 森の小径

 掲示板にも書いたが、一曲目の『青空』(『マイ・ブルー・ヘブン』)、「せまいながらも楽しい我家 愛の灯影のさすところ」の「灯影」を「ひかげ」と間違って読んでいる瑕瑾があるが(本当は「ほかげ」)、清澄で伸びのある声は充分に昭和初期へのノスタルジアを掻き立ててくれる。
 しげに、「この曲とエノケンの『マイ・ブルー・ヘブン』と今度の芝居のテーマソングに使うってのどう?」と聞いたが、「すれば?」とつれない返事。しげにはあまりこの曲も歌い方もよくは聞こえないらしい。
 「だって『大きな古時計』と同じじゃん」
 ちげーよ!


 今日も鴉丸嬢が部屋を片付けに来てくれる。
 来てくれるのはありがたいのだが、捨てられちゃ困るものまでポンポン捨ててしまうので、ちょっくら困りものではあるのだ。「それ捨てないで」と言ったらギロッとこっちを睨むし。……いっぱいいっぱいだなあ、鴉丸さん。
 しげは時々思い立ったように「手伝い人」を連れてきては部屋を大掃除し始めるのだが、誰もが一様に精神に以上を来たしてしまう。ゴミの多さにマジギレしてしまうのだ。片付けても片付けても床が全然見えてこないので、悲鳴と怒声が上がるが、私は今回は片付けを「手伝わない」と決めている。

 そもそも、そこまでウチの中が散らかってしまったのが誰のせいかと言えば、やはり8:2でしげのせいなのである。これは決して私が自己弁護のために言い訳をしているのではない。それが証拠に、私がかつて片付けた部分は本もビデオも整然としているのに対し、しげの担当した部分は常に乱雑、どこに何があるかもわからない。ひどいのになると、私がまとめておいたゴミを寝惚けて蹴り倒して「アンタの出したゴミだから、アンタが片付けり」とか言ったりしているのである。これでしげに対して怒らないほうがどうかしている。
 そもそも本やビデオも、私が片付けても片付けても、しげが片っ端から引っ張り出しては読み散らかし、そのくせどこに戻していいのかを忘れてそのままほったらかしてしまうので、ついに私が整理することを放棄して音を上げてしまったのだ。一時期まで私はビデオのラベルを全て整理していたのだが、しげが「自分ばかり楽しそうなことして」とグチグチ文句を言ってジャマをするので、それもできなくなった。じゃあしげが何かしていたかというと、家事も料理も一切していないのである。文句を言えるだけ何か仕事をしているわけでもないのに、人の足を引っ張ることだけは一人前にするのだから、人間として欠陥があることは紛れもない事実なのだ。自分の散らかした後始末を他人に平気で頼めるくらいだから、その恥知らずな姿勢には呆れるばかりである。

 いつもなら私も、せっかく片づけに来てくれるのだから、トイレを掃除したり玄関を簡単に片付けたりして、せめてそれくらいはしないと悪いなあ、と思うのだが、今回の片づけの目的はウチで忘年会をするためである。しげが心を入れ替えたのならばともかく、そんなもんの手伝いをしてやらねばならないほど私もお人好しではない。もうしげのフォローをするのにも飽き飽きしていたので、ほったらかしていた。
 「トイレ掃除しとけよ」とは随分前から言っておいたのだが、もちろんしげは無視している。私はしょっちゅう血便を垂らしているので、そこだけは自分で掃除しておいたが、しげは自分が汚した便座や床に散らかしたままのトイレットペーパーの芯は全部ほったらかしたままだった。鴉丸嬢、「足の踏み場がなぃぃぃぃぃ!」と悲鳴を上げていたが、ご愁傷様である。恨むならしげを恨んで下さい。恨まれてもしげは何の痛痒も感じないでしょうが。

 いい加減、私は怒っているので、もう片付けは手伝わないつもりでいた。なのに結局、ゴミが多いの重いのと文句を言うので、仕方なくゴミ出しくらいは手伝う。こういうところがしげを「甘やかしてる」ってことになるんだよなあ。

 鴉丸嬢には何かお礼をしたいところだが、さて、金欠病でバイト代を出せないのがツライところ。代わりにウチで要らなくなったもので、何か鴉丸嬢欲しいグッズなどがあったらあげるよ、ということで適当に物色してもらう。
 ここぞとばかりに、しげが引き出物の類をなんでもかんでも紙袋に詰めて渡そうとする。いつのまにか私が買ってたオカリナまで入れている。それはいつか作って吹くんだよ。ケンカ売ってるのか、しげ(`Δ´)。
 『千年女優』のセル画まで勝手に入れていたので、慌てて取り出す。……出かけずにウチで監視しててよかった。
 こうなりゃ、袋の中を全部検分しないわけにはいかないとひっくり返したら、誰かから貰ってた石鹸の詰めあわせまで入れてたので、脱力する。そんな、いかにも要らないイタダキものをそちらに回しました、みたいな感じでモノを差し上げるのはあまりにも失礼だ。そう思って取り出そうとしたら、鴉丸嬢、「あ、それは使えるから」と袋に戻してしまった。要るんかそんなん(・・;)。いやね、ほしいと仰るものをムリに取り上げたりはしないけど、鴉丸嬢も衒いがない(^_^;)。
 役に立たないと判断したものは惜しげもなく捨て、「これは使える」と思ったら万力のように捕まえて離さないしげが、「石鹸」といういかにも有用なものを平然と人にやろうとするのは奇妙に思われるかもしれない。実はしげは、贅沢なことにボディーソープは使っても石鹸は使わないのである。理由は「こするのがめんどくさい」に決まっている。そのくせ風呂に入るのは「水がもったいない」と三日にいっぺんくらいしか入らないから、ケチなんだか贅沢なんだかさっぱりわからない。多分、狂ってるのであろう。
 劇場プレゼントで貰った『吸血鬼ハンターD』の十字架ストラップを見つけた鴉丸嬢、目の色を変える。「売って!! 二割がけでいい!」。……そう言えば鴉丸嬢、『D』の大ファンだったなあ。いや、ここでホントに二割がけで売ったりしたら外道であろう。ストラップは喜んでご進呈。その後の鴉丸嬢、片付けに張り切ること。

 ゴミを出すころから、なんだか気分が悪くなってくる。
 頭がクラクラして、背中を悪寒が走り、吐き気がする。多分、ホコリの中のウィルスのせいだろう、しばらくすると喉が痛くなってきて、鼻水も出てきた。こりゃヤバいな、と思って、しげに「風邪薬ない?」と聞いたが、「ないよ」とニベもない。
 今日はAIQの会議もあるってのに、困った事態になった。
 とりあえずビタミン剤と牛乳を飲むが、たいした効果はなさそうだ。


 夕方にまでに何とか床が見えるようになるが、部屋が使えるようになるまでにはまだまだ。けれどAIQの会合の時間が迫っていたので、今回は鴉丸嬢も連れて、赤煉瓦館に向かう。

 昨年、受付や警備をしていて思ったことだが、私のように見映えのしない人間、というよりムサイやつが目立つ場所をウロチョロしているというのは、ショービジネスの視点に立てばどう考えてもマイナスなのである。
 オタクアミーゴスの公演に集まってくるお客さんはその大半が男である。もちろんみなさん、筋金入りのオタクが殆ど。心理テストじゃないが、「Aの入口には中年の見苦しいオッサンが、Bの入口には美しくうら若きレディーが立っています。あなたはどちらの入口を選びますか?」と言う質問に「A」と答える男はいまい(「ボクってシャイだからAに行っちゃうな」なんて言ってるキミ、さっさと病院に行きなさい)。
 AIQはボランティアで活動しているのだから、こういうところで商売っ気を出すのはどうかというご意見もあろうが、やっぱりショーである以上、「見た目の華」を考える必要はあろうかと思うのだ。ただ、別に外見だけで鴉丸嬢に手伝いを依頼したわけではない。お客さんに何か尋ねられた時に即座に対応できる人じゃなきゃ意味はないのだ。だから例えば、私は穂稀嬢には一切声をかけていない(しげの話によると、彼女は何かのバイトで受付をしていて、客に声をかけられたときに「隠れた」そうである)。
 本人は否定してるが、鴉丸嬢は美人だしオタクだし、オタク相手の応答は決して不得手ではない。だいたい、『吸血鬼ハンターD』のストラップ一つ貰っただけで、ウチのあの散らかった部屋を片付けるような人間がオタクでないとどうして言えるか(^_^;)。


 AIQの会合、鴉丸嬢以外にも新参加の男性が出席。もっともこちらは手伝い人になるかどうか、まだ未定とか。本日は「見学」とのこと。
 しおやさんとアンジェリーナさんはお休み。
 アンジェさんはお風邪とのことである。オタクがオタクの会合に出席できないとうのはよっぽどのことだ。相当ひどい風邪なのかなあ、心配だなあ。……とか言ってる私自身、会議の最中、どんどん気分が悪くなってくる。初めは会議後の飲み会まで参加するつもりだったが、ちょっと体力が持ちそうになかったので、一足先に辞去する。


 帰宅して、DVD『サイボーグ009 バトルアライブ9 〜審判〜』を見ながら寝る。
 第一期完結巻だけれど、『コスモチャイルド編』前半の27話で切れるという区切れが悪い。多分これ、第26話の『ギルモアノート』という総集編が入ったせいだろうな。恐らく最初のシリーズ構成では、26・27話で『コスモチャイルド編』をやる予定だったのだ。全く、タイトなスケジュールの悪影響が随所に出てるシリーズだったよなあ。
 25話の『ミュートス、終章』、作画も演出も前半の白眉なんだけれど、絵コンテと演出のクレジットがない。監督の川越淳さん自身が担当したのか、それとも絵コンテなしブッツケで制作してったのか(^_^;)。

2001年11月30日(金) 心臓止まってもDVD……バカ?/ドラマ『五辨の椿』第1回/DVD『ハレのちグゥ』3・4巻ほか
2000年11月30日(木) チラシ完成!/『未明の家』(篠田真由美)


2002年11月29日(金) 再爆走ァ織織ぅ爛好螢奪廝横粥殖達帖慍かしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集』/『桃色サバス』4〜6巻(中津賢也)ほか

 北朝鮮拉致被害者の曽我ひとみさんが、昨28日、憧れだった歌手の森昌子と対面。曽我さんによれば、森さんは一番好きな歌手で、北朝鮮でも歌を励みに頑張ったとか。
 ……あー、私、この話聞いて、ようやく24年って時間の重み、感じちゃいましたよ。ホントに拉致被害者の人たちって、過去からタイムスリップして来たんだよなあ。私も全く人として不明なことである。
 「森昌子」って聞いて、今の若い人がどんなイメージ持つかわからないけれど(誰それ?って人もいるかも)、確かに曽我さんの年齢だったら、森昌子がトップアイドルって認識を持っててもおかしくない。
 「花の中二トリオ」って括りで桜田淳子・山口百恵とセットで見られるようになってからは、「歌唱力はあるけど地味」って印象になってしまったけれど、『せんせい』でデビューした当時は、確実に誰もが彼女を「かわいい」と思っていたし、その曲をソラで歌えない人間など日本にはいなかったのだ。どれくらいアイドルだったかというと、吉沢やすみの『ど根性ガエル』に森昌子のニセモノの「森日日子」(タテ書きにしてみてね)ってのが登場してくるくらいだったのである。わかりにくい譬えか?
 実は私も、彼女の主演映画『どんぐりっ子』を見に行ったクチである(^o^)。森昌子が、引っ込み思案の男の子の家政婦さんとして、その子を強く育てるって話なんだけど、原作のタイトルは実は『女中っ子』。「女中」って言葉が差別語だってことで、森昌子のヘアスタイルに合わせて変えられたんだけど、森昌子を「どんぐり」と呼ぶことは差別じゃないのか(^_^;)。言葉狩りの正体なんてこんなものである。
 ……まあ「森昌子」というキーワードでこんなこと思い出したんだけど、もしずっと日本にいたとしたら、アナタ、24年の間、ずっと森昌子を自らの偶像として心に抱き続けられますか。そこんとこが「24年の空白」の意味の重さなんだなあ、と実感しちゃったのよ、私は。
 浮き沈みの激しい芸能界で、引退もせず、スキャンダルにもまみれずにやってこれた森さんが曽我さんのアイドルだったってことも、奇跡的な幸せだと思う。もしもこれが桜田淳子のファンだったらと思うと……(-_-;)。国にではなく、あの時代に帰りたい、なんて『オトナ帝国』な気持ちに駆られちゃったんじゃなかろうか。
 もっとも、森進一と結婚したってことを知ったときの気持ちを曽我さんにちょっと聞いてみたくも思ったけど、これって意地が悪いかな?


 今年はなんだかんだで仕事を散々休んだんで、もう有休休暇がわずかしかない。
 けれど休みはめいっぱい取らなきゃ損、と考えてるほうなので、半日休みを取って天神回り。LIMBやジュンク堂地下のGIGAとかを回って、先週買い忘れていたCDを買いこむ。
 芝居に使えないかと考えてたCDをヨナさんから推薦してもらっていたので探してみたのだが、全部は揃わなかった。
 買ったのは『グレン・グールド バッハ:ゴールドベルク変奏曲 メモリアルエディション』『フォーレ/夜想曲全集』『田部京子/吉松隆:プレイアデス舞曲集』『福田進一:悲しき玩具〜吉松隆ギター作品集』。
 だいたい私の注文が、「『ジムノペディ』風で、もう少し軽めの、かと言って滑稽な感じはなくて静かな雰囲気の、軽い切なさを感じさせるような曲」というかなりいい加減なものだったのに、どれを聞いてみてもイメージにしっくりくるのである。ヨナさんの選曲の確かさにすっかり舌を巻いてしまった。
 しげに「この曲とかイメージに合ってて使えそうじゃん?」と聞いたら、「台本が上がってないのにわかるわけないじゃん」と切り返された。第一稿だけじゃダメかい。でも言い分は正しいので沈黙。年末まてになんとか上げなきゃなあ。

 芝居用とは別に趣味で買ったコロンビアの『懐かしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集』。二枚組で『向こう三軒両隣り』(1947)から『前略おふくろ様』(1975)まで全49曲を収める。
 この手のものは間を置いてちょくちょく出されるのだが、実のところその選曲に偏りのあるものが殆どで、どういう基準で選んでるんだって言いたくなるものが多い。このCDもその例に漏れず、ドラマの主題家の中にポツンと『赤き血のイレブン』なんてアニメが混じってるのがヘン。

 けれどそれでも買う気になったのは、『天下御免』(1971)のテーマ曲が収録されてたから。今やビデオテープがわずか1話分しか残っていない、しかし確実に日本テレビ史上に残る時代劇コメディである。平賀源内(山口崇)を中心に、小野寺右京之介(林隆三)、義賊・稲葉小僧(津坂匡章、現秋野太作)、武家の娘・紅(中野良子)、その弟・八萬(山田隆夫)、杉田玄白(坂本九)、田沼意次(仲谷昇)が活躍。歴史を無視すると言うより歴史と遊ぶ演出が話題になったが、何と言っても平賀源内と言えばこの人にトドメを指す、という山口崇の好演が輝いていた。源内も山口さんも同じ高知出身、思いっきり入れこんで演じてらしたそうである。その爽やかさは若き日の栗本薫女史をして魅了せしめたとほど(^o^)。私ゃこのドラマのおかげでしばらく中野良子の熱烈なファンになってたけど(#^_^#)。最終回、源内が杉田玄白発明の気球に乗ってフランスに亡命するラストにはアッと驚かされた。ビデオは残っていなくても紅と二人手を振る源内の笑顔はしっかり脳裏に残っている。
 山口崇と言えば『大岡越前』の将軍吉宗のイメージが強いが、後に『天下』と同じ早坂暁脚本の続編『びいどろで候・長崎屋夢日記』で再び老境の源内を演じるが、かつてのキャストが誰一人登場せず、テンポもたるく、昔日の面影はなかった。
 そして肝心のテーマソングはまたしても故・山本直純。もしかして私の音楽センスって山本直純が基準になってるんじゃないか(^_^;)。


 マンガ、中津賢也『桃色サバス』4〜6巻(少年画報社文庫・各620円)。
 3巻分まとめて読んだけど、一冊一冊の解説は今さらいらんな。ともかく毎回毎回カゴメやカゴメ以外の女の子が脱いだり脱いだり脱いだり脱いだりするマンガである。けど、エロマンガじゃないんだよ。これだけヌードが出まくってるのに読んだ印象は爽やか。このマンガテクニックって素晴らしいよなあ。
 4巻の解説はあさりよしとお、5巻は島本和彦、6巻は榎本俊二。あさりさんの解説は「中津賢也に会ったことがある」という解説にもなんにもなってないものだったが、島本さんのは『燃えよペン』の外伝『耐えよペン』(^o^)。知る人ぞ知る「うかつ賢二」のギャグの裏話が語られる。島本ファンには必見であろう。榎本さんの解説は実にマジメに中津賢也の魅力を語る。これ読めば私の拙い解説なんぞ読むこたァない。さあ、本屋に走れ!

2001年11月29日(木) おトイレの音入れ。つまんないシャレですみません/『ほんの本棚』(いしいひさいち)/DVD『ゴジラの逆襲』ほか
2000年11月29日(水) オタクとは知性のことなり/アニメ『サウスパーク』5巻ほか


2002年11月28日(木) 再爆走ぁ新をとっては/『恋愛出世絵巻 えん×むす』1巻(瀬口たかひろ)/『ウルトラマン画報』上巻

 今日は半日出張の予定だったのだが、会議が長引いて急遽取りやめ。
 しげには「出張だから迎えに来なくていいよ」と言っておいたので、仕方なくタクシーで帰る。ああ、カネがもったいない。公共の交通機関がほとんどない山の中にあるんだから、タクシー代くらい支給してほしいよ、全く。誰もが自家用車持ってると思うな、視力が悪くて免許取れない人間だっているんだよ。


 山田洋次監督が、『たそがれ清兵衛』で第27回報知映画賞の作品・監督賞を受賞。まだ映画を見てないからその受賞が妥当かどうか判断はしかねるが、聞きかじった情報から判断しても結構面白そうなのだ。なのに、何度誘ってもしげが一向に興味を持ってくれないので、私としては寂しいのである。正直な話、『恋に唄えば』見るよりもずっと面白いと思うんだがなあ。
 「だって真田広之じゃん。もう飽きたよ」
 『写楽』あたりから、見る映画見る映画真田広之が出てる、としげは言うのだ。
 そこまでではないにしろ、主演に起用される役者に「偏り」が生まれるのは否めまい。特に時代劇となると、「殺陣ができる役者」が必要となるが、今時そんな役者がどれだけいるというのか。今度の『魔界転生』でも、「佐藤浩市に長塚京三?」と思ってしまうのは、この二人の殺陣に殆ど期待ができないからだ。佐藤浩市の時代劇って、『忠臣蔵外伝四谷怪談』しか知らんが、全く印象に残っていないし。
 となると時代劇となると真田広之ってのも仕方ないのかな、という感じなのである。夕方、下城の時刻になるといそいそと病弱な妻のもとに帰るマイホーム侍、なんて設定、面白そうじゃないの。でもそういう侍なら確かに真田広之は違うよなあ。地味で、美男子でもなくて、朴訥で、それでいて剣はピカ一。ふた昔前なら、片岡千恵蔵が『国士無双』『赤西蠣太』『血槍富士』なんかで得意としていた役柄だ。
 朴訥さを表現するだけなら役者はいるだろう。けれど殺陣も……ということになると思いつく役者がいない。日常の演技より殺陣を優先すれば、真田広之は仕方ない選択ではあると思う。
山田洋次監督 が、受賞後に開口一番、「真田(広之)君にあげたかったな」、と語ったというのが気になるのである。どこか不貞腐れたような印象が常にある真田さんの演技を私はあまり好かないのだが、意外とバケているのかも。どっちにしろ「見ないことには始まらない」のだが、この分だと公開中はムリっぽいからなあ。一人で行けばまたしげが文句付けてくるだろうし、ウウウ、見たいよう(T∇T)。


 マンガ、瀬口たかひろ『恋愛出世絵巻 えん×むす』1巻(秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。
 またこんなの買っちゃいましたよ。どんどん間口広げてどうしますかね、私も。瀬口さんの前作、『オヤマ!菊之助』は読んでなかったんだけれど、気にはなってたんで今回の新作はちゃんと第1巻からチェックしてやろうってことで。
 うーん、なんかヘンだよ、このマンガ。もしかしてすげえトンデモマンガになるかも。
 それまでダメダメだった主人公のところに美少女がなぜかやってきて……という設定自体は今までにもよくある話だし、絵柄もちょっとほのぼの系の混じったいかにもなアニメ絵なんだけれど、問題なのは高校生・蟻川義介くんのところにやって来たのが、生き別れの妹や女にしか見えない男や天使や悪魔や宇宙の鬼娘なんかじゃなくて、メイドさんなんだけれど、ロシア人の娘・ソーニャで、莫大な遺産と世界的コングロマリット「ドラグーン」の経営権を巡る謎の御守りを届けに来たってとこだね。
 いやあ、この「お守り&メイド」セットが届けられた相続候補者ってのが、みんなどこかキテるやつばっかなわけよ。みんなそれぞれに自分の天才を自負してるんだけれど、テストで自分に負けた美少女を自分の奴隷(人犬だよ……)にしちゃってるやつまで出てくるし。で、この美少女の柳木さんというのが主人公の義介くんの片思いの相手なわけだが、これって少年マンガにしちゃそうとう淫靡な設定じゃないかな。
 「私がどんな目にあったと思うの!?」って叫ばれてもアータ、どんな目にあったんですか(^_^;)。
 いったい純情ものになるんだかエロものになるんだか見当もつかない展開なんだけど、前の『オヤマ』もこんな感じだったんでしょうか。アオリ文句は「恋愛御守りバトル巨編」だそうな。……何それ。


 『ウルトラマン画報 光の戦士三十五年の歩み』上巻(竹書房・2520円)。
 竹書房の「画報」シリーズ、10周年記念は満を持しての『ウルトラ』シリーズ。さすがに1巻には収まり切れず、上巻は『ウルトラマンレオ』まで。てゆーか、我々ウルトラ第1世代には『ウルトラ』シリーズはここで終わってるんだけどな。
 もちろん全怪獣の身長・体重・出身地・武器・足跡(^o^)のデータも充実、コラムでウルトラシリーズの歴史や歴代ヒロインの紹介、各種グッズ、コミカライズ、ゾフィーやバルタン星人やレッドマン(おいおい)までフィーチャーするなど遺漏がない。これまでの全集の類ではたいてい無視されていた『ウルトラファイト』全話のデータが収録されてるのもいい。
 ただそれでも隊員たちの写真がなく記事だけだとか、明らかな欠点もある。それだけ『ウルトラ』シリーズの情報は今や膨大なものになってるということなんだろうね。
 それにしても『セブン』12話、復活の可能性は未来永劫ないんだろうか。

2001年11月28日(水) ひと月早いぞ誕生日/DVD『キカイダー01』第1巻/『マジンカイザー』2巻ほか
2000年11月28日(火) 〆切はゴムのように延びる(^o^)/『蟲師』1巻(漆原友紀)ほか


2002年11月27日(水) 再爆走/鬼が笑っちゃってひきつけ起こして寝る話/『燃えよペン』(島本和彦)ほか

 ちょっとここで重大(というほどでもないが)報告。
 人事異動の季節が近づいてきているが、今回、異動希望を出すことにしたのである。ウチの職場ってデカイことはデカイからね。何も山越えて郡まで出張って行かなくてもウチの近所で通えるとこ結構あるんだわ。遠いとこに行かされたのって、多分嫌がらせだと思うんだけど、そろそろ私もしげも限界なんである。毎日送り迎えのことで夫婦ゲンカなんかしたくないわい。
 スチャラカな私の査定がいいはずはないし、希望通りの部署に行けるかどうかはわからないのだけれども、仲いい同僚が次々リタイアしてくからなあ。過労でいずれ殺されるようなとこじゃ病気持ちにはつらいっす。
 とかなんとか思ってたら、今日、いきなり上司の一人から「来年、主任になってくれんかね?」とか言われたのである。「主任」と名がついてるからそれなりに重要なポストなんだが、どれだけ重要かっていうと職場の経営会議に出席しなければならないくらいなんである。
 気でも狂ったか上司(^_^;)。
 「ああ、私、来年ここにいませんから」と断ったのだが、仮にいたとしても主任になることはあるまい。その人以外のほかの上司にゃ嫌われてるだろうしね。それに、いざというときの責任を取らせるためだけのポストに付きたいと思うほど、私ゃ物好きじゃないんですよ。


 日朝交渉が完全に暗礁に乗り上げたらしい。
 23、24日に中国で行われた非公式協議の内容によると、北朝鮮は「準備のための協議も含め日朝国交正常化交渉を行う雰囲気は整っていない」と日本側に通告してきたのだそうな。
 「拉致問題解決」を前提とする日本の強硬姿勢に対して、北朝鮮も強硬姿勢で臨んだ、ということなんだろうが、こうなると小林よしのりさんが主張するように「あの国はほっとけ」という言い分にも説得力が生まれてくるから困りものなんだよなあ。何するかわかんないからほっとけないんだけど、手詰まりだと確かに何もできなくなるしなあ。
 北朝鮮は経済的に困っているから、日本の要求に対して最終的に拒否はできない、という見方が甘かったってことなんだろうね。実は北朝鮮は困ってなんていないのである。人口減るのだって気にせずに、どんどん自国民から搾取してればいいだけだから。「人口が3分の1まで減っても、国家元首が無事ならいい」って、独裁の基本だもんね。ましてや「自分たちの不幸は日本のせい」と対外的に敵を作っとけば、自分たちが責められることもないからねー。
 で、この状況を日本にいる北朝鮮の人たちはただ傍観してるだけなのかな?
 日本にいれば洗脳もいい加減解けてるでしょ? 本気で未来のこと考えてるなら、北朝鮮本国に対して働きかけることもできるんちゃうかな? 仮に日本と北朝鮮の間に何かあった場合、戦後の日本の某党みたいに、何もしてないくせに「私たちも努力した」なんて言い訳したって聞き入れられないよ?
 っーか、今動かないんなら、「拉致問題は解決してる」って北朝鮮のスタンスに同調しているんだって解釈されちゃうよ? それじゃあ日本人から差別や偏見を受けたって仕方がないってことになっちゃうけどいいの?
 それでも仕方がないっていうんなら、今後は口が裂けても「過去の日本は……」なんて言うなよ。日本人だって自分たちの運命をどうにもしようがなかったんだから。


 山本弘さんとこの『SF秘密基地』、次から次へと新手の荒らしさんが登場してきて楽しいことになってるのだが、やっぱりこれは有名税みたいなもんなんだろうと思う。山本さんもご愁傷ではあるがメゲずに頑張ってほしい。世の中に盗人とアホウのタネは尽きないのである。
 偶然にも今日、職場の若い子から「ガンダムの技術で戦車を作ったらそっちの方が兵器としては効率がいいんじゃないか?」と聞かれたので、シンクロしてんなあ、と思いながら(そいつはパソコン持ってないので掲示板での論争は知らない)、スレッドの流れそのままに受け答えしてたら、相手が「ホバー付きの戦車を作ったら」とか言い出した。いやあ、アホウの発想って似るもんだねえ(^o^)。
 だいたい『ガンダム』の発想自体が「いかにロボットアニメにリアルさを付与するか?」という点にあったのだから、冒頭の質問は質問にもなっていない。質問形式でスレッド立てた時点で、こいつは「ガンダム見てもいないな」とか「荒らし目的だな」とすぐわかるから、無視するのが一番なのだ。レス付けてったって不毛な会話が続くばかりで、そのことを指摘してる常連さんもちゃんといるのに、ムキになって反論する常連さんもいるから話がややこしくなっていく。
 要するに有名人のとこに集まってくる人間って、一見マトモに見えてもみんなどこか「かまってくん」的なとこがあるんだよね。
 「荒らしさん」は、最初から「みんな有名人に相手してもらって羨ましい」というやっかみから挑戦的なこと書きこむけど、普通の人だって、「荒らし」とたいしてメンタリティが違ってるわけじゃない。
 有名人のとこに書き込みをする。
 レスを付けてもらって嬉しくなる。
 そこまではいい。
 ほかの誰かがやっぱり有名人からレスを付けてもらう。
 それが羨ましくなって、常連同士で内輪もめする、とか、
 トンチンカンな書き込みがあったら、無視してりゃいいのに、わざわざ先輩風を吹かして何か優しく説明してあげなきゃならない気分になる、とか、
 有名人の代わりに、荒らしさんを追い出さなきゃならない、とか、
 段々書き込みすることが「自分の義務」だと勘違いし始めてるんだよね。全部「そんなん誰もアンタに書き込みしてくれなんて頼んでないし、アンタがやらなきゃならないことでもないでしょ?」と言われたらそれまでなんである。
 一度や二度ならともかく、しょっちゅうそういうこと繰り返してたらアータ、自分のアイデンティティ確認するためにサイトに頼っちゃってる依存症だって思われても仕方ないと思うけどね。
 いつぞや唐沢俊一さんが日記に書いてたことだが、サイトで日記をつけるのは「性に合ってた」からで、また「いつ、やめたって構わない」というスタンスで書かれているのである。そういうフレキシブルさがないと、公開日記なんて個人的感情の押し付けにしかなるまい。
 書きこみだって同じで、「ここは一つ私が書かねば」なんて気持ちで書いた文章が面白くなるはずはあるまい。客観性のある文章と一人よがりな文章との違いがどこにあるか、みなさん、もちっと考えてみてもいいと思うんだけどねえ。


 晩飯はコンビニで買ったスパゲティ。安上がりである。
 そのコンビニでようやく『ガンダムエース』を入手。
 今回の『ガンダム THE ORIGIN』は、『ガルマ編』最終話。
 シャアが死ぬ直前のガルマに得々と自分の秘密を打ち明けるのって、冷静に考えると、ボイスレコーダーに記録される可能性だってあるじゃん、とツッコミたくはなるのだけれど、多分後でシャアのやつ、ガウの残骸の中からボイスレコーダーだけ探して壊したんだろうねえ。
 軍功を焦るガルマ、その心理に乗じたシャア、確かにこのあたりはガンダム前半の白眉で、セリフもよく練られているなあ、と再確認。劇場版公開時唯一爆笑が起きていた死ぬ直前のガルマの脳裏に浮かんだイセリナの映像もカット。賢明な措置である(^o^)。あれ、わざわざ新作だったんだけど、あの当時の富野さん安彦さんはやっぱりちょっとナニになりかけてたのかもね。
 ほかにもアニメ版と違うのは、エッシェンバッハが死ぬ描写かな。テレビシリーズじゃこのあとイセリナの出番がもう一回あるんだけど、コミックじゃそこまでは描かないかも。結局イセリナは彩りキャラで終わるか。
 毎回新作が楽しみなトニーたけざきさん、今回も「弾幕が薄いぞー!」ネタ。なんでSMネタになってるのか分らないけれど、まあ勢いがあるからいいや。


 マンガ、島本和彦『燃えよペン』(小学館/サンデーGXコミックス・600円)。
 もしかして今時の若い人はこのタイトルが何のパロディかわかんない人もいるかもなあ。続編が『吼えろペン』になっちゃったから、ますます解りにくくなったけど、もとネタはもちろん司馬遼太郎の『燃えよ剣』。炎尾燃が土方歳三なら近藤勇は? 沖田総司は? なんて探してもムダ。炎尾燃一人が土方であり近藤であり沖田であり、ほか全ての新撰組なのである。それほどに炎尾燃は燃えているぞ!
 「特別描き下ろしマンガ13ページ収録!」のオビに惹かれて単行本持ってるのにまた買っちゃったけど、オリジナルにあった「実在人物躍動編」がカットされてる。な、ナマのう、うかつ賢二が見たかったのにぃぃぃぃ! 今掲載すると問題があるのかなあ。しげは「肖像権の関係でしょ?」と言ってたが単に写真を載せると定価がはね上がるってことなのかもしれない。
 『BSマンガ夜話』で聞いた話だけど、『吼えろペン』でもやっぱり実写マンガやってるそうなんで、そちらはちゃんと収録してほしいものである。

 オマケの描き下ろしマンガ『熱血マンガ講座』は、結構実践に役立つぞ(^o^)。
 「作者の一番言いたいことを大ゴマで言わせてはいけない! 言いたいことをストレートにネームにすると作品がうすっぺらくなるから気をつけろ!!」と言うのはまあ納得いくが、「言いたいこと以外のこととか、言いたくないことを大ゴマで言わせろ!! 意外とそこに偶然!! 思っていた以上の深読みができる名場面ができたりするかもしれない」というのはテクニックとしてどうかと思ったけれど、次のコマで「そういうことだ!!」とヤラレたので納得。やっぱ島本さん、いろいろ経験してるよ。

2001年11月27日(火) 癒されたいの?(-_-;)/DVD『ウルトラQ』6・7巻/『ギャラクシー・クエスト』
2000年11月27日(月) 活字の本が読み進まない/『カスミ伝△(さんかく)』1巻(唐沢なをき)ほか


2002年11月26日(火) 再爆走◆森げなくても広がるリング/『低俗霊DAYDREAM』4巻(奥瀬サキ・目黒三吉)

 来日中のマライア・キャリーが昨日、渋谷のハチ公前広場でいきなりプロモーションビデオの撮影を始めて、一時、その場がパニック状態になっちゃったそうである。
 私はマライア・キャリーとリン・ホリー・ジョンソンの区別もつかない人間なので(似てると思うがどうか)、たとえその場にいてもキョトンとしてただけだと思うが、世間の人々というのは、ぱっきんのねーちゃんの顔とかよく覚えてるもんなんだねー。まあ、いきなりデカイカメラ使って外人のねーちゃんの撮影が始まったら「あれマライアよ!」って叫ぶ人間が現われるのも当然だろうけれど。
 何でもマライアは現場に通りかかった途端、いきなり「ここで撮影したい!」と言い出したそうである。そこで唯々諾々と撮影し始めるスタッフもスタッフだが、そんなワガママが通ると思ってしかも実際に通しちゃうマライアの人間性ってどんなもんなんだろうかね。「スターの威光をカサに着て」って、一昔前の少女マンガじゃあるまいし、ちょっと典型的すぎやしないか。
 それとも自分がいきなり街中に現われたらパニックになるという予測が外人さんにはピンと来ないものなのであろうか。あるいはパニックになる様子を見ながら「ハッ、アタシの魅力に黄色いサルどもが群がってるわ」とか鼻高々な気分でいたりするんだろうか。
 「ギブミーチョコレート」の時代はまだ終わってないんスかねえ。


 年末の紅白歌合戦に中島みゆきが初出演するそうである。
 20年遅いんじゃないかってゆーか、もう今さら出なくたって誰も文句は言わないだろうし、わざわざ今頃出るくらいならとっくの昔に出てりゃいいじゃんねえ。昔なぜ紅白に出ないかってことに対して「顔に自信がない」とか言ってたような気もするが、今は自信ができたとでも言うのだろうか。
 世の中には「この人はなぜこんな行動をとるのか」、その意味を捉えにくいことが往々にしてあるものだが、「奇を衒いたい」とか「注目を浴びたい」なんてことが今さら中島みゆきにあろうとも思えないし、ホントに意味が分らないのである。「ふざけてる」と怒るほどでもないし、ただ戸惑うばかりだ。
 だいたい今さら中島さんが何を歌うっての? 「地上の星」? で、誰がそれを望んでるの? なんつーかさ、『プロジェクトX』見ていっぱしの教養人ぶった気になってる中高年が中島みゆきを支持する姿って、ひたすら気持ち悪いだけなんだけど、これが21世紀の現象なんだと言われると、『オトナ帝国』じゃないが、もう一度20世紀からやりなおせよ、と言いたくもなるねえ。


 大雨に雷。
 迎えの車の中で、しげに三月に東京に行かないかと持ちかける。
 正月の東京行きの計画がポシャったので、それなら三月公演の『奇跡の人』を見に行かないか、と以前から話だけはしていたのだが、しげの反応がどうも今一つだったので、今日はちょっと強く押してみたのだ。
 しげはどちらかというと中村有志さんの『愛とバカ ユージ』の舞台が見たいのだと言う。時間の都合がつけば、両方見てもいいんじゃないかと話をする。
 「オフ会はどうする?」と恐る恐る聞いてみる。何しろ去年、某オフ会に出席したあと、しげは情緒不安定になってメソメソ泣きだしちゃったので、今年はどう対応したものかと悩んでいたのである(昨年のオフ会に参加された方でこの日記読んでらっしゃる方もおられましょうから念のため注をつけておきますが、しげが泣いたのは別に誰かのせいだというわけではありません。ただの人見知りです)。
 案の定、しげは「知らない人ばかりだし……」と言い出す。
 「知らない人じゃないじゃん。こうたろうくんと何度会ってる? お宅に泊めてもらっといて、そういう言い草はないやろ」
 「何度会っても、アンタの友達ってことで直接の知り合いじゃないもん」
 「それがオマエの傲慢なとこだって。それじゃ友達の友達は永遠に友達にはなれんの? 相手がオマエと友達になろうって言ってんのに、それを拒絶する方がよっぽど失礼じゃん」
 「そりゃそうだけど、アンタだってオレの友達と積極的に会おうとせんやん」
 「それは相手がこちらと特に会いたがってない場合だろ? オレはオマエの知り合いが『会ってみたい』って言ってるって知ったら、『じゃあ機会作ってお会いしようか』って言うやん。逆にオレが『知らない人になんか会いたくないもン!』なんて駄々こねたらどう思うよ?」
 「あはははははは!」
 「だから勝手にイメージ想像して笑うなっ!」
 一応、しげも自分がワガママ言ってるだけってことは理解したようである。えー、東京でお会いする予定のみなさん、相変わらずしげはコミュニケーションの取り方ヘタですが、去年よりはなんぼかマシになってると思いますので、多少の失礼はゴカンベン願いたいと思います。


 夕食はロイヤルホストで、スパゲティとチキンのセット。
 本屋で『ガンダムエース』を探すが見つからない。コンビニで「ガンダムフェア」をやってるのを思い出したので、セブンイレブンに寄ってみるが、そこにも『スペシャル』は置いてあっても本誌は見当たらない。諦めて帰宅するが、しげの話によると、別の場所に『エース』、置いてあったそうである。
 「なんで教えなかったんだよ!」
 「だって気付いてないと思ってなかったし」
 「買ってなきゃ気付いてないんだよ!」
 結構すぐ売り切れちゃうからなあ。明日まで残ってりゃいいが。


 コンビニで買った「ゴジラ名鑑」の食玩の新シリーズ、これがまた実にイイ出来である。4体ほどゲットしたが、特に秀逸なのが『ゴジラVSキングギドラ』で潜水艦を受け止めてるゴジラ、『モスラ対ゴジラ』で幼虫モスラがゴジラのシッポに噛みついてるフィギュア。……ここまでレベルが高いともうジオラマだよ(^_^;)。海洋堂、すご過ぎ。
 これだけの技術があって、どうして「タイムスリップグリコ」なんてくだらんものまで作るかなあ。誰も「学校給食」の食玩なんて欲しかないぞ。


 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉作画『低俗霊DAYDREAM』4巻(角川書店/カドカワコミックスA・567円)。
 今回、深小姫女王様は心を癒しに温泉に行かれているので、出番は少なめ。もっとも本編中もずっとヌードだし、口絵もクビから垂らしたヒモ一本でアソコを隠してるという凶悪なものなので、サービスは相変わらずマンテンなのだが。
 深小姫のキャラクターって、いつもイライラしてて自分の能力と職業とオトメ心の間で引き裂かれてて、どうにも痛々しいんだけど、そういった描写が実にリアルなんで、ついホントに生身の女王様の私生活を見てるような気にさせられるんである。ストーカーがいるのってわかるなあ(^o^)。
 そのストーカー野郎に惣一郎、深小姫の行方をリサーチして貰うのである。この、犯罪者が探偵役を務めるってパターン、『羊たちの沈黙』以来、やたら増えたけど、決してレクター博士が元祖ってわけじゃない。「アルセーヌ・ルパン」はもちろん、「隅の老人」や「墓掘りジョーンズと棺桶エド」ほか、ミステリーの世界ではザラにいるんである。マンガでも田島昭宇の『多重人格探偵サイコ』や細野不二彦の『S.O.S』で先行されてるから、もう少しキャラクターに深み持たせないとちょっと弱いと思うんだけど。

2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか
2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州


2002年11月25日(月) 再爆走 真深造録燭鹵罅拭悒優海硫Α截慨(小野敏洋)/『獣星記ギルステイン』4巻(完結/酒井直行・田巻久雄)ほか

 さて、またまた爆走して何とか追いつこう。

 会議がまたまた長引いてしげを駐車場で待たせてケンカになる。
 もういい加減、毎回なので私もすっかり飽きてるんだが、どうしてしげもこう毎回飽きもせずに文句をつけるかなあ。やりとりの内容も毎回同じで、結局しげがワガママ言ってるのを詫びることになるのだからホントにムダなエネルギー使ってるだけなんだが。
 しげ、仕事まで時間が迫ってると言うので、「じゃあ、晩メシはカレー屋で食うからそこで落として」と言ったら、「時間がかかるからヤだ」と言われる。ウチから100メートルも離れちゃいないのに、なんでそれくらいの寄り道ができないか。
 「ちょっと寄るくらい1分もかからんだろう」
 「アンタ道を知らんね。5分はかかるとよ」
 「5分もかかるか。1分だよ」
 「5分」
 「1分」
 「5分!」
 「1分! どっちでもいいから落とせ!」
 実際には3分かかったそうである。なんでしげがそんなに反発したのか後になって気付いたが、自分のことを放っぽいといて、一人だけカレーを食うってのが気に入らなかったのだな。
 だからそれがワガママだろうに。
 

 DVD『あずまんが大王【2年生】』、続き。
 おーさかとちよちゃんが記憶だけでヘンなパンダの絵を描くエピソードが好きである。
 おお、今気付いたが、私、パンダの実物ってまだ見たことないや。
 大学時代、東京に住んでたころ、もちろん上野動物園にパンダはいたのだが(初代のカンカンとランランじゃなかったと思うが、なんて名前だったか覚えてない)、男一人で上野に行くというのも情けないし、男友達みんなで見に行くというのはもっと情けなかったので、結局、見に行かずじまいであった。
 今はしげ連れだから見に行ったっていいと思うが、どうせしげのことだから「パンダ怖い」とか言って見たがりゃしないのだ。
 ゆかり先生やともが「ジンギスカンを知らない」というネタがあったけど、東京じゃ焼肉はあまりポピュラーじゃないのかな。福岡だと韓国風焼肉を中心にどんな小さな路地裏にも必ず焼肉屋があるってくらいに焼肉屋だらけなんだが。ジンギスカンも結構あるぞ。


 マンガ、小野敏洋『ネコの王』3巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 ふと思ったがタイトルの「ネコの王」って「蝿の王」からの連想だろうか。蝿の王はベールゼブブだけど、ネコの悪魔ってなんかいたっけ?
 本編は「VS西海龍王編」がメイン。五岳家の御先祖様の話なんか出てきて、随分物語に深みが出てきている。この御先祖様がなかなか豪快で味のあるキャラなんで(妖怪退治を趣味にしてるくらいだからねー。ネコの宝貰っても全然動じてないし)、多分そのうちタイムスリップかなんかして、修と協力して「最大の敵」とかに当たったりするのだろう。ありがちな展開ではあるがキャラが生きてるのでヨシ。
 本誌の方では猫女神様、もう仮面を脱いでるそうであるが今巻はまだ。猫の宝が五岳家に渡った経緯も知らないくらいのボケキャラぶりが楽しい。
 こういう「女神=ボケ」というか「マドンナ=鈍感」ってパターン、少年マンガじゃすっかり定着しちゃってるけど、やっぱり元祖は夏目漱石の『三四郎』の美禰子なのかな。あ、『吾輩は猫である』の雪江の方が早いか。
 マンガだとルーツはどのあたりになるのかねえ。パターンとして完全に定着させちゃったのは高橋留美子『めぞん一刻』の響子さんとか『らんま1/2』のかすみお姉さんだと思うけど、意外とそれ以前は意図的にキャラ設計したものって少ない気がするんだよね。基本的に少女マンガだとヒロイン自体がドジッ子ってことが多いから。
 ハッキリしてるのは漱石の時代は「女のボケ=罪悪」という認識が明確なのに、現代は女が愚かであればあるほど逆に許容されちゃってるってとこだな。これって「バカには勝てねえ」ってことか? ……実感できるなあ(^_^;)。


 マンガ、酒井直行原作・田巻久雄漫画『獣星記ギルステイン』4巻(完結/小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 あっさり終わっちゃいましたね。アニメの方もヒットしたって話も聞かないし、メディアミックスのプロジェクトとしては失敗だったんじゃないかなあ。やっぱさあ、韮沢靖デザインがグロなだけで波及力に欠けてたのが原因の一つちゃうかな?

2001年11月25日(日) オタアミ承前/『すごいけど変な人×13』(唐沢俊一・ソルボンヌK子)/DVD『金田一耕助の冒険』ほか
2000年11月25日(土) 希ウィッチィズ/安藤希トーク&サイン会


2002年11月24日(日) サベツとの長き闘い……はまだまだ続くよ(-_-;)/DVD『アクション仮面VSハイグレ魔王』/DVD『あずまんが大王【2年生】ほか

 23日分の続き。っても、DVDとかの感想だけだけど。

 『オトナ帝国』と同時発売の『アクション仮面VSハイグレ魔王』。
 記念すべき映画化第1作である。
 思い返せばこの映画をテレビで初めて見たときははっきりと「どんなにつまんないか、実際に見てみて貶してやろう」と思ってたんだよね。その先入観が見事に覆されたんだから、やっぱり食わず嫌いってのはいいこっちゃないよ。しげも「なんで『しんちゃん』とか録りよるん!」と言ってたのが、今や私が先に映画見たら悔しがるくらいになっちゃったからなあ。「買うのは映画だけでいいよ」って言っときながら、「ほかのは買ってないん?」って聞いてくるし。
 今から『しんちゃん』のファンになる人ってある意味では不幸だなあ、と思うのだ。私たちが『しんちゃん』のファンになったころはホントに世間での評判が悪くて、有害アニメ扱いだった。それを「そんなことはない、あれは素晴らしい傑作アニメだ!」と主張したときの相手の蔑みの目。悲しいのは、一般人ならいざ知らず、アニメファンの中でもそういうヤカラが少なくなかったことだ。「映画はまず見てから判断」という当たり前の基本事項を認識してないスットコドッコイがどれだけ多いかってこと、認識させられたこの十年だったんだからよ。
 偏見に晒された分、私たちは「クレしん映画のどこがすごいか」は、シロウトなりに「先達」としていっぱしの口が利けるようになったのである。他人の評判を聞いて後追いでファンになった人に対して、「まだまだだね」なんて言っちゃえるのである(^o^)。いや、そんな態度取るつもりはないんだけど、自然とそんなふうになっちゃうものなんだよ。
 「バカにしないでともかく見てみなよ、話はそれから」
 この程度の言葉でも「後追いくん」にはすごく高飛車に聞こえてしまうものなんだよね。時をもとに戻せぬ以上、先輩後輩の逆転は不可能なんで、これは如何ともしがたい。こういう先輩風吹かすやつが前にいると、新しいファンはかえって鼻白んじゃって、またまた映画を素直に鑑賞できなくなる。事実、映画を見た人でも「そんなに激賞するほどのもんか?」って反応しちゃうことがあるけど、それってたいてい「後追い」のバイアスがかかっちゃって、映画の価値を見逃しちゃってるせいなんだよねえ。
 でもそのせいで、「子供向けアニメ」とバカにしてるものの中にどれだけ宝石が混じってるか、気がつかずに過ごしちゃうのはやっぱり不幸じゃないのかな?
 『しんちゃん』だけでなく、『デジモン』だって『どれみ』だって、傑作エピソードが目白押しなのは「見て」りゃわかる。それが『ワンピース』や『コナン』のような雑な脚本や演出の作品といっしょくたにされちゃうことが多いってのは、やはり「子供アニメ」なんてククリでモノを斜め見してるからなんじゃないか。
 やっぱ、アニメファンって受身な人が多いんだよ。誰かから「あれはスゴイよ!」って言われないと気付かないし、そう言われても、どれ、じゃあいっちょ見てやろうか、って時には、その作品には先輩たちの手垢がベタベタ付いちゃった後で、素直に評価しにくい雰囲気ができあがっている。
 日頃から自分で面白いものを発見していこうって姿勢がありゃ、ホントに面白いものを見逃すこともそうはないんだけれども、そんなにしょっちゅうテレビに齧りついてもいられないしねえ。
 でも、少なくとも見ないうちから勝手に出来不出気を決めつけるような発言だけはやめてほしいよね。

 また本編の内容に触れてないな(^_^;)。てなわけで、あわてて解説。
 冒頭に展開されるテレビ『アクション仮面』の撮影風景。この作画の密度、演出の上手さにまず度肝抜かれちゃったからねえ。荒野で鎖につながれてるミミ子ちゃんを仰角で捉える大胆な作画。そのミミ子ちゃんの顎をしゃくるスケルトン教授ゾンビリビーのいかにも悪辣な演技、そして夕日をバックに岩の上でゆっくりと立ちあがるアクション仮面の勇士。何に魅せられたかって、その「映画」としての演出だったんだよね。
 最初見たときには特に泣きもしなかったけど、駄菓子屋のシーンでなんか涙ぐんじゃったよ。これからしんちゃんが「選ばれし子供」……じゃない、「アクション戦士」としてパラレルワールドに旅立つんだと思うと思わず「がんばれ!」と応援したくなっちゃってね。
 しかしこのころはみさえも若くてしんちゃんとすごく友達感覚でじゃれあってたんだなあ。いや、タンクトップのみさえって結構イロっぽいぞ。そしてしんちゃんが「ケツデカみさえ」ってやたら言うの、これちゃんとしんちゃんの低い視点から見るとホントにデカく見えるんだってことに気付いた。この第1作はアオリのカットが特に多くて、それがよくわかるんである。ムネなんて遠すぎてデカさなんて実感しない。ホントに小さいのかもしれないけど(^o^)。いやあ、こんな最初期からちゃんとリアルな感覚で作られてたんだなあ。
 せっかく『オトナ』や『青空侍』で『しんちゃん』にハマったオタクのみなさん、『オトナ帝国』だけでなくて『アクション仮面』もよかったら買ってみてね。


 DVD『サイボーグ009 バトルアライブ8〜神々の来襲〜』。
 いよいよミュートス編、これをたった4話で終わらせるのはもったいないよなあ、と放映当時から思っちゃいたが、22話、23話でお話を壮大に広げたのに、それが後半生きてこないのが見返すとちょっと残念に思える。アポロンなんか実は19話『英雄の条件』からジェットを見張ってたんだからなあ。もう少しナマなところでサイボーグたちと関わらせてほしかったねえ。
 だいたいミュートス・サイボーグたち、22話で全世界を恐怖に落としいれときながら、その後、世界の反応が全くなくてサイボーグたちに全て闘いを任しちゃうってどういうことよ。原作のまんまやってるんだからしょうがないんだけど、もちょっと大きな展開、タメがほしいところだったね。
 作画の書き足しがあるかな、と思ったら、23話、岡崎洋美・安彦英二両氏に加えて丸山泰英氏がクレジット。そう言えば放映当時は絵が雑だったかな。

 今巻とは関係ない話題だけど、『009』のホームページで002・ジェット・リンクの出自が問題になっている。『ウェスト・サイド物語』がモトネタだからイタリア系かプエルトリコ系か? とか悩んでるけど、「ジェット・リンク」の元ネタは『ウェストサイド』じゃなくて『ジャイアンツ』だってことも今時のファンは知らないんだな。だからあれはジェームス・ディーンなんである。


 マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』3巻(初回限定特装版/角川書店・798円)。
 特装版はいいのだけれど、表紙のどこにも「3巻」の文字がない。買う時すっげー迷った。これ単純なレイアウトミスなんだろうね。設定資料集がついて通常版578円より200円も高いってのはちょっと割高過ぎないかな。
 今巻はガルマ編の前半、マチルダさん初登場までを収録。カラーページも一部収録されてるけど、全てではない。『ガンダムエース』本誌も買って、さらに単行本も買ってるんだから、巻末に後書きくらい書いてほしいなあ。



 で、ここから本日。

 日曜の朝、アニメ特撮三昧復活、ということで『ハリケンジャー』から『ギャラクシーエンジェル』までぶっ通しで見る。でも感想はめんどくさくなるから書かない(^_^;)。最終回が近いものばかりでみんないろいろくふうしてるねってひとで。


 DVD『あずまんが大王【2年生】。
 初回特典は「あずまきよひこイラストレーションズ」。世の中「こんなオマケ付けてどうすんじゃ」ってものも多い(例えば「ハクの……」)中、これはなかなかの「買い」だね。やっぱお客さんが何を付けてもらったら喜ぶかってこと、少しはリサーチした方がいいと思うんである。
 あずまさんのホームページを見ると、彩色は全部パソコンでやってるそうだけど、ここまで手描き風に出来るもんなんだなあと感心。滲んでるようにすら見えるんだもの。……っつーか、塗りがヘタに見えてしまうのはどうかって気もするけど(^_^;)。

 本編の方も出来はいいと思うけどなあ。山本弘さんが「似て非なるもの」と憤慨してるってのはどういうところなんだろう。山本さんのホームページに質問を書き込む勇気はとてもないんで、ずっと謎のままなんだけど。
 4コマを30分一本のマンガにするんだから、脚色はどうしたって必要になる。単純なこと言っちゃえば原作には背景が描きこまれてないことだってやたらあるんだから、アニメのスタッフはそこから創作しなきゃならない。シチュエーションのイメージが違っちゃうことを回避することなんてまず不可能な話なのに、限界に挑戦、とまではいかないまでも、4コマのワクに固定化されたものをアニメとしていかに「動かす」かって工夫はいろいろやってると思うがなあ。
 それともオリジナルな展開がお気に召さなかったかな? 榊さんと神楽をライバルとして見せるためにあちこちからエピソードを寄せ集めただけでなく、もともと神楽が登場してなかった話にまで出演シーンを付け足したところとかあるけれど、原作に対する冒涜だって感じられたのかなあ。私なんか「うまくまとめたなあ」と感心した口なんだけど。
 ただちょっと気になった「変更」はあって、「夏休み」の巻でのゆかり先生とにゃも先生の会話が完全入れ替え。原作では沖に流されちゃったおーさかを見ながら、ゆかり先生が自分の責任問題を心配してるのをにゃも先生が「私の生徒じゃないし」と付き離す、という極道なネタだったのだが、それが「生ハムメロンって抱き合わせ商法だよね?」「酢豚のパイナップルよりはましじゃない?」と差し障りのない(でも意味不明)なやりとりに変更。やっぱり生徒を見殺しにするような先生の発言は不謹慎すぎて放送禁止ってことなのかな。全くギャグ一つに神経過敏になりすぎだよな。言い替えればそれだけ原作のギャグが真実を突いてあるってことなんじゃないの〜?
 「夏休み」のギャグで一番楽しかったのはにゃも先生が「エロエロな話」してる最中に流れる挿入映像。風鈴やら雷門やら忠吉さんと戯れるちよちゃんとか。全くどれくらいエロな話してたんだ、にゃも先生。当たり前だけどみんな免疫ないんだなあ。ちよちゃんに免疫あったら怖いけど。
 1巻に10話も入ってるので今日見たのは前半の5話のみ。


 マンガ、あだち充『KATSU!』5巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 おお、5巻を越したな。前回の『いつも美空』の反省もあってか、いかにもあだち充調なスポーツラブコメ、一応今度は人気が出たようだね。一作置きに実験漫画描いてポシャっちゃってまた原点に帰るって繰り返しか。サンデーの読者って保守的だよなあ。
 実際、ドラマはようやく序盤戦終了、という感じだから、ここで打ちきられたら作者もイタかろうが、読者だってイタイ。『美空』だって消化不良だったんんだよ。ちょっとくらい面白くないからって、長い目で見る忍耐力くらい持ってほしいもんだ。
 香月が完全にボクサーからリタイアして、活樹と紀本のライバル関係が明確化され始める。香月が言ってる通り、活樹は「1年後には高校チャンピオンよ」だそうだから、少なくともあと5巻は続く計算になる。でも実時間とは微妙にマンガの進み具合が違ってて緩やかな感じがするから、このペースで行くのなら、短くても20巻はかけないとバランスが悪そうだ。あだちさん自身、4、5年の連載を考えてるんじゃないのかな。
 ラビット坂口にリング上で殺された赤松隆介の存在がどの程度伏線として生きてくるのか、これだけでも5巻分は引けるな。内田がいかにも関係ありそうなんだけど、そこははずしてもちっと引いてみるとか、手はいろいろあろう。もちろん連載は続いてほしいんだけれど、つまんないままダラダラ続けられても困るからね。
 個人的にはもう一回くらい香月をリングに立たせてほしいんたけどね。せっかくボクシングする女の子なんて、今まであだちさんが描いてこなかったヒロインを登場させたんだから、このままリタイアさせたままなのは何と言っても惜しいよ。
 

 マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー 民俗学者八雲樹 山姥の里殺人事件』(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。
 えー、あの有名なトリックと、あの超有名なトリックの組み合わせです。これで「重厚推理マンガ」(←オビ)とは片腹痛いわ。絵ももちょっと練習しようよ(-_-;)。こっちは感想、こんなもんだ。

2001年11月24日(土) オタクアミーゴス in 九州 2001
2000年11月24日(金) ハートブレイク/舞台『人間風車』


2002年11月23日(土) 江川卓>○○○/CD『ちょんまげ天国』/DVD『ハレのちグゥ』4巻/『ほしのこえ』/『オトナ帝国の逆襲』

 ごくごくたまにしか更新しない西原理恵子様のサイト『鳥頭の城』。
 いや、新刊案内とかはアシスタントの愛ちゃんがコマメにされているのだが、御大のご登場がヘタすりゃ1年に1回とかだったりするのである。
 それが珍しくも「ボツマンガ」ということで、『毎日かあさん』(タイトル通り毎日新聞』の日曜版に連載してるそうだ。読売の『あたしンち』を狙ったのかねえ。毎日新聞おおバカ(^o^))の1回分をウェブだけで公開。
 サイバラさんの二歳になるムスメさんがイタズラばかりするのに全く非を認めないのを「北朝鮮」と煽ったらボツ食らったんだと。そうか『毎日』は北朝鮮寄りだったか(^o^)。
 ということでなくて、日曜生活版なところにあまり政治の話題を持ちこんでほしくないってことなんだろうけれど、だったらサイバラさん呼ぶなよ(^_^;)。あの人にとっちゃ、政治も今晩のメシもインドもスカトロも脱税もみんな同レベルなんだから(考えてみたらすげえ作家だ)。
 っつーか、サイバラさんでなくとも世間では恐らく、自分の非を認めないやつを「おまえ北朝鮮か」とか「コイツ北朝鮮や」とか呼ぶのは既に日本中で一般化してると思われるのである。
 確かになんの非もない在日の北朝鮮の人がそれを聞いたら気を悪くするのはわかるんだが、今の情勢を考えた場合、サベツを甘んじて受け入れろとまでは言えないにしても、そう言ってふざけてる日本人をあえて責められはしないんじゃないかな? 日本の過去の罪については何の関係もない戦後世代の人間に対してまで「民族として反省せよ」なんて難癖つけてたんだからさ。そういうトバッチリを民衆が受けないためにも国ってのはシャンとしておいてくれないと困るんである。在日の人が怒るんなら日本人に対してじゃなくて未だに拉致ってる本国の方にでしょ? 矛先間違えてんじゃないよ。
 ずっと昔、似たような意味で「エガワる」って言葉もあったが、江川卓が怒ったって話は聞かんよな。北朝鮮、江川以下か(^o^)。

 しげ、このマンガを読んで、どうしてボツられたかってのを「これ読んで怒った北朝鮮の人間が攻めて来るから」と思ったそうである。どこにや(-_-;)。でもそれくらい北朝鮮の人間が「危険」だと思われちゃったってことなんだよねえ。
 サイバラさんのマンガは単行本化の際にはちゃんと掲載されるそうであるが、多分まだ国内にゴマンといる北朝鮮の工作員の人たち、サイバラさんを脅迫したり拉致ったりしたら、全国五千万人のサイバラファンが即座に戦争放棄宣言を放棄して北朝鮮本国を5分で殲滅しかねないから気をつけようね♪


 なんだかよくわからないが、ウチの劇団で忘年会が計画されている。
 具体的には12月14日に某焼鳥屋で食いまくったあと、朝までカラオケ、とか言ってたような気もするが、なんか2次会をウチでやる方向になったとか。
 ……ウチのどこで。
 冗談ではなく今現在のウチの中は腐海と化している。ふかわりょうに来てもらって、片付けてほしいくらいのものである。
 「どうすんだよ、おまえ片づけられるのかよ」
 「うん、だから鴉丸呼んだ」
 ……だからどうしてそうやって他人に頼ろうとするかな。日頃から散らかしたものは片付ける癖つけてりゃどうってことないはずなんだがなあ。心を改めない限り私ゃ手伝わないと宣言してるので、ここまで放置状態になっちゃったのだが、改める方向に進まずに誤魔化す方向に行ったか。人間落ちだすと底はないな。
 朝10時、しげ、鴉丸嬢を連れて来る。
 ドアを開けるなり鴉丸嬢、「あんたら夫婦はねー!」と叫ぶ。いや、叫ばれても。いかほどの惨状であったかはご推察いただきたい。

 手伝わないやつはジャマだ、ということで家を追い出される。
 「5時まで帰ってくるな」と言われたので 天神まで出かけて買い物する。
 帰宅してみると、ほとんど片付いた様子がない。どうしたのかと思って鴉丸嬢に聞いてみると、「台所だけで一んちかかっちゃったんだよ!」とまた叫ばれる。鴉丸嬢、今日はそうとうノドを痛めてしまったようだ。
 こうなるとホントに申し訳ないから私も日ごろから掃除をしようかという気にもなるが、それでもしげが一切手伝わないのはわかりきってるのである。実際そうだったし。寝腐ってるしげを横目で見ながら黙々と片付けてると、なんかホントに寄生虫飼ってる気になって腹立ってくるし。でもだからって、自分が寄生虫になり返してちゃしょうがないってのもわかっちゃいるんである。
 でも既にこの家は自分一人でどうにかできるレベルを越えてしまっている。こうなったら誰かに手助けしてもらって……って、発想、しげと同じじゃん。


 買ってきたCD『ちょんまげ天国』をかける。
 ペリー荻野さん選曲のテレビ時代劇音楽集なのだが、ペリーさんが私と全く同い年なので、一曲一曲聞くたびに「ああ、これこれ!」という感じで実にこちらのキモを突いてくれるのである。
 『水戸黄門』や『銭形平次』なんかは入れとかなきゃってもので、まあどうだっていいんだけど、やっぱ『子連れ狼』は「しとしとぴっちゃん」の方じゃなくて『ててご橋』だよな、というのは実際にリアルタイムでテレビシリーズを見てた身には納得の選曲なのだ。アンタ、あのオープニング演出、実相寺昭雄だからね。オタクならあの白黒赤のコントラストの利いたオープニングに感動してこそってものであろう。
 『木枯し紋次郎』がかかってるの聞いて、鴉丸嬢、「オッサンがトラクターに乗って出てきそうな」とか言う。小林旭かっ! 無知は罪ではないが腹立つな。

 ラインナップ全部について感想書くとまたそれだけで今日の日記が終わっちゃうので、一部をかいつまんで。
 『浮遊雲』は当然、山城新伍のアニメ版でもましてやビートたけしのクソバージョンでもなく、渡哲也版の『GIVE UP』。古いモノ好きのしげにもこれは記憶に残ってない。そんなに昔だったかなあ。
 藤田まこと歌う『てなもんや三度笠』はただひたすら懐かしい。
 加藤剛歌う『風と雲と虹と』は今聞くともう「歌の常識」というものを根底からひっくり返してくれるくらいキョーレツ。当時は聞き流してたけどなあ。サビの部分の全く意味不明な「オーラオラオラオーラ」って「雄叫び」をいったいどう受けとめたらいいのか。作詞は劇作家の福田善之、作曲は山本直純である。こういう名曲も山本さん作ってたんだよなあ。
 全26曲のシメは『暗闇仕留人』から西崎みどりの歌う『旅愁』。小学校の修学旅行のバスで歌って顰蹙買った思い出があるな(^_^;)。名曲なのに。

 もちろん「あの曲はどうした」という思いが残るのはこういうセレクションものの常である。『ぶらり信兵衛道場破り』がないぞとか『素浪人月影兵庫』『素浪人花山大吉』がないぞとか。NHK少年ドラマシリーズ版の『快傑黒頭巾』は音源残ってないのかとか。

 戦後の映画の歴史において「時代劇」こそがエンタテインメントの中心であった時代があったことは断言できるが、テレビにおいてはどうであったかというとこれはちょっと微妙である。昭和四十年代前半くらいまで、往年の時代劇スターは『半七捕物帳』などに主演していた長谷川一夫を除けば、あまりテレビ出演をしたがらなかったからだ。それは結果的に「テレビにおける時代劇スター」を生み出したが、大部屋俳優に主演のきっかけを与えた効果がありはしても、作品自体が時代劇の深みを感じさせてくれるほどの出来にはならなかったことは『隠密剣士』を見返して見てもわかる。
 大物スターが節を屈してテレビ出演するようになった頃には、残念ながら彼らの「旬」はとうに過ぎていて、それらは黄金時代の輝きを持った作品ではなくなってしまっている。片岡千恵蔵の『世直し奉行』しかり、三船敏郎の『荒野の素浪人』しかり、萬屋錦之介の『子連れ狼』『破れ傘刀舟』しかり、勝新太郎の『座頭市』しかり。
 そんな中でまさしくテレビならではの時代劇の魅力を体現していた代表的な役者が杉良太郎だったというのが、良くも悪くもテレビ時代劇の質を決めてしまったのだ。このCDの中でも杉良の出演作が『水戸黄門』『遠山の金さん』『新五捕物帳』『大江戸捜査網』『文五捕物絵図』と五つも入っていることが象徴的だ。最初の主演作である『文五』こそ、松本清張原作(『張込み』の時代劇化もあり!)・倉本聰脚本・和田勉演出と重厚だったが、すぐに「軽み」だけの役者になって行く。テレビにはじっくり目を離さずに齧りつくように見なければならないドラマより、斜め見のできる軽さの方が求められていたのだ。

 それでも我々は「時代劇」に拘った。
 水戸黄門が、遠山金四郎が、銭形平次がいかに代変わりしようが、石坂浩二黄門にも橋幸夫金さんにも風間杜夫平次にも付いて行ったのだ。月形龍之介や片岡千恵蔵や長谷川一夫に比べれば見る影もない彼らに、込み上げる思いを抑えながらエールを送っていたのだ。そんな過去の自分を思い返すと、なんて健気だったんだと感心するほどである。
 だから私はたとえ役者としては里見浩太郎のほうが杉良太郎より上だと思いつつも主題歌となると「水戸黄門は杉良バージョンでなきゃ」、と思うのである。それは私が最初に「嫌いだけど好き」になった時代劇ソングにほかならないからだ。……あおい輝彦になるともうどうでもいいんだけどね。
 ペリーさんにはぜひとも第2弾を出してほしい。そのためにはまずこの一枚目が売れねばならんのである。時代劇ファンは買おうね。


 肩を落として帰って行った鴉丸嬢に同情しつつ、他のCDやDVDを片っ端からかけまくる。
 CD『クレヨンしんちゃん どうよう「きけばぁ〜」』。
 CD屋を3軒回ってやっと見つけたやつだけど、評判は聞き知ってたのでほしくてたまらなかったのだ。
 しんのすけ(矢島晶子)の歌う『せんろはつづくよどこまでも』『いぬのおまわりさん』『おなかのへるうた』『やぎさんゆうびん』『ふしぎなポケット』『おもちゃのチャチャチャ』。
 みさえ(ならはしみき)の歌う『バナナのおやこ』『おはなしゆびさん』。
 ひろし(藤原啓治)の歌う『おうまはみんな』『ごひきのこぶたとチャールストン』。
 園長先生(納谷六朗)の歌う『おおきなふるどけい』。
 アクション仮面(玄田哲章)の歌う『てのひらをたいように』。
 このラインナップを見て心を動かされないオタクがこの世にあろうか。ちゃんとそのキャラクターになりきって歌ってくれてるんだよねえ、役者のみなさんの底力を感じさせてくれる名演揃い、特に納谷さんの『ふるどけい』はマジで涙もん。この衒いのない歌いっぷりを肌で感じてしまうと某カバー曲は聞けなくなってくるね。
 それでも文句をつけさせてもらえれば、参加声優さんが5人って少なすぎるよね。『てのひら』、アクション仮面でも悪くないけど、普通に考えればこりゃ当然「春日部防衛隊」でのコーラスでしょう。園長先生以外の先生たちの歌もほしいし、絶対納得いかないのはどうしてぶりぶりざえもんにこの時歌わせなかったかってことだ。塩沢兼人さん亡き今、この夢は永遠に叶えられない。
 こういう企画モノを嫌う人もいるけれど、私はちゃんとキャラクターを大事にしてくれるなら全然オッケーなんである。若い声優ファンと意見が合わんな、と思うことが多いのは、その声優さんが歌ってりゃキャラクターイメージに合ってなくても平気って人が結構いるからなんだよね。
 このCDと一緒に、これまでのテレビ・映画の主題曲ばかりを集めたCD『ザ・ミレニアム・オブ・クレヨンしんちゃんベスト・ヒット・シングル・ヒストリー』も探したんだけどどこにも置いてなかった。新バージョンが出るの待つしかないかなあ。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』4巻。
 何はともあれ、以前から気になってたことで、でも別にたいしたことじゃないから気にすることもないんだけど、やっぱり何だか気になってて、結局どーでもいーんだかよくないんだかよくわかんないことが気にかかっててずっとずーっと考え続けてたんだけれど、それが何かとゆーとグゥの体形のことなんである。あの子の足って白土三平の『サスケ』に似てませんか。

 それはさておき、『ハレグゥ』OVAももう4巻目。前回の予告編で「最終回」と言ってたくせにまだ続くみたいである。けれど今回の予告編の作画、間に合ってなくて殆ど静止画。まるで『エヴァ』みたいだぞ。水島努監督、例の映画と平行しながら今のこのクォリティ、維持できるのか?

 それはそうと、今回初めて気づいたこと。オープニングでハレがモノに憑かれたように早口で妖しいセリフを呟くシーン、これ毎回セリフが違ってたのね(おせーよ気付くの)。
 1巻「消した携帯のメモリーだけど心のメモリーまだ消せない悩んだ末のEメール最後の♯が押せないの不要になった合鍵を私はなんで持ってるの? 世界は Love フィーバーでも私は One Side Love Love フィーバー Love フィーバー」
 2巻「外れ馬券を握り締め裏路地の居酒屋の暖簾をくぐる呑んで呑まれて呑まれて呑んで俺は冬の荒海の波間に揺れる旅鴉着てはもらえぬセーター持って北へ帰ろう故郷へ」
 3巻「世界は腐っている世界は病んでいる世界は÷>@%いる Rise in arms the Baby すべてを〒※£☆せよもう箱の中は空っぽだ§#^/なんてないついでに俺は疲れている」
 4巻「風に乗りどこへゆこうか夕暮れの人だらけの街を飛び出して若かったあの頃四畳半で二人何も怖くなかったただあなたを失うことだけが怖かったただ怖かった」
 ……なんかスゲーな吉元由美。いろんなアーティストに詞を提供してるらしいけど、この人絶対何か割り切ってるな(^o^)。私の好みは2巻である。

 さなきだに毎回本編にたいして触れずに関係ないことばかり書いてるのである。てなわけでちょっとは触れよう(^^)。 
 illusion察屮肇メキぴよ2マイエンジェル」。ウェダとクライブがちびっこになる話だな。ギャグは当然原作より過激化。クライブが読んでるエロ本、緊迫画集だし。「FUJIYAMA DREAM」ってタイトル、いかにもだけどモトネタがあるのかなあ。ボク子供だからよくわかんないや♪
 こういうのって絶対テレビじゃやれねえネタだよなあ。かと言ってOVAだからやっていいと言うもんでもなかろうが。
 illusion次峩嗣啾舂Α廖ちょっと見方によってはすっげーヤバいネタ。発禁になるんじゃねーか、これ。胸毛をなくして昏睡状態から戻れなくなった長老の夢の中にサイコダイブするハレとグゥ。そこは長老の理想の国、胸毛大陸であった(~_~;)。……おええ。マリィなんてハミ出して下まで行ってるよ。……それって陰毛って言わんか(-_-;)。凄いなあ、18禁でもないのにアニメに陰毛が描かれた最初の作品ではなかろうか。最初だからって、全然エラクないところが『ハレグゥ』の素晴らしさであろう。


 DVD『ほしのこえ The voices of a distant star』。
 前に買ったCDブックバージョンでなく、声優バージョンと短編『彼女と彼女の猫』を収録したインディーズ版。
 声優は武藤寿美・鈴木千尋の二人だが、誇張された声優喋りを抑えて、オリジナル版とイメージが違わないように努力している点、好感が持てる。でもだったら声優で吹き替える必要もなかった気がするが。
 短編の『彼女〜』はわずか五分の習作なのでアラも目立つのだが、新海誠監督がアニメを通じて何を表現しようとしているのかが見えるのが面白い。背景もリアル、人間のキャラクターもはっきり出さず、殆ど実写感覚で映像を作っているのだが、主人公の猫だけがキティちゃんのように単純化されたマンガキャラである。ここはもっとリアルなネコキャラでやった方がよかったのでないか、という意見は当然あろうと思われるが、さてそうなるとアニメにする意味自体、なくなってしまうのである。月並みな説明で恐縮だが、アニメキャラというのはまさしく「キャラクター」のシンボライズされた姿なのであって、実写キャラの持つ様々な夾雑物をできるだけ殺ぎ落とした形として出来あがっている。普通のネコが持っている表情、雰囲気、匂い、そういったものはこの猫にはない。あるのは飼い主の「彼女」への「思い」だけである。それをできるだけ純化して表現することこそが新海監督の目指したものだと判断してまず間違いはあるまい。
 となると、声をアテている新海監督の声とキャラとの違和感が気になるのだが、全編字幕と音楽のみ、無声映画にしてもよかったんじゃないかな、とも思うのである。インディーズ映画で無声映画ってのは国境も越えやすいしね。


 DVD『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』。
 ついに出ちゃいましたね! もはや「オタク」と名乗るならこれをバイブルとせずして何がオタクかという域にまで喧伝され尽くした、日本アニメ史上に燦然と輝く傑作、第1回日本オタク大賞受賞作『オトナ帝国』!(T∇T)
 何かこれについて語りだしたらまたそれだけで日記を三日分は使いかねないからなあ。何しろDVDで細かいところまで見返してたら、また新しい発見が山のように出てきたのである。で、また泣いてるし。なんか心のスイッチが必ず押されちゃう感じだね、大丈夫かオレ。
 発見の中には、劇場で見たときには気づかなかった「ミス」も結構あった。
 例えばマサオくんがオトナたちの誘いに乗って飛び出そうとしたとき、カザマくんたちから口を塞がれるのだが、画面ではその手はすぐに離されるのだが、声の方はまだくぐもったままなのである。作画が間に合わなくて、シロミだけだったんでズレちゃったんだろうなあ。
 ドラマ的に「あれ?」と思ったのは、しんちゃんたちを捕まえに行くひろしとみさえが、最初はそれが自分の息子だという記憶は持ってたのが、出会ったときにはもう完全に忘れてしまってるあたりか。でもこれは矛盾というより匂いによる洗脳が進んだと考えるべきかもね。
 もちろんそういう細かい破綻を越えた「何か」があるからこそたくさんのオタクたちの指示を受けたのだが、映画に大満足したあと、それで終わらずにどこかツッコムとこはないかと鵜の目鷹の目で探したくなるのも、それがより深く作品を味わいたいという欲求の現われなのである。
 DVD仕様は日本語字幕つきなので、劇場では聞き取れなかったセリフや歌詞もちゃんと見られる。コンパニオンさんに絡んでるしんちゃんを連れてくみさえ、最後に「ファイン・サンキュー」って挨拶してたんだね。初めて気付いた。セリフのカットなんてのは全くなかったけれど、唯一、字幕で、コサキンのギャグ、「お尻をギュッ!」「ケレル!」が「カモン!」に変更されていた。字幕担当者が一般客には意味不明と判断して変更したのかもしれないが実際のところ、よくわからない。変更は私の見たところその一点だけだった。


 枚数超過したので続きは明日の日記にて。

2001年11月23日(金) 純情エロさん/オタクアミーゴス前夜祭
2000年11月23日(木) 勤労感謝の日スペシャル/『超オタク』(岡田斗司夫)ほか


2002年11月22日(金) 最上の味と最低の映画/映画『恋に唄えば』/『ブラックジャックによろしく』3巻(佐藤秀峰)

 予定では今日は職場に居残って残業しなければならないはずだったのである。
 ところが突然予定が変わって、仕事にポコン、と穴が空いてしまった。いきなり仕事が入ることはあっても、仕事がなくなるなんてことは滅多にないのに、これは珍しいことである。でもおかげでしげを駐車場に待たさずにすんだ。ありがたい。

 ところでしげもいいトシである。
 この日記では、ヤレ、精神年齢が未だに小学生レベルだの、頭でっかちの六頭身だの、オシャレに無頓着でまんま『あしたのジョー』の冒頭シーンに出演できるだの、童顔でしょっちゅう浮浪児と間違えられるだの、適当なことを言っているが(今まで言ってないのもあるが)、そんなしげも今や野原みさえと同い年なのである。
 酸いも甘いも噛み分けて、とまでは行かないにしても、ちったあオトナらしくなってるところもあるかと思えばそうでもなかったようなのだ。
 しげの職場での出来事なんだけど、昨日、同僚の男性の人と偶然手が触れちゃったらしいのね、何かを取ろうとした拍子に。途端にしげ、ドキドキしてしまったらしい。
 しげが何に驚いたかって、自分がまだそんなことでドキドキしてしまうんだってことにビックリしちゃったと言うのだな。もっともこの「ドキドキ」ってのは、オトメ心何色、とか、だって純情どうしよう、とかいう類のものではなくて、未だに自分の人見知りが治ってないってことらしいんだが。
 治ってないでしょ、そりゃ。何を今更だよなあ、それでこっちは散々苦労させられてるってのに(^_^;)。
 しげの対人恐怖症、以前から見たらだいぶマシにはなっているが、一般レベルで考えればまだかなりヒドイのである。とりあえず客商売ができてたり、演劇仲間と会話できたりしてるのは、頭の中でシミュレーションができているから何とか凌げてるだけなんで、初対面の相手とは未だに無言で過ごすことも珍しくない。何を話せばいいのか全く思いつかないのだね。もう何度となく「差し障りのないこと話せばいいじゃないの、天気の話でもいいからさ」とか具体例をいろいろと出して「こうしたらいいよ」と言っちゃいるんだが、記憶力がないから結局とっさの時の役には立たないのである。いくら言っても忘れられるんなら、私だっていい加減相手をするのがイヤになる。もう十年言い続けてるのに治そうともしないんだものな。
 その同僚とは「手が触れる」というシチュエーションを全く想定してなかったらしい。まあいちいち想定するものでもないが、オトナならそれでドキドキするのは「ちょっと情けない」と思って然るべきものだ。
 「そんなことないよー、女の子なんだからいつまでもドキドキしてたっていいじゃんよ〜」という意見をお持ちの方は、こう考えたらどうか。例えば、私が職場の若い女の子の手にウッカリ触れてしまって、ドキドキしてしまったらどう思うかと。「あっ、うっかり触れちゃってゴメン、でもワザとじゃないんだよ、……あれ? ワザとじゃないのに、このムネの奥から湧き上がってくるドキがムネムネする気持ちは何? これって、ボクにまだ若さがあるってことなのかな? うふ、ウレピイ♪」……「死ねよオマエ」って気がしないかね(-_-;)。
 男と女とでその見方に差をつけちゃイカンよね。しげの「ドキドキ」も実年齢を考えればそうとうキモイものだ。これって結局、痴漢の自己弁護なんだよ。
 しげがそう感じちゃったのは、やっぱりあいつの精神年齢が小学生から一歩も進んでないってことなんで、それはどうしようもないことなんだけれど、せめて「オレってバカ?」くらいは思ってほしかったな。オトナになろう、という気持ちがないから、そのドキドキを肯定的に見てしまうのである。なんかしげのやつ、ホントに人の苦労を無にしてくれる言動ばかりしてんだよな、ここんとこ特に。
 言っときますが、私が若い女の子の手に偶然触れちゃうなんてこと、職場じゃしょっちゅうあることなんですが、全然ドキドキなんてしません。ラッキーとも思いません。ホントよ。


 夕食は久しぶりに豪華に「エスポワール」でコース料理。一番安いやつでもン千円だよ。エンゲル係数高いってまたぴんでんさんに言われちゃうな(^_^;)。
 フランス料理、親にだって滅多に連れて行ってもらわなかったからねえ。昔に比べて贅沢になってるのは否めない。
 オードブルはエスカルゴに小エビ。多分、エスカルゴを食うのって、私ゃ生まれて二回目くらいだ(^o^)。いや、プリプリしてて美味かったっスよ。やっぱ特別なカタツムリなんだろうねえ。しげは全く手をつけなかったけれど、気持ち悪いからかな。だったらフランス料理食おうなんて思わなきゃいいのに。もったいない話である。
 紫芋のスープ、芋の味である(当たり前だ)。
 メインディッシュは牛肉ステーキ・骨付き豚肉のソテー。どちらも肉汁はたっぷり、けれど二口三口と食べつづけても舌にもたれることのない極上の味付けで、甲乙つけがたい。けれどしげはやはり牛肉のほうが好み。調理以前に肉の種類でしげのランクは決まってるんだから、シェフも腕の振るい甲斐がないよな。
 デザートは梨のアイスクリーム・ケーキに紅茶。なんかいかにも「食事」したって感じで大満足。
 

 コース料理の唯一の欠点は、チビチビ食うのですぐに腹が減ることである。
 1時間半ほどエスポワールにいて、それから映画を見にワーナーマイカル福岡東に向かったのだが、到着したころにはしげも私もすっかり腹減りくんであった。
 道すがら、空に光るものがあったので「あ、UFO」と言ったら「飛行機やん!」としげから怒られた。この程度の冗談でも怖いか。
 ロッテリアで新発売のハンバーガー定食を食べる。でも気がついたら私の分が半分に減っていた。いくら腹が減ってるからって、断りもなく勝手に人の皿から取るなと言ってるのになあ。そう言えばしげの好きな映画『鬼畜』でも冒頭、長男が長女のラーメンを勝手に盗んでたが、やっぱしげの精神年齢って5歳なんだな。

 ワーナーでトイレに入ったら、出会い頭に知り合いに会う。
 本来こんなところで遊んでちゃいけない人のはずなんだがなんでいるかな。
 そのへん問い詰めたら、すっげー威張ったイケすかないことを言われた。世の中、自信家っているんだなあ。

 映画『恋に唄えば』。
 おお、久しぶりにしげと二人で貸し切り。
 ヒットする要素なんて何もないから客入らねえだろうなあ、と思ってたがやっぱり予想は的中したな。
 錯覚してる人は未だに多いと思うけど、何度もこの日記でも書いてる通り、金子修介監督、最大ヒットが『ガメラ』なんで、はっきり「映画が作れねえやつ」と断定していいと思うんだけどね。
 いや、ヒットするしないでその監督の資質を問うべきではない、という意見を否定してるわけじゃないんだよ。私が言いたいのは、金子監督は明らかに「ヒットを狙ってる」、にもかかわらず「ヒット作がない」、すなわち、「映画をヒットさせるために何をすればいいかがわかってない」ということを指して「アホか?」と思ってるわけ。金子監督の大学のセンパイである押井守が、「自分の好きな映画を作りたいだけで、別にヒットを狙ってない」、だから「ヒットしない」のは当たり前で、これは別に批判の対象にはならないの。

 設定はいつも面白そうなんだよ。だからアイデアがある人ではある。原作者としてなら、評価もできるけど、脚本と演出は他人にまかせたほうがいいよな。優香を使うんなら、歌を歌わせるだけってアホだと誰でも思わん? 水着にするとかシャワーシーン入れるとかイロっぺーデザインか素っ頓狂なデザインの衣装着せて躍らせてチチ揺らせる、それしなくてどうして客が来るかよ。それとも事務所がバカで「もう優香は水着にはしません」とかシバリかけてきたんかね?
 だったら蹴ろよ、そんな企画。どんなクズ企画でも引き受けていいのは日本じゃ三池崇史だけだ。

 冒頭、春の浜辺で、桜井ユミ(優香)と恋人サトル(玉山鉄二)が仲良く歩いている。
 いかにもありがちなシーンで鼻白んじゃうけど、このときのユミの顔がいかにもバカっぽくて「幸せ〜」なんてナレーションも入ってるから、これはまあ、ワザとなんだなと許せはする。でもこのユミを「バカ」に見せたいのか「可憐な女の子」に見せたいのか、どうも演出が甘いのだ。「金子修介は女の子を描くのがうまい」という評価も一部にはあるようだが、それも錯覚だと思うな。ありきたりなイメージの中身のないスカスカな女の子しか描いたことないよ。『ガメラ』の長峰が魅力的に見えるのは、演じた中山忍本人がよかったから。
 いや、女の子の描き方だけじゃない、幸せ絶頂のユミにサトルは突然別れを切りだすんだけど、次のカットは横っ面に水をぶっ掛けられ大雨の中、ずぶ濡れになってるユミ(このときも下着が透けてない!)。
 あの、サトルは「別れてくれ」と言ったあと、どうしたの? そのまま逃げたの? それはユミが雨に濡れる前、後、どっち?
 あとの展開から、サトルは決してユミを嫌って別れたわけではなかったということがわかるから、当然、濡れる前なんだろうけれど、ここは「別れたくて別れたいわけじゃない」というサトルを描写しないと、観客はこの恋を実らせていいのかいけないのかそれすらわかんないんだよ。だいたいついさっきまでユミ、ただのバカにしか見えてないんだし。ロマコメつくりたいんでしょ? だったらヒロインに向かって「頑張れユミ!」って客が応援したくなるような演出しないでどうするよ。
 この段階でユミやサトルに感情移入できる人がいたら、その人は相当思いこみが激しいタイプだね。近寄らない方が無難である。
 ここだけじゃなくて、徹頭徹尾、金子監督には映画を見るための指針を観客に与えるという、初歩的な演出すらできていないのだ。

 失恋のショックから、勤め先のデパートでも失敗ばかり重ねてしまうユミだけれど、「大アラビア展」の催事場で、“願いごとをかなえる壺”を発見して、思わず「願いごとをかなえてよ」とつぶやく。煙とともに壺の中から現われるアラビア衣裳(でも顔はどう見ても日本人)の中年男(竹中直人)!
 ……竹中直人についてはどうにもミスキャストなんだけれど、どこがどうかって言い出したら「全部」ってことになっちゃうから、あとで部分的に詳述しよう。まず登場シーンでユミからも「どう見てもただの日本のオッサンじゃないの!」と突っ込まれるギャグが自虐ギャグ・楽屋オチとしても全然利いていない。
 壺男(「壷次郎」と名乗るシーンがあるが、ラストのテロップは「壷男」)は、ユミの願いごとを一つだけかなえると言う。信用しないユミは「今すぐラーメンが出せる?」と聞くが、壷男は本当にラーメンを壷から出してしまう。慌てたユミは、「願い事を変えて!? やっぱりエルメスのバッグをちょうだい……ううん、別れた恋人を取り戻したいの!」と本音を。ここで先の指針が見えていないことがもうひどいマイナス要因になってしまう。ユミのこのワガママに全く感情移入ができないのだな。
 壺男は安請け合いをするけれど、どうも様子がおかしい。実は「人の心を変える」願い事だけはしちゃいけないことになってるのが後で判明するのだが、それも「まずはサトル君に会おう!」と慌てる壷男の様子から見てる客には歴然。ユミにだけそのことが分らないのはやはりご都合主義で、彼女がますますバカにしか見えてこない。だからヒロインの描き方間違ってるってば。
 サトルの家に着いたものの、家政婦さん(石野真子!)は「サトル様はオーストラリアへ旅立ちましたよ、まるで何かから逃げるように」と伝える。このときの石野真子の演技は臭すぎず真実味があって、さりげないけど名演。けれど、「ホントは別にサトルは逃げてるわけじゃない」という描写が事前にないからホントにサトルがユミから逃げたように見えるんだよね。これも演出の失敗。

 この後、居酒屋でユミがヤケ酒をあおるシーンや、壷男がテレビに登場してユミをオーストラリアに行くように誘うシーンなどは全部ムダで逆効果。このシーンのあとでどうしてユミがサトルを追いかけて行くことを決意するのか、全然つながらない。ここはスパッと間を置かずに猪突猛進させた方がずっと自然だし、テンポも出る。ここまで脚本も演出も基礎的なことがわかってないと、殆どシロウトだよ。
 それにここで登場した長老(古田新太)、壷男に「また女に惚れたな?」と言うんだけれど、これホントに竹中直人がイヤらしい中年にしか見えないからシャレにならんのだ。ユミのことが好きだけど、縁の下の力持ちに徹するしかない純情男って風に演出したいんなら、竹中直人だけは使っちゃダメでしょ(-_-;)。これ、まだ本物のアラビア人使った方がマシだよ。チャダ呼んで来い、チャダ。 
。意志に反して、なぜか壺男を道連れに・・・。

 辿り着いたのはオーストラリアのブリスベン。俯瞰のシーンがないからどこがどうオーストラリアなんだかよくわかんないが。日本ロケで熱海でもよかったんじゃないか。どうせビンボ臭い日本映画なんだからとことんビンボ臭く作ってみたほうがかえって笑えるものができたかもよ。
 ユミと壷男がカフェで食事をしていたときに、インチキ手品師に財布を盗まれて、二人は一文無しになってしまう。仕方なく厨房でのバイトを始めておカネを稼ぐ始末に。ユミに悪態をつかれながらも、壺男は「大丈夫〜♪」と脳天気な歌を口ずさんで、カフェや通りの人々を巻きこんで陽気にミュージカル!
 ……ってここまで全くミュージカルシーンがなかったのはどういうわけ? しかも厨房のシーンはともかく、通りに出てからワンブロックも動かないでどこがミュージカルかね。で、なにがヒドイって、まず第一に竹中直人のダンスがいつもの竹中直人踊りで、全然ミュージカルになってないこと。バックと絡んでないんだよ。更に優香がこのミュージカルシーンに全く参加しない!(っつーか最後まで殆ど躍らない)スケジュールの関係なのか、本人が躍れないのかどうか知らないけど、ヒロインが踊らないミュージカルってあんまりじゃない?
 もうこの時点で私はこの映画、完璧に見限った。

 後のストーリーは書くのもめんどくさいので簡単に。
 壺男が強盗犯から強奪してきたオープンカーで二人はメルボルンへ。強盗一味に追いかけられるシークエンス、ここもタルイ。ここにもミュージカルシーン入れなきゃウソだろ。
 途中で寄った美術館で壺男が『千一夜物語』の干二夜目の登場人物だということが判明。人間のお姫様に恋するあまり、魔界の掟を破ってその愛を魔法でゲットしようとしたために、罰として壺に閉じこめられたのだった。
 ようやくとある病院でサトルに会った二人。サトルは実は死にかけた幼馴染のエリコ(梅宮万紗子)のためにユミと別れたのだった。事情を察して帰国することにしたユミだが、最後に壷男に願い事を変えてもらう。「エリコさんの命を助けて!」。
 人の命を助けることも御法度の魔界の掟、あわれ壷男は再び壷の中に。そしてユミは壷男の記憶をなくす。けれど壷男は諦めなかった。ユミの本当の願いを自分は叶えていない。そして壷男は姿を変え、再びユミのもとに……。

 このどうしょうもなくつまんない映画で、ラストだけは少なくとも「救い」だなあ、と思ったのは、変身後の壷男を篠原ともえが演じているから。いや、これが竹中直人に見えるのがスゴイんだよ(^_^;)。しかもちゃんと歌って躍るんだけれど、本来、そんな演出は予定されてなかったらしい。篠原ともえ自身が「ここは私にも踊らせて!」と自分で振り付けて踊ったんだそうな。……篠原ともえの方が金子修介よりよっぽど映画がわかってるよ。『GMK』での篠原ともえもよかったしなあ、彼女に監督させてた方が出来がよくなったんじゃないか。

 しげに請われて見に来た映画だったけれど、今年見た映画の中でも最低ランク。いやまあ、最初から期待はしてなかったから傷は受けてないけどね。
 とは言え、しげもそんなに期待してたってわけでもなかったらしい。和製ミュージカルはともかく押さえとかなきゃって義務感に近い感じで見たかったもののようだ。エリコの父役で石田太郎さんが出てたんで「やっと名前と顔が一致した」ってのが唯一の収穫だったとか。
 あー、読者のみなさん、石野真子と篠原ともえのファンでない限り、これ全然楽しめないと思いますので、ムリに映画館まで行く必要ないです。どうしても見たい人はレンタルDVDが出るまで待ちましょう。私は100円なら買います(^o^)。

 
 マンガ、佐藤秀峰『ブラックジャックによろしく』3巻(講談社/モーニングKC・560円)。
 こういう医者ものだとどうしてもマンガとしてどうこうというより、その中身、テーマとなってる医療問題に目が行きがちだけれど、ここはあえてマンガとしてどうかってことを言っときたい。小林よしのりの『ゴーマニズム』と同じで演出がシツコイんだわ、これ。
 医療の問題は単純な善悪二分論で語れるものじゃなかろう。少なくとも藤井教授の「臨床能力はなくても研究成果で数百万人の患者を救った」という言葉には説得力がある。そのことを踏まえてなお医者に臨床経験がないのはいかがなものか、と提言するならともかく、ここで作者の追求は止まって、話は別エピソードに行っちゃうのだ。ツメが甘いっつーか、ガクセイの小論文みたいに「こんな問題点については、今後の課題であろう」って実は結論出すの逃げてるのに、エラソウにまとめてんだよな。この手の演出はマンガとしては三流である。
 ツメが甘いにもかかわらず、テーマだけはどんどこハードなのをぶちこんできて、今巻から「ベビーER編 廚世修Δ福
 作者は高砂先生に「リスクを追う覚悟がないのなら子供なんて作っちゃいけないのさ。理屈じゃそうだろ……? 要は理屈じゃ子供は産めねえんだよ」って言わせてるけど、その結論出しちゃったら、その後、ドラマは作れないんだけどね。本来。だってリスクがあるってわかってて子供作るバカはいないんだから、子供作ってる親は、みんな甘い夢見てるか、何も考えずに子供作ってるって言いたいんでしょ? つまり、「人間の命なんてテキトーに作られてるだけで、もともと何の価値もない」という結論を出しちゃってるのだ。で、そんなこと言った後で、どんなに人間の尊厳だとか命の尊さとか言ったところで、キレイゴトにしかならんやん(^_^;)。
 で、よしゃいいのに「障害児を持つ親の問題」をテーマにしてくるし。こんなの個々の問題で普遍的な答えなんか出せやしない。本家手塚治虫の『ブラック・ジャック』がうまかったのは、「医者はなんのためにあるんだ!」と叫びながら個々の病気については、それはそれ、あれはあれ、と割り切って描いてた点にあるんで、このマンガのように妙に普遍性を持たせようとすると、まず間違いなく失敗するんである。
 あるとき、ブラックジャックは無頭症の赤ん坊を、母親にそれと知らせず殺した。育つ見こみのない子供を親に抱かせるわけにはいかなかったからだ。ドクターキリコだけでなく、ブラック・ジャック自身も「黒い医者」であることを示すエピソードだった。医者は時として悪魔になるしかない。そこまで踏みこむ勇気がこの作者にあるのかな?
 どうもこの作者、そこまで踏みこもうってリスクを回避しそうな気がして仕方がないんだけどね。「研究か臨床か」の問題に結論出さなかったとこ見てもね。

2001年11月22日(木) 親の死にメよりアニメ/アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 007/『MISTERジパング』7巻(椎名高志)ほか
2000年11月22日(水) 今日は眠かった……イツモのことだけど/『ルパン三世カルト2001』ほか


2002年11月21日(木) 爆走/薨去と逝去/『名探偵コナン』39巻(青山剛昌)/『一番湯のカナタ』2巻(椎名高志)

 しげ、仕事が早出ということで、今日も食事は一人。
 仕事帰りにウチの近所の「中華そば」で落としてもらう。ここ、以前「マルちゃん」ってうどん屋があったとこなんだよね。できたと思ったらあっという間に潰れちゃったけど、1年持ったんだったかな?
 さあ、「中華そば」は何ヶ月持つか(^o^)。
 店の名前にもかかわらず作ってるラーメンは九州トンコツ味。中華そばじゃないじゃん、なんて感じるのはもうオールドタイプ。でもトンコツばっか食ってる若い博多人の舌も、とうの昔に豚になってる気がするがな。


 帰宅してテレビで『オヤジ探偵2』、続けて『逮捕しちゃうぞ』を見る。
 特に感想はなし。しなきゃならんか『逮捕』に。
 

 ニュースで突然、高円宮憲仁(たかまどのみや・のりひと)さま逝去の報。
 最初は「心肺停止状態」で病院に運ばれたってことだったんだけど、すぐに「逝去」と言い替えられた。ものの十分としないうちに、画面に生前の映像が続々と映し出される。まるで準備してたみたいだが、多分皇室関係の映像は常に分類され、すぐ取り出せるようにしてあるんだろうな。
 享年47。港区のカナダ大使館でスカッシュをしている最中に突然倒れ、病院の集中治療室(ICU)で人工心肺装置を使い心臓蘇生措置がとられたが、手遅れだったという。
 本当の急逝で、テロップでは「急逝」「逝去」の文字が躍るが、宮内庁発表だけは「薨去(こうきょ)」という言葉をはっきり使っていたのが印象的。さすがに昭和天皇のときはメディアも「崩御」オンリーだったが、ただの皇族の場合はできるだけ穏便な表現にしておこう、という配慮なのだろう。天皇は未だに敬称が「陛下」だけど、もう皇太子は「殿下」じゃなくて「さま」になってるものな。


 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』39巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 えー、今まであまり『コナン』のことをよく書いてきませんでしたが、まあ稚拙ってだけのことで、腹まで立てちゃいなかったんですね。
 でも今巻はいけません。ルール破りです。某作家の某有名作品のトリックをバラしてます。別にその作品を引用しなくてもドラマは成り立ちますから、これは作者の青山さんのれっきとした罪です。
 いっぱしのミステリファンなら、この作品読んでないってことはなかろうからいいじゃないか、という言い訳は通用しません。『コナン』の読者層はミステリに触れたばかりの小学生も含んでいます。
 雑誌連載時に苦情はなかったんですかね、もし来てたら描き換えくらいできたと思うんですが、来なかったんでしょうね。ということは、『コナン』読んでる人間の中にもミステリファンはいなかったってことなんですかね。このままアニメにもなるんでしょうねえ、多分。
 初心者向けに勧めるには『コナン』もまあいいか、という気分でいましたが、もう断言しちゃいます、『コナン』はミステリとしてはクズです。読む価値ありません。『金田一少年』より『探偵学園』よりひどいです。小学生のみなさん、そろそろ『コナン』は卒業して、もっといろんなミステリ読みましょうね。
 ……なんか久しぶりで本気で腹立ったなあ。もう遠慮はいらないや、この次の巻から『コナン』に関してはネタバレでトリックの批判してやることにしようっと。


 マンガ、椎名高志『一番湯のカナタ』2巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 おもしろくなってきたのに本誌では打ち切りが決まっちゃったそうな。全く『コナン』みたいなクズが連載続いてて椎名さんが打ち切りか……サンデーの読者、目がないな。
 まあ、欠点があるのは解るけどね、リョウやカナタを初めとして主役たちに魅力がなかったから、ワキキャラに頼るしかなかったんだよね。でもそれって本来本末転倒だもんね。
 明らかにテコ入れキャラのワネット姫(宇宙船がマリーアント号だ(^o^))、欲望の塊でまさに美神令子直系キャラ、強烈なんだけど、強烈過ぎてますますカナタの影が薄くなってやんの。こりゃ打ち切られるわ。

2001年11月21日(水) 乗った人より馬が丸顔/アニメ『ヒカルの碁』第7局/『カスミン』1巻(あもい潤)ほか
2000年11月21日(火) 酒飲みには常識なのかも/『入院対策雑学ノート』(ソルボンヌK子)


2002年11月20日(水) 爆走/反戦映画ベスト5/『スパイラルアライブ』1巻(城平京・水野英多)/『新・ゴーマニズム宣言』12巻(小林よしのり)ほか

 俳優、ジェームズ・コバーンが18日、心臓発作で死去。享年74歳。
 たいていの記事が『荒野の七人』でのナイフ投げの達人の役(原作の『七人の侍』だと久蔵=宮口精二の役どころ)を演じたことを筆頭に挙げている。他は『大脱走』や『地上最大の脱出作戦』などが紹介されてるけど、やっぱりちょっと「大作」に偏ってる感じだ。
 映画ファンなら、『電撃フリント/GO!GO!作戦』『電撃フリント/アタック作戦』や、『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』、『戦争のはらわた』の方を代表作として挙げるのではないか。
 特に『戦争のはらわた』には私は思いきり入れこんだ。
 知り合いに呼びかけてLDの上映会を開いたこともある(手製のパンフまで作ったのに5人しか来なかった)。
 好きな反戦映画を五つ挙げよ、と言われたら私は、チャップリンの『独裁者』、岡本喜八の『肉弾』、フィリップ・ド・ブロカの『まぼろしの市街戦』、スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』、そしてこの『戦争のはらわた』を挙げる。戦争の恐怖とは人の命を奪うこと、なんて単純なものではないことを教えてくれる傑作ばかりだ(全部レビューしたいが爆走中なのでまた別の機会に)。
 機会があれば『戦争のはらわた』を見ていただきたい。そしてラストシーンのジェームズ・コバーンの哄笑の意味を感じ取っていただきたい。戦争という行為の本質が恐怖でも悲惨でもなく、ただただ「愚か」なのだということが伝わってこよう。


 来年1月に豊島区池袋で開催される予定の江戸川乱歩展に行こうと計画していた東京行きがポシャる。理由はしげの仕事の都合がつかなかった、ということなのだけれど、そうしょっちゅう上京するおカネもないからここはガマンのしどころだろう。ビデオデッキも修理に出さないといけないし、ひと部屋天井の電球が根元から千切れてるところもあるのだ(火事になるぞ、早く直せよ)。
 まあ、この手の展覧会は今後もあるだろうし、何しろ乱歩だからもしかしたら全国巡回、ということもあるかもしれない。……と淡い期待をしてあきらめよう(T-T) グスッ。


 しげと時間が合わず、一緒に食事ができなかった。
 仕方ないので自分でスパゲティを作って食う。豚肉のタレをちょいと混ぜたので、なかなかイケる味になる。
 アニメ『ヒカルの碁』を見ながらおかわり二食分。自分で作るとつい食いすぎてしまうのが難。

 
 夜、ヨナさんとチャット。
 キーボード叩くだけだけれど、チャットは気力体力を意外と使う。
 明日のことを考えたら平日はあまりチャットに参加したくはないのだが、ヨナさんが「閑古鳥が鳴いてるよ〜」とご本人も泣かれていたので、つい入ってしまった。
 上京の予定が一つなくなってしまったことを詫びる。途中からユースケさんも参加。ここには他にも常連の方がいらっしゃるのだが結構すれ違いになることが多い。ローレさんという方とはまだ一度もお話ししたことがない。やっぱり平日もしょっちゅう顔を覗かせないとムリなんだろうか(^_^;)。


 マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラルアライブ』1巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。
 『スパイラル』の番外編。
 犯人が初めから解ってるから、一応は倒叙推理モノってことになるのかな。
 キャラクターが随分マンガチックになってるから、画力が気になった本編よりしっくり来る。けどやっぱりブレード・チルドレンが関わってくるのね。なんか『エヴァ』以降の無意味なマクガフィンの横行にはいい加減飽きてんだけど。
 

 マンガ、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言』12巻「誰がためにポチは鳴く」(小学館・1155円)。
 巻頭に「ちょんまげよしりん『親米でござる』」を書き下ろし。
 『反米という作法』を受けて、逆に徹底的に親米の態度をとったらどんなに異常に見えるか、というのを描いてるのだが、親小林派も反小林派も、どっちも読んでてつまんないんじゃないかなあ、表現が短絡的すぎるもん。
 岸田秀さんも精神分析してる通り、日本人はアメリカに何度も犯されて、けど実際犯されてみたら意外に気持ちよかったんで、言いなりになってるのである。屈辱と歓喜、この相反する感情に引き裂かれてみんな狂っている。狂ってる人間に「オマエ狂ってるぞ」と言ったところでまあ、効果はないわな。
 北朝鮮の拉致事件が起きて、以前からずっと北朝鮮批判をしてきた小林さん、なんだか「それ見たことか」って感じで吼えまくってて、おかげでこれまで反小林を表明してた人たちがややシュンとしてる。でもそれがそもそもおかしいんだよね。内容を冷静に吟味して、小林さんの言ってること、ここは納得できる、でもここはちょっと、と分析していけば、北朝鮮批判の仕方についてもまだまだツッコミどころはあると思うんだが、なんか自分が悪者になりたくないのか、みんなナリを潜めちゃったんだよな。
 なんだ、結局、親・反、どっちも感情的に「自分語り」してただけか。だから、小林よしのりについて賛成する者も反対する者もどっちもアホ、ということになっちゃうんである。別にどっちの立場取らなくても、例えば小林さんの「北朝鮮はほっときゃ潰れる」という意見について、「拉致被害者をほっとくわけにもいかないでしょ、『日本は被害者救済を放棄した』って世界規模で解釈されちゃうよ」と反論することくらいはしてもいいんではないのかね?

2001年11月20日(火) オタアミに行くぞオタアミに行くぞオタアミに……/『COMAGOMA』1巻(森下裕美)/『おさんぽ大王』1巻(須藤真澄)ほか
2000年11月20日(月) 通勤だけで力を使い果たしてる日々/『薔薇の木に薔薇の花咲く』(いしかわじゅん)ほか


2002年11月19日(火) 爆走─織凜.螢▲鵐函Ε魯譽襯筺○(^-^)o♪/『スパイラル 推理の絆』4〜7巻(城平京・水野英多)ほか

 仕事が遅くなることが予めわかってたし、しげも昼間は仕事で迎えに来れないので、今日はタクシーを使って帰る。最初から予定がわかってるとしげとのトラブルもない。結局トラブルの原因はいきなりの残業をぶちこんでくれる職場だってことになるんだけど、この先何十年もこの環境変わりそうにない気がする。マジで転職考えてるこのごろなんだけど、果たしてこんな病気持ちの中年、引き取ってくれるところがあるのか。無いって知ってるからしがみついてるんだけど。


 晩飯は久しぶりのびっくりドンキー。今日はこのあとしげの予定がないのでゆっくり出かけられる。ハンバーグだけじゃ物足りなかったが、サブメニューを注文するのは控える。


 こうたろうくんに上京のことで電話。
 「ちょうどメールしようかと思ってたよ」というのでなんのことかと思ったら、昨日、私が山本弘さんとこの「SF秘密基地」に書き込みしたものをコピーして取っておかないか、というのだ。
 「別にあそこでもログは残るでしょ?」
 「いや、それはそれとしてさ、日記にも残してよ」
 実は私もこうたろうくんも、あの掲示板に集っている常連さんたちに対して不満があった。殆どの人が「自分語り」ばかりを先行させていて閉鎖的であり、初めてあそこにやってきた人たちに対する配慮がないからだ。
 例えば山本さん自身がSFの読者開拓のために、せっかく「初心者向けのSF」というスレッドを立てているにもかかわらず、書き込まれたものが殆ど「自分が初めて出会ったSF」だったりしている。誰もそんなこと聞いてないってば。初心者(概ね中高生をイメージ)に、今更『宇宙戦争』だの『海底二万哩』だの古典を勧めてどうするかね。ましてや「藤子Fマンガ」を推薦するやつがあるか。私も藤子Fマンガは好きだし、SFとしてのレベルは高いとは思うが、それ読んだ人がそこから更にどこに二歩目を進めて行くかってこと、考えてるのかね。指針になってないでしょ?
 それにタイトルだけポツポツ並べたって、興味が湧くものでもないよ。
 「どうして自分の文章が人に読まれるってこと考えないかね、あの人たち」
 「やっぱ、俺たちより若いんだよ。訴えるための技術がないんだな」
 自分の書いた文章から初心者が興味を持ち、話題を広げて行くための取っ掛かりを作ろうという意識に著しく欠けているのだ。
 その、ある意味傲慢な態度が「荒らし」を自然に呼びこんでしまっているのだ。
 こういう「自分語り」の人々は、誰かから質問されたり議論を持ちかけられるとすぐにそのワナに引っかかってしまう。明らかに「荒らし」だな、とわかる人の質問にバカ丁寧に答えてしまうのだ。でもってあとで「荒らし」と気付いた途端に怒り出すのだが、もっと早く気付けよってなものである。バカを呼びこむのもバカだということは、自戒の言葉として持っていた方がいいと思うけどね。
 しげと結婚してる私が言うのだから説得力あると思うぞ(^o^)。

 そんなことを日頃考えてたものだから、「ベスト・オブ・悪役」というスレッドが立ったとき、つい「もちっと読み応えのあるものを」とかなんとか考えて書き込んじゃったのである。でも読み返してみるとエラソウな口を叩いてるわりにそれほど読み応えがない。そのまま抹消されちゃってもいいよな、とは思ったのだが、せっかく「残せよ」と言ってくれたのを拒絶するのも何なので、以下に記録しておく。あまり自分の書いたものに執着がないので、誤字もそのままにしてある。っつーか、書き直すとしげがすぐ「卑怯」って言うのよ。



 こういうのはある程度シバリをかけないと散漫な印象になっちゃうので、あえて「悪役俳優」それも「時代劇」に限ってみました。「キャラじゃないじゃん」とのご批判もありましょうが、たいていの悪役キャラの場合、「この人でなけりゃ!」ってのがあるものなんです。

1,天津敏
 『仮面の忍者赤影』第一部・第二部の甲賀幻妖斉。
 悪役の中の悪役と言っていいほどのの顔、ドスの利いた声、ベスト・オブ・悪役の名にふさわしい名演です。一度死んだと思わせておいて復活するのもターミネーターを先取り(笑)。
 もちろん『隠密剣士』の風魔小太郎や『水戸黄門』第五部の鉄羅漢玄竜もこの人。

2,成田三樹夫
 『江戸を斬る 梓右近隠密帳』の由比正雪。
 成田さんも代表作を選ぶのが難しいのですが、怖さダントツと言うことでこれ。加東大介演ずる丸橋忠弥が「悪の中の善」であったために、この人の純粋悪が特に際立っていました。
 『柳生一族の陰謀』の烏丸少将や『伊賀忍法帖』の果心居士も捨て難い。

3,菅貫太郎
 『十三人の刺客』の松平左兵衛督斉韶。
 狂ったバカ殿を演じさせたら天下一品……というかこの役が当たり役になりすぎて『水戸黄門』でも『必殺』シリーズでもしょっちゅう同じようなバカ殿を演じさせられていたのがちょっと残念。もちろんどれも名演なんだけれど。
 志村けんのバカとのは、明らかにこれがもとネタでしょうね(笑)。

 4,須賀不二夫
 『眠狂四郎勝負』の白鳥主膳。
 原作の白鳥主膳は美丈夫なんですがそれをなんとコワモテの須賀さんが演じていらした(^_^;)。けれど好々爺然とした加藤嘉と対比させるとこの人の権謀術数ぶりが光るのです。俯き加減に人を斜めに見るいやらしさがいいですねえ。

 5,岸田森
 『座頭市と用心棒』の九頭竜。
 どうしても現代もののドラキュラが目立ってしまいますが、時代劇からはこれ。三船敏郎の用心棒を悪役にするわけにはいかなかったんで、もう一人ヤラレ役が必要、というある意味ワリに合わない役だったんですけれど、登場シーンの不気味な笑顔でもう充分その怖さが伝わってきました。

 6,二見忠男
 『仮面の忍者赤影』第四部の雲間犬彦・猿彦。
 『赤影』は大部屋俳優の悪役さんが大挙して出演していて、これだけでベストテンが作れるくらいなのですが、第四部からこの人。
 双子役で、ねずみ男的な猿彦と卑劣な犬彦との演じ分けが見事でした。

 7,山形勲
 テレビ『水戸黄門』シリーズの柳沢吉保。
 大物悪役、黒幕を演じさせたら山形勲は天下一品。甘さというものが微塵もないのですね。『元禄太平記』の石坂浩二演じる吉保を見て、「吉保はこんな優男じゃダメだよ〜」と思った人も多いはず。だいたい水戸黄門が唯一倒せなかった悪役なんだから(笑)。

 8,伊藤雄之助
 『子連れ狼・子を貸し腕貸しつかまつる』の柳生烈堂。
 烈堂を演じた役者さんも多いけれど、その不気味さにおいて伊藤さんがダントツ。遠藤太津朗も大木実もなんだかなあ、だし、ましてやカッコつけてるだけの仲代達矢はもう……。テレビシリーズの方は高橋幸治、西村晃より佐藤慶かなあ。どっちかというと阿部怪異の金田龍之介の方が印象は強いんですけどね。

 9,月形龍之介
 『忠臣蔵』の吉良上野介義央。
 それこそ数えきれない吉良役の中の白眉。っつーか、水戸黄門と吉良の両方をやれて、しかも大物感を出せる役者がどれだけいたことか。市川中車が演じるとただの気弱な因業ジジイにしかならないし。月形さんに匹敵する吉良はあとは滝沢修くらいかなあ。森繁久彌は雪の中でのんきに舞ってるの見てたら、さっさと刺せよ赤穂浪士、って言いたくなったし。

 10,薄田研次
 『さくら判官』の遠山景普。
 ご存知遠山の金さん(片岡千恵蔵)のお父さん。『奴の名はゴールド』というトホホなタイトルでアニメ化もされたからお話自体はご存知の方も多いかも(笑)。
 けど映画版はもうあんなオチャラケじゃなくて、堂々たる名編。「悪の父親」ならば最後まで潔く悪であってもらわなきゃいけませんやな。ダース・ベイダーは景普の爪の垢と耳垢とヘソのゴマを煎じて飲めと言いたい(←ベイダーファンのみなさん、シャレですから怒らないでね)。

 『不知火検校』の勝新太郎とか『大菩薩峠』机龍之介の市川雷蔵、『東海道四谷怪談』民谷伊右衛門の天知茂も悪じゃん、と言われそうですが、「主役として悪役を演じる」というのと「悪役専門」とはちょいと違う。やはり勧善懲悪モノの中の「悪」の魅力、正義に対する「悪」の魅力と言えば、悪役俳優たちの名演を無視しては語れません(『座頭市と用心棒』は勧善懲悪じゃないぞと言うツッコミはありましょうが、まあ、それはそれ)。
 ああ、ほかにも神田隆とか五味龍太郎とか汐路章とか原健策とか吉田義男とかいくらでも触れたい人はいるのに……。
 しかし昔は本当に悪役専門のいい役者さんたちがたくさんいたのに、最近はみんないい人然になってしまって淋しい限りです。蟹江敬三さんも石橋蓮司さんもいい人の役のほうが多くなっちゃったしなあ。

 「特撮の悪役」とか「悪の博士」とかはみなさんにお任せします。ベストテンを埋められるほどに「これだ!」ってのを出せる自信はないので(汗)。


 「SF秘密基地」でこんなの見てた人って少ないだろうなあ。
 ホントはこれ、個人ホームページ作るときのコンテンツにしようと思ってたんだよね。でも「天津敏の部屋」は中田雅喜さんが立派なの作られるだろうからなあ。ともかくもっと資料集めなきゃ。

 電話で知ったが、こうたろうくん、阿部川キネコさんの『辣韮の皮』を買ったそうな。「イタイなあ、あのマンガ」。
 あれ読んでそう感じるということは立派なオタクだよ、こうたろうくん。
 「八乙女はオマエだな」と言われちゃったけど、どっちかと新寺部長に近いような……。性格破綻者じゃん。
 「『全日本妹選手権』も買おうと思うんだけど、息子が勝手に読んだら困るような内容か?」と聞かれて絶句する。こうたろうくんちの家族構成、まさに「お兄ちゃんと妹」なんだよな。まあ自分の家庭をフランス書院の世界にしたいんだったらそれもよかろう(^_^;)。
 

 テレビで初めてユースケ・サンタマリア主演の『アルジャーノンに花束を』を見る。もう第六回くらいになってるが、出演者の演技がみなお仕着せのトレンディドラマの域を出ていず、構成もカメラワークも陳腐。でも若い人にはこれでもハマレる人がいるんだろうなあ、と思うと暗澹たる気分になる。
 そう言えば、やはり山本さんとこの掲示板に「『アルジャーノン』がSFだとは認識してませんでした」という書き込みがあったのを読んで思わずコケてしまったことを思い出した。『アルジャーノン』こそ典型的なSFであるのに、じゃあその人はこれまで何をSFとして読んでいたというのか。
 「SFの浸透と拡散」はもう20年以上前から言われ続けている。SFが「ジャンル」としてではなく「手法」として認識されている(なんだけど、未だにそのことに気付いてない人がいることが、論争が起きちゃうそもそもの原因)今、どれがSFでどれがSFでないか、という定義をすることは無意味になってしまっている。「1、宇宙人やロボットが出てくりゃSFである」「2、宇宙人やロボットが出て来るからって、SFとは限らないぞ」、この相反するように見えるテーゼは実はどちらも当たってるのだ。
 だからと言って、もう何10年もSFを読んできた身になってみれば、その作品が「SFであるかないか」ということは結構重要なファクターである。『スターウォーズ』に心惹かれないのは、あれが「2」の意味では「SFではないから」ということになってしまうからだ。
 『アルジャーノン』を面白がってくれても、その面白さが「SF」としての面白さだと気付いてくれない人は、やはり私とは縁なき衆生なのだろうな、と思わざるをえない。「SFだらこそ面白いんだよ」ということを山本弘さんも伝えたかったんだろうけどなあ。
 

 マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル 推理の絆』4〜7巻(エニックス/ガンガンコミックス・410円)。
 なんだかしげが一気に買って来てました。そんなに面白かったか。
 けど破綻はあるけど確かにヌルイばかりの『名探偵コナン』に比べると読んでて飽きはこないな。
 拉致されたひよのを助ける話や、ラザフォードがリョーコを仲間に引き入れる話など、心理的なカケヒキを扱ったエピソードが多いけれども、この程度なら一応基準レベルを満たしてると言えよう。エドガー・ポーの短編にもあったけれど、ジャンケンで読み勝つと何十回繰り返しても絶対負けないってことあるでしょ? あれの応用だね。
 もちろん欠点がないわけじゃなくて、「肋骨折れてるくせに走り回ってんじゃねーよ理緒」なんて突っ込みどころはいくらでもあるんだけどね。ミステリとしての基盤が弱くても、ドラマとしての演出が勝ってればとりあえずはオッケーである。
 ……でもやっぱカノンの登場はなんだか唐突だよなあ。未だにブレード・チルドレンが何なのか明かされてないのに、勝手に内紛起こしちゃ、誰に感情移入すればいいんだかわかんないよ。学校に立てこもるなんて、カノン、オマエは丸ゴシ先生かっ!(←『ハレンチ学園』ね))

2001年11月19日(月) 「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか
2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか


2002年11月18日(月) 爆走А人獣量瓦も……(-_-;)/『エンジェル・ハート』5巻(北条司)

 職場をクビになる夢を見る。
 朝、目が覚めると時計は11時を回っている。慌てて職場に電話するのだが、電話口からは上司の「君もうねえ、要らないよ」の冷たい声。
 職場に飛んで行ったが、自分の机はとうの昔に整理されていたのだった。
 ホントに目が覚めて思った。
 「シャレにならんわ」。

 別にクビにもならずに仕事を終えて、夕食はまた「王将」。棚のフィギュア、また増殖している。間を置いてちょこちょこ来るようにしようかな。


 原田美枝子が高橋留美子原作の映画化第2弾『犬夜叉 鏡の中の夢幻城』で、「神久夜(かぐや)」というキャラクターを演じるとのニュース。声優は初めてだそうだが、そうだったっけ。アニメブームが起こっていた80年代には、映画にハク付けするためにやたら普通の役者を声優に起用する例が多かったのだけれど(純粋に演技力や声のイメージを期待するジブリ作品とは全く意味合いが違う)、原田さんもなんかやってたように錯覚してたな。
 なんでも息子さんたちが原作のファンだった関係から、ご本人も『犬夜叉』全巻読破されてるそうである。
 「原作の高橋さんが私と同世代。どんな気持ちで物語を生み出されるのか。いろんな関心があって出させてもらいました。本当に楽しかった」……そうだよなー、高橋さん、私より年上だからもう四十ウン歳なんだよなー。最近は自分だけトシを取ってて、自分と同世代の人たちはみんな若いままのような気がしてたが錯覚だったな。


 マンガ、北条司『エンジェル・ハート』5巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。香瑩(シャンイン)がいよいよシティー・ハンターとして活躍。香瑩が銃を打てなくなる(と言うより人が殺せなくなる)のは、移植された心臓の中で香の心が生きてるから、ということらしいけど、まあ、マンガは何でもアリだからな。しかも『シティー・ハンター』でも描かれなかった冴羽リョウ(ケモノヘンに錙砲塙瓩僚蕕瓩討僚于颪ぁ▲螢腑Δ槙村とシティー・ハンターを始めるまでのエピソードが、香の記憶を通して香瑩(シャンイン)に語られる……って、どうして香がそんなことまで知ってるんだろうね。適当なマンガだ。
 こうなるとあと何十巻続けることも可能だし、10巻くらい溜まった時点でまたアニメ化することも考えられるよなあ。けど、以前『シティー・ハンター』をアニメ化してたこだま兼嗣さん、今『名探偵コナン』にかかりっきりだぞ。ほかのスタッフにアニメ化させるって言っても雰囲気変わっちゃうだろうし、どうなるのかね。
 野上冴子がトシを気にしてるってのもちょっと定番過ぎないかな。どうもキャラクターの掘り下げが浅いのが気になるけど、これくらいの「薄さ」がコムズカシイ作品よりもウケる理由なんだろうね。

2001年11月18日(日) 休日満喫テレビ三昧/『パワーパフガールズ』第46回/『サイボーグ009』第6話ほか
2000年11月18日(土) 今年はコンサートで眠らなかったぞ/福岡シンフォニック合唱団コンサート


2002年11月17日(日) 爆走Α秦管堯崗錙弩従櫃世辰(^_^;)/『柳生十兵衛死す』4・5巻(山田風太郎・石川賢)/『巨人獣』1・2巻(石川球太)ほか

 先週『どれみ』を見て大感動だったので、朝からしっかり起きて『忍風戦隊ハリケンジャー』から『龍輝』『どれみ』『ギャラクシーエンジェル』と、続けて特撮・アニメ三昧。でもまあ先週ほどのインパクトはないな。当たり前だけど。
 フラビージョ役の山本梓、素顔はどんな子かとGoogle検索かけて動画なんかを見るが、まあ普通の女の子である。水着になってもいいからあの被り物とメイクしててほしいな、とか考えてる時点で既に女の子をマトモに見られなくなっている証拠だ。
 ちょうど水着を見てた時にしげが寄ってきて「何見よん!」と血相を変える。「い、いや、フラビージョ」と答える間もなくしげの必殺のアッパーが顎に炸裂、宙に舞った私をすかさずバックブリーカー、原爆投げで窓の外に投げ飛ばされた私は、弧を描いてマンション下の地面に叩きつけられ、血反吐を吐きながら痙攣するのであった。
 ああ、痛かった。


 『ドラえもん』の第1話「未来の国からはるばると」が、アニメ化25周年の節目に、12月31日放送の3時間スペシャル『もういくつ寝ると25周年!ドラえもんスペシャル』で初アニメ化されることになったとニュース。
 「初アニメ化」って……1973年版の『ドラえもん』第一話でしっかりアニメ化されてるはずだけどな、第一話。それに今のシリーズでも、途中やっぱりスペシャルで部分的にアニメ化されてるぞ。宣伝のためとは言えウソはイカンよなあ。
 さらに映画最新作『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』の同時上映作品として、パーマンが初めて映画化(『Pa―Pa―Pa ザ☆ムービー パーマン』)ってニュースもあるが、これもウソ。『パーマン』の新テレビシリーズは先行して映画が鈴木伸一監督で映画化されている。
 以前にもドラえもんスタッフ、のび太のおばあちゃんとのエピソードを初アニメ化とか大ウソついてたことあったように思うが、どうしてこういうすぐバレるウソをつくのか。自分たちの番組のこと、愛してないと思われても仕方ないと思うけど、最近の映画のレベルダウンを考えると、実際そうなのかもね。


 昨日の疲れが溜まっていたのか、昼はひたすら寝る。
 夜になって目を覚ましたらもう7時過ぎ。
 『ワンピース』を見るとアラバスタ編が終わってオリジナルな展開になっている。アラバスタ編も随分引いて間延びした展開になってたけど、原作が充分な量溜まるまで、どれだけオリジナルで持たせられるものか。


 爆笑問題司会の『これがベスト100』、今日のテーマは「超常現象」。こんなベスト100、誰が決めるんだって感じだけど、特に100という数字にはこだわってないようだ。
 心霊フィルムの類は殆どがヤラセかシミュラクラにしか見えないものばかりで、特に検証もせずに垂れ流すばかりだから番組自体にまるで説得力がない。でもこれで心霊の存在信じちゃう人間もいるんだろうなあ。UFOフィルムもどう見てもグラスワークかミニチュアにしか見えないもののオンパレード。出演者が誰一人「インチキじゃん」と突っ込まない(あるいは突っ込んでもカットされてるか)のが不自然だけれど、だからと言ってそれじゃ番組が成立しないんだろうなあ。
 こういうもののインチキをバラす番組なんかが作られたら面白いと私なんかは思うんだけれども、恐らく世間のベクトルは真逆で、そんなつまらないもの見たくもないのである。でもそれって自分から騙されたがってるってことと同じなんだけど。こうなると「騙されるほうがバカ」ってリクツのほうがまかりとおることになるから、困るのは自分たちだと思うんだけどねえ。


 『笑う犬』シリーズ、いつの間にか「発見」から「情熱」に変わってるのな。どうやら優香がレギュラーから外れちゃったらしいけれど、たいしてコントやってなかったから惜しくはない。ベッキーがちゃんと残ってるのは嬉しい限りだ。ヨゴレを演じられる女の子って、ちゃんと育てれば伸びるんだよね。
 ピンクレディーとキャンディーズのどちらが上かって論争が大昔にあったが、ルックスでは私はミーのファンであったが、コメディエンヌとしては圧倒的に伊藤蘭の一人勝ちであった。ギャグを恥ずかしがらずに演じてこそ役者ってもんだよ。……って付いて行けてます? こういう話題。
 それはさておき、ちょっと面白かったのは、応援団のコント。団長と思しきナンちゃんが、世間のデキゴトの責任を団員たちに取らせるというもの。
 具体的には「リスペクトなんて言葉、どこのどいつが流行らせた!」「押忍!オレです!」というもの。……いや、ギャグとしてはそれほどでもないんだけど、確かに「リスペクト」ってみんないきなり言い出したものなあ、とそこに共感したのね。単に「ファンです」とか「憧れてます」とか「尊敬してます」とどうして言えないのか。
 ちなみに私の本名を英語にすると「ラッキー・リスペクト」になる。……すっげー、バカっぽいな(^_^;)。


 晩飯はリンガーハット。仕事に出かけるしげに「乗せてけ」と言ったら「イヤ」と断られる。まさかまだフラビージョの件で怒ってるのか。
 「いいじゃん、乗せろよ」とムリヤリしげの車に乗り込もうとした瞬間、背負い投げで地面に叩きつけられる私。すかさずニードロップ、私の肋骨がバキボキベキと折れる。噴水のように口から噴き出す血。
 あ〜あ。おかげで車の中、汚れちゃったじゃないの。


 マンガ、山田風太郎原作・石川賢作画『柳生十兵衛死す』4・5巻(集英社/ヤングジャンプコミックスBJ・各530円)。
 ……段々支離滅裂で散漫な印象が強くなってきたなあ。武蔵と小次郎のエピソード、このまま終わらせるんなら、わざわざ描いた意味ないよなあ。家康双子説も陳腐だし、作者ばかり悦に入ってる感じでどうも盛りあがらない。『魔界転生』にもリンクしてきたけど、天草四郎出してくるんじゃあるまいな。あまりキャラクターを使い捨てしてほしくないんだけど。


 マンガ、石川球太『巨人獣』1・2巻(完結/ダイソー・各100円)。
 たった200円。本って、安く出そうと思ったら出せるんだね。作者に印税入ってるんだろうか?
 これも随分前に読んだので、細かい中身は忘れている。ドラマ自体は突然巨大化した男の悲劇、のヒトコトで括られちゃうくらい単純だけれど、ディテールがリアルで面白い。巨人の小便と代弁で東京中が臭い匂いで充満する、なんて下りは圧巻。1ページまるごとプールに沈んだ超特大ウンコを描いたマンガなんて滅多にないだろうな。
 ラストはあっけないけど、これももしかしたら打ち切りだったのかも。 

2001年11月17日(土) 多分愛してるんだろう/『料理少年Kタロー』第7話/『カスミン』第7話
2000年11月17日(金) 一日一ドジ女房/東野英心死す。


2002年11月16日(土) バカとバカによるバカ論/舞台『WAHAHA本舗全体公演・大福祭』

 本日は休日出勤。っつーかウチの職場、基本的に休日がないので、休む時に波「休みます」と言わないと休みが取れないのである。土日ごとに休みが全く取れないなんてバカな話があるか、と毎回休みを取っていて、もちろんこれを職場は拒否も出来ないのだが、上司や同僚の見る目は厳しくなる。たまにはこうして出勤しないと職場の方針に対して反抗的だと見なされちゃうのだ。反抗してんだけど。
 でも、盆と正月までこの伝で経営されちゃたまらんのだがな。
 ここで職種をバラすわけにはいかないが、本来ウチは年中無休のコンビニではないのである。それをどの口から「年末年始もお願いします」と平然と言えるかなあ。私が入籍を大晦日にしたのも、この日に仕事を休んで文句言うやつなんて、日本にゃいないだろうと踏んだんだが甘かったなあ。


 午前中でお仕事は終わり。バスで博多駅回りで帰るが、このコースをたどるのも久しぶりである。前にも書いたが福岡空港を迂回する超ロングコースなので、車で15分の距離がバスの乗り継ぎだと1時間半かかるのである。
 某有名店で食ったラーメンがイマイチだったので、うどんで口直し。ここも以前は行き付けのうどん屋で、オニギリだけ頼むとスープをオマケしてくれてたのだが、おばちゃんが別人に変わっている。カラダ壊したかどうかしたのかなあ。
 紀伊國屋を回って本を物色。


 夕方からエロの冒険者さんと待ち合わせ。福岡サンパレスで行われるワハハ本舗公演『大福祭』鑑賞の前に、今度のAIQ公演のチラシ配りをするのである。
 しげの車に乗りこむが、暖房が蒸し暑く気分が悪くなる。窓を開けようとするが、しげが「寒い」というので仕方なくガマンする。気分はますます悪くなってくるが、しげはそんなこちらの具合には全く頓着せずにクドクドと埒もない無駄話ばかり喋りかけてくるので、段々腹が立って来た。
 「オレって物忘れヒドイよね」と言うから「バカだからだろ」と言ったら「だったらバカの車に乗るなよ!」と怒る。自分でネタ振っといてバカにされたら文句言うんだから勝手なものだ。バカであることは罪でもなんでもないが、バカであることを自覚していながら、それを恥とも思わないのはバカを通りこして罪悪ですらある。
 他人はしげのバカを見ていても遠慮してなかなかバカとは言えない。私のバカを他人が遠慮して直接は言いにくいのと同じだ。夫婦でお互いにバカと言いあって何が悪いか。私はしげの指摘する自分のバカはバカだと認めてるのに、しげだけは自分のバカを素直に認めようとしないのである。
 なんだか本気で帰ろうかって気になってきたが、チラシ撒きの仕事があるのでそうもいかない。 

 エロさんとはお宅の前で合流。
 待ち合わせ場所は予め教えられてるのに、注意力散漫なしげはトロンと通り過ぎてしまって、近所をグルグル回るハメになってしまった。こういうところがやっぱりバカなんだが、バカと言われるのがイヤなら事前に場所を調べておくとかくらいのことはしておくものだ。バカと言われない方法など簡単なのである。たいした手間でもないのにそういう大事なことをサボるからしょっちゅう失敗ばかりしているということに気付いてほしい。マジで。
 随分早くに出発したつもりだったのだが、相撲の九州場所が始まっていたせいか、福岡サンパレスまでの道が異常に混んでいる(興行がある国際センターはサンパレスの隣なのである)。
 サンパレスの前まで既に30分以上かかり、時計は5時半を回っている。駐車場にすぐに入れないと困るので、とりあえずエロさんと私が車を降りて、チラシ撒きに行くことにする。実際の会場は6時、開演は7時なのでまだ余裕はあるが、念のため、と考えたのは賢明であった。
 サンパレス下の通りでエロさんとチラシ配りを始めたのだが、6時を過ぎてもしげは戻ってこない。不思議に思って電話連絡を入れると、しげ、なぜか笑っている。
 「どうしたんだよ、今どこだよ」
 「今、箱崎」
 福岡在住でない人にはよくわかるまいが、サンパレスのある博多埠頭のところから数キロは離れたところである。
 「……なんでそんなところにいるんだよ!」
 「車線移動しそこねて、どこ走ってんだろうなーって思ったら目の前が『夢タウン』」

 箱崎の「youme 夢タウン」とは、サティなどと同様の郊外型のショッピングセンターである。確か前にここまでしげがタコ焼きを食いに来たことがあったと思うが、外見がゴテゴテしててショッピングセンターっぽくないな、という印象があった。箱崎には放生会で有名な箱崎宮があるのだが、日頃から繁盛しているわけではない。日常的に集客できる場所が必要、ということで作られたのだろうが、箱崎に住んでる者以外で、たかがショッピングセンターにわざわざ足を運ぶ人もいまい。
 なんでまたそんなところにまで、とは思ったが、このときには、この「夢タウン」ネタでこの日もう一度「イタイ」目に会うとは、全く思ってもみなかった。

 しげのあまりのアホぶりに呆れたが、ともかく「さっさと戻って来い!」と叱って、チラシ撒きを続ける。エロさんに「しげ、今、箱崎だそうです」と伝えたら口をアングリと開けて絶句していた。こういうマンガみたいなドジをやらかす人間が現実にいるとは信じられなかったのだろう。
 しかし、アナタが信じようと信じまいと、バカは確かにこの世に実在しているのである。

 実際にしげが戻ってきたのは更に1時間後。交通規制に引っかかって戻ってこれなかったそうだ。けれど道を間違えなければもっと早く戻ってこれたはずだから、こんなの自己弁護の言い訳でしかない。
 公演ギリギリまでチラシ配り、三人でおおよそ五、六百枚ほど配ったろうか、以外と手に取ってくれる人が多かったのは嬉しかった。このうち何人が公演に来てくれるものだろうか。

 7時よりいよいよ『〜千年に一度のカーニバルがやってくる!〜 WAHAHA本舗全体公演・大福祭』。
 会場ナレーションが名古屋章だったので驚く。最近テレビで見ることが少なくなっているが、たまに見かけるともう随分老け込んでいて病気じゃないかと思うほどであった。ご本人もそれを自覚して露出を避けているのかもしれない。やや括舌がはっきりしてなくて「ワハハ本舗」が「わはぁあはほんぽ」と聞こえはするが、お元気そうで安心した。二代目ドン・ガバチョ、健在なり。
 最初は神輿と大団扇でのお祭り騒ぎで、祭り衣装にフンドシのワハハメンバー、舞台はおろか客席も走り回る。今回は全ての演目が「祭」のキーワードで括られているのだ。
 何十人もの乱舞はさすがに迫力だったが、特に久本雅美嬢が私の真正面で踊り狂ってるのを目の当たりにしたのは圧巻であった。ナマはやっぱ凄いわ。
 よく見ると、フンドシメンバーの中に知った顔が何人かいる。向こうもこちらに気がついたようで目が合ってニヤリと笑う。知り合いの某大学生が何人か、ワハハのお手伝いに来ていたのだ。ヤバイなあ、あいつらまた私のことをヘンにウワサするんだろうなあ。
 実はこのオープニングセレモニーで、とってもおもしろいことがあったのだが、エロさん、ご自身の日記にも恥ずかしがって書かれていないことなのであえて書かない。聞きたい人はエロさんご本人に聞くように。私は記憶力がないのでそろそろ細部は忘れている(^o^)。

 思いつくままに演目をご紹介。

 柴田理恵、久本雅美嬢による「神輿漫才」。
 お二人が神輿の上に乗って互いの私生活を暴き合う凄まじいもの。神輿を担いだメンバーが二人の罵倒に合わせて「ハグキ、ハグキ、ハグキ(もちろん久本さんのことである)」「ブス、ブス、ブス(もちろん……私はそうでもないと思うんだが)」と罵り合う。久本さんが担ぎ手を○○○に誘った途端に「カンベン、カンベン、カンベン」と一斉に裏切って手を横に振るのが笑える。

 佐藤正宏「新体操日舞」。
 ギャグ一切無しの躍りだが佐藤さんがやるからこそ可笑しい。別にトリックでもなんでもなくちゃんと新体操を日舞の和服でやるのである。生半可な練習でできることではない。客を喜ばせることよりも先に「感心」させてしまうことは、必ずしも舞台役者の本意ではなかろうが、佐藤さんっていかにも失敗しそうじゃないの。驚きと感心がやっぱり先に立っちゃうのだね。

 オムニバス「奉納」。
 メンバー全員がいろんなモノを「奉納」する。
 梅ちゃんが勝栄さんたちに「タン(牛の舌ではなく口から吐くやつである)」を「奉納」されてたのはかわいそうだったが、もっとかわいそうなのは前列の客だった。霧吹きの中に吐いた「それ」を裸の梅ちゃんに吹き付けるものだから、「匂い」が客席にまで漂ってくるのである。我々は前から五番目だったが、それでもしっかり「匂って」ました。一応芳香剤入れてたみたいだけどね。
 すずまささんが博多ネタを披露。
 駅のキオスクで買って来た博多名物「博多ぶらぶら」(そういうお菓子があるんである)を見せながら歌うのである。
 「駅のおばちゃんが歌うんだよ〜、『博多ぶらぶらぶらさげて〜♪』、おばちゃん『知らんね?』って言うけれど〜、そんな歌、全国区じゃないよ〜、おばちゃんも続きを覚えてない〜」
 ……博多の人間にはイタイネタである(-_-;)。
 更にすずまささんは歌う。
 「駅のおばちゃんに聞いたらね〜、『博多の新スポットってどこなの〜?』、おばちゃんしばらく考えてポツリと言ったよ〜、『夢タウン?』」
 場内大爆笑である。私はシンクロニシティにもだえていたが、隣のエロさん、ビックリして「どうしたんですか!?」と私を心配してくれる。心配いりません、心がイタかっただけです。
 このネタは他地方ではやってないだろうから、ここでご紹介しておくのは意味があろう。

 「WAHAHA合唱団」。
 ドリフ合唱団を想起していただきたいが、ナマの舞台だけにアレより過激。
 例えば「健忘症によるハンガリアン舞曲」。なんかおととい聞いたばかりなんだけど。WAHAHA全員によるア・カペラは九響とは迫力が違う。
 文字ではとても写せないが、「あっあああっあっ、あっあっあー!」と、あの旋律に乗せて健忘症の人たちが思い出したような思い出せないような仕草で歌うのである。アイデアが秀逸。
 またもや久本嬢が「男日照のジムノペディ」を披露。
 「占い師が三十五で、結婚できると〜、言ったのは三十七〜♪」と久本さんが歌うと、後ろでコーラスが一斉に「結婚♪結婚♪」と唱和。
 「ファンからこないだ言われたの〜、『ぶっちゃけレズでしょ〜?』♪」
 「お帰りなさいを言ってくれるのは〜、いつもセコムの声〜♪」
 ……見てるこちらは大爆笑だが、歌ってて本気で寂しくないか、久本さん(^_^;)。
 会場参加による「ブーブークッションによる演奏」もあったけど何の曲だったかは忘れた。最後は梅ちゃんによる「次の舞台までの場繋ぎのための『運命』」。
 「ネタがないぞー!」と愚痴る梅ちゃんが情けないけど面白い。


 佐藤正宏・中山省吾「ベアーズ」。
 あー、新宿2丁目限定のギャグシリーズだそうです。
 さすがにこのネタだけは詳しく書きたかね〜な(^_^;)。
 つまり、子供服に身を包んだこの二人、ホモなのね。赤塚不二夫や江口寿史が好んでやってたあのネタなわけよ。
 で、今日はワハハの男メンバーが全員でさ、ホラ、あのポキッて折ると光る棒があるじゃん、あれをお○○に突っ込んで、場内の照明を落として……。
 「ホタル」。
 これがきれいなんだよ〜(T∇T)。色とりどりでさあ。
 演劇史上、最も汚い美しさであろう。
 最後、使った棒は会場のファンに配りました。貰うやついるんだからスゴイよなあ。私の後ろの女の子も「ほしい!」と呟いてたし。……○○コ付いてるけど舐めるの?

 「世界の祭」。
 世界各国の祭で『遠山の金さん』とか『ぶらり日本歩き旅』とかの日本のテレビ番組を世界の人々が演じるというなんだかアタマがクラクラするようなスケッチ集。
 一番受けたのは『渡る世間はケチャばかり』。
 赤木春恵(柴田理恵)と泉ピン子(勝栄)の口ゲンカを回りでみんな「ケチャケチャ」言ってるのである。意味はないが意味がないからこその迫力がそこに生まれる。佐藤さんの角野卓三は実物ソックリで驚き。

 とても中身を全部は書ききれないが、最後は歌って躍って、花を会場に撒き散らして終幕。3時間半、あっという間であった。いい席を取ってくださったエロさんに感謝である。

 エロさんをご自宅に送って帰宅。
 しげ、公演の間中ムッツリしたままだったので、バカって言われたことずっと気にしてたのかと思ったら、そうではないらしい。しげにはワハハの笑いがイマイチ趣味に合わないようなのである。
 もともと私がWOWOWでワハハを見ていたら、「なんでそんなん見るん!」と怒るくらいワハハを嫌っていたので、よく公演に行く気になったな、と思っていたのだが、「芝居をナマで見られる機会があるなら別」なんだそうである。
 「でも、つまんなかったんだろ?」
 「『渡る世間はケチャばかり』はすごく好きだよ。でももっとやりようがあると思うけどね」
 ……やっぱりけなしてるじゃん。確かに洗練された芸というのとはほど遠い舞台だが、「笑いはこうでないと」というシバリは、喜劇の場合は舞台を硬直化させかねない。下品でも直裁的な感覚に訴えるギャグもあっていいと思うが。


 ヨソの芝居を見てばかりもいられない。
 ウチの芝居の原稿、明日までに多少加筆せねばならないのである。
 帰宅したあとは徹夜で原稿書き。
 こういう時にこそ、しげに「はい、夜食♪」とか言ってオニギリでも握ってくれたら嬉しいんだけど、さっさと布団に潜りこんで寝てしまったのであった。
 なんだか今日は終日、しげに振りまわされてたような。

2001年11月16日(金) 若葉マークはどこへ行く/歌劇『さまよえるオランダ人』(ドイツ・ザクセン=アンハルト歌劇場)ほか
2000年11月16日(木) 風邪がまだ治らんがな


2002年11月15日(金) 爆走ァ拭愼芦菎舂Α拌茖渦

 昨日散々叱っておいたので、今日も遅くなったけど、しげは今度は文句を言わないで静かに待っていた。私もわざと遅れてるわけじゃないし、都合で連絡ができないことも多々あるので、文句言われても困るのである。ちゃんと「ごめん」って謝ってるし。
 文句さえ言わなきゃ、あんなんでもしげがかわいらしく見えないわけでもないような気が若干しないでもないような錯覚を覚えないでもないので、帰り道、マルキョウに寄って、焼き鳥にタコヤキに弁当を奢ってやる。優しい夫である。

 こないだ上げた第一稿について、しげからいろいろ加筆の注文を受ける。
 みんなと話しあって、クライマックスに何らかのカタストロフがほしい、と言うのである。それはもちろん承知なのだが、しげ、その話し合いのときにまたマヌケなことを言ったらしい。
 ……予測のついた方もいらっしゃるだろうが、英語はしげの脳では全てデータから抹消されるようになっているのである。
 「カタストロフって……Sつくよね?」
 「なにそれ?」
 「カタストロフィーS」

 「……それはアポストロフィーSだっ!」

 その場のみんなが一斉に突っ込んだそうな(-_-;)。
 ロイヤルホストで食事して、ホンダで本を買って帰る。

 しげ、職場の方から、「ヨーグルトのタネ」を貰って帰ってくる。
 なんでもこれを牛乳で培養すれば、いくらでもヨーグルトが作れるのだそうな。先日、私がうっかりその「タネ」を飲んじゃってたので新たに貰ってきたのだ。リクツはわかるが、感覚的にはヘタなコピーみたいにどんどん薄まったり歪んだりしてくんじゃないかって気がするが。
 でもできたら飲む。ブルーベリーを混ぜたらこれがもう美味いのなんの。


 巷では『ゲーム脳の恐怖』(森昭雄/NHK出版)という本について喧しいやりとりがなされているそうである。唐沢俊一さんが日記の中で確かにトンデモ本だが、ゲームの悪影響についてはやはり考えておく必要がないか、と苦言を呈しておられたが、と学会会長として山本弘さんがWEB上の『All About Japan』で、本格的な批判インタビューを受けていた。
 現物を読んでるわけじゃないから、憶測は混じるが、山本さんの批判通りなら、トンデモ本というより明確な差別本ではないのだろうか。「ゲームしてる人の脳はと痴呆者の脳波がソックリ」とか、その痴呆者っての、誰のどういう人のデータをもとにしてるのか。
 山本さんは「63ページに、『痴呆の人の聞き取り中と健常な人がボーッとしているときの脳波が似ていることがわかります』ってあるでしょ。要するに安静にしてれば誰でもそうなっちゃうんですよ」と引用して批判しているのだが、この痴呆者の脳波が常に一定で変化がないような書き方はまず間違いなく誤りであろう。「痴呆者の脳波がおかしい」ということの根拠にはまずなるまい。
 差別表現を許さないと糾弾する団体さんはあちこちあるけど、どうして『ゲーム脳』だけはお目こぼししてるのかね。本気で差別なくそうなんて考えてないんじゃないのか。


 CSキッズステーション新番組『動画大陸』。
 『奇鋼仙女ロウラン』と『プリンセスチュチュ 雛の章』の。
 録画ができないのでナマで見るしかないが、『ロウラン』はなんか特に目立った印象のないファンタジーもの。『十二国記』とか、この手のはいささか食傷気味である。
 『チュチュ』はたった15分じゃ何がどう展開するかわからない。先週見損なってるからるうちゃんがどうなったのかわからずじまいなのも痛い。やっぱりDVDが発売されるのを待つしかないかなあ。


 徳間書店『アニメージュ』&角川書店『ニュータイプ』12月号。
 『鉄腕アトム』に『バロムワン』に『サブマリン707R』と、リメイクのアニメ化がやたら多い。このうちマトモなものになりそうなのは、カンだが『アトム』だけじゃないかな。あとの二つはこれをアニメ化しようってコンセプトが見えて子ないし、何より絵柄を原作と変えてあるからである。『アトム』はやや昔の、ちょうど『電光人間』のころの絵柄に戻しているのが好感度アップ。
 ほかの二つは、今時ゃ絵柄を変えずに成功してるアニメが殆どなのに、わざわざ今風のつもりなのかどうか、ガラッと変えてるんである。そうしなきゃならんのは、スタッフに作画技術がないか、監督が職人としての自覚がないかのどちらかだ。……でも『707』はそれでも見てみたいな。
 ほかにも『キノの旅』がテレビアニメ化だそうな。脚本が『ブギーポップ』『千年女優』の村井さだゆき。ヘンなウンチク出さないで原作通り寓話として書いてほしいな。ちゃんとしたスタッフで作れば結構面白いシリーズになると思う。キノの声、前田愛だそうだが、『ガメラ3』以来の代表作になるかな。

 『ニュータイプ』の付録、またもやDVD。『サイボーグ009』のプロモフィルムがたっぷり収録されてて、これは買いであった。

2001年11月15日(木) お客様は皆の衆です/『真・無責任艦長タイラーの瑳編』(吉岡平)ほか
2000年11月15日(水) みんな妄想の中に生きているのね/『リアル国家論』(教育資料出版会)


2002年11月14日(木) 爆走ぁ振絛船灰鵐機璽函拭愍个い鮑遒襦‐緤芸能笑いの放送史』(澤田隆治)

 どこで聞いたかは事情があって言えないが、「九州交響楽団」のコンサートを聞く。初心者向けの催しなので、有名曲ばかり。若い人にクラシックへの興味を持ってもらおう、ということなんだろう。知ってることには反応するけど知らないことにはアタマを働かせようとしないって単純な人多いし。でもそんなやつらに興味持ってもらっても音楽を志すまでにはいかないと思うけどな。
 MCは地元テレビのアナウンサーが務めてるけど、これが解説にもならない駄弁りばかり。ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題曲『星に願いを』を紹介するときに言ってほしくないなあ、と思ってた「子供に夢を与える」もやっぱり言っちゃったし。私コドモのころからディズニーに夢を与えられたことなんてないから、どうしてこんなに人が「夢」にすがるのかわかんねーっす。
 もうちょっと曲に興味持てる話してくれないものか。
 ラインナップはほかは『パッヘルベルのカノン』とか『ツィゴイネルワイゼン』とか『ハンガリアン舞曲(何番か忘れた)』とか『ツィゴイネルワイゼン』とか『千と千尋の神隠し』とか『アイネ・クライネ・マハトムジーク』とか、なんか人をバカにしてないかってくらいの有名どころ。でも聴衆はこんな有名曲でも「しらな〜い』って言っちゃうくらい、音楽とは縁もユカリもない人たちだからこれでいいのかも。ホントか?
 ほかにも何曲かやってたけど、寝てたからよくわからん(^_^;)。

 しげとの口ゲンカ、昨日から続く。
 いい加減飽きてんだけど、こんなことでもしないとしげとはコミュニケーションが取りにくいのである。こういうときに年齢差夫婦ってのを感じるなあ。


 深夜テレビの藤井隆の番組に『カレーライスの女』に続いて『津軽海峡の女』をリリースしているソニンという女の子が出ている。ヘンな名前だなあ、と思ったら韓国の人なんだね。実は曲は全く聞いたことなかったんだが、タイトルだけは知っててちょっと興味を持っていた。裸エプロンだったり胸開け衣装だったり、売り方も妙なんだが、意外とこういうの受けてんじゃないかな。なんとなくコメディもできそうな感じがするのでちゃんと育てりゃ伸びるようにも思うが、果たしてブレイクするやいなや。


 澤田隆治『笑いを作る 上方芸能笑いの放送史』(NHKライブラリー・914円)。
 『人間大学』の講義をまとめたものだが、どうにも中身が薄い。
 いや、関西の芸人さんたちの動きを随分押さえてくれてはいるのだが、文庫じゃもともと量的にその概略しか語れないってこと。特に「ギャグ」の紹介がないので、なぜダイマル・ラケットが稀有の漫才師だったか、なんてこともイマイチ伝わって来ないのである。「いうてみてみィ」「きいてみてみィ」だけ書かれても、なんのことかわかんないでしょ。ダイラケにはなんとか間にあってるから私はピンとくるけど、関西芸の放送の少ない関東人は、自分たちの笑い芸が絶対だと思っちゃいないか。両方を見て育ってきた私にしてみれば、ベクトルが違うだけで、関東、関西どちらが上ってことはないんだけど(例えば志ん朝・談志と、米朝・枝雀のどっちが上かなんて論争、無意味でしょ?)。
 こうなると何だかんだ言って、小林信彦が「ギャグの筆録」という形で喜劇史を書いてきたことの偉大さが解るというものである。
 でも初心者向けにはいいかな、この本。

2001年11月14日(水) 『千と千尋』新記録!/アニメ『ヒカルの碁」第6局/ドラマ『死者の木霊』
2000年11月14日(火) 年7回は風邪引いてるな、私/『まどろみ消去』(森博嗣)ほか


2002年11月13日(水) 爆走/『若者の法則』(香山リカ)/DVD『刑事コロンボ さらば提督/ルーサン警部の犯罪』

 朝、しげ、寝腐って全く返事をせず。
 「今日は遅くなるかもよ」と声をかけるが起きない。
 職場から夕方になって連絡を入れるが携帯も繋がらない。
 結局、またしげを駐車場で待たせるハメになったが、文句をつけてきたしげに怒り返す。なんかもー、いちいちメモでも置いていってやらないとイカンかなあ。でも突然遅くなることもあるからなあ。
 「なんでしょっちゅう怒るんだよ。お前が腹空かしてるときなんか、オレの方は弁当買い置きしてやったりしてるのに。そういうのどう思ってんだよ」
 「……ラッキー?」
 この人でなしめ。

 晩飯はハンバーガーと、昨日買った弁当の残り。米がカチンカチンになってて電子レンジにかけてもやわらっこくならない。侘しいなあ。
 アニメ『ヒカルの碁』、佐為と塔矢行洋戦の直後の話。いよいよクライマックス近し……でも作画はイマイチだった。


 香山リカ『若者の法則』(岩波新書)
 「いまどきの若者」の言動を、6つの「若者の法則」に従って解説。

 1「確かな自分をつかみたい」の法則
 2「どこかでだれかとつながりたい」の法則
 3「まず見かけや形で示してほしい」の法則
 4「関係ないことまでかまっちゃいられない」の法則
 5「似たものどうしでなごみたい」の法則
 6「いつかはリスペクトしたい、されたい」の法則

 心理分析にしてはちょっと薄っぺらい印象。「確かな自分をつかみたい」どころか、「何も考えたくない」って若者も急増してると思うが。不況とか言ってるわれにフリーターでそれなりに食っていけてる人多いからなあ。
 一つ一つのエッセイも、なんか歯切れが悪い。結局出て来た結論が「若者ってわかんない」って結論出すんだったら、これ、ただの「症例集」にしかならないじゃないの。


 DVD『刑事コロンボ さらば提督/ルーサン警部の犯罪』。
 異色作二本。『提督』のほうはどこが異色かトリックに関わるので言えないのだが、本放送当時、テレビ欄でしっかりそのトリックをバラしていた。すごく腹たてたこと覚えてるなあ。未見の人でこのトリックに引っかからない人がいたらお目にかかりたい。監督はピーター・フォークの盟友、バトリック・マッグーハン。本来これが最終回になるはずだったエピソードである。カミさんに会いにボートで一人海に出る(なぜ?)コロンボの背中が寂しい。
 この回にもアホな誤訳を一つ発見。「サージャント刑事」って、「サージャント」は人の名前じゃなくて「巡査長」って階級だ(軍隊だと「軍曹」ね)。いつもはこんな誤訳してないのに、なにをトチ狂ったかな。新録の部分なんで、額田やえ子さんじゃないと思うけど記載がないので誰の失敗か分らん。
 『ルーサン警部』はウィリアム・シャトナーが大根役者を演じるというシャレにならないほどリアルな話。よく引き受けたなシャトナー。声がまた山城新伍なものだからその大根ぶりは日本語版でも際立っている。ある意味名作と言えるかな。

2001年11月13日(火) また書く原稿が増えそう(^_^;)。/『時をきざむ潮』(藤本泉)ほか
2000年11月13日(月) 泣いてるようだが怒っているのです/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』4巻


2002年11月12日(火) 爆走◆拭愼本の古都はなぜ空襲を免れたか』(吉田守男)

 しげ、今日は昼の仕事のため帰りはタクシー。
 乗ったタクシーの運ちゃん、また顔馴染の人。不景気の話から「博多にゃ職人がいなくなりましたねえ」という話になる。
 ウチは祖父が沈金師で、両親が床屋なので、その二つともが絶滅した話をする。バブルのころから職人は不景気だったからなあ。審美眼のある客なんて、二十年以上前からいなかったのである。
 晩飯はセブンイレブンで買った弁当。しげの分も買ってやる。
 私はこうやってしげを気遣うが、しげは全く感謝しない。


 吉田守男『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫・672円)。
 京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本文化に造詣の深かったラングドン・ウォーナー博士がルーズベルト大統領に直訴して、その価値を認めさせたからだ、という「定説」が、まったくの虚偽だったことを資料から検証した一冊。作者は、世間で未だにそれを信じてる人が大勢いるために、以前出版して絶版状態にあった本書を文庫化して再出版したんだと。
 ……すみません、私も「眉唾だなあ」とは思ってたけど、疑ってはいませんでした。だってこれ教えられたのほんのコドモのころで、しかもお袋から聞いたんだもの。ガキは疑いませんて(^_^;)。
 破壊目標から外れてたどころか、京都は第三の原爆投下目標のひとつだったのである。空襲が行われなかったのは、いざ原爆投下した時の破壊状況の調査がしにくいから、というのが真相だそうな。戦後は逆にアメリカはこの「ウワサ」を積極的に利用して、日本人の懐柔策を取った。「アメリカのおかげで被害がこれだけですんだ」ってやつな。広島・長崎の悲劇が「この程度」だよ。
 情けないのは未だに京都で「アメリカさんありがとう」とか考えてる人が、多いらしいことだな。それこそ、広島・長崎の悲劇から目を背けさせようってアメリカの策略に見事に乗せられてるんだから、京都にゃ文化はあっても教養は育たなかったらしい。
 この説を流布したものの中に志賀直哉がいたというのが面白い。この人、作家としても高く評価されすぎてる気がするが、戦後は「日本語は全部フランス語にしたら」とか結構トンデモなことばかり言ってた人なんである。
 人は自分が安心できる説には検証もせずに乗っかりたいもののようである。今でもこの体質変わってないよな。

2001年11月12日(月) だからアメリカは戦争好きなだけだってば/『ザリガニマン』(北野勇作)
2000年11月12日(日) せめて漢字くらいは……


2002年11月11日(月) 爆走 織▲縫瓠悖丕稗腺裡蓮拌莪賚叩拭愡代劇マガジン』vol.1

 そろそろ本気で爆走しよう。
 短いなりに楽しい文章が書けりゃいのだが。物足りない人は言ってください。その日の分だけ書き足します。

 晩飯はしげに貰ったハンバーガーの食い掛け。迎えの車中でパクつく。
 仕事までの時間がないので、ミニストップで買ったとか。私もそろそろ金欠病なのでそれ以上は望まず。

 CSキッズステーション新番アニメ『PIANO』。
 キャラデザインは藤島康介だが、1話目なのに作画監督がヘタで正面顔と横顔の差が激しい。まあもともとのデザインが編み笠みたいなヘアスタイルでアニメ向きじゃないんだが。
 話もピアノに打ち込む少女のドラマ……にしてはなんだか他愛ない。

 職場からしげ、あんかけチャーハンのモトを買ってくる。
 さすがにハンバーガーの食い掛けだけじゃ悪いと思ったか。まずくはないが大量なのでちょっと食いきれない。でも何とか食った。

 『タツミムック 時代劇マガジン』vol.1(辰巳出版・1260円)。
 時代劇ファンには楽しみな雑誌が発刊。さて何号続くかな。
 特集は『たそがれ清兵衛』。見たい映画だけどしげが全く全然カケラも興味を持ってくれないからなあ。DVDで買うかな。
 『子連れ狼』、やっぱり北大路欣也は違うんじゃないか。あの人、演技力がないわけではないのだが、特に個性がないので当たり役に当たったことがない。同じ二世俳優である松方弘樹が超大根役者なのに『金さん』ほか当たり役がたくさんあるのと比べるとかわいそうなんだけど。

2001年11月11日(日) 日記・日記・日記/アニメ『サイボーグ009』第5話/『八犬伝』13巻(碧也ぴんく)ほか
2000年11月11日(土) 今日はなんだかイタイ話ばかり/『ZERO』(冬目景)ほか


2002年11月10日(日) 永遠という名の魔女/『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』40話/『ギャラリーフェイク』26巻(細野不二彦)

 毎回感想を書いてたらシンドいので、たまに見ても朝の特撮やアニメについては省略することはできないのだが(それでも毎回やたら書いてるよな。更新が進まないはずである)、今回はそうもいかない。
 『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』40話「どれみと魔女をやめた魔女」、これまで「いい加減長く続きすぎてるんじゃないか」とか「どれみがオトナになっちゃったから『おじゃ魔女』っぽくなくなったよなあ」とか文句つけることの方が多かったが、自らの不明を恥じたい。断言するが、これこそテレビアニメ史上に残る傑作である。
 脚本は大和屋暁(やまとや・あかつき。名前でおわかりの通り、日活出身の脚本家で、言わずと知れた『ルパン三世』の大和屋竺氏のご子息である)、作画監督はキャラクターデザインの馬越嘉彦自らが担当、そして監督はもはや日本アニメの重要な一角を担っていると言ってもよい『デジモン』の細田守。シリーズ中の異色作ではあるが、これまでのシリーズの積み重ねがあったからこそ、これだけの作品を送り出すことができたのだ、と言うことができる。

 ある日の放課後、何となく遠回りして下校したどれみは、「未来」という名の美しいお姉さんと出会う。会った途端、どれみが魔女であることを見抜いてしまう未来さん。「マジョガエルになっちゃう!」と慌てふためくどれみだったが、実は未来さんも魔女であった。ホッとするどれみだったが、未来さんはもう魔法は使わないのよ、と言う。
 ガラス細工をしているという彼女に誘われて、ガラスのコップ作りにチャレンジすることになったどれみ。お礼に一週間前に越してきたばかりという未来さんを連れて、美空町のあちこちを案内してあげる。
 夕日を見つめながら未来さんは、止まっているように見えるガラスが、実は長い長い時間をかけてゆっくりと動いていることを語る。未来さんが何を伝えたいのかよくわからないのに、話せば話すほどに彼女の不思議な魅力にいつの間にか惹かれている自分に気付くどれみ。
 またある日、未来の所を訪れたどれみは、彼女が今まで出会ってきた人たちと一緒に写した写真を見せられる。その数の多さに驚くどれみ。その中には未来が「たった二日だけ」好きになりかけたという人との思い出の写真もあった。
 「どうして好きにならなかったの?」と問いかけるどれみに、「私、年上好みなの」とやや寂しげに笑って答える未来。そして、「同じ人とずっと一緒にはいたくない」とも……。
 そうして、未来はどれみとも思い出の写真を撮る。
 なかなかうまくいかなかったガラスのコップもようやく形になり、あとはゆっくり熱を冷ますだけ。
 そして、未来は「明日そのコップを取りに来て、あさってではだめ」と言う。それは、彼女が明後日には例の昔好きになりかけた人の元に行くからであった。その人は普通の人間、年は今はもう90歳を越していて、未来のことを未来の子どもや孫だと思って付き合っていて、未来自身もそれを演じ続けているというのだった。
 「こんな生き方をしてる魔女もいるの」と呟く未来は、どれみに衝撃的なことも告げる。
 「魔女の世界をもっと見たければ一緒に来て」。
 迷うどれみ。美空町のみんなと別れて、未来と一緒にたびに出てもいいのか。夕暮れの街を歩きながら、それでも未来さんへの思いを消せないどれみ。
 しかし、翌日、「未来さん、来たよ!」と彼女の家に飛びこんだどれみを待っていたのは、あの、一緒に撮った写真だけ。
 すでに未来の姿は無かった。
 「……どうして?」
 どれみの問いに答える声はない。

 抒情的である、という点でこれを傑作と呼ぶのではない。
 この作品のキモは、どれみが美空町を捨てようと決意したその一点に尽きる。
 単発のドラマではない、ここまでシリーズを続けておきながら、おじゃ魔女の仲間を捨ててまでどれみは未来さんについて行こうとするのである。見方によっては、これはこれまで『どれみ』という番組を応援してきた視聴者たちの思いを裏切る行為でもあるのだ。例えて言えば仮面ライダーがいきなりショッカーに寝返るようなものだ。ファンが怒り狂ったっておかしかない。

 けれど、リアルな現実として考えてみよう。
 人には、どんなに親しく付き合っている家族、友人、恋人がいても、あるときふと、それまでの人生を全て捨てて、どこかに行きたい、誰かに付いて行きたい、と思う瞬間があるものである。クスリをやったりシューキョーに走ったりただプイとジョーハツしたりしてしまう人がいるように。
 現実を生きる、ということは大なり小なり自分の中の何かを少しずつ犠牲にしていることでもある。それが酒瓶の中の澱のように溜まって行くのを感じる者は、それがたとえ破滅への道とわかっていたとしても、あえてその一歩を踏み出したいと思ってしまうのではないか。
 思えば、どれみはシリーズが重なるたびに「シバリ」をかけられてきていた。ぽっぷがいて、ハナちゃんがいて、いつまでもドジッ子のどれみのままではいられない。もうどれみも小学六年生なのである。
 でも彼女にはたった一つの人生しか与えられないのであろうか。本当にどれみが「生きて」いるのだとしたら、そのことに堪えられるのであろうか。
 誰もが思ったことだろう。「未来」というキャラクターは、もう一人のどれみのまさしく「未来」なのであると。
 どれみもいずれ、大人の恋をする。そのときの彼女が「未来」のように永遠の生を生きる存在になっているのかどうかはわからない。ごく普通の人間と同じく、年を取る魔女として、自分の夫となるべき人と年を重ねて行くのかもしれない。けれどそれはやはりたくさんの岐路を経てどれみ自身が選んで来た道であるはずだ。予定されていた未来などではなく。
 『おじゃ魔女どれみ』シリーズは最終的には予定調和のハッピーエンドで終わるであろう。最終回でどれみが再び未来さんを追い掛ける形で終わるとは思えない。だからこそ「40話」でどれみの「迷い」が描かれる意味があったと思うのだ。凡百の「魔女っ子もの」のルーティーンから外れることを承知で、どれみが選んだ道がたくさんの迷いの中から選んだ道であることを示すために。単に「異色作である」とか、「単発で見るとそれほどでもない」といった評価を下す人もいるんじゃないかと思うが、それこそ表層的なところしか見ていないと言えるだろう。
 これは『どれみ』における『ノンマルトの使者(ウルトラセブン)』なのである。

 未来さんの声は原田知世である。
 『幻魔大戦』『少年ケニヤ』の2作の声優経験はあるが、多分それ以外には声優として起用されたことはないのではないか。
 しっとりとして落ち付いた声で、この深みのある声は誰だと驚きながら初めは全く気付かず、テロップを見てひっくり返った。長らくブランクがありながら、なんとステキな女優に育っていたことか。原田知世が『時かけ』を越える瞬間に立ち会ってしまったのだ。
 今日は奇跡の日である。

 あまりに興奮してしまったので、できるだけ書き込みはしないでいようと思っていた山本弘さんとこの『SF秘密基地』に「な、なんだ今日のどれみはぁぁぁ!」と怒涛の書きこみ。ナカミはウチの掲示板に書いたのとだいたい同じである。
 一番感激した未来さんの「私、年上好みなの」というセリフについてはあえて触れなかった。全ての感動を書きつくそうとすることは、その感激を伝え損なうことにもなりかねない。きっと、語りたい人はいるはずだ、その人たちのために、このセリフに言及することは避けておこう。それに「もとネタ、泉重千代じゃん」なんてアホなツッコミするやつがいたらヤだな、という思いもあった。
 レスがどの程度つくか、と思ったが、一日で山本さんほかたくさんの書き込みがあって嬉しかった。やっぱり結構みんな見てたのね。私の想像通りのアホな書きこみをした人もいて、それには苦笑せざるをえなかったが(^_^;)。


 女優・范文雀さんが5日、心不全のために亡くなっていたことが8日に判明。享年54。『サインはV』のジュン・サンダース役があまりに有名だったために、若死になんだけれど「もうそんな年になっていたのか」という驚きの方が大きい。するってえと主演の岡田可愛もそのくらいの年になってるのか。私の世代の男なら、岡田可愛や吉沢京子あたりが「きれいなお姉さん」のイメージのベースになってると思うので、これもまたショックである。
 台湾出身の范さんがどうして黒人の役を? というのは当時スタッフの間でも疑問が出ていたらしいが、監督が范さんに惚れこんで人種なんか気にしなかったのか、范さんを売り出したかった事務所のゴリ押しか、単に黒人の役者が見つからなかっただけなのか。真相はともかく、まだ子供だった私はそんなの全然気にせず、ジュンを素直に「黒人」と認識してドラマを見ていた。逆に范さんが他のドラマに出演するようになったとき、「何で黒人じゃなくなったの?」とそっちのほうがビックリだった。

 訃報に関して誰も触れていないのが意外なのだが、ジュンの役は日本社会の中の混血児問題を「子供番組」レベルで展開していた、今思えばなかなかにハードな物語であった。池沢さとしのマンガ『あらし!三匹』にもミヒルという混血児キャラが登場して黒い肌をからかう人間に対する怒りを露にしていたが、米進駐軍の後遺症は60年代、70年代にはまだ深刻な問題として社会に影を落としていたのである。
 映画で混血児差別を扱った作品と言えば『キクとイサム』あたりが代表的なものだろうが、森村誠一原作の『人間の証明』あたりを最後にこの問題についてメディアが語ることは殆どなくなった。沖縄の米軍による少女暴行事件などを考えれば、この手の問題が消え去ったわけではないのだが、メディアは露骨にそういう日本社会の闇の部分を隠蔽する方向に進んでいったのだと言わざるを得ない。『ガンダム』のリュウ・ホセイが初期設定の黒人から白人(?)に変更されてしまったのも一つの例か。
 キレイゴトだけで日本には差別の問題なんて何もない、というポーズを取ったほうがいいのか、こういう問題を掘り起こした方がいいのか、単純にどちらか一方に決めつけることはできない。なにせ「キクとイサム」の主演の二人はこれが「実録」であったために映画出演後かえって迫害にあって、消息不明になってしまったのだから。
 しかし、この「隠蔽」が、米軍が行ってきた非道や、今も続く日本人の他人種に対する差別意識を、意図的に日本人の心の中から抹消させていった政治的な配慮であることも事実である。『サインはV』はまだスポーツもののオブラートに包まれている分、DVDとして復活することが可能であったが、『あらし!三匹』などは恐らくミヒルが「ブラック・ムスリム」に傾倒している描写などもまずいのだろう、未だに復刻されない。
 エンタテインメントとしてのドラマにあまり堅苦しい話題を持ちこむのは野暮ったいのだが、語り方の難しさはあるとしても(何しろ日本人の大半はものごとを極端に単純化しないと理解できない)、ジュン・サンダースが『サインはV』の中でどういう位置にあったか、それに触れた記事が少ないのはそれはそれで違和感を感じるのである。「骨肉腫に侵され、志半ばに倒れる悲劇のヒロイン」ってことしか書いてないけど、病気のことだけがクローズアップされるのはどうだかなあ。「生まれも不幸で死ぬのも不幸(本当は不幸ではない人生だったと視聴者に思わせたいにしても)だなんて、そんな理不尽なことがあっていいのか」と、我々は当時、まずそのことをあのドラマから感じながら見てはいなかったか? でなければ、病に犯される以前からジュンが憂いに満ちた表情を見せていたことを、我々はどのように受け留めていたと言うのだろうか。

 范さんの話が横ちょにいってしまったが、『サインはV』後、范さんはやはりどこかミステリアスな雰囲気を漂わせる役柄を演じることが多かったが、ジュンを越える役を演じることはついぞなかった。
 私が印象に残っているのは1978年の「横溝正史シリーズ」中の異色作『夜歩く』のヒロイン、古神八千代である。
 夢遊病患者という設定の、今だったらなかなかドラマ化しにくい役だったが、まるで坂口安吾の『不連続殺人事件』を想起させるような奇人たち(このキャストがまた他の作品には見られぬほど異色である。谷隼人・南風洋子・村井国夫・原泉・菅貫太郎・岸田森・伊藤雄之助といったクセのある面々)の中にあってヒロインを務めるにはただ楚々とした美人では無理である。范さんの個性は八千代役によくあっていた。言い返れば范さんのような逸材を日本の映画界はやはり死蔵していたと言える。


 休日なので1日かけて日記書き。少しは書き進められたがほとんど焼け石に水である。適当なとこでまたワープせにゃならんかなあ。
 晩飯は近所の福一ラーメン。あまり遠出したくなかったので、あまり美味くはないのだが近場ですませた。
 棚に『少年マガジン』のバックナンバー36・7合併号が置いてあったので、しげに『コータローまかりとおる!L』の最終回を読ませる。と言っても打ち切り、掲載誌移行なので、厳密な意味での最終回ではないのだが。
 「なんだ、ウチキリじゃないじゃん」としげは「ダマされた」ってな顔をしているが、連載が別の形で続くとしても、本誌で打ち切りになったという事実は変わらない。連載前読切時代からのファンとしては寂しい限りである。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』26巻(小学館/ビッグスピリッツコミックス・530円。
 しかしこれが26巻もネタが続くとは思わなかった。名実ともに細野さんの代表作になっちゃったけど、もう、『どっきりドクター』や『猿飛』みたいな少年マンガの世界には戻ってこないのだろうか。

 巻頭の『ちゃぶ台の値』、わざわざ平仮名でタイトルつけてるけど、読者に読めないだろうという配慮だろうか。「ちゃぶだい」とキーボードに打ち込むと、即座に「卓袱台」と変換してくれるんだけど。でも本編で語ってるとおり、今時卓袱台使ってる家庭はホントになくなっちゃったんだろうから仕方ないのかな。
 「ちゃぶ」というのは中国語で「飯」の意味である“cha‐fan”ないしは“cho−fu”が訛ったもの、と辞書にある。明治期、横浜・神戸で外国人相手に開かれていた小料理屋を「卓袱屋」と称したと言うから、世間に普及したころは結構ハイカラな響きだったのだろう。泥棒の隠語で「売春婦」という意味にも使われてたそうな(^_^;)。
 こういう庶民文化にも「美」を見出す視点は嬉しいのだが、結局はゲストキャラにとっての価値しかない、みたいなところでドラマを収束させちゃうとなんか物足りない印象がしてしまう。消えてしまったの調度と言えば、卓袱台だけではなく、蚊帳や蝿帳や水屋や茶箪笥や煙草盆や豚の蚊取り線香立て、ほんの二、三十年ほど前にはありふれていたものが今はもう見られなくなっているのである。短編だけにどれか一つに話題を絞らないといけないのはわかるが、文化は一つのものに象徴させて語れるものではない。桃山文化を茶器だけで語っちゃヘンだってことと同じである。
 『誓いの錠』は『チビ太の金庫破り』を換骨奪胎してるし、どうも今巻の話はどこか「借り物」めいている。そろそろネタ切れなのかな、細野さん。30巻くらいで区切れよく終わったほうがよくはないかな。そしてまた少年マンガの傑作をどうか一つ。

2001年11月10日(土) AIQ機動!……いや、とっくにしてるんだけども/『不死身探偵オルロック』(G=ヒコロウ)ほか
2000年11月10日(金) 今日は本読みすぎて感想書ききれない/『クトゥルー怪異録』(佐野史郎ほか)ほか


2002年11月09日(土) 探偵って卑下しなきゃならない商売なのかね/映画『トリック 劇場版』

 ここんとこなんとか週に一本は映画に行けるようになっている。
 しげとの休みがちょうど合ってるおかげだけれど、一緒に行動することが少ないと、しげの機嫌はどんとん悪くなっていくので私もホッとしている。
 なんせ私にベタボレなしげは、私がちょっと目を逸らしただけで寂しがって「いや〜ん!」と言って抱きついてくるのである。傍目には嬉しそうな光景であるかもしれんが、日頃クッカーで腕の筋肉をレスラー並に鍛えているしげに「フンギュッ!」と抱きつかれるのである。マジで上と下からナカミが出そうになるのだ。逃げると「オレのこと好かんと〜!」と言ってダイダロス・アタックを掛けてくるのである。死ぬって。
 まあダマ婆さんに「お爺さ〜ん!」と襲われるようなもんだと思っていただければよろしい。
 しげのココロを落ちつかせるためには、日頃から「ボクはいつも君のこと思ってるよ」ビームでもしげに発してなければならんのだろうが、私はフツーの人間なのでそんな怪しいビームは出せない。仕方なく、できるだけ一緒にいて、しげが泣いたり怒ったり○○したりしてもすくに機嫌を取り結ぶことができるようにしてなきゃならんのだが、そのためには見に行く映画も厳選せねばならない。面白い映画だと見終わったあとは私もしげもニコニコなのだが、つまんない映画だと、途端にしげの眼は三白眼と化し、「なんでこんなつまんない映画にわざわざ連れてきたんだ二時間ずっと苦痛だったぞケツは痛いし腹は下るし酸欠起こして頭痛はするしこれはオレへのイジメかそうかそうなんだなこいつオレのことなんてなにも考えてないんだクソ悔しい悔しいどうしてくれよう」と言う目つきに変わっているのだ。
 で、今日、見に行く予定の映画は『トリック 劇場版』である。
 ……これって自殺行為か?(^_^;)

 トリアス久山に向かう車の中で、前を行く車を指してしげが、「あれヤン車やね、で、オレたちと一緒のとこへ行くよ」と言い出す。
 マンウォッチングの趣味でもあるのかと聞いたら別にそういうことではないらしい。私には見た目どういうのがヤン車なのかは分らないが、少なくともトリアスに行くなんて断定はできないと思ったので、その旨をしげに告げたら、「絶対だ」と主張する。
 「なんでトリアスに行くって断言できるんだよ。別の用事かもしれないじゃん」
 「だってトリアスから向こう、何もないよ? ヤンキーがこんな寂れた所、トリアス以外にどこに行くんだよ」
 「わかんないじゃん、もしかして誰か家族が危篤で、慌てて家に向かってるとか」
 「賭ける?」
 「いや賭けないけどね」
 で、間もなくトリアスに着いたのだが件の車、しっかりトリアスに入っていきやがった。しげが勝ち誇ることと言ったら。日頃から頭悪い頭悪いとなじられつけてるから(言ってるのは私だが)、ちょっとばかし知恵が働いたことが嬉しくて仕方がないのだろう。でもやっぱ偶然だよな。

 ずっとずっと昔、当時の彼女に「喫茶店で道行く人のマンウォッチングでもしようか」と言ったら、スゴイ形相で嫌われたことがあった。他人のことを勝手に憶測するのは卑劣で汚らわしく、人の道に悖る行為だそうである。
 でもエスパーでもない限り、人は自分以外の人がどんな人間か分らない。だからいつだって「この人は何を考えているのだろう?」なんてことが気にかかる。しげなど一時期は(今でもそうかもしれないが)他人を「敵か味方か」だけで考えていた。無条件で相手を信頼することができないから、人は人を外見や素性で判断する。もちろんそれは偏見であり差別であり、だからこそ昔の彼女の言わんとすることも理解はできるのだが、実は人はその偏見を通してしか人を判断することができないのである。
 そして人は自らもまた他人から「見られて」いるのであり、そのことを覚悟しなければ人は人の中で生きて行くこともできはしない。私は風采も上がらない中年だが、だからと言ってその事実を否定して「オレを中年と呼ぶな!」と叫んだりしたら世間からは「アホか?」としか思われまい。我と我が身が周囲にいかに見られているかという事実を受け入れず、現実から目を背けていれば、それは逆に自らの尊厳のみを絶対視した他者への蔑みとはならないか。
 昔の彼女の態度は美しくはあったのかもしれないが、「私は他人を差別なんかしていない」という思いこみがその心を支配していたのも事実である。どうせ偏見から逃れられないのなら、自分の「罪」を認めちゃった方が自分に正直になれると思うんだけどねえ、私が「汚らわしい」人間ならシャーロック・ホームズも明智小五郎も平塚八兵衛も薄汚い外道、とうことになると思うがね。


 ヴァージンシネマズに予定の時間より20分ほど早めに到着。まだ開いている店もないので、しばらく外でぼんやり。寒がりのしげは車の中で震えている。
 手持ちのオペラグラスで雲の向こうの飛行機なんかを眺めていると、しげが車の窓を開けて「貸して」と言って取り上げる。
 何を見るのかと思ったら、「ああ、やっぱり! あそこにユニクロがあるよ!」と言う。私の視力じゃ見えないがあるのは間違いない。なぜなら今し方その側を通りすぎてここまで来たからである。てゆーか、何度も久山には来てるんだけどなあ、記憶力ないんか。なかったな。
 やっぱりしげの知力はこの程度である。

 10時を回ってようやく映画館が開く。
 『TRICK トリック 劇場版』、公開初日の1回目だけれど、客は十数人程度。小学生くらいの子連れの親子もいて、この子らも深夜テレビ見てたんかなあ、今時の親は子供の夜更かしとか別に叱らなくなってきてるらしいからなあ、と、親に9時には寝るように躾られてた自分のことと引き比べて隔世の感を覚える。

 相変わらずの極貧生活を送っている自称天才奇術師の山田奈緒子(仲間由紀恵)は、糸節村の青年団と名乗る二人の男女(山下真司・芳本美代子)から、自分の村に来て「神」を演じてほしいと頼まれる。300年に一度、村に起こるという災いを、神が来臨して救うという伝説があるというのだ。
 金になるならと喜び勇んで糸節村に入った奈緒子だが、そこには「亀の呪い」を訴える占い婆・菊姫(根岸季衣)と、先客の「神」(竹中直人・ベンガル・石橋蓮司)が三人もいた。
 埋蔵金を探しに来た日本科学技術大学教授の上田次郎(阿部寛)も合流して、「災い」の謎を解こうとした矢先、お約束通りに連続殺人事件が起こる。謎を解く鍵を握るのは奈緒子の母・里見(野際陽子)か!?

 自分で書いといてなんなんだが、あらすじだけだと一見面白そうだよな。露骨に『八つ墓村』のパクリだけど。テレビシリーズでも『黒門島』とか『六つ墓村』とかやってるから、結局性懲りもなく、ということになる。
 実際、濃茶の婆みたいな菊姫が出て来ても、それはパロディとして笑えるどころか、出来の悪いモジリ、失笑のタネでしかない。紹介される手品のトリックが殆ど子供だましなのは製作者も自覚していると見え、上田次郎の友人たちも糸節村の人々もみな一様に奈緒子の手品を見て白けるが、それがドラマのつまらなさをかわす効果を全く上げてないことに監督は気付いているのだろうか。「どうせつまんない手品見せて、回りが引くんだろうな」という予測がつく段階で、白けるのは観客もなのである。ギャグのレベルも信じられないくらい低いし。
 「お二人の関係は何なんですか?」
 「毎晩まぐわってます」(←村の方言で紙相撲のこと)
 こんなギャグで笑える人間いるのか。
 肝心の事件のトリック、犯人についても全くと言っていいほど意外性がない。『ケイゾク』のころはバカトリックではあってもまだ露骨なパクリは少なく、オリジナリティのあるものもあって許せたのだが、『トリック』にはそもそもミステリを構築するためのトリックというもの自体がない。監督の堤幸彦は「これはミステリではありません」と言ってるそうだが、じゃあミステリっぽいシチュエーションを持ってきてること自体、大間違いではないのか。
 それに、ミステリ以前にマトモなドラマとして考えてもあちこち破綻しまくってるんだけどねえ。オープニングの伝説の奇術師・ロベール・ウーダンのエピソード(口で弾丸を受け止めるってやつね)、これが本編に殆ど絡まないのもドラマ造りってものを堤幸彦が根本から知らないことの証拠だ。
 ラスト、三百年前の呪いの正体がいよいよ明かされるわけだが(ミステリじゃないということだからバラしちゃってもいいだろう)、地下水が三百年の間にたまって鉄砲水となって村を襲うのである。折りしも真犯人が狂気に走って山火事を起こしていた。奈緒子と上田は鉄砲水の「栓」となっていた亀石を動かし故意に鉄砲水を起こして山火事を消す……って、そもそもその水で村が水没するって設定じゃなかったの? 自分で作った設定、しかもドラマの根幹に関わる設定を作者が忘れちゃしょうがねえよなあ。奈緒子はやたら登場人物たちのおかしな言動に対して突っ込みを入れるが、まず監督に突っ込み入れるべきではないのか。

 そんなにつまらないなら、なんでわざわざ見に行くかというと、もちろん第一の目的は仲間由紀恵である。『ケイゾク』の中谷美紀の時もそうだったが、女優にヘンなことさせてキャラクター性を強調する演出には堤幸彦は長けている。「テメエラのやってることはマルッと全てお見通しだ……って誰もいないか」という一人ツッコミの間なんか実にうまい。糸節村のテレビ欄が『暴れん某将軍』ばかりなのを見ながら「一生住みたいくらい……」とウットリする演技なんかまさしく入魂。美人女優のわりにはこの人、姿勢がイマイチ悪いので、使いようが難しいのだが、こういうキテる役をやらせりゃいいのだな。
 ただやっぱりドラマとしてはとても評価できるものではない。殆ど不条理劇を見に行く感覚でないとフツーの映画を期待している向きには辛かろう。何しろ登場人物たちの殆どがいったい何をアイデンティティとしていて、どういう行動原理を持っているのかさっぱり掴めないのだ。作者が多分何も考えていないからである。見ているうちに笑っていいのか怒っていいのか、段々わからなくなっていくのだ。
 『ドグラ・マグラ』より『ハム太郎』より、『トリック』の方がよっぽどトリップ・ムービーだと思うがどうか。

 深夜出勤のせいで、『トリック』の内容を全く知らないしげに、「小説読んどく?」と予め水を向けていたのだが、「つまんなかったら見たくなくなるから読まない」と言い返されていた。けれど、こっそりコミック版の方を読んでいたしげ、マンガのほうは単に「つまんなかった」と言うだけだったのが、映画の方はそのわけのわからなさに困惑したようだった。
 「ねえ、これ、なにを面白がればいの? なにが面白いと思ってこんなの作ってるの?」
 と私を質問責めにするが、既知外の発想なんてわかんねーよ。

 しげ、ユニクロで練習着が買いたいというので、道に迷いながら(しげが表示板の矢印を見落として逆方向に歩いていたのだ)到着。私は特に買うものがないので、ベンチでぼんやり待っていたのだが、そこへちょうど通りかかった男の人の眉毛が、絵に描いたように『こち亀』の両さんにソックリだった。冗談じゃなく、数字の3を横にしたように黒々と、海苔を貼りつけてんじゃないかってくらいに太かったのである。世の中にはいろんな人がいるものなのだなあ。今日の一番の収穫はこれかも。って、なんの収穫か。
 しげは結局、気に入った品が見つからず。


 昼飯、「村さ来」に入ろうかと思ったがこんなに早くにはやっていない。繁華街でならそうかもしれないが、トリアスは家族客だって多かろうに夕方から開いても集客力ないと思うんだがなあ。
 しげはなんと「村さ来」の存在を知らなかった。全国展開してる居酒屋としては一番有名だと思ってたんだが。……あ。でも福岡でここ以外「村さ来」ってあまり見かけないな。中洲は「つぼ八」だし(この店もしげは「たこ八」と覚えている)。
 以前食事したこともある「カルビ家族」で焼肉。壷入りの特製ホルモンとやらが美味い。あと紫芋のアイスも。焼肉自体は殆どしげに食われたので、外に出てたこやきとサラダパスタを買って食う。


 帰宅してあとはずっと一心に日記書き。
 ウソです。疲れて寝てました。
 早いとこ更新したいんだけどもね。

2001年11月09日(金) いちまんななせんえんの幸福/『GUN BLAZE WEST』2・3巻(和月伸宏)ほか
2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか


2002年11月08日(金) ウチもベストカップルだと言われることはあるが(-_-;)/『アフター0 著者再編集版』7・8巻(岡崎二郎)

 理想の有名人カップルを選ぶ「パートナー・オブ・ザ・イヤー」ってのがあるそうである。で、今年の受賞者が西村知美・西尾拓美夫妻なんだって。
 別に誰が選ばれようが文句つける理由はないのだけれど、西村知美カップルを見て「理想的」とか思う人っていたのか、この世に。
 だいたいコミュニケーション不全のまま○○歳になってもチョンガーだったりヤモメだったりして、でもやっぱり三次元の人間より二次元キャラへの思いが立ち切れなくて、寂しく暗くさもしく虚しい暮らしの中で、○○○○のフィギュアを抱きしめながら毎晩枕を涙で濡らしているような一人ぼっちのオタクから見れば、「カップル」なんて、つがってるというだけでケツから蹴り入れたくなるような存在であるのだろう。
 それがよりによってトロリン夫婦である。ナマで存在してるミッチーとヨシリンなんである。三原順子とコアラもカンベンしてほしいが、だからと言って西村知美ならまあいいかという問題ではないのだ。ほかにいないからとかいう消極的な選考理由なのかもしれないが、少なくともあれ見て「素敵?」なんて思っちゃった人間がこの世にいたってことは間違いないのだ。世間は広い。広すぎる。
 なんせ西村知美はこないだ百キロ走ったばかりなのである。かと思ったらどういうわけか4日にはニューヨークマラソンにプライベート参加して、42.195キロを6時間43分19秒で走り切っちゃったってんである。そのうえ今回ベストカップルに選ばれて「結婚5年目でこんな賞をもらえるなんて感謝感激です」とかなんとか言っちゃって(5年目だからって、それが何?)、公衆の面前でキスまでご披露してるんである。どんどん図に乗ってないか。図に乗ったその先のベクトルがいったいどこに向かってるんだか全く分らないから、これがまた怖い。
 ……いや、何が怖いかって、この暴走を止めていいのかいけないのか、それ自体がよくわかんないってことだと思うんである。いったいどうしたらいいんでしょうかね、ホント。


 夕方、しげにいつも通り職場まで迎えに来てもらったのはいいのだが、今日は仕事が早出だそうで、食事を一緒にするだけの時間がない。
 仕方がないのでマクドナルドでハンバーガーを買って帰る。好き嫌いのない私だが晩飯にバーガーはあまり食べたくはない。夕食って感じともディナーってのとも全然違うし。


 携帯電話を新しく交換。
 何だかよく分らないが、しげの話では交換しなければならない理由が何かあるらしいのである。以前使ってたのはなんだかおもちゃっぽかったが、今度のは二つ折りになっててパカッと開けるとディスプレイが光るのである。ボタンも大きく押しやすくなってて使いやすくなってはいる。
 でもやっぱりウルトラ世代の私としては、携帯電話ってのは腕時計式で画像が映るレシーバー式のものてせないと! などと思ってしまうのだが、そんなん普及しそうにないよなあ。もうどこかで作ってそうな気はするけど。


 今日はいよいよ『プリンセスチュチュ/卵の章』の最終回、仕事に出かけたしげからも「ちゃんと録画しといてね」と頼まれる。
 そりゃオレだって楽しみにしてるんだから、とデッキにテープを入れた途端、「ガガガガ」とイヤな音がして、デッキがウンともスンとも動かなくなってしまった。
 「血の気が引く」とはこんなときに使うコトバであろう。どうしてよりによって最終回直前にデッキが壊れにゃならんのか。
 悪戦苦闘してデッキのフタを取り外し、ひっかかっていたテープを回収して、配線をつなぎなおしたが、やっぱりデッキは作動しない。
 時間は空しく過ぎて行く。キッズステーションにチャンネルを合わせたら、『チュチュ』は今しもラストシーン、ドロッセルマイヤーが「お話はまだ終わっちゃいない」と不気味な言葉を残して消えて行く。……チュチュとクレールの対決はどうなったんだよう(T∇T)。
 ……『ザ・リング』見て七日経ったけど、もしかしてサマラの呪いなのか、これは。(@@;))))〜〜(((((;@@)

 帰宅したしげに「『チュチュ』はDVD買うから」と言って謝る。
 けれどしげ、無言のまま、表情も変えない。
 悲しいのか怒ってるのか、「言はで思ふぞ言ふにまされる」ということであるのか。
 しげの沈黙ほど怖いものはない。


 マンガ、岡崎二郎『アフター0 著者再編集版』7・8巻(完結/小学館/ビッグコミックス オーサーズ・セレクション・各530円)。
 『世にも奇妙な物語』スタッフは、岡崎二郎作品を原作にしてまるまる2時間、スペシャルドラマ化を図ったらどうか。それくらい、岡崎作品はバラエティに富んでいる。その質の高さはマンガによる『トワイライト・ゾーン』と称しても過言ではなかろう。
 7巻は『生命の鼓動』というタイトルで動物モノを収録。最終8巻は『未来へ…』と題して科学の発達・進化の行く先を空想したSF作品を集める。特に8巻は、シリーズ第一作『小さく美しい神』と最終作『無限への光景』を同時収録するという、岡崎作品の原点と、未来への展望を同時に味わえるという粋な構成になっている。「オーサーズ・セレクション」の名に恥じないってとこだね。
 『小さく美しい神』は、業界で五指に入るほどの大企業、大洋電機の成長には座敷童子がいた、というお話。カイシャなんていう、民話のキャラが住まうのには不似合いなところに、どうして童子が居付いたのか、というのがこの短編のキモなわけだが、その真相の提示のしかたがいかにもフレドリック・ブラウンのような藤子・F・不二雄のような小粋なモノだったので、「おもしろい作家さんが出てきたな」と注目したのだ。ちょうど『こちらITT』で草上仁さんが出て来たときの鮮烈な印象に近い感じだ。
 『アフター0』というタイトルは、当然「アフター5」をもじったものだろうから、そこに「深夜を過ぎてのフシギな時間」というイメージとともに、「会社もの」というシバリをかけてどこまでSF・ファンタジーがやれるか、という作者の挑戦の意味もあったと思う。日常SFこそがSFの王道、と考える私には、岡崎さんのこの方針がいたく気に入った。
 最終作『無限への光景』で、この「0」が「輪廻の輪」をも暗示していることに気付いたとき、「してやられた!」とも思った。こういうダブルミーニング、トリプルミーニングにセンス・オブ・ワンダーを感じられるかどうかで、その人がSF者か否か、資質の境が問われることになると思う。
 ある意味、岡崎さんの作品は落ち自体は予測がつけやすい。意外性に欠ける、という点では「そこにセンス・オブ・ワンダーはあるのか?」という疑問も湧きはする。けれど、それでもその予測可能なオチを「期待」しつつページをめくる心理、一度読んだ話を何度も反芻したくなる心理、そのような心理がどうして起きるのかを考えてみると、やはりそこには、SF者が最近ついぞかつえている「初めてのドキドキ」を思い起こさせてくれる「何か」があるからではないか、と思わざるを得ない。
 「懐かしさ」という言葉だけでは表し切れない、まさしく我々が世界との接点をどう見出して行けばよいのか、絶望と希望と、現実と夢の交錯するはざまに立っていた「あのころ」の感覚。岡崎作品から感じるものはそういうものだと思う。

2001年11月08日(木) エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝)
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)


2002年11月07日(木) 吉野作造と鞍馬天狗/『トリック・ザ・コミック』(堤幸彦・蒔田光治・林誠人・西川淳)/『トラマガ』vol.2ほか

 母の命日であるが、父からは何の連絡もない。
 どっちにしろ仕事がビッチリと詰まってて、墓参りに行く時間とてないが。
 どうせ偏屈な父のことだから、あとになって「この親不幸もんが」と文句を言ってくることは予想がつくのだが、だからと言って7回忌も終わったのに私がやることなんて今更何もないのである。

 晩飯は久しぶりに「王将」。
 酢豚がフェアで100円引きということだったのでもちろんそれを頼む。それだけでは物足りなかったので、エビの唐揚げも。いや、ふたつ合わせてもたいした量じゃないのよ。この店、「安さ」が取り柄なんだから。
 しげはセット+私の皿のピンはね。自分が頼んだ餃子は「気分が悪い」とか言って食べない。結局エビはほとんど食われた。……だったら最初からエビ注文しろよ。何でこの世にはこうもエビに執着する女が多いのか。

 この店、こないだから窓際の棚のところになぜか仮面ライダー1号だの龍騎だのガンダムだのザクレロ(渋いなあ)だののフィギュアが置かれてるのだけれど、それがどんどんあちこちに増殖していて、トイレやレジのところにまで侵食しつつあるのである。……誰か作ってるやついるな。店長か? この「王将」とオタクフィギュアとのミスマッチがなんとも言えないムードを醸し出しているのだが、意外とそんな店、探せばもっとあるような気がする。
 みなさんのご近所にもヘンなもの飾ってる店ってありませんか?
 

 マンガ、堤幸彦監修・蒔田光治/林誠人原作・西川淳漫画『TRICK THE COMIC トリック・ザ・コミック』(角川書店・588円)。
 テレビ第一シリーズの中から『母の泉』『パントマイムで人を殺す女』『千里眼の男』をピックアップして漫画化。だも多分、続編が描かれることはなかろう(^_^;)。
 しかしおっそろしく下手な絵だなあ。
 いや、ヘタというよりなんか汚い印象だねえ、コマ割りはゴチャゴチャしてて見難いし、ひとコマひとコマの構図も不安定だし、そりゃなぜかって言うと透視法が全然できてないせいだし(基本なのにな)、キャラクターもドギツイのばっかで特に上田の顔なんか、歪みまくっててコマごとに違うし。コマによっては一所懸命阿部寛に似せようとしたところもあって、健気なんだけど。
 でもここまでヘタだとかえって愛着がわくような錯覚を覚えちゃうからフシギだ。とりあえず小説読むのはカッタルイ、ビデオはいつもレンタル中って人はこれでも読んでみたら? 特に得はさせませんが。


 なんとなく買ってしまった雑誌、『トラマガ』vol.2(インフォレスト・690円)。
 表紙の『ガンバ!』のタイトル文字(なんと誌名よりデカイ)につい惹かれちゃったせいだけれど、中身は斎藤惇夫の原作を忠実にコミック化するというのだから、これはもう、期待するな、というほうが無理な話だ。
 アニメ版で7匹に絞りこまれた(これも『七人の侍』を意識してるのだね)キャラクターを原作通りに戻す。
 つまり、ガンバ、イカサマ、シジン、ガクシャ、ヨイショ、ボーボ、忠太のほかに、アニメ未登場だったバレット、イダテン、オイボレ、カリック、ジャンプ、アナホリ、マンプク、バス&テノールが、アニメのオリジナルデザイン担当した椛島義夫氏の手によって新たに描き下ろされるのである!(実際の作画は一式まさと氏が担当)いやあ、なんか燃えちゃうねえ。でも原作通りに行くとなると、アニメ版ではせっかく命が助かってたあのコが死んじゃうことに……。
 けれどそれでもこれはぜひ完結させてほしいマンガなんである。だから3号雑誌に終わらないで、ちゃんと完結するまで雑誌を続けてほしいんだけど、看板マンガが『ゲームセンター荒らしA』だからねえ。今時平安京エイリアンやってるからねえ(-_-;)。どうにもムリっぽいんだよなあ。


 雑誌『國文學』11月号(學燈社)が、「<時代小説>のアルケオロジー」という特集を組んでいる。
 巻頭、井上ひさしが「吉野作造と鞍馬天狗」と題して、「東大法学部(大正時代は法科大学)時代、大佛次郎は吉野作造の講義を聞いたはずだ」という前提で、みだりに暴力を振るわない鞍馬天狗の穏やかさは、吉野作造の穏健さの影響のもとにあるのではないか、と推察している。
 その見方自体は面白いのだが、井上さん、やや興奮気味に「両者に密な交流があったかどうかを突き止めたい」とまで語ってるのである。これって、先入観入りまくりだから、研究の仕方としてはあまり勧められた方法じゃないんだけどね。仮に吉野作造の影響を大佛次郎が受けていたとしても、鞍馬天狗の優しさがそれだけで説明できるわけではないのである。もしかして、大佛次郎のおかあちゃんが優しかったことの影響のほうが大きいかもしれないじゃないの(^^)。
 この、「誰それと誰それは実は意外な縁で結ばれていた」ってのについ惹かれちゃうってのは「成吉思汗は実は源義経であった」と同じくトンデモな発想なのである。
 仮にもダイガクとやらいうところに籍を置いたことがあってよ、曲がりなりにも「ケンキュウ」とかいうものを経験したことがあったら、こんなハッタリかますことにしかならない調査はするもんじゃない、とたしなめられてるはずなのに、井上さん、こういうところがシロウトなんだよなあ。だからずっとバカにされ続けてるんである。いやまあ、研究するなとは言わんけどね。

 でも私もあまり人のことは言えない。
 芥川龍之介の『羅生門』について、あるとき「この演劇的構造、映画的手法、主人公のアウトロー的性格は初期のピカレスクロマンとしてのチャップリン映画の影響を受けてるのではないか?」とヒラメいて(これが曲者)、散々資料を漁ったのだが、芥川が晩年、チャップリンを天才だと大絶賛していることはわかったものの、『羅生門』以前に、いつどこでどの程度チャップリンを見ていたかを示す資料を探し当てることはできなかったのである。
 だってそのころの芥川って、家の事情で恋人との仲を引き裂かれて、ヤケになって散々遊びまわってたころなんだもの。どの資料読んでも関係者の口が重くってよ(^_^;)。一緒に遊んでたなおまえら。
 だからなんつーか『羅生門』って、「マジメに生きたって意味ないじゃん、悪いことして何が悪いんだよ」というヤンキーの自己弁護みたいな開き直りの小説なワケなんで、人間のエゴイズムを鋭く抉るなんてたいしたテーマないのよ、もともと。
 そこに浮浪者チャップリンことアルコール先生の面影を見出すことは確かに可能なんだけれど可能ってだけだからな(^_^;)。でもハッタリとしては面白いでしょ? いや、つい引っかかっちゃいましたよ。情けない話ですが。

 『國文學』という雑誌がこういう大衆小説の特集を組むことは珍しいのだが、お固いばかりじゃないのよ、という宣伝だろうか。村上知彦が『バガボンド』批評をさせられてるのもなんだか客寄せみたいでアザトイ気はするが、世間の動きを無視するよりはマシかもしれない(関係ないけど村上さん「押しも押されぬ」なんてコトバの誤用しちゃいけませんよ。「押しも押されもせぬ」でしょ? 編集者もどうして校正段階で注意してあげないかね)。

 高橋敏夫、縄田一男両氏による「時代小説50選」、他愛無い試みであるが結構楽しい。こういうものの常として「どうしてアレが入ってないんだ!」というツッコミはしたくなるものだが、まあ偏りがないように努力しているラインナップではある。宮部みゆきや京極夏彦など現在活躍中の作家もちゃんと視野に入れてるところは立派。
 けど、ヒトコト言わせてもらえば、久生十蘭の『顎十郎捕物帳』(吉本新喜劇の人じゃないよ)や、都筑道夫の『なめくじ長屋捕物さわぎ』は入れてほしかったなあ。
 それにしてもとても全部の記事について言及はできないけれど、時代小説ファンにとって今号の特集は資料的にも価値あるものだと思いますです。御照覧あれ。

 でもちょっとだけ気になるのは、今回の特集のサブタイトルである。なんで「アルケオなんたら」とかハイカラな言葉使いたがるかね。素直に「考古学」と言えばいいじゃん。「国文学」って雑誌タイトルすら旧漢字のままで押し通してるクセにねえ。
 私もアルケオプテリクス=始祖鳥って知識が無かったら、「アルケ……? なんやねん」と戸惑うところであった。……って、そういう方面で英単語覚えてるのかよ、おまえは(と自分ツッコミ)。

2001年11月07日(水) 暗号解読/アニメ『ヒカルの碁』第五局/「西原理恵子のご託宣ポストカード」ほか
2000年11月07日(火) 昔の映画も見よう……/『笑わない数学者』(森博嗣)


2002年11月06日(水) あのころ/『コミック1970』

 山田風太郎原作の『魔界転生』(どうか「まかい・てんしょう」と読んでください)の映画化のニュースは既に伝えられていたが、その製作発表が昨日正式に行われた。
 以前も日記に書いたような気がするが、再度、怒りを表明させて頂く。
 監督は『ザ・中学教師』、『学校の怪談』シリーズや『OUT』の平山秀幸、堅実な演出を心がけている人ではあるが、山田風太郎のケレン味とは真逆の資質である。適役とはとても思えない。
 キャストは天草四郎に窪塚洋介、柳生十兵衛に佐藤浩市、クララお品に麻生久美子という布陣。スチールを見て、そのみすぼらしさに頭を抱えた。安っぽい衣装(もしかしてカネかけてるのかも知れないが、少なくとも「時代劇」を作る気がないことは間違いないデザイン)、三人揃って着物をまるで着こなせておらず、その迫力も気力も感じられない立ち姿は情けないばかり、製作発表のときくらいは少しは期待させてほしいものなんだけどダメなのか。
 既に、この時代劇とは何のゆかりもないキャスティングで、これが「山田風太郎の忍法小説の映画化」ではなくて、「深作欣二監督、沢田研二主演のバカ映画のリメイク」なんだな、ということが分って、それだけで幻滅を感じてしまう。重要なキャラだった魔界衆の殆どをカットするという暴挙をやらかしたのが前作なんだよね。あんまり腹が立っちゃったものだから、原作ファンだってのに、『魔界』のDVDだけは買う気になれなかったってくらいなのだ(『伊賀忍法帖』は成田三樹夫が出てるんで買ったけど、『魔界』は若山富三郎の殺陣以外に見るべきところがないんだもんなあ)。今回もそうなるのかなあ。

 しかもなにが腹立たしいかって、クボヅカの舞台挨拶が、「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ンって感じっす」だってんだもの。
 えぇ、おい? 誰が呼んだって?(--#)
 お前か?(;`O´)o それともお前か?o(`O´;)
 クボヅカ呼んだやつ表に出やがれ! 処理場の水100リットル飲ましたるぞ!
 ……少なくとも、山田風太郎ファンでクボヅカを呼んだやつは一人もいないと断言できよう。
 天草四郎って、美少年じゃなきゃいけないんじゃないのか? 世の天草四郎ファン、美少年フリークはクボヅカでいいじゃんとか言って、アレを許しちゃってるのか?(もちろん昔の沢田研次も論外であった。おまえは稗田礼二郎だけ演じてりゃいいのだ)まだ、タッキーか藤原竜也に演じてもらったほうがナンボかマシだ。それとも私の感覚の方が異常なのか?
 それに、あとのキャストはちゃんと予定されてるのか? 製作発表にどうして三人しかいないんだよ。
 宮本武蔵は? 荒木又右エ門は? 田宮坊太郎は? 宝蔵院胤舜は? 由比正雪は? 柳生但馬守は? 柳生兵庫は? 森宗意軒は? 紀伊頼宣は? 半端な役者でできる役なんて一つもないぞ? 前回みたいに「細川ガラシャ」なんて役立たず出してたら吊るすぞコラ~凸(-~~- )。

 *あとで分ったキャスティング。
 窪塚洋介(天草四郎)、佐藤浩市(柳生十兵衛)、麻生久美子(クララお品) 加藤雅也(荒木又右衛門)、古田新太(宝蔵院胤舜)、長塚京三(宮本武蔵)、中村嘉葎雄(柳生但馬守)、黒谷友香(おひろ)、吹石一恵(お雛)、高橋和也(伊達小三郎)、杉本哲太(徳川頼宣)
 やっぱり森宗意(意外と知られてないが実在人物)以下、相当数キャストがカットされている模様。長塚さんが武蔵って……。嗚呼……(T∇T)。

 『魔界転生』の原作は、時代劇に興味のない人にも「これは面白いぞ!」とお勧めできる屈指のエンタテインメントなのだ。それを何でこうも毎回チンケなキャストで映画化せねばならんのだ。それに本気で風太郎忍法帖を映画化するつもりなら、『柳生忍法帖』から『魔界』を挟んで『柳生十兵衛死す』の三部作を映画化しなきゃウソだろう。何でこうも映画界にはサルが多いのだ。
 ……と言いつつ、どうせ見に行くんだよ。カネの無駄遣いだ、なんて言われなくても分ってるよ。
 ほっといてよ、フン。(T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T) ヒュルルル……。


 夕食はロイヤルホスト。寒いので注文したのはシチューなど。
 ハガキで送られて来ていた10%割引券をこれで使い切る。
 なんだか無性に口寂しくなったので、セブンイレブンに寄って、ポテトチップスほか、普段は買わないお菓子類を買う。カラダに悪いことは分っているので、しげが止めるかと思ったが、「寒い、先に車に戻っていい?」と言って、さっさと店を出て行く。なんか気遣われてないなあ、と思って、ヤケになって食玩なんかもやたら買いこむ。
 手塚治虫コレクション、松本零時コレクション、いずれも原型製作は海洋堂。手塚治虫はブラック・ジャックをGET。これで揃ってないのは『W3』だけになった。でもこの「最後の1個」ってやつが、なかなか当たらないんだよね。

 帰宅して、『空飛ぶ雲の上団五郎一座』を見返しながら寝る。
 

 雑誌『コミック1970』(週間アサヒ芸能増刊12月1日号/徳間書店・390円)。
 1070年に発表された短編マンガを収録した雑誌創刊号。表紙は手塚治虫『アトムの最後』、松本零士『大海賊ハーロック』、みなもと太郎『ホモホモ7』である。
 これから1971、1972、1973、1974……と発行していくつもりらしいが、『コミック伝説マガジン』も休刊したってのに、現代までたどり付けるのかどうか(^_^;)。

 「人生って無意味なんだな」と自覚したのが小学校1年生の入学式のこと。「ここに、どうしてこんなにたくさんの人間が集まっているのか?」その疑問の答えがないことに気付いて、私は自分もまた無意味に生まれたのだという事実に気付いた。1969年のことである。
 それ以来、「儀式」というものが心の底から嫌いになった。だって全ての儀式は本質的に「葬式」なのだから。一つ儀式を経るたびに、我々は自分の心を殺しながら、いつか訪れる完全な死に向かってただ無意味に生き続けている。
 そんなヒネたことを考えてた小学生だった私が、1970年の「大阪万博」になぜあれだけ入れこんだのか、今思い返せば、私はアレに自分と地球の「最後の未来」を期待していたのだ。
 この世も捨てたものではない、未来には希望がある、この地球で自分が生きて行ってもいいものなのかどうか、それを「万博」が証明してくれるような気がしていた。前年、事故で死の淵をさ迷い、その後遺症に怯えていた私には「人類の進歩と調和」というスローガンは、どんなに安っぽく聞こえようとも、すがりつくことのできる甘美な誘いの言葉であった。
 ……何だかんだヒネたこと言ってもガキだったのである。
 私にとってのその「希望」の象徴がアメリカ館の「月の石」と「アポロ着陸船」だったのだが、当然あの熱狂の中ではそれを見る望みは叶わなかった。コロンビア館でもう一つの月の石は見てきたけど、当時の私にとってそれはただの「まやかし」に過ぎなかった。
 せめて乗りたいと思ったダイダラザウルスは相当待って乗った。当時世界最長と振れ込みのジェットコースターだったが、1時間以上待たされて乗っていた時間は1分程度のものだった。「終わったな」と思いながら、表面では「楽しかった」と父に愛想笑いする術を私はもう覚えていた。
 それ以来、私は自分の人生を余生だと思っている。

 父が私を万博に連れて行ってくれたのは、「住友館」に「未来の床屋の椅子」が展示されると聞いたからである。実際に見はしたのだが、今はどこにでもあるような、高さが上下するだけの床屋の椅子であった。
 父は立腹して「博覧会は二度と行かん」と言い、向後は沖縄海洋博にもつくば科学博にも行かなかった。私にねだられて、数年後に一度だけ、「万博跡地」を見に行った。パビリオンは一部を残して殆ど撤去されており、太陽の塔と遊園地だけがそこにあった。諦めきれない気持ちに諦めをつけなきゃなんないんだな、と思った。
 先日、万博タワーが撤去されたというニュースを聞いたが、もう私には何の感興もない。二度とあそこに行くことはない、という事実を噛み締めるだけである。

 旧作の収録が多い中、畑中純の新作『1970』は太陽の塔の周囲を三島由紀夫、高倉健、エルビス・プレスリーが取り囲む表紙で始まる。けれど、当時二十歳の畑中さんにとって、万博の狂騒は時代の一風景でしかなかった。岡本太郎を「好かん」とけなし、それでいて「なんかある人やろうのう」と一定の評価を与える。いかにも「インテリ崩れ」なカッコつけだが、そういう人は昔も今もいる。「青い」人間はいつでも自分の評価が絶対だと信じ、しかし社会の中では名もない一私人に過ぎない事実とのギャップに悩み、ヤケになるのである。
 そういう傲慢と変わらぬプライドを持たないごく普通の庶民はただ単純に時代に流されていく。
 1970年、各メディアは盛んに万博を題材に使ったが、そこに宣伝以外のものを見出すのは困難だった。
 アニメ『サザエさん』は前年始まったばかり。磯野家はよっぽど裕福だったのか、家族全員で万博に出かけ、動く歩道に驚いていた。
 『ガメラ対大魔獣ジャイガー』でジャイガーは万博会場を目指したが、ガメラに阻止された。
 それはみなただの「風景」である。その時代にだけあるものだが、そこにそれがあることの意味を見出そうとしてもそれは徒労に終わるだろう。

 当時リアルタイムでマンガに万博が登場した例と言えば、水木しげるの『千年王国』だが、ブータンのパビリオンで「悪魔」ベルゼブルと「魔女」が新たな「魔女造り」にいそしんでいたように、万博が「虚飾」の祭典であることを、水木さんは見抜いていたのだろう。
 残念ながら水木しげるの作品は今回収録されていない。次号にも載らないようである。手塚治虫はこのころ時代の影響を受けつつ時代から逃げたマンガばかり描いていた。もう少し、水木作品のような時代と切り結んだマンガを収録してほしいものなのだが。

2001年11月06日(火) 10年ぶりのスプラッタ/『西原理恵子の人生一年生』(西原理恵子)ほか
2000年11月06日(月) 別に国際化したいわけでもなし/『大人の国イギリスと子どもの国日本』(マークス寿子)


2002年11月05日(火) バラエティに芸はない/『ガンダムエーススペシャル』/『カラダで感じる源氏物語』(大塚ひかり)

 朝、しげ起きれず、タクシーで職場へ。
 タクシー代はしげが払うことになってるので、私の懐は痛まないのだが、しょっちゅうキツイとか言って休んでると、私への支払いが簡単に万単位になってしまうのである。寝付きをよくする癖さえつければ、朝起きられないなんてことはないはずなんだが。しげはクスリの類が大嫌いなので、睡眠薬に頼るわけにはいかない。私は布団に入って静かにしてるだけで寝付けるのだが、しげはそれだと逆に落ちつかないそうだ。


 しげの怖かった話。
 夕べ、しげの職場で、店の表を黙ってウロウロしている人影を見かけたそうな。車上荒らしもあったくらいだから、強盗かなにかと思わず悲鳴を上げたら、人影の正体はなんと店長。鍵を持ってなかったので、中に入れず困って回りをウロウロしてたらしい。
 「誰もいないかと思った」とは店長さんの弁だそうだが、普通、電気が点いてたら人はいるでしょーにねー(^_^;)。
 人騒がせな、としげは怒っていたが、店長のクセに店の鍵も持ってなかったのかと、そちらの方が私にはフシギなのであった。


 今日の夕食、「いい加減で『めしや丼』は飽きた」と私がわめいたせいか、しげが急にウチの近所にあるにもかかわらず殆ど寄ったことのない「釜揚うどん」に車を停める。
 ここのうどん、結構コシがあって私は好きだったのだが、しげは「うどんじゃ腹が太らん」と、なかなか寄ろうとしなかったのだ。
 久しぶりにうどんが食べられて私は満足だったが、しげはいっしょに頼んだコロッケかカツかがまずかったらしく、不満顔。……安く食える店なんだからそんなに文句言わんでも、と思うし、まずけりゃおかず残してうどんだけ食えばいいのに、全く贅沢な話である。
 ああ、これでまたこの店から足が遠のいちゃうなあ。しげの偏食に付き合わされてるのは私の方なのに、しげ自身は全然ワガママを言ってる意識がないのだからいったいどういう神経をしてるんだか。


 まあどーでもいいニュースの一つ。
 テレビでちょうど見たんだけど、民主党の鳩山由紀夫氏が『電波少年』にからかわれてぶんむくれたって話ね。
 明治学院大学の学園祭で、3日に開かれた民主党の鳩山由紀夫代表の講演会に、日本テレビの『電波少年に毛が生えた』の「ママさんコーラス隊」が「乱入」して、「鳩山さんに贈る歌」と称して「リーダーシップがない」などの内容で、「山口さんちのツトム君」「ハトヤ」のCMの替え歌2曲を歌ったってのが経緯。聴衆はウケるどころか騒然となったんだとか。
 鳩山さんは今日になって、「主催者に失礼」として、日テレに抗議文を送ったってことだけど、その理由が「自分が馬鹿にされたから」ってことじゃないところが人間としての器の広さを見せたってことなんだろうか。
 でもやっぱホンネでは怒ってんじゃないかと思うけどね。真実はどうか知らないが、外見や態度から「僻み屋さん」に見られちゃうところが、鳩山さんの政治家としてのキャラの弱さなんだよなあ。
 事情を全く知らなかった主催者の法学部も日テレに抗議文と放送中止要請をするつもりだそうだが、いたし方のないところであろう。

 「この世にギャグにしていけないものなんてないんだ!」がモットーの私が『電波少年』の肩を持たないのは意外、と思われるかもしれないが、私ゃレベルの低い芸に同調する気はサラサラないのである。
 「ママさんコーラス隊」がイカンとまで断言するつもりはない。けどね、「これくらいはゲリラ的にやっても許してもらえるだろう」って「甘え」が見え隠れしてるのがどうにも気に入らないんだよね。それにこういう「乱入」するんなら、他人の軒先借りてやるんじゃなくて、堂々と民主党の前で歌えばいいじゃないの。それだと政治活動と思われて、普通のママさんたちが逮捕されることになるかもってビビったんだろうね。でも、そんなふうに腰が引けてたんだったら、最初からこんなギャグやるもんじゃないとは思いません? 笑いを舐めてるよ。
 タモリ曰く、「差別するときは本気で差別しなきゃ意味がない」。これは自らが糾弾されることを覚悟しての発言であるのだ。その覚悟が『電波少年』のスタッフにあるとは思えないんだよなあ。


 『ガンダムエーススペシャル』(『ガンダムエース12月号増刊』/角川書店・330円)。
 表紙が安彦良和描くセイラさん、皇なつき描くフラウ・ボゥ、寺田克也描くキシリアさまである。三人目、濃すぎるぞ(^_^;)。
 内容が殆ど再録なのはちょっとガッカリだったのだが、安彦さんが『特別番外編』と称してセルフパロディを描いてるのが笑えた。なぜか描きなおすたびに体型が崩れていくセイラさんのヌード。シリこそ扁平だけど、17歳には見えんよな〜。
 それと、アムロが嗅いでたぱんちー、いったい誰の?
 〆切に間に合わなかったと思しい北爪宏幸の『在る日』は必見だろう。なんたって下書きをコピーしただけのページが、10ページ中4ページも(^_^;)。でも、意外にこれって下書き風マンガ? と勘違いする読者もいたりしてな(^o^)。


 大塚ひかり『カラダで感じる源氏物語』(ちくま文庫・777円。
 江川達也さんのブレーン、大塚ひかり嬢の「世間で言うほど源氏ってモテてないよ」本(^o^)。
 要するに『源氏』中の「身体表現」に注目して、光源氏の実像、及び当時の風俗を読み解こうってもの。語り口がちょっと伝法で、お固くてつまんないガッコの授業に比べれば何十倍も面白い。でも風俗の研究についてはちょっと古典をかじったものなら誰でも知ってるような基本的なことしか語ってないのでいささか拍子抜け。まあ、初心者向けなんだから文句言っても仕方ないけどね。それよりも「源氏ってどこが素敵なの!?」的な現代女性のカミツキを楽しむのが面白いかも。川原泉も『笑う大天使』でやってたな。もちろんその分析のデタラメぶりが楽しいのである。
 でもマジメな本として読んじゃうと、やや苦しいところがあるのも否めない。確かに、「美人よりブスに対する描写のほうがリアルだ」とか、「一番無個性な浮舟を二人の男から愛される存在として描いたところに『源氏』の特異性がある」と、鋭い観察眼も持ってはいるのだけれど、もうヒトイキ、というところで作者自身の「現代感覚」が古典の分析を邪魔している気がする。
 例えば、「どうして光源氏は美人をほっといてブスに走る傾向があったのか?」という疑問に、作者がウンウン唸りながら解答を模索している。でもそんなん、男なら一発で気付くことなんだけどなあ。
 つまり、「作者がブスだったから、美人がモテる話を書きたくなかったってことじゃないの?」って思うんだけど、こんなこと書くと怒る人いるかな?
 この作者、現代人の歪んだフェミニズム感覚に影響受けちゃって、至極単純な「女の見栄」というヤツに気がつかなかったんじゃないかな。
 これ以上書くとヒステリックな反論しか来なくなるからもう突っ込みません(^_^;)。悪しからず。

2001年11月05日(月) 行かなかった博覧祭/『陽だまりの樹』1〜7巻(手塚治虫)ほか
2000年11月05日(日) 「小鹿のバンビは」って歌は日本版だけ/アニメ『バンビ』ほか


2002年11月04日(月) 勲章って文学賞じゃないでしょ?/舞台『父歸る』(見てないけど)/『鉄人』1・2巻(矢作俊彦・落合尚之)

 岡田斗司夫さんのサイト「OTAKING SPACEPORT」の巻頭言で、作家の筒井康隆氏が紫綬褒賞を受けることになったということを知って驚く。
 筒井作品との出会いは私と同世代の人間ならばたいていがそうであろうが、永井豪画の絵本『三丁目が戦争です』である。小学生同士のケンカがエスカレートして全面戦争が始まるというトンデモナイ話で、いや、これはトラウマになった。NHK『タイムトラベラー』も当然リアルタイムで見ているし、大学生のころは、それこそ七瀬シリーズの新作が出るのを楽しみにしていたし、舞台『三月ウサギ』の公演を見に行ったり『虚人たち』のサイン会に出かけたり、もちろん全集も買い(途中で挫折したが)、映画『時をかける少女』を見て「原田知世はいい!」と叫び、映画『スタア』だって「つまんねえだろうな」と思いながらもしっかり見に行った。御三家の中では一番好きだった作家さんである。
 そのアイデア、諧謔、皮肉、冗談、ナンセンス、ブラックユーモア、エロチシズム、グロテスク、スカトロ、もちろんSF性にすっかり魅了されていた。直木賞には縁がなかったが、泉鏡花賞のほうが筒井さんにはふさわしいよな、と思っていた。少なくとも『ベトナム観光公社』とか『農協月へ行く』とか『宇宙衛生博覧会』とか読んでいたら、まずもって勲章なんてものとはもっとも縁遠い人だと思うのは当然であろう。それが紫綬褒賞。意外、という言葉以外のものが見つからない。。

 ネットで筒井さんのコメントを見つけたが、ご本人は結構喜んでいるようである。
 「お行儀がいい作品を書いたつもりはないが…。長いこと労働してきたことへの、ご褒美かな。うれしいとか名誉とかいうより、どこか冗談っぽいな、という面白さを感じますね」
 ちょっと皮肉が入ってはいるが、どうせ斜に構えるのなら「自分の作品読んでるのかね?」くらいのことは言ってほしいものだ。叙勲の選考委員たちが読んでいたとしたら、まず間違いなく落としているはずだからである。勲章なんて文春漫画賞と同じで、別に取ったからと言って、おめでたくもなんともない。「ご褒美」なんて言葉は使ってほしくなかったなあ、というのが正直な感想である。

 岡田斗司夫さんの巻頭言は更に激烈である。

 筒井康隆氏が紫綬褒章に決まったそうです。
 僕が尊敬していたのは反骨の作家・筒井だったので、もちろん国家からの勲章なんか断ってくれるはず、と思いたいのですが、まぁ無理でしょう。
 正直、80年代からこっちの氏の創作はいきづまり気味だと思うし、特に演劇出演などに関しての自画自賛ぶりには辟易しています。
 絶筆したままだったら『天才』のまま終われただろうになぁ。


 岡田さんと違って、私は、筒井さんのことを「反骨」などという陳腐な表現で語れる程度の作家ではないと思うし、かと言って「天才」と言うほど持ち上げる必要もない、とは思うが、言わんとする気持ちは分る。筒井さんならこういう「事件」に対して何かリアクションを取ってくれるんじゃないか、と期待するのは、かつてのファンならば等しく思う「願い」であろうから。誰も筒井さんに『わかもとの知恵』を書いてほしい、なんて望んじゃいないし、ましてや速水剛三を演じてほしいなんて思っちゃいないのである。
 今でも新作が出れば一応筒井さんの本は買っている。『エンガッツィオ司令塔』、途中まで読んだがつまらなくなって寝た。『敵』、買ったあとで『純文学』と気付いて数ページで読めなくなった。『蛇眼蝶』、文章が野坂昭如のヘタなパロディみたいでつまらなかった。『私のグランパ』、『愛のひだりがわ』、書き出し読んだだけでまだ全然読んでいない。
 ……私にも昔ほどの貪るような読書「欲」がなくなったのはわかるが、こうして並べてみると、確かに近年の筒井さんの作品がつまらなくなってるのが分るのである。それでも「名声」自体は、二十年前より今のほうが「一般的には」上がってるのだろう。宮崎駿とかでもそうだけど、どうして世間は「つまらなくなってから」その人に飛びついていくかね。本気で面白いものを探そうって気がないんだろうけどさ。
 『グランパ』は映画になるそうだし、やっぱ読んどくべきなのかなあ。


 しげは、今日は鴉丸嬢に誘われて、芝居の鑑賞。
 何でも、もともとは鴉丸嬢のお母さんがお友達と行くはずだったのが急遽キャンセルになったのだとか。
 帰宅してきたしげに「何見てきたん?」と聞いたら、「『父歸る』だよ」と答える。
 「そりゃえらく古いのやったなあ、主演誰?」
 「米倉斉加年さん」
 「米倉さんか、そりゃ見たかったな。結構よくなかった?」
 「うん、まあまあ」
 俳優であり作家であり画家(御本人の弁によれば「絵師」とのこと)である米倉さんは、福岡市の出身である。役者としても私はNHKの『明智探偵事務所』の怪人二十面相などは大好きなのだが、描かれるイラストも大好きだ。以前から郷土に根差した活動をされていて、同郷の幻想作家である夢野久作の角川文庫版カバーを担当されているのも米倉さん。あのグロテスクだが繊細な画風に魅了されて『ドグラ・マグラ』を手に取られた方も多いのではないか。
 古代における在日問題を扱った米倉さんの絵本、ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞を受賞した『多毛留』は私のフェイバリット絵本の一つであるが、あれこそオトナのための絵本であろう(もちろん子供に読ませてもいいと私は思ってるが、躊躇するオトナも多かろうなあ)。

 「で、芝居はどうだった?」
 この質問にはちょっと注をつけねばならないところだ。別に筋を聞きたいわけではなくて、どんな演出だったかを聞きたかったのである。『父歸る』のストーリー自体はあまりにも有名である。たとえ実際にこの芝居を見たことがない人でも、これの影響を受けた作品にはどこかで必ず接しているはずだ。戯曲にとどまらず小説、映画、マンガ、アニメと、恐らくその数は百や二百じゃすまないだろう。一番影響を受けたのは言わずと知れた『男はつらいよ』シリーズ。あれはつまり「父帰る」ならぬ「兄帰る」なわけだ。……あ、あれだけで48本か。ヘタすりゃ模倣作、万を越すんじゃないかな。全く日本人マンネリが好きだよなあ(^_^;)。
 人口に膾炙したという点では『金色夜叉』や『湯島の白梅(婦系図)』を越えてんじゃないかってくらいなんだから、もういちいち詳しい筋は書かない。ナカミを知りたい人は古本屋で文庫を探しなさい。
 「○○(鴉丸嬢の本名)と一緒に笑ったよ」
 「どして?」
 「最後にオヤジが出てくやん」
 「うん」
 「芝居が終わって二人でおんなじこと考えてたんよ。『あのオヤジ、今頃川に飛びこんでんじゃないか』って」
 ……まあ、確かに父親を追いかけるまでタイムラグがあるしなあ。家族会議してるヒマがあったらさっさと追いかけりゃいいのにってのはあるんだけど、それじゃドラマの泣かせどころがなくなる。
 第一、あのオヤジは「寅さん」の原型である。寅さんが自殺するようなタマか。どんなに傷ついたって軽々しく「死ぬ死ぬ」なんて言わないのが庶民の矜持ってものだ。だからこそ家族も「万が一にも」と追いかけていけるわけで、本当に死ぬような情けないやつなら、勝手に死なせときゃいいのだ。
 しかしこんな感想じゃ、芝居の演出が雑で感動が伝わらなかったのか、しげたちが鈍感で演技の機微に気付かなかったのか、判別がつかない。二人の性格からしてこういうベッタベタな人情モノにツッコミ入れたくなる気持ちも分らなくはないのだが、別に私ゃしげや鴉丸嬢の「願望」を聞きたいわけではないのだ。もちっと「誰にでも通じるコトバ」というものを考えてほしいものである。
 「で、二本立てであともう一本あったんよ」
 「何?」
 「『二十二夜待ち』」
 「それは見たことなかったなあ。作者誰だったっけ?」
 「えーっと、木下か山下か……」
 「ああ、木下順二か」
 「いや、違う」
 「じゃ誰?」
 「木下か山下」
 「それじゃわからん! ……もういいや、ネットで探す」
 で、もちろん作者は木下順二だったのである。やっぱり、しげの記憶ってアテにならないんだよなあ。
 ちょうど、米倉さんのホームページ「まさかね見世」にこの芝居の解説が載っていたので、読んでみる。

 ◆菊地寛作『父歸る』/出演◆佐々木良行、助川汎、若杉民、助川美穂、南風洋子、米倉斉加年
 ◆木下順二作『二十二夜待ち』/出演◆上野日呂登、津田京子、内田潤一郎、助川汎、山梨光國、尾鼻隆、溝口貴子
 演出:米倉斉加年
◆日本近代古典の名作、菊地寛作『父歸る』は、簡素なつくりの中で見事に、日本人の家族を、家庭の原点をえぐっています。
木下順二民話劇は生きることの話であり、「今」の現代の話なのです。
本当の笑い涙、哀しみがそこにはある。それは現代が失ったものです。
この『父歸る』を歴史という時間の縦糸に、『二十二夜待ち』を現代社会のしくみの横糸にして、近代日本の成立から現代の日本へたどってみることは、とりもなおさず21世紀の世界への展望となるのではないでしょうか。


 「現代の話」と言っときながら「現代が失ったもの」と続けるのはコトバ的には矛盾してるが、要するにイエスタデイ・ワンスモアなわけだな(^o^)。これももしかしたら「オトナ帝国シンドローム」か? 舞台はもしかしたら夕日色に染められていたかもしれない。


 なんだかよく分らないが、英語のメールが女名前で届いている。送り主はオランダ。
 英語なんてどんと来いの私だが、もしもオランダ訛りがあったらいけないので、一応、niftyの翻訳ツールにかけてみたが、やっばりなんだかよくわからない(^_^;)。
 私は黒人だとか独立運動がどうのとか言ってるが、でも用件は「金送れ」だ。「なんだ、新手のサギか」と、あっという間に興味が失せてしまったが、翻訳ツールってやつが、殆ど日本語変換の役には立たないということがよーっく分りました。特に連語が全く訳せていない。“Thanks, GOD BLESS YOU”を「はあなたを(ありがとう、神)祝福しますように」ってまるがっこもないのにへんな訳しかたしてるが、普通これって「ごきげんよう」とか「お元気で」って訳すじゃん。
 中一レベルの訳もできない翻訳ツールがものの役に立つかいって(-_-;)。


 LDで日本版『リング』を見返す。
 こないだの日記で、雨の中、父親と息子が見つめ合うシーンまでソックリ、と書いたが、よく見ると立ち位置が逆。上手側が優位にあるという演劇理論から行けば、日本人とアメリカ人とでは親子のどちらにイニシアチブがあるかの判断が違う、ということになるのかな。まあただの偶然の可能性が高いと思うが。
 中田秀夫監督がインタビューで「高山竜司を超能力者にしたのは、貞子の過去の説明を省略して尺を詰めるため」と発言していたのには苦笑。米版では尺を詰めるどころか「説明をしない」という形でテンポを作っていたが。どちらがいいかは好き好きだろうが、福来友吉教授&三船千鶴子事件を彷彿とさせる日本版『リング』の方がどこかあざとい印象がある。恐怖ってのはやはり「正体不明」なところにキモがあるので、この部分は米版のほうが上手い。
 肝心の「リングビデオ」、米版に比べて至極あっさりとしていて短い。こんなもんだったかとちょっとビックリした。


 晩飯はまためしや丼。
 実はこないだから吉野家に行きたくて仕方なかったのが「牛丼しか食べられないじゃん」と欠食児童のしげは絶対寄ってくれないので、ここで牛鍋を注文する。やっぱ汁が美味いわ。
 「つゆだく」とかいう言葉が流行ってるらしいが、これはすしネタの卵を「ギョク」とか呼んじゃう感覚なんだろうか。それとも吉野家の品書きに最初から書いてあるんだろうか。
 こないだのAIQで「通ぶって『つゆだく』なんて術語(専門用語)を使う奴は嫌いだ」みたいな発言があったが、ほとんど術語だらけといってよいオタクの世界に足を突っ込んでる人の口からこういう発言が出ることが面白い。いや、閉鎖的で排他的と評価されやすいオタクの中にあって、AIQって実に常識的なオトナが集まってるんだなあ、と感心しているのである。まあメンバー全員が30代以上なのに「萌え〜」とか言ってたりしたら私も引くが(と言いつつ私自身がたまに使ったことがあるような)。
 オタクが閉鎖的にならないためには他人が聞いて「何それ?」と引いちゃわないような言葉遣いも必要だろう。


 マンガ、矢作俊彦原作・落合尚之作画『鉄人』1・2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 「矢作俊彦」という名前を、『マイク・ハマーへ伝言』などのハードボイルド小説の一人者として捉えるか、マンガ『気分はもう戦争』の原作者として捉えるかでその人のシュミがわかるってよく言われてたけけれど、カバーの折り返しを見たら、映画監督までやってた。『ギャンブラー』? 知らんぞそんなん。Vシネか?。
 ミステリファンとは言っても、私の場合、好みは本格に限られてて、ハードボイルドは草分けであるダシェル・ハメット、レイモンド・チャンドラー数冊程度で止まってるので、矢作さんが影響を受けたと思しいミッキー・スピレーンは実は『裁くのは俺だ』が積読のまま。なんかイマイチ知的興奮を揺すぶられないんだよね(だから流行りの濱マイクシリーズにも特にハマってない)。
 それでも『気分はもう戦争』は、80年代当時、マンガファンには「必読」ではあった。けれど、実はこれも私は斜め読みしかしていない。緊迫していく戦争の状況変化と、その中であくまで軽薄な自分たちの姿勢を崩さない若い主人公たちの行動とのギャップが、それが作者の描きたいことであるとわかってはいてもなんとなく「あざとく」感じられて好きになれなかったのである。今思えば「世の中には茶化していいことと悪いことがある」とかクソ真面目に考えていたのだね。石川喬司か(←蛇足の注。昔、筒井康隆が『ベトナム観光公社』を書いた時に、こう言って怒ったのである)。
 それが、そのあと数年で「シリアスな状況のなかでこそフザケる」ギャグを飛ばしまくる押井守作品に狂喜することになっちゃったんだからねえ。私も心が広くなったものだ(ちなみにオビの推薦文は大友克洋と押井守。身内誉めか?)。

 で、『鉄人』である。
 マキシマムな世界の状況とミニマムな少年たちの日常を対比させつつドラマ展開させて行く手法は変わらないが、それが『気分』よりずっとダイナミックに読者に訴えかけるようになっているのは見事。
 近未来の中国(2003年って、来年じゃん。えらい近くに設定したなあ)、「日中戦争当時の不発弾処理」の名目で作業中の母・冴子に呼ばれて、主人公の小学4年生・鳶尾翔は自分も中国に渡る。
 そこで見た奇怪な白虹現象、地下街に隠された巨大な「鉄人」。ついうっかり鉄人に乗り込んだ翔は、コントロールできないままに長春の街を破壊していく。
「人を殺したかも」と怯える彼の前に現われる二人の人物、ロシア・マフィアに通じているらしい中国人の少女、虎姫(フーチー)と、忽然と幽霊のように現われた「行方不明」のはずの父・ダグラス。
 誰がいつなんのために鉄人を作ったのか、何一つ状況が分らぬまま、翔はただ翻弄され続ける。
 いやあ、面白い。これがかつてのロボットマンガの名作に依拠していることは明らかだけれど、実にうまく現代化されてる。「鉄人」がどうやら旧日本軍によって開発されたらしい設定や、そのデザインなんかはモロに「鉄人28号』からのイタダキだし、主人公がロボットをうまく操縦できなくて暴れてしまう展開は原作版『マジンガーZ』そのまんまである。なのに安易なパクリという印象がしないのは、中国国務院・人民解放軍、ロシアマフィア、日本外務省及び陸自と、それぞれの思惑が錯綜するリアルな背景を描いている点、それから、その混乱の中で、主人公が自らの意志を模索して行くという、マンガの王道をきちんと押さえているおかげだろう。2巻の段階でまだ翻弄されっぱなしだけどな(^o^)。
 もっとも、翔の名字が「トビオ」で、持ってる犬ロボットの名前が「アトム」ってのはちょっとあざといけどね(^_^;)。
 キャラ的に御贔屓なのは大阪弁を喋る中国人少女の虎姫だけれど、なんかこの子って『独立愚連隊』シリーズに出てくるような「馬賊のムスメ」っぽいんだよなあ。多分この想像は当たってると思う。だって2巻には「岡本喜市」ってそのまんまなキャラまで出てくるから(^o^)。これもちょっとアザトいか。

 ただ、いささか弱いな、と感じるのは作画の落合さんである。ヘタじゃないし、原作の要求するレベルに一生懸命答えようとしているのは分るのだけれど、やや力不足の感は否めない。全般的にレイアウトがイマイチだし、リアルに描こうとして、かえってマンガとしての迫力に欠ける結果になっているのだ。
 2巻130・131ページの見開きなんか「見せ所」なのに鉄人がエラい小っちゃい。そりゃ、「まだ遠方にいる」ってことで小さく描いたんだろうけれど、フォーカスかけて遠近感出せる実写の映画と違って、マンガは平面なんだから、小さく描いたら小さくしか見えないよ。マンガとしての「演出」がなんなのか、落合さん、まだ分っていないのだ。これから先、画力は上達していくだろうし、今の段階で評価を下すのはかわいそうだけれど、もう少し絵柄にも「華」を持たせられるようにした方がいいと思うなあ、こういうマンガの場合。

2001年11月04日(日) デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか
2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……


2002年11月03日(日) 妻にはナイショ(^_^;)/映画『OUT』/『プリティフェイス』1巻(叶恭弘)ほか

 朝っぱらからネットの散策。いかにも文化の日らしい朝である。
 しげ、寝床から起きて来た途端、いきなり「○○(私の本名である)のばかあ!」と言って絡んでくる。
 どうしたのかと聞いたら、私が浮気した夢を見たそうな。
 「しかも○○までしたんよ!」
 なんだその伏字は、ハッキリ言ってみろ。自慢じゃないが、結婚する前も後もそんな楽しい目にあったことはないぞ(マジで自慢にならんな)。全く、どうしてこいつは自分の見た夢のことで私を責めるかなあ。
 「だって、アンタがそんな気起こしてるから、夢にも見るんやん」
 ムチャクチャなリクツである。
 だったら、私がゴジラのことを考えたらゴジラの夢を見るのか。いっぺんバナナワニ園というところに行ってみたいと思ったらそこに出かける夢を見るのか。「スーパーカリフラジリスティックイクスピアリドーシャス」と言ったら夢の中で舌を噛むのか。
 ……でも実はしげのことを責められないのだなあ。
 なんと今朝、私はホントに夢の中で浮気をしていたからである。
 もっとも、浮気とは言っても、相手は昔の同級生である(という設定だが目覚めて思い返したら全然知らない顔であった。ちょっと若いころの三井ゆりに似てたか)。久しぶりに会ったのでデートでもしよう、と街を歩いていて、ふと振り返ると、しげが電信柱の陰からジッとこちらを睨み付けているのであった(^o^)。えいくそ、そんなに自分の夫のことが信じられないならいっそのこと、○○○○○○○○○○○○○○○○○、というところで目が覚めてしまった。うーん、惜しい(^_^;)。
 まあ、そんだけの夢なんだけど、シンクロニシティというか、なんともビックリな附合である。あいつにも「女のカン」があったのだなあ。
 もちろん、そんな夢見たとはオクビにも出さなかったが、この日記読んだらまたしげに責められそうだな。
 というわけで、今書いたことは全部ウソです。浮気の夢なんて見てませんってば。いやホント(^o^)。

 思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを
 うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき

 もちろん思う相手は妻ですよ♪


 公開2週間だというのに、もう半日上映しかしてない『OUT』をキャナルシティまで見に行く。
 桐野夏生の原作は未読、純粋に物語の設定のみに興味を持って見たいなあ、と思っていたのだが、いざ見終わってみたら、ちょっと考えこんでしまった。
 いや、悪い映画ではないのだ。ただ、この映画面白いから見て御覧、と奨めるにはよほど人を選ばねばならんよなあ、と思うのである。
 まずこの映画を「なに映画」と言って紹介するか。ここから実は苦しんでしまう。ミステリー、あるいは犯罪モノ……それはそうなのだが、どうもしっくり来ない。平凡な主婦たちがほんのちょっとしたきっかけから「死体」を「処分」する仕事を請け負って行く羽目になる。その発想は面白いのだが、もしこれがミステリーとしての面白さを追及するならば、そこに何らかの知的トリックをしかけねばならないはずである。
 ところが主婦たちは単純に「死体をバラバラにして遺棄する」というごくありふれた方法しか発想しない。これじゃすぐに足がついちゃうし、仲間が4人もいれば誰かがドジを踏むだろうということも簡単に想像がつく。そいつがどいつかってのもキャストを見ればバレバレである(^_^;)。
 ならば、そのアホンダラを抱えつつも、窮地をいかに回避するか、という点にドラマが展開するかというとそうもならない。犯行がバレそうになった主婦連は、ある者は自首し、ある者は逃亡するだけなんである。
 ……となると、これは「知的好奇心」を満足させてくれるドラマではないのだなあ、と判断せざるを得ない。主人公たちは平凡な人々だし、事件に巻き込まれたのだって不可効力みたいなものだし、状況をいかに回避するかってことにもたいして頭使わないし……ということはこれ、「ドタバタ」なんだな(~_~;)。

 確かにユーモラスなシーンがないわけではない。けれど、それにしてはこの映画のツクリ方はひたすら「地味」だ。それは原田美枝子、西田尚美、室井滋、倍賞美津子というキャスティングにも表れている。演技派の方を集めたってことなんだろうけど、はっきり言って華がない。『模倣犯』の中居正広、木村佳乃がよかったとは全く思わないが、『OUT』のキャスティングに比べれば遥かに華がある。原田美枝子の「旬」は『鳴門秘帖』で終わっているので(おいおい)、主役に持って来るのはちょっとなあ、とどうしても思ってしまうのだ。役柄的にも倍賞美都子とキャラが被ってしまっているのは痛い。この二人、息があってはいるのだが、演技の質がそっくりなので、インパクトが相殺されてしまっているのだ。かと言って大竹しのぶを持ってくると『黒い家』の再現になっちゃうし、もっと地味になっちゃうしなあ(^_^;)。
 ここに、日本映画の役者の層の薄さが露呈してしまっている。30代後半から40代前半で主役を張れる人ってのがいなくなってるのだね。だいたい「演技派」という言葉は日本においては「スター性のない」人に与えられてる呼称に過ぎないんで、実際にそう呼ばれてる人の演技が上手いかどうかってことになると、疑問符がつく場合が多い。いや、ヘタとまでは言わないが、感嘆するほど上手くもないんだよ、みんな。

 しかも更に困ったことには、どうやらカントクさんはこれを「ドタバタ」として作るつもりはなかったらしいのだ(-_-;)。じゃあマジメに作ってるかというと、そういうのとも微妙に違うから、さてどう言ったらいいものか。
 倍賞美津子演ずる吾妻“師匠”ヨシエが100円貯金をしている。いつか北海道に行って、オーロラを見るのが自分の夢だ、と原田美枝子の香取雅子に語る。しかしその夢をヨシエは果たせなくなる。物語のラスト、雅子は師匠の代わりにオーロラを見に、北海道に行くのだ。
 ヒッチハイクでトラックに乗った雅子は、女の運転手(吉田日出子!)に「どこに行くんだい?」と問いかけられて、「オーロラを……」と答える。
 「そりゃでっかい夢だ!」と大笑する女運転手。そしてトラツクの行く手には「ホントに」オーロラが広がっているのだ。
 なにが痛いって、これが全く「ギャグ」ではないということなんだよなあ。脚本家、これから先の雅子に何か希望があるとでも思ってんのかね? 確かに直接人を手にかけているわけではないが、雅子は死体損壊、遺棄の犯罪者なんだけどねえ。
 どうもこの物語、「日常に縛られて耐え忍んでる女は、罪を犯してでもそこから脱出していいんだよ」なんて「女の甘え」を肯定してるような描写がそこかしこに散見しててイヤラシイんだよなあ。平凡がそんなにイヤか。家庭が崩壊したのだって、「ホントの私はもっと素敵で、アンタたちの日常につきあってやってるだけなのよ」って自分の高慢ちきな態度が原因だとは思わんのか。いや、マジな話、この雅子って女、シンデレラ症候群を未だに引きずってるんだわ。だからって、どうして選りに選って、香川照之に引っかかるかな(^o^)(原作じゃ間寛平のほうにも引っかかってるらしい)。
 しかもオーロラまで出すなんて、明らかに監督は、そういう女に「媚びた」演出してるしなあ。

 映画を見終わってのしげとの会話。
 「地味だったなあ、オマエは面白かったか?」
 「つまんなくはないけど、面白いってほどじゃ……」
 「だよなあ。よかったのはせいぜい小木さんかなあ。いや、あのトシで『万引き』しちゃうんだもんねえ」
 「あ、あれは面白かった」
 「でも女房が原田美枝子だったら万引きしたくもなるよなあ。情けない亭主やらせたら小木さんは上手いねえ。『模倣犯』も似たような役だったじゃん」
 「オレ、実は小木さん好きっちゃ」
 小木さんというのは小木政光氏のことである。リストラされて妻からもバカにされてると感じてて、つい万引きしちゃうという役。脇にばかり目が行ってしまうのは我々夫婦の悪いクセではあるのだが、実際、この人の情けなさぶりが一番リアルで上手かったんだから仕方がない(^_^;)。 


 北朝鮮の拉致事件で、一番洗脳度の強かった蓮池薫さんの気持ちが随分変わってきたらしい。その立役者であるのが兄である透さんなのだが、一連の事件で私が一番「キャラ立ってるな」と感じてるのがこの方だったりする。
 いや、オウム事件の件でもそうだが、一度かかった洗脳を解くというのは容易なことではない。特に「朝鮮の南北分断は日本のせい」とまで思いこんでいる(日本が荷担してることは否定しないが、一番の元凶は米ソの冷戦じゃないの?)薫さんの洗脳をいかに解いていったものか。透さんの談話によると、相当理詰めで薫さんを説き伏せていったらしいが、こりゃたいしたものである。私もノストラダムスを信じてる人とかユリ・ゲラーを信じてる人とか幽霊を信じてる人とか河童を信じてる人とか(いるのだよ、九州には)、いろんな人に出会ってきてるが、その信念を覆せたことは一度もなかった。覆そうと考えたこと自体なかったんだけれども。
 北朝鮮は薫さんたちの洗脳が解けるとは夢にも思っていなかったのではないかな。だからこそ今まで「生かして」来てたんだし、24年も経ってるんだから身も心も北朝鮮人になってると思い込んでいたのだろう。いや、私もそう思ってた。だからこそ日本に永住するのは厳しいのではないかと思っていたのだ。
 ところがどっこい、五人の洗脳があっさりと解けてきている。どうもこれは五人の方の「演技」ではないようだ。薫さんの場合、透さんの説得が効を奏したのは間違いなかろうが、もしかすると北朝鮮の洗脳技術というのも案外たいしたことがないのかもしれない。というか、自らの体制を過信しているために、単純な情報隠蔽のみで洗脳は事足りるとか考えてたのではないか。
 考えてみれば、「生きて帰って」来られたのが五人だけ、ということは、ほかの人たちは洗脳に引っかからなかったか、早々に解けたということでもあろう。それだけ、「事実」を見る目がしっかりしていたということだ。帰還された五人の方のことを、いささか単純な思考の方々、と言ったら聞こえは悪いが、実際、騙されやすく覚めやすい人たちなんだなあ、という印象は拭えない。もっとも、だからこそ命を永らえることができたわけだろうが。
 そう考えると、北朝鮮の、あるいはアジア諸国の「日本はあの侵略戦争を全く反省していない」って洗脳も、ことによると消すことができる日が来るかもしれないとちょっと期待したくなる。この言葉の一番の欺瞞は、どんなに「反省してます」と言っても、「してない」と相手が拒否してしまえば、反省してないことにされてしまうという点にあるのだが。なぜかこのことについては「日本人が反省してない証拠」を他国の人々は提示しなくていい、ということになってるようなのである。
 将来、北朝鮮が潰れて南北統一がなったとしても、さて、日本に対する敵愾心がそう簡単に消えるとは思えない。それこそ日本人の全てが「反省」しているわけではないことも事実だからだ。一部の連中の高慢をあげつらって、多数の礼節ある態度の日本人までも蔑むアジア諸国の人々の態度はたまったものではないが、愚かさは国の別を問わず、人間であることの必然でもある。やっぱ気長に見ていくしかしゃあねえってことなのかもね。


 マンガ、なかいま強『うっちゃれ五所瓦』3〜6巻(完結/小学館文庫・各670円)。
 デビューは『月刊ジャンプ』の『わたるがぴゅん!』だから、もともとは集英社系の人である。ちばプロ出身だから、初期の作風を見ると、確かにちばてつやの『おれは鉄兵』やちばあきおの『キャプテン』の影響を受けたと思しい画風や「間」が見受けられる。それが、別に『ジャンプ』をおん出たわけでもなく、小学館の『サンデー』に『五所瓦』の連載を始めた時はちょっとした「驚き」だったものだ。しかも「小学館漫画賞」も取っちゃうし。
 「『サンデー』にも『ジャンプマンガ』がほしかったのだろう」とはよく言われたことだが、確かに友情・努力・勝利のジャンプ三原則(^o^)を標榜したようなドラマ展開、ラブコメ全盛の1980年代に、しかもあだち充『タッチ』を擁したその牙城たる『サンデー』に、全く可愛い女の子が登場しない(描けないわけではないことは『わたるがぴゅん!』を読めばわかる)、それどころか殆どが「男の裸ばかり」という相撲マンガを連載したということは実に「異例」ではあった。
 しかし、ジャンプ的要素が横溢していても、私はやはりこれは「サンデーマンガだったなあ」と思ってしまうのである。それは何より、当時の単行本にして「10巻」という実に「適度な長さ」の印象によるものだ。なにしろ武蔵山高校の相撲部の戦いは地区大会しか描かれない。しかも団体戦のみで個人戦を五所瓦は棄権してしまうのだ。ドラマはまさしく「団体戦優勝」のゴールにのみを目指していて揺るぎもしない。半端な場繋ぎエピソードもなければ、敵役のインフレ(^o^)もない。最大のライバルは最初から最後まで田門一人。彼を「うっちゃる」ことのみにドラマは収束していくのである。人気があればダラダラ続き、なければムリヤリな展開での打ち切りが普通のジャンプ漫画とは全く印象が違う。一言で言えば「完成度」の差なのだ。ジャンプファンの方々には悪いが、ここ20年で完成度の高さを感じたジャンプマンガと言えば、『ヒカルの碁』第一部くらいしかない。
 『サンデー』のいいところは、たとえ人気がイマイチな漫画であっても、10週打ち切りなんて問答無用なことはしないところである。人気がなかったと思しいあだち充『いつも美空』、ゆうきまさみ『KUNIE』ですら5巻、1年は続けさせている。1巻しか単行本が出なかった連載なんて、殆どないのではないか。
 ジャンプマンガを一概に否定しようとは思わない。あれは基本的に「読み捨てマンガ」であるから、どんなに同じような展開、同じような連載が続こうと、構わないのだ。けれど、マンガに「ドラマ」を求める人間にとってはジャンプマンガはやっぱりつまらないのである。……昔はジャンブもここまでひどくなかったんだけどなあ。元凶はゆ○○○ごと車○○○なんだけどね。
 よく「スポーツマンガはマンガの王道」と言われるが、『五所瓦』は王道中の王道である。しばらく絶版だったのが文庫化されてこうして読める、これは実に嬉しい。
 小ネタだけれど、関西弁の外人、アントニオのいる和樽高校の選手の名前は吉本新喜劇の役者さんたちから取られている。花紀京、岡八郎、間寛平(4人目は不明。木村進か船場太郎だろうなあ)であるが、当時吉本は東京進出を果たしておらず、これは吉本ファンのみの密かな楽しみであった(よく見ると顔もちょっと似せてある)。

 しげも気がついたら『五所瓦』を読んでいたが、タイトルを勝手に『うっちゃれ屋根瓦』と呼んでいた。だから似てる言葉で勝手に代弁すんなって(-_-;)。


 マンガ、叶恭弘『プリティフェイス』1巻(集英社/ジャンプコミックス・410円)。
 ジャンブマンガくだらねーと言いつつ、しっかり買っちゃってるよ、こいつは。だって女の子の絵がかわいいんだもん……ってバカか(-_-;)。
 女の子が可愛いと言っても主人公の正体は実は男。交通事故で瀕死の状態に陥った高校生、乱堂政は片思いの相手の栗見理奈の写真を持っていたために、その顔に整形されてしまったのだ! しかも理奈には失踪中の双子の姉、由奈がいたために間違われる羽目に……。
 って、すげーご都合主義。いや、ここまで開き治ってると逆に文句はつけたくなくなるんだけどね。
 というか、これって今までありそうでなかなかなかった設定ではないかと思うのだ。事故にあって体を再生した時に女のカラダに……というのは今までにもいくらでもあった。最近では秋本治の『Mr.Clice』あたりが有名だが、個人的には安永航一郎の『県立地球防衛軍』でカーミ・サンチンが一回女にさせられた(けどしっかり女装して楽しんでた)のが好きだった。
 けれど、乱堂は顔だけ女で体は男のまま。これが完全に女になってしまうと実はマンガとしてはドラマを作りにくくなる。「TSF―Transsexual Fiction(Fantasy)」とか名前がついてるらしいが、即ち心は男なのにカラダは女という性のギャップにキャラが苦しむのが定番で、トイレはどうするのかフロはどうするのか生理を味わったら男はどう感じるのかとか、いちいち描写しなけりゃならない部分が多い。しかもこれって辛気臭いばかりで、作者によっぽど力量がなけりゃ、ドラマ的にはなかなか面白くできないのだ。『転校生』を見れば分る通り、「入れ代わりネタ」にしてキャラを比較して面白味を出すとか、工夫が必要になるのである。かと言って、『らんま1/2』や『天使な小生意気』みたいに主人公が女になってることに全然恥ずかしさを感じないのも不自然過ぎる(『勝手なやつら』以来、ずっと高橋留美子ファンであった私だが、『らんま』で彼女は「堕ちた」と思った)。
 乱堂は顔は確かに女に整形されてしまったが、正体を明かさないのはあくまで姉の由奈を思う理奈を安心させる「男」としての義侠心ゆえにである。カラダまで女になっているわけではないから、男としてのアイデンティティが揺らいでいるわけではない。女装はしていても、趣味なわけでも女子更衣室を覗くためでもないのだ(しょっちゅう鼻血出してるし(^o^))。その可愛い絵柄と裏腹に、なかなかどうして、正統派少年マンガのスピリットを持っているのである。
 でもやっぱり一番気に入ってるキャラは主治医の真鍋だったりする。こういうマンガにマッドサイエンティストはつきものですがな。もっとも、乱堂の顔を女にしたり人口バスト作ったり、サイエンティストというよりは、シュミの人なんだが(^o^)。……「真鍋」って名前、もしかして『県立地球防衛軍』の「真船」に影響受けてるんじゃないかな。
 でも心配なのは今後の展開だなあ。姉の由奈が「男」になって登場してくるなんてベッタベタな展開にならなきゃいいんだが……って今でもベタベタじゃあるんだけど、ともかくキャラがみんな可愛いから許す(* ̄∇ ̄*)。

2001年11月03日(土) 10000HIT!o(^▽^)o /映画『エボリューション』/『電脳なをさん4』(唐沢なをき)ほか
2000年11月03日(金) 文化の日スペシャル/映画『マン・オン・ザ・ムーン』ほか


2002年11月02日(土) トイレはなが〜いお友達/映画『ザ・リング』/DVD『北京原人の逆襲』

 公開初日の『ザ・リング』(日本版の『リング』とは「ザ」がつくことで区別するらしい。パンフの表紙は英語で『THE RING』)を見に行く。
 どこでも上映してるので、さて、どこで見ようか迷ったのだが、初日でも空いてそうなところと言えば、粕屋のワーナーマイカル福岡東しかない。
 シネコンであるにもかかわらず、どうして客が来ないかと言うと、これが福岡の中心から離れてて、福岡空港の向こう側にあるからなのだね。博多・福岡在住の人間はキャナルシティや天神、百道に行くし、南の方の人間は同じワーナーマイカルでも大野城のほうに行く。空港を迂回して行くならトリアス久山の方が近い。場所的に粕屋の人間以外になんのメリットもない、というところなのだ。……あの、粕屋って未だに「市」に昇格できないくらい人口少ないんスけど、そこによくシネコンおっ立てる気になりましたね。地価安いからだってのはわかるけど(面積もだだっ広いけどもとはタンボだったに違いない)。
 実際、いつでも閑古鳥が鳴いているので、いつ潰れてもおかしくない気がしてるのだが、映画を見ようと思ったらこんなに空いてて回りを気にせずに鑑賞できる映画館はめったにない。予想通り、封切り初日だというのに客は十数人。……キャナルシティなどは二館上映までしてるのにねえ。
 ホントに大丈夫か(・・;)。

 『ザ・リング』、見た感想は随分本家の『リング』に敬意を払ってるなあ、といった印象。なにしろほんのさりげないシーン、父親と息子が雨の中、出会って見つめあってすれ違うシーン、そんなところまで再現しているのだから。
 もっとも高山竜司に当たるその父親ノア(マーティン・ヘンダーソン)は日本版の真田広之が演じたような超能力者という設定ではない。ごく普通の人間だから、その血が子供に遺伝して息子が貞子との交流を果たしたようには描かれていない。アチラでは子供は自然に異界との交流を果たす、というように見られているのだろうなあ。
 なぜ両親が離婚したかという設定、日本版ではなんとなくこの血の濃すぎる親子の関係が密接になるのを恐れて、といった印象があったのだが、アメリカ版ではただ単にこの息子を父親が恐れたためのように見える。そう推測すると、これは貞子とその親との関係と二重写しになって、ちょっと面白い趣向ではある。具体的に描かれてるわけじゃないからこれは私の勝手な妄想なのだが。
 理由が描かれないといえば、貞子にあたるサマラ(ダヴェイ・チェイス)がなぜ両親に憎まれ、井戸に落とされたかもいまいちハッキリしない(もちろんわざとハッキリさせてないのだろうが)。
 サマラが生まれてから、その村の馬がやたら死んだらしいことがわかるが、それとサマラの誕生との因果関係があるのかないのか、あるとしてもそれが何をきっかけにして村人たちに認識されたのかがよく解らない。観客に対しては、その村に船で行く途中に、母親のレイチェル(ナオミ・ワッツ)が運搬中の馬に触れようとしたら、突然馬が狂い出して海に飛び込んで死ぬという描写で暗示されるだけだ。……でもだからどうして馬が死ぬんだよう。サマラ、馬にウラミでもあるのか?
 日本版にあったかつての超能力実験を幻視するシーンもカットされてるから、どちらかというとサマラ自身に問題があるというより、村人たちの旧弊な偏見の方にもともとの問題があるように思える。サマラを殺すのも父親ではなく母親に変更。このサマラを演じている少女がいかにも儚げで哀れだ。呪いの怖さよりも先に、「もっと呪っていいよ」と同情したくなる。ホラー映画としてはこれはマイナスポイントかもしれないが。だから井戸の中からサマラが生前のままの姿で浮かびあがってきたときの哀れさも弥増すのである。
 原典版とリメイク版のどちらが上だったか、というのはそれぞれに長所短所があり、あまり問題にしなくてもいいように思う。松島菜々子とナオミ・ワッツのどっちが好みか、くらいの違いでもあったりするし(^o^)。ただ、死者の顔やサマラの呪いの顔をリック・ベイカーがゴテゴテと作りあげてるのはいただけなかった。アンタその顔、『ゴーストバスターズ2』の大魔王ビーゴと同じじゃん(^_^;)。日本版みたく「目」だけにしといてくれたほうがずっと怖かったと思うけど、それじゃベイカーの働きどころがなかったのかもね。

 しげはいつものごとく私の手を握ったまま離さなかったのだが、困ったことに、終映間際、トイレに行きたくなってしまった。ちょうどサマラがナニし終わったころである。
 「……トイレ行きたいんだけど」
 無言で首をぶんぶんぶん、と横に振るしげ。
 「……ガマンできねえよ」
 哀願するように私を見るが、このあともう怖いシーンはないはずだ。映画館で大のオトナがチビってしまっては、しかもそれが『リング』を見たあとだとシャレにならん。ガマンにガマンを重ねたがもう限界。字幕が流れ出した途端、振り解くようにしてトイレに駆けこむ。ちょっと染みてたが、だだ漏れにはならずにすんだ。だから私ゃ手術の失敗で括約筋が緩んでるんだってば。

 パンフレット、中が袋とじになっているが、サマラ役のダヴェイ・チェイスの写真を映画を見る前には見ないでね、という趣旨らしい。1年もすれば顔写真が知れ渡ることになるのは解りきってるのだが、最初はこういう配慮が確かに必要だろう。それくらいこのサマラというキャラは映画本編を支えるキャラとして「立って」いるのである。いやもう、少女の怖さと可愛さを両方兼ね備えてる点では『野性の証明』のころの薬師丸ひろ子を凌駕してますね(例えがイマイチ適切でないが)。
 もしも『らせん』や『ループ』も作られるなら、早いとこ撮って、もう一回ダヴェイちゃんに出演してもらいたいところだけれど、ムリだろうなあ。


 帰宅して、昼寝をしたり、日記を書いたり。
 日記の方は、もう随分更新が遅れているのでいい加減爆走したいのだけれど、如何せん、カラダがついていかない。職場で睡眠が取れればいいのだが、今んと子仕事が全然楽にならないしな。
 なのにウワサによればまたもやボーナスがカットされるそうである。昇給も数年ストップしてて、こないだ久しぶりにいちまんえん上がったばかりだというのにまたかよ。一応給料は出てるんだし、クビになってないだけいいじゃん、と言われそうだが、まだなってないというだけの話だ(^_^;)。
 

 夜、エロの冒険者さん宅で、DVD『北京原人の逆襲』を見せてもらう。
 なんだか今日はやたらとトイレが近くて、何度かトイレに立ってしまったが、まあたいした見逃しはあるまい。
 アンジェリーナさんが来られていたが、エロさん宅に来られるのは初めてだとのこと。てっきり以前からAIQの溜まり場みたいになってると思い込んでいたのだがそうでもなかったのか。

 『北京原人の逆襲』(1978・香港=ショー・ブラザーズ)、原題は『猩猩王』、ありゃ「北京原人」って意訳なのか? と思ったら、本編中にちゃんと“Mighty Peking Man”のポスターが。こちらが米版のタイトルである。
 ジョン・ギラーミン版『キングコング』が公開されるのに合わせて、そのパチモン企画として作られたものの一本だが、香港製作だけあって、多分脚本家のクレジットは名ばかりであろう(っつーか、あったかどうか記憶にない)と思えるドラマ展開。もちろんこういうバカ映画において、「行きあたりばったり」というのは実にイイことである。でなきゃ、誰が「キング・コング」ものと「女ターザン」ものを合体させようなどと考えるものか(^o^)。
 パチモンであるにもかかわらずこれだけ「有名」だと、ストーリーやらなんやらはあちこちのサイトに詳しく紹介されているのだが、ちょっとは触れておかないと、ツッコミも入れられない。

 主人公のジョニー(ダニー・リー)、恋人を実の兄に寝取られて(恋人の部屋に来たらホントに兄貴と寝ているところに出くわすという、公開当時でも泣きたくなるくらい使い古されたシチュエーション)、ショックのあまりバーで飲んだくれてるところを、北京原人ショーで一山当てようという興行主に誘われて、そのまま、北京原人探しの一団に加わる。
 ……この「ショックのあまり」と「北京原人探し」の脈絡が私の脳内では全然つながらないのだが、一応これが後の展開の伏線になってはいる。
 「伏線」なんてものがあるなら、結構脚本は練られてるんじゃないの、と言われそうだが、ところがどっこい、そもそも表題の「北京原人」が、なぜキングコングであるのかがよくわからないのだ(もちろん本物の北京原人は巨大猿などではない)。ヒマラヤにいるのになぜ北京原人と呼称されているかはもっとわからない。冒頭のシーンでチベットの村を破壊するのだが、なぜ破壊してるのかも全然わからない。分らないが説明なんかは全くないので、見たまま納得するしかないのである。北京原人と今の中国人につながりがあるのかどうかは知らないが、もしそうだとしたら、今の中国人は古代人の超科学技術でミニサイズにでもさせられたのであろう。

 なぜか雪の殆どないヒマラヤを行軍する一行(^_^;)、興行主はジョニーをヒマラヤ奥地まで連れてきておきながら、あまりに行軍が厳しく、すぐにネをあげる(殆ど軽装で来てるからじゃないのか)。もっとも、厳しいと言っても、いかにも浅い川を象で渡ってたら、引いてた車が座礁するとかその程度。気のせいかもしれんが、なんとなくあの象、インド象じゃなくてアフリカ象に似てたような(^o^)。シェルパもなんとなくアフリカっぽいしなあ。ドラマ展開をアメリカのジャングルものに求めてるからそうなっちゃうんだろうなあ。
 トラに襲われたシェルパを無残にも射殺したりしておきながら、ついには「北京原人なんていないんだ!」と叫んで、シェルパともどもジョニーを置き去りにして逃げ出す興行主(ヒデエ)。何しに来たんだ。
 その直後にジョニーもトラに襲われるのだが、間一髪、彼を助けたのが女ターザン・サマンサ(エヴリン・クラフト)。もちろん金髪のグラマーである。子供のころ飛行機事故で墜落してそれ以来ジャングルで暮らしているので、英語はカタコトしか喋れない。けれどビキニのブラを付けてて後ろはホックで止めている(^o^)。トラさんは実はサマンサのお友達なのでした(トラを投げ飛ばすところは人形だけど、絡みの大半にモノホンのトラを使っている。スゴイぞサマンサ!)。

 サマンサの案内で北京原人とも出会うジョニーだが、なぜかすぐに香港に帰ろうとはせず、サマンサと愛欲の生活を送る(おいおい)。サマンサを育て愛していた北京原人は、当然嫉妬して「うお〜うお〜!」と叫ぶのだが、これもサマンサの望むことならと、父親の心境で肩を落として身を引く。……そこまでの知性があるならなぜ暴れてたんだ北京原人。
 ヘビにフトモモの奥を噛まれたサマンサが(そんなに油断しててよくジャングルで生活できてたな、こいつ)、オルガス……ああ、いや、苦しみの声をあげて身をくねらせているのをどうすることもできずに呆然としているジョニーの前に、この北京原人が薬草を摘んできてハラハラと落としてあげたりするのだよ。いい奴だぞ北京原人! しかも薬草学の知識まである! だからどうして暴れてたんだ!

 で、そんな北京原人を香港に連れていけばスターになれるぞ、とサマンサをだまくらかして、大型船に乗せて(インド洋から東シナ海を回ったんだろうな。エラい遠回りや)香港に帰るジョニー。途中、嵐で岩に乗り上げた船を、北京原人が岩を押して助けてやるエピソードあり。普通、こういう巨猿ものは麻酔で眠らせるのだが、この北京原人はいい奴なので、鎖で縛りはしても、麻酔を打つ必要はないのだ。だったらやっぱりどうして暴れ……(-_-;)。
 興行主とも再会して、北京原人はトラック数台との綱引き勝負などのショーを演じさせられる。トラックの数、ほんの数えるほどしかないが、北京原人、意外と弱くて負けそうになる。このあたりの描写も、北京原人に同情してもらおうというニクイもの。

 さて、ここで冒頭の伏線、ジョニーを手ひどく振った女が、「お兄さんよりやっぱりあなたがいいわ!」とジョニーに復縁を迫る。これに乗ってキスしちゃうのだこの男。特撮の主人公で、これだけ卑劣な男がかつていただろうか(ー∇ー;)。もちろん、その現場をサマンサは見ちゃうのである。
 「私をだましたのネ!」と随分英語が流暢になったサマンサ(^o^)、部屋を飛び出し、檻に入れられた北京原人のところにやってきて「ジャングルに帰りたいわ……」と泣き崩れる。そこにやってきたのが件の興行主。「何泣いとんのや、慰めてやるよってに、わしの部屋に来んかい」と、ムリヤリサマンサを部屋に連れこんでレイプする。
 ……あ〜、伏線って、これ怪獣映画の伏線じゃないわ。昼メロの伏線だ。
 で、この興行主、バカなことに北京原人の目の前のホテルの一室で、窓空けたままサマンサを襲うのである。そら、北京原人怒るわ(^_^;)。
 鎖を引きちぎり、檻をぶち壊して、逃げ出した興行主を踏み殺し、香港の街を破壊しまくる北京原人。この香港の街、日本の有川貞昌の気の入ったミニチュアセットで、実に出来がイイ。『怪獣総進撃』の1.5倍はイイぞ。予算かけてんだろうなあ、こんな映画なのに。

 当然、最後はビルの上に登る北京原人。ヘリコプターで銃撃するもなかなか死なない。このへん、ギラーミン版「キングコング」より遥かにしぶとい。合流したジョニーとサマンサが北京原人にジャングルに帰るよう、説得を試みるが、軍隊はその間、攻撃をやめるとジョニーに約束しておきながら、ビルごと北京原人もジョニーもサマンサも爆弾で破壊しようとする。
 それに気付いたジョニー、爆弾を取り外そうとするが、時既に遅し、ビルは爆発され、北京原人は燃えながら地上に落下して死ぬ。かろうじて助かったジョニー、ヘリコプターの銃弾に倒れたサマンサを抱いて、夜の香港の街を見ながらいきなり終劇。
 ……え? 余韻は? 間がねー!
 まるでヒッチコックのような演出で(あの人も余韻を嫌ってあっさり終わらせることが多いのである)、原典版『キング・コング』の「野獣はいつも女に殺されるのさ」みたいな気の利いたセリフも、「あの北京原人が一匹だけとは思えない」的な文明警鐘のセリフも全くない。「別に見せるものは全部見せたんだから、これで終わってイイじゃん?」っていう製作者の発想が実にハッキリしてるのである。
 ……エンタテインメントに徹してるなあ(^o^)。

 「キング・コング」ものというのは、実は「怪獣映画」というよりは「美女と野獣」ものの恋愛映画の系列に連なる。ファム・ファタールによる男の悲劇なのであって、『ゴジラ』よりよっぽど『風と共に去りぬ』に近いのだ(もちろん、レット・バトラーがキング・コングだわな)。
 「怪獣映画」というのは、やはり日本の『ゴジラ』が作り出した概念であるのだ。怪獣は怪獣であって、恐竜でも巨大生物でもモンスターでもエイリアンでもない。「でも『怪獣』って、英語で『モンスター』って言うんでしょ?」と反論されそうだが、実は『ゴジラ』を「モンスター映画」というカテゴリーに入れることも適切ではないのだ。フランケンシュタインのモンスターには人間によってもたらされた「悲しみ」がある。しかし、ゴジラはもともと純粋な恐怖の象徴なのであって、人間的な何物をもそこには見出せなかった。ゴジラが暴れてても別に「ゴジラも水爆ですみかを追い出されて、ツラかったのよね」とか同情したりはしないのだ(『失われた世界』や『恐竜100万年』なども「秘境映画」「恐竜映画」のカテゴリーで考えるのが妥当である)。

 『北京原人の逆襲』は、ラスト近くまで全く怪獣映画のテイストを見せず、旧来の「美女と野獣もの」のドラマ展開に昼メロを混ぜつつ(^_^;)、冒頭とラストだけ「怪獣映画」の演出で挟むというメチャクチャな構成になっている。到底マトモな映画としては評価できないのだが、しかしちょっと待ってもらいたい。
 先ほど「コング」ものは恋愛映画であって怪獣映画ではない、と書いたが、その要素が全くないと言いたいわけではない。オリジナル版『キング・コング』にも、ただの恋愛映画なら不必要な、コングと恐竜の対決や、文明の利器たる飛行機と野性の象徴たるコングの対決を描いた「見世物」的要素はあるのだ。それがヒロインたちを助けるためのコングの「愛」による行為だったとしても、見てる観客はそんなリクツなどどうでもよく、ただスペクタクルが味わえればよかったのだ。その点、『キング・コング』は名作と言うよりやはり「怪作」「B級エンタテインメント」の名がふさわしいだろう。
 『北京原人』を全く飽きずに見られるのは、まさしくこれが「映画」以前の「見世物」テイストに満ちているからである。パチモンと評価されることが多いが、スペクタクルの要素を排しまくったギラーミン版の『キングコング』よりも、よっぽど『キング・コング』のリメイクになっているとは言えまいか。
 ハイ、みなさん、女のひとのはだか、好きですね〜。おチチやおシリが揺れるの、見たいですね〜。女の人のえっちな声、聞きたいですよね〜。
 街が破壊されるのも気持ちイイですよね〜。爆発、スカッとしますよね〜。
 こんな感覚で、我々はオリジナル版『キング・コング』も見ていたのではないか?(ヒロインのフェイ・レイのマニアが未だにいることがそれを証明している) 
 惜しむらくは、ラストで軍が北京原人を倒す手段として、爆弾なんてチンケなものでなく、メカ北京原人を出してこなかったことである。そこまで行けばエンタテインメントとして完璧だったのになあ(そうか?)。

 終映直後にぴんでんさんが来られるが、我々とアンジェリーナさんは先に辞去。ぴんでんさん、ガッカリされるが、「みなさん残らないと知ったら来ないだろうと思って黙ってたんだよ」と、エロさん、ヒドイことを言う(^_^;)。
 気分的には楽しい映画を二本も見て高揚感があったので、朝までカラオケでもよかったのだが、明日が早いので、断念。アンジェさんをご自宅近くまで車でお送りして帰宅する。夜のこととて、しげ、道に迷いかけたがなんとか無事にお送りすることができた。
 アンジェさん、しげの運転について何か文句を言うかなあ、と思ったが別になんということもなかった。日頃しげの車に乗ってるばかりで他人との比較ができにくいのだが(タクシーに比べるとトロイ)、多分もうヘタではないのだろう。重畳重畳。

 帰宅して今日のトイレの回数を数えてみたが、10回を越えてた。
 いくら糖尿だってなあ、そこまでガマンしきれないわけでもない日もあるのに、今日はどうしちゃったんだか。

2001年11月02日(金) スカートの下のお花畑/『HUNTER×HUNTER』13巻(冨樫義博)/『20世紀少年』7巻(浦沢直樹)ほか
2000年11月02日(木) 部屋片付けてたらあちこちから○○が……/『古館伊知郎トークブルース・お経』


2002年11月01日(金) そう言えば「丹」ってのも何だか知らない/舞台『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生』/『聞く猿』(ナンシー関)ほか

 福岡の岩田屋が伊勢丹に売却されたのに続いて、経営破綻していた旧小倉そごうにも伊勢丹グループが後継テナントとして入ることになりそうだと言う。元気がいいなあ、伊勢丹。伊勢の人間に九州人が負けるってのはちょっと業腹で(とかなんとかテキトーなこと書いてるけど伊勢丹って地元はどこだ。「伊勢」ってついてるから勝手にそう思いこんでたけど、ホントに伊勢か。もしかしたら「伊勢」って人の名字かも)地元ビイキの身としてはちょっと悔しくはあるのだが、無理な経営してた様子は傍目から見てもハッキリしてたから、今更どうにもしようがない。
 老舗の百貨店(あまりデパートって言葉、ピンとこないのよ)の経営破綻を聞くたびに思うのは、こいつら「企業努力」って言葉の意味、なにも考えてないんじゃないかってことだ。
 不況なんだよ、今。しかも戦後未曾有の。
 薄利多売じゃなきゃ客が来ねえってこたぁ、サルでもわかりそうなもんだ。
 それをなんでまた、こんなん誰が買うんだって高級品ばかり並べてやがるかねぇ(この場合の「高級品」というのは、例えばスーツだったら2万円以上のレベルである。自慢じゃないが、ウチにあるスーツで2万を越してる服なんて、一着もないぞ)。
 岩田屋とそごうはその点でよく似ているのである。見た目は確かに派手なんだけど、中にいても庶民には買うものが全くないのだ。庶民がモノ買おうってときには千円二千円、へたすりゃ百円二百円の単位で買うか買わないか迷うって感覚が、岩田屋やそごうの経営者たちにはないのな、基本的に。
 そこんとこがわかんない限り、伊勢丹が入ろうが状況は変わらんと思うのだが、駅前の一等地にあるってえのにそう何度も百貨店潰してたら、街そのものがさびれてくぞ。いいのか小倉人。


 CSキッズステーションで『プリンセスチュチュ』12.AKT「闇の宴」。
 よく見るとサブタイトルに“Sheherazade”とあるが、これはリムスキー・コルサコフのオーケストラ曲から(と言ってもパッとメロディーが浮かんでこない。私のクラシックに関する知識なんてこんなもんだ)。
 もちろんその名はアラビアンナイトの語り手、シェヘラザード姫のこと。「卵の章」もあと1話ってことで「お話の本当の語り手は誰?」って意味でつけたサブタイトルなのかな。それは果たしてプリンセスチュチュかクレールか。

 ドラマは一気に畳みかけるように展開、これまで秘密にされてきた事実が登場人物たちの前に次々と明かされていく。るぅはあひるとふぁきあの目の前でクレールに変身して見せ、ショックを与える。
 再び心を失ってしまったみゅうとを連れ去ったクレールを追って湖へ向かったふぁきあは、自分になついていた鳥のあひるが人間のあひるであり、プリンセスチュチュであったことを知る。
 そして全ての謎が結末に向けて流れていくのを心の底から楽しんでいるドロッセルマイヤー。彼に「エル・ドロッセルマイヤー」と呼びかけ、「舞台」を用意させるクレールの真の意図は何なのか?

 盛りあがって来てるなあ。\(^^\) (/^^)/ア、ソレソレソレソレ
 クレールが登場してきてからはそのカッコよさ(セクシーだけどいやらしくなくて凛々しいのよ)にシビレてたのだけれど、それに対抗してか、今話ではついにあひるもヌードをご披露。いや背中だけだけど、ただの清純派ではなかったのだね(* ̄∇ ̄*)。なんたって今話は鳥のあひるの姿からして色っぽいくらい作画にリキが入っている。
 可愛い絵柄でスマートな線だけれど、どんな清純なキャラにもセクシーな魅力を醸し出してる伊藤郁子のキャラデザインは、もっと評価されていいと思うな。心をなくしてるときのみゅうとなんて、完全にジュネの世界のキャラだし。
 私やしげはムチャクチャ盛り上ってるのだけれど、なにしろCSでの放映だから、世間の反応はそれほどでもないようで残念だ。見てる人がいればあちこちに宣伝してほしいくらいなんだけどねえ。
 DVD発売のニュースもまだ流れない。出れば絶対買うのになあ。特典映像を作るのに手間がかかってるのだろうか(^o^)。


 WOWOWで舞台『空飛ぶ雲の上団五郎一座 アチャラカ再誕生』を見る。
 ちょっとWEBサイトに載ってた紹介文を引用してみよう。

 日本演劇界を代表する喜劇作家陣が集結。強力タッグを組んで新しく一座を旗揚げした!「東京ならではの笑い」を目指し、いとうせいこう、井上ひさし、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、筒井康隆、別役実といったそうそうたる人気喜劇作家達が脚本を書いた「空飛ぶ雲の上団五郎一座」。東京・ラフォーレミュージアム原宿で行った、たった5回の公演から8月25日のステージを放送。'69年にイギリスで生まれたコメディ番組「空飛ぶモンティ・パイソン」的不条理テイストと、榎本健一(エノケン)や三木のり平が作りあげた昭和の東京喜劇の「アチャラカ」のスタイルを合体。21世紀の新しい笑いとしてステージに復活させた。ちなみに「雲の上団五郎一座」とはエノケンが座長の東宝アチャラカ喜劇の傑作舞台だ。
 出演する俳優陣も豪華! 劇作家の三谷幸喜をはじめ、くりぃむしちゅー、YOU、住田隆、中村有志、深沢敦などが登場。アドリブ満載のドタバタ劇でありながら、緻密な計算と高度なセンスが要求されるクオリティの高いステージが繰り広げられる。コントと演劇の要素が混在した新しい笑いは見逃せない。

 まあ全然つまんなかったとまでは言わないが、この「新しい笑い」って惹句、やたら使われてるけど、コントも演劇も伝統の上に成り立ってるものだし、ましてやアチャラカなんてもう何十年も前の過去の遺物なんだけど。温故知新とでも言いたいのかね、この解説氏は。
 「喜劇」が滅びることはないが、「アチャラカ」は滅びた。
 それは「アチャラカ」が時代と風土に拠って立つものだったからで、恐らくそれは昭和45年のエノケンの死とともに滅びたのだろう。ほんの数年前まで、三木のり平や由利徹は生きていたが、散発的なものではあえて「アチャラカ」と呼ぶこともなかったし、彼らの芸をそう認識している人間もいなかった。
 私は舞台『屋根の上のバイオリン弾き』で、森繁久彌と益田喜頓の「アチャラカ芸」の片鱗を「見た」が、だからと言ってあの芝居をアチャラカだとは誰も呼ぶまい。そういうことである。
 「滅びた」ものは、「再誕生」もしない。「アチャラカ再誕生」なんて意気込みは評価してもいいけど、結局はごく普通の「ちょっと笑えるかも? なコント」がそこにあるだけである。
 頭に「空飛ぶ」をつけたのはモンティ・パイソンを意識してるのだけれど、どうしてこう、借り物ばかりしてきますかね。しかもどこがモンティ・パイソンなんだかよくわかんないんだもん(-_-;)。

 エノケンの舞台『らくだ』を私は当然見ていないが、今に残るスチールのほうが、今回の『らくだ』よりもはるかに面白そうに見えるんだよね。役者がみんな突っ立ってるばかりで体技が伴っていないのだ。喜劇役者の体技ってのは「こいつが次にどんな動きをするか」ってのを期待させなきゃ話にならんのだよ。
 役者がみんなダブルテイクを見せるところも(あの、一度ものを見てそのときはやりすごし、もう一度見て驚くというやつね)、明らかにヘタクソな三谷幸喜のヤツにまで観客が笑うのを見てると、アチャラカだけでなくて客も死んだのだなと思わざるを得なくて、情けないを通り越して自殺したい気分になってくる。
 なにがヒドイって、役者としては相当ブランクがあるはずの三谷幸喜が、現役であるくりぃむしちゅーより遥かに上手いのである(-_-;)。キュリーに扮した三谷幸喜が「なんでオレのことをキュリー夫人のご主人って呼ぶんだよ! おかしいだろ!?」と叫ぶシーンは確かに三谷幸喜が演じているからこそ笑えた。……この脚本はいとうせいこうさんじゃないかなあ(っつーか笑える脚本は全部いとうさんじゃないかって気がしてくる。明らかに筒井康隆作と思える『アルカイダの伝令』は全く笑えなかった)。
 ともかく役者の芸の質に落差がありすぎるのが見ていてツライ。見られるのはいとうせいこう・中村有志・深沢敦くらいのもので、あとはシロウトに毛が生えた程度。本気で喜劇をやろうと思うのなら、「自分の肉体をどう見せるか」ってことくらいは考えてほしいもんだ。
 あ、あと美術にしりあがり寿さんやなんきんさんが参加してたな。でもあまり印象に残りませんでした(^_^;)。


 ナンシー関『聞く猿』(朝日文庫・546円)。
 『小耳にはさもう』シリーズの第3弾。
 ご本人が「ケビン・コスナー似なかった。スマン」と謝ってるが、大丈夫。他のも全然似ていない。大槻キョージュと橋田壽賀子がおんなじ顔にしか見えないし、多分名前を隠して人に見せたらそのうち半分は「これ誰?」ってことになると思う。消しゴム版画なんてアホなことやる人、他にいなかったからよかったけど、普通の版画だと思って見たら中学生の作品と変わんない。ナンシーさんのコラムは好きだが、版画技術まではちょっとなあ、というのが私の印象なのである。
 そう言えばたくさん彫ったであろう消しゴム、今はどうなっているのだろうか。劣化が激しかろうから保管には手間がかかると思うのだけれど。

2001年11月01日(木) ヒミツな情報/アニメ『ナジカ電撃作戦』4話/『クラダルマ』5・6巻(柴田昌弘)
2000年11月01日(水) 夢で他の女と会うのも浮気なんて言うなよ/『文鳥』(夏目漱石)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)