無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年11月19日(月) 「“ブラック”ユーモア」って言葉も差別表現だってさ/LD『道場寺・火宅』/『Q.E.D. 証明終了』11巻(加藤元浩)ほか

オタアミ当日まであと日! カウントダウン5!

 なんだかまたアクセス数が増えてるなあ、と思ったら、また勝手にリンクを貼られているのであった(^_^;)。なんかこういうパターン多いね、最近。
 もちろん、私は迷惑になんか全然感じちゃいない。読んで下さる方がいるだけで嬉しいんである。こないだは「貶した批評しかコピペされない」みたいなことを書いたのだが、今回は好きな本について書いたものが紹介されたので、正直言って嬉しい。欲を言えば、そうやって来てくれた人が掲示板に足跡残してくれないことかな。でもまあ、そういうのを強制的にお願いするのは私の好みではないので、それもまあ仕方ないかなと。
 でも、そのリンクしてくれた人のところから更に辿って、アメリカのエドワード・ゴーリーについて調べているサイトにも行けた。こういうのがネットの楽しみってもんだろう。そのサイトの紹介によれば、この人の絵本、今月また新刊が出るみたいである。こりゃ買いのがさないように気をつけとかんと♪
 ゴーリーについては、本国では何十冊も単行本が出ている人気作家だが、それでも一部の絵本は絶版状態、ましてや日本では未だに数冊の単行本しか出ていない(『ミステリマガジン』なんかには紹介されていたようである)。毒のある内容で、子供が読んだらトラウマになりそう、と以前も日記に書いたが、人間、トラウマの一つや二つあった方がいいよな。
 順調に新刊が出てるってことは売れちゃいるんだろうけど、あまり世間的な評判にはなっていないようである。こういうイイ本はメディアもどしどし紹介してほしいんだけどな。ブラックユーモアが受容されない社会ってのは、つまりは偽善が横行する社会なんだからさ。

 でも、その「ブラックユーモア」が日本的な土壌の中ではなかなか受け入れられがたかった理由も解らなくはないのである。常に共同体幻想に基づいて生活することを伝統としてきた日本のムラ社会にあっては、基本的な「シキタリ」は「偽善」をベースにせざるを得なかったからだ。いわゆる「和」の精神ってやつだね。ブラックユーモアがその「和」を解体する方向性を持つものである以上、世間知においては忌み嫌われるのも道理なんだよなあ。
 だからブラックなギャグを一つカマすにしろ、そこには手練手管が必要になる。あえて偽善の側に組するように見せかけて相手をひっくり返すなんてこともやらねばならんこともあるのだ。これってね、口で言うほど簡単なことではないのよ。
 私自身、この日記の記述は公開日記であることを考慮して、ずいぶん押さえて、毒を薄めて書いてるつもりなんだが、もしかしたら世間一般の通念ではまだまだ毒舌叩いてるように受けとられてるのかもしれない。以前、何人かの人から「キツイこと書いてる」って言われたことあるし。でも、だとしたらみなさん、よっぽど傷つかない人生を歩いてこられたのかなあ……って、これがキツいヒトコトになるのかな(^^)。でも私はたいていこういう人物批評をするときには、「かなあ」とか婉曲的な表現に留めているんであって、「傷ついた弱者のフリしてるゲス野郎」とか、そこまでは言ってないのよん(^^*)。
 それにそんな直接的な表現は、ヒネリも何もないただの事実に過ぎないんで、面白くもなんともないしね。


 下痢したときのウ○コはどうしてこんなにコゲ臭いんだと仕事。
 ……いや、AIQのエロの冒険者さんのネタをちょっとパクってしまいました(^^*)。やってみると、なかなかいいフレーズ思いつきませんね。エロさんの才能と根気に脱帽いたしますです。継続は力なり……って、括約筋に一番チカラ入ってる感じだけど。
 ああ、でもホントは仕事がムチャクチャたまっていて、ウ○コしてるヒマもないのだ。っつーか、スケジュールが押して押して。ポカやミスは続出するし、なんとかしてほしいっスよ……ってなんとかするしかないんだが。特に明後日出張せにゃならんのだが、その準備にえらく手間取ってよう。
 ここでヒトコト言いたいこともあるが、ただの事実の指摘に過ぎないんで控えておこう(^^)。

 冷蔵庫の食料も尽きてきたので、スーパーに寄って買い物。
 しげは安売りの肉を親のカタキのように買い漁る。私はトンとろとお茶のみ。。「おカネがないからいろいろ買えない」とか言っときながら、こういうとき、しげはガマンが効かないんだよな。手元不如意ならそれはそれで生活の仕方があるだろうに、そういうときだけゼイタクをしたがるのは、基本的に性格がギャンブラーである。


 『Dr.リンにきいてみて!』第38話「囚われた明鈴!常盤覚醒」。
 ともかく福岡で見られるアニメにはひととおり目を通してやろうと思って見るようにしてるんだけれど、間が合わなかったりで未だに見られてないアニメも多いんだよな。友人からは『はじめの一歩』見てくれって言われてんだけど、深夜の2時や3時までそうそう起きてられんしビデオは常時録画予約状態だし(ーー;)。でもこないだ『哲也』はチラッと見て、その濃さに驚いたよ。しかしなんで今阿佐田哲也がブームになったのかね。
 まあ、それはそれとして、この『Dr.リン』も巡り合わせが悪くて、もう38話だってのに見たのは初めてだ。もう設定なんか全然わかんねーよ(^_^;)。印象はまあ、『セーラームーン』+『ちゅうかなぱいぱい』かいってなもんなんだが、ファンの方にはたとえが悪いんかな。


 『犬夜叉』第51話「心を喰われた犬夜叉」。
 久しぶりにじっくり見る『犬夜叉』、ずいぶん話が進んでいるなあ。ついに2年目に突入だし映画も公開されるし、『うる星やつら』ほどのブレイクは望めないにしても、『らんま1/2』に近いセンまではいけるんじゃなかろうか。私は原作の方にはもう大ぶん覚めているんだけれども。高橋留美子さんの才能と努力を否定するつもりはないが、連載が長期に及ぶと息切れすることはどうしても回避できないし。
 犬夜叉とかごめの痴話ゲンカとか弥勒の珊瑚へのセクハラとか、場つなぎのギャグが余り効いてない気がするんだけどね。『人魚』シリーズに『らんま』ぶちこまれてもなって思うんだが、サンデーの読者にはこれくらい毒抜きしとかないと着いてけないのかもなあ。
 こういう妖怪ものって、たいてい虫の化身が出てくるんだけど、妖怪・蛾天丸、手塚治虫の『どろろ』に出てきた「まいまいおんば」に似せまい似せまいとしてどうしても似ちゃったところがご愛嬌か。でも、繭吐く妖怪出そうと思ったら、誰でもその繭に捉えられるネタを考えついちゃうのは仕方ないよな。更に遡った元ネタは当然『モスラ』だろうけどね。
 蜘蛛の化身出したり蛾の化身出したりとか、そういう表面的な工夫じゃなくて、内面的なキャラクターのバリエーションが少ないから、どうしても退屈な展開になるんだよなあ。敵がいくら出て来ても、殺生丸と奈落以外はどうせザコキャラじゃんって感じにしか見られないのは物語展開としては不利だと思うけどなあ。


 『名探偵コナン』第258話「シカゴから来た男」(前編)。
 さて、今後の展開のキー・パーソンの一人となるか、ジェイムズ・ブラック氏が登場。原作読んだときから、英語のトリック(いや、そんなたいそうなもんじゃない……っつーか、受験生英語しか学んだことないやつが作ったってことがバレバレのクズトリックなんだけどさ)があるもんで、声優は誰になるんかと思ってたんだが、家弓家正さんとはねえ。
 いや、いくら家弓さんが名優といえども、こりゃ無理だよ。「よくできました」のレベルにも達してない。聞きやすさを考えて日本人のキャストを考えたんだろうけど、これはやっぱりイギリス人をキャスティグしなきゃなあ。確か以前、外人が出るエピソードではそうしてたと思うんだけど、一回こっきりのゲストじゃなくて再登場することを考えたら、それは無理と判断されたのかな。
 あと、NEXT CONAN’S HINT、簡単過ぎ。P&AをまんまPANDAって表記するなよ。こういうご都合主義にも程があるトリックまで使わなきゃならないところに、原作者の生みの苦しみがあるんだろうなと同情はするが。
 

 しげに「いい加減で、人が読んでわかる日記書かんか」と言ったら、「オレの日記見てるのはアンタだけだ」と言い返される。
 そうでもないんじゃないかとは思うが、反応はしにくいというのはわかる。私はいちいち「この謎の文句はなんなんだよ」と突っ込み入れられるが、ただ読んでるだけの人が毎回質問するってのも難しかろうからなあ。
 じゃあ、私が解説してこちらの日記にアップしていくことも考えてはみたのだが、その場合ちょっとマズイ点があってできないのだ。……いや、私の本名(&愛称)が実は巧みに(?)織り込まれてるんで、それがバレちゃ困るってことなんだけどね。


 8時過ぎにはもう、疲れ果てていて眠くて仕方がなかったのだが、しげが「私が帰ってくるまで起きててね」なんてトチ狂ったことを言ってくる。
 「帰ってくるまで」って、午前3時じゅねーかよ。そこまで起きてられるか、と思っていたが、寝て起きたらピッタリ3時なのであった。いやもう、しげの喜ぶまいこと。でも、別に私の相手をするでもなく、そそくさとパソコンに向かってるのな。起きてる意味ないじゃん。
 ……しかし、最近3時に目が覚めることって多いんだよなあ。私のカラダはしげのライフサイクルに合うようにいつの間にか改造されちゃってるのであろうか(-_-;)。


 LD『道場寺・火宅』、ちょっと用があって久しぶりに見返す。
 川本喜八郎さんもホントに数年に一本くらいしか新作発表してないけど、食べていけてるんだろうかと心配。
 人形アニメーションはセルアニメ以上に残像表現が作れないので、風などの表現がどうしても不自然になる。川本さんが『今昔物語』などの古典に取材したのは、多分意図してのことではなかろうが、この違和感が逆に一つのムードとなっていて、ずいぶん緩和されている。『鬼』が傑作たりえたの理由は、更に歌舞伎・能の所作を人形の演技に取り入れた点にもあるだろう。
 でも実は川本さんの作品で私が一番好きなのは、安部公房原作の切り紙アニメ『詩人の生涯』だったりする。寓話化されてはいるけれども、露骨過ぎるくらい労働者革命を賛美している作品なので、本来私の好みの作品にはなり得ないはずなんだが、一枚のジャケツに変化した老母が息子の命を救い、みながジャケツを纏っていくエンディングはやはり感動的だ。『ホルス』みたいに「みんなで剣を打つ」ってのが青臭く偽善的で押しつけがましいのに対して、本作のように「それはやはり感動的な光景ではなかったか」と疑問形で提示してくれた方が、ずっとこちらのココロにスッと入りこんでくるものだ。


 マンガ、加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』11巻(講談社・410円)。
 11巻まで続いたってことはちゃんとこの作品を読んで評価してる人がいるんだ。よかったよかった。相変わらず絵はヘタだけれど、プロットはしっかりしてる。……そうなんだよなあ、この人の作品、マンガじゃなくて小説にした方が生きるトリックが圧倒的に多いのだ。
 特に『冬の動物園』はマンガ向きじゃないよ。絵にしたらどうしてもウソっぽくなっちゃうもの。でも小説で書いてたら、短編ミステリの秀作として評価されただろうな、きっと。
 『寄る辺の海』も、もう少しページ数に余裕があって、個々のキャラクターを書き込めていたらもっともっとよくなったのになあと思うと惜しくて惜しくて。いや「惜しい」ってことはやっぱりスゴイことなんですよ。だって、『コナン』も『金田一』『探偵学園Q』も、この『Q.E.D.』のレベルには遠く及んでないんだから。

2000年11月19日(日) 約束は果たしたよ、こうたろうくん/『キッド・ピストルズの慢心』(山口雅也)ほか



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