無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年11月26日(月) そろそろこの日記タイトルにも飽きてきてるんだけど/『社会派くんがゆく!』(唐沢俊一・村崎百郎)ほか

 オタアミもひとまず終わったことだし、日記のタイトルを、もとの『無責任賛歌』に戻してもいいいのだけど、公演終了後も「オタクアミーゴス」で検索かけて覗きに来てくれてるお客さんがいるみたいなんである。
 しかも結構。
 舞台裏の状況などを知りたい人もいるかもしれないし、お三方のご動向などをこまめにチェックされてるマニアな方もいらっしゃるかもしれない。
 いや、言いませんよ、「なんて○○○な人たちだ」なんて(^^)。
 こんな貧相な日記に来てくださるようなせっかくの貴重なお客さまがただとゆーのに、そんな天にツバするよーな、自分を棚に上げたよーなことは口が裂けても言えませんって(言っとるもどーぜんだがな)。
 というわけで、まあ、あと1ヶ月くらいはこのタイトルで行きます。
 今回の公演の上映会が終わるときくらいまでは。
 でもって、また来年の販促が始まったらまた“オタアミ”をタイトルに入れるとゆー、そんな展開で行こうかなーと。
 でも、もし「コロコロタイトル変えるな! 判りにくいわ!」というご意見の方が多かったりしたら、このままでいくかもしれません(←優柔不断)。いや、実のところタイトルにはあまりこだわってないんですよね。ちょいとした事情で30秒で決めなきゃならなかったタイトルだったりするもんで(そのへんの事情を知りたい人は、2000年8月3日のFirst記事をお読みください)。


 ノドが痛い。
 咳が止まらん。
 昨日からの体調不良がノドに来てるぞ。風邪っちゅーより気管支炎か。
 アメ飲んで押さえるが5分と持たん。
 たしか、昔、医者でもらった風邪薬のあまりがあったなあと探して飲むが、効いた気がしない(よいこはマネしないでください。古い薬はかえって危険な場合があります。……知ってんなら飲むなよ)。
 おおいおい、熱が出て来たぞ、知恵熱か?(壊れているのかもしれない)

 体調を崩しているのは私ばかりではない。
 しげも、昨日帰ってきてそのまま寝てから、もう16時間経ってるってのに、泥のように沼のように、浅瀬に打ち上げられたリュウグウノツカイかサッコファリンクスのようにノテッとして起きあがってこない。
 死んでんじゃねーのか。
 ともかく、普段は「オイ朝だぞ」とか声をかけたら、「ううん、ネムネム♪」とか、とか「起こすなボケが(`´メ)」とか、何らかの反応を示すのだが、今朝はそれもない。
 疲れてるのはわかるが、それにしたってここまで眠り続けるというのは尋常じゃない。やっぱりカラダにどこか疾患があるんじゃんいかって常々思っちゃいるんだけれど、「ウチの妻は眠りすぎるんです」なんて、何科にかかりゃいいんだ。どこでもいきなり眠るってわけじゃないから、ナルコレプシーとかじゃなさそうだしなあ。


 腹もシクシク痛むので、トイレに行くと、まあ、ナニがとってもキレイな紅色♪(あからさまな表現は自粛いたしました)
 うふっ、内壁のどこかが切れてるのね。
 もうこんなことはしょっちゅうなので、カネもかかるし、いちいち医者には行かない。しばらく安静にして寝てりゃ治るだろうってんで、職場に電話を入れて遅刻して行くことにする。
 とりあえず、こういう時、一食や二食抜いても平気な糖尿体質は便利だ(便利化?)。でも、のびのびになってる仕事を片付けるのにはえらく手間がかかっちゃうんだけどねえ。

 結局、昼から仕事に行って、帰りはしげを携帯で呼び出す。
 あのあともしげは更に寝続けて、18時間睡眠の記録を達成したのであった。
 ちなみに、今までの最高は16時間くらいだったかな?
 あまり騒がないし、ペットにしとくにゃいいじゃん、という人もいるかもしれないが、起きたらこいつは寝てた分のエネルギーを取り戻そうと、ヒトの3倍は食うので、結局コストがかかるのである。
 その間、当然家事は進まない。
 誰かしげの嫁になって(T_T)。


 マンガ、唐沢俊一編、好美のぼる著『あっ! 生命線が切れている』(二見書房・1449円)。
 タイトルロゴにオドロ線を付けたい感じだけど、そういうこともHTMLが上達するようになったらできるようになるのかなあ。
 「好美のぼる」については、唐沢さんが前書きで「曙出版の怪奇シリーズの大看板作家」と紹介しているが、実際、作品点数から行けば、手塚治虫に並ぶほどの大量生産をしていたのではないか。
 にもかかわらず、私は好美作品を子供のころ殆ど読んではいない。
 信じて頂けないかもしれないが、私は子供のころ、ムチャクチャ怖がりだったのである。だから怪奇もの、ホラーものの名作と言われるものでも、マンガファンを標榜しているわりには、案外読んではいない。
 いや、読もうとは何度もしたのだ。
 ところが読んでるうちに駄目になる。怖くなって途中を飛ばして結末だけを見る。あるいは結末も見ずに放っておく。
 多分、私が小学生のころ読めた怪奇モノは、楳図かずおの『猫目小僧』ぐらいのものであったろう(あれは一生懸命「これは妖怪モノで怪奇モノじゃない」とココロに言い聞かせて読んだ)。
 そんなんだから、未だに私ゃ楳図かずおの『黒いねこ面』も『ヘビ少女』も『赤んぼう少女』も読んじゃいないし、日野日出士の作品集も1冊として買わなかったし、ましてやズラリと並んでた好美さんのホラーシリーズだって、その黒々とした背表紙と気持ち悪いタイトルロゴだけで圧倒されちゃってて、手に取ってみようともしなかったのだ。

 それが、今、こうやって読めるようになっている。
 それどころか、読んで笑っている。
 いや、これはスゴい変化だ。
 恐怖と笑いは紙一重というが、その“紙一重を遊ぶ見方”を教えてくれた唐沢さんの紹介の仕方には、異論を持たれてる方もあろうが、素直に感謝したいのである。

 と言いながら、唐沢さん、この作品集に関しては、『まんがの逆襲』などで使っていた、欄外にツッコミを書きこむ手法を一切排除している(これは80年代の少女マンガから始まった欄外書きこみブームのパロディにもなってて好きだったんだが)。
 そんなツッコミ(言わば解説)は不要との判断からだろう。実際、表題の『生命線』を読んでると、なにも言われなくてもツッコミ入れたくなる描写が続出である。
 無実の罪を着せられて自殺した息子の復讐を図る母親の物語って設定は、別に珍しくもなんともないが(和田慎二あたりがしょっちゅうやってた)、その方法として“人間の手相を切り刻んで運命を変える”ってのを思いついたってことがもう、尋常じゃない。
 感情線を切られた実直な刑事がいきなり笑い出して「おめでとう!」なんて言うかフツー。おまえは碇シンジか。
 頭脳線を切られた検事は、当然アホになる。「ここはどこですかァ 天国ですか!? 地獄ですか!? ヒハヒハー」。アホになるのはいいけど、この「ヒハヒハー」って笑い声はなんなんだよ。思わずあとに「パパパヤー」と続けたくなっちゃうぞ。
 太陽線を切られた医者は、金の計算ができなくなって、無料で患者の治療をするようになる。……って、別に助手雇えば金は取れると思うけど。
 いや、こういう設定やセリフのいい加減さもさることながら、脱力するのはやはり好美さんの絵である。怖がらせようと思って演出過剰になり笑っちゃうというのは、こないだ見た映画『陰陽師』の鬼のシーンでもそうだったんだけど、いくら手相が変わったからって、工事中のビルの鉄ワクの上で踊るなよ。
 このへんは江戸川乱歩の『踊る一寸法師』とかのイメージを絵にしてるのかなあ。でもあれは文章だからいいんで、絵にすりゃホント、バカバカしくなっちゃうんだけど。

 『死のハンドバック』は絵的に楳図かずおを相当意識している。
 多分、出版社から、「楳図さんの絵で」と頼まれたせいだろうなあ。
 好美さんに対する作家としての扱いがどの程度のものだったか、この一事をもってしても見当はつくのだが、それは決して好美さんにとって不名誉なことではあるまい。
 山中恒のウケウリになっちゃうけど、大衆作家には大衆作家として、読み捨てられるくらいの通俗的な面白さを追求していく使命のようなものがあるんである。そしてその価値を読者だって、ちゃんと認識してかなきゃならない。
 妙な選民意識持ってマンガを評価しちゃいかんよなあ、と思うんである。「名作」ばっか読んでるやつにそんなのが多いのは、経験上、よく知ってるし。
 しかし、ハンドバッグから足が出て来て寝ている女の子を蹴り殺すシーンの恐くないことったら。
 ……いや、子供のころにこれを読んでたら、やっぱり怖がったかなあ、とも思うんである。現実にありえないことが身の回りで起こるってことは、オトナにとってはバカバカしくても、子供にとってとてつもなく「怖いこと」に違いないからだ。
 好美さんの視点、やっぱり小さな女の子に絞られてたのかなあ、とも思う。

 と思ったら、巻末の『変身妖怪七変化』、SFヒーローものだよ。
 絵柄が今度は一峰大二風になってるよ。確かにSFヒーローものの代表作家と言えば一峰さんなんだけどさあ。
 多分、好美さんにしてみれば、あれだけ多作してるんだから、いろんなマンガ家さんのスタイルを取り入れたいと思ったのかも知れない。「よし、今度はSFヒーローものでいこう!」。けれど、出版社の関係から、「少女もの」「怪奇もの」というワク自体は外せない。
 そこで、少女ヒロインが、「変身ヒーロー(♂)」に変身し、更に「妖怪」に変身して、世界各国から送られてくる「超獣妖怪」(このネーミングからすると、『ウルトラマンA』以降のマンガかな?)と戦うというトンデモナイ設定を考えだしちゃったのだ。なんで「妖怪」が「セブンマン」なんて名前してるんだよ。全部ごった煮にすればいいってもんでもないだろう(^_^;)。
 ……この節操のなさって、初期のつげ義春によく似てるよなあ。というか、それが昔の貸し本マンガの流れを汲むヒトたちのエネルギーでもあったのだ。
 たとえば、あれだけ独自の絵柄を築いている水木しげるが、その初期においてアメコミヒーローものの絵柄を駆使してマンガを描いていたことなど、今や誰が知るだろう。
 多分、好美さんにはほかにも「水木しげる風」「さいとう・たかを風」「手塚治虫風」といった作品が数あるに違いない。「赤塚不二夫風」や「藤子不二雄風」はちょっと想像がつかないが(^^)。
 そういうマンガも、唐沢さんやソルボンヌさんにもっと紹介していってもらいたいんだけど、引き受ける出版社がどれだけいるかなあ。
 

 マンガ、好美のぼる『UAライブラリー8 うわっその子きれい殺す』(日本貸本漫画保存会・送料コミ810円)。
 唐沢俊一解説、ソルボンヌK子&エロ上(誰?)ツッコミによる同人誌。纏め買いして、一冊の値段が分らないので、送料コミの値段を書いておきました。
 値段や出版社名を明記してるのは、単に記録上のことを考えたてるだけなんで、現物をご注文されたい方は、ソルボンヌK子さんの宛先を自分でネット上で探してください。

 タイトルは収録作品中に登場する既知外の女の子のセリフから取ったもので、実際には『魅せられた乙女』『幸うすき星』『テレビスター』の三本が再録。
 デビュー当時は、好美さんが怪奇マンガ家としてではなく、ごく普通の(当時としては)少女マンガ家として出発したことがわかる。
 初期の少女マンガは詳しく読んでないんでよくわからんのだが、絵柄的には矢代まさこに似ているような気がする(ソルボンヌさんは「わたなべまさこ入ってます」と指摘)。このへん、昔の女の人で(失礼)、少女マンガに詳しいヒト、よかったら教えてくれませんか(ってそんなヒト全国にどれだけいるんだ)。
 あ、表紙絵は明らかに中原惇一のパクリだね(^^)。

 しかし、昭和40年でもこの絵柄は既に古くないか。
 多分作者は「絵の古さ」なんてことは当時微塵も考えていなかったのだろう。ともかく好きなマンガを真似する。それが読者へのサービスになる。そう信じていて、パクリじゃないかとかそんなことはアタマのすみにカケラもなかったのだろう。マネされたオリジナルを越えた低俗パワーみたいなものを生み出しているのだから、簡単に「パクリだ」なんてことは言えないのである。
 実際、いろんなマンガを参考にしているために、大胆なポーズやアングルが駆使されていて、見ているだけでビックリさせられるカットが連発。これを文章でどう表現したらいいのか(^_^;)。階段の手すりが折れて、ヒロインの母親が落ちていくカットなんか、ソルボンヌさんは「まるでイタリア映画のようなダイビング!」と評しているが、こんな歪んだ水泳飛びこみみたいな落下、一体どんな映画に出てきたんかね。
 ともかく、えらく繊細でウマイ絵と、ナゲヤリでヘタレな絵が混在しているのだ。それを作者が全く気にしていないらしいのがともかくスゴい。
 少女マンガと劇画のごった煮はこんな初期作品から始まっていたのだ。
 不幸な女の子が運命に翻弄され、最後にハッピーエンドになるという、少女マンガと言うより、『落窪物語』以来の日本女流古典文学の定番パターンを、臆面もなく展開させている当時の資本漫画のパワーには圧倒されてしまう。自殺しようとする少女をカモメが助ける、なんて超自然的な展開も当時はよくあったんだよなあ。
 あっ! とすると、こんなところにも『オトナ帝国の逆襲』のルーツが!
 ヽ(^。^)丿


 唐沢俊一・村崎百郎『社会派くんがゆく!』(アスペクト・1365円)。
 2000年7月から、2001年7月までの1年間に起こった事件を、鬼畜なお二人が(^^)言い放題に論ずるというもの。
 でも実はこの手の会話、酔った勢いであちこちの居酒屋じゃ誰でもが言ってるレベルのことなんだよねえ。いや、だから珍しくもなんともないと言いたいわけじゃなくて、こんな誰でもが感じることすら、出版物としては出しにくくなっている状況、日本人を「偽善」の中に閉じこめて現実逃避させようという風潮が蔓延していることに対して、なんとも腹立たしい思いをしているのである。

 「17歳どもは『こんな平和でだらけた世の中なんか、何十年生きていたってもう大したことも起きやしない。自分で犯罪でも犯すくらいしか、刺激的なことなんかないんだー』とか妄想していたんだろうが、ちゃあんとガマンしていれば、米国同時多発テロのようなステキなものも見られ、日本もテロの標的になるかアメリカの報復戦争に巻きこまれるかというスリリングな経験をすることができるんだから、あせってはいけないのである」
 内藤泰弘の『トライガン』を読んで、ビデオ屋を爆破した17歳についての唐沢さんの言葉だが、さて、これを「不謹慎」と本気で怒る人間が現実にいるのである。
 いわく、「テロではたくさんの無辜の人間が死んでいるのに、その死を悼まず、ショーでも見るように楽しむのは人間としてどうか」とか。
 どうかもなにも、アンタも「ショー」として見てるからそんな発言が出るんじゃねーか。自分の痛みとして感じるんだったらさっさとニューヨーク行って、瓦礫一つでも取ってこんかい。
 戦争の恐怖は、ヒトの命が失われるからではなく、人間の意志が一つの線にまとめられて、他の意見が認められなくなる点にある。それはヒトを心から殺していることに他ならない。
 「ショーとして見るな」とか「人間として」とか言ってる本人は、自分が戦争屋どもと同じ「他人を自分の意志で支配したい」と考えてるってことについて全く無自覚なのである。
 彼らは、自分を「善人」側に置くことによって、「悪人」を糾弾することができるようになったと自己暗示をかけているのである。恐怖政治を行った皇帝が、自らを「天子」と呼んだように、「強権を発動する」資格を手に入れた気になっているのだ。

 私はあのテロ事件が起こった時に、この日記で、「対岸の火事を決めこんどけ、哀悼の意だって表明する必要はない」と書いた。
 実際、「死んだ人間に届くはずもない哀悼の念を、巷で表明する」ことに、「自己満足」以外のなんの意味があるか。それは、「おお、すげえコトやってくれたな」と楽しんで見たり、「別に私に関係ないしい」と知らんぷりを決めこむエゴイズムと、なんの違いもない行為なのである。
 もっとキツイことを言えば、「死んだヒトを悲しむ気持ちを表しとかないと、人非人ってコトでサベツされる」という保身のためにやってることであろう。本気でやってるなら、自分の偽善性に気付いてないただのバカだ。
 いや、保身に走るっての、気持ちとしてはわかるよ。誰だって自分の身はかわいいし、「安全圏」からもの言ってりゃ、少なくとも自分が攻撃されずにすむしねえ。
 けどさ、それって、自分がサベツする側に回ってるってことなんだよ? 恥ずかしくないのか、人間として(^o^)。
 はっきり言うが、無視決め込むよりよっぽどタチが悪い。積極的に加害者として振る舞ってるんだからね。
 現実に、あの事件の直後に「テロは許さない」と言ってた連中、報復戦争が始まった途端、「日本が参戦していいのか」とか矛盾したこと言い出して、それでいて自分が矛盾したこと言ってることにすら気付いてないぞ。なんだい、結局、自分が死にたくないだけじゃねーか。そういうのを卑怯者って言うんだよ(こう言うとまた、「じゃあ、おまえは命が惜しくないのか!」とかバカなこと言い出すやつらが現れるが、そこまで論旨すりかえてることに気付いてないドバカな連中をまた論破するのは時間のムダなんで、誰かヒマな人がつきあってやってあげてください)。
 自分が関われもしないことについて、意見を言えたような気になってんじゃね〜!

 村崎さんと唐沢さん、この本を出したことで、また偽善者たちの中に敵を作ってないかなあ。お二人は鬼畜かも知れないが少なくとも卑怯者ではないよ。
 私はこの本を読んで、ただの1ヶ所も不快感を感じなかったのだけれど(こういうことも珍しい)、でもまあ、実際に読んでみて、「やっぱり私は唐沢さんたちの考え方にはついて行けません」ってヒトに対して、考え方を変えろなんてことは言いませんよ。私ゃ善人みたいに心狭くないし(^o^)。
 善人なおもて往生をとぐ、いわんや惡人においておや(『歎異抄』)。

2000年11月26日(日) オタアミが出て来た日/第3回オタクアミーゴス・IN・九州



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