無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年11月13日(火) また書く原稿が増えそう(^_^;)。/『時をきざむ潮』(藤本泉)ほか

オタアミ当日まであと11日! 11日しかないのだ!


 昨日の飛行機墜落、テロではなく事故の可能性が高まったのだそうな。
 なんでも片方のエンジンがいきなり落っこっちゃったらしいのだが、原因は不明。同型機は以前にもエンジンから火を吹いたことがあり(そう言えばそんな事故があったっけ)、一万時間毎の点検を義務付けていたが、その点検直前に起こったというものらしい。
 それにしても、マスコミ報道、事故らしいとわかって落胆している様子がアリアリ。「現場のスタッフ」が未練たらしく、「原因が分らない以上、何かが仕掛けられた可能性も捨てきれません」と軒並みコメントを付け加えているのが滑稽。……ハトでも飛び込んだんじゃねーのか(-_-;)。
 そうやって、「ちぇっ、テロじゃねーのか、つまんねー」と無慈悲かつ無責任な発言が出来るのは、当時者でなく公の場にもいない庶民の特権なんだけれど、日頃「社会の木鐸」を標榜しているマスコミがそこまで下卑たところにまで落ちた報道してることに対して無自覚なんだから、これをバカと言わずして何がバカだと言えようか。
 で、事故らしいとわかった途端、ニュースはもうアフガニスタンの北部同盟による首都カブール制圧、タリバン撤退をいつも通りのドラマ演出で報道してるのな。……ワイドショー以外の普通のニュースでも、BGMにアニメや特撮の音楽を使うのが完全に普通になっちゃったけど、そのことに違和感感じてるやつ、送り手側にも受け手側にも少なくなってんだろうなあ。やっぱり使うだろうと思ってた『パトレイバー2』はもう、やたら頻繁に流れてるし。ここまで使われてるんだったら、川井憲次さん、使用料を申請してもいいんじゃないかなあ。それとも申請できないように法律がなってるのかな? よく知らんけど。
 そう言った「演出」が、既に「情報をより正確に伝える」ことを目的とするジャーナリズムからかけ離れていることは今や論をまたない。これはもう、「戦争ドラマ」であって、「戦争」ではないのだ。そう感じるのが不謹慎だというのなら、もっと冷静な報道してみい。もちろん、そんな視聴率が取れもしないようなことするマヌケはマスコミにはいないだろうけど(^o^)。


 仕事帰り、迎えに来てくれたしげと、職場近くの総菜屋でおかず買い。
 車で通るとつい見逃してしまうようなところにあって、あまり繁盛してないようなところだが、今日は2台も車が停まっている。
 「なん、『売れてない』って、ウソやん」
 としげが私を責めるが、人がそんなに入ってる様子がないってのはその通りなんだが。たまたま何人か客がいただけで繁盛してるって考えるのもおかしかないか。夕方のこの時間帯で、客が二、三人って、少ない方だと思うがなあ。
 毎日少しずつメニューも変えているようなので、出来るだけ珍しいものから買う。
 栗コロッケ・チャーメン・鶏の香味揚げ・豚肉と豆腐とほうれん草の炒め物など、合わせても600円程度。これを二人で分けるんだから、なかなか良心的な価格。しげはデミグラスハンバーグに拘って二つ買うが、当然これはしげだけのもの。
 私は自分の買った分はしげにも当然分けるつもりでいるのだが、しげは自分のものを私に分けようとしたことが殆どない。たまにハッと気付いて「食べる?」とか聞いては来るが、「食べるか」という疑問形であって、「食べなよ」ではないのだ。そんな、「ホントは自分で独り占めしたいんだけれど、がっついてると思われたくないから一応聞くけど、出来れば『いいよ、全部おまえが食べなよ』と言ってほしいなあ」って秋波がビンビン伝わってくるような視線を向けられちゃあ、「じゃあ貰うね」とはとても私には言えない(^_^;)。
 食いものに関してここまで本能的になれるって、お前は闇市世代か。
 帰宅して早速食事。しげ、鶏肉をウマイウマイと言って殆ど平らげる。「辛そうだったんで買うのやめたんだけど」とニコニコしながら口一杯に頬張っているが、店の中であまりに未練たらしくしげが鶏肉見つめてたから、私が買ってやったことに気がついてないのだ。
 だから、自分の言動のせいで何を考えてるか周囲からはバレバレだって事実に少しは気付けよ。ああ、恥ずかしい。


 『FF:U ファイナルファンタジーアンリミテッド』第7話「地下鉄 じげんトンネルのてき」。
 CGとの違和感はあっても、とりあえず作画は悪い方ではないので、ちょこちょこと見ているが、FF初心者な私には、どのへんがどうファンタジーなんだかよく分らんなあ。少なくとも古典的な「剣と魔法」の世界でないらしいことは1話から見当ついたことではあったのだが。
 ファンタジーの難しいトコロは(SFでもそうだけど)、住む世界が違う人間の価値観をどう表現するかってことにある。文化が違えばものの見方が全般的に違うのも当たり前なのだ。しかし、あまりに違いすぎると、見るものはキャラクターに感情移入するスキがなくなってしまう。その辺の匙加減が難しいんだが、どうもこのアニメのスタッフはそのあたりをずいぶん大雑把に考えてるような感じだ。
 新登場の少女・ルー、これが実は狼少女(別にオオカミに育てられたんではなく、オオカミに変身する少女な)だったんだけど、正体がアイとユウにバレた時の会話のやりとりが思いっきりマヌケ。
 「私の正体を知って怖くないの?」
 「だってこの世界に来てビックリすることばかりだし」
 いや、コケたねえ(^o^)。
 つまり、オオカミ少女くらいいて当たり前の世界だってことでしょ? 実際ムチャクチャ化け物出て来てるよ? それでどうしてたかがオオカミ少女ってことだけで差別されちゃうわけよ。だったらチョコボ差別はないのか。
 ファンタジーに安易に現実の設定持ち込んでんじゃないよ。
 よく、ゲームクリエイターには最先端の才能が集まってると言うが、シナリオに関する限り、私ゃ今んとこそんなヒトを寡聞にして知らない。ゲーム版のFFのシナリオもこんなものなら、少なくとも「最先端」って惹句だけは外したほうがいいと思うな。


 最近ネット上で知り合った女性の方から、ホームページを立ち上げるので、なにか原稿を書いてくれないかとメールで依頼される。
 この手の依頼があると、お調子モノの私は一も二もなくホイホイ引きうけてしまう。けれどたいていシメキリを破ったり、書いたはいいものの読むに耐えないしょーもないものを書いてしまったり、依頼主に迷惑かけちゃうことも多い。
 そのたんびに落ちこんで、しばらく旅に出たくなったり、部屋の隅っこでブツブツ呟いたり、壁を這う白い虫を何百匹も潰したり、富士の樹海か東尋坊に行きたくなったりするのだが、たいてい一晩寝ると迷惑かけたこともケロッと忘れてしまうので、またぞろ同じ失敗を繰り返すのである。いや全く、厚顔の至りで申し訳ない。もちろん、引き受けたからには今度こそちゃんとした面白いものを書こうと意気込んではいるのだ。でも過去が過去だけに、果たしていかが相成りますことやら。
 いやいや、問題はそればかりではない。
 内容はともかく、依頼の具合では、そちらのHPでは、私の本職を明かした上で書かねばならないような気配なのである。何度かこの日記にも書いていることだが、諸事情により私はネット上では私の本職を隠している。私は別に明かしたってかまわんと考えてるのだが、なにしろねえ、こんな無責任極まりない日記を書いてるやつが職場にいるってことが世間に知られただけでも恥だと考えるようなバカなとこに勤めてるもんでねえ。それに実際、ウチの職場、世間的に見てワルいこと全然してないわけじゃないし。その辺のところを私にバラされちゃ困るのだろう。
 と言うわけで、依頼された原稿も、仮に私の職業を明かすとしても、私が福岡に住んでるってことや、年齢なんかも(ことによると性別も)偽り、相当脚色して書かねばならないのである。うわあ、難しそう(^_^;)。
 そういうわけで、仮に私の原稿が掲載されたとしても、私の職業を予めご存知の方以外には、この日記を読んでくださってるみなさんにもそのHPをお教えするわけにはいきませんので、その点、ご容赦下さい。


 しげが、居間のソファーにその巨大な体を投げ出してブツクサ文句を垂れている。
 「こんなとこにカバン置かないでよ!」
 寝るのにジャマだ、と言いたいらしいが、そのソファの上にしょっちゅう3日も履きふるした靴下だのなんだのを放りだしてるのはしげなのだ。
 「置くとこないから置かせといてよ。枕にしたっていいからさ」
 なんとなく不満そうな顔でしげはこっちを向いていたが、おもむろに、「毛抜き取って」と言い出した。
 何をするかと思ったら、私のカバンを脇息にして、いきなりムダ毛の手入れを始めたのだ。
 「おいコラ!」
 「なに!」
 「オレのカバンを脇に挟むな! 匂いが移るだろうが!」
 「移らんよ。ワキ臭くないもん」
 「移る!」
 「移らんてば! さっきお風呂に入ったばかりだもん!」
 「汗が滲み出してくるだろ! ええいどけい!」
 むりやりカバンを引ったくってニオイを嗅いだらやっぱりクサイ! 悶絶する私を見てしげはケタケタ笑っている。そのときになって私はようやくしげの策略に引っかかったことに気付いたのだった。
 ああ、居間のニオイの性で頭痛が……(+o+)。


 藤本泉『時をきざむ潮』(江戸川乱歩賞全集11/講談社文庫・1250円)。
 現在ヨーロッパで失踪中の藤本泉。
 作品を読むのは初めてだが、その奇矯な人となりについては以前から興味があった。
 幼いころを東海地方の山村で過ごしたことがその人格形成に多大な影響を与えたらしい。土俗的な伝奇ミステリー「エゾ共和国」五部作は、中央の支配に未だ染まらぬ東北の民人たちを巡る事件の数々を物語ったもの。
 彼女の特異な取材方法は、その土地を舞台にした小説を書くために、実際にその土地に数ヶ月から数年に渡って移住するという、徹底した現地主義を取ることだった。行方不明になったのも、一説にはヨーロッパの少数民族問題を取材中に秘密警察に捕らえられ、処刑されたとマコトシヤカに言われている。
 ……なんだかその経歴を知るだけで、どんな作品を書く人なのか知りたくなってしまうじゃないの。

 で、読んだ感想なんだけど、期待して読んだだけに肩透かしの感は否めなかった。
 乱歩賞の選評にもあったが、「文章は抜群にうまく、人物も魅力的に描かれているが、推理小説としては弱い」というのが一貫した意見のようだった。
 探偵小説芸術論じゃないけど、「ミステリとしてはよいが人間が描けていない」「人間は描けていないがミステリとしてはよい」なんて批評をよく耳にする。
 でもまあ、こんな批評の形をなしていない言質を用いる作家は、不遜な言い方ではあるが基本的に三流だと私は思っている。
 また、「ミステリが人間を描く必要があるのか」という島田荘司以下の新本格作家たちの意見も同様にアホだ。
 人間を描けていないミステリがミステリの体をなしているはずがないし、ミステリとして完成度が高ければ、人間が描けていないはずはないからだ。なんか乱歩賞の審査委員、初手からミステリをバカにしていながら批評していないか。

 本作がミステリとしてヨワイのは、やはり人物が描けていないからである。主人公が魅力的に見えるのは、主人公の心理が丹念に描かれているせいだが、読みこめば読みこむほど、その行動原理に一貫性がなく、行動原理もハッキリしない。
 三陸の海岸で起こった、二組の若者の事故死。捜査に当たった高館刑事は、その白蟹村の住人が誰一人として自分に協力しようとしないことに不審を抱く。やがて、彼らの捜査妨害は、高館の命を奪おうとするほどにエスカレートする。
 まず、白蟹村の人々がなぜそこまで「まつろわぬ」のか、その説得力ある描写が皆無なのが、致命的である。「閉鎖的な村ってそんなもんだよ」と言われりゃそれまでだが、読者がそんなことを常識視する社会に生きているわけではないことは、実作者としては考えておいて然るべきことではないのか。
 主人公の刑事の行動が分らない、と書いたのは、真相に近づくたびに何者かから何度も殺されかけたというのに、ラストシーンでは「自分が命を狙われるとわかっている場所」にわざわざ出かけていっていることである。いくら仕事熱心だからと言って、捜査本部が解散された事件で、あそこまでストーカー的な調査を繰り返すというのはどういうことなのか。彼の行動はいちいち偏執狂的である。
 ずっと昔、なにかの雑誌の座談会で、藤本泉が「横溝正史の『八つ墓村』が好きだ」と語っていたが、あれも横溝作品のほかのものに比べたらミステリとしてはやや落ちるものだったが、土俗性は最も濃いものであった。……本人は無自覚なのかも知れないけれど、この人、本当はミステリが書きたいわけじゃないんだろうねえ。……多分。

2000年11月13日(月) 泣いてるようだが怒っているのです/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』4巻



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