2008年03月31日(月)  マタニティオレンジ260 12歳のせらちゃんは同世代!?

『パコダテ人』以来親しくおつきあいしている前原星良ちゃんとせらままのお宅に、先週の土曜日、一家でお邪魔した。ひまわり保育園ひよこ組の古田まゆちゃんを演じた星良ちゃんも四月からは中学生。進研ゼミの広告で見せた利発なイメージ通り、難関校に合格した。受験後の燃え尽きた虚脱感を「星良の賞味期限は切れた」と称し、ひたすら腐った数日後の心境を「味噌になった」とたとえたそう。味噌ならぬ三十路の後半を下りつつあるわたしが「賞味期限が切れた」と言っても事実にしかならないのだけど、星良ちゃんが言うと詩になる。子どもらしい無邪気さを残しながら着実に大人になっていく星良ちゃんは、わが娘たまのお手本にしたい存在。先日ひさしぶりに星良ちゃんに会った木下ほうかさんは一瞬誰だか分らず、「どなた?」と聞いた後で、「ええ年の取り方してはる」と感心していた。

たまが星良ちゃんに会うのは、今日で四回目。豚のPちゃんを見に行く会でしっかり遊んでもらったたまは、星良ちゃんの顔をちゃんと覚えて、写真を見せて「星良ちゃんどこ?」と聞くと指差してみせる。たまにとっても憧れのお姉さんのよう。建て替えてまだ一年というピカピカの広いおうちで、星良ちゃんの部屋がいちばん落ち着くらしく、星良ちゃんと二人きりにしても機嫌よく遊んでいた。ベッドに上げてもらったり、電卓をたたかせてもらったり。いちばん気に入ったのはバランスボール。腹這いになって乗っけてもらって弾んだり、廊下を大玉転がししたり。12歳の星良ちゃんと1歳7か月のたまの年の差は10歳。36歳違いの母親に比べたら同世代のようなものかもしれない。

すっかりリラックスしたたまは、せらままの手料理(五目寿司のおにぎり、鶏の甘辛煮、ミネストローネスープ、大根とトマトとアボカドのサラダ、ピザ)ももりもり食べ、食後の花見でもおおはしゃぎ。唯一の弱点だった大型犬(体重15キロ)のミズナちゃんのことも克服。最初は「バイバイ」と逃げ惑っていたのだけれど、別れ際にはおそるおそる手を差し伸べてなでていた。それ以来、茶色い大型犬を見ると、「ミジュ〜」と呼びかけるのが微笑ましい。

2007年03月31日(土)  マタニティオレンジ102 保育園から美術と家庭科の宿題
2005年03月31日(木)  「またたび」の就職活動生
2004年03月31日(水)  岩村匠さんの本『性別不問。』
2003年03月31日(月)  2003年3月のカフェ日記
2002年03月31日(日)  レーガン大統領と中曽根首相の置き土産
2001年03月31日(土)  2001年3月のおきらくレシピ


2008年03月30日(日)  マタニティオレンジ259 一生ものの友だち、二世代目。

2003年の夏、散歩コースの途中にあるイタリアンレストランにダンナと入ったら、会社を辞めたばかりの同僚I嬢と彼氏のY君と隣のテーブルになった。どちらもその日はじめてその店に入ったのだが、この偶然の再会がきっかけになり、Y君の飲み仲間で鉄道と映画をこよなく愛するT氏とその彼女のミキ嬢と9月に飲んだ。これが盛り上がったので、さらにY君が留学時代に親しくなったK氏と結婚したばかりのキョウコちゃんを交えて4組8人で食事をしたところ、すっかり意気投合。年の暮れにSL旅行へ行き、さらに結束が固まった。「名前をつけると、会が長続きする」というダンナの発案で、「文京区つがいつどう会(通称BTT)」という名前がついた。そんな矢先、Y君のロンドン赴任話が持ち上がり、I嬢とともにあわただしく渡英。以来、BTTは「BTTJ」と「BTTE」に分かれ、掲示板で連絡を取り合っている。

2004年の渡英から4年。2年半ぶりのY家の一時帰国に合わせて、ひさしぶりにBTTが全員集合。結婚したY君I嬢夫妻の間には女の子が二人生まれた。その長女と次女にはさまれる形で、K家の長女とわが家の長女たまが生まれていて、4年でBTT会員は5割増となった。この日はBTT四姉妹の初顔合わせ。昨年12月に生まれたBTT四女のマイちゃんは初来日。BTT三女のたまはBTT二女のマユタンとはよく遊んでいるけれど、BTT長女ユキちゃんが前回帰国した時にはまだ生まれていない。家を出る前に「記念すべき日だよね。一生つきあう友だちになるんだから」とダンナが言った。わが家におけるBTTの優先順位はかなり高く、トッププライオリティと言ってもいい。何を差し置いてもBTTのために予定を空ける、それぐらい、このメンバーに会うのは楽しく、待ち遠しい。

会場となったのは、K家の新居。筑前煮、春雨サラダ、温野菜サラダ、具だくさんの味噌汁、ちらし寿司……。さらに腕を上げたキョウコちゃんの手料理がテーブル狭しと並ぶ。子どもが喜ぶようにとホットケーキミックスを皮にした豚まんは大人にも大好評。乾杯はY家からのモエシャンドン・ロゼ。わが家からは魚屋テッチャンの刺身と近所の近江牛専門店「肉の竹井」牛肉のタタキ。T氏からは日本酒の数々。ミキ嬢からは苺ムース(日本酒と相性抜群)とアップルパイ。わたしにも感激のメニューだったけれど、Y家はひとまわり大きな感動を味わった様子。

BTT長女、二女、三女は互いに距離を置き、一緒に遊ぶというより、居合わせているという感じ。大人のように初対面でいきなり仲良しというわけにはいかないけれど、あと何年かしたら、子どものほうから「会いたい」と言いだしたり、もっと先になったら子ども同士で会ったりするのかなと想像する。「子どもたちも一緒に旅行したいね」「Tおじさんの解説でSLの旅とか」「娘たちが鉄子になるかも」などと話す。親が気が合うからと言って子どももいい友だちになれるとは限らないものらしいけれど、こうなったら孫の代まで、とBTT第一世代の夢は膨らむのだった。

2007年03月30日(金)  生涯「一数学教師」の父イマセン
2004年03月30日(火)  鴻上尚史さんの舞台『ハルシオンデイズ』
2003年03月30日(日)  中国千二百公里的旅 中文編
2002年03月30日(土)  映画『シッピング・ニュース』の中の"boring"


2008年03月29日(土)  江草さん×WADADASの広告労協飲み会

3年前まで勤めていた広告会社マッキャンエリクソンの組合活動でお世話になった江草晋二さんが名古屋の大学に准教授の職を得て東京を去ることになり、広告労協仲間の壮行会が開かれた。正式名称「全国広告関連労働組合協議会」、通称「広告労協」とは広告会社各社の組合の総本山のようなもので、その総会や分科会的な「女性会議」なるものにわたしも何度か参加した。あるときは岐阜、あるときは京都、あるときは横浜。何を話し合ったかはほとんど記憶にないけれど、夜の交流会がとにかく楽しかったのを覚えている。間口が狭くて敷居が高そうな印象があるので敬遠されがちな分、入ってみると妙に居心地が良いところは、わたしが学生時代に身を置いた応援団に似ている。懐かしい人たちに会えるかなという期待も抱いて参加してみると、おひさしぶりな先輩方の顔がそこかしこに。見覚えはあるけれど顔と名前が一致しない方が半数近くおられ、思い出話をしながら何社のどなたであるか記憶をたどり、宴もたけなわで名刺を交換し、ようやく名前を呼びかける。

広告労協仲間のつきあいは濃くて深く、しょっちゅう飲んだり旅行に行ったり(北海道に移り住んだ仲間や、バリでホテル経営をしている仲間を訪ねている)しているらしい。労協の議長を何年か務めていた江草さんはその中心的な存在であり人気者。「余計なしがらみがないから楽なんだよな」と江草さん。赴任地の名古屋へも早速ツアーが組まれることになりそう。

プレゼンに明け暮れる広告会社の中でも、会社との交渉の百戦錬磨で話術を鍛えた組合執行委員はとりわけ話し上手。同時多発的に飛び交ういくつもの話題を聴いているだけで刺激的だった。最後に、江草さんの前だったか後だったかに労協議長を務めた和田哲郎さんの語録を集めた小冊子「WADADAS'01 帰ってきたワダダス」が配られる。プレゼンの場で、組合活動で、和田さんが大真面目に語るボケの数々を同僚であり組合仲間であった上條さんがまとめたもの。「みそにこみきしめん(味噌煮込みきしめん)を「にそみこみしきめん」と言い間違えたり、縦書きの「一口ぎょうざ」を「豆ぎょうざ」と読んだり、そそっかしい和田さん。「湾岸戦争に反対する声明文」に「1991年」を一桁多く「19991年」と記したり、団交の席で春闘の「回答日3月14日」を「ベア3.14%」と読み上げるなど、数字に弱いのも特長。前々から「すごい」「面白い」と評判を聞いていたのだけれど、ページを開いた途端、止まらなくなって、江草さんの挨拶が頭の上を素通りしてしまった。和田さんの稀有なキャラクターと、それを冷静に観察し、書き留める上條さんの編集力の合わせ業に脱帽。同席されていたお二人に、その場で「面白すぎます!」と興奮を伝えると、「和田哲郎は人類が共有すべき財産です」と上條さん。これはマンガや短編ドラマにして布教すべし。糸井重里さんの事務所でワダダスを知ったさくらももこさんも絶賛とか。サイト『WADADAS'01 帰ってきたワダダス』でも読めます。

2007年03月29日(木)  ターバン野口
2003年03月29日(土)  中国千二百公里的旅 厠所編
2002年03月29日(金)  パコダテ人トーク


2008年03月28日(金)  マタニティオレンジ258 保育園のお別れ会で恩師を想う

この春、保育園を退職、異動される先生方のお別れ会が開かれた。主役は園児たちで、早くお迎えに来れた保護者は子どもたちにまじって参加。園児51名、職員はその半数ぐらいの小さな園で、園長先生をはじめ11人もが入れ替わる。先生方が挨拶のときに感極まって涙ぐむ姿を見て、この保育園と子どもたちを心から慈しんで仕事に打ち込まれていたんだなあと感じる。先生方の挨拶、父母会からの花束と園長先生へのメッセージ集贈呈のあと、辞められる先生一人一人と園児が「握手でバイバイ」。先生方は全員の名前を覚えていて、「たまちゃんは給食よく食べてくれたね」「たくさん遊んだね」などと声をかけてくださる。とても心があたたかくなるひとときだった。0歳児クラスの娘のたまは、今去られる先生方のことを覚えていないかもしれないけれど、たっぷり愛情を注いでもらった記憶は何かの形で残るだろう。人生最初の恩師だ。

わたしにとっての恩師の最初の記憶は、幼稚園の年長組のときの担任だった溝上のり子先生。美人で、やさしくて、大好きだった。卒園してからも手紙をやりとりして、中学校に上がる頃、先生の嫁ぎ先の和歌山まで家族で遊びに行ったりした。その後連絡が途絶えてしまったけれど、お元気かなあとひさしぶりに思い出した。もう一人、とくに印象に残っているのは、中学一年のときの担任だった吉田和子先生。専門は美術で、「今井の絵には、今井カラーがある」とわたしの色使いをほめてくださった。文化祭で演劇をやることになったときには、「今井ならやれる」とわたしに演出の白羽を立てられたのだが、その体験が今のわたしの原点になっていると思う。わたしの何を見て先生が見込んでくれたのかは聞きそびれたけれど、自分を認めてくれる大人の存在が自信とやる気につながり、わたしの力をのばしてくれたことは間違いない。長らく連絡を取り合っていない吉田先生にも、あらためて感謝の気持ちがこみ上げた。

2007年03月28日(水)  マタニティオレンジ101 ビクス仲間のレイコさん
2005年03月28日(月)  『ダ・ヴィンチ・コード』で寝不足
2003年03月28日(金)  中国千二百公里的旅 干杯編


2008年03月27日(木)  ブラボー!『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』

夜9時前、地下鉄の駅へ向かう路上で、わたしは友人アサミちゃんとともに頬を紅潮させ、「日本ってすごい国だ!」「日本人で良かった!」と高らかに母国をほめちぎっていた。饒舌になるほど二人を酔わせたのはお酒ではなく、一本の映画。一億五千万円を集めて日本イラン合作映画『風の絨毯』(今井雅子脚本の長編第二作でもある)を実現させたのを機に映画プロデューサーになった益田祐美子さんのドキュメンタリー映画第二弾『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』の完成披露試写は、「ブラボー!」と叫ばずにはいられない出来栄え、そして内容だった。

第一弾の『平成職人の挑戦』では江戸時代に造られた飛騨高山の祭屋台を平成の世に蘇らせる職人たちの技と心意気に陶酔したが(>>>2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』)、今回はさらに時代を遡り、千三百年前の飛鳥の時代に造られた世界最古の木造建築といわれる「玉虫厨子」に平成の職人たちが挑む。厨子とは仏像を納める小さなお堂のようなもの。屋根ひとつ取っても、土台を組む人、瓦の彫刻を施す人、仕上げに漆を塗る人とそれぞれの職人が技を積み重ねて完成する。

設計は平成の祭屋台も手がけた中田秋夫さん。平成の祭屋台で腕をふるった八野明さんの職人ぶりを再び見られたこともうれしく、輪島塗の立野敏昭さんをはじめ今回初めて知ることになった職人さんたちの仕事と言葉に惚れ惚れする。その道を極めた職人たちは、技術だけでなく言葉にも熟成された味わいがある。設計の解釈の食い違いが明らかになり、やり直しが必要となったときに、「俺の説明が悪かったかな」「いやいや、こっちの聞き方が悪かった」と譲り合うやりとりの、なんと趣のあること。腕に自信のある者同士は、相手の腕にも敬意を払う。職人としての意地は自分の緊張を保つために張るのだ。これぞプライドのあるべき姿、と唸った。

玉虫の羽を貼りつける蒔絵の制作を任された立野さんは乾弘明監督とともに舞台挨拶に立たれ、「漆は最高の接着剤でありコーティング剤」であると説明。時の流れで色あせた文様に何が描かれていたか、手がかりを求めて文献を読み解くだけでも一年がかりだったという。朽ちた木で命を育み、羽に輝きを宿す玉虫は、仏教思想と響きあう再生の象徴。1300年前はかくもまばゆい輝きを放っていたのかと見ほれる「玉虫色」を、立野さんの手先と根気が現代に蘇らせた。

法隆寺に納められている国宝・玉虫厨子をできるだけ忠実に再現した一台とは別に、「平成の玉虫厨子」を造るという使命を受けた立野さんは、幅2ミリの短冊に切った玉虫の羽をさらに2ミリごとに切って2ミリ四方にし、青、緑、黄色といった微妙なグラデーションの色別に細かく分類。その細かな羽の「点」を集めて「色を塗る」という気の遠くなるような方法を編み出した。「昔のことを調べていたら新しいことが思い浮かんだ」のだと自信と茶目っ気が同居する笑顔が何ともいい。

職人たちの表情、手つき、微妙な心の揺れを丁寧に繊細にとらえる乾監督の演出、カタカナ語をほとんど使わず、選び抜いた日本語で綴られた釜沢安季子さんの脚本、その美しい日本語に深い味わいと余韻を醸す三國連太郎さんの語り。映画の作り手たちも『平成職人の挑戦』の時点よりも円熟味を増し、職人たちの技と心意気をしっかりと受け止め、64分という凝縮された時間の中で豊かに雄弁に物語っている。先日の益田さんとの合同誕生会でご一緒した真島俊夫さんの音楽も作品に溶け込みつつ、心地よい起伏をつけていた。真島さんを益田さんに紹介したシーボニアメンズクラブのすてきなすてきなおじさま、田邊勉社長はコーディネイターとして作品に参加している。

『平成職人の挑戦』を観たときは、職人たちのかっこ良さに目が行ってしまったが、今回は飛鳥の時代の職人たちと心の対話をする職人たちの姿に、この国に流れる歴史の重みを感じ、自分が生きている今と千三百年前はつながっているのだ、という事実に心を揺さぶられた。千三百年前に造られたものを再現できるということは、その技術が今日まで受け継がれているということである。人の手を介してしか伝えることができない匠の技というリレーのバトンを、何百組もの師匠と弟子が大切に、大切に引き渡してきたということである。そのことにわたしは途轍もなく感動した。

アメリカに留学した16歳のわたしに、この映画のビデオを送りつけてやりたい。「日本の伝統文化のすばらしさを伝えましょう」とオリエンテーションで指導されても、「伝統ったって、着物を着て生活しているわけでもないし、神社仏閣は遠足で行くぐらいだし」とピンと来なかったわたしの目を覚まさせてやりたい。

「宝物は自分の中にある。それを宝の持ちぐされにするのも宝の山にするのも、自分次第」ということを伝えたくて、わたしは『ブレーン・ストーミング・ティーン』という本を書いたのだけど、「自分」を「この国」に置き換えることもできる。愛国心も母国への誇りも、自分の国が持っている宝物に気づけば、自然と湧き上がってくる。その宝物を輝かせるのも錆びつかせるのも、この国のありよう次第。伝統は「古くからある」のではなく、「古くから伝えられてきた」のであり、伝える人がいなければ、それは途中で消えてしまうのだ。

平成の職人たちに伝統という日本の宝を磨く機会を与えたのは、国でもなく大企業でもなく中田金太さんという一個人だった。その金太さんは平成職人たちの手になる二台の玉虫厨子の完成を見ることなく、亡くなってしまった。『風の絨毯』以来、金太さんと親交を深めてきた益田さん、乾監督、三國さんの思い入れも込められたこの作品、金太さんと秀子夫人と何度か食事を共にし、金太さんの半生を綴った本『わしゃ、世界の金太! 平成の大成功者と五人の父』の執筆にも関わった(>>>2006年09月29日(金) 金太本、ついに出版。)わたしにとっても、金太さんを振り返るよすがとなりそう。千年後の人々を驚かせる玉虫厨子とともに、平成の世に生きた中田金太という大旦那の志が生き続けることを祈りたい。

遺品となった玉虫厨子の一台、復元版は法隆寺に奉納され、もう一台の平成版は平成の祭屋台が公開されている「高山まつりの森ミュージアム」に納められるが、6月30日まで開催の法隆寺秘宝展にて飛鳥版の玉虫厨子とともに三台並んだ姿を見られるとのこと。そして、当初は劇場公開を予定していなかった映画は、3月1日に法隆寺で行われた記念上映の反響で、劇場での上映が続々と決定。くわしくは平成プロジェクトのサイトにて。この作品を広げることも、日本の宝を次の時代へ引き継ぐ一助になると思う。

2007年03月27日(火)  『子ぎつねヘレン』地上波初登場と富士フイルム奨励賞受賞
2005年03月27日(日)  今井家の『いぬのえいが』
2003年03月27日(木)  中国千二百公里的旅 食事編
2002年03月27日(水)  12歳からのペンフレンドと3倍周年


2008年03月26日(水)  マタニティオレンジ257 クルマが好きな女の子

こないだまで「わんわん」と散歩中の犬を夢中で追いかけていた娘のたまは、犬に見向きもしなくなったかわりに、一センチ四方に納まるミニ象すらも見落とさずに「ゾゾ」と指差す。犬時代は終わりを告げ、ゾウ時代到来。それも、新興勢力のワニに脅かされつつある。子どもは飽きっぽい。いや、好奇心の矛先が目まぐるしく変わるといおうか。

保育園に迎えに行ったら、はたらく車を集めた写真本を抱きしめて離そうとしない。突然、車ブーム到来。家に帰り、m&mグッズを集めた棚の上をしきりに指差すので、何かと思ったら、m&mチョコが入っていた車を取ってくれとせがむのだった。その車をぶいーんと走らせてご満悦。車に興味を示すのは男の子の特権ではないらしい。掃除機が好きなのも車がついているからだろうか。

保育園では男の子もスカートをはいておままごとをしている。男の子、女の子の枠にはめないおおらかな雰囲気が、たまを車に向かわせたのかもしれない。「たまちゃん、車のエンジニアになるかしらね。ロケットの設計かしら。たまちゃんが大人になる頃は、ロケットが自家用車かもね」と保育士さんの語る夢も大きい。なんにでもなれるのは子どもの特権。

2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー
2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2008年03月25日(火)  おバカなパソコンの辞書を修復する

締切に追われる脚本家はスピードが命、なのにパソコンの動きが日に日にのろくなっている。贅肉がついて体が重くなったような、かったるい反応を見せ、一行を変換するのに一分待たされる。スピードが落ちただけではなく、寄り道をする。当然変換できるべき漢字が変換できない、あるいは誤る。「よむ」を変換しても「読む」と出ないので、「よみうり(読売)」を出して「売」を消すという空しい作業が発生する。一日で終わる仕事が三日がかりになる。

いま仕事しているプロデューサーがパソコンに詳しい人で、対処方法を挙げたサイトをいくつか紹介してくださった。その中に「Office IME 2007 で入力した文字を漢字に変換できない場合の対処方法があり、まさにわがパソコンの症状と一致したので試してみた。
1)Office 2007 Service Pack 1 または Office IME 2007 修正プログラム パッケージのいずれかをインストールする
2)IMEパッド(「般」の下の道具箱みたいなアイコン)の「プロパティ」を開く
3)「辞書/学習」の中の「辞書の修復」項目の「修復」をクリック
とりあえずはこの方法で「読む」が出るようになった。でも、のろいことには変わりはなく、そのプロデューサー曰く「マッキントッシュは早いですよ」とのことで、商売道具を乗り換えようか検討中。

2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル
2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?


2008年03月24日(月)  整骨院のウキちゃん6 ナターシャは白いごはんが大好き編

ひさしぶりに整骨院へ行くと、「いらっしゃらない間に、うちのサイトがついにオープンしちゃいましたよ」と院長。要望の多かったブログも開設。その名も『ナターシャは白いごはんが大好きです』。ごはんをおかずにごはんを食べるウキちゃんが目に浮かぶ。加えて、ウキちゃんと院長が患者さんを待ちながら暇を持て余すまったりとした午前中や昼下がり(ほぼ一日中!?)も目に浮かぶ。指一本触れずに読者を脱力させるやりとりは、さすが整骨院。

「そういや、こないだ東京の首都は新宿ってウキちゃんが言ってたの、首都を都庁所在地に言いかえれば合ってるんですよね」とわたしが言ったら、「いやいや、あの話は前ふりがあるんですよ」と院長。「東京の首都って東京ですかね?」とウキちゃんが言いだし、「東京の首都? なんだそれ?」と院長が突っ込むと、「あ、違った。江戸だ」と訂正し、「江戸ぉ??」と聞き返されて、「わかりましたよ。新宿です」と自信たっぷりに答え、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけど」と解説を加えたというのが本当のところ。江戸といえば長嶋茂雄監督が「I go to Tokyo」を過去形にして「I go to Edo」と言ったというまことしやかな武勇伝を聞いたことがあるけれど、巨人軍と東京ドームを愛するウキちゃんの天然ボケのスケールは長嶋監督に負けていない。

2008年3月19日(水) 整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?
2008年2月20日(水) 整骨院のウキちゃん4 「ティ」ってどうやって打つの?
2008年2月8日(火) 整骨院のウキちゃん3 となりのトトロ
2008年1月8日(火) 整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです
2007年11月06日(火) 整骨院のウキちゃん1

2007年03月24日(土)  マタニティオレンジ98 たまごグッズコレクション
2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり


2008年03月23日(日)  マタニティオレンジ256 「でか・あんぱん!!」で進級お祝いクラス会

一年を共にした0歳児クラスの親子で、進級祝いを兼ねて小石川植物園にてクラス会。会を仕切るのはクラス役員の役割で、今年役員を務めたわたしが仰せつかる。5月に集まったときは座敷のあるレストランで会食したが、当時はハイハイだった子どもたちも全員歩き出し、のびのびと動ける外で集まることにした。

なるべくたくさんの人が集まれる日を選んだものの、当日になって体調を崩す子がいたり、きょうだいが熱を出したりで、集まれたのは10世帯中6世帯。それでもパパやきょうだいの参加もあり、20名ほどでにぎやかになった。各自が持ち寄ったシートをつなげると、二十畳ほどの広間が出現。蕾がほころびはじめた白と桃色の桜をめでつつ、めいめいがお弁当を広げ(持ち寄りにすると負担が大きいので自給自足にした)、好き勝手にしゃべるという気楽な会。同じクラスといっても送り迎えの時間がばらばらだし、ゆっくり落ち着いて話す余裕もなかなかないので、ただ話すだけでも新鮮。子どもたちはシートのまわりを走り回ったり、木登るするお兄ちゃんを見上げたり。ママたちの会話に入れないパパたちは、自分ちの子よその子分け隔てなく遊び相手になっていた。

父母会の予算から若干の補助が出るので何か企画をと考えて用意したのが、ケーキカットならぬ「あんぱんカット」。園児10人の名前が入った通常の10倍サイズの巨大あんぱんを前に記念撮影の後、各自入刀し、切り分ける。子どもたちは「アンパンマン!」と大喜び。巣鴨の個性パン創造の店アルルの、その名も「でか・あんぱん!!」(1000円。3日前までに要予約)。以前「アド街っく天国」で紹介されたのを見て、いつか買い求めてみたいと機会をうかがっていた。お店には以前行ったことがあり、店構え同様素朴で味わい深いパンが気に入っていた。定休日にメールで問い合わせると店主のオヤジさんより電話があり、10人の子どもたちの名前をパン2つに分けて入れてもらうことに。最初はクラス名も入れようと思ったのだけど、園児の名前が入ったところで5等分に切り分けられたほうがいいと気づき、クラス名は要りませんと告げると、「では真ん中にクラス名を入れましょう」と提案していただく。打てば響くようなオヤジさんとの電話会議で、ますます仕上がりが楽しみになった。今朝焼きあがったばかりのパンを迎えに行くと、紙の箱に入れてくれ、パンというよりケーキのよう。「うちはもともとケーキ屋だったんですよ」と奥様。店を出てからあんぱんカットまでに2時間経っていたのだけれど、ずっしり詰まったあんこにしっかりと熱がこもり、皮までほかほか。見た目のインパクトはもちろん、おいしさもでっかい! 国産の材料にこだわっているので安心して食べられ、一歳児たちもパクパク。アルルの話好きのオヤジさん、ありがとうございました。

上着がいらない陽気が気持よくて、昼過ぎにクラス会が解散してからも居残り、仕事を終えたダンナも呼びつけ、3時頃まで過ごす。その間に昼寝をしていたたまは再び起き出した。毎週でも行きたい小石川植物園は入場料330円。年間パスポートはないけれど、小石川植物園後援会の終身会員(3万円也)になると、2年ごとに優待券という名のパスポートが送られてくるのだという。優待券1枚で本人と同伴者二名のあわせて三名が入場できるので、3人で行けば31回で、2人で行けば46回で元が取れる計算。ただし、その優待券発行が打ち切られる可能性もあるらしく、会員になるべきかどうか悩むところ。

2007年03月23日(金)  マタニティオレンジ97 板橋ツアー
2006年03月23日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編2】
2005年03月23日(水)  高校生がつくるフリーペーパーanmitsu
2004年03月23日(火)  ENBUゼミ短編映画『オセロ』
2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』


2008年03月22日(土)  マタニティオレンジ255 ゾゾもガオも自分もわかる、たま1歳7か月

2006年8月22日生まれの娘のたまは、昨夜の「321の会」のために泊まりで預けられたダンナの実家で1歳7か月になった。朝から迎えに行き、近所の公園で遊ばせてから、バスで15分の距離をベビーカーを押して一時間かけて歩いて帰る。「ママ、ママ」とわたしを指差すので、「たまはどこ?」と言うと、「ココ」と自分の鼻を指差した。自分が誰だかわかるようになったのだなあと成長を感じる。

午後は上野動物園へ、これまた一時間の散歩。陽気と心地よい振動に眠気を誘われたたまは、目が覚めると、こども動物園の真ん中。檻の柵を自由に出入りするヤギや鶏がまわりを行き交い、目をぱちくり。大きい子どもたちは動物のまわりに群がっていたけれど、たまは怖がって「バイバイ」を連発。

8か月のときに初めて上野動物園に来たときはまるで反応がなく、一歳を過ぎた昨年10月の二度目の来園時には動物を指差して反応するようになったが、三度目の今回は、ゾウを見て「ゾゾ」、ライオンを見て「ガオ」と動物の名前を呼んで興奮。ゴリラの前では胸をドンドン叩いてみせ、ペンギンの前ではペタペタと歩く物まね。絵本や歌に登場する動物たちが目の前の本物の動物たちとつながっている。うれしさが爆発したのか、歓声を上げ、両手を広げてぐるぐるとまわりだした。そんな娘を見たくて、親は長年離れていた動物園に再び通うことになるのである。入場料4回分に相当する年間パスポート2400円を購入した。

たまが動物への興味をいっそう募らせたのは、保育園の父母会から進級祝いにプレゼントした「ミッフィー・どうぶつランド」パズルの影響も大きい。今年クラス役員を務めたわたしが選んだのだけど、ここまで食いつくとは予想外。「ゾゾは?」と聞くと、ゾウのピースを持ってくる。大人が手を添えて一緒にはめるのだが、ピースがピタッとはまる瞬間が快感のよう。「マウマ」(しまうま)も「ガオ」(ライオン)も「アンヨ」もこのパズルで覚えた。楽天のジグソークラブというお店で買うと、25%オフの378円。これはお値打ち。

この一か月でふえたボキャブラリーは、ほかに「ボーシ」(帽子)、「バナニャ」(バナナ)、「ニョコ」(きのこ)など。好きなものの名前はすぐに覚える。

2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転
2002年03月22日(金)  遺志

<<<前の日記  次の日記>>>