2013年01月08日(火)  あなたの塩をいただいています(イランの挨拶)

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ (権中納言定家)

タイトルに惹かれ、今年最初に手に取った短編集『日本語の冒険』(阿刀田高)の中に、「塩」が登場する和歌が出てきて、年末に贈られた塩のことを思い出した。

友人の木村美砂さんが製作を手がけたドキュメンタリー映画『しおのかぞく』を一家で見に行った(>>>2011年11月20日(日) 映画『ひとにぎりの塩』とたこ焼き宴の「食」)のが縁で、わが家もすっかり能登の塩のファンになったのだけど、木村さんは、ご塩(縁)が高じて、楽天市場にしおのかぞくというお店を出すに至った。

年末にわが家で食事会を開いたときに、木村さんと、映画の宣伝をお手伝いした縁でそのまま「しおのかぞく」にも関わっている栗原さんにも声をかけたのだけど、そのときにお土産にいただいたのが「桜塩」と「中島菜塩」のセットだった。



「無農薬で米作りから酒造りを楽しむ会」で知り合った音楽家の小室ひろさんが買い求めて来た小川町の無農薬大豆で作ったざる豆腐にかけたら、完璧な組み合わせ。究極の豆腐と究極の塩、これぞ究極の贅沢と舌鼓を打った。

ぱらぱらっとふり入れてご飯を炊いてもよし、塩豚を仕込むのに使ってもよし、蒸し野菜の味つけにもよし。塩は長持ちするので、いいものを使うに限る。

この食事会には、イラン生まれ、生まれ育ちのS君もいて、「イランでは、お世話になっています、というのを『あなたの塩をいただいています』と言うんです」と教えてくれた。塩がとても貴重なものであることがうかがえる言い回し。子どもを褒めるのに「この子は塩っぽい」とも言うらしい。塩が足りているということが、幸せのバロメーターなのだ。

そういえば、salaryの語源も塩で、その昔は塩で給料が支払われたってことよね、などと塩談義もおいしくいただいた。塩には蘊蓄話が似合う。

話は戻って、藻塩の歌。年末にこの和歌をさっと頭から取り出せたら良かったな、と思いながらページをめくったのだった。権中納言定家は藤原定家のこと。

2012年01月08日(日)  檀上尚亮展→ミヤケマイ展
2011年01月08日(土)  雑煮がお正月を運んで来る
2010年01月08日(金)  上杉祥三さん作・演出『アセンション2012』
2008年01月08日(火)  整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです編
2007年01月08日(月)  マタニティオレンジ55 ランドセルの紳士
2006年01月08日(日)  『ブレスト〜女子高生、10億円の賭け!』放送
2003年01月08日(水)  ベトナム料理
2002年01月08日(火)  Georg Jensen


2013年01月07日(月)  「80代はあの世とこの世に股をかけている感覚」の高田氏

今井雅子ファン最高齢、昭和ひとケタ生まれの高田氏が亡くなった。

高田氏とは、どういう人物であったか。
絵本『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』にならって、誰かが亡くなると、その方がのこしてくれたものを数えるようにしている。

放送文化基金のパーティで知りあった余語先生の幼なじみとして紹介された高田氏から受け取ったものは、両手の指では足りないけれど、「老いとのつきあい方」に集約される。

高田氏の奥様が家を空けると、余語先生や同年輩の友人たちと集まった(2004年10月02日(土)「平均年齢66-1才」若返りの会)。

「家内がニュウヨークへ行きますので、その間に又パアテイしようと思いますが如何でしょうか。若し遊びにおいで頂けるようでしたらハッピイです」
こんな招待状が届き、出前の釜飯をいただきながら昼下がりをおしゃべりで過ごすと、
「お陰様で1歳ほど若返りました、何故か解りませんが今井さんと話しをすると若返る様です、多分人助けのオオロラ?が放射されているのかも知れません(この歳で1歳はたいへんなのです)」
とお茶目なお礼状が届いた。

この集まりは、後に「洗濯の会」と名づけられた。恐妻家の高田氏をからかって、鬼の居ぬ間に何とやらをもじった名前だった。

2006年の8月に、わたしの娘のたまが生まれると、秋に余語先生と会いに来てくれた。そのときの印象を「小生はただ物珍らしそうにイエス様とお合いした様な気持ちで赤ちゃんを眺めるのみ」と振り返り、「次にお目にかかる時はこのスクスク組とシワシワ組のかわりように驚き世の諸行無常を嘆くことを必ずと覚悟致しております」と手紙を寄越してくれた。

出会った頃から年を経るごとに、高田氏にとっては「死」は身近なものになった。風邪を引いてなかなか治らなかったときの心境を「お棺の中で寝ている様」と綴り、体調が回復したのでまた新たな絵の制作に取りかかろうと思っているが、「『とし』ですので、まあ子ぎつねへレンがミルクをのむ様な気持で自然に自分が楽しめれば」と語った。洗濯の会への招待状でも、「気楽なパーティであの世行き乗客専用車にまぎれ込んだ面白味もあるかもしれません」と冗談にしていた(2007年05月28日(月) 高田さんからの招待状)。

2008年春、80を超えた高田氏と余語先生と一緒に植物園で一日を過ごした(2008年05月03日(土) 80BOYS AND BABYの会)ときは、今までになく老い語録が飛び出した。「70代と80代では感覚ががらりと変わる」のだそうで、80を超えて、思うところがあったのかもしれない。

「80過ぎた者に、元気ですかなんて聞いちゃあいけませんよ。どこかしらガタが来てますから。生きてるだけで大変なことなんです。故障しているのがわかっている車に走れますかと聞くようなものです」

では、なんと聞けばいいのでしょう?

「調子はいかがですか、と聞かれたら、なんとか生きてますと答えます。でも、そうすると、お元気そうで、なんて言われるんですよねえ。そろそろお迎えが来そうですなんて言うと、いやいやまだまだなんて言われるんですけど、そこで話が終わっちゃうんです」



では、どう反応すればいいのでしょう?

「いつ頃来るんですか、どうやって来るんですかって聞いてもらえたら、話が続くんですけどねえ」

2009年の年の暮れ、余語先生の家で集まったとき(2009年12月30日(水) 「162歳コンビの会」と「40にしてマドワーズの会」
)は、「生き長らえたとして、せいぜいあと10年」とおっしゃっていた。2012年の暮れになくなったので、実際は、10年よりもずっと短かった。でも、出会った頃も同じことを聞いた気がするので、ずいぶん長い間、死というものをそばに置いて見つめていたのだろう。

「最大あと10年」の遺された時間を使って絵を描くために、高田氏は額縁を大量に購入していた。その数、三百枚! そんなに描けるんですかとわたしは驚いたが、額縁を買うことで、自分を追い込む目的もあったようだ。それを聞いて、お茶目な余語先生は「まさに、がくっぶち人生」とからかっていた。

三百枚の額縁は、どうなったのか。
何枚ほど、絵が埋まっただろうか。

朝起きて、今日はこの世かあの世かと確かめるところから一日が始まる、と話されていた高田氏。階下から奥様に朝食の支度ができたと告げられ、今行くと二階から返事をしたけれど、そのまま姿を表さなかったらしいと余後先生が知らせてくれた。「80代はあの世とこの世に股をかけている感覚」なのだと話されていたが、重心の位置をすっとずらすように、あの世側へ移動してしまったのだろう。

高田氏に会うと、いつも奥様の話になった。愛の反対は無関心のルールをあてはめると、留守の間も奥様が気になってしょうがない高田氏は、愛妻家だったことになる。その奥様と最後にいつもの何気ない会話を交わせたことも、微笑ましく思える。

出会った頃から「そう長くはないでしょうから」と飄々と語っておられた高田氏。そうは言いつつ長生きされる気もしていたけれど、来るべき日は来てしまった。わたしは、まだまだ高田氏のように、死を身近に受け入れる心境にはなれないけれど、老いるという境地について、実に具体的で生々しい感覚をたくさん教えてもらった。

高田氏は、わたしの作品を「迷い人救出作戦的物語」と呼んでくれた。便箋何枚にもわたって、戦争を繰り返してはならないという想いを綴ってくれた。あと数年早く生まれていたら戦争に取られ、あと数年遅く生まれていたら戦争を知らなかった自分たちの世代こそが戦争を語り継ぐべきだ、と語っていた。いつか今井雅子作品に取り入れてもらえたらという願いを受け止めつつも、いまだ戦争に真正面から取り組めてはいない。でも、わたしが書くとしたら、戦争が終わった頃に青春が始まり、高度成長とともに戦争が遠い過去になって行く日本を憂う、高田氏のような人のことかもしれない。

2012年01月07日(土)  東京ドームのローラースケート
2011年01月07日(金)  今日新宿で再会することになっていた
2010年01月07日(木)  秋からの朝ドラ「てっぱん」に参加します
2008年01月07日(月)  両親元気で留守がいい
2007年01月07日(日)  蓬莱の豚まん 日本一世界一551
2002年01月07日(月)  カレーライフ


2013年01月06日(日)  手紙のお年玉

「ぱぱとままに、てがみのおとしだま、あげるね」と元旦から言われていて、ようやく受け取った。



 ままはがんばったから いちおくえん
 ぱぱもがんばったから おくえんだよ
 これが てがみのおとしだまだよ
 ままもぱぱも よくがんばりました
 いつまでもだいすき ずっとだいすき
 ままぱぱだいすき
 たまより


「ぱぱはおくえんだけど、ままはいちおくえんだからね」と言っているので、「一億円は億円より一つ上の値打ちがある」と思っている様子。親にとっては、値段をつけられないプライスレスなお年玉。

一億円あれば何が買えるのか、何ができるのか、6歳児にはピンと来ないだろうけれど、「億=いっぱい」のノリで、最近やたらと使いたがる。保育園で仕入れたのか、「ガイ」という単位も口にする。億、兆、京、垓の「垓」だ。

億よりは小さいけれど、「万」も大好き。「ぶんきょうくって、なんにんいるの? まんいるの?」などと使いたがる。

そう言えば、先日バスに乗っていたら「満七十歳以上の方は……」というアナウンスが流れ、「まんななじゅっさい! まんって、カメトメよりもながいきじゃん!」と大声で驚いていた。『おじゃる丸』に登場するカメ姉妹の亀田カメは1111歳、亀田トメは1112歳。千の上は万だとわかっているので、カメトメより長生きだと驚いたわけだが(ちなみにスぺシャル『銀河がマロを呼んでいる』に登場する、カメトメそっくりなカメ姉妹の亀頼みカメは11111歳、亀頼みトメは11112歳なので万年生きてることになる)、「満七十歳の満は、まるまる七十歳ってことよ」と説明して落ち着かせた。

そして、親子漫才のてっぱんネタ。
「うちの子、すごいんですよ。5ケタの足し算ができるんです。たまちゃん、1+5+万+十は?」
「いちごまんじゅう!」

2012年01月06日(金)  2012年はカフェめぐりと読書
2011年01月06日(木)  【届かなかったラヴレター2011】募集開始
2010年01月06日(水)  twitterの面白さは、餅シチューの冷めない距離感。
2008年01月06日(日)  インフルエンザか?の発熱
2007年01月06日(土)  マタニティオレンジ54 いとこ対面
2004年01月06日(火)  引っ越したお隣さんと舞い込んだ鳥
2002年01月06日(日)  非戦


2013年01月04日(金)  こねこね、はーとのはんばーぐ。

「お正月食べ過ぎたねえ」
「夕飯はあっさりしたものがいいね」
と話すわたしとだんなをよそに
「はんばーぐ!」とたま。

だったら手作りしよう、
それならハート形にしようとなり、
張り切ってこねこねしたり、
型抜きしたり。



焼き上がったハンバーグを写真に撮ろうとしたら
「たまちゃん、はーとつくっていい?」と指でハートを。
こういう発想は子どもらしいなあ。

2012年01月04日(水)  あけまして「きいちのぬりえ」
2011年01月04日(火)  動物園→茶屋→遊園地→飯店18008歩
2010年01月04日(月)  一日8000歩は早くも挫折で今日は0歩
2008年01月04日(金)  マタニティオレンジ217 三枚目路線
2007年01月04日(木)  マタニティオレンジ53 二世代同窓会
2005年01月04日(火)  英国旅行9日目 ティーとブラッセリーと中華とショコラ
2004年01月04日(日)  じゅうたんの花の物語
2002年01月04日(金)  ひだまりでウェイクアップネッド


2013年01月02日(水)  たまくじ2013

去年たま語ファンに好評だった「たまくじ」を今年もやろうとネタ集めをしていたら、一年の間に言うことがすっかりまともになっていた。

USERさんの【あまえうん】。ことし たまちゃんは ままに いっぱい あまえます。あなたも いっぱい ままに あまえてね。

USERさんの【おかしうん】。ことしは おかしの くにに なります。えれべーたーも ちょこれーとなので たべられます。

USERさんの【りょこううん】。ことしは はわいに いって じゅーすを いっぱい のめます。ちぇりーの じゅーすです。

USERさんの【いいひとうん】。ことしの いいひとは ままです。それから じいじです。

USERさんの【てれびうん】。ことしの てれびは まよなかの ぱんやさんを みます。ぜったい おきてます。

USERさんの【おしごとうん】。ことしの おしごとは ばれえの せんせいです。ふざけてても こらっと いいません。

USERさんの【ひっこしうん】。ことし ひっこすと えれべーたーのある おれんじいろの いえに なります。

USERさんの【おとしものうん】。ことしは ままを ぜったいに おとさないようにします。

USERさんの【おしゃれうん】。ことしは ぴんくが かわいいです。おれんじと まざった ぴんくおれんじです。

USERさんの【てすとうん】。ことし ひゃくてんが とれる おまじないは  しょうがっこうへ いけるるるん です。

USERさんの【おてんきうん】。ことしは ぽかぽかと きもちのいい はるです。

USERさんの【おじゃるうん】。ことしも こすぷれおじゃるの おじゃくまは かわいいです。

USERさんの【かみがたうん】。ことしは ながくして くるんくるんにして うさぎちゃんむすびが かわいいです。

USERさんの【けんかうん】。ことしは けんかは しません。

USERさんの【あそびうん】。ことしは らきゅで おはなを つくれます。
らきゅは ぶろっくぱずるのことです。


一年前は、もっとぶっとんでいたのだけど、大人の階段を着実に昇ってしまっているらしい。「もう少し面白いのない?」と要求したら「ことしのたまくじは、なくなったもようです」と言われてしまった。淋しいけれど、これも成長の証か。いつまでも不思議の国のふわふわちゃんではいられない。

そういうわけで、今年のより面白い去年のたまくじをどうぞ→ たまくじ2012



2012年01月02日(月)  おみくじ代わりに「たまくじ」を
2011年01月02日(日)  2011年の目標「次の放電にそなえて充電」
2010年01月02日(土)  新年初映画『カールじいさんと空飛ぶ家』
2009年01月02日(金)  2009年の目標「時間を守る」「子守話百話」
2008年01月02日(水)  ベイビー・ジェーン・キャシャレル目当てでバーゲンへ
2007年01月02日(火)  新年の掘り出し物『クリスマスの笑顔』
2005年01月02日(日)  英国旅行7日目 生家と古城とリモニー・スニケット
2004年01月02日(金)  金持ちよりも人持ち
2002年01月02日(水)  パワーの源


2013年01月01日(火)  古典に親しむ

我に許せ元日なれば朝寝坊 (漱石)

朝寝坊は、正月だからというわけではなく、今年は娘のたまが小学校に上がるので、例年よりは早起きを心がけねばなるまい。が、元旦ぐらいは、ゆっくりと始める。

正月飾りも、年が明けてから。紅白の飾り餅(ハポウスチロールらしきものでできている)つき枝(針金)が1本157円×2本。松の造花が1本257円×2本。材料費800円ちょっとと安上がり。テープで束ねて壁にペタッと。テープはクリスマスを引きずっているけど、意外と和洋折衷がいい感じ。



なんとなく、いつもの年のように観ていた紅白で、MISIAさんの言葉が印象に残った。「相手の文化を知ることは、自分の文化を知ること」といったことを雄大なアフリカの砂漠を背景によく通る説得力のある声で語られていて、来年はもっとパノラマな視点で自分を見つめる年にしたいなと思った。

一昨年からのんびりと学んでいる中国語で、使い慣れた漢字や故事の成り立ちを知るたびに、「まあ、おなじみのあの方に、そんな一面が」的な驚きと知的興奮を味わっている。外国語を知ることは日本語を再発見することで、とくに中国語は、その楽しみを秘めている。

歴史を学ぶことも、自分が生きている今の輪郭をよりはっきりさせてくれる。昨年は、時代ものについて調べたり書いたりする機会があり、いつになく古典に親しんだ年だった。堺親善大使を拝命したことで、故郷堺の歴史にも今一度目を向けることになった。

今の文明も、文化も、生活も、わたしも、突然現れたものではなく、いにしえからの連なりの中に存在している。巳年らしく、そんな悠久の時の流れに想いを馳せるのもいいかもしれない。

2012年01月01日(日)  2012年は年賀状にならって!?
2011年01月01日(土)  お豆もつまめる4年目のおせち
2010年01月01日(金)  2010年の目標は「子守話150話」と「一日8000歩」
2009年01月01日(木)  謹賀新年2009
2008年01月01日(火)  マタニティオレンジ215 おせちの食べっぷりに成長を感じる
2007年01月01日(月)  マタニティオレンジ51 赤ちゃんのいるお正月
2006年01月01日(日)  いいことありそな初日の出
2005年01月01日(土)  英国旅行6日目 嵐とプリンと美女と野獣
2003年01月01日(水)  2003年の初仕事
2002年01月01日(火)  幸先
1999年01月01日(金)  テスト


2012年12月31日(月)  2012年から2013年へ

2012年、脚本家・今井雅子の作品や活動を応援してくださった方々ありがとうございます。再放送を含めて、作品をお届けする機会に恵まれた一年でした。



おじゃる丸スペシャル「銀河がマロを呼んでいる〜ふたりのねがい星」は3月の放送の後、7月と11月に再放送され、6月にDVDが、9月にノベライズ本『おじゃる丸 銀河がマロを呼んでいる/おじゃ休さん』(学研)が発売されました。

このスペシャルが縁で、レギュラー放送のおじゃる丸の脚本チームに加わることになり、10/25放送の「タナカ油を売る」でデビューしました。2013年はまとまった数のエピソードを放送できそうです。

2011年秋に放送されたNHKよる★ドラ第1弾「ビターシュガー」は2012年春に再放送され、6月にDVDが発売されました。

秋に放送されたNHKプレミアムドラマ「そこをなんとか」全9話の脚本を横田理恵さんと書きました。公式サイトのコラム「脚本家の証言」も書いています。

ドラマをご覧になった方は掲示板に感想を書き込んでいただけるとうれしいです。

2009年の「友子とモコ」ぶりのラジオドラマ、NHK FMシアター「金魚鉢の教室」は、3年ほどあたためていた題材のオリジナル脚本で、5月に放送されました。はじめての文化庁芸術祭参加作品となり、10月に再放送されました。

そして、現在制作中の「大人女子アニメ」シリーズ第2弾のうちの一本「どこかではないここ」を3月に放送できる予定です。もう1本、脚本開発中の単発ドラマも近々発表できる見通しです(2013/1/15情報解禁 岐阜発NHKドラマ「父の花、咲く春」春に放送予定)。

映画も何本か企画を進めています。

出版でも実りの多い一年でした。同郷の堺泉北会がきっかけで生まれた絵本『わにのだんす』は、島袋千栄さんのカラフルな絵でパワーアップし、5月に発売、8月には朝ドラ「つばさ」の舞台川越でサイン会を開かせていただきました。

2011年夏からNHKオンラインで連載した小説「ルミチカ」は、9月にほるぷ出版より発売されました。1年で3冊の本を出せたことになります。


「伝力」不足解消のための脚本教室にも力を入れた一年でした。母校・堺市立三原台中学校での2日にわたる脚本教室が縁で、秋に有志の先生方向けに「石ころを宝石に」と題して脚本教室を開き、そこから「石ころの会」が生まれました。来年も石ころの会で勉強会を続けていけたらと思います。

母校・三国丘高校でのセミナーも去年に続けて行いました。同窓会総会でも講演させていただき、12月の大阪での十日会講演につながりました。

シナリオ作家協会のシナリオ講座では、4月から9月まで基礎科昼間部を10月からは研修科夜間部を担当しています。

脚本を書く楽しさ、アイデアを出し合ってつなげる醍醐味を、2013年も広めていきたいと思います。とくに学校での講演、脚本教室に力を入れていきます。


ふるさと堺の魅力を発信する堺親善大使も秋から務めています。任期は二年なので、来年も引き続き堺のいいものやいいところを紹介していきたいと思います。

2013年の脚本家・今井雅子もあたたかく見守り、面白がっていただけるとうれしいです。

2010年12月31日(金)  紅白・ゆくとしくるとし×てっぱん
2009年12月31日(木)  子守話百話できて、すっきり年越し。
2008年12月31日(水)  山手線ゲームで笑い納め
2007年12月31日(月)  年越しモンブラン
2006年12月31日(日)  年越し番組の収穫
2005年12月31日(土)  大阪一高い山・金剛山で年越し
2004年12月31日(金)  英国旅行5日目 ロイズとパブと年越し
2003年12月31日(水)  年賀状でペンだこ
2002年12月31日(火)  大掃除に救世主あらわる
2001年12月31日(月)  祈り
2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2012年12月30日(日)  「見つけ上手」が見つけた文字盤のない時計

壁と一体化した時計がほしくて「文字盤のない時計」で検索したら、とてもわたし好みのものを発見。

掛け時計 サテライトクロック【smtb-KD】

掛け時計 サテライトクロック【smtb-KD】
価格:7,980円(税込、送料込)


メープルやチークやクルミなど12種類の天然木の球が数字代わり。球が衛星みたいだから「サテライトクロック」らしい。

届いたとき、あまりに箱が小さくて、「え、この中に?」と驚いた。シンプルでコンパクトな包装にも好感。写真で見るよりも、さらにナチュラルな木の色にも感激。


ガイドの紙の上から画鋲(球そのものがピンになっているのだけど、万が一に備えて、別の画鋲を使った)で印をつけてから、紙をどけて、そこに木の球を差していくだけ。何時のところに何色の木を配置するかも、気の向くまま。

中央の針の根元部分は、自分で用意した木ねじで留める。木のねじってなんだ?と検索したら、先っぽがぐるぐるになっているねじのこと。家にあった適当なもので間に合った。

ガイドの紙を使ったけれど、壁の固いところは微妙によけたりしたので、きっちり正確に30度ずつにはなってない。それもまた味。


リビングに入ると正面に見えるので、来客が「わあ、何これ?」と近づいて見上げる。

「これ、どうなってるの?」
「どうやって留めてるの?」
「位置はどうやって測ったの?」
などと聞かれ、
「うちも、同じの買っていい?」
と言われる。

引越祝いや結婚祝いにもいいよね。でも賃貸だと壁に穴開けられないかな、などと、この時計の話題でテーブルが温まる。

facebookで紹介したら、お仕事で木工クラフトを手がけられている方から「見つけ上手ですね」とコメントを頂いた。

「見つけ上手」って、いい言葉。

「作り手側だけではなくお買い求め頂く皆さんがそこに自分ならではのイメージを更にプラスできるこう言う作品はこれから支持されて行くのではないでしょうか」と同じ方のコメント。

そう、きっちり作り込まれた作品よりも、使い手の手が加わって完成するような作品に惹かれる。イサムノグチが荒削りのすべり台を納品して「子どもたちのおしりが完成させる」と言ったエピソードが好きで、コンクール公募時代に「制服のシンデレラ」というラジオドラマで引用したことがあった。

好きなものがはっきりしているから、アンテナに引っかかりやすいのかもしれない。

「傘と心は、開いたときが、いちばん役に立つ」

来年も、心の傘を開いて、ときめくものや出来事を上手につかまえられますように。

2010年12月30日(木)  2時に起きて仕事するがたま3時に起きる
2009年12月30日(水)  「162歳コンビの会」と「40にしてマドワーズの会」
2007年12月30日(日)  マタニティオレンジ214 自分の過去を愛する・未来を愛する
2004年12月30日(木)  英国旅行4日目 動物園と再会と中華
2001年12月30日(日)  アナログ


2012年12月29日(土)  「中濃」のおかしみを伝える表現力

昨夜は、つるつる忘年会。

「まめさんテレビ」や「メデコミ会」を手がける自己演出プロデューサーで同郷の鶴野充茂さん(ツイッターは@mame3)と、講演セミナーに引っ張りだこの「伝説のホテル」の起業家・鶴岡秀子さんの「つるつるコンビ」に今年も声をかけてもらった。

新聞でインタビュー記事を読んで一方的に存じ上げていた鶴ちゃんを、去年の忘年会で鶴野さんから紹介されて、はや一年。去年もいたメンバーは、鼻歌からも作曲できる万能音楽家の尾飛良幸さんと、わたし。他に、「広報会議」編集長の上条慎さん、おとりよせネットなどグルメ系サイトをいくつも手がける粟飯原理咲さん、バツグンのコンペ勝率を誇るデザイン会社メルクマールの森田智子さん、と会場の中華料理屋のメニューに負けない多彩な顔ぶれ。

そして、もう一人、先日の東京泉北会でわたしと鶴野さんが出会ったばかりの「大阪府」と呼ばれる男性がいた。

「大阪府」氏は、大阪府の職員で、4月から東京に赴任しているらしい。泉北会の締めのときに姿が見えず(トイレで順番を待っていたと本人談)、「大阪府どこ行ったんや?」「大阪府どないなってるんや?」となり、以来、本名ではなく「大阪府」と呼ばれることになった。

泉北会ではあまり話せなかったのだけど、この「大阪府」氏が、かなり面白い人であることが、昨夜飲んで、わかった。

いちばん笑わせてもらったのが、「中濃」。

「スーパーの棚にね、『中濃』、いうソースがあったんですわ。中濃? なんやねん、君は? なんで、中濃やねん? せやかて、中濃やで? 中濃、て……」

他の人が言うとなんてことのない話なのに、「中濃」という単語が「大阪府」氏の口から飛び出すたびに、テーブルは爆笑。他の話題に移っても、思い出したように「中濃……」で、また笑かされる。果ては「大阪府、知事狙ってんの?」「出馬するとしたら、中濃左派?」という冗談も飛び出し、腹筋がひきつるほど何度も笑うことになった。

一夜明けても「中濃最高〜!」と出席者の間でメールが飛び交っているが、この「中道」のおかしみを、その場にいなかった人に伝えるのはとても難しい。

お酒の勢いもあるし、笑い上戸ぞろいのメンバーという場の力もある。率先して大声で笑う鶴ちゃんにつられて、というのも、もちろんある。

それにしても、なぜあんなに笑えたのか。「大阪府」が「中濃」と口にするときの、間の取り方、声のトーン、表情……それらの絶妙なブレンドのなせるワザか。

慣れ親しんだ大阪のスーパーでは見かけない「中濃」を目にしたときの驚きと戸惑い。日常に潜む未知との遭遇。これは何ぞとまわりに聞ける人もおらず、おそるおそる「中濃」に話しかける、淋しく頼りない中年男の哀愁。もっと知りたい、でも「大阪府」としてはそう簡単には魂を売れないという葛藤。「中濃」のたった二文字に、そこまで心揺れてしまう自分に、ますます動揺を隠せない。

まさにソースのような渾然一体となったおかしみ成分を、鮮度そのまま言葉に置き換えることができない。

「中濃」のおかしみを伝えられる表現力を、来年は身につけたいと思う。

2010年12月29日(水)  娘の平手打ち!
2009年12月29日(火)  2009年カレー納めと映画納め
2007年12月29日(土)  2007年仕事納め
2006年12月29日(金)  マタニティオレンジ50 乳を食む吾子の頬撫で木の葉髪
2004年12月29日(水)  英国旅行3日目 巨岩と村と怪人
2003年12月29日(月)  そんなのあり!? クイズの答え


2012年12月28日(金)  本を返しに。大島亜佐子さん

「借りた本を今年中に返したいんだけど」
広告会社時代の先輩で友人の大島亜佐子さんにそう言われて、わたしも、大島さんに本を借りてたことを思い出す。

借りたものを、年をまたぐ前に、返す。

こういう当たり前のことを当たり前にできるのって美しいなと思う。いい加減なわたしは、何年も年越しさせた挙げ句持ち主と連絡がつかなくなってしまったものもあるのだけど。

そして、仕事納めの今日、大島さんが、わが家にやって来た。
わたしから借りた本と、おいしいパンを携えて。



お茶の時間だったのだけど、お昼を食べていなかったわたしは、次のパン次のパンと手がのびて、またたく間に平らげてしまった。その空腹を抜きにしても、香ばしくてやさしい甘さのパンたちだった。

パンとコーヒーをおともに、大島さんとこの一年を振り返った。

去年の年始、尋常小学校の教科書に載っていたという古い詩に出会って、「これをみんなのうたにするんだ!」とコネもアテもなく誓った大島さんは、NHKに売り込みをかけて企画を通し、補作詞と映像を手がけて、その年の秋に『ウメボシジンセイ』という歌を「みんなのうた」にしてしまった。

ウメボシジンセイはアプリになったり、視聴者リクエストで再放送されたりした。この仕事が縁で、大島さんは、みんなのうたのスペシャル番組のオープニング映像を手がけたりした。

これを形にしたい、と思ったら、そのために何をしなきゃいけないのか、調べて、すぐに行動する。

舞い込んだ仕事をこなすことに慣れてしまっているわたしは、大島さんの前のめりな姿勢を見て、自分が受け身になっていることに気づかされた。

そんな大島さんは、2012年も、よく動いた。

コンペ形式のアートコンクールで予選を勝ち抜き、決戦で2位に選ばれ、来年は個展を開かせてもらえるらしい。デザインを手がけているプティット・アフリケーヌのアートな雑貨といい、布や糸に表情豊かに語らせる作品たちは、どれもチャーミングで、手をかけたぬくもりがあって、出会った人をどんどん虜にしていく。


近いうちに、大島さんから売り込まなくても、向こうから、会ってください、もっと作品を見せてくださいって言われるようになるだろう。

それでも、大島さんは、できあがった道を歩くんじゃなくて、こっちに行くんだと自分の旗を掲げて、道を切り開いていく気がする。

その背中に、来年も、刺激をもらおう。

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