2009年06月26日(金)  江ノ島の大道芸人「のぢぞう」さん

遺伝というものがどの程度あてになるのかわからないけれど、娘のたまを見ていて「わたしの子だなあ」と感じるのは、「芸好き」なところ。マジックや大道芸を見るのがわたしはとにかく好きで、出先のデパートや路上で遭遇すると予定を大幅に変更して見入ってしまう。「愛・地球博」でもいちばん心惹かれたのはそこかしこで繰り広げられていた大道芸だった。その趣向を引き継いだのか、たまは素人手品に歓喜し、シルク・ドゥ・ソレイユに身を乗り出し、わたしはその場にいなかったけれど、猿回しを見たときには異様な興奮ぶりだったという。

先日江ノ島へ遊びに行ったとき、わたしが条件反射的に大道芸に足を止め、ダンナに肩車されたたまがまばたきを忘れたかのように釘づけになり、そのまま最後まで見ることになった。「のぢぞう(野地蔵)」さんという大道芸人で、最初はパントマイム風のパフォーマンスをされていたが、夕方で観客がまばらだったことから、例外的という口調で「しゃべります」と宣言し、トークを交え出した。最初は風船で動物等を作る芸で、見始めてすぐに、目が合って、かもめをいただいた。それから大きな糸巻きのようなコマを空中に上げる芸や、空中の定位置を動かないトランクを引っ張るパントマイム芸があり、観客のカップルをアシスタント役に巻き込んでのジャグリング芸。このカップルに贈った「ハートの止まり木に止まった二羽のキスバード」の風船がとてもかわいかった。

印象に残ったのは、最後の催眠術。観客から引っ張ってこられた若い男性4人が「催眠術」にかかって、「背もたれ90度倒し空気椅子」の状態で静止する。バランス力学的にこんなことが可能なのか、とこちらは瞠目した。間の取り方が絶妙で、何ともいえない味があるのぢぞうさん。気になって調べてみると、江ノ島の方で、横浜大道芸倶楽部というアマチュアサークルの事務局長さんとのこと。

大道芸といえば、20年ほど前に旅行先のニューオーリンズで見た光景が忘れられない。観客から募ったボランティア13人を地面に這いつくばるお祈りのポーズで並べ、何が始まるのかと思ったら、黒人の男の子が助走をつけて、その上を前方宙返りで飛び越えてしまった。走り幅跳びでも驚く距離を前宙で! あまりのことにしばし呆然、その後で拍手喝采。相撲でいえば座布団を投げたくなる気分でドル札を帽子に放り込んだ。

さて、のぢぞうさんにもらった風船のかもめをたまはすっかり気に入り、わらしべ長者の少年よろしくぶんぶん振り回して江ノ島を後にしたのだが、そのとき大声で歌っていたのが、「とんぼのめがね」。たまは、かもめではなくとんぼだと思った様子。というわけで、今夜の子守話は、「かもめかもね」のお話。風船は日に日に張りを失い、やがてすっかりしぼんで、かもめに見えなくなってしまった。風船がしぼむのは物悲しいけれど、生き物の形をしていると、なおさら哀愁を感じる。

子守話83「かもめかもね」

だいどうげいにんの おにいさんが たまちゃんに
みずいろの ふうせんで つくった とりを くれました。
「これは かもめよ」とママは いいましたが
たまちゃんは かもめを しりません。
「みずいろだから とんぼさんだ」
たまちゃんは そういって 
とんぼのめがねの うたを うたいだしました。
「とんぼの めがねは みずいろめがね
 あおい おそらを とんだから とんだから」
みずいろの ふうせんは
「とんぼかもね。でも、かもめかもね」と
こまった かおを しながら 
たまちゃんに ぶんぶん ふりまわされて
そらを とんでいました。

そのひから まいにち たまちゃんは
みずいろの ふうせんと あそびました。
おさんぽも おかいものも いっしょに でかけます。
「とんぼさん とんぼさん」と たまちゃんが よぶたびに
「かもめかもね」と みずいろの ふうせんは こたえました。

ふうせんの なかの くうきが すこしずつ ぬけて
みずいろの ふうせんは しょんぼりして いきました。
たまちゃんが ぶんぶん ふりまわしても
もう そらを とびまわる げんきは ありません。

あるひ ママが ずかんの ページを ひらいて いいました。
「たまちゃん これが かもめよ。
 ほら ふうせんの とりさんに よくにているでしょう」
たまちゃんは やっと みずいろの ふうせんが
とんぼじゃなくて かもめだと わかりました。
そして 「かもめさん かもめさん」と はじめて
ほんとうの なまえで よびかけました。
でも ふうせんは すっかり くうきが ぬけて
ぺしゃんこになって ゆかに ひっついていました。
「かもめかもね」とは いってくれませんでした。

2008年06月26日(木)  知らなかった、大坂夏の陣『戦国のゲルニカ』 
2007年06月26日(火)  マタニティオレンジ136 サロン井戸端
2004年06月26日(土)  映画『マチコのかたち』


2009年06月25日(木)  眞木準さんのコピーが大好きだった

朝刊でコピーライターの眞木準さんが亡くなったと知る。享年60才。まず名前の活字が目に飛び込んだが、まさか訃報記事だとは思わなかった。

コピーライターとして広告会社に入社したものの、コピーのことを何もわかっていなかった頃、TCC(東京コピーライターズクラブ)のコピー年鑑や月刊誌のコマーシャルフォトや宣伝会議に載っているコピーを片っ端から読んで、いいコピーとはどういうものかを研究した。「これ好き」と思ったコピーが、かなりの確率で眞木準さんの書いたものだった。「わたしは、この人のコピーが好きだ」と学習するまでに時間はかからなかった。その好みは、コピーライターの経験を積んでからも変わらなかった。

いちばん好きだったのは「恋が着せ、愛が脱がせる」という伊勢丹のコピー。恋愛とファッションの関係をこんなに的確に、そして美しく、品よく、さらには伊勢丹というブランドらしさも匂わせて、短く鋭いコピーに閉じ込めてしまった。この一行で、いろんな恋を思い出したり、思いめぐらせたりしてしまう。そんなチカラを秘めたすごいコピーだった。

TCCコピー年鑑の記念号で、会員が「自分の書いたいちばん好きなコピー」を挙げる特集があって、眞木さん本人は何を選んだかと注目したら、「夏野(娘の名前)」と書かれていたように記憶している。その年鑑が手元にないので確かめられないけれど、わたしの記憶が正しければ、出産どころか結婚もしていなかったその当時は、マイベストコピーに娘の名前を選ぶということが変化球のように感じられた。でも、今は、むしろ素直で素敵だと思える。お話しして、人柄に触れてみたかった。

「お話しして」と書いてみて思い出したのだけど、眞木さんとお話しする機会が一度あった。宣伝会議賞というコピーのコンテストで入賞したとき、その授賞パーティにいらしていて、名前を呼べば振り返るようなすぐ近くに憧れのその人がいた。審査員の一人だったのだろうか。会場で出会った他の受賞者に「眞木さんのファンなんだけど、声かけようかな、どうしよう」と相談し、「迷ってないで、声かければいいじゃない」と背中を押されたことは覚えているのに、声をかけたのか、かけなかったのか、結果が記憶から抜け落ちている。おじけづいて逃げたのかもしれないし、言葉を交わしたとしたら、舞い上がって、頭の中がマッシロになったのだろう。

コピーライターから脚本家という道に進んでしまったけれど、眞木準さんの書くコピーから受けた刺激は、今脚本を書く上でも活きていると思う。言葉を面白がる、それが、言葉を面白くする。そんなことを片想いの師匠に教わった。感謝を込めて、合掌。

2008年06月25日(水)  整骨院のウキちゃん7 赤道ぐらい知ってますよ編
2007年06月25日(月)  割に合わない仕事
2005年06月25日(土)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学最終日
2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)
2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2009年06月24日(水)  江ノ島の思い出「たまえのしまをゆく」

少し前に友人セピー君とわが家で江ノ島へ遊びに行ったときにセピー君が一眼レフで撮った写真が、CDに焼いて送られてきた。CDのタイトルが「たまえのしまをゆく」というのがチャーミング。写真を再生しながら楽しかった初夏の半日を懐かしく振り返った。

まずは江の電長谷駅近くのDAY'sというカフェで腹ごしらえ(このバーガーの写真はわたしが撮ったもの。ボリューム満点!)。子連れにも感じが良く、対応も慣れていて助かった。



セピー邸へ向かう途中の海で、娘のたまは野生に帰り、大はしゃぎ。おむつまでびしょびしょになりながら波とたわむれ、波打ち際の海草を見て「おばけー!」と逃げ回っていた。絵本『うみべのハリー』でハリーが海草をかぶった姿をみんなが「おばけ」と言う場面があるけれど、それを覚えていたのかも。セピー君の写真がきれいなので、大きめサイズで。

成就寺で紫陽花を見てから、江の電で江ノ島へ。モーターボートに乗った後、エスカー(有料エスカレーター)を乗り継いで山頂へ。道すがら、「じゃこさつまあげ」「じゃこアイス」「じゃこお好み焼き」「じゃこ餃子」などじゃこ尽くしの誘惑のなか、「じゃこコロッケ」を食べる。


最近整備されたという山頂は花いっぱいで楽園のよう。わたしが「ここでお茶したい!」と一目惚れしたロンカフェ(LON CAFE)というフレンチトースト専門店は一時間待ち。名前を告げて、展望台へ。ここでもたまは再び野生に帰り、ぐるぐると走り回り続ける。待望のロンカフェは期待に違わぬ雰囲気と味で大満足。時間が止まったような、いつまでも佇んでいたい気持ちのいいお店だった。

山頂から帰るときに、「のぢぞう」さんという大道芸人のパフォーマンスをやっていて、くぎづけになってしまった。この話は、また日をあらためて。

2008年06月24日(火)  カレーとコーヒーとチョコレート
2007年06月24日(日)  マタニティオレンジ135 うっかりケーキでたま10/12才
2005年06月24日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学7日目
2004年06月24日(木)  東京ディズニーランド『バズ・ライトイヤー夏の大作戦』
2000年06月24日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)


2009年06月23日(火)  人脈が金脈を呼ぶ魔女田式錬金術

朝ドラ「つばさ」の案内メールの返信で、「女が作る映画誌」シネマジャーナルの景山咲子さんからひさしぶりに連絡をいただいた。映画『風の絨毯』の公開のときにプロデューサーの益田祐美子さんに紹介されて、もう5年経つ(>>>2003年5月18日(日)風じゅーの風よ、吹け!)が、先週土曜日に公開された映画『築城せよ!』のインタビューで益田さんに再会し、そのことを日記に書いた際に「今井さんのお名前を出しました」と報告してくださったのだった。

早速、シネマジャーナルのスタッフ日記の2009年6月第2週をを訪ねてみると、「『築城せよ!』の古波津陽監督とプロデューサー益田祐美子さんのインタビューに同席」とあり、益田さんを「脚本家の今井雅子さんが魔女田さんと呼ぶように、魔法のような微笑でお金を生み出す錬金術師」と紹介している。魔女田さんとあだ名をつけたのは『風の絨毯』で益田さんとともにプロデューサーを務めた山下貴裕さんで、せっせと広めているのはわたしだが、日記のこのくだりを読んで、思わず吹き出してしまった。というのも、先日の今井雅子日記(>>>2003年6月19日(金) 報酬系とドーパミンと子守話80話)で『築城せよ!』公開をお知らせしたなかで、わたしは「プロデューサーの魔女田さんこと益田佑美子さんの錬金術にも磨きがかかり」と書いていたから。一卵性双生児のような表現の一致が景山さんと以心伝心のようで、おかしくなった。

思わぬところで、思わぬ形で人と人をつなげてしまう魔女田さん。さらにすごいところは人脈と金脈をつなげてしまうところ。「金持ちより人持ち」になりたいとわたしは思っているけれど、魔女田式錬金術では、「人持ちは金持ち」の法則が成立する。今回の『築城せよ!』では製作費3億5千万円を集めてしまったが、約800社にお金を出させたのもすごいけど、断られたのが一社というのも、これまたすごい。「キスがいい? 寄付がいい? って聞くと、みんなあわてて寄付してくれる」と冗談のようなことを本気で言う。

シネマジャーナルの『築城せよ!』インタビューでもプロデューサーというより魔女的な発言を連発。「映画は作るときはお金がかかるけれど、維持費がかからないんですよ」などと目のつけどころが面白い。自主映画の『築城せよ。』を劇場版にしようと思い立ち、実現するまでの思考回路と決断の早さと行動力も人間離れしている。天然ボケキャラも含めて、天然記念物として保護したい。古波津監督が吸引力バツグンの魔女田パワーにびっくりしながら巻き込まれていった様を想像していたら、こちらも愉快になり、ますます『築城せよ!』を観たくなった。


今日の子守話は、戸田幸四郎さんの『リングカード・どうぶつ』がヒント。表に動物のイラスト、裏に名前が日本語と英語で書いてあるカードで、「いたちはウィーズル(weasel)だって」などと娘のたまと親子でふむふむ見ているうちに、「かば」の英語名が「ヒポパタマス(hippopotamus)」だと知った。「ヒポパタマスの中に、『たま』が入っているね」と言うと、たまがうれしがって「ひぱたます」と舌足らずに繰り返したので、英語を使いたがるカバの話を即興で作って聞かせた。外資系の会社に勤めていたこともあって、やたら英語を混ぜる人はまわりにずいぶんいたけれど、ある日「中途半端に英語ができる人ほど、不用意に英語を使いたがる」と帰国子女の友人に言われて、気をつけて観察してみると、本当にその通りだと納得した記憶がある。言葉はコミュニケーションの道具。使っても使われるな、の教訓を込めて。

子守話82「おバカなカバのヒポパタマス」

たまちゃんが みちばたで カバさんに あいました。
「こんにちは カバさん」と あいさつすると
「わたしは カバではなく ヒポパタマス ですけど」と
ヒポパタマスと なのる カバさんは ふんぞりかえって いいました。

「まちがえて ごめんなさい」と たまちゃんが あやまると
「きにしないでください。ネバーマインド」と
ヒポパタマスと なのる カバさんは もっと ふんぞりかえって いいました。
ふんぞりかえりすぎて せなかが いたくなって
「あいたたた アウチ!」と いいました。
カバさんの いうことは たまちゃんには はんぶんぐらいしか わかりません。

「えいごを しらないなんて シリーですね。おバカさん」
ヒポパタマスと なのる カバさんは そういって さかだちしました。
「カバさんが さかだちしたら おバカさんだ!」と たまちゃんが いいかえすと
「わたしは ヒポパタマスですから さかだちすると スマタパポヒです」と
カバさんは すずしい かおで いいました。

たまちゃんは なんだか つまならなくなって
「バイバイ カバさん」と てを ふって たちさりました。
「なんだ えいごを しゃべれるじゃないですか。またね。シーユー」と
ヒポパタマスと なのる カバさんは さいごまで
たまちゃんの しらない ことばを つかいたがりました。

ヒポパタマスと たまちゃん。なまえは ちょっと にているけれど
ざんねんながら おともだちには なれませんでした。

2008年06月23日(月)  念ずれば、柿の葉寿司 
2007年06月23日(土)  「イラン・ジョーク集」のモクタリさんと鎌倉ナイト
2005年06月23日(木)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学6日目
2000年06月23日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)


2009年06月22日(月)  手は焼けるけど世話も焼きたい、たま2才10か月。

イヤイヤとイジワルに拍車がかかり、娘のたまは、あと2か月で3才(ということは、『ぼくとママの黄色い自転車』もあと2か月で公開)。とどまるところを知らない間の2才児ぶりは3才になれば落ち着くのだろうか。口もずいぶん悪くなり、最近の口癖は「もう、しらないよ」と「たまちゃん、わるいよ」。親のほうが「知らないよ」と突き放したくなるが、思い通りにならないと、「しらないよ」とそっぽを向く。「わるいよ」もこっちの台詞だが、食事のときにわざとお行儀の悪いことをして、自分から「たまちゃん、わるいよ」と開き直る確信犯。不良と書いて「ワル」と読む、に憧れているのか。

記憶力と言葉が発達したおかげで、親を言い負かすこともふえた。「ママ、さっき○○っていったじゃない」と理屈で追い詰められることも、しばしば。食べものに関しては一時間前に聞いた話だってしっかり覚えていて、「きょう ベーグルちゃんがとどいたって いってたよね?」と冷蔵庫を探りにくる。

まだオムツで、トイレトレーニングはすっかり後退。ゴールデンウィークに母乳を卒業した途端、指吸いが復活して、いつ見てもチュパチュパ。昨日偶然テレビをつけたら地元のケーブルテレビの保育園訪問で、たまの保育園が映ったのだけど、昼寝の時間に指を吸っているのは、たまだけだった。「赤ちゃんだねえ」とからかうと、「たまちゃん、あかちゃんよ」とこれまた得意の開き直り。そのくせお世話ごっこが大好きで、人形たちのお母さん役や先生役をやりたがる。人形をオイルサーディンのように並べ、布団代わりのタオルをかけ、トントンとたたきながら寝かしつけてあげていたりする。手は焼けるけど、世話も焼きたいお年頃。

今日の子守話は、日曜日に保育園の前を通り過ぎたときの会話がヒント。たまが「きょう ほいくえん おやすみなんだよ」と言い、「お休みの日の保育園は何しているのかな」と応じた自分が保育園を擬人化したのを面白く思ったのだが、たまは「ほいくえんは おやすみしているよ」と自然に答えた。「おやすみする」という動詞がアクティブな響きに聞こえて、「日曜日の保育園ではみんな何をしているんだろう」と想像した。『おもちゃのチャチャチャ』の保育園版のようなお話。

子守話81「にちようびの ほいくえん」

きょうは にちようび。ほいくえんは おやすみです。
おやすみの ひの ほいくえんは だれもいなくて とっても しずか。

と おもったら 

おやおや にぎやかな こえが しますよ。
ちょっと のぞいて みましょうか。

だれも いない はずの きょうしつで
つみきあそびを しているのは おにんぎょうの ぽぽちゃんたちです。
ぽぽちゃんたちは いつも ほいくえんの こどもたちが
つみきで あそぶのを うらやましいなあと おもっているのです。

つみきあそびに あきると ぽぽちゃんたちは おせわごっこを はじめました。
「わたし おかさん やりたい!」「わたしも」「わたしも」
みんな おかあさんやくを やりたくて しかたありません。

おすもうごっこで ゆうしょうした
あかい かみのけの ぽぽちゃんが おかあさんやくに えらばれました。
そして いつも こどもたちに されているように
ほかの ぽぽちゃんを だっこしたり 
ごはんを たべさせたり ふくを きがえさせたりしました。

おせわごっこの つぎは おにわに でかけます。
ベランダから すべりだいを すべりおりて すなばに ちゃくち。
すなの プリンや ケーキを つくって パーティごっこです。
ぽぽちゃんたちの ようふくも ぬので できた てと あしも 
あっというまに どろんこに なりました。

みんなが やってくる げつようびまでに 
もとどおりの きれいな ぽぽちゃんに ならなくては なりません。
ベランダに もどって せんめんだいで ジャバジャバ プールあそびです。

どろが おちて きれいになると こんどは みずを とばします。
みんなで わになって ぐるぐる まわれ まわれ。

まわりつかれたら おひるねの じかんです。
きょうしつで ひなたぼっこしながら ぽぽちゃんたちは すやすや。
ねむっている あいだに ようふくも からだも すっかり かわきました。

おひるねから さめると ぽぽちゃんたちは はこの おうちへ かえります。
それから げつようびの あさまで もうひとねむりするのです。

2008年06月22日(日)  マタニティオレンジ302 英語も飛び出す、たま1才10か月
2007年06月22日(金)  マタニティオレンジ134 わが家語
2005年06月22日(水)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学5日目
2004年06月22日(火)  はちみつ・亜紀子のお菓子教室
2003年06月22日(日)  不思議なふしぎなミラクルリーフ
2002年06月22日(土)  木村崇人「木もれ陽プロジェクト」
2000年06月22日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1998年06月22日(月)  カンヌ98 3日目 いざCMの嵐!


2009年06月21日(日)  朝ドラ「つばさ」第13週は「恋のバリケード」

今日は父の日。日頃娘のたまの子守でお世話になっているダンナ父にお礼をと思い、「今からうかがおうと思いますが、いらっしゃいますか」と電話。切ったついでに大阪の父にも電話しようと思い立ち、かけてみると、「おう」と気のない返事。声もいつもと感じが違うが、「お父さん?」と聞くと、「ふむ」と答える。落ち着きのない父の妙な落ち着きが気になる。

わたし「雅子だけど」
父(電話)「どうした?」
わたし「そっちこそ、なんちゅうしゃべり方してるん?」

こちらは大阪弁だが、父のイントネーションはなぜか標準語。

わたし「もしかして……巣鴨のお父さん?」
父(電話)「ああ。そうだよ」

なんと、「父」違い! 大阪の父にかけたつもりが、よくかけるダンナの実家の番号を無意識にプッシュしていたらしい。電話を切ったと思ったら、またわたしからかかってきたので、ダンナ父は「おう」「どうした」というそっけない応対となったのだった。「なんちゅうしゃべり方」を責められるべきはこちらのほうで、電話の前で平謝りだったが、嫁のそそっかしさには慣れているダンナ父は今さら驚かず、電話の向こうで苦笑していたようだった。

さて、明日からの朝ドラ「つばさ」第13週は、玉木家の父・竹雄(中村梅雀)とお隣の宇津木家の鳶の頭・泰典(金田明夫)が対立。川越キネマに下宿を始めた翔太(小柳友)、翔太にまだ想いを残す万里(吉田桂子)、万里に想いを寄せる知秋(冨浦智嗣)……の化学反応で、仲良しの宇津木家と玉木家が『ロミオとジュリエット』のモンタギュー家とキャピュレット家のような犬猿の仲に!? さらに泰典、佑子(平岡由里子)、加乃子(高畑淳子)の遠い過去が明らかになり、ますます混乱。ご近所ネタでよくぞここまで話が転がるものだと打ち合わせに出ながら感心(毎回目からウロコではありますが、この週はとくに)した、「つばさ」の中でもとくに「つばさ」らしい熱烈でパワフルな一週間。

タイトルは「恋のバリケード」。バリケードがタイトルになる朝ドラも珍しいけど、本気の朝ドラ「つばさ」の場合は、バリケードが比喩では終わらない。今週のキーアイテムは、「バリケード」、そして「傷」でしょうか。毎週いろんな人をつなぐ働きをするヒロインつばさ(多部未華子)は、愛の力で傷を手当てしているとも言えるかも。過熱した騒動の後は、余熱でほんのりあったかい気持ちに。演出は第12週から2週連続の大杉太郎さん。

これまで朝ドラを観ているときは意識していなかったけれど、春からの前期は26週156話、お正月をはさむ後期は25週150話あるので、前期放送の「つばさ」は早いもので(と毎週書いている気がするけど)、第13週が終わると折り返しとなる。マラソンと同じく、「ここまで来たか」の感慨を味わうとともに、「あと半分」と気が引き締まる。

【おしらせ】出張いまいまさこカフェ12杯目掲載「buku」配布中

先日の日記(2009年06月18日(木)「出張いまいまさこカフェ」を支える「感想力」)にも書いたけれど、6月19日発行のbuku21号に掲載された12杯目で「出張いまいまさこカフェ」は連載3年。今回のタイトルは「映画鑑賞で相性診断」。タイトルに絡むくだりの部分で、「おや」となる。文字校正したときに見落としていた、余計なひと文字が……。やはり校正は声に出して読まなくては。気づかれた方、ここだな、と苦笑してやってください。

他の記事も読み応えたっぷり。インタビューは『ごくせん』本城健吾役の石黒秀雄さん(表紙写真も)と『ディア・ドクター』西川美和監督。池袋の映画館などで配布中。毎月29日に持参すると、池袋の映画館で映画が1000円割引に(1冊で2名まで)。

2008年06月21日(土)  親目線で観た劇場版『相棒』
2007年06月21日(木)  マタニティオレンジ133 おおらかがいっぱい
2005年06月21日(火)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学4日目
2002年06月21日(金)  JUDY AND MARY
1998年06月21日(日)  カンヌ98 2日目 ニース→エズ→カンヌ広告祭エントリー


2009年06月20日(土)  台詞もト書きも日々の生活の中に

『月刊ドラマ』に依頼された「セリフとト書き」という欄の原稿を書いている(今月末締切なので、7月発売の8月号に載るのでは)。台詞もト書きも日々の実感から拾い上げられるもので、脚本は何気ない毎日の喜怒哀楽から生まれる……そんな内用になっているが、当たり前の生活に感動を見出せるチカラは、脚本家に不可欠な資質のひとつだと思う。コピーライター時代、「生活者の視点を忘れるな」と口酸っぱく教えられたが、脚本を書く上でも、とても大切な心がけだ。締切に追われていても、アイデアが便秘気味でも(むしろそういうときこそ!)、生活をおろそかにしてはいけない。

そんなわけで今日は家族サービス。あと2日で2才10か月の娘のたまのリクエストに応えて、一家3人で上野動物園へ。自分から言い出したくせに終始指をくわえ、動物たちを見ても「ふーん」という反応。「あれのりたいよお」とモノレールを見て泣きわめき、「じゃあ、帰るときに乗ろうね」となだめたら、「帰る」と言い出して、きかない。仕方なく乗せると、乗っている間は大して喜ばず、降りるときになって、「のりたい!」と騒ぎ出す。「今乗ったでしょ」「もっとのる」の押し問答で、動物園を見回しても、檻の中も含めて、最も手がつけられない生き物になっていた。

「このわがまま娘は、はあ……」とため息つきつつも、いつか娘がぐずる場面を書くときには、今日のことを思い出そう、と心に刻んだ。

家に帰ると、ぐったり。でも、お昼の時間。泣きぐずったたまはおなかをすかし、なだめるのに体力を消耗したわたしとダンナも疲れ果て、買い物に行く気力もない。「おなじみのレトルトカレーうどんか、朝ご飯みたいだけどベーグル(楽天のベーグル屋 エルクアトロギャッツで購入した15個2000円送料込みのものを冷凍庫にストック)とスープか」と選択を迫ると、「カレーうどんでいっか」と妥協感ありありな返事。「ごめん、今ので、作る気なくした」と言うと、「じゃあ、寝て空腹を忘れるか」とダンナは昼寝を始めてしまった。

これまた「お昼どうする?」の小ネタとして使えるかもなあ、と冷凍ベーグルをチンしてたまと分け合いながら思った。

2008年06月20日(金)  マタニティオレンジ301 太ももで豆腐うらごし
2005年06月20日(月)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学3日目
2004年06月20日(日)  日本一おしゃべりな幼なじみのヨシカのこと
1998年06月20日(土)  カンヌ98 1日目 はじめてのカンヌ広告祭へ 


2009年06月19日(金)  報酬系とドーパミンと子守話80話

朝日新聞別刷り「be」の6月6日付けサイエンス版に「報酬系」のことが載っていた。脳には報酬系と呼ばれる神経回路があり、そこが損得勘定をして人の行動を左右しているという。昨日の日記に書いた「感想力」はまさにこの報酬系の活性剤だといえる。いい感想をくれる人に、いい仕事で応えようという意欲が湧くのだ。

報酬系という親しみやすい単語が脳研究の分野の用語として使われていることが興味深く、調べてみると、この報酬系は「ドーパミン」に関係しているらしい。ドーパミンという単語を知り、その響きにはまったのは、今の半分ほどの若さだった大学生の頃。チアリーダー仲間で読書家の理系だったヤスコちゃんが「脳がドーパミンという快楽物質を出すと、苦しみが快楽になる」ということを教えてくれ、もう一人の同期のトンちゃんとともに「ドーパミン、ドーパミン」をかけ声にランニングや筋トレをしていたのが懐かしい。ランニングハイもドーパミンの仕業だが、褒められたり報われたりするときの満たされた気持ちもまたドーパミンが運んでくるものだったのだ。

頑張れば報われると信じられると、努力は苦ではなくなるという見地からも「褒めて育てる」は一理あるらしいが、子どもを育てる側からいえば、子育ての苦労を吹き飛ばし、喜びに換えてくれるのは、子どもからの報酬だといえる。「ママ だいすき」「ママ また つくってね」その一言で、どこからかチカラが湧いてくるし、子どもの成長を日々見られることがごほうびだと思えるからこそ、愛情を注げる。実際、記事によると、母親は、他の子の写真よりも自分の子の写真を見たときに、報酬系が最も活発に働くという。パブロフの犬のように、わが子の顔を見ただけで報酬系が反応するらしい。

今日で80話目の子守話(火曜日に行った回転寿司がかなり気に入ったらしく、「くるくるやさん また いこうね」を連発。なので寿司ネタで)も、報酬系がはりきった結果。「これを聞かせたらどんな顔するかな」の期待と、聞かせたときの反応が、おはなしの種から花を咲かせる水や栄養になっている。「今年中に100話」の目標達成まで、あと20話。

子守話80「おすしと くるくる」

あるひ パパと ママが たまちゃんに
「くるくる まわる おすしやさんに いこっか」と いいました。
ダンスが だいすきな たまちゃんは
「たのしそう!」と おおよろこびで でかけました。

ところが くるくる まわるのは たまちゃんではなく おすしでした。
すっかり まわるつもりだった たまちゃんは がっかりです。
「ママ おねがい。いっしゅうだけ まわらせて」と おねがいすると
「ちちんぷいぷい。たまちゃん おすしぐらい ちいさくなあれ」と
ママが まほうを かけてくれました。

ちいさくなった たまちゃんを ママは
おやゆびと ひとさしゆびで ひょいと つまんで
まわってきた いなりずしの おさらに のっけました。
「いっしゅうだけ まわったら もどるんだぞ。
 いなりずしの おさらごと ひきあげるから」と パパが いいました。
「はーい。いってきます」と たまちゃんは いくらの つぶより 
ちいさくなった てを ふって しゅっぱつしました。

おさらから ながめる けしきは とても ゆかいです。
「みてみて。おやゆびひめ みたいな おんなのこが のってる!」
いなりずしの よこに ちょこんと たっている たまちゃんを みて
おきゃくさんたちは おおさわぎ。
でも だれも たまちゃんを たべる ゆうきは ありません。
「バイバーイ」と あいさつして 
たまちゃんは つぎの テーブルへ むかいます。
パシャリと しゃしんを とる おにいさん。
「わたしも のりたいよう」と なきだす おんなのこ。
「おにんぎょうの かたちの おすしなんて あったかしら」と
てんいんさんは めを ぱちくりさせました。

あっというまに いっしゅうの たびが おわって 
たまちゃんは パパと ママがいる テーブルに もどってきました。
「たまちゃん さあ おしまいよ」と 
ママが いなりずしの おさらに てを のばしました。
「やだ! もう いっしゅう まわる」と たまちゃんが いうと
「やくそくは やくそくだ」と パパ。
でも くいしんぼの ママは いたずらっこの たまちゃんが いないと
ゆっくり おすしを たべられるので
「じゃあ もう いっしゅうだけね」と ゆるしてくれました。

たまちゃんは おおはりきりで にしゅうめを まわりはじめました。
ところが おきゃくさんは もう びっくりして くれません。
たまちゃんが てを ふっても おすしに むちゅうで しらんかおです。
たまちゃんは ゆかいな きもちが きえて
だんだん こころぼそく なってきました。

ながい ながい にしゅうめが おわって
パパと ママの いる テーブルが みえてくると
たまちゃんは なみだが でそうに なりました。
「パパ ママ ただいま!」
たまちゃんが おおきな こえで いうと
ママが たまちゃんの ほうを みました。
ところが なんということでしょう。ママが てを のばしたのは 
たまちゃんが のっている いなりずしの おさらでは なくて 
その うしろから きた まぐろの おさらだったのです。
パパも あなごの おすしを ほおばるのに いそがしくて 
たまちゃんに きづいて くれません。

ぐずぐずしていると パパと ママの いる テーブルを
とおりすぎてしまいます。
たまちゃんは いなりずしの おさらから ジャンプして
テーブルに もどろうと しましたが
きゅうりまきの きゅうりより みじかい あしでは むりでした。
「パパ ママ さようなら〜」
その こえも パパと ママには とどきません。
たまちゃんの さんしゅうめの たびが はじまりました。

パパと ママが みえなくなると なんだか もう にどと 
パパと ママに あえないような きがして
たまちゃんは なみだが ぽたぽた おちてきました。
「ちいさくなって まわりたい なんて いわなきゃよかった」
「いっしゅうだけで やめとけば よかった」
くやんでも もう ておくれでした。

と そのときです。
めのまえに とつぜん おとしあなが あいて
いなりずしの おさらは あなに おっこちてしまいました。
たまちゃんも いっしょに まっさかさま。
なんしゅうも まわった おすしは すてられて しまうのです。
たまちゃんも ゴミに なってしまうのでしょうか。
そうしたら ほんとうに パパと ママに あえなくなってしまいます。

どうしよう どうしよう どうしよう。

どすんと おすしの ゴミの やまのうえに しりもちを ついた
たまちゃんは びっくりして めを さましました。
あれれ そこは くるくる まわる おすしやさんの なかではなく
たまちゃんの おうちです。
たまちゃんが ベッドから おっこちた おとで
パパと ママも めを さましました。
「どうしたんだい たまちゃん」とパパ。
「こわい ゆめを みたの?」とママ。
たまちゃんは パパと ママに だきついて 
「もう おすしやさんで まわりません」と べそを かきました。

明日公開の映画のお知らせをひとつ。
【おしらせ】魔女田さんプロデュース『築城せよ!』明日公開

侍の魂が乗り移ったホームレスがダンボールで城を建てるという発想にぶっ飛んだ(>>>2006年12月12日(火) あっぱれ、『築城せよ。』!)中編『築城せよ。』が、劇場版長編『築城せよ!』となって、いよいよ明日公開。タイトルの「。」が「!」になって、さらにパワーアップしているそう。『風の絨毯』で1億5千万円集めたプロデューサーの魔女田さんこと益田佑美子さんの錬金術にも磨きがかかり、この不景気に「キスかキフか?」を迫って(>>>2009年01月21日(水) キスかキフか? 非常時に強い女と自転車の会!)800社から制作資金を集めたのはアッパレ。

2008年06月19日(木)  「第2回万葉ラブストーリー」受賞作発表
2007年06月19日(火)  父イマセン、ピースボートに乗る。
2005年06月19日(日)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学2日目
2004年06月19日(土)  既刊本 出会ったときが 新刊本
2003年06月19日(木)  真夜中のアイスクリーム


2009年06月18日(木)  「出張いまいまさこカフェ」を支える「感想力」

少し前、新聞で酒井順子さんが「編集者に求められるのは『感想力』だ」という趣旨のことを書かれていて、紙面を前に大きくうなずいてしまった。身を削って書いた原稿への反応を、送った本人はドキドキそわそわしながら待つ。「受け取りました」だけのそっけない返事だと、「で、どうだったの?」「ダメだったのかしら」と気になるが、その報告さえ来ないと「100時間かけた労作が黙殺!」「よっぽどコメントに困っているのか」と気を揉んだり、気に病んだりする。

よくあることで、相手は単に忙しかったり忘れていたりするのだが、こちらが思うほど原稿が重く扱われていないことは物語られる。そんななかで心のこもった「感想」が送られてくると、「砂漠にダイヤモンド!」のきらめきを放ち、「この人の仕事が最優先だ!」という気持ちになる。ダメな原稿を褒めて欲しいのではなくて、こちらが原稿を書いた心意気を相手が引き受けたことが伝わる一言が欲しいのだ。

いい感想をくれるといえば、エッセイ「出張いまいまさこカフェ」の連載でお世話になっている池袋シネマ振興会のフリーペーパーbukuの編集者・北條一浩さん。原稿を送ると、「受け取りました」の返信とともに、毎回短いけれど気のきいた感想を送ってくださる。「面白かった」だけでなく、どこがどう面白かったか、具体的に書いてあるので、ありがたい。たとえば、

「オレオクッキー」と「大気圏」という比喩がすごく面白いです。「なるほどな」というより、むしろ「オレオクッキー」や「大気圏」について考えさせられるというか。言ってる事、わかりますか(笑)?

これは〈オレオクッキーにたとえれば、クッキーの部分が打ち合わせ、クリームが執筆。それぐらいホン作りに占める打ち合わせの比重は大きい〉〈白紙の状態から方向性を探る企画段階の打ち合わせでは、「どんなホンにしようか」を念頭に置きながら、核心から少し離れた大気圏あたりの話をすることが多い。(中略)そんな雑談のなかに、「それで行こう!」と光る発見があり、一気に大気圏突入となることはよくある〉というくだりを面白がってくれたもの。同じメールの中で、感想に続けて、

「いただいた原稿でまったく違和感ないのですが、1点だけ。「ハコ書き」とは何か、そこだけサラッと、カンタンな説明というか形容をつけていただけるとうれしいです。その分、文字数が増えても、どこかで調整していただいてもどちらでもかまいません。あくまで一般の、業界外の人にも読んでほしいので。

と修正の依頼があったが、こういう心配りのきいた書き方をされると、「喜んで!」と快く直しに取りかかれる。北條さん自身が原稿を書く人で、bukuではインタビュー記事も担当されているので、書き手の立場がよくわかるのだろう。わが身を振り返ると、人の原稿にどれだけの敬意を払えているだろうか。北條さんの感想力を見習いたい。

6月下旬発行のbuku21号に掲載される「出張いまいまさこカフェ」12杯目は、前回書いた毎日映画コンクールのスタッフ部門2次選考会の続編で、タイトルは「映画鑑賞で相性診断」。北條さんからの感想は〈丁々発止の選考の様子から、「シネマお見合い」にストンと落すところがとても面白かったです。しかし、濃い時間を過ごされましたね!〉。bukuは3か月に1回発行だから、12杯でまる3年連載が続いたことになる。毎回気持ちよく乗せてくれる編集者の感想力の賜物だ。

2008年06月18日(水)  堺名産 小島屋の『けし餅』
2007年06月18日(月)  マタニティオレンジ132 たま300日
2005年06月18日(土)  『子ぎつねヘレン』あっという間の見学1日目
2000年06月18日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)


2009年06月17日(水)  海へ帰ったサンマクジラと足利事件の17年半

たまった新聞をまとめ読みしていたら、「サンマクジラ」の続報があった。「サンマクジラ」というのは記事にあった言葉ではなく、5月28日付の朝刊一面に載った「動けぬ巨体 激やせ」の写真を見て、「サンマみたいだ」と思ったことから勝手に名づけた。和歌山県田辺市の内之浦湾の浅瀬に、仲間とはぐれた大型のマッコウクジラが迷い込んで2週間、餌も食べずにやせ細っていくかわいそうな姿を記事は伝えていた。

何とか海へ返そうと、あの手この手の追い返し作戦が試みられたが、迷いクジラは反応せず、地元では死んだ後の処理をどうしようかと検討を始めていた。ところが、何がきっかけだったのか、そのクジラが突然、沖へ向かって泳ぎ出し、背びれを高く持ち上げて海中へ潜っていく姿が目撃されたという。一体どこにそれだけの力が残されていたのか。背びれを上げた角度から相当深く潜ったのではと予想され、水深千メートルほどまで潜れば豊富な餌にありつけるという。ぐったりと動かなかったサンマクジラが、深い海の底で、ひさしぶりのごちそうをモリモリ食べて、クジラらしい体格を取り戻す姿を思い浮かべたら、じいんとなった。目の前で見守っておられた方々はなおのこと感慨深いだろう。

命のたくましさを伝える記事に心を揺さぶられ、元気づけられる一方で、普通に生きることを奪われた命の記事には、やり場のない憤りや空しさで心が揺れる。このところ連日取り上げられている足利事件の菅家利和さんの失った17年半。どんな償いがあろうと埋められないその時間を、どのような無念で向き合ってきたのか、インタビューを読みながら想像している。6月8日の読売長間、〈絶望の「自白」〉の大見出し、〈「やってません」13時間〉の横見出し、〈菅家さん「悲しくて泣いた」〉の黒ベタ白抜き見出し。「やったんだな」「やってません」の押し問答の取り調べが13時間続いて、気持ちが折れ、「刑事の両手を力いっぱい握りしめ、泣いてしまった」という。「刑事は私がやったから泣いたと思ったらしいが、本当は、いくらやってないと言っても聞いてもらえなくて、悲しくて泣いた」。なんという絶望。望みが絶たれるのは、こういうことなのだ。あってはならないことが起きてしまった。

2008年06月17日(火)  マタニティオレンジ301 苦心作のアルバムが届いて、「おひまい」
2005年06月17日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ地網走は歓迎ムード
2000年06月17日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)

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