2007年06月22日(金)  マタニティオレンジ134 わが家語

小学校一、二年の頃だっただろうか、夜中に父と母が隣室で「サラ金」の話をしているのを布団の中で聞いた。「サラ金」の事件がニュースを騒がせていた折で、「お父さんとお母さんが危ないことに手を出してる!」と不安になったのだが、父と母は「さらっぴん(大阪弁でまっさらのこと)のお金」を縮めて「さら金」と呼んでいたとわかり、胸をなでおろした。両親は笑いながら「よそで言いなや」と言ったけれど、他の家では通じない「わが家語」の存在が、「自分は他でもないここの家の子なんだ」と意識させてくれた。毎週のように行く「菊一堂のモーニング」を「菊モー」と略し、子どもがおとなしく食べなくてはならないかしこまった和食屋「山里波(さんりば)」を「しずか」と名づけた。

大人になって家庭を持ったけれど、わが家語のボキャブラリーがにわかに増えたのは、娘のたまが生まれてからだ。母乳を「ぼにゅぼにゅ」、授乳を「じゅにゅじゅにゅ」、ガーゼを「ガゼガゼ」、よだれかけを「よだれだれ」と繰り返し語がまずブームになった。わたしの言葉にダンナがつられ、わが家を訪ねたダンナ母や友人にもうつった。ウンチに親しみを込めて「ウンチョス」と名づけた応用で、たまを「タマチョス」と呼ぶようになった。「チョス」の響きがいたずらっ子っぽいおちゃめさをうまく出していて気に入り、「オムチョス替えるチョス」などとチョス語が幅をきかせるようになった。わたしやダンナがチョスチョス言うものだから、客人までが「タバチョスしてきます」とタバコ片手にベランダに消えるようになった。「冬はロシア人風にタマチョフってどう?」と友人のはちみつ・亜紀子ちゃんに言われて、「タマホフもいいかも」とわたし。「ダスティン・ホフマン」をもじって「タマティン・ホフマン」と呼ぶのを「よくわかんない」と突っ込むダンナは、「メタボリック症候群」をもじって「メチャカワイコック症候群」。これではわが家語ではなく俺語。ところで、シャバシャバからドロドロを経てネットリへと粘度を増してきたウンチョスが、今週あたりからコロコロになった。オムツからすとんとトイレに転げ落とせる固体ウンチョスを見ながら、「ウンコスになったねえ」とダンナ。子どもの成長とともに、わが家語も進化する。

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2000年06月22日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
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