2008年03月28日(金)  マタニティオレンジ258 保育園のお別れ会で恩師を想う

この春、保育園を退職、異動される先生方のお別れ会が開かれた。主役は園児たちで、早くお迎えに来れた保護者は子どもたちにまじって参加。園児51名、職員はその半数ぐらいの小さな園で、園長先生をはじめ11人もが入れ替わる。先生方が挨拶のときに感極まって涙ぐむ姿を見て、この保育園と子どもたちを心から慈しんで仕事に打ち込まれていたんだなあと感じる。先生方の挨拶、父母会からの花束と園長先生へのメッセージ集贈呈のあと、辞められる先生一人一人と園児が「握手でバイバイ」。先生方は全員の名前を覚えていて、「たまちゃんは給食よく食べてくれたね」「たくさん遊んだね」などと声をかけてくださる。とても心があたたかくなるひとときだった。0歳児クラスの娘のたまは、今去られる先生方のことを覚えていないかもしれないけれど、たっぷり愛情を注いでもらった記憶は何かの形で残るだろう。人生最初の恩師だ。

わたしにとっての恩師の最初の記憶は、幼稚園の年長組のときの担任だった溝上のり子先生。美人で、やさしくて、大好きだった。卒園してからも手紙をやりとりして、中学校に上がる頃、先生の嫁ぎ先の和歌山まで家族で遊びに行ったりした。その後連絡が途絶えてしまったけれど、お元気かなあとひさしぶりに思い出した。もう一人、とくに印象に残っているのは、中学一年のときの担任だった吉田和子先生。専門は美術で、「今井の絵には、今井カラーがある」とわたしの色使いをほめてくださった。文化祭で演劇をやることになったときには、「今井ならやれる」とわたしに演出の白羽を立てられたのだが、その体験が今のわたしの原点になっていると思う。わたしの何を見て先生が見込んでくれたのかは聞きそびれたけれど、自分を認めてくれる大人の存在が自信とやる気につながり、わたしの力をのばしてくれたことは間違いない。長らく連絡を取り合っていない吉田先生にも、あらためて感謝の気持ちがこみ上げた。

2007年03月28日(水)  マタニティオレンジ101 ビクス仲間のレイコさん
2005年03月28日(月)  『ダ・ヴィンチ・コード』で寝不足
2003年03月28日(金)  中国千二百公里的旅 干杯編


2008年03月27日(木)  ブラボー!『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』

夜9時前、地下鉄の駅へ向かう路上で、わたしは友人アサミちゃんとともに頬を紅潮させ、「日本ってすごい国だ!」「日本人で良かった!」と高らかに母国をほめちぎっていた。饒舌になるほど二人を酔わせたのはお酒ではなく、一本の映画。一億五千万円を集めて日本イラン合作映画『風の絨毯』(今井雅子脚本の長編第二作でもある)を実現させたのを機に映画プロデューサーになった益田祐美子さんのドキュメンタリー映画第二弾『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』の完成披露試写は、「ブラボー!」と叫ばずにはいられない出来栄え、そして内容だった。

第一弾の『平成職人の挑戦』では江戸時代に造られた飛騨高山の祭屋台を平成の世に蘇らせる職人たちの技と心意気に陶酔したが(>>>2005年09月28日(水)  『Spirit of Wood. Spirit of Metal(平成職人の挑戦)』)、今回はさらに時代を遡り、千三百年前の飛鳥の時代に造られた世界最古の木造建築といわれる「玉虫厨子」に平成の職人たちが挑む。厨子とは仏像を納める小さなお堂のようなもの。屋根ひとつ取っても、土台を組む人、瓦の彫刻を施す人、仕上げに漆を塗る人とそれぞれの職人が技を積み重ねて完成する。

設計は平成の祭屋台も手がけた中田秋夫さん。平成の祭屋台で腕をふるった八野明さんの職人ぶりを再び見られたこともうれしく、輪島塗の立野敏昭さんをはじめ今回初めて知ることになった職人さんたちの仕事と言葉に惚れ惚れする。その道を極めた職人たちは、技術だけでなく言葉にも熟成された味わいがある。設計の解釈の食い違いが明らかになり、やり直しが必要となったときに、「俺の説明が悪かったかな」「いやいや、こっちの聞き方が悪かった」と譲り合うやりとりの、なんと趣のあること。腕に自信のある者同士は、相手の腕にも敬意を払う。職人としての意地は自分の緊張を保つために張るのだ。これぞプライドのあるべき姿、と唸った。

玉虫の羽を貼りつける蒔絵の制作を任された立野さんは乾弘明監督とともに舞台挨拶に立たれ、「漆は最高の接着剤でありコーティング剤」であると説明。時の流れで色あせた文様に何が描かれていたか、手がかりを求めて文献を読み解くだけでも一年がかりだったという。朽ちた木で命を育み、羽に輝きを宿す玉虫は、仏教思想と響きあう再生の象徴。1300年前はかくもまばゆい輝きを放っていたのかと見ほれる「玉虫色」を、立野さんの手先と根気が現代に蘇らせた。

法隆寺に納められている国宝・玉虫厨子をできるだけ忠実に再現した一台とは別に、「平成の玉虫厨子」を造るという使命を受けた立野さんは、幅2ミリの短冊に切った玉虫の羽をさらに2ミリごとに切って2ミリ四方にし、青、緑、黄色といった微妙なグラデーションの色別に細かく分類。その細かな羽の「点」を集めて「色を塗る」という気の遠くなるような方法を編み出した。「昔のことを調べていたら新しいことが思い浮かんだ」のだと自信と茶目っ気が同居する笑顔が何ともいい。

職人たちの表情、手つき、微妙な心の揺れを丁寧に繊細にとらえる乾監督の演出、カタカナ語をほとんど使わず、選び抜いた日本語で綴られた釜沢安季子さんの脚本、その美しい日本語に深い味わいと余韻を醸す三國連太郎さんの語り。映画の作り手たちも『平成職人の挑戦』の時点よりも円熟味を増し、職人たちの技と心意気をしっかりと受け止め、64分という凝縮された時間の中で豊かに雄弁に物語っている。先日の益田さんとの合同誕生会でご一緒した真島俊夫さんの音楽も作品に溶け込みつつ、心地よい起伏をつけていた。真島さんを益田さんに紹介したシーボニアメンズクラブのすてきなすてきなおじさま、田邊勉社長はコーディネイターとして作品に参加している。

『平成職人の挑戦』を観たときは、職人たちのかっこ良さに目が行ってしまったが、今回は飛鳥の時代の職人たちと心の対話をする職人たちの姿に、この国に流れる歴史の重みを感じ、自分が生きている今と千三百年前はつながっているのだ、という事実に心を揺さぶられた。千三百年前に造られたものを再現できるということは、その技術が今日まで受け継がれているということである。人の手を介してしか伝えることができない匠の技というリレーのバトンを、何百組もの師匠と弟子が大切に、大切に引き渡してきたということである。そのことにわたしは途轍もなく感動した。

アメリカに留学した16歳のわたしに、この映画のビデオを送りつけてやりたい。「日本の伝統文化のすばらしさを伝えましょう」とオリエンテーションで指導されても、「伝統ったって、着物を着て生活しているわけでもないし、神社仏閣は遠足で行くぐらいだし」とピンと来なかったわたしの目を覚まさせてやりたい。

「宝物は自分の中にある。それを宝の持ちぐされにするのも宝の山にするのも、自分次第」ということを伝えたくて、わたしは『ブレーン・ストーミング・ティーン』という本を書いたのだけど、「自分」を「この国」に置き換えることもできる。愛国心も母国への誇りも、自分の国が持っている宝物に気づけば、自然と湧き上がってくる。その宝物を輝かせるのも錆びつかせるのも、この国のありよう次第。伝統は「古くからある」のではなく、「古くから伝えられてきた」のであり、伝える人がいなければ、それは途中で消えてしまうのだ。

平成の職人たちに伝統という日本の宝を磨く機会を与えたのは、国でもなく大企業でもなく中田金太さんという一個人だった。その金太さんは平成職人たちの手になる二台の玉虫厨子の完成を見ることなく、亡くなってしまった。『風の絨毯』以来、金太さんと親交を深めてきた益田さん、乾監督、三國さんの思い入れも込められたこの作品、金太さんと秀子夫人と何度か食事を共にし、金太さんの半生を綴った本『わしゃ、世界の金太! 平成の大成功者と五人の父』の執筆にも関わった(>>>2006年09月29日(金) 金太本、ついに出版。)わたしにとっても、金太さんを振り返るよすがとなりそう。千年後の人々を驚かせる玉虫厨子とともに、平成の世に生きた中田金太という大旦那の志が生き続けることを祈りたい。

遺品となった玉虫厨子の一台、復元版は法隆寺に奉納され、もう一台の平成版は平成の祭屋台が公開されている「高山まつりの森ミュージアム」に納められるが、6月30日まで開催の法隆寺秘宝展にて飛鳥版の玉虫厨子とともに三台並んだ姿を見られるとのこと。そして、当初は劇場公開を予定していなかった映画は、3月1日に法隆寺で行われた記念上映の反響で、劇場での上映が続々と決定。くわしくは平成プロジェクトのサイトにて。この作品を広げることも、日本の宝を次の時代へ引き継ぐ一助になると思う。

2007年03月27日(火)  『子ぎつねヘレン』地上波初登場と富士フイルム奨励賞受賞
2005年03月27日(日)  今井家の『いぬのえいが』
2003年03月27日(木)  中国千二百公里的旅 食事編
2002年03月27日(水)  12歳からのペンフレンドと3倍周年


2008年03月26日(水)  マタニティオレンジ257 クルマが好きな女の子

こないだまで「わんわん」と散歩中の犬を夢中で追いかけていた娘のたまは、犬に見向きもしなくなったかわりに、一センチ四方に納まるミニ象すらも見落とさずに「ゾゾ」と指差す。犬時代は終わりを告げ、ゾウ時代到来。それも、新興勢力のワニに脅かされつつある。子どもは飽きっぽい。いや、好奇心の矛先が目まぐるしく変わるといおうか。

保育園に迎えに行ったら、はたらく車を集めた写真本を抱きしめて離そうとしない。突然、車ブーム到来。家に帰り、m&mグッズを集めた棚の上をしきりに指差すので、何かと思ったら、m&mチョコが入っていた車を取ってくれとせがむのだった。その車をぶいーんと走らせてご満悦。車に興味を示すのは男の子の特権ではないらしい。掃除機が好きなのも車がついているからだろうか。

保育園では男の子もスカートをはいておままごとをしている。男の子、女の子の枠にはめないおおらかな雰囲気が、たまを車に向かわせたのかもしれない。「たまちゃん、車のエンジニアになるかしらね。ロケットの設計かしら。たまちゃんが大人になる頃は、ロケットが自家用車かもね」と保育士さんの語る夢も大きい。なんにでもなれるのは子どもの特権。

2007年03月26日(月)  マタニティオレンジ100 1%のブルー
2006年03月26日(日)  ヘレンウォッチャー【都電荒川線編】
2005年03月26日(土)  映画『いぬのえいが』→舞台『お父さんの恋』
2003年03月26日(水)  中国千二百公里的旅 移動編
2002年03月26日(火)  短編『はじめての白さ』(前田哲クラス)


2008年03月25日(火)  おバカなパソコンの辞書を修復する

締切に追われる脚本家はスピードが命、なのにパソコンの動きが日に日にのろくなっている。贅肉がついて体が重くなったような、かったるい反応を見せ、一行を変換するのに一分待たされる。スピードが落ちただけではなく、寄り道をする。当然変換できるべき漢字が変換できない、あるいは誤る。「よむ」を変換しても「読む」と出ないので、「よみうり(読売)」を出して「売」を消すという空しい作業が発生する。一日で終わる仕事が三日がかりになる。

いま仕事しているプロデューサーがパソコンに詳しい人で、対処方法を挙げたサイトをいくつか紹介してくださった。その中に「Office IME 2007 で入力した文字を漢字に変換できない場合の対処方法があり、まさにわがパソコンの症状と一致したので試してみた。
1)Office 2007 Service Pack 1 または Office IME 2007 修正プログラム パッケージのいずれかをインストールする
2)IMEパッド(「般」の下の道具箱みたいなアイコン)の「プロパティ」を開く
3)「辞書/学習」の中の「辞書の修復」項目の「修復」をクリック
とりあえずはこの方法で「読む」が出るようになった。でも、のろいことには変わりはなく、そのプロデューサー曰く「マッキントッシュは早いですよ」とのことで、商売道具を乗り換えようか検討中。

2007年03月25日(日)  マタニティオレンジ99 たま7/12才とインターナショナル
2006年03月25日(土)  丸善おはなし会→就職課取材→シナリオ講座修了式
2005年03月25日(金)  傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』
2002年03月25日(月)  脚本はどこへ行った?


2008年03月24日(月)  整骨院のウキちゃん6 ナターシャは白いごはんが大好き編

ひさしぶりに整骨院へ行くと、「いらっしゃらない間に、うちのサイトがついにオープンしちゃいましたよ」と院長。要望の多かったブログも開設。その名も『ナターシャは白いごはんが大好きです』。ごはんをおかずにごはんを食べるウキちゃんが目に浮かぶ。加えて、ウキちゃんと院長が患者さんを待ちながら暇を持て余すまったりとした午前中や昼下がり(ほぼ一日中!?)も目に浮かぶ。指一本触れずに読者を脱力させるやりとりは、さすが整骨院。

「そういや、こないだ東京の首都は新宿ってウキちゃんが言ってたの、首都を都庁所在地に言いかえれば合ってるんですよね」とわたしが言ったら、「いやいや、あの話は前ふりがあるんですよ」と院長。「東京の首都って東京ですかね?」とウキちゃんが言いだし、「東京の首都? なんだそれ?」と院長が突っ込むと、「あ、違った。江戸だ」と訂正し、「江戸ぉ??」と聞き返されて、「わかりましたよ。新宿です」と自信たっぷりに答え、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけど」と解説を加えたというのが本当のところ。江戸といえば長嶋茂雄監督が「I go to Tokyo」を過去形にして「I go to Edo」と言ったというまことしやかな武勇伝を聞いたことがあるけれど、巨人軍と東京ドームを愛するウキちゃんの天然ボケのスケールは長嶋監督に負けていない。

2008年3月19日(水) 整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?
2008年2月20日(水) 整骨院のウキちゃん4 「ティ」ってどうやって打つの?
2008年2月8日(火) 整骨院のウキちゃん3 となりのトトロ
2008年1月8日(火) 整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです
2007年11月06日(火) 整骨院のウキちゃん1

2007年03月24日(土)  マタニティオレンジ98 たまごグッズコレクション
2002年03月24日(日)  不動産やさんとご近所めぐり


2008年03月23日(日)  マタニティオレンジ256 「でか・あんぱん!!」で進級お祝いクラス会

一年を共にした0歳児クラスの親子で、進級祝いを兼ねて小石川植物園にてクラス会。会を仕切るのはクラス役員の役割で、今年役員を務めたわたしが仰せつかる。5月に集まったときは座敷のあるレストランで会食したが、当時はハイハイだった子どもたちも全員歩き出し、のびのびと動ける外で集まることにした。

なるべくたくさんの人が集まれる日を選んだものの、当日になって体調を崩す子がいたり、きょうだいが熱を出したりで、集まれたのは10世帯中6世帯。それでもパパやきょうだいの参加もあり、20名ほどでにぎやかになった。各自が持ち寄ったシートをつなげると、二十畳ほどの広間が出現。蕾がほころびはじめた白と桃色の桜をめでつつ、めいめいがお弁当を広げ(持ち寄りにすると負担が大きいので自給自足にした)、好き勝手にしゃべるという気楽な会。同じクラスといっても送り迎えの時間がばらばらだし、ゆっくり落ち着いて話す余裕もなかなかないので、ただ話すだけでも新鮮。子どもたちはシートのまわりを走り回ったり、木登るするお兄ちゃんを見上げたり。ママたちの会話に入れないパパたちは、自分ちの子よその子分け隔てなく遊び相手になっていた。

父母会の予算から若干の補助が出るので何か企画をと考えて用意したのが、ケーキカットならぬ「あんぱんカット」。園児10人の名前が入った通常の10倍サイズの巨大あんぱんを前に記念撮影の後、各自入刀し、切り分ける。子どもたちは「アンパンマン!」と大喜び。巣鴨の個性パン創造の店アルルの、その名も「でか・あんぱん!!」(1000円。3日前までに要予約)。以前「アド街っく天国」で紹介されたのを見て、いつか買い求めてみたいと機会をうかがっていた。お店には以前行ったことがあり、店構え同様素朴で味わい深いパンが気に入っていた。定休日にメールで問い合わせると店主のオヤジさんより電話があり、10人の子どもたちの名前をパン2つに分けて入れてもらうことに。最初はクラス名も入れようと思ったのだけど、園児の名前が入ったところで5等分に切り分けられたほうがいいと気づき、クラス名は要りませんと告げると、「では真ん中にクラス名を入れましょう」と提案していただく。打てば響くようなオヤジさんとの電話会議で、ますます仕上がりが楽しみになった。今朝焼きあがったばかりのパンを迎えに行くと、紙の箱に入れてくれ、パンというよりケーキのよう。「うちはもともとケーキ屋だったんですよ」と奥様。店を出てからあんぱんカットまでに2時間経っていたのだけれど、ずっしり詰まったあんこにしっかりと熱がこもり、皮までほかほか。見た目のインパクトはもちろん、おいしさもでっかい! 国産の材料にこだわっているので安心して食べられ、一歳児たちもパクパク。アルルの話好きのオヤジさん、ありがとうございました。

上着がいらない陽気が気持よくて、昼過ぎにクラス会が解散してからも居残り、仕事を終えたダンナも呼びつけ、3時頃まで過ごす。その間に昼寝をしていたたまは再び起き出した。毎週でも行きたい小石川植物園は入場料330円。年間パスポートはないけれど、小石川植物園後援会の終身会員(3万円也)になると、2年ごとに優待券という名のパスポートが送られてくるのだという。優待券1枚で本人と同伴者二名のあわせて三名が入場できるので、3人で行けば31回で、2人で行けば46回で元が取れる計算。ただし、その優待券発行が打ち切られる可能性もあるらしく、会員になるべきかどうか悩むところ。

2007年03月23日(金)  マタニティオレンジ97 板橋ツアー
2006年03月23日(木)  ヘレンウォッチャー【松竹本社編2】
2005年03月23日(水)  高校生がつくるフリーペーパーanmitsu
2004年03月23日(火)  ENBUゼミ短編映画『オセロ』
2002年03月23日(土)  インド映画『ミモラ』


2008年03月22日(土)  マタニティオレンジ255 ゾゾもガオも自分もわかる、たま1歳7か月

2006年8月22日生まれの娘のたまは、昨夜の「321の会」のために泊まりで預けられたダンナの実家で1歳7か月になった。朝から迎えに行き、近所の公園で遊ばせてから、バスで15分の距離をベビーカーを押して一時間かけて歩いて帰る。「ママ、ママ」とわたしを指差すので、「たまはどこ?」と言うと、「ココ」と自分の鼻を指差した。自分が誰だかわかるようになったのだなあと成長を感じる。

午後は上野動物園へ、これまた一時間の散歩。陽気と心地よい振動に眠気を誘われたたまは、目が覚めると、こども動物園の真ん中。檻の柵を自由に出入りするヤギや鶏がまわりを行き交い、目をぱちくり。大きい子どもたちは動物のまわりに群がっていたけれど、たまは怖がって「バイバイ」を連発。

8か月のときに初めて上野動物園に来たときはまるで反応がなく、一歳を過ぎた昨年10月の二度目の来園時には動物を指差して反応するようになったが、三度目の今回は、ゾウを見て「ゾゾ」、ライオンを見て「ガオ」と動物の名前を呼んで興奮。ゴリラの前では胸をドンドン叩いてみせ、ペンギンの前ではペタペタと歩く物まね。絵本や歌に登場する動物たちが目の前の本物の動物たちとつながっている。うれしさが爆発したのか、歓声を上げ、両手を広げてぐるぐるとまわりだした。そんな娘を見たくて、親は長年離れていた動物園に再び通うことになるのである。入場料4回分に相当する年間パスポート2400円を購入した。

たまが動物への興味をいっそう募らせたのは、保育園の父母会から進級祝いにプレゼントした「ミッフィー・どうぶつランド」パズルの影響も大きい。今年クラス役員を務めたわたしが選んだのだけど、ここまで食いつくとは予想外。「ゾゾは?」と聞くと、ゾウのピースを持ってくる。大人が手を添えて一緒にはめるのだが、ピースがピタッとはまる瞬間が快感のよう。「マウマ」(しまうま)も「ガオ」(ライオン)も「アンヨ」もこのパズルで覚えた。楽天のジグソークラブというお店で買うと、25%オフの378円。これはお値打ち。

この一か月でふえたボキャブラリーは、ほかに「ボーシ」(帽子)、「バナニャ」(バナナ)、「ニョコ」(きのこ)など。好きなものの名前はすぐに覚える。

2007年03月22日(木)  マタニティオレンジ96 胴体着陸と前方回転
2002年03月22日(金)  遺志


2008年03月21日(金)  「321の会」@アスカフェ→タンタローバ

今井雅子ファン第一号の「岡山のTOM」さんから、「来年3月21日」の予定を尋ねるメールがあったのは、8か月前。映画『フラガール』に魅せられたTOMさんが作品のモデルとなった常磐ハワイアンセンターを訪ねる旅の途中で東京に立ち寄るので、その際にぜひ会いましょうとなった。『ジェニファ 涙石の恋』で今井雅子を知り、mixiにコミュニティを作ってくださった東京のナルセさんにも声をかけ、いまいまさこカフェ常連の双璧を成すお二人との会合が実現することになった。

わたしの家の近くがいいのではとナルセさんが提案してくれたのは、文京区小石川にあるアスカフェというお店。わたしが愛してやまないタンタローバから徒歩五分の距離で、そこまで来たならあのイタリアンを味わってほしい、と欲が出る。集合は19時、TOMさんが大井町のホテルにチェックインするのは23時。持ち時間3時間半で2軒をハシゴするよくばりプランとなった。

地元のおいしいものということで白山ベーグルでお土産ベーグルを買い、19時にアスカフェに着くと、TOMさんとナルセさんはすでにおそろい。『パコダテ人』東京公開の初日に駆けつけてくださったTOMさんとは6年ぶり、ナルセさんとは初対面。この二人が並んでいるだけでも「!」なのに、そこに自分まで居合わせて、「!」の二乗。

アスカフェは、サイトとmixiのコミュニティで予習してイメージをふくらませていた以上にわたし好みの居心地のいい空間。インテリアも出てくる食べ物もお店の人(姉妹で切り盛り。お姉さんのほうがナルセさんのお友達)の対応も、ほっと落ちつけて、余計な力がぬけていく感じ。お店の雰囲気も手伝い、6年ぶりの再会のブランクも初対面の緊張も感じさせることなく、321の会はなごやかにスタート。ナルセさんが連れてきたスペシャルゲストの女の子もほんわかした空気をプラス。おいしいものを食べるたびに「ばちが当たる〜」と幸せにふるえる彼女のことをわたしはすぐに好きになった。ベリーのスムージー、れんこんのフリット、温野菜のサラダ、クリームソースのニョッキ、どれも体にやさしく、おいしい。ピクルスやジャムも手作りで、制作に関わった本『手づくりの味噌・燻製を楽しむ』が出たばかり。最後に飲んだ手作りのレモン酒が効いて、ほろ酔いで店を出た。おかずたくさんのランチ目当てに、今度はおひさまが高いうちに来て、午後をまるまる使って読書なんかしてみたい。お得意のバナナのケーキも気になる。

21時前にタンタローバに場所を移し、後半戦。アスカフェでけっこうつまんできたのに、あのいいにおいをかいだ瞬間、食欲がそそられてしまった。前菜の盛り合わせは、肉たっぷりで、肉好きのTOMさんを喜ばせる。わたしをはじめ、皆さん「飲むよりも食べる」派のようで、アルコールは一杯にとどめ、食べることに専念。パスタはカモ肉のラグーソースのペンネ、メインはもち豚のソテーを分け合う。自分の好きな店に人を案内したとき、相手にも気に入ってもらえるかドキドキするものだけど、皆さん楽しんでくださった様子。自家製パンを2度おかわりしてソースまできれいに平らげ、デザートの盛り合わせまでハイペースで完走。TOMさんの門限を気にしつつ、食べる一方でおしゃべりもと口は大忙し。ハワイアンズの旅の土産話、わたしが関わった『子猫の涙』『犬と私の10の約束』やTOMさんとわたしが絶賛している『歓喜の歌』の話、昔はやったテレビドラマの話……。すきを見てわたしが愛娘の写真を見せて親バカぶりを披露。

いまいまさこカフェの常連と「店」の外で会うのは不思議な感じだけれど、カフェでいつも話しているし、共通の話題には事欠かない。「オンラインカフェでの印象と実際に会ってみてのギャップ」について言うと、知的で物腰の柔らかなTOMさんはほぼイメージ通り。ナルセさんは、『ジェニファ』に肩入れしている稀少な方で、その上、映画とライブを合わせて年間365本以上見ていて(ということは毎日ハシゴ!)、「テレビなし、携帯なし、パスポートなし」というので、見た目もひと癖あるのかしらんと想像していたら、笑顔を絶やさないやわらかな印象の人だった。映画評ではバッサリ斬るような書き方をされることもあるのだけれど、話しぶりはとても穏やか。一歳違いに見えないほど若々しいのにも驚いた。「黒を着ていて長髪で、とくに前髪が長い人」をイメージしていたと告げると、ショックを受けていたようだけれど、わたしはなぜか高校時代に同じクラスだったコナカ君の顔を思い浮かべていた。口数は少ないんだけど、前髪に隠れた顔立ちはよく見ると整っていて、ひそかに人気のある男の子だった。TOMさんとナルセさんから見た印象は直接聞きそびれてしまったけれど、ナルセさんの日記には「思ったよりも美形」とあり、TOMさんは「(6年前より)若く見えた」といまいまさこカフェに書き込み。期待値と第一印象が低すぎたのか、はたまた出産による突然変異か!?

TOMさんも「パスポートなし、携帯を持ったのはつい最近(今回の旅行のため)」ということで、ナルセさんとの共通点が浮かび上がる。この二人が今井雅子を応援するようになったのも偶然ではないのかも。いまいまさこカフェを訪れる人が圧倒的な文章量と文章力に舌を巻き、「あの人は何者?」となるTOMさん。「お仕事は?」の質問は、最後まではぐらかされたままだった。お酒はあまり飲まないので、酔って口を軽くさせるわけにもいかない。お肉とアイスクリームが好物だとわかったので、次回は肉とアイスを増量して骨抜きにかかりたい。

2007年03月21日(水)  MCR LABO #2「無情」@下北沢駅前劇場
2005年03月21日(月)  弘前劇場+ROGO『FRAGMENT F.+2』
2004年03月21日(日)  アドフェスト4日目
2002年03月21日(木)  「かわいい魔法」をかけられた映画


2008年03月20日(木)  「冷や奴」のない豆腐屋さん

先日、はじめて買う豆腐屋の店先での出来事。ショーケースに並んでいるのが揚げ豆腐ばかりだったので、白い豆腐を求めて、「冷奴ありませんか」と尋ねたところ、「冷奴?」と店主が怪訝そうに聞き返した。豆腐屋なのに「冷奴」と聞いて意外がるとはこれいかに、とこちらも首を傾げた次の瞬間「絹ごし 木綿 百五十円」の札が目に飛び込んだ。あ、そうか、そういう呼び名があったと思いだし、「絹ごしありますか」と言い直したところ、店主はほっとした顔になり、店先を包んでいた険悪な空気は和らいだ。「冷奴」と言われては、「皿に盛って葱とおろし生姜と醤油を添えろというのか」と、そりゃあ困惑しますわな。

その豆腐屋の数軒先に、ダンナの幼馴染のテッチャン一家がやっている魚屋があり、立ち寄った。「このイカはどうやって食べるの?」とダンナが聞くと、「オニツケだね」とテッチャン。「鬼漬って漬物ですか」と聞くと、「煮付けだよ」とテッチャンに笑われた。イカ=沖漬から連想して、鬼漬なる珍味を生み出してしまったのだが、煮つけってめったに作らないし、わたしが作る煮つけには「お」はつかなそうだ。そんな危うい調理人にテッチャンは焼くだけでオッケーの銀だらの味噌漬をすすめ、「これ以上焦げ目つかせたくないってなったら、レンジ使ってもいいから」と丁寧にアドバイスしてくれた。

年とともにずいぶんしっかりしてきたと思っていたけど、まだまだだなあと痛感。昔から思い込みが激しいくせに、勘違いに気づくのは鈍感だった。「完璧」のペキの字の下が「玉」ではなく「土」だと思い込んだままコピーライターになってしまい、「誤植」が見つかって正しい字を知ったのだが、写植屋のミスではなくわたしの元原稿が間違っていたのだった。それまでの二十余年の間に気づくチャンスはいくらでもあったはずなのだが、一度も試験に出なかったのか、先生が間違って○をつけてしまったのか。おやつの「柿の種」が本物の種ではないと知ったのも大学生のときだった。「あの柿の種がこうなるのか」と感心して眺めながらボリボリ食べていると、弟のよっくんが「雅子、アホちゃう?」と突っ込み、「道理でおかきっぽいと思った」と合点した。整骨院のウキちゃんを笑ってばかりもいられない。

2007年03月20日(火)  マタニティオレンジ95 満を持して『はらぺこあおむし』
2004年03月20日(土)  アドフェスト3日目
2002年03月20日(水)  はなおとめの会


2008年03月19日(水)  整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?編

近所の整骨院の名物助手ウキちゃんの武勇伝第5弾。以前、「オーストラリアの首都はシドニー」と答えた院長に、「ちょっとー。シドニーはアメリカなんですけどー」と突っ込んだウキちゃん。「キャンベラ」という正解は知っていたけど、シドニーがオーストラリアの有名な都市だということは知らなかった。人が知らないことは知ってるのに、人が知っていることは知らないところがウキちゃんのウキちゃんたる所以。そんな「首都、得意なんです」なウキちゃんネタに続報が入った。

患者さんのいない昼下がり、「東京の首都って新宿ですかね?」と不意にウキちゃんが言いだし、院長が「はぁ?」と聞き返すと、「都庁があるから新宿が首都って話なんですけどー」と、なぜか口をとがらせるウキちゃん。自分が言っていることに自信があるときは攻撃的になる。「東京の首都、じゃなくて、東京が首都なんじゃないの?」と院長。「どこの?」「日本に決まってるだろ!」「ああ、日本か」という会話があった。その話を院長から報告され、「東京の首都って発想がウキちゃんだねえ」と笑いあったのだが、帰り道に「県庁所在地」という言葉を思い出した。「東京の県庁(都庁)所在地は新宿」なら正しいのではないか。

早速東京都のサイトを調べてみると、「(1)都道府県庁の位置は、条例でこれを定めるよう、地方自治法で定められている。 (2)東京都では『東京都庁の位置を定める条例』により、東京都新宿区西新宿二丁目と定めている」とはっきり書いてあるではないか。「都庁所在地」を「首都」と呼んだからおかしかったのだけど、都庁所在地は東京都の首都のようなものだから、ウキちゃん正解。無駄に大きな自信には根拠があったのだ。やっぱり首都が得意なウキちゃん。でも、「日本の首都は東京」というど真ん中の常識は抜けていて、すがすがしいほどスケールがでかい。

「東京の首都・新宿」を出発して「日本の首都・東京」の街を走り抜けた東京マラソン2008(10km一般女子の部)の記録証が届いた。記録は1:13:51で、スタート地点までの経過時間を引いたネットタイム(参考とカッコ書き)は、1:04:17。スタート時点まで14分以上かかっていたらまさかの50分台だったのだけど、思ったほど足踏みしていなかった。驚いたのは順位で、1302人中370位。自信のある人たちはフルマラソンの部に出ているからとはいえ、上位3分の1以内に入れたのは、なかなかの健闘。マラソンで全身を使ったせいか腰痛がやわらいだのはよかったけれど、整骨院に行く機会が減ってウキちゃんネタを仕入れられなくなったのは痛手。

2007年03月19日(月)  大木達哉さんを励ます会
2004年03月19日(金)  アドフェスト2日目
2002年03月19日(火)  パコダテ人ノベライズ計画

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