2009年11月09日(月)  ベルリンの壁崩壊20周年で東ドイツを想う

新聞で「ベルリンの壁崩壊20周年」を知る。壁の残骸の亀裂に一輪一輪花を差し込んだり、美しくペイントされた発泡スチロールの壁を倒したりという祝い方にドイツらしさを感じる。

そうか、あれから、もう20年か。

中学一年の夏休み、母に連れられ、妹とともに向かったはじめての海外旅行先は、旧東ドイツだった。若いうちに地球にはこんな国もあるんやでと教えたいということで社会主義の国を選んだ母のセンスはなかなかのもので、その後のわたしの人生は、この旅行におおいに影響を受けている。

ベルリンの壁の存在を意識していたのも、そのひとつだ。

20周年ということは、壁崩壊は1989年。1993年実施の第2回学生「大陸・夢の旅」作文コンクールで受賞した「再会旅行」には、その興奮が綴られている。旅行で知り合って以来文通を続けて来たアンネットとの再会を計画する内容で、大賞賞金を射止めたら双方の国を訪ねあう往復旅行にできたのだけど、賞金に見合った片道旅行となった。(2019年11月10日、脚本家・今井雅子facebookページのノートに全文掲載)

旧東ドイツとアンネットのことは、日記にもときどき登場している。

2002年10月24日(木) JSAを読んで考える 北と南 東と西

2005年03月25日(金) 傑作ドイツ映画『グッバイ・レーニン!』

2009年08月07日(金)  聞きたくないレーガン大統領と東ドイツの絵はがき

アンネットの家へは何度か訪問し、毎回歓待を受けている。いつか彼女の一家を日本に招待して、往復再会旅行を実現させたいと思う。

2008年11月09日(日)  はじめてヤフオクで買い物
2007年11月09日(金)  島袋千栄展『メリーさんの好きなもの』
2006年11月09日(木)  マタニティオレンジ26 六本木ヒルズはベビー天国
2005年11月09日(水)  『ブレーン・ストーミング・ティーン』がテレビドラマに
2003年11月09日(日)  小選挙区制いかがなものか
2002年11月09日(土)  大阪弁


2009年11月08日(日)  ゆったりまったりご近所さんの会

ひさしぶりにご近所仲間でお昼を食べましょうとなり、このメンバーでよく行く播磨坂のイタリアン「タンタローバ」へ。このお店のワンプレーとランチは何度食べても裏切らない。それを知っている人たちで店はいつもにぎわっている。

天気がいいので腹ごなしに小石川植物園まで歩く。そこでまた知り合いの一家に会い、合流する。子どもたちが走り回る傍らで、大人たちは大人の話をする。どんぐりを拾ったり、落ち葉の絨毯を踏みならしたり、体いっぱい秋を味わう。

おいしいカレー屋の話が弾んだせいか(素揚げ野菜どかどかの小金井のプーさんにまた行きたい!と話す)、今度は小腹が空いて、植物園から5分ほど歩いた白山ベーグルで、お茶。高温でカリッと焼き直して出してくれるベーグルは、これまた裏切らないおいしさ。お茶を飲んでベーグルを食べても500円でおつりが来るのもすばらしい。

よく歩き、よくしゃべる。万歩計は11227歩。

2008年11月08日(土)  7か月ぶりにご近所さんの会
2005年11月08日(火)  『スキージャンプ・ペア〜Road to TRINO2006〜』
2003年11月08日(土)  竜二〜お父さんの遺した映画〜


2009年11月07日(土)  『本からはじまる物語』

読書の秋にふさわしい『本からはじまる物語』という名の本と目が合い、手に取った。

「18名の作家が「本」「本屋」をテーマに掌編小説で競演!」という惹句がついている。

「飛び出す、絵本」恩田陸
「十一月の約束」本多孝好
「招き猫異譚」今江祥智
「白ヒゲの紳士」二階堂黎人
「本屋の魔法使い」阿刀田高
「サラマンダー」いしいしんじ
「世界の片隅で」柴崎友香
「読書家ロップ」朱川湊人
「バックヤード」篠田節子
「閻魔堂の虹」山本一力
「気が向いたらおいでね」大道珠貴
「さよならのかわりに」市川拓司
「メッセージ」山崎洋子
「迷宮書房」有栖川有栖
「本棚にならぶ」梨木香歩
「23時のブックストア」石田衣良
「生きてきた証に」内海隆一郎
「The Book Day」三崎亜記

気に入っている作家さん、気になっている作家さんの作品が「当たり」だとほくほくする。巻頭を飾る恩田陸さんの「飛び出す、絵本」は、さすが。ひとつ前に読んだ長編『MOMENT』で出会った本多孝好さんの「十一月の約束」も好き。この人の書く人と人のべたべたしすぎないけれどしっとりした距離感が好き。ずいぶん前に『プラネタリウムのふたご』という分厚い本でファンタジーン世界に浸らせてくれたいしいしんじさんの「サラマンダー」は、やっぱりいしいしんじ色をしていて、大人の童話という雰囲気。一時期はまった篠田節子さんの「バックヤード」は、本屋の地下に集まる霊たちの正体の設定(ネタばれになるので読んでみてのお楽しみ)が秀逸。

面白いのは、本を「鳥」にたとえた作品が多いこと。ページを翼にたとえた作品もあった。一作目と最後の作品がそうだったので、とくに印象に残ったのかもしれないし、あえてそうした編集者も「本とは鳥のようなもの」だと感じたのだろう。本はページの翼でどこへでも連れていってくれる。

そういうわけで、わたしも本を鳥にたとえた子守話を考えてみた。まとめる時間がないので、後日。

2008年11月07日(金)  お風呂で牛乳屋さんごっこ
2006年11月07日(火)  シナトレ6『原作もの』の脚本レシピ


2009年11月06日(金)  クリスマス映画だった『曲がれ!スプーン』

本広克行監督最新作『曲がれ!スプーン』を試写で観る。函館イルミナシオン映画祭で監督と知り合ったときにひっさげてきていた『サマータイムマシーン・ブルース』(>>>日記)と同じく劇団ヨーロッパ企画の戯曲の映画化ということで、観る前から期待は膨らむ。

原題は『冬のユリゲラー』で、エスパーのお話。クリスマスイブに超能力者を探して放浪する超常現象番組スタッフ・米(よね)を演じるのが、長澤まさみさん。ほぼ紅一点と言ってよいキャスティングで、他は舞台系を中心にかなり渋い男性キャストに占められている。エスパーの皆さんそれぞれいい味を出していて、とくに透視の中川晴樹さんから目が離せなかった。テレパシーの辻修さんも雰囲気がある。舞台の人というのは、やっぱり独特で、まわりの空気まで演技しているように見える。寺島進、松重豊、ユースケ・サンタマリアといった名のある役者さんを脇役に持ってくるというぜいたくさも遊んでいて、役者さんたちも楽しんで参加している感じ。

「カフェ・ド・念力」という名のカフェに集まる、世を忍ぶエスパーたちの超能力の使い道のしょぼさが、小市民らしくて、なんともお茶目。そこに現れた米(この「よね」という狙ったような名前にも意味が!)は、彼らにとっては天敵! 果たして米はネタを持ち帰れるのか? エスパーたちはわが身を守れるのか? という一見シンプルな筋立てながら、終始ドキドキし続けてしまう。エスパーの話なのに、彼らの困っちゃったぶりに共感して、観てしまう。

そして、小さな事件を積み重ねた先に、ああ、これをやりたかったのか、という大きな奇跡を見せてくれる。映画作りではよく「ひとつだけ大きな嘘をつくために、あとの部分をいかに真実に見せるか」ということが話されるけれど、超能力とか超常現象ってあるかもしれないけどないかもしれないと思ってるところに、どかんと大嘘。「曲がれ!スプーン」を信じていた頃の気持ちを持ち続けていたいなと思わせてくれるラストに、予想した以上にじいんとなった。

奇跡が起こりそうな夜だからクリスマスイブにしたのかなと思っていたけど、観終わると、これは絶対クリスマスイブじゃなきゃと思える。

子どもの頃、サンタクロースを信じて、待っていた人には、ど真ん中。
UFOを見つけては大人の手を引っ張って大騒ぎしていた人も。
学研の「ムー」を毎月読んで、本気で驚いていた人も。
テレビのユリゲラー特集を観て、真似していた人も。
ESPカードで透視に挑戦したことがある人も。
マジックや大道芸を見るのが好きな人も。
舞台を観るのが好きな人も。
ムロツヨシファンも。

全部あてはまるわたしには、思いがけないクリスマスプレゼントのような作品。11月21日よりロードショー。サイトも、まあかわいい。

UFOの存在は、子どもの頃、かなり本気で信じていて、幼なじみのヨシカとしょっちゅう空を見上げては「確認」し、「今日は何台見た」と親に報告していた。小学校3年ぐらいの頃だったか、ある子ども雑誌で「UFO目撃情報の99%は誤報」という記事を見つけて、相当ショックを受けた覚えがある。

というわけで、今夜の子守話は、UFOのお話。

子守話97「まほうつかいたまちゃん そらとぶえんばんのまき

まほうつかいの たまちゃんの きんじょの こうえんに
うちゅうから そらとぶえんばんが とんできました。

「まほうを つかって こっそり しのびこんでみようじゃないか」と
たまちゃんに まほうを おしえている まじょが いいました。
「まじょの ほうきでは うちゅうまで とべないからね」

たまちゃんと まじょは とうめいになる まほうを つかって
そらとぶえんばんに しのびこみました。

ところが なかに はいったとたん
たまちゃんも まじょも まほうが とけて すがたを あらわしてしまいました。
どうやら そらとぶえんばんの なかは まほうが きかないようです。

たまちゃんと まじょに きづいた うちゅうじんたちは おおよろこび。
ちきゅうに やってきたのは ちきゅうじんを つかまえるためだったのです。
めずらしい ちきゅうじんを うちゅうサーカスの にんきものに するつもりなのです。

たまちゃんと まじょを のせて そらとぶえんばんは
うちゅうへ とびたちました。
たまちゃんと まじょは うちゅうじんに「たすけて」と うったえましたが
ちきゅうの ことばは つうじません。

「まほうが つかえないんじゃ おてあげだ」と まじょ。
まどの そとに みえる ちきゅうが どんどん ちいさくなります。
もう にどと おうちには かえれないのでしょうか。
たまちゃんは パパと ママの かおを おもいだして かなしくなりました。

うわああああああん!
そらとぶえんばんが われそうな おおごえで たまちゃんが なきだすと
なみだが ふんすいみたいに いきおいよく とびちりました。
すると うちゅうじんたちは にげまわるではありませんか。
なんと うちゅうには みずが ないので
うちゅうじんは みずが だいの にがてだったのです。
「いいぞ。そのちょうしだ。もっと おなき!」と
まじょが ばんざいして いいました。

たまちゃんは かなしいことを たくさん おもいだしました。
だいすきな クッキーを ママに たべられてしまったこと。
あめが ふって おさんぽに いけなかったこと。
かくれんぼで かくれたのに みつけてもらえなかったこと。
おたんじょうびを おいわいしてもらったのは うれしい おもいで でした。
でも こんどの おたんじょうびには ちきゅうに いないかもしれません。
そう おもうと なみだが あとから あとから でてきました。

うちゅうじんたちは たまちゃんの なみだが とんでこない
そらとぶえんばんの かたすみに あつまって そうだんを はじめました。

ちきゅうから とおざかっていく そらとぶえんばんを 
みあげていた ひとたちは びっくりしました。
とつぜん そらとぶえんばんが まわれみぎして ちきゅうに もどってきたのです。
うちゅうじんたちは こまった みずを まきちらす ちきゅうじんを
ちきゅうに かえすことに したのでした。

こうして たまちゃんと まじょは まほうを つかわずに
ぶじ ちきゅうに もどってくることが できました。 
「こどもが びいびい なくのも たまには やくにたつもんだね」
いじっぱりな まじょは すなおに おれいを いいませんが
おやつを にばいに ふやす とっておきの まほうを
たまちゃんに おしえてくれました。

2008年11月06日(木)  「遊園地のドレス」「音が降る傘」
2007年11月06日(火)  整骨院のウキちゃん1 伝説の女編
2003年11月06日(木)  よかったよ、ガキンチョ★ROCK


2009年11月05日(木)  レヴィ=ストロース氏を知っていますか

先日のこと。
「レヴィ=ストロースって読んだ?」とある人に聞かれて、咄嗟に何のことだかわからなかった。わたしの耳には「ベビーストロース」と聞こえ、煮込み料理か肉の部位か、がっつりした食べものを連想したが、読むというからには書名か著者名だろう。

「知らないの? 20世紀を代表する文化人類学車だよ。ついこないだ100歳で亡くなった……」と質問した相手は呆れ、
「その人、日本人?」とわたしが聞いたら、絶望的な目をされた。
だって、紛らしい人いるじゃない。ユースケ・サンタマリアとかリリー・フランキーとかケラリーノ・サンドロヴィチとか。
「あのねえ、レベルが違うよ」
その人は、かつて「ケラリーノ・サンドロヴィチって外人?」と聞いたことを棚に上げて、わたしの無知をなじる。悔しいので、レヴィ=ストロースについて解説してみせてよと言うと、文明社会より劣っているとされていた未開社会にも秩序と構造があるという構造主義を唱えた人だと説明された。
「なんとなく、大学の文化人類学の講義で聞いたことある気がする」と言うと、
「だから、さっきから言ってるでしょ。文化人類学車だってば!」
「その人に影響されて本とか書いてる人、けっこういるんじゃない?」
「そんなの、いくらだっているよ!」
「自分だって、コーヒー豆のキリマンジャロをミケランジェロって言ってたくせに」
「あれは言い間違いだよ!」
そうして、その人は、「知らないなら、知らないと、はっきり負けを認めなさい」とわたしの知ったかぶりを責め始めた。

負けずぎらいで意地っ張りなせいもあるけれど、知らないことを聞いたとき、わたしは少しでも、その知らないものと自分との接点を見つけようとしてしまう。それは、人にはみっともない悪あがきに見える。でも、それは、興味を示していることの表れでもある。その後にはちゃんと知ろうとするし、少しずつながら無知を克服しているのだから、いいじゃないのと反論した。

知ったかぶることもなく、自慢することもないかわりに、聞けば何でも知っているご近所仲間のT氏に、「レヴィ=ストロースって知ってますか」と聞くと、当然のように知っていて、「同じくユダヤ系のリーバイ・ストラウスとスペルが同じで、よく間違われるんですよね」と豆知識を授けてくれた。

調べてみると、ジーンズのほうはLevi Straussで、レヴィ氏はLévi-Strauss。レヴィが名でストロオースが姓だと思ったら、レヴィ=ストロースが姓で、ファーストネームはクロードということがわかった。名乗ったときに「pants or books?」と聞かれたというエピソードが面白い。

そんなことがあったので、今日の読売新聞文化面に掲載された「レヴィ=ストロース氏を悼む」の見出しが目に飛び込んだ。人類学者の中沢新一氏が「彼の精神こそ私の神」と題する追悼文を寄せている。レヴィ=ストロース氏を大鷲にたとえ、「その鋭い目は、地上を動くどんな小さな生き物の動きも見逃すことがなく、現代人が無価値なものと打ち捨てて顧みない、ささやかな事象の中に、人間精神の秘密を解き明かす可憐な花を探し当て、その美しさと賢さを賞賛した」彼の精神に神を見ている。「私が思考しているのではない、私をつうじて、人類の心が本性にしたがって思考しているのだ」と語っていた謙虚さをたたえ、「この謙虚を剣として、現代文明という巨大な風車へ立ち向かっていった、偉大なるドン・キホーテなのであった」と評する。「二十世紀文化をかたちづくる星々の中でも、とりわけまばゆい光を放っていた孤独な魂」という例えも美しい。

格調高く力強く尊敬の念に満ちた追悼文の書き出しに、画家だった父が描いたという「少女の格好をして大きな本を読むふりをしている」幼年期の肖像画の話が出てくる。百歳を超えて長生きしたという父親は、息子にも長生きを願って女の子の格好をした絵を描いたらしい。この絵のエピソードに、とてもあたたかなものを感じた。

2007年11月05日(月)  捨て台詞
2005年11月05日(土)  開東閣にて「踊る披露宴」
2004年11月05日(金)  『催眠リスニング』1か月


2009年11月04日(水)  『風が強く吹いている』をもう一度スクリーンで

マスコミ試写で観た(>>>日記)『風が強く吹いている』を劇場公開中のスクリーンでもう一度観る。わたしのサイトに熱烈な感想が書き込まれているのを見て、また観たくなってしまった。試写室のスクリーンは小さいし、映画関係者の多い試写と一般公開では反応が微妙に違うので、同じ作品でも異なる味わいがある。

大きなスクリーンで観ると、美しい場面はより美しく、たくさんの観客の中で観ると、笑える場面はより笑える。登場人物一人一人が物語の時間をしっかり生きていて、いとおしくて、あらためて愛せる映画だなあと思った。でも、二度観てしまうと、もう少しずしりと来るものが欲しくなってしまったのは、欲張り過ぎだろうか。展開を読めてしまっているがゆえに新たな衝撃を求めてしまうのかもしれない。

大学陸上部で長距離をやっていて、へなちょこながら駅伝も走っていたダンナにも、しつこく勧誘して観てもらったのだが、設定を聞いただけで「ありえない」と鼻白んでいた態度は覆せなかった。「でも、箱根のレースの臨場感はすごかったでしょ」と食い下がると、「物心ついたときから箱根を観てるから、既視感があるんだよな」。映画の受け止め方というのは、ほんとに人それぞれ。長距離をやっていたか、箱根を何回テレビで観たか、そんなことが共感の温度差をつくる。

わたしがこの作品に共鳴したのは、授業にも出ないで無謀な夢に向かって走り込む彼らのひたむきさに、応援団で若さを燃焼させていた自分を重ね、「走る」ことの意味を「書く」ことの意味に置き換えて観たからで、陸上から少しズレていたのが幸いしたのだろうか。鐘をついて音を響かせるには引いてみる幅が必要で、実体験にくっつきすぎていると、既視感との答え合わせに忙しくなってしまうのかもしれない。

実際に箱根を走った人たちはどう観たのか、感想を聞いてみたい。関西育ちで箱根駅伝になじみがなかったわたしは、この映画に出会って、来年早々のお茶の間鑑賞がうんと楽しみになった。そして、テレビで箱根を観たら、また映画を観たくなる気がする。そのときまで、スクリーンで走り続けてくれますように。

2008年11月04日(火)  気功教室初級編修了
2005年11月04日(金)  名久井直子さんの本
2002年11月04日(月)  ヤニーズ4回目『コシバイ3つ』


2009年11月03日(火)  「クリスマスの贈りもの」の反響と子守話


先日の「初めてのお弁当」が好評だったのに気を良くして、二度目のお弁当をこしらえ、一家で近所の植物園へ。炊飯器でごはんを炊くのと同時にふかしたさつまいも、じゃがいもとブロッコリーをアンチョビオイルで和えたサラダが加わり、あいかわらず手抜きながらも前回(写真左)より彩り華やかに。今日は風が強く、冷えこみもきつく、ピクニック日和とはほど遠い空模様。震えながら食事して、さっさと退散した。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの期間限定サイト「Limited Christmas(リミテッド・クリスマス」(2010/1/17追記:2010/1/6サイト終了にともない、縦書き文庫に引っ越して再公開)用に書き下ろした初めての短編小説4編「クリスマスの贈りもの」(>>>10月31日の日記)が公開されて、5日目。ちらほら感想が舞い込み始めたが、おおむね好評で、胸を撫で下ろしている。脚本と違って小説は、役者の演技や監督の演出が加わらず、書いたそのままが世間にさらされるところが面白くもあり、怖くもあり。

単行本の予定は今のところないけれど、一作目の「サンタさんにお願い」を掲載した小冊子を作成し、プレスや地元幼稚園向けに配るとのこと。その見本誌が届いた。表紙は大野舞さん。一時期同じ会社の、背中合わせの席にいた。今はフリーのイラストレーターとして活躍されていて、冊子上で再会。

「クリスマスの贈りもの」にちなんで、96話目の子守話は、クリスマスのお話。だいぶペースが落ちてしまったけれど、年初に掲げた「今年中に100話突破」の目標は達成できそう。

子守話96「まほうつかいたまちゃん クリスマスのまき」

クリスマスが ちかづいた あるひのことです。
まほうつかいのたまごのたまちゃんに
まほうを おしえている まじょが いいました。
「どれだけ まほうが じょうずになったか ちからだめしを しよう。
 サンタクロースの プレゼントを まほうを つかって
 よこどりしておいで」

「よこどりして どうするの?」と たまちゃんが きくと
「きまってるだろ。あたしが こどもたちに くばるんだよ。
 そうすれば こどもたちは まじょが だいすきになる」と
まじょは いいました。
かおも こえも こわい まじょですが
じつは とても さびしがりやなのです。

「だったら まほうで プレゼントを つくればいいのに」と
たまちゃんが いうと
「こまごました プレゼントを いちいち こしらえて
 トナカイや そりを よういしてたら
 クリスマスに まにあわないだろ」
まじょは さびしがりやなうえに めんどくさがりやなのでした。

「ぶじ サンタさんの プレゼントを よこどりできたら
 とっておきの まほうを おしえてあげよう。
 それが あたしからの クリスマスプレゼントだよ」
まじょが そういったので たまちゃんは ちからだめしを
してみることに しました。

さあ はたして うまくいくでしょうか。

さいしょに たまちゃんが つかったのは そらとぶ まほうでした。
トナカイが ひっぱっている サンタさんの そりに
そうっと おりるはずが どすんと しりもち。
「おや?」と サンタさんが ふりかえりましたが
やまづみの プレゼントが じゃまになって 
たまちゃんの すがたは みえませんでした。

つぎに たまちゃんが つかったのは 
サンタさんを ねむらせる まほうでした。
「ねむくなあれ ねむくなあれ」
ところが サンタさんの からだは おおきすぎて
なかなか まほうが ききません。

かわりに トナカイが こっくりこっくり いねむりをはじめて
そりが そらを すべりだいみたいに すべりおちていきます。
「どう! どう!」と サンタさんが ちゅういすると
トナカイは ねむけを さましましたが
「キャー!」と さけんだ たまちゃんは
サンタさんに みつかってしまいました。

どうしよう。どうしよう。
まほうつかいの たまごの たまちゃんが つかえる まほうは 
いちにちに たった みっつです。
あと ひとつしか のこっていません。

たまちゃんが いい まほうを おもいつくまえに
サンタさんが やさしく こえを かけてきました。
「おやおや たまちゃん。どうしたんだい?」
せかいじゅうの こどもたちの なまえを しっている サンタさんは 
もちろん たまちゃんの ことも しっていました。
「プレゼントが まちきれなかったのかな。ほうら これだよ」
そういって サンタさんが さしだした ふうとうを あけてみると
おえかきノートと いろえんぴつが はいっていました。
サンタさんは たまちゃんが ほしいものも ちゃんと しっていました。

「せっかくだから いっしょに プレゼントを くばるかい?」
たまちゃんは サンタさんと いっしょに こどもたちの いえを
まわることに なりました。
まくらもとの くつしたに プレゼントを いれるとき
たまちゃんは こっそり おまけを いれました。
サンタさんに もらった いろえんぴつで かいた まじょの にがおえです。
その いちまいを みっつめの まほうで たくさんに ふやしたのでした。

あくるあさ くつしたを のぞいて 
サンタさんからの プレゼントと いっしょに
まじょの にがおえを みつけた こどもたちは
「なにこれ? へんてこな かお」と くすくす わらいました。
そして ちょっぴり まじょのことが すきになりました。

だけど まじょは なんだか ごきげんななめです。
「まだまだだね。
 とっておきの まほうは おしえてやらないよ」
たまちゃんの まほうが へたくそだから?
いいえ。
どうやら たまちゃんが かいた にがおえが きにいらないようです。

魔女が怖いのか、自分がおっちょこちょいな役回りなのが好かないのか、娘のたまはこれまで「まほうつかいたまちゃんシリーズ」に食いつきが悪かったのだが、今回は珍しく聞き入ってくれた。驚いたのは、「まじょ」と聞いて、「ちゅばさが よんでいた まじょの おはなし?」と反応したこと。5月に放送された「つばさ」の8週、9週を覚えていたのか?とびっくりしたけど、先日届いたDVD BOX第2弾の特典映像で『まじょのなみだ』をつばさが朗読(ラジオぽてとの番組「おはなしのへや」で玉木家バージョンを取り上げたという設定)しているのを観ていた。それを思い出したのだろう。「まじょ ないちゃうんだよね」と内容もよく覚えていた。

2008年11月03日(月)  秋刀魚と電車目当てに銚子へ 2日目
2006年11月03日(金)  マタニティオレンジ25 国産車か外車か
2005年11月03日(木)  柴田さん、旅立つ。


2009年11月02日(月)  年に一度の一日保育士さん

今日は保育園の年に一度の保育参加の日。「参観」ではなく「参加」なのは、実際に保育士さんたちに混じって保育に参加するから。去年は近所のお散歩につきあった(>>>日記)が、今年は曇り空のため、園で過ごすことに。

いつも通り登園し、いつもは別れを惜しむところを今日は留まるので、娘のたまは大喜び。週末をべったり一緒に過ごした後の月曜日はとくに甘えたがる。

まずは、物置を改造した秘密の遊び部屋へ。二畳ほどの小部屋に小さなすべり台とマットが置かれている。すべり台はジャンプ台と化し、子どもたちは登っては飛び降りる。すべり台の下の柵の中は格好のかくれんぼ場。

続いて、部屋の押し入れからロディちゃん(わたし好みのカラフルな動物の乗り物。耳につかまってまたがり、ジャンプする)やコンビカーを取り出し、廊下を滑走。「かして」「どうぞ」と譲りあったり、ときには取り合ったり。

たまが「だっこ」とせがむと、他の子たちも「だっこ」と集まってくる。かわるがわるだっこしたり、手をつないで「くるくるまわれ」ごっこをしたり。以前は他の子が寄ってくると「ママをとらないで!」オーラを発していたたまは、わたしが他の子をだっこしても待てるようになっていた。成長、成長。

たまと一緒にエビカニクス(父がピースボートに乗ったときに毎朝踊っているグループがあり、CDを買ってきていたエビとカニをテーマにした体遊びダンス)を踊っていると、担任の保育士さんが「みんなでダンスしよっか」とCDコンポを持って来た。「だんだんだんごむし、だんだんだんごむし」の歌がかかると、子どもたちがハーメルンの笛吹き状態で催眠術にかかったようにくねくねと踊り出す。

ダンスの後は、一人一人名前を呼ばれて、廊下をギャロップ。

わたしが寝転がったたまの足首をつかんで廊下を引っ張ると、他の子たちも集まって来て、かわるがわる背中で廊下を拭き掃除。

教室の中に入ると、こちらはおままごと大会。男の子もエプロンをつけてお母さんになりきっている。

「じゃあお外で遊びましょう」と保育士さんの呼びかけで、子どもたちは帽子をかぶり、ベランダで靴を履いて、すべり台で庭へ下りる。ずいぶん遊んだなあと時計を見たら、まだ一時間しか経っていない。年に一度、半日限りのわたしはイベント気分だけど、保育士さんは、これを一日中、しかも一年中やるんだなあと恐れ入った。

庭では三輪車で走り回ったり、落ち葉の焼き芋屋さんごっこをしたり。たまは得意の缶ぽっくりを黙々と。飽きると砂場遊びを始めるが、これも一人の世界に入り込むスタイル。昨日根津で食べたたいやきが気に入ったと見えて、たいやき型でせっせと砂たいやきを作る。お友だちが「たいやきくださいな」と買いに来ると、渋々売ってあげていた。

庭での濃密なひとときは、時間にすれば30分。ようやくお昼ごはんとなる。

子どもたちは3つのテーブルに分かれ、テーブルに各自のマークのシールが貼られているところを見ると、決まった席で毎日食べている様子。食事前に「たべられないもの ×(バツ) × たべるもの ○(マル) ○ ピコピコピコピコテレパシー」という歌を歌いながら保育士さんがクイズを出す。指輪は「×」。ピーマンは「○」。おばけは「×」……。一問ごとに「あたった、はずれた」と一喜一憂する子どもたち。「おれ、○っていったよ」と正解を自慢する男の子、「こたえ いうの わすれちゃったー」と残念がる女の子。ちょっとした食育ゲーム。

食事は大人の介助なしに子どもたちで。3歳児同士、食事の会話というものが成り立っているのが面白い。わかめを鼻の下に貼り付けて「ひげ」をやる子を真似して、次々と「ひげ〜」。それを見て、「なにやってるのー」とまわりのテーブルの子たちが笑う。

たまは食事が終わるとわたしが帰ってしまうのを察して、「ねえ ママ おしごといっちゃうの?」と心配そう。それを聞きつけた同じテーブルの男の子が、「ねえねえ たまちゃんママ〜。ないしょのはなし」と言うので耳を近づけると、「おひるごはんおわったら、おしごといっちゃうの?」と聞いてきた。「うん、そうだよ。たまちゃんにはナイショね」と言ったのに、「たまちゃんママ、おしごといっちゃうってさ」と言って、たまの反応を試す。3歳児といえども油断ならない。

食べるペースが落ちてきたので、たまのスプーンを手に取り、「だ〜れのおくちにいこうかな?」と食べさせると、「わたしも」「ぼくも」とうれしそうに大きな口を開ける。みんなかわいい、面白い。いつもは送り迎えのときに顔を見るだけのクラスメートの子どもたちに、いっそう親しみを感じる。

わたしが去るとき、たまは大声でわんわん泣いた。

いったん帰って、午後は担任の保育士さんと面談。「言葉で気持ちを表現できるようになり母子ともにストレスが減った」こと、お弁当を喜んでくれたこと、執念深さゆえに記憶力が良いこと、食べることと読むことが好きなら人生楽しく生きていけると考えていることなどを話す。園での様子をうかがおうと思っていたのに、気づいたらわたしばかりしゃべってしまった。普段子どものことを話す相手がダンナぐらいなので、聞いてもらえて調子に乗ってしまった。

「たまちゃんは、遊びが独創的。だから、まわりの子たちが放っとかないのよ」と保育士さん。わが道を行くユニークな子であるらしい。

2008年11月02日(日)  秋刀魚と電車目当てに銚子へ 1日目
2006年11月02日(木)  ハートの鍛え方
2005年11月02日(水)  ウーマンリブVol.9『七人の恋人』
2003年11月02日(日)  ロンドン映画祭にも風じゅーの風!
2002年11月02日(土)  幼なじみ同窓会


2009年11月01日(日)  「おべんとう もっていこうよ」で初めてのお弁当

娘のたまはわたしに似たのか、思い立ったことはやり遂げないと気が済まない。一昨日の夜「ぎゅにゅう かう」と言い出したので、「明日ね」と適当に逃げたら、昨日の朝から「ぎゅうにゅう」と言い続け、忘れたかと思いきや夜になってまた言い出し、約24時間遅れで宿願を果たすことになった。

今朝は起きたときから「どうぶつえんで モロレールのる」(モノレールと言えない)と言っていたが、これも昨日の夜に約束したこと。「どうぶつえん いこうよ。おべんとう もってさ」と言うので、お弁当をこしらえることになった。

どうやら最近保育園でお弁当ごっこがはやっているらしい。こどものともの絵本「おべんとう」もお気に入りだ。冷蔵庫にあるものをかき集めて、ひじきふりかけおにぎり、ほうれん草の玉子焼き、ウィンナー、ブロッコリーを用意した。「子どもの言葉は魔法だねえ」とダンナが驚く。

まったく大したことのない中身なのに、上野動物園でお弁当を広げると、たまは大はしゃぎ。焼き足りなかったのか、うまく足が開かなかった「直立不動たこウィンナー」に「わあい、たこだ!」と大喜びしてくれるのは泣かせるが、「ママー、すごいねー。はじめての おべんとうだねー」とまわりのテーブルに響きわたる大声で言われたのには、まいった。お弁当ぐらい作ったこと……と記憶をたどると、なかった。

動物園で決まって見るのは、キリンとゾウとホッキョクグマ。ホッキョクグマが水に飛び込む瞬間を見たくて、しばらく張りついていたけれど、一向にその気配なし。「なんだか遠く見てるねえ」「せつない目してる」「故郷を思い出しているのかなあ」などとまわりから囁く声がする。佇まいだけで憂いを漂わせるのは大したものだ。とても飛び込む気力は残ってなさそうだなと柵の前を離れた途端、ドボンという派手な水音とともに一斉に歓声が上がり、やられた!

再来園用のチケットをもらって一旦外に出て、ミニ遊園地へ。乗り物はどれもお子様サイズで、料金は大人も子どもも一回100円。動物園のモノレールが大人160円、子ども80円だから、遊園地のほうが乗り甲斐がある。でも結局、動物園に戻ってモノレールに乗り、昨日から一日越しの念願を果たした。

2008年11月01日(土)  「恋愛地理学」の朴教授
2005年11月01日(火)  シナトレ4 言葉遊びで頭の体操
2002年11月01日(金)  異種格闘技
2000年11月01日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2009年10月31日(土)  初めての短編小説「クリスマスの贈りもの」

今朝未明、2か月ぶりのメルマガ「いまいまさこカフェ通信」を発行。日付が変わったからと一日足したつもりで発行日を11月1日と記載してしまったが、まだ10月だった。

「今井雅子初の短編小説がユニバーサル・スタジオ・ジャパンのクリスマスサイトに登場」が今号のメインニュース。

「いまいまさこ」の名前で書いた小説『ブレーン・ストーミング・ティーン』を熱心に応援し、「ぜひまた小説を書いて欲しい」と言い続けてくれていた友人N君が実現させた企画で、話が来たのは8月。『ブレスト』は広告業界での実体験を元に膨らませたものだけど、親子の絆をテーマに何本も書けるかどうか……本業は小説家じゃなくて脚本家だし、名前のある作家さんに頼んだほうがいいのではと返事したところ、「まだ色がついていない人に書いて欲しいのです」ともうひと押しされた。

「ためしにまず一編書いてみます」と返事して、最初に書いたのが「てのひらの雪だるま」。あ、書けそうだと手応えを感じて、立て続けに4本書き、「重い話が多い」と指摘されると、ちょっと軽めの話も書き、気がつくと、「4、5本」の依頼だったのに、10本の短編が出来上がっていた。

書いている間は、ほんとに楽しくて、母国語(大阪弁)で台詞を書けるのは、サイズがぴったり合った靴で走らせてもらっているみたいに気分が良かった。自分が子どもの頃からたくさんのプレゼントを受け取って来たことを思い出して、幸せな気持ちにもなれた。大学の卒業式にはクリスマスツリーに仮装したほどクリスマスはわたしのいちばん好きな日で、今でも毎年楽しみだけど、そう思えることも贈りものだと思う。

何より、N君の熱意が何年か越しで形になったことが、わたしにとって、記念すべきクリスマスプレゼントになった。

10本の中から絞り込み、書き直しを重ねた4本が、昨日オープンしたUSJのクリスマス特設サイト「Limited Christmas(リミテッド・クリスマス)」に登場。


「サンタさんにお願い」
「てのひらの雪だるま」
「パパの宝もの」
「壊れたビデオカメラ」

連作短編を束ねるタイトルは「クリスマスの贈りもの」にしようと最初から決めていた。読んでくださった方にとって、プレゼントになるような物語を届けられますように。願わくば、そのプレゼントが、次の誰かへ手渡されていきますように。

http://www.usj.co.jp/limited/にアクセス(音楽が流れますので音量にご注意)し、フラッシュムービーが終わると、下のほうにバーが出てきて、

「クリスマスの贈りもの」をクリックすると、短編小説4編の表紙へ。

また、小説ページの表紙左下に出ている「ワンダーピックスでの記念写真をプレゼント」の応募フォームの中に小説の感想を書き込む欄があるので、プレゼントに応募しつつ感想を書き込んでいただけると、それがわたしへの何よりの贈りものです。

★2010/1/17追記:USJ特設サイト終了(2010/1/6)にともない、縦書き文庫に引っ越して再公開。

2008年10月31日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』初号試写
2006年10月31日(火)  マタニティオレンジ24 体重貯金
2005年10月31日(月)  もしも、もう一度子育てができるなら。
2004年10月31日(日)  ご近所の会@タンタローバ
2002年10月31日(木)  青年実業家

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