2007年09月27日(木)  1979〜80年「4年2組 今井まさ子」の日記

7月以来の関西仕事で、たまを連れて大阪の実家へ。20年前にアメリカで買い求めたFamily Treeの本を探して、「雅子」と書かれたダンボールを掘り返す。名前を書き込んだり写真を貼ったりして家系図を完成させる本で、クラシカルな洒落た装丁だった記憶がある。めあてのものは見つからず、切手コレクションや映画のパンフレットや父の教え子が作った紙芝居(ZIGGYというタイトル)などが出てきた。

その中に、「私の思い出 4年2組 今井雅子」の表紙がついた日記があった。小学校のとき、毎日用紙が配られて宿題で書いていたもので、飛び飛びだったり「?月?日」があったりするものの、ほぼ一年分あり、一日数行とはいえ読みごたえがあった。表紙の「雅子」は漢字だけれど、日々の記名欄は「まさ子」。四年生といっても難しい漢字はほとんど使っていないし、たまに背伸びすると間違っている。習字を習っていた割には書きなぐったような乱暴な字で、「しゅう字の日はきらいです」とはっきり書いてある。

妹がきらい弟がきらい、友だちがいそがしくてつまらない、テストばっかりで死にそう、班のまとまりが悪い、などと嘆いたりぼやいたり文句ばっかり言っている。今のわたしはどちらかというとポジティブな部類に入るように思うのだけど、小学四年生のわたしは相当愚痴っぽい。傷つきやすいところ(母親のなにげない一言を引きずる)や正義感が強いところ(おとなしくてクラスになじめない転校生をやたらと気にかけている)は今と同じなので、やっぱりこれはわたしなんだな、と思ったりする。

しゅう字の日とじびかの日が週に一度ずつあり、たいそう教室(バレーボールを習っていた)が二週に一度あり、あとは幼なじみたちと家を行ったり来たりしてよく遊んでいる。夏休みの日記を読むと、毎日のようにあちこち連れて行ってもらっていて、旅行も立て続けに行っている。旅行の間は愚痴も減り、「楽しかった」と書いてあった。

「死ぬ」「ころす」といった物騒な言葉が遠慮なく使われていて、どきどきしてしまう。「妹とじさつのマネをした」日もある。「いきをとめるのがしんどかった」と続くので、遊びだとわかるけれど、はらはらする。ダークなものに憧れる気持ちの強さの割に善悪の判断基準がまだあやふやでブレーキ機能も未発達。だから危なっかしいことを平気で言ったり書いたりしてしまう。無邪気で残酷。もしもこの頃にわたしが何か事件を起こしていたら、日記が参考資料として押収され、危険な発言てんこもりの内容に「やっぱり……」となったのだろうか。「子どもの頃の自分が怖くなった」と母に言ったら、「子どもってそんなもんやで」と笑っていた。日記を読んでいると、子どもだけの「ほったらかしの時間」がたくさんあり、きょうだいや友だちの間でもまれながら、好奇心を満たし、問題を解決し、生きる力をたくましくしていったのがうかがえる。でも、自分の娘が四年生になったとき、日記に何が書いてあっても「子どもってそんなもん」と笑ってられるかどうか、自信がない。手出し口出しするより見守ることのほうが難しそうだ。

日記は1979年5月17日からはじまる。「(書くことが)とく意ではない」と書いているのは、謙遜だとしたらいやらしいけれど、本当にあまりとく意ではなかった可能性もある。日を追うごとに文体(口調)のバリエーションがふえ、行数もふえ、「筆がのって」きている。もしかしたらこの日記が書くことを好きにしてくれたのかもしれない。実家にいる間に何日分かをアップしたが、当時の時間割や持ち物が書いてあるのも興味深い。

1979年5月の4年2組日記
1979年6月の4年2組日記
1979年7月の4年2組日記
1979年9月の4年2組日記
1979年12月の4年2組日記
1980年1月の4年2組日記
1980年2月の4年2組日記
1980年3月の4年2組日記

2005年09月27日(火)  串駒『蔵元を囲む会 十四代・南部美人・東洋美人』
2003年09月27日(土)  ハロルド・ピンターの「料理昇降機(THE DUMB WAITER)」
2002年09月27日(金)  MONSTER FILMS


2007年09月25日(火)  すごい本『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』

すごい本を読んだ。『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(伊藤比呂美)。そもそも手に取ったきっかけが、あちこちの書評でいろんな人が口々に「すごい」とほめちぎっていたからなのだが、読んでいる間も読み終えた後も「すごい」としか言いようがなく、他の表現を探してみたのだけれど、「圧倒された」「しびれた」といった言葉しか思い浮かばず、「すごい」の一言に尽き、わが身の言葉力の貧弱さを思い知らされた。

著者の伊藤比呂美さんは映画にもなった『よいおっぱい悪いおっぱい』を書かれた作家であり詩人。小説のように読めるこの作品は「長編詩」として群像に連載されていたものだという。上下の余白を切り詰めたレイアウトが、ほとばしる言葉をページいっぱいに受け止めている。要介護となった母親の排泄の世話、アメリカ人の夫とのセックス不和、「生」につきまとう生々しいこもごもが包み隠さず描かれているのだが、そこにはジメジメした不快感よりも爽快感、風通しの良さがある。たとえば、要介護となった母のおむつを替えながら、わが子のおむつ替えを思い出す場面。

昔なんどもやりました。薄桃色のつるんとしたおしりたちでした。出てくるものもきいろくてみどりいろで指先ですくいとってもいいと思うほどうつくしく、発酵乳のようなすっぱいにおいがして、うんこといってしまうのが勿体なくて。それで、うんちとよびならわしていたのです。

書かれているのはシモの話なのに、下世話にならない。愚痴の垂れ流しではなく文学、露悪趣味ではなく芸術に至らしめるその違いは何なのだろう。書き手の覚悟だろうか。裸を堂々と見せつけられると、いやらしさよりも崇高さを感じてしまうような開き直りの強さ、本音の潔さがある。どうしようもない憤りや苛立ちがそのまま筆の勢いになり、現実から目をそむけたり蓋をしたりしている読者を打ちのめす。

四十手前になり、出産もし、若い頃に比べてずいぶん図太くなったとはいえ、まだまだ捨て身になりきれず、他人から見れば取るに足りない恥じらいやプライドを守ろうとしてしまうわたしには、伊藤さんの「裸の境地」は遠くに光る星のように眩しく見える。

ブラジャーなんかとうのむかしに捨てました。若かったころは乳首がぽつりと見えるのが、しかたないとは思いながらも気になっていたものです。今はそんなところに乳首はございません。もっとはるか下、しかも左右不均等な場所にゆらゆらとついております。ときにわき腹のあたりに下向きでぽつりと見えたりしております。

こんなことはとても書けないし、書けたとしても、こんな名調子、こんなおかしみと哀しみをたたえた文体にはできない。

ダンナの実家を訪ねるときに何度も通っている巣鴨のお地蔵さんが題名に登場する親近感も、この本に興味を抱いた理由のひとつ。場所としてのお地蔵さんも登場するが、「人生のとげ=苦」を抜くことが全編を貫いている。

たらちねの母といえども、生身であります。
昔は小さな女の子でありました。
怖いときには泣いてました。
父や母や夫や王子様に、助けてもらいたいと思っておりました。
(中略)
このごろじゃすっかり垂れ乳で、ゆあーんゆよーんと揺すれるっほどになりまして、
足を踏ん張り、歯をくいしばり、
ちっとも怖くないふりをして、
苦に、苦に、苦に、
苦また苦に、
立ち向かってきたんですけど、
あゝあ、ほんとに怖かったのでございます。


母であり、娘であり、女であり、それぞれの立場の苦しみを抱えている。その生身の人間の肉声が訴えかけてくる迫力は、体の奥底を揺さぶるような衝撃を伴い、陣痛の感覚を呼び覚ますようだった。気に入った部分を抜き書きして紹介していると、またしても写経になってしまいそうで危険危険。各章のおわりに、

宮沢賢治「風の又三郎」、そして、山本直樹、萩原朔太郎、山口百恵(阿木燿子)などから声をお借りしました。

といった具合に引用の断り書きがあるのだが、この言い回しには、伊藤比呂美さんはイタコのような人ではなかろうか、という想像もかきたてられた。

他に、最近読んだ本では、川上弘美さんの『神様』の中に、男に「好き」というかわりに「しあわせです」と言うようになった女の話があり、それがしみじみと好ましく思えた。こちらは圧倒されるというより、心地いい水にいっしょにつかる感じの一冊。打ちのめされたり、ほぐされたり、本によって全く違う場所に連れて行ってもらえるのが面白い。

2003年09月25日(木)  ディズニー・ハロウィーン
2002年09月25日(水)  宮崎・日高屋の「バタどら」
2001年09月25日(火)  『パコダテ人』ロケ3 キーワード:遭遇 


2007年09月23日(日)  オフコースを聴いて思い出すこと

 最近通っている近所の整骨院で、オフコースがかかっていた。『さよなら』『言葉にできない』など、中学生から高校生の頃にかけてよく聴いた曲が次々と繰り出される。施術を受けながら、頭はその時代へ飛び、「誰でも弾けるオフコース」みたいな本と首っ引きで、拾ってきたギター(向かいに住むお金持ちの家の前には、電化製品から旅行で余ったドル札まで、何でも捨ててあった)を爪弾いたことなどを思い出した。そのギター指南本には掲載曲の成り立ちも紹介されていて、『YES-YES-YES』がまずタイトルにもなったサビから生まれ、他の部分の歌詞が肉づけされた話などを覚えている。
 「やさしくしないで 君はあれから新しい別れを恐れている」ではじまる『愛を止めないで』が流れてきて、苦い思い出がじわっと蘇った。中学二年生のたしか秋、この曲をクラスで合唱することになっていた。文化祭ほど大きなものではなく、授業の一時間を使ってやる成果発表会のようなものだった。集合時間ぎりぎりになったとき、わたしは交換日記をしていたIさんと会場の体育館から少し離れた廊下を歩いていた。走っても、歌一曲分ほどかかる距離。「今から行っても間に合わへんし、やめとく?」そんないい加減な判断で、わたしたちは舞台に上がることを諦め、今頃歌っているはずだなあという時間をひとけのない廊下でやり過ごした。小心者のわたしの頭の中では、体育館から聞こえてくるはずのない歌がぐるぐるしていた。
 どうしてわたしとIさんが皆とはぐれていたのか思い出せないが、「何やっとったん?」と聞かれたときのために苦しい言い訳の二つ三つは用意した気がする。けれど、クラスメートたちも担任の先生もわたしたち二人の不在にまったく気づかず、おそるおそる戻った教室で誰からも突っ込みを受けることはなかった。「うちらって何なん?」と肩すかしとともにショックを味わったけれど、尾崎豊はまだ知らず、ぐれることも思いつかなかった。

2006年09月23日(土)  マタニティオレンジ10 誕生日コレクション
2005年09月23日(金)  今日は秋分の日
2001年09月23日(日)  『パコダテ人』ロケ1 キーワード:事件


2007年09月22日(土)  マルセル・マルソー氏死去

 新聞記事でマルセル・マルソー氏死去を知る。母に連れられて大阪公演を見に行ったのは中学生のときだっただろうか。白塗りの顔で皺も塗りつぶされていたので年齢不詳だったが、享年84歳から計算すると、すでに60歳を超えていたことになる。一切言葉を発さず、身体だけで笑わせたり考えさせたりするパントマイムというものに、わたしは大いに驚き、当時の日記に「世界でいちばんパントマイムがうまいマルセル・マルソーを見た」と興奮して綴った覚えがある。遠い客席からとはいえ、生で観たことのある芸術家の訃報を目にすると、悲しみとは違う哀悼の気持ちがこみ上げ、同じ時代に生き合わせた幸運をありがたく思う。
 マルセル・マルソー氏の公演の他にもブロードウェイミュージカルやらウィーン合唱団やら、海を超えて大阪にやってきた芸術に触れる機会を母はたくさん与えてくれた。それが今の仕事を続ける栄養になっている。映画と違って舞台には子ども料金の設定がないものが多く、海外からの招聘公演となるとなおさらで、大人にも高値のチケットを子どもの分まで買うのはかなり贅沢な感覚がある。それでも自分の経験を思い起こすと、大人になる前に観たものから受けた刺激のほうが大きく、記憶の襞に刻まれているように思う。あの日大阪を訪れたマルセル・マルソー氏を観るチャンスをつかまえてくれた母に感謝しているし、今日一歳と一か月になった娘のたまにも、観る贅沢はさせたいと思っている。

2006年09月22日(金)  マタニティオレンジ9 赤ちゃんとお母さんは同い年
2005年09月22日(木)  innerchild vol.10『遙<ニライ>』
2003年09月22日(月)  花巻く宮澤賢治の故郷 その3


2007年09月11日(火)  マタニティオレンジ175 母娘漫才

広告会社時代の同僚で、6月にタマキちゃんを出産したG嬢宅に、去年出産した元同僚三人でお邪魔する。お祝いを持って行くのを口実に、ミニ同窓会。四人とも産まれたのは女の子(電磁波の影響か、はたまた高齢出産のせいか)で、女八人の集いとなった。

私は私という人が多く、それがまた受け入れられる会社だったから、四人の個性もまちまちなのだけれど、赤ちゃんも四人四様で、それでいて母親の色を受け継いでいるように見受けられるのが面白い。わたしとたまは「漫才」型なのだそうで、どちらかというと母親のわたしのほうがボケている、というか抜けていることが判明。「この子、ストローが苦手なのか、全然減らないんだよね」とたまが手にした水筒を見ながら話していると、「さっきから思ってたんだけど、ストローの下半分、ついてないよ」と言われる。よく見たら、水筒からストローが顔を出しているものの、中のお茶には刺さっていない。これではどんなに吸っても吸い上げられない。連結型のストローの下半分が洗ったときに行方不明になったらしいが、ここ数週間、そのことに気づかず「減らないなあ」と首をかしげながら使い続けていた。「たま〜、ダメだよ、言ってくれなきゃ」と一歳児に突っ込んでも意味なし。

2006年09月11日(月)  マタニティオレンジ6 予定日過ぎても踊れます 
2005年09月11日(日)  ZAKUROの2階のZAM ZAM
2004年09月11日(土)  感動の涙が止まらない映画『虹をつかむステージ』
2003年09月11日(木)  9.11に『戦場のピアニスト』を観る


2007年09月10日(月)  マタニティオレンジ174 ご近所さんちで2歳児の会 

ご近所仲間のK子ちゃん宅に去年の今頃遊びに行ったときのこと。ちょうどK子ちゃんのママ仲間の集まりと重なり、わたしと首がすわったばかりの娘のたまも仲間に入れてもらった。K子ちゃんちには、たまより一年と半月早く産まれた女の子、まゆたんがいて、まゆたんと数か月違いの女の子一人、男の子二人とそのママたちが集まり、子どもを遊ばせながらお茶をするという会だった。いつもまゆたんを見て「一年後はこうなるのかあ」と思っていたわたしは、男女二人ずつの一年後集団を観察しながら、「一歳でもはっきりと個性が出るんだなあ」とか「一緒になって遊んでいるようでも、一歳はまだ一人一人で遊ぶんだなあ」などと発見していた。

初対面のわたしとたまを温かく迎えてもらい、「また会いましょうね」と別れてから一年過ぎた先日、たまを保育園へ送ろうとしていると、「たまちゃん?」と声をかけてくださる方があり、K子ちゃんちで会ったママの一人だった。K子ちゃんから近況は聞いていたので、「二人目ちゃんが産まれたんですねー」などと立ち話した後、「こんど、うちで集まるんですが、ご都合がつけばぜひ」と誘っていただき、今日の会となった。

「広々していて、おもちゃがいっぱいで、きっとたまちゃん大喜びするよ」とK子ちゃんから噂を聞いていたお宅は、保育園の教室より広いリビングに、すべり台があり、三輪車や木馬が並んでいる。たまを解き放つと、歓声を上げてよちよち歩きで三輪車に近づき、乗せろとせがんだ。すべり台にも登っては滑り、ご満悦。二歳になったお兄ちゃんお姉ちゃんは片言をしゃべり、自己主張し、おもちゃを取り合ったり、譲りあったり。一年前には見られなかったコミュニケーションらしきものが見られて、二歳児には二歳児の社会があるんだなあと興味深い。たまはまだ一緒に遊べず、惑星のように一年後集団のまわりをよたよた歩きまわっていた。

2006年09月10日(日)  マタニティオレンジ5 卵から産まれた名前
2005年09月10日(土)  『チャーリーとチョコレート工場』初日
2004年09月10日(金)  原始焼『七代目寅』in English?
2002年09月10日(火)  大槻ケンヂ本


2007年09月09日(日)  マタニティオレンジ173 父母連総会で区長と話そう 

保育園の役員会の活動で、「父母連」の総会を傍聴する。父母連とは「文京区認可保育園父母の会連絡会」のこと。各保育園から保護者の代表が集まり、それぞれが抱えている問題を分かち合い、力を合わせて解決し、よりよい保育を目指している。ロの字型に組んだ長机を埋め尽くすお母さんに混じって、お父さんも一割ほど。意外と多い。託児もあるけれど会議までくっついて来ている子どもたちも合わせると、優に百人は超えていると思われる。

独特の熱気がみなぎる会場に既視感を覚えて、あ、女性会議だ、と思い出した。広告会社時代、広告労協という労働組合の総本山のようなところの中に女性にまつわる問題をあつかう「女性会議」なる分会があり、わたしは二年ほどその担当に就いていた。男女比といい、参加者から立ち上る空気といい、父母連と女性会議はよく似ており、懐かしさを覚えた。

都電遠足の案内、区議会議員各派とのコンタクトの報告、「園での外遊びについて」保育課からの回答の報告などなど、かけ足でてんこもりの議題をさばいていき、本日の目玉企画「区長と語ろう」の時間。新区長の成澤廣修氏は、会場向かいにある小学校の行事で正義の味方に変身するという仕事の後に駈けつけられた。

日頃から父母連は区に質問や要求をぶつける常連のようで、「お手柔らかにお願いします」と始まり、「対立と調整から、信頼と対話へ」という立ち位置を明らかにした上で、保育園の役割は「仕事と育児の両立 子育ての心理的不安の解消 子育ての経済的不安の解消」であり、「潤滑油」のように機能する「道路や水道のようにひとつのインフラ」である、「保育の質は生活の質。人間関係の質」といった考えを話された。

質疑応答では、「区長を社長とすると、保育というサービスを区政の中でどう位置づけるか。コストはかかるが住人を呼べるものにするのか、金をかけずにそこそこにするのか」と男性保護者から質問。これに対して、「入口の議論だけしていてもしょうがない。具体的な議論をしないと」と区長。要望書を送ったのに区からの返事がない、という不満に対しては、「くろやぎさんとしろやぎさん」を例えに持ち出した。若くて行動力を感じさせ、わたしが働いていた広告業界にいそうなタイプ。頭の回転が速く、受け答えもスマートだけれど、はぐらかすのもお上手な印象を受けた。文京区の子育て環境をどういう方向へ導くのか、お手並み拝見。

前の煙山力区長時代に「区長と話そう」という企画に行ってみようと思ったことがある。区長と直接話せたら、「どうして、子育てに関する文書のあて名に母親の名前が登場しないのか」を聞いてみたかった。子どもの名前のみ、父親との連名はあっても、母親の名前はいつもなく、責任だけは母親に押しつけるくせに、と腑に落ちない思いをしていた。結局、その企画は逃してしまったのだが、新区長と居合わせた今日は、皆さんの質問の緊張感を損ないそうで、「母親の名前がないのは淋しい」と直訴するのはまたの機会となった。

2005年09月09日(金)  アンティークボタンの指輪


2007年09月08日(土)  対岸のタクシー

タクシーがなかなか来なくて、反対車線のタクシーを止めることがある。そのタクシーがUターンして回ってくる間に、さっきまで一台も来なかった空車が到着してしまったりする。しかも、こちらが手を挙げているのを見て止まってしまったりして、気まずいことになる。自分の身にふりかかっても間の悪さにどぎまぎしてしまうけれど、同じことが人に起こっていても、あの人どうするかな、とドキドキしてしまう。

今日、保育園に娘のたまを送りに行った帰り、その場面に出くわした。わたしが歩いていた側の歩道に男性が立っている向かいに、ランプをウィンクさせて止まっているタクシーがいた。男性がそのタクシーを止め、乗り込むタイミングをうかがっているのが瞬時に見て取れたが、車の流れが切れず、天の川をはさんで向き合う織姫と彦星のようになっていた。男性の前を何台もの空車が通り過ぎたが、男性はそれらには見向きもしない。義理がたい人だ、とほっとし、せっかくだから男性が乗り込むところまで見届けようじゃないか、となおも見守っていたわたしは、車の波が途切れて車線が空白になった次の瞬間、「あ……」と思わず声を上げた。タクシーがUターンしてくるものと思い込んでいたら、そうではなく、男性が向こう側へ渡ったのだ。だから、こちら側の空車が何台来ようとなびかなかったわけか、と納得し、不意打ちってこういう感覚か、と思い出して楽しくなった。

2006年09月08日(金)  マタニティオレンジ4 男の子か女の子か?
2005年09月08日(木)  文芸社パンフレットの取材
2004年09月08日(水)  東銀座の『台湾海鮮』
2003年09月08日(月)  「すて奥」作戦


2007年09月07日(金) マタニティオレンジ172 『パパは神様じゃない』

新聞の書評で「男の子育てにおすすめの本」として紹介されていた『パパは神様じゃない』(小林信彦)を読む。この人の軽妙な語り口が好きで、エッセイをいくつか読んだことがあったが、自身の子育てについても書かれていたとは知らなかった。とはいえ、内容は「子育てに参加した体験記」というより、「子どもが生まれ育つ一方、父は何をしていたか」をやや自虐的なトーンで語っている。仕事で数か月家を空けている間に子どもが別人のように大きくなっていて、びっくり。別荘で仕事しようとしているのに、子どもが来ると、仕事にならない。そんなぼやきの中には、不器用さや照れも見え隠れしている。お父さんはもっと子どもといたい、もっと遊びたい、だけど忙しいし、君たちがすくすく育っているなら、何も言うことはないよ。そんな見守るような祈りが根底にあり、子育て戦力外の自分をおちょくっている。

第一子が誕生するとき、今まさにパパになろうとする小林氏は、作家仲間とホテルの一室で「水洗トイレで用を足す体位を名づける」というバカバカしいゲームに興じていた。なかなか「産まれた」と連絡が来ないので、アイデア出しのネタも尽きた頃、「あ、もうひとつあった」と思い出したのが、蓋を閉め、便座のすきまから射し込むパターン。これを「注入位」と名づけよう、と男二人で盛り上がって、まったくしょうがない。今ほど立ち会い出産が一般的でなかったのかもしれないし、今でも立ち会いできない病院はあるし、立ち会っても男はやることないとは言うけれど、何も妻が死力をふりしぼっているときに……と絶句し、脱力させられる。ここまで来ると、神様じゃないパパがかわいくさえ見えてくる。

それにしても、『自由が丘物語』(井上一馬)といい、『父の目1000日 赤ちゃん新発見―カメラとペンで綴ったわが子の3年間』(田沼武能)といい、『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと 』(山田太一)といい、男の人が書いた育児本というのは、どうしてこんなに読み物として面白いのだろう。母親のように入り込んでいない分、自分と子どもを客観的に見れるので、笑い話にできるのだろうか。肩の力が抜けていて、読んでいて気楽だし、楽しい。

2006年09月07日(木)  マタニティオレンジ3 「食事のおいしい産院」で産みたい!
2004年09月07日(火)  韓国のカメラマン Youngho KWONさん


2007年09月06日(木)  マタニティオレンジ171 苦し紛れの雨カバー

雨の日の朝は、悩ましい。保育園までベビーカーで行くべきか、だっこで行くべきか。ベビーカーをすっぽり包むレインカバーなるすぐれものが市販されているのだけれど、それをまだ買っていないので、悩む羽目になる。雨に降られるたびに買わなきゃと切羽詰るのだけれど、雨が上がると忘れてしまう。さすがにたまも9キロを超えてだっこは重くなってきたので、無理やりベビーカーを漕ぎ出すのだけれど、差し向けた傘が届かず、保育園に着く頃には濡れ鼠になっていたりする。

そんな話を同じクラスのママにしていたら、いいものがある、と思い出した。こないだ買った仕事用の椅子をくるんでいた巨大なビニール袋。あの椅子より小さいベビーカーなら余裕で包み込める。早速かけてみると、すそが余るほど。たるんだところをくるくると巻いて丸め、こりゃいいわ、濡れる心配なし、と保育園へ。しかし、行きかうベビーカーの立派なレインカバーを見ると、うちの手作りというか手抜きレインカバーの何とみすぼらしいこと。保育園裏のベビーカー置き場でも、ゴミが迷い込んだような異彩を放っていた。レインカバーの話をしたママとちょうどお迎えのときにすれ違ったら、「見ましたよー。苦し紛れのカバー」と声をかけられ、そうよねやっぱり苦しいよねーと苦笑。早いとこ買わなきゃ。

2006年09月06日(水)  マタニティオレンジ2 着たいがない!
2004年09月06日(月)  シナトレ1 採点競技にぶっつけ本番?
2002年09月06日(金)  ミナの誕生日


2007年09月05日(水)  モランボンの鍋ソング 

モランボンの鍋ソングのCDが届く。タイトルは「なべ・なべ・鍋にしよう〜おすすめはキムチチゲ!〜」。「今日はお肉が食べたいから なべ なべ なべ なべ 鍋にしよう」ではじまる肉バージョンの他に、魚バージョン、野菜バージョンがあり、全3種類。それぞれ肉売り場(肉屋さん)、魚売場(魚屋さん)、野菜売場(八百屋さん)と売り場を変えて流すとのこと。

ネットで「いまいまさこ」を見つけて作詞をしませんかと声をかけてくださったマイソングという会社との初仕事。『冷凍マイナス18号ソング』『ダノンおなかすっきり体操ソング』に続いて、食べ物PRソング三作目。冷凍マイナス18号は「地元のスーパーで流れてる」「旅行先のスーパーで流れてた」などと全国あちこちから遭遇レポートが寄せられて楽しい思いを味わった。鍋の歌もあちこちの売り場をにぎわせてほしい。

2006年09月05日(火)  マタニティオレンジ1 マタニティブルーの逆は?
2005年09月05日(月)  あたり前田のクラッカーと551蓬莱
2004年09月05日(日)  映画女優 高峰秀子『チョコレートと兵隊』


2007年09月04日(火)  愛すべき映画『Little DJ〜小さな恋の物語』

映画『シムソンズ』を観たとき、同じ時期に『子ぎつねヘレン』が公開されていて、どちらも知床が舞台だったこともあり、親しみを覚えると共に「こっちの知床映画も好き」と惹きつけられる魅力を覚えた。カーリングに青春を懸ける高校生ヒロインたちの成長をみずみずしく丁寧に描いた作品。新宿のレイトショーで見終えた後にさざなみのような拍手が起こったのだが、いい映画をありがとうと呟きたくなるような心地よい幸福感が残った。

今日試写を観た『Little DJ 小さな恋の物語』にも同じような後味を感じた。この両作品にプロデューサーとして関わっているのが森谷雄さん。一昨年の夏、出産を2か月後に控えた大きなおなかのときに一度お会いしたのだが、その森谷さんを紹介してくださったのが、映画の原作を書いた鬼塚忠さんだった。鬼塚さんは「作家エージェント」を行うアップルシードエージェンシーという会社の社長さんで、ドラマになった『海峡を渡るバイオリン』や『シムソンズ』の原作を仕掛けてきた。そんななかの一冊を映画化する話が持ち上がり、わたしが脚本家として関わったことから知り合うことになった。企画は宙ぶらりんな形になっているのだけれど、ときどき脚本を読んで興味を示してくださる方がいて、「これを書いた今井さんてどんな人?」と鬼塚さんに聞いた森谷さんとわたしをつなぐ機会を鬼塚さんが用意してくださったのだった。

そのとき「9月にこういうの撮るんですよ」と教えられたのが、「海辺の病院で院内DJをする男の子の話」だった。鬼塚さんが聞いたエピソードをもとに、鬼塚さんが小説を書き、森谷さんが映画の体制を整え、幹が枝分かれするように同時進行で物語を膨らませ、大きな木に育てているという。「その話、ぜひ読ませてください」とお願いし、ゲラを送っていただいた。読んですぐに映画を観てみたいと思ったのだけど、今日の試写を見たら今度はまた原作
(3月に刊行され、すでに15万部突破とのこと)を読みたくなった。二枚のメモから始まったというこの企画の幹がしっかりと根を下ろし、見事な枝ぶりに成長し、たくさんの実をつけ、誘いかけるようないいにおいを放ちはじめた、そんな印象を持った。

知っている人が関わっていて、大好きなラジオがモチーフとなっている他にも愛すべき理由がたくさんある。『パコダテ人』で映画脚本デビューしたわたしは、映画の舞台が函館ということにも好感を持ったのだけど、函館の街は1977年という物語の時間が良く似合っていた。ロケーションに加えてキャスティングも魅力的。太郎(神木隆之介)とたまき(福田麻由子)のあどけないカップルは初恋のぎこちなさや照れくささをとてもチャーミングに見せてくれて、応援せずにはいられない。たまきが鼻の上に皺を寄せて笑う(わが娘・たまもときどきそういう顔をする)のが何とも愛らしくて、その笑顔を見るだけで幸せになってしまった時点で、主人公・太郎と気持ちを共有しているのだった。衣装や美術もわたし好みで、死の影がちらつく長期入院という暗くなりがちな設定でありながら、ポップな遊び心がちりばめられているところに救われた。

台詞も演出もお涙頂戴に走りすぎず(とはいえわたしのいた列は全員涙、涙。嗚咽で座席が揺れていた)、一人ひとりの微妙な心の動きを丁寧に描いているところに好感。三浦有為子さんとともに脚本も手がけている永田琴監督のセンスの良さなのだろうか。そして、70年代のラジオを彩ったヒットナンバーの数々。その選曲と使いどころも心憎く、ぴたりとはまった歌詞が場面をいっそう印象深いものにしてくれた。劇中歌を邪魔することなく感情の波をうまくすくって持ち上げてくれる音楽は、『三丁目の夕日』の佐藤直紀さん。「想いを伝える」大切さがじんじん伝わってきて、観たら誰かに伝えたくなってしまうLittle DJ。シネスイッチ銀座、シネ・リーブル池袋。渋谷シネ・アミューズ、シネマート新宿ほかで12月公開予定。

2004年09月04日(土)  文京ふるさと歴史館
2002年09月04日(水)  暑い日の鍋


2007年09月03日(月)  お金を恵むのではなく

いつもは古新聞になってからまとめて読む新聞を、今日はなぜか当日のうちに手に取り、宮あおいちゃんと将くんの兄妹が写っている番組広告を目に留めた。TBSの特番「未来の子どもたちへ 地球の危機を救うお金の使い方」内で案内役を務めているよう。あおいちゃんがわたしの映画脚本デビュー作『パコダテ人』で主役のひかるを演じた縁で将くんとも何度か会ったことがあり、二人のことを親戚のおばちゃんのような気持ちで見ている。以前読んだあおいちゃんのインタビューに将くんとインドを訪ねたときのことが語られていて、その模様は兄妹の共著『たりないピース』にも綴られているのだけれど、自分の考えと感性をしっかり持って世の中を見つめている姿勢をとても頼もしく思った。とってつけたように取材先へ派遣されるのではなく、日頃から意識を向けている兄妹を通して伝えられる問題提起には地に足ついた力強さがあるのでは、と期待してチャンネルを合わせた。

同じ百円でも使い方によって地球を豊かにする力になる、というメッセージをさまざまな視点から訴える二時間番組。二時間じっくりテレビを観る機会などめったにないのだけれど、「地球の大事なおはなしなんだから背筋を正して観なくちゃ」と思ったのか、一歳ほやほやのたまもわたしの膝の上で神妙に観ていた。というか、赤ちゃんは寝る時間なのだけど……。とはいえ、子どもが生まれて、これまで以上にこれからの地球のことをまじめに考えるようになったのは確かで、わが子の幸せを願うように、この星に生まれた子どもたちが命を精一杯輝かせられることを願う。

ねたあおいちゃん将くん兄妹は、アジアで最も貧しい国とも言われているバングラデシュを訪ねて現地の子どもたちと出会い、自分たちに何ができるかを探っていた。自分だったらこうしたい、相手にとってはどうだろう、という想像力をめいっぱい働かせる二人に乗っかって、わたしも一緒に考える時間を持った。地面に落ちた米つぶをゴミごと拾い集め、その日の食料を得るような暮らしを見ると、日本で騒がれている格差の縮尺が小さく感じられてしまう。どうしても抜け出せない貧困がそこにある。けれど、番組を見ながらわたしが考えていたのは、日本に住むある人のことだった。学生時代にお世話になったその人は今、失業し、毎日の生活費にも困っている。恩はあるし、お金を差し出すのは惜しくないけれど、果たしてそうするべきなのか。友人たちに頭を下げて回るよりも確実に日銭を稼ぐ方法があるのに、その人は働こうとしない。お金が続く限り、それを使いつぶす生活をしてしまうことが想像される。お金を差し出すことは、まだ若くて体力もあるその人の可能性をつぶしてしまうことになるのではないか。「面接に着て行くスーツを買いたいと言われたら、気持ちよく出せるんだけど」と共通の知り合いに言うと、「そう言ってお金を受け取ったら、スーツには使わないだろうなあ」と苦笑した。そんなことが頭に引っかかっているところに、「お金を恵むことは簡単だけど、その人のために活かすことが難しい」というメッセージを番組から伝えられて、身につまされた。

番組の中では、仲良くなった少女にお金を渡す代わりにあおいちゃんと将くんは悩んだ末に本を贈った。勉強し、生きる力をつけるために。消えるお金は空しいけれど、新しい価値を生み出すお金の使い道には意味がある。同じく番組で紹介されていたノーベル平和賞受賞のグラミン銀行総裁、ムハマド・ユヌス氏がはじめた「マイクロクレジット」という融資制度は、担保を持たない女性たちに元手を貸し出すことで自立を促している。借りたお金で仕入れた鳥が卵を産み、はじめて自分の手でお金を稼いだ女性の表情のなんと豊かなこと。98%という驚異的な返済率は、貧困にあえぐ人々が求めているのは現金そのものではなく、人生を変えるきっかけなのだと物語っている。富める国であっても貧しい国であっても、豊かさは誰かから恵まれるのではなく、自分で自分に恵むべきものなのだ。自分の手で豊かさをつかめることが人生の豊かさなのではないか、と思った。

2004年09月03日(金)  下高井戸シネマで『Big Fish』


2007年09月02日(日)  マタニティオレンジ170 せらちゃんのおさがり

半年ぶりに前原星良ちゃんとせらママに会う。『パコダテ人』でぴまわり保°育園ぴよこ組のぷるたまゆちゃんを演じたときは幼稚園年長さんだった星良ちゃんは、いま6年生。小学校最後の夏休みのおまけの週末に、わが家に来てくれた。おとぼけぶりとおどけぶりがおちゃめな星良ちゃんのことをわたしは「小さなコメディエンヌ」と呼んでいたのだけれど、会わない間にぐんと背が伸びてしまっていた。あと数センチで追い抜かれてしまったら、「小さな」とは呼べなくなってしまう。でも、コメディエンヌぶりはあいかわらずで、バレエ仕込の身軽な手足をコミカルに動かし、絵本を読んだり、歌ったり踊ったり。1歳のたまも目が離せない様子。わたしと星良ちゃんよりも、星良ちゃんとたまのほうが年が近いわけで、若い者同士通じるものもあるのかもしれない。

好奇心いっぱいでお話上手できらきらと生きている星良ちゃんみたいなチャーミングな子に育って欲しいなあ、と会うたびに憧れてしまうのだけれど、そんな星良ちゃんが使っていたあれやこれやをどっさりおさがりでいただく。中学生のお姉ちゃんもその前に使っていたのかもしれないけれど、どれもとてもきれい。アルファベットのAからZがポケットになっていて、中にそれぞれのアルファベットで始まる物(APPLE、BALL、CARROTといった具合)が納まっているキルト細工は、26個のポケットの中身が全部揃っていた。「よくどれもなくならなかったものだわ」とせらままも感心していたけれど、大切に扱われていたのがうかがえる。愛子さまご愛用という「ぐりとぐらかるた」は、床一面に札を広げる動きが気に入り、たまは大興奮。小さな手をがちゃがちゃ動かし、歓声を上げて札をかき回していた。麻雀の牌も喜んでかきまぜそう。ぐりとぐらの絵本、原由子さんが歌う「ねこくん」のビデオもいただく。

ビデオといえば、星良ちゃんのバレエの発表会の模様をDVDで拝見。赤と黒のカルメンな衣装にばっちりメイクで大人っぽい星良ちゃんが爪先立ちで足をぴんと上げると、場内からは見事な180度開脚にどよめき。「あ!」と画面を指差すたまも興味津々。「わたしもやりたい!」と訴えていたのかな。パパママゆずりで手足短めずんぐりむっくり体型のたまは、白鳥というよりあひるやヒヨコが似合いそうで、あまりバレエ向きではないかもしれない。でも、わたしに似たのか、体を動かすこと、踊ることは好きなよう。

おさがりのほかに、「これは誕生日プレゼント」といただいたのは、Shinzi Katohというイラストレーターさんの食器とタオル。色使いといいイラストのタッチといい、品のあるかわいらしさに一目惚れしてしまう。「わたしも大好きなの」とせらまま。サイトに行ってみると、ランチョンマットやらマグカップやらこれまた素敵。裁縫は苦手なのに、リネンテープやくるみボタン(てんとう虫が秀逸!)にも魅せられて、抜け出られなくなってしまった。

2004年09月02日(木)  「とめます」と「やめます」
2002年09月02日(月)  My pleasure!(よろこんで!)


2007年09月01日(土)  第2回ユニバーサル映画祭

『風の絨毯』でプロデューサーデビューした魔女田さんこと益田祐美子さんは神出鬼没の人で、「いま○○にいるの〜」と突拍子もなく電話を寄越してくる。たいていはその土地と関係のない用で、たまたま思い出して、忘れないうちに電話をかけた、ということが多いのだけれど、今日の電話は違った。「いま函館なのよ〜。ユニバーサル映画祭に来てて、今井さんの噂してたの」と打ち上げらしき宴会の席からかけてきた。昨年立ち上がったユニバーサル映画祭で『子ぎつねヘレン』がバリアフリー上映(たしか日本語字幕と音声ガイドつき)され、好評を博した、という話を聞いていたのだけれど、その映画祭の第2回に益田さんプロデュース2作目の『平成職人の挑戦』が上映されたのだという。実行委員の方が電話を代わり、少しお話しさせてもらう。「赤ちゃん連れも歓迎と聞いたので、ぜひ子どもと行きたいって思っていたんですよ」と話すと、「うちの映画祭は誰でも楽しめるのが売りなんです」とやけに楽しそうで誇らしそうなお返事。函館港イルミナシオン映画祭に加えて、函館に行きたい理由がふえた。

映画で平成職人に光を当てただけでなく、出版や講演やイベントも手がける「平成プロジェクト」なるものを立ち上げ、ますます大忙しの益田さん。その活動にすっかり巻き込まれ、オフィシャルサイトの運営までされているシーボニアメンズクラブの田辺勉社長も函館まで繰り出していた。「僕が作っているサイト見てくださいよ。益田さんと安倍首相の写真もありますから」と言われて見てみると、益田さんが「ものつくり日本大賞」の審査員を務め、首相官邸での授賞式に参加された様子が報告されている。岩波ホールでロングラン上映された『約束の旅路(Va, vis et deviens)』(平成プロジェクトが提供出資)のDVDも10月24日に発売決定。平成プロジェクトも益田さんも、元気、元気。

2004年09月01日(水)  年を取らない誕生日
2003年09月01日(月)  「うんざりがに」普及運動

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