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2016年12月31日(土)
2016年いろいろ十傑やらなんやら

映画は五傑。観た順。ベストワンには★印。ベストワンなのに★が複数あったりしますが、まあそれはそれで。

■映画
 『ボーダーライン』
 『スポットライト』
 『シン・ゴジラ』
★『雨にゆれる女』(123
 『暗殺』

なんでこうも『雨にゆれる女』に惹かれたのか。『ロードムービー』と同じ肌ざわりだからか、と思いあたる。暗闇で蛍のように発光するふたり、他には誰もいない。

■ライヴ
 Joanna Newsom
 S-KEN & HOT BOMBOMS
 パール兄弟
 小林建樹×高橋徹也
 dCprG
 nine days wonder
★高橋徹也
 mouse on the keys
 Manic Street Preachers
 三宅純

別れの場を設けてくれた、BOOM BOOM SATELLITESのクルーに感謝を。

■演劇
 『書く女』
 『夫婦』
★『同じ夢』(12
 『リチャード二世』
 『尺には尺を』
 『母と惑星について、および自転する女たちの記録』
★『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』
★『クレシダ』
 『フリック』
 『移動レストラン ア・ラ・カルト ―美味しいものは心を動かすところにある』

ベストワン、ふたつならともかく(それもどうか)……。そしてさい芸に感謝。

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その他あれこれ。

・どこに入れればいいんだろうという
『飴屋法水 本谷有希子 Sebastian Breu くるみ』
『アマハラ』
ジャンル分けすれば演劇なのだろうが……旅のような、夢のような

・歌舞伎
ううう、今年は歌舞伎座にも新橋演舞場にも行けなかった。木ノ下歌舞伎の『勧進帳』はよかった〜

・韓国ミュージカル
『오케피(オケピ)』
『헤드윅(HEDWIG and the ANGRY INCH -New Makeup-)』
この出不精が海を越えましたよ、いやー楽しい。『新しき世界』を観てから、ここ迄きましたよという

・鄭義信 三部作
『焼肉ドラゴン』
『たとえば野に咲く花のように』
『パーマ屋スミレ』
韓国と朝鮮半島への興味と知識を多少なりとも獲得した今、この三部作を観られたことは非常に有意義なことでした

結構遠征したなあ(当社比)。音楽を聴く、演劇を観るうえでの基盤となり、長年愛してきた音楽家、演劇人があまりにも多く世を去ったことで正直心にぽっかり穴があいており、さまざまなモチベーションが落ちています。日常生活もしばらく身動きとれなくなりそうなので、来年は楽しめる範囲でちまちま聴いて、観ていければ。さてどうなる。



2016年12月28日(水)
『暗殺』『男と女』

『暗殺』@新文芸坐

新文芸坐年末企画『シネマカーテンコール 2016』のおかげで間に合いました。や〜観逃さなくてよがっだ(スクリーン逃すと諦めがちなひと)、めっちゃおもじろがっだ…爺や〜!

日本統治下の朝鮮半島激動の時代、ある暗殺作戦のため結成された三人の部隊。彼らをスカウトした韓国独立軍の警務部長(実は日本の密偵)、その警務部長から暗殺団の殺害を依頼された殺し屋。彼らは何に対して忠誠を誓うのか、何に信念を通すのか?

展開が展開を重ね裏切り裏切られいやもともと裏切ってるつもりはなかったのよ? 時代がそうさせたのよ、そういうもんでしょ、いやいやそれでも信念というものがあるのだよ〜! アクション、サスペンス、エンタテイメント。そこへ絶妙のタイミングと塩梅で差し込まれ、山椒のようにピリリときくコメディとロマンス。揃いも揃って痛快極まりない。そう、痛快。苦味はあるが後味がいい。韓国における「恨」とは深い悲しみのことであり、それが映画では徹底した復讐といったかたちで描写されるイメージがありましたが、この『暗殺』はそこからまた一歩モダンな表現に進んだのだという印象。所謂抗日映画だ〜とかいってる場合じゃないぞ。このあたり菊地成孔が興味深いレヴュー書いてたのでリンク張っておきます。

・菊地成孔の『暗殺』評:「日韓併合時代」を舞台にした、しかし政治色皆無の娯楽大作

膨大な情報量を見事に交通整理した脚本と演出、スタイリッシュな衣裳と美術のなかで水を得た魚のように泳ぎまわる役者たちの魅力的なこと。チョン・ジヒョン、イ・ジョンジェ、ハ・ジョンウとスター揃いですがここへチョ・ジヌンにオ・ダルスですよ。たまらんキャスティングです。しかも皆その役にしか見えない。そりゃ序盤はえっジョンジェさんいきなりそんな、とかダルス出てきたー♪とかニヤニヤしましたが途中からそれどころじゃなくなったもんね。ダルスさんはもう爺やとしか……ハワイ・ピストルなんてふざけた名前の殺し屋にずっと寄り添う爺やですよ。そのハワイさんはジョンウさんですけどね。ハワイさんがピンチに陥っても爺やが絶対助けにくる、爺やたよりになる、ハワイさんも爺やにしか見せない顔を見せる。だからも〜その行く末がせつなくてね……。ジヌンさんも素敵だった…ユーモアを忘れなくてさ。のらりくらりとしてそうでいい仕事してさ。ああいうひとほどああいう結末がハマるんだよ、せつない!

それにしてもジヒョンさん素晴らしかった。『ベルリンファイル』でのアクションも印象的でしたが今回のガンアクションも見事。『高地戦』でキム・オクビンが演じた“2秒”といい、女優が演じるスナイパーの魅力、たまりません。双子、ちょっと目が悪い、眼鏡を作りに行った三越(そう、三越がクライマックスの重要な場所!)で……といったストーリーに貢献するキャラクター像もよかったな。たったひとりで暗殺へ赴く強さ、「怖い」といい、涙を流す弱さ。そして最後の最後に見せる、やはり、の強さ。狙撃手アン・オギュン、忘れないよ〜!

ジョンジェさんジョンウさんのステキングっぷりはもう言葉になりません。いーやー格好いいね! あとやっぱり映像の粋を知っているというか、ここぞというときに見せる仕草や表情の出し方を心得ているというか。何度はっとさせられたことか。

出会いはただの偶然か、時代が呼んだ運命か。束の間の同胞は人生の同胞。命をかけ、約束を守り、筋を通す激しい人生をおくる人々がいた。彼らを生き生きと活写した監督はチェ・ドンフン。憶えた!

はあ〜ものすごくおかしな感想になってますが年末故ということで。ギリギリで今年のベストに滑り込みましたよ、面白かった! 面白かった!

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山岸門人と神戸アキコ 二人芝居『男と女』@サラヴァ東京

小劇場の芝居が好きで、いろんな意味で「売れていく」役者を観てきたひとにはグッとくるのでは。笑って笑ってほろ苦く、それでも最後は拍手、拍手。

夏、門人くんとアキコさんがファミレスで相談してる。12月にサラヴァ東京おさえちゃった、芝居をやるぞ、二人芝居。予算ない、チラシもつくれないくらい余裕ない、作家や演出家は呼べない、話からふたりでつくるしかない。さて、どんなものにしよう? ミーティングのやりとりからふたりがやりたいもの、やりたいこと、やれること、が徐々に浮かびあがる。再現という形でそのアイディアが演じられる。

客席にはいかにも関係者といった風情、スーツ姿の年配のひとがぼちぼちいた。公演の企画意図もちらほら見えてくる。どうやらこれはふたりのプレゼンの場でもあるらしい。プロフィールに書いてある特技は必ず盛りこもう、いざその特技を買われてオファーが来たとき、錆び付いていないように特技は常に磨いていないと。アキコさんの特技はフェンシング。そして何げにピアノも上手い。門人くんの特技はバレエと中学生くらいのギターとそれなりの歌。男と女ふたりの芝居だし、恋愛ものにしようか。昨今ヒットしてる映画の要素も取り入れよう。うん、これは成り立つ。理屈も通る……通る? 通るか? かくしてなんとも奇妙な「茶番」が展開されていく。

しかしこの「茶番」を通し、ふたりの魅力が見えてくる。特技を披露したときに起こる「ほおお」といった声と拍手とは違う、思わず身を乗り出してしまいそうになる、あるいは思わずのけぞってしまうほど引き込まれてしまう場面。それはブランド白米の特徴を滑舌よく情熱的に語る門人くんであり、最も売れていない時代の思い出話をする門人くんであり、それを笑って励まし的確な叱咤激励を投げるアキコさんの姿だ。

すぐにGoogle先生に疑問を投げるふたり、webは便利だ。「茶番」という言葉の由来、意味を知って思わず考え込む。将来への不安、焦り、この仕事を続けていくうえでの覚悟のようなもの。売れたい、仕事したい、芝居がしたい。本音と理想を晒け出し、舞台に載せるふたりの役者。その心意気、しかと感じ入りました。

「これが観劇おさめになる方もいらっしゃると思うと…それが茶番とか、申し訳ないっ」なんて終演後のあいさつで門人くん言ってましたがいやいや、いい芝居おさめになりました。自分はやっぱり小劇場の対話劇が好きなんだな。それが「金にならない」のは知ってる。それだけでは役者が食べていけないのも知ってる。公演を打つ方もそれはわかってる。現実は厳しい。それでも、次に繋げるためだけの公演なんてものはなくて、今ここでしかやれない芝居というものがあり、心に灯りつづけるものになったりするのだ。



2016年12月24日(土)
『移動レストラン ア・ラ・カルト ―美味しいものは心を動かすところにある』

『移動レストラン ア・ラ・カルト ―美味しいものは心を動かすところにある』@東京芸術劇場 シアターイースト

『ア・ラ・カルト』が移動レストランとして再びのリニューアル、これはすごくよかった! 昨年モーション・ブルーで行われた公演の手応えから「移動レストラン」のアイディアが生まれたようです。また会えた、うれしいかぎり。

初演からのオリジナルメンバーである吉澤耕一(演出)、高泉淳子(台本・出演)、中西俊博(音楽監督)に加え、リニューアルからのメンバーである山本光洋も引き続き出演。釆澤靖起、篠田竜が新しく参加、バンド編成は中西俊博(Vn)、竹中俊二(G)、ブレント・ナッシー(B)、パトリック・ヌジェ(Acc、Tp、Vo)。竹中さんはおなじみですね。林正樹(Pf)が不参加なのはスケジュールの都合かな…(観劇にはいらしてたそうですよ)と思っていたのですが、劇場に入ってみると……ステージが、せまい! グランドピアノを置くスペースがない……というか、置けはするだろうけど(青山円形劇場での公演でもピアノは客席に食い込んでるような位置でしたし)窮屈さは否めないかなーという感じ。レストラン内に置かれるテーブルと椅子も3セットから2セットになっていました。客席はコの字型に配置、正面の最後列はN列。円形の客席だと最後列でも5〜6列だというところ、やはり距離があります。ちょっと寂しい。

しかし! しかしですよ。バンド編成が変わったことで施されたアレンジと演奏が素晴らしく、そのコンパクトな感じが「移動レストラン」の名にふさわしく、『ア・ラ・カルト』という作品の普遍の強さと時代に寄り添い生きていく柔軟さ、たくましさをひしと感じたのでした。廃墟にも倉庫にも見えるステージに音楽家が現れ、軽口を叩き乍ら楽器のセッティングをはじめる。ブレントとパトリックのひとなつこいふるまいに、あっという間に魅了される。ギャルソンが現れ、テーブルと椅子が持ち込まれ、見知った顔が笑顔で登場する。演奏がはじまる……旅団のようだ。さまよえる楽団ならぬさまよえるレストランめいてきた『ア・ラ・カルト』、幻にも映るがステージがあるかぎりそれは現実。円形がなくなり、本多愛也さんが亡くなり、それでもクリスマスシーズンにレストランは開店する。粋な演出に思わず涙ぐむ。

「どうなることかと思ったけど」「池袋にきたの?」「どこで開店しても追いかけますよ」といったタカハシ(おなじみ!)の台詞に泣き笑い。公設の劇場でおまえ……といったギャグに大笑い。年老いたふたりがこれからも続くことを信じてやまない、しかし実際には今年で閉店してしまう銀座の百貨店の話題にほろり。未来は不安ばかり、でも未来があることで新しいものに出会える、前を向ける。高泉さんは前を向いている。人生のほろ苦さを、時間による癒しを、そして喜びを描き演じる。観続けることが出来てうれしい。

この日のゲストはROLLY。いや〜イヴにROLLYの「Ave Maria」聴けて感激。「酒は大関」も聴けて感激(笑)。芝居も歌も演奏も、ROLLYたよりになるわー。高泉さんが「日本の宝」とか言うてましたがほんとほんと。唯一無二の表現者。

今回のワインはチリワインSUNRISE、宇野亜喜良さんによるイラストラベル付。



これも時代とともに変化してきたもの。以前は名物サービスだったが、飲酒運転による事故の報道をうけて有料になった。『ア・ラ・カルト』会場で飲酒した観客が事故を起こしたわけではないが、もし何かあった場合、無料でアルコールを提供した側に責任が問われてしまう。呑む側が自分の意志で購入し、責任の所在を明らかに出来るようなシステムになった。カップでの販売が続いていたが、今回は「持ち帰れるように」とミニボトル。これはいいわー。記念になるし、気持ちとしてはパンフ代わりに、と購入。呑めないのにどうする(笑)。

「今後の予定は未定」とのことですが、再会出来ることを信じて気長に待っています。今年も心あたたまる素敵な夜を有難う。

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・『移動レストラン アラカルト−美味しいものは心を動かすところにある』公式サイト



2016年12月20日(火)
『野獣死すべし』

『野獣死すべし』@角川シネマ新宿 スクリーン1

夏にやっていた角川映画祭が好評につきアンコール上映、やっと観に行けた〜。『蘇える金狼』と続けての上映だったので、そのまま居座って松田優作祭りにするか? とも考えたんですが、時間の都合で断念。『雨にゆれる女』をリピートしまくっていたこともあり、気分はハードボイルド月間でもありました。

スクリーンで観るのは初めて。いや〜松田優作、怪演。今作の松田さんがいちばん岸田森みがあると思ってるんですが、その匂いは強烈。この時期本人もそれを意識していた、と何かで読んだ憶えがありますが、実際どうだったのでしょう。文学座の先輩後輩ですし、共演もしていますし。奥歯を抜き減量し、青白い顏、瞳孔が開きっぱなしのように黒々と光る目。岸田さんのコピーにならないのはその体躯。長身で腕と脚が異様なほど長く、細い。蜘蛛のよう。その身体を深く折り曲げて現れる冒頭のシーンは、不気味極まりない。

戦場ジャーナリストだった主人公の心の闇は、今で言えばPTSD。こうやって今観ると時代、社会的背景が反映されており興味深かったです。世界は変わらないのだな。分析や追究は続き、対策が生まれても、解決出来ないことは必ずある。エグいシーンもなかなか多く、これ当時は普通に地上波でオンエアされてたわねー、えらいこっちゃと思う。しかしそのおかげで? 小学生時分にこれを観られて、強烈な映画体験を出来た訳で。映画といってもテレビですが。まあなんというか有難いです。隠されなかったことへの感謝だ。ようやくスクリーンで観られてうれしかった。

松田優作が伝説的に語られている作品ですが、鹿賀丈史がすんごい巻き込まれ型の不憫な役を好演、かわいいそう。フラメンコを舞う根岸季衣も格好いい! 室田日出男もちょうかわいい。風間杜夫や岩城滉一、佐藤慶も出ていて豪華メンツですがな。当時は知らないで観ていたんだもんなあ。今回見た顔が出てくる度ええええ?! と驚いていた。しかも1〜2シーンしか出てなかったりして、贅沢だわー。小林麻美はクウネルの表紙よりも全然眉細かったです。



2016年12月17日(土)
『ワレワレのモロモロ 東京編』『毛美子不毛話』

ハイバイ『ワレワレのモロモロ 東京編』@アトリエヘリコプター

出演者が体験した「こいつはヒデーぜ!」というできごとをお芝居にしちゃいましょう。岩井秀人が全国各地で「私演劇作家」を育成するワークショップを行っているシリーズが東京にやってきました。作り、演じるのはハイバイの面々とゲスト出演者。8本のヒデー話。

ひとつひとつのお話は、もーつらいやらしんどいやらでも笑えるやら、いや、笑わないとやってられないやらといったテイで描かれる。心にしまっておきたい、他人に話すにはつらい、恥ずかしいともいえるそれらの体験を表に出し、観客とともに笑う作品でもある。セラピーともいえるし、昇華ともいえる。自分のことを考える。話して笑えるところ迄持っていけるだろうか。話したことで楽になるだろうか。

そして鷺沢萠のことを思い出す。祖母に「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」と言われ、そのことをまた書き、書いたことで苦しみぬいた彼女のことを。表現は諸刃の剣だ。

ハイバイの面々は笑えるところ迄もっていく。辛抱強さすら感じる。勿論作者本人の強さもあろうが、ここ迄もっていけるひとが周りにいることは劇団、集団の強みでもある。言葉にすると陳腐かもしれないが、仲間がいるっていいなとも思った。しかし仲間だからこその過酷さが現れたのが永井若葉の作品。ハイバイはこういう演出家を否定するところから始まっているのだと勝手に思っていたので衝撃だった。

何故そう思っていたかというと、このインタヴューを読んでいたから。岩井さんはこの教授のことをあらゆるところで話しているし、この記事でも「アイツの罪を知らしめることができたし、笑わせることもできた」ことがうれしかったと話しているのだが、その矛先を今回自分に向けている。「アイツ」が岩井さんなのだ。そしてハイバイを観てきているひとで、「アイツ」に岩井さんの「あの父親」を連想するひとも多いだろう。そこ迄ぐるりと見越している。怖いし、すごいなあと思う。

岩井さん自身の作品は、本人ではなくどなたかの体験を聞くか知るかして、岩井さんが「こいつはヒデーぜ!」と思ったものであるようでした。それもあってか8本のなかでは異質であり、しかし最も作家の力量が出るものでもあった。見せる。演出でいちばん感銘を受けたのは上田遥の作品。理不尽な旅の最終日、タイをドライヴするあの色彩。バイクのヘッドライト、街の灯り。ハイバイの真骨頂ともいえる、幻想的なのに悪夢のような光景。

漫画喫茶の「人間の部分が殆どない」ひとを観て、「売れて“は”いない」役者を観て、大笑いし乍ら、ひたすら祈るような気持ちになる。オモシロの追究が集団を破壊しませんように、彼らの心身を破壊することがありませんように。そして、それを観たいと思う自分に罪悪感を覚える。何故自分は笑えるのだろう。当事者ではないから? 客席が安全圏だと思っているから? 直接引導を渡すのが自分ではないから? ハイバイの作品を観るとき、いつもそれを考えている。

余談。『クレシダ』が上演されたとき、平幹二朗演じる指導者が若手役者に「(語尾を)下げるな、上げろ!」と指導するシーンがあった。それを観た蜷川幸雄に近しいひとや、ネクストシアターの役者たちが口々に蜷川さんを思い出して……と語っていた。岩井さんが「上じゃなくて下に向けるんだよ!」「母音で勝負しろよ!」と指導するシーンに笑ってしまいつつ、これはどこかに対するめくばせなのかしらねーと思いもしました(苦笑)。

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Q『毛美子不毛話』@新宿眼科画廊 スペース地下

合皮のパンプスばかり履いているワタシは、本革のパンプスを買おうと出かけた街でワタシに出会う。そのワタシは裸足、本革とは自分の皮膚のことだという。ワタシとワタシは思春期に、腋毛を永久脱毛したワタシとしなかったワタシに分裂していたのだった。ワタシは巨乳を願い、ワタシの巨根は胸の高さに迄屹立し、ふたりのワタシは街をさまよう。

武谷公雄vs永山由里恵、ゴジラ対モスラか。ワタシとねんごろになる上司、裸足のワタシ、巨根のワタシ、ワタシにパンプスを売りつける中国人、その中国人がマネジメントしている(?)歌手。なんかこんがらがってますが武谷さんはめくるめく万華鏡な七変化で永山さん演じるワタシを翻弄します。とはいうものの、永山さんもそれにツッコむこともなく対抗することもなく、ひたすら武谷さんの怪演を呑んで呑んで呑み込みまくるという怒涛の吸収率。地獄かここは。Qの主宰、作・演出は市原佐都子。次作も是非観たい。

平行線のふたりは、やがて分裂したまま街にまぎれていく。シーンごとに語られるワタシのリフレインが、催眠術のようにも聴こえてくる。そうやって都会で生きていく。

いやー、いいもの観た……(呆然)。そして以前「武谷さんてヨシダ朝さんに似てる、私服のセンスも」と話したことがあるんだけど、今回の怪演を観てますますその思いを強くした次第。本名の吉田紀之時代ね。武谷さんはそれプラス、下ネタの生々しいエグみが宇宙へ突き抜けていくような素晴らしさでした。

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ハイバイもQも青年団が源流だからか、もらったチラシの被ってること被ってること やー、濃い二本でございました。



2016年12月16日(金)
『雨にゆれる女』3回目、アフタートーク

『雨にゆれる女』@テアトル新宿

最終日ということで半野喜弘監督と主演の青木崇高さんが来場、アフタートークとQ&Aがあるよということで再びテアトル新宿へ。やー、半野さんの話聞きたいと思ってもともと行くつもりだったんだけど、青木さんのお話も聞けてラッキーだったわ……。

質問がどれもあーそれ訊きたかったってことばかりで、監督も青木さんも真摯に話をしてくださって、いいイヴェントだったなあ。こういうのって大概ひとりは自分語りが長〜くなって質問は何よってひとがいるものだけど、この日は簡潔な感想と、そこから生じる質問を的確にぶつける方ばかりで、理想的なQ&Aでした。本編には出てこなかった登場人物の背景や設定、撮影の裏話等いろいろ聞けて面白かった! 

以下おぼえがき。記憶でおこしているのでそのままではありません、話が前後しているところもあります。ご了承ください。Q&Aなので本編内容にふれるネタバレ多数ですので未見の方はご注意を。間にちょこまか入っているのは私の感想です。

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青木●こんな夜半、寒いなか、劇場に足を運んでくださって有難うございます。余韻が残る作品なので、その雰囲気を壊さないようにお話出来ればと思います
半野●最終日になりました、有難うございます。どんどん質問してください

Q●カレンダーに健次が×をつけていましたが、理美がきて、彼女が×をつけはじめる迄一週間ほどの空白がありました。何故健次は×をつけるのをやめてしまったんでしょう
半野●そこはすごく話し合ったんです。突然理美が現れて、健次の日常が根底から揺さぶられていく。ルーティンだった生活がたちいかなくなって、×をつけてる場合じゃない。×つけてたことも忘れちゃうだろうって。そんな混乱を表しました

空白の一週間。理美が金曜日の夜にやってきて、土日はなんとかやりすごして、月曜日は出社しなくちゃいけないから一度外に出して鍵かけて入れないようにして、火曜日以降徐々に近づいていくって感じでしたね。ごはんとられるし雨は降るし過呼吸起こすし、そりゃもううわーってなるわ。×つけてる場合じゃないわ(微笑)。

Q●雨のなかで健次と理美が見つめあうシーン。理美の表情はなんとなく理解出来るのですが、健次は理美を睨むような顔をしている。何故あの表情になったのでしょうか
青木●あれは彼女を睨んでいたのではなくて……健次は罪を犯してひとりで生きてきて、自分はこの先の人生素敵なことなんて起こらないと思っていた。そこへ綺麗な女性が…外見だけじゃなくて……女性が現れたことによってどうしようみたいな戸惑いが生まれて。十何年ひっそり暮らしてきたわけですからもういいんじゃないか、生活を変えてもいいんじゃないか、とは思いつつも、そんな自分を許してもいいんだろうかとも迷っている。それでああいう表情になりました
Q●あのあとの、理美にごはん用意するとこ好きでした
青木●有難うございます

Q●これは興味本位の質問なんですが、健次の仕事、あれは何をやってるんですか?
半野●廃棄物を高熱で溶かして不純物をのぞき、純度を上げて再生物をつくる作業です(だったかな)

興味本位の、って言葉が出たとき監督も青木さんもなんか身構えて、そのあと続いた質問を聞いたらちょっとほっとするような空気になった。こういう場で変なこと訊くひとっていますもんね……。

Q●健次の名前の由来を教えてください
半野●あーそれすごく聞かれるんですけど、ほんとなんとなく……取材で中上健次ですか? と言われて初めて気がついたんですけど。中上健次は大好きでしたけどそんなつもりは全くなくて、なんだか申し訳ない……。あの、もともとあの名前は高校の同級生なんですよ。飯田健次
青木●えっ、それ初めてきいた
半野●卒業アルバムから顔似てるひとをさがして、区役所で……(書いていいのか微妙なので略)そうして他人になりすます。これ、(則夫が健次になった)2001年当時は可能だったんです。当初はこの流れも台本にあったんですけど、撮らなくていいと判断しました

半野さんの高校の同級生に飯田健次って名前の人物がいたのか、登場人物である則夫の同級生に飯田健次という名前の人物がいたって設定なのか、話の流れからは判断出来ませんでした。

Q●ハードボイルドなストーリーに青木さんがぴったりで、松田優作みたいで格好よかったです。ストーリーの流れとともにヒゲがのびていっていたように思いますが、役柄に合わせてそのままにしておいたのですか
青木●有難うございます……そうですね、そのままのばしていて。冒頭の四年前のシーンだけは、本格的な撮影に入る前の冬に撮りました。このときは時間の流れを表すために、ヒゲは剃っていました

Q●サスペンスとして面白く観ました。謎な部分、唐突と感じるシーンもありましたが、それらの省略がよかったと思います。意図的ですか?
半野●そうですね。他人になりすます迄のシーンもですが、説明になる部分はどんどんカットしました。当初のプランから15分……いや、20分くらいは短くなりました

山田撮影監督のトークのときにも思ったけど、初監督でこの潔さはすごいなあ。あれもこれも入れておかなくちゃ、と思わないところ。映画音楽を数多く手がけ、現場を知っているからということもあるだろうし、観客を信用しているとも言える。観る側からすると、省略が謎を呼び、想像力の種となる。この映画のことを思い続ける余韻を生んでいたと思う。

Q●ラストシーンの海岸の映像がとても美しかったのですが、どうやって撮ったのですか? 時間帯は?
半野●夜中、まだ真っ暗な時間から準備して、夜が明ける迄のほんの短い時間で一気に撮りました。台本には台風がきている、と書いていた。天気のことだし、どうなるかわからないし……と言ってたけどホントに台風がきたんです。たいへんな撮影でしたけど、いい画が撮れました

いやほんとあの空と海を捉えられてよかったよねー!

Q●どういうふうに役者に演技をつけたのか、演出方法は?
半野●映像がよかったって言われるのはうれしいけど、演出としては役者、演じるひとの行動原理や生理を第一にしました。役者が登場人物を生きるうえで出てくるもの…表情や動きもそうですけど、肌から発する匂いのようなものも捉えられればと

Q●塩田明彦監督作品『風に濡れた女』がもうすぐ公開されるようなんですが、この映画との関連性はあるんですか? また、セックスシーンを具体的に撮らなかった理由を教えてください
半野●あー、タイトルが。塩田監督が僕のマネをしたんですね(笑)。セックスシーンを撮らなかったのは撮る必要を感じなかったというか、その行為を見せなくてもいいと思ったからです。昔の、セックスシーンを省略した映画の描写を目指したってところもあります

このやりとりちょっと緊迫感があった、質問者もちょっと支離滅裂だったし。ちなみにセックスシーンは私も必要なかった口です。そこに至る迄のふたりのやりとり、言葉と表情で充分だった。ふたりが切実に欲していたものは、一緒に食事をしたりゆっくり話したりといった日常だったのだと思えた。夢幻的な物語でもあるし、セックスシーンがなかったことはこの作品のエレガントさを象徴していたと思います。そうそう、この映画、とてもエレガントだった。タイトルをマネしたってのの真偽はわからず(笑)。

Q●大学をやめて演劇の道に進もうと思っています、アドバイスをお願いします
半野・青木●あ〜、それは難しい質問ですね……(しばらく考える)
半野●でも……やっぱりそれが出来る環境にいるならやった方がいいと思います。僕はパリに住んでいて、移民や難民を多く見ています。彼らは明日生きていられることが夢だ、明日生きていられることが幸せだっていう。日本にもいろいろ問題はあるけど、今日明日生きていられる、ごはんがある、住むとこがある。それらが夢にはならない環境にいるのだったら、やりたいと思うことにとびこんだ方がいい
青木●若いころバックパッカーをやっていて。もう事務所には所属していたけどそんなに仕事もなくて、役者だって名乗れるほどのことはまだ何もしていなかった。何者でもない時間を過ごしていて……そんなときに旅行先のパリで半野さんに出会って。あのときの出会いがなければ今ここにもいないわけです。何者でもない時間に行動することは、決して無意味ではないと思います

Q●今後またいっしょに何かやる予定はありますか、どんなものをやりたい?
半野●具体的なプランは全くありませんが、絶対またやろうねとは話しています
青木●そうですね、やりたいと思っています。男と女の話は今回やったんで、男と男の……女と女だったら僕出られないので(笑)。人間関係が複雑なものをやりたい

半野●映画は残るものです。出来あがって公開して終わり、ではない。これからもだいじにこの作品を育てていきたいと思っています。有難うございました
青木●余韻を楽しんでください。有難うございました

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ふたりともえれえ長身でした。青木さんが185cmくらいあるのは知ってたけど半野さんもそう変わらなかったよ? 健次が着ている服のなかには半野さんの私物もあった、と何かの記事で読んでいたので体格が近いのかな? とは思っていたけど。や、音楽家でこんなおっきいと(偏見)ビビるわ。ふたり並ぶと迫力あったわ……。

青木崇高って役者さんは、象二郎だ、弁慶だ、左之助だ佐平次だ万吉だ(直近だとタコ八郎?)とそのとき演じている役の印象で記憶に残る。観る側が中のひとではなく、役柄のひととなりへの想像をかきたてられるような余白を常に持っているように思える。今回これに健次が加わった。アフタートークに現れた青木さんは健次の面影を(敢えて?)残している印象でした。作品の持つ空気をだいじにされてるのだろうな。これが『ちかえもん』のイヴェントだったらあの愛嬌たっぷりのキャラクターで出てきたと思うもの。そういうところ、作品に対して繊細な気遣いをされるひとなんだろうなと思いました。

豪放磊落な人物を演じることの多い青木さんですが、今回の健次のような役を観られたのはうれしいことでした。というか、こういう青木さんを観たかったとも思う。健次を演じたのが青木さんでよかった。

イヴェント終了後サイン会が催されました。半野さんに「また撮ってください」って声かけちゃった。「はいっ、撮りたいです、撮ります……撮ります!」だって。青木さんはも〜素敵な方であった。握手出来てうれしかった。気の早い話だけど、次回作楽しみに待っています。



・最終日を終えた半野さんのコメント|Facebook
うう〜こちらこそ有難うですよ〜、だいじに憶えていたい作品です

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三度目の鑑賞は、山田撮影監督のトークを思い出しつつ。確かに背景に布多いわー、ほんと色が綺麗。映像としても美しいけど、これらの色(布)は理美が持ち込んだんだなあと想像するのも楽しかった。視覚的な意味だけではなく。彼女が来る前の健次の家には色の印象があまりない。色と光を理美がつれてきたんだな。



公式twitterより。クリックすると拡大します)


本編にはないスチール用のショットだけど、このシーンも象徴的。健次(の住処)に色と光をもたらした理美は、悲しい過去と大きな影を抱えている。それが何なのか知らない健次は、光を全身で受けとめる。

はーもうスクリーンで観られないのか、さびしい! 今後も上映の機会があれば観に行きたいです。



2016年12月07日(水)
『雨にゆれる女』2回目、アフタートーク、あれやこれや

『雨にゆれる女』@テアトル新宿

うーん、頭に棲みつかれた。最初に観てから日に日に思いは強くなる。あの映像、どうやって撮ったんだろう。時間は、天気は、役者たちの反応は……? そんなところ渡りに船、撮影監督のアフタートークがあるというので再びテアトル新宿へ。山田達也カメラマン、松田広子プロデューサー、そして山田さんともよく組んでいる篠崎誠監督がゲスト。ああ! ああ! となるあれやこれやが聞けた、行ってよかった〜。

・イベントレポート|公式Facebook

早速レポートがあがってました、有難い〜。こちらでは補足的なことをおぼえがき。記憶でおこしているのでそのままではありません、話が前後しているところもあります。ご了承ください。間にちょこまか入っているのは私の感想です。

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山田●半野監督からの映像のイメージは『百年恋歌』と『ブエノスアイレス』。リー・ピンビンとクリストファー・ドイル、両極端とも言える全く違うタイプの撮影監督か……と頭を抱えた

『ブエノスアイレス』ってタイトルが出たとき「ああ〜(あの緑!)」って声が客席からあがってました。あれなー! あれなー!

篠崎●健次の家とか、工場とかってモノトーンだったりアンバーになりがちなところ、湿度のある非常にリッチな画になってた。これがアジア的と言うのかなって
山田●健次の家はねえ、最初はそれこそ工場の一角みたいな、間借りしてるって感じだったんです。でも、見つけちゃったんですよね……
篠崎●贅沢な撮り方してるよね、同じところを撮らない。一階と二階があるとか、少しずつ家の全容が見えてくる。シャッターを開けるとこがよかったね、あれで健次の心も晴れたように見える。で、そのとき理美がいる二階があんな感じだったんだなあとわかったり
山田●見つけちゃいましたからね、あそこ

「見つけちゃった」って何度も言ってた(笑)いやホントロケハンの賜物! 初見時感想に「鉄扉」って書いたけど、篠崎監督が話してるシャッターのことです。あのシーンはほんと印象的だった。

山田●今世間では4Kとか言ってるけど、ウチは3K(画質のことじゃなくて危険汚いきついのあれ・笑)。照明も自分でやってたからたいへん。予算もなかったし……そんななか衣裳デザイナーの宮本まさ江さんが「美術やろうか」と言ってくださって、とても助かった。健次の部屋にこんな色がほしいな、となったら布とかすぐ出してきてくれた
山田●カメラマンは情報を入れたがる傾向があって、あれもこれも撮らなきゃって思う。半野監督は音楽のひとだから「あがってくる足音を入れるから階段は撮らなくていい」とかの判断がハッキリしてた。レンズに関しても50ミリ、とか。「油絵のように」というオーダーも

ちなみに半野監督のFBによると、最も影響をうけたのはカラヴァッジョの絵画とのこと。
・『雨にゆれる女』の色彩と黒/闇について|Facebook

山田●ラストシーンの海岸は、明日台風がくるよって日だった。クランクアップの日でもあって、深夜〜夜明けに海岸、そのあと(佐貫)駅のシーン、ホテルのシーンを一日で撮った

あああ、だからあんなに異様な空だったんだ! 現場は大変だっただろうけどあの画はほんとすごかった、天気も味方したんだなあって思ったよ〜! 観られてしあわせ。

篠崎●どんなに事前にリハしてても、役に入り込むと俳優は予測不能な動きをしたりする。スタートって言ったらあとは監督は祈るだけ、「フレームに入ってくれ!」って。でも入らなくてもよかったりすることもある
山田●でも、実際入りますよね。どう対応するかは考えるけど、そこは思い切りが必要

健次の部屋に女性が入ってくることで赤が増える、って話も興味深かったな。火の男の赤、水の女の青、というイメージだったけど、華やかさや光と言った部分での暖色は理美が入り込んできたことの象徴でもあるなあと。

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はああホント話聞けてよかった、トークで聞いたあれこれを踏まえて再びかみしめたいのでまた観に行きたい〜。ちなみに『忘れられぬ人々』の火炎放射器シーンの恐怖が身に染み付いているもんで、これ迄篠崎監督には怖いイメージしかありませんでした。ところが出てきたご本人、軽妙トークの朗らかな感じの方。ちょっと驚いた。そしてよく喋る、話がとまらなくて松田さんが時間気にしてた(笑)。そして山田さんはダンディな方でした。

二度目の本編鑑賞は、結末を知っているうえでストーリーを逆算して追える楽しみもあった。前半の理美のぎこちなさ、化けの皮がはがれていくふたりの様子が愛らしく見えてくる。健次、クビになった途端足ひきずるのやめてすたすた帰る(笑)。補聴器つけずにうっかり電話に出ちゃったの見られてア燹次 てなってんのももはやおもろい。そして何故鍋の蓋を二度開ける。おもろい。関西弁がぽろりと出るタイミングはせつない。理美にごはん用意して出かける行動原理、ねこの餌付けと同じだね。一方理美は最初に食べてたのがサンドウィッチ、次においなりさん。ユーモラスでもある。ずっと一緒にいられたらよかったのにね。

映画は健次が今の場所に辿り着いて四年後、の話なんだけど、罪を犯してから工場に勤めはじめる迄に数年の空白がある。その間何をしていたのか、則夫はどうやって健次になったのか、ということを想像するのも面白いです。幼くして両親を失った理美のことも。ふたりの出会いは偶然だったのか、あるいは? 考え出すときりがない。

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・音楽家、半野喜弘の監督デビュー作「雨にゆれる女」。主演は盟友、青木崇高! - クラウドファンディングのMotionGallery
クラウドファンディングしてたんですね、当初のタイトルは『HIGH TIDE』。知ってたら参加したよーそして「この雨はワシが降らせた」とか言いたかったわ。遅いわ。ログにクランクイン前後のことがいろいろ、読み応えあります

・Vol.16「制作ノート4 冬のシーン」MotionGallery
そのなかからひとつ。思えば物語のはじまりとおわりは、どちらもマジックアワーだった

・健次という名前について|Facebook
「健次」は無意識だったんですね。半野さんのFBにいろいろ裏話、予算の都合上雨が降らせられない……て悩んでたり。クラウドファンディングが成立してよかったですねえ

・映画監督・音楽家 半野喜弘さんの書棚|Men's JOKER PREMIUM
中上健次の話もしてる

・Makoto Sato|Facebook
メイキングを撮った方による裏話。「俺は青木に会いたいんじゃない、あの革ジャンを着た健次に会いたいねん、、、」半野さんかわいいな!

・『雨にゆれる女』青木崇高、初主演という山を越えてたどり着いた場所|Rolling Stone日本版
「ロケーションへのこだわりがすごかった。主人公が住む寂れたアパートを見つけた時は、半野さんも『勝ったと思った』と言っていました」。なー!

・大野いと「女優として追い込まれていくということを自覚しながら取り組めた作品でした」|AOLニュース
インタヴュアーの「設定はファンタジーかもしれないですが、ふたりの"普通"を渇望するような想いは普遍的」ってコメントにブンブン頷く



2016年12月03日(土)
『エノケソ一代記』

シス・カンパニー『エノケソ一代記』@世田谷パブリックシアター

日本一のニセモノ。ホンモノが大好きで大好きで、ホンモノに近づきたくて近づきたくて、ホンモノになりたかった男の人生。しかし、そもそも他人を演じる役者というものは何者だ?

実在する人物(エノケン)の行く末は知られている。そこから辿ると、実在したかもしれない人物(エノケソ)の末路も想像がつく。ただ、記録には残らない。三谷幸喜は記憶に残そうとする。ホンモノではない後ろめたさと、ホンモノになりたい憧れは、芸ごとに対する真摯さか、あるいは狂気か。市川猿之助演じるエノケソ、チャランポランなすごみ。それが浅野和之演じる座付作家のいい加減さとの相乗効果を生む。あとにひけない、やってまえ。美談なんてこんなものかもしれない。いくばくか流されてしまうのは、彼が凡人だったからか? 悲哀というにはあまりにもやるせない。

欲を言えば、三谷さんが書くのだからもう一段その向こう、を観たかった。この作品は彼がよくいう「ただ面白いだけの、笑った後に何も残らない」喜劇とは遠いところにあると思うからだ。そういう意味ではKERAさんの『SLAPSTICKS』を思い出した。笑ってほしいが憐れみはいらない。エノケソが投影しようとしたエノケンの苦しみはどこへ行ったのだろう? その在処をも観たいと思うのはよくばりか。

山中崇が『ベッジ・パードン』における浅野さんの系譜でキュート。そして同じく『ベッジ・パードン』でも感じた、三谷作品における女性の役まわり。苦い。エノケソの妻を演じた吉田羊、その苦い役をまっすぐに演じていて好感。歌も見事。

観劇の翌日、『ラストタンゴ・イン・パリ』の話題(当時から女優は声をあげていたのに、何故今になって? ということに関しては別の根の深い問題があるのでここでは説明しない)。作品のため? 監督の判断を賛美する者も一定数いるのだろう。やるせない。