2009年08月11日(火)  本は事件だ!『装幀思案』(菊池信義)

わたしが本を選ぶ場所は大きく二つあり、ひとつは新聞の書評欄、もうひとつは図書館。その二つでアンテナを張り、引っかかったものを手に取る。書評欄で気になったものは、ネットか図書館で取り寄せることが多い。最近読んだ『装幀思案』は、書評で知って図書館で受け取った一冊。書評の言葉の何に引っかかったのか、取り寄せた頃には記憶が飛んでしまったが、裏表紙には、「一万数千冊の本をデザインしてきた装幀家が、書店で心引かれた装幀にはじめて言葉をそえた」とある。

装幀家である著者、菊池信義氏が目に留めた装幀について綴った短いエッセイがまとめられている。共感できるところが多く、「平台で装幀と出会う、一瞬の劇を楽しみたい」という精神にうなずきつつ、取り寄せてレジで受け取る本とは「一瞬の劇がはじけたためしがない。(中略)すでに良くも悪くも私の本として在るということか」という鋭い指摘に膝を打った。

「チリ」という表題のエッセイには、自らが装幀を手がけた蜂飼耳の『孔雀の羽の目がみてる』について綴られている。「蜂飼耳の文は、読むという行為が、一つの事件であり、対象に当事者として向きあうことを要求してある。情報の容器ではなく、読むという事件、その現場としての本の形が問われる」とある。そうか、本は事件の現場なのか。だからこそ、本との出会いは、書店で目と目が合って恋に落ちるような衝撃的な出会いでなければならないのだな、と思う。

表題の「チリ」とは、本文を印刷したページよりひとまわり大きな上製本の表紙がはみ出した部分のことを指すらしい。「チリは、人を読むことへ誘い、読むことで生まれた新たな心の秩序を縁どる、一人一人の罫なき罫ではないか。版面の余白を、さらに表紙のチリへ広げる。深いチリは読むことが一つの事件である文を支えてくれるはずだ」とある。本文の先の余白、その深さが、余韻を受け止める懐の深さということか。菊池氏は、『孔雀の羽の目がみてる』に通常の倍以上のチリを設けることを発案、実行したのだった。タイトルの二つ目の「の」の右側の丸みに沿わせるように作者名の蜂飼耳を配したデザインは「蜂」を連想させて、さすが。

「包む」の項では、「紙は破れる、切れる、千切れる。紙は折れる、曲がる、まるまる。紙は濡れる、溶ける、乾く。紙は日に焼け、黴が生え、虫に食われる。紙は燃える」とある。紙というものの本質を知り尽くした上で、装幀という営みは行われる。レイ・ブラッドベリ原作、フランソワ・トリュフォー監督の映画『華氏451』を思い出した。変質するからこそ印刷された本には電子図書にはない生々しさがあるのかもしれない。

「火種」の項には、「読むとは、書かれてあることを知ることではない。情報化されてあることや物の裸形を知ることだ。一語、一語の意味と印象を主体的に掴み直すことだ。読むという強い思いを人にもたらすのは、得体の知れぬ欠落感であって、装幀にできることは、そんな感覚に火を放つことだと思う」とある。火種になれるのも、紙だからこそ、などと思ったりする。

「予兆としての装幀」には、「作品とは、それを読んだ一人一人の印象が意味に育つ温床。真の作品とは、作者の手によって完成するのではない。読むという行為によって、一人一人の内へ一作一作、誕生する。その予兆としての装幀」とあり、「真に書かざるを得ない心の出口であり、読む事を必要とする心の入口である装幀は静まる」と締めくくられる。この言葉にも深々とうなずいた。「静まる」という表現は「裸形」と並んで本書に何度か登場したが、しっくりとあるべき形に納まった装幀は、雑音を立てず、澄み切った佇まいをしているのだろう。

「あとがき」には「言葉で紡がれた事件としての作品、その装幀も、書店の平台で事件としてありたい」とあらためて装幀家としての心構えが語られ、この一冊もまた、わたしが装幀を見る目を大いに見開かせる事件になったと確信した。本のタイトルに添えられた「その深遠へ」の副題をしっかり味わえる一冊。読み終えると、本はやはり書店の平台で出会うべし、という気持ちにさせられる。「すぐれた文章家は、すぐれた読書家でもある」とよく言われるが、菊池氏の文章自体もデザインされたかのように的確かつ美しい。「すぐれた装幀家は、すぐれた読書家でもある」のだった。

2008年08月11日(月)  マタニティオレンジ319 お姉さんに憧れて成長する
2007年08月11日(土)  マタニティオレンジ156 誰に似ているのか「顔ちぇき!」
2005年08月11日(木)  『子ぎつねヘレン』チラシ第1号
2003年08月11日(月)  伊豆高原
2002年08月11日(日)  ヤクルトVS横浜


2009年08月10日(月)  『ぼくとママの黄色い自転車』原作者・新堂冬樹さんと白黒対面

公開まで2週間を切った今井雅子脚本の長編6本目『ぼくとママの黄色い自転車』。その原作『僕の行く道』を書かれた新堂冬樹さんが映画を気に入ってくださり、ぜひご挨拶をとありがたいお申し出をいただいて、今日お会いすることになった。

約束の時間の前に別件で打ち合わせしていたプロデューサーに「これから新堂冬樹さんに会うんですよ」と言うと、「あの人は働き者ですよー」という反応。作家として書きまくっている一方で、芸能プロダクションの新堂プロを経営し、女の子の撮影に立ち会いつつノートパソコンに原稿を打ち込み、売り込みにも余念がないのだとか。「え、自分で動いちゃうんですか」と驚いたら、「経営努力と行動の人ですよ」。「日焼けにサングラスの怖そうな人」というイメージからは意外で、ご本人との対面がますます楽しみになった。

待ち合わせ場所に20分前に着くと、新堂さんもちょうど同じタイミングで到着。『ぼくママ』の撮影でご挨拶したハツラツマネージャーの成田嬢と新堂プロ所属の女の子3人とともに現れた。初号試写のときにお見かけしたときは畏れ多くて声をかけられなかったけれど、とてもにこやかでフレンドリー。「いやー、脚本読んで、ほんと、感動しましたよー。試写でも泣いちゃいましたよー」と褒めてくださる。もっと年上かと思ったら、3才違いで、「なんだ、同世代じゃないですかー」と親しみが湧いた。小説を出すたびに表紙を入れ込んだ名刺を作っているそうで、今日持ち合わせていなかった『僕の行く道』バージョンは、今度お会いしたときに。

働き者の新堂さん、ご自身のお仕事の紹介をしつつ、3人娘の売り込みもしっかり。写真中央の「篠原楓」クンは、先日試写で見た『引き出しの中のラブレター』(>>>日記)の函館高校生4人組の一人。函館での撮影に立ち会った際に、新堂さんはノベライズ執筆の話を取りつけ、超特急で書き上げたとか。ちゃきちゃきと明るく元気よくノリよく話す楓クン、ブログのタイトルはおしゃべり九官鳥。「あたしの良さは、現場でないとわかりません」と言い切るB型の16才。本番でハッとする演技を見せるタイプだそうで、ひらめきと集中力型の人と見た。

写真左の「朝丘マミ」クンは、昨日うちに来た前原星良ちゃんと同い年の13才の中学2年生ながら、堂々たる落ち着きと存在感。お嬢様風の品の良い微笑みをたたえつつ、「オーラを出して歩いていると、みんなが振り返るんです」などと遠慮のない大物発言を連発し、新堂さん曰く「上から目線の天才少女」。オーディションでもこの自信たっぷりな振る舞いで、大役を射止めているとか。マリー・アントワネットならぬ「マミー・アントワネット」というあだ名がぴったり。ぜひマミー語を開発して欲しい。言葉の最後に「シルヴプレ」とつけるとか。

写真右の「ゆき」クンは、これまた大物感があり、170センチはあろうかというサイズだけでなく、終始涼しい顔で、スマイルの安売りなどするものか、なスタイル。それがかえって気になって、ときどき一瞬笑ってくれると、「笑ったぁ」とうれしくなってしまう。その時点で、こちらは彼女のペースに巻き込まれているということ。自分の売りは「緊張しないこと」とクールなキャラクターは一貫している。時代劇で殺陣なんかやると似合いそうだけど、「どんな役でもやれます」と静かな自信ものぞかせる。

そして、わたしがゆきクンや楓クンと話している間、向かいの席のマミー・アントワネットは、「私を見なさい」のオーラを発し続けるのだった。

三者三様の女の子たちを観察させてもらうのは刺激的で、想像力をかきたてられた。「この3人を姉妹にしてオリジナルのドラマ作ったら面白いかも」と話すと、「ぜひまたなんか一緒にやりましょう」と新堂さん。もちろん女の子たちと作品を出会わせたいという気持ちもあるだろうけど、この情熱が次の作品につながるのだなあ。ほんとにまた何か一緒にやれそうだし、やれたら面白そうだという予感がしてくる。小説を書くときに「ただ書くだけじゃつまんないから、どう転がせるかを考える」と言う新堂さん。その攻めの姿勢も見習いたい。

一緒に写真を撮ると、地黒のわたしも色白に見えて、新堂さんの作品の両極端なカラーと同じく「白と黒」な感じ。同タイトルのブログにお邪魔すると、わたしが日記に書くよりずっと早く書いてくださっていた。やっぱり働き者!

【お知らせ】『ぼくママ』初日舞台挨拶決定!

8月22日公開『ぼくとママの黄色い自転車』の初日舞台挨拶が決定!
◆新宿バルト9 11:45の回 上映前に舞台挨拶 >>> 詳細
◆品川プリンスシネマ 12:15の回 上映後に舞台挨拶 >>> 詳細
◆川崎チネチッタ 13:50の回 上映後に舞台挨拶 >>> 詳細
武井証くん、阿部サダヲさん、鈴木京香さん、河野圭太監督が登壇予定。 新宿は、原作者の新堂冬樹さんも登壇予定とのこと。

2008年08月10日(日)  マタニティオレンジ318 キンダーフィルムフェスティバルで初めての映画
2007年08月10日(金)  あの流行語の生みの親
2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー
2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2009年08月09日(日)  星良ちゃんインタビュー&朝ドラ「つばさ」第20週は「かなしい秘密」

今井雅子の映画脚本デビュー作『パコダテ人』で、しっぽが生える大泉洋さんの娘役を演じた前原星良ちゃんの母、せらママから「いつかこんな日が来るとは」という意味深な書き出しのメールが届いたのは、先週のこと。何事かと思ったら、「せらが今井さんを取材したいそう。夏休みの宿題で職業についてインタビューしなくちゃいけないの」というありがたいお話で、今日わが家に来てもらうことになった。

「私が行くと口出ししちゃうから」とせらママは遅れて到着することになり、二人きりでインタビュー開始。「ぴまわりぽいくえんぴよこぐみ ぷるたまゆ」だった星良ちゃんも、はや中学2年生。たくさんある職業の中から「脚本家」を選んでもらって光栄だけど、大人相手のインタビューよりある意味責任重大で、緊張する。星良ちゃんも緊張気味で、「えっと、えっと、どうしよう、何聞こう」と質問を投げるまでに逡巡するのが初々しい。

最初の質問は「コピーライターから脚本家になられましたが、何が変わりましたか」。前の職業から切り込んでくるとは、目のつけどころがいい。「コピーライターと脚本家の仕事は似ている部分が多いけれど、会社員からフリーランスになった違いは大きかった」と答え、「フリーは仕事を選べるし、自由が大きい分、成功するのも失敗するのも自分次第。自分で自分をプロデュースし、売り込む努力も必要」とつけ足した。チョコレート名刺で覚えてもらうのもそう、サイトを充実させるのもそう。

「コピーライターになったときの試験がユニークだったそうですが」と下調べも万全な星良ちゃん。せらママからの情報だそうで、元は日記に書いてあったのだっけ。「10色の地下足袋のネーミングとコピーを考えよ」「紙コップの使い方を思いつく限り考えよ」「馬の耳に念仏の新しい解釈を考えよ」の全3問に3時間。想像力を働かせることが苦手な人は時間を持て余し、得意な人には時間が足りない試験だった、と振り返った。

「コピーライター時代と今とで、世の中が変わったと思うのは、どういうところですか」には「インターネットの登場が広告も脚本も変えた」と答え、「コピーライターになったときと脚本家になったときで苦労したのは、どんなことですか」には、「会社員になったときは、自信はないくせにプライドは高くて人の話を聞かず、空回りしていた。失敗を重ねるうちに、人の意見を取り入れる余裕がでてきて、仕事がやりやすくなった。おかげで脚本家になったときは、さほど苦労しなかった」と答えた。

「脚本というのは、家作りにおける設計図のようなもの」というよくあるたとえを持ち出し、「子ども部屋が欲しいという子どもと、書斎が欲しいパパと広い台所が欲しいママのそれぞれの言い分を聞いて、交通整理しながら解決法を探るような仕事。根気強さと解決のための引き出しがたくさん要る」と話した。

「こういう家にしましょうという全体の計画があらすじ。次に大バコと呼ばれるおおまかな構成を作るのが部屋割りにあたるもの。そこが固まると、窓やドアの形や位置を決めるように、さらに細かくシーンを割って小バコを作る。最後に細かい線を書き込んで図面を完成させるようにト書きと台詞のスタイルにしたら、脚本が出来上がる」と脚本作りの過程を説明し、「脚本を書き始めるまでが半分、初稿を書いてから直す作業が残り半分という感じ」と言うと、「パコダテ人で星良に声がかかったときは、作業で言うとどの辺でしたか」という質問。「決まったキャストに合わせて本を書き直したりするので、早い段階で検討稿としていったん印刷してキャスティングを始めるケースが多いから、後半の最初のほうかな」と答えた。

インタビューが面白いのは、相手の視点によって、自分が普段思い至らない部分に光が当てられるところ。コピーライターだった頃と脚本家の今をじっくり比べたことはなかったから、質問に答えながら、なるほどと自分の言葉に新鮮さを覚えた。コンクール受賞作だった『ぱこだて人』が前田哲監督に出会って『パコダテ人』に化けた経緯を話しているところに、せらママ到着。

星良ちゃんは最後に「脚本を書いて、世の中にどうなって欲しいですか」といったことを聞いた。「どんな作品を書いていきたいですか」ではなく「世の中」という言葉を使うところが面白い。「世の中と関わる」という労働の原点を突いているようにも思った。わたしの答えは、「インターネットの中だけで買い物も人間関係も事足りてしまう時代だけど、人と関わりたいという気持ちになれるような作品を書いていきたい」。

ほどなくインタビューは終わり、せらママは積み上げた資料に興味津々。とくに『パコダテ人』の脚本やパンフを見て、懐かしがっていた。「せら、脚本覚えてる?」「その頃は字が読めなかったから読んでないよ」。前田監督が見本を見せてくれたのを真似して演技していたそう。

夕食から後は、せらママのトーク全開となった。

星良ちゃんとせらママも熱心に観てくれている朝ドラ「つばさ」の第20週「かなしい秘密」は、「いつかこんな日が来るとは」が悪い形で現実となってしまう展開。ここしばらく悶々としていた玉木家の父、竹雄(中村梅雀)の秘めた暗い過去が明らかに。過去からの刺客あらわる!?のハラハラした展開を楽しみつつ、家族と過ごすありふれた幸せのありがたさをしみじみと噛み締める一週間。演出は全26週で唯一の女性ディレクター、亀村朋子さん。いつもは毎週月曜だけの「脚本家 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間でもあるので、いつもの週より女性の目線が感じられるかも。

竹雄の過去暴露の衝撃の余波は、第21週「しあわせの分岐点」へと引っ張るので、どうぞ続けて「どうなる、玉木家?」をお見守りください。つばさの幼なじみ、お隣の万里(吉田桂子)ちゃんが活躍する第22週「信じる力」は、再び今井雅子増量週間。

2008年08月09日(土)  冷蔵庫に塩豚があれば
2007年08月09日(木)  ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』
2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』
2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2009年08月08日(土)  ミュー&たまフライング3才誕生会

いまいまさこカフェの「144444人目のお客様にいまいまさこ本プレゼント」の権利を獲得したのは、マタニティビクス仲間のトモミさんのダンナさん。トモミさんちに一家でお邪魔したときにご一緒したけれど、まさかサイトを見てくださっていたとは、驚くやらうれしいやら。

プレゼントの本をお渡しするのにかこつけて、ひさしぶりに母娘同窓会をしましょうということで、一家をわが家にお招きする。うちの娘のたまと一日違いに生まれたミューとトモミさんが、まず到着。はにかみや同士のたまとミューは、最初はぎこちなく距離を取っていたけれど、少しすると一緒に遊び始めた。


お人形のぽぽちゃんにタオルの布団をかけて寝かしつけていたはずが、いつの間にかミューがぽぽちゃんを抱き上げ、タオルの下には、たまのふともも。ミューがぽぽちゃんをだっこして立ち去っても、たまはなんだかうれしそう。

おもちゃのピアノを弾いたり、写真を眺めたり、レゴ遊びやデジカメ撮影ごっこをしたりした後、ベランダを走り回る遊びを始めた二人。同じ方向をぐるぐると回遊しながら追いかけっこするうちに、たまはミューと逆方向に走って待ち受ける作戦を発明。見事ミューをつかまえた瞬間、なんとも得意げないい顔を見せた。

ミューパパへの贈呈本、『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』は自然な成り行きで、ミューへのプレゼントに。「生きることは おくりものを おくりあうこと」のメッセージを添えたサインの宛名は「ミューちゃんへ」。作者自ら朗読して差し上げましょうとなったが、たまは「たまちゃんの ほんで よんで」と中国語版を持ってきたり、ミューは途中で飽きてしまったり。最後まで物語を楽しめるようになるのは、もう少し先かな。今は、たまは絵を見て動物探しをしたり、自分なりの解説をつけたりして楽しんでいる。

近所の豆腐屋までお散歩がてら買い物に行き、戻ったところに、うちのダンナが帰宅し、トモミさんの旦那さんが合流。二人のパパもそろい、晩ご飯。メニューは、
●大根チーズ(大根の薄切りで切れてるチーズを挟むだけ。超簡単だけど驚くおいしさ。先日友人宅で出されて、これは便利と早速真似した)
●野菜のゼリー固め(ひさびさの登場。すっかり作り方を忘れて、自分の過去日記を参照した)
●ブロッコリーの芯とじゃがいものサラダ(濃いめの塩水で茹でてアンチョビオイルをかけただけ)
●ほたてしゅうまい(トモミさんの差し入れ)
●おくらのお好み焼き(リビングに載っていた「オクラ農家のおすすめの食べ方」をアレンジ。オクラを細かく切り、山芋のすりおろし、卵、小麦粉少々と混ぜて焼くだけ。小さいサイズをいっぱい焼くと、かわいくて食べやすい)
●ビーフシチュー(ビーフカレーにするつもりが、いいお肉だったのでシチューに変更)

大人たちは和やかに話が弾み、楽しい食事となったが、「いっかのちゅうしんはたまちゃんよー」光線を投げかけていたたまがついにいじけて、隣室に立てこもったり泣き出したり。ミューがたまの食器や椅子を使うと、いちいち「たまちゃんのよー」と文句をつける有様で、先日訪ねたY家の次女、同い年のアオチンが見せてくれたホスピタリティーとは大違い。困ったもんだ。

トモミさんがなだめてくれて、たまが機嫌を取り直すと、2週間フライングしての誕生日ケーキが登場。たまもミューも目を輝かせ、自分たちが主役になった感激に小躍り。ケーキは去年の2才のケーキと同じく、近所のル・ボン・ヴィヴァンのもの。ここはメッセージプレートがクッキー(しかも無料!)なうえに、ささやかな誕生日プレゼントとして袋入りのクッキーを添えてくれるのがうれしい。

3本のキャンドルの炎を神妙に見つめながら「ハッピーバースデートゥーユー」の歌を聞き、息の合った共同作業で火を吹き消した。おなかの中にいたときから、隣り合って踊っていたミューとたま。二人が音楽とダンスが好きな子に育って、一緒に歌ったり踊ったりしているのを眺めながら、「3年ってあっという間ねえ」と母たちはしみじみとなるのだった。

2008年08月08日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』ロケ
2007年08月08日(水)  「やきやき三輪」で三都物語の会
2005年08月08日(月)  虫食いワンピース救済法
2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』
2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2009年08月07日(金)  聞きたくないレーガン大統領と東ドイツの絵はがき

週末、ひさしぶりにわが家に客人を迎えることとなった。この一年あまり、仕事の忙しさを口実に掃除も炊事もさぼってきたけど、お客さんが来るからには、部屋もそれなりに片付け、もてなし料理も用意することになる。先日お招きにあずかったY家の夫人いわく「家をきれいにしたかったら、人をよぶことよ」。

ここ数週間、8か月遅れの大掃除を続けているが、積年のゴミやガラクタの整理作業の終わりは見えず、週末に向けて、とりあえず「開かずの間」以外の見えるところは何とかしようとペースを上げているところ。

とはいうものの、絵はがき一枚でも「捨てるべきか、取っておくべきか」と悩むものだから、なかなかはかどらない。「聞きたくない」という顔で耳をふさぐレーガン大統領の絵はがきを発掘し、また悩む。レーガンさんはわたしの恩人。彼が大統領で中曽根康弘氏が首相だったときの「ロン・ヤス外交」の副産物の留学制度で、わたしはアメリカに行けた。絵はがきはその留学中に買い求めたものだろう。帰国してから大阪の実家の自室に貼り、大学の下宿部屋に貼り、就職して上京したアパートのトイレに貼り、結婚した家に来てからはガラクタの山に埋もれていた。壁から壁へ20余年の放浪で、セロテープの跡も痛々しく、ずいぶんお疲れの様子。写真に納めて、お別れをすることにした。

2004年06月06日(日)  レーガン元大統領、逝去。
2002年03月31日(日) レーガン大統領と中曽根首相の置き土産

セピア調のこちらの連なった絵はがきは、1982年に当時「東ドイツ」と呼ばれていたドイツ民主共和国=Deutsche Demokratische Republik (DDR)で買い求めたもの。絵はがきのくたびれ度合いを差し引いても、ずいぶん古めかしい国だったんだなあと思ったら、写真が撮られたのは19世紀終わりから20世紀初めにかけて。いちばん上の写真は、1220年に建てられた建造物を1888年にF.Albert Schwartzが、上から2枚目は1907年にMax Missmannが撮影。

娘の初めての海外旅行先に東ドイツを選ぶ母のセンスは大したものだが、この国にただならぬ関心を寄せ、勉強会に参加していた母が「先入観ができる前に、見せておきたい」と中学一年生だったわたしと小学5年生だった妹を連れて行ったのだった。何かと衝撃的だったこの旅の刺激が、4年後のアメリカ留学につながっているので、レーガンさんと同じく、旧東ドイツは今のわたしに多大な影響を与えた存在。映画『グッバイ・レーニン』を観たとき(>>>日記)以来の懐かしさと感慨に浸った。思い出小箱の蓋を一瞬で開けてくれるこの絵はがきとも、写真に納めてお別れする。紙は呼んでも答えてくれないけれど、データは検索して呼び出せる利点もあるよと未練がましい自分に言い聞かせて。

2008年08月07日(木)  暁に帰る
2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人
2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2009年08月06日(木)  すみずみまで水野仁輔君のカレー本と「かがり火」

料理ユニットの東京カリ〜番長で活躍する水野仁輔君から「新刊本を送ります」と、3冊が届いた。『ニッポン・カレー大全』と『インドカレーキッチン (MARBLE BOOKS―daily made)』と『カレーになりたい!』。カレーネタでこれだけ立て続けに本を出せるのはすごい。水野君の作るカレーも好きだけど、彼が綴るカレーは、愛と感謝にあふれていて、なんとも味がある。幼い頃の隣人のインド人一家仕込みの本場の味が刷り込まれてカレー体質になってしまったわたしは、水野君の筋金入りのカレー愛にも「本物」を感じてしまう。

東京カリ〜番長がカレーをオシャレな存在に仕立てたのは、手がける本や印刷物のクオリティの高さが大いに貢献していると思う。添えられたスパイス番長(カリ〜番長とは別にスパイス料理を研究する四人組)のカードも、写真、デザイン共に品があり、飾りたくなるセンスの良さ。さらに、レシピカードにはレシピ開発者が食材の作り手などにあてた手紙が添えられていて、愛とユーモアがあふれた文章をすみずみまで読んでしまう。3冊の本もすみずみまで味わいたい。

すみずみまでといえば、先日「瀬戸内国際子ども映画祭」の準備会(>>>日記)のときに小豆島オリーブランドの柳生好彦会長から紹介された「かがり火」という地域づくりの情報誌を一冊持ち帰った。レイアウトがかっちりしていて、ちょっと官公庁の出版物っぽいお固さがあるのだけど、文章はとても読みやすく、よく調べ、よく書き込まれていて、読み応えがある。

その中に、ドキュメンタリー映画『オオカミの護符』の由井英監督のインタビューを見つけて読んでいて、「!」となった。今も民間に残るオオカミ信仰を扱ったこの作品の舞台は神奈川県宮前区土橋だという。文京区に引っ越してくる前、大阪から上京したわたしが10年前暮らした住所なのだった。田園都市線鷺沼駅近くにひらける「新興住宅街」だと思っていたら、昔から集落がある地区で、そこにオオカミ信仰が根づいているのだという。映画の存在は新聞記事で知っていたけれど、こんな風にかつて暮らした町とつながるとは驚いた。

すみずみまで読んだご褒美のように出会える発見は、ほくほくとうれしくなる。

2008年08月06日(水)  東京大地震の代わりに、小さな天災。
2006年08月06日(日)  アシナガバチの巣
2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2009年08月05日(水)  ビデオを忘れるほどカメラに夢中

一昨日、七大戦の応援団パレード目当てに東大へ行ったとき、応援団にカメラを向けるわたしに、「たまちゃんが とる!」と娘のたまが手を伸ばしてきて、初めてデジカメで撮らせてみた。シャッターボタンを押す指にうまく力を込められず、「できないよー」とぼやいていたが、そのうちコツを覚えたと見えて、わたしとじいじにカメラを向け、パシャパシャとシャッター音を響かせた。ほとんどがピンぼけで、指が写っていて、人物は顔が切れているが、シャッターを切る手応えがたまらないらしく、メモリーの容量が尽きるまで撮り続ける。昔だったら「フィルムがもったいない」と心配になるところだけど、撮っては消せるデジカメ時代は、おおらかに見ていられる。

デジカメ熱は冷めることなく、うちの中でもパシャパシャ。飽きることを知らず、おかげで、「なんかみる〜」とビデオをせがむことを忘れている。人が撮ったものを見てるより、本人が動いて撮ったほうがよろしい気がする。カメラが上下逆さまだったり、レンズが逆を向いてボケボケ、どアップのセルフポートレートになったり、真っ黒い画面が何枚も続いたり。そんななか、何十枚かに一枚、うまく撮れるものがあり、コカコーラの丸看板の接写はピンぼけながら面白い構図。

壁のオフホワイトと布団の白が画面を二分割し、手前に人形のぽぽちゃんが寝転がり、背後に色鮮やかなカラーボックスという写真も、真横から見たような平面的な感じがあって、なんだか不思議。

そのぽぽちゃん、よく見ると、ソフトクリームのヘアゴムをヘアーバンド代わりにしている(以下の写真はわたしが撮影)。スキンヘッドにソフトクリームとは、ポップというよりパンクだ。こういう使い方は、思いつかなかった。


ぽぽちゃんといえば、少し前のこと、「これ、ぽぽちゃんの まくらね」と言いながら、たまが寝かしつけているのを見ると、枕の上にバインダーを置き、ベッドにしていた。留め具部分のスマイリーを「まくら」に見立てるセンスは、大人には斬新。

今朝は、カーテンレールに吊るした洗濯物に向かって床掃除ローラーの棒を伸ばし、「クリーング」(クリーニングのこと)。クリーニング屋さんが高いところに吊るしたハンガーを取るのに棒を使うのを真似していた。今週から一部が入れ替わった朝ドラ「つばさ」のタイトルバック写真を一枚一枚「これはおんなじ、これはちがう」と言い当てたことにも驚いたが、カメラで撮るように目にしたものを心に焼きつける機能は、大人よりはるかに優れているらしい。

今日の子守話は、カメラの話が作れれば良かったのだけど、以前作ってあった傘のお話。雨降りの日の3点セット、傘とレインコートと長靴がたまは大好きで、晴れていても使いたがる。まほうつかいシリーズは一段落して、次は小人か猫のお話に取りかかる予定。

子守話91「まほうつかいたまちゃん かさのまき」

あめふりの ひの できごとです。
まほうつかいの たまごの たまちゃんは
かさを さして レインコートをきて ながぐつを はいて
みずたまりだらけの みちを あるいていました。

あめが やんで そらに にじの はしが かかりました。
あの にじまで とんでいきたいな。
たまちゃんは そうおもったので そらとぶ まほうを
つかうことに しました。
「ちちんぷいぷい。たまちゃんの かさ たまちゃんを
 おそらへ つれていけ」
まほうは だいせいこう。
かさは ねっききゅうみたいに ふわりと うきあがり
たまちゃんの からだを もちあげて ぐんぐん そらへ
むかっていきました。
たまちゃんが にじの うえで すべりだいあそびを
していると はるかかなたの じめんから おともだちが みあげて
「たまちゃん いいな いいな」
「ぼくも やりたい」「わたしにも やらせて」とおおさわぎ。
「あとで そらとぶ かさを かしてあげるね」
にじの うえから たまちゃんは いいました。
たまちゃんの まほうの ききめは 3かかんも あるので
みんなで かわるがわる そらを とぶことが できるのです。

ところが きゅうに そらとぶ かさの ききめが なくなって
たまちゃんは したへ したへと おちていきました。
そらを とぶのは とても ちからが いることなので
まほうが おもいのほか はやく とけてしまったのです。
「たいへん たいへん。たまちゃんが おっこちてくる」と
ちじょうでは おともだちが おおさわぎ。
「どうしよう。じめんに ぶつかったら いたいよう」と 
たまちゃんも なきべそです。

そのときです。ほうきに のった まじょが ちかづいてきました。
いじわるな まじょですが たまちゃんを たすけに きてくれるとは
やさしいでは ありませんか。ところが まじょは
「そらを とぶのなんて 100ねん はやいよ。
 まほうつかいの たまごの くせに」と いじわるを いうだけで
おっこちていく たまちゃんを みているだけです。
「おねがいです。そらとぶ ほうきに のせてください」と
たまちゃんは ひっしに さけびましたが
「これも しれんだよ。じぶんの まほうで かいけつしな」
まじょは そういって とびさって しまいました。

たまちゃんは もういちど かさに まほうをかけましたが
かさは いうことを きいてくれません。
どうしよう。どうしよう。
そのとき たまちゃんは いいことを おもいつきました。
かさに まほうが かからないなら
ほかの ものに まほうを かければ いいのです。
「ちちんぷいぷい たまちゃんの レインコート、パラシュートになあれ」
ききいっぱつで まほうが きいて
レインコートは パラシュートに へんしんしました。
たまちゃんは ゆっくりと じめんに むかって おちていきます。

じめんが ちかづくと ねんのために ながぐつにも まほうをかけました。
「ちちんぷいぷい ながぐつ トランポリンに なあれ」
すると ながぐつは トランポリンに へんしんしました。
たまちゃんが あしから じめんに おっこちると
ながぐつのトランポリンが ぽーん ぽーんと はずんで
しょうげきを うけとめてくれたので
たまちゃんは けがひとつ しませんでした。
たいそうせんしゅみたいに ポーズを きめて
たまちゃんは みごとに ちゃくちしました。

はらはらして みていた おともだちは ほっとして
おおきな はくしゅを してくれました。
「つぎに そらを とびたい ひと だあれ」と
たまちゃんは ききましたが だれも へんじを しませんでした。
たまちゃんも そらを とぶのは もうこりごりです。

2008年08月05日(火)  マタニティオレンジ317 ビクス母三人と娘三人
2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用
2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2009年08月04日(火)  「役目を終えた」と思えば捨てられる

わが家が片付かないのは、捨てられないわたしの性格のせいだ。掃除術の本や記事を読むと、「片付けることは捨てること!」ときっぱり書かれているが、この「きっぱり!」がわたしには欠けていて、「まだ使える」「また使える」とゴミ箱行き宣告をためらってしまう。「使い切った」と納得することが大事」と掃除のプロは口をそろえて言う。天命を全うした人を見送るときの安らかで穏やかな心持ちと同じく、その物が役割を果たしたと思えば、未練なく旅立たせることができるのだと。

写真を撮って残すのは、ひとつの手だという。プリントが散乱するという新たな問題もデジカメのデータ保存なら問題ない。まずは、冷蔵庫に貼り付けたまま色あせ、水気でしわしわになった雑誌広告の切り抜きを写真に納めることに。"Thank you for being so sweet"(とってもやさしくしてくれて、ありがとう)というカードを読んで涙ぐむm&mイエロー君。チョコの甘さと性格の優しさのsweetをかけたコピーをカードの文面にしてしまい、あとはmms.comとアドレスを小さく表示するだけの潔さ。m&mグッズのひとつとして手元に置いておきたかったけど、台所に立つわたしを数年間励ましてくれたので、ご苦労様と冷蔵庫から外した。m&mといえば、パティシエのはちみつ亜紀子ちゃんの特製ウェディングケーキを取り囲んだクッキーのm&m応援団も、なかなか捨てられず、半年余り取っておいたが、夏が来て、泣く泣く手放すことになった。

「物を捨てられないときは、その物が占めるスペースの家賃を考えなさい」というアドバイスもある。雑誌広告一枚では省スペースにならないが、たった一ページのために雑誌一冊を取り置いているものが、わが家にはゴロゴロしている。それをまとめるとみかん箱数箱分ぐらいにはなりそうだ。まずは、『風の絨毯』の映画紹介が載った2003年の関西ウォーカー。風じゅーの脚本は「モハマド・ソレイマン/今井雅子」と表記されることが多かったが、これは「今井雅子ほか」となった珍しいケースで、大阪に住むダンナの弟がわざわざ取っておいてくれた。


場所をうんと取っているものといえば、ダンボールハウス。一時はかくれんぼしたり隠れ家にしたりと娘のたまの遊び場になっていたが、今は洗濯物干しと化している。大量のタオルや靴下をかけられるので重宝しているが、これをどかせば、一平米以上のスペースが浮く。「壊していい?」と家主(?)のたまに聞くと、「ダメ」の返事。「でも、これがないと、おうち、広くなるよ」と言うと、「そうだね」と納得してくれ、最後の姿を撮影して、解体開始。

手でダンボールを小さく割き、せめてリサイクルにとびっしり貼りつけたシールを剥がし、かなりの重労働となった。たまが喜んで引っ張っていた紐は、取り外してリボン瓶へ。これはプレゼント包装に再利用。

家のあちこちに散らばっている爪楊枝アートもまとめて撮影。保育園の調理士さんが熱心で、四季折々の花や行事をモチーフにした爪楊枝を給食に立ててくださる。糸や針金を使ったり、相当手が込んでいるが、これを月に何度か50余名の園児分用意する手間ひまに頭が下がる。愛だなあ。写真は撮ったものの捨てられず、棚に飾った。

今日の子守話は、掃除機の話。ダンボールハウスの跡地に掃除機が立ち往生しない広さの床が現れ、ひさしぶりに掃除機をかけられた。

子守話90「まほうつかいたまちゃん そうじきのまき」

まほうつかいの たまごの たまちゃんが
いちばん にがてな おてつだいは そうじきを かけること。
たまちゃんには そうじきは おおきすぎて おもすぎて
おもいどおりに うごいてくれません。
そうじきが かってに おそうじしてくれたら どんなに らくかしら。
たまちゃんは そうおもったので まほうを かけることにしました。
「ちちんぷいぷい そうじきさん かってに おそうじして まわれ」
まほうは だいせいこう。
そうじきは たまちゃんの てを かりずに
へやのなかを ひとりでに あっちへいったり こっちへいったりして 
つぎつぎと ゴミを のみこみはじめました。

「いいぞ いいぞ そのちょうし」
たまちゃんは ゆかいになって はたらきものの そうじきを みていましたが
「あ! それは ダメ!」と あわてて そうじきに かけよりました。
なんと そうじきは たまちゃんの だいじな おもちゃまで
てあたりしだい のみこんでいるのです。
どうやら「かってに おそうじして まわれ」と 
まほうを かけてしまったのが いけなかったようでした。
そうじきは とても じぶんかってな あばれものに なってしまい
たまちゃんの おにんぎょうを ふんづけたり
たまちゃんに たいあたりしたり やりたいほうだいです。
そして とうとう たまちゃんと パパと ママまで のみこんでしまいました。

ほこりまみれの そうじきの なかで
たまちゃんたちは げほげほと せきこみながら
まほうが きれるのを じっとまちました。
ところが こんなときに かぎって たまちゃんの まほうは 
いつもより ききめが ながくなってしまうのです。
4かめに ようやく まほうが きれて かってきままな そうじきは
のみこんだ ありとあらゆるものを はきだしました。
もちろん たまちゃんと パパと ママも ぶじに
そとに でてこられました。
3にんは そうじきが すいこんだ おかしを たべて
うえを しのいでいたのです。
そのあと とっちらかった いえのなかを そうじするのに
いっかげつも かかってしまいました。
「そうじきを みるのも いやだろ。これを つかいな」と
まじょが そらを とばなくなった おふるの ほうきを 
もってきて くれました。
「わかったかい? へたくそな まほうは しごとを ふやすんだよ」と
おとくいの いやみを いうのも わすれませんでした。
やれやれ。いちにんまえの まほうつかいには なかなか なれそうに ありません。 

2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り
2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』


2009年08月03日(月)  応援団と朝日歌壇と子守話はエールつながり

応援団の演舞について綴った昨日の日記に多方面から反響が届き、わたしだけでなく、多くの人が応援団なるものに関心や共感を寄せていることに驚いた。わたしの気力と忍耐力は応援団仕込みだけれど、応援団を見るだけで元気になれることがわかったので、今日の夕方もパレード目当てに七大戦会場の東大へ。到着したときにはパレードも各校の演舞も終わり、エール交換の最後の一校が「フレーフレー七大」とエールを送っていた。工学部の広場の大木を七大学の応援団が囲む姿は壮観で、それだけでも見る価値があった。

今日は月曜日で、毎週楽しみにしている朝日歌壇の掲載日。2009年04月01日(水)の日記に「(ホームレス)公田耕一氏と(アメリカ)郷隼人氏」を、2009年06月15日(月)の日記に「(ホームレス)公田耕一氏と(アメリカ)郷隼人氏」のその後」を綴ったが、その後も両氏の歌には注目している。紙面を開くと、お目当ての二人の歌がそろった上に、公田氏を詠んだ歌まであり、辺りを見つけたようなほくほくした気持ちになった。

事件より二十四年が経過して今日、命日に両掌を合わす (アメリカ)郷隼人

野毛山を下れば汗の吹き出してドン・キホーテへ涼みに入る (ホームレス)公田耕一

生きていれば詠める ペンあれば書けること教えてくれるホームレス公田氏 (飯塚市)甲斐みどり


歌の交流はエール交換にも似たものがあり、それゆえわたしは惹かれるのかもしれない。他に、最近の掲載作を書き留めたものを以下に記してみる。

6月22日掲載
雨匂ふ五十六年駆け抜けて「グイン・サーガ」は未完のままに (ホームレス)公田耕一

6月29日掲載
KATIEとう仔猫が仔猫(ベビー)を生んだという情報(ニュース)が忽ち所内に伝わる (アメリカ)郷隼人

7月6日掲載
五月晴れとは梅雨の晴れ間 歩くこと休み一日洗濯をする (ホームレス)公田耕一
梅雨に入り「泣くの歩くの死んぢやふの」 この三択を諾ふ朝(あした) (ホームレス)公田耕一

7月13日掲載
湯に沈む熱き抵抗懐かしく久方振りにひかり湯へ行く (ホームレス)公田耕一

7月27日掲載
福島の桃に花咲きまろき実を結ぶ半年われにも半年 (ホームレス)公田耕一

詠まれた歌から見知らぬ人物の輪郭を思い描く興味深さは、週一回配信の連載ミステリーを読むようだが、三十一文字に奥行きと広がりが込められているから、超短編ながら非常に面白いのだろう。広告会社時代に組んだことのあるデザイナーが俳句の世界では大先生の中原道夫さんで、冗談半分に俳句の手ほどきを受けたときに「五七五に400字の情景を込めるイメージで作りなさい」と教えられたが、五七五七七ではそれ以上か。読むは易し、詠むは難しで、6月15日の日記を読み返すと、「身近な題材であるわが子を詠んだ吾子短歌を初投稿してみることに」と書いてあるが、いまだに投稿できていない。

わたしには凝縮するより拡散するほうが合っているかもしれない、と娘のたまの言葉をヒントに膨らませる子守話をまとめることに。ずいぶんおしゃべりになったたまが毎日のように刺激的なネタを投げかけてくれるので(「ねこしんぶん」などと突然口走る)、新作は日々生まれているのだけど、文章にまとめる作業をさぼっていた。「まほうつかいたまちゃん」シリーズの新作3つのうち、まずひとつ。たまは「魔女」というだけで「こわいよー」と逃げてしまう。子守話が母から娘へのエールだってことには気づいていない。

子守話89 「まほうつかいたまちゃん おふろのまき」

まほうつかいの たまごの たまちゃんは プールあそびが だいすき。
でも ほいくえんの プールの じかんは あっというまに
おわってしまうので いつも もっとあそびたいなと おもっています。
そこで たまちゃんは おうちの おふろに まほうを かけることにしました。
「ちちんぷいぷい たまちゃんちの おふろ うんと おおきくなあれ」
おふろは ほいくえんの プールよりも おおきくなりました。
これで たまちゃんは すきなだけ プールあそびが できます。

ところが こまったことが おきました。
ちいさな おうちの めいっぱいまで おおきくなった おふろは
たまちゃんちの ほかのへやを のみこんでしまったのです。
だいどころも ベッドも トイレも ようふくだんすも 
みんな みずのそこに しずんでしまいました。
しまったと おもったときには ておくれでした。

まほうがとけるまでの 3かかん たまちゃんと パパと ママは
じいじばあばの おうちに ひなんしました。
そして 3かごに おそるおそる うちに もどってみると
おふろは もとの おおきさに もどっていましたが
あとの ものは もとどおりにならないぐらい
びしょびしょの みずびたしに なっていました。

たまちゃんに まほうを おしえた まじょが あらわれて
「とんだ しっぱいを やらかしたものだねえ」と 
ゆかいそうに いいました。
まじょは いじわるなので しっぱいを みるのが だいすきなのです。
「おねがいです。おうちを もとどおりにしてください」と
たまちゃんは おねがいしました。
「テーブルに いすに ベッドに ふとんに
 たんすに テレビに カメラに ぬいぐるみに アルバム。
 これじゃあ まほうが いくつあっても たりないねえ」
まじょは おおげさに ためいきを ついて
「この あめだまを なめて もとどおりにしたい ものの なまえを
 となえなさい。ただし ひとつだけだよ」と
ふしぎな いろの あめだまを さしだして きえてしまいました。
「どうしよう。たった ひとつだけなんて」
たまちゃんは こまってしまいましたが
「いい かんがえが あるわ」と ママが いいました。
なるほどと たまちゃんは うなずき あめだまを なめて
ママの おもいついた なまえを となえました。

すると どうでしょう。うちの なかは なにもかも 
たまちゃんが おふろに まほうを かける まえに もどりました。
でも あめだまの まほうで もとどおりに できるのは
たったひとつ だったはず。
そうです。たまちゃんは 「じかん」を もとどおりにしたのでした。
まほうを じょうずに つかうには ちえも ひつようだなと 
ひとつ かしこくなった たまちゃんでした。

2008年08月03日(日)  葉山の別荘2日目 田舎でのんびり
2007年08月03日(金)  ラジオが聴きたくなる、書きたくなる『ラジオな日々』
2006年08月03日(木)  子どもの城+ネルケプランニング『南国プールの熱い砂』
2005年08月03日(水)  『三枝成彰2005 2つの幻』@サントリーホール
2002年08月03日(土)  青森映画祭から木造(きづくり)メロン


2009年08月02日(日)  七大戦演舞も朝ドラ「つばさ」第19週も「太陽がいっぱいだ」

全国七大学総合体育大会、通称「七大戦」。北大、東北大、東大、名古屋大、京大、阪大、九大の7つの旧帝国大学の体育会(運動部)が年に一度、持ち回りで集い、優勝を競う大会で、「七帝(しちてい)」とも呼ばれる。各大学の応援団も応援に駆けつける一方、演舞会やパレードで日頃磨いた技と気力を競い合う。第48回を数える今年の開催地は東大で、今日は本郷キャンパスで演舞会が開かれるというので、後輩たちの活躍を見に出かけた。大会キャラクターは、ハチ公ならぬナナ公。

自分の大学や他大学の先輩後輩とすれ違ったり鉢合わせたり。顔は覚えているけど名前が出てこない人もいるが、応援団ではとにかく挨拶しておくに越したことはない。その昔、鬼と怖れられた先輩がいい大人になり、子どもを連れていたりする。

応援団出身者をおおまかに3つに分類すると、応援団的生き方が抜けず、応援団のつきあいや行事を最優先させる「根っから型」(リーダー部出身者、とくにリーダー部長経験者に多い)、応援団をネタに宴会芸や飲み会の話題に活用する「ミーハー型」(わたしはここに属する)、応援団にいたことを何かの間違い、消したい過去であると位置づけ、カミングアウトを避ける「なかったこと派」となる。「根っから型」は七大戦がどこで開催されようと駆けつけ、「ミーハー型」は近くで開催すると顔を出すのだが、今日も「この日のためにわざわざ!」な方々が多数。演舞が始まると、「気合入れろ!」「声出てねえぞ!」「聞こえないぞ!」と喝を入れる野次が飛ぶが、その声は現役団員のそれより力強く、よく響いたりする。団旗(ご覧のように身長の何倍もある見事なもの)の上げ下ろしにも、自分たちもやっていただけに厳しい声が飛ぶ。途中の旗手紹介で、団旗を床と平行になるまで下ろした姿勢で耐えるという場面があり、わたしがかつて見たことないほどの忍耐を披露してくれたが、「まだまだ!」「気合入れい!」と野次を飛ばすOB軍団は、後半のしんどいときに「上げ方忘れたんか?」と突っ込むなど情け容赦ない。

応援歌3曲、逍遥歌、旗手・鼓手・司会の紹介、マーチメドレー、締めは学歌斉唱という一時間近いステージ(これを7大学分やるので、朝から晩まで一日がかり)。わたしがいた頃はチアだけで20人を超える大所帯だったけど、現在はリーダー部、ブラスバンド部、チアリーダー部あわせて30名。しかし、発せられるパワーや演舞の完成度には目を見張るものがあり、よくやってる、と頼もしさと誇らしさを味わった。チアの振付けはずいぶんシャープになり、衣装もメイクも垢抜けて、部員もスタイルのいい華やかな子ぞろい。今の子はかっこいいなあ、と眩しくなったり、わたしもあんなことやってたなんて若かったんだなあと懐かしくなったり。

応援団の演舞を見ると涙が出そうになるのは、そんな感傷のせいだけではなく、現役時代からそうだった。声を出すのもジャンプするのも力を出し惜しまず、終わったら倒れてやるぐらいの気迫が数十人分集まると、迸るエネルギーに圧倒されて、言葉を失い、ただ痺れる。わたしの結婚パーティでお祝いの演舞を観た同僚の広告関係者らは、「あんなに一生懸命に何かをやってる人って初めて見た」と驚き、「カルチャーショックを受けた」とさえ語っていたが、がむしゃらが敬遠されつつある昨今、どうしてそこまでやるのかというひたむきな姿には希少価値があり、敬意をかき立てられる。

NHK「おかあさんといっしょ」の歌「ドンスカバンバンおうえんだん」が大好きな娘のたまは、「ドンスカバンバンおうえんだん、見に行こっか」とわたしに誘われ、喜んでついてきたのだが、大音量の太鼓と気合の入った大声に恐れをなし、泣き出してしまった。終わった後で「ドンスカバンバンおうえんだん、やらなかったね」と愚痴っていたので、期待していたものと大違いだったよう。他の大学の演舞を見るのはあきらめ、三四郎池を散歩し(大学の中にこんな絶景が!)、前から気になっていた本郷通りにあるレストラン「山猫軒」(カレーが思いのほか美味!)でひと息ついて帰った。

チアに限らず、応援団って、ありあまる若さと時間がなければできないことだと思う。中にいるときは、そんなことには気づかず、無我夢中だったけど、あの4年間が今の自分の大きな栄養源になっているのは間違いない。理不尽でも全力を出し切れば何か得るものがあるとか、気合があれば何とかなるものだとか。後輩たちのエールに力をもらいつつ、昔の自分にも元気づけられた気がした。

折しも明日からの朝ドラ「つばさ」第19週は、誰かを力づけるということが大きなテーマ。長瀞で傷心を癒して、ぽてとに復帰したつばさは、この週の出来事をきっかけに人と人をつなげるチカラを取り戻し、ラジオの仕事を自分の夢にしたいと決意する。物語はここから大きくうねるので、引き続き、ますますご注目を。

劇中も世間もお騒がせのあのサンバと斎藤(西城秀樹)との結びつきが明らかに。ただのにぎやかしではなく、サンバには深い意味と愛があったのだ。ところで、サンバのお膝元、ブラジルでは「つばさ」をどう見ているのだろう。高校時代、体操部で一緒だったカンちゃんはブラジルにて「つばさ」をチェック中。「サンバが出て来てうれしかった」とメールをくれたけど、カンちゃん自身が高校時代からサンバな人だった。ちなみに「ブラジルでは朝ドラは、夜8時15分か夜中なんですよ」とのこと。夜だけど「8時15分」スタートというところに、おなじみ朝ドラへのリスペクトを感じます。

話がちょっとそれたけど、第19週を観ると、サンバが愛しくなること、うけあい。すでに多くの方が指摘されているように、人物や事象への光の当て方を変え、物語の印象をプリズムのように変えていくのが「つばさ」のユニークなところ。第11週の千代(吉行和子)と浪岡(ROLLY)のデート、第14週の千代と葛城(山本學)の再会の伏線もこの週で生かされる展開。最終週の第26週にかけて、どんどん伏線を回収していくので、どうぞお楽しみに。つばさと翔太の劇的な再会も、もちろんインパクト狙いではなく、意図があってのこと。

タイトルの「太陽がいっぱいだ」の通り、まぶしいパワーときらめきにあふれた一週間。演出は1〜3週、6週、10週、14週、16週の西谷真一チーフ・ディレクター。続く第20週「かなしい秘密」は「脚本協力 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間。第19週から続けてお楽しみください。 写真は、うちにある太陽たちを集めて、台本を囲むの図。左上からロス土産の刺繍ワンピース、絵本『おひさまあかちゃん』(高林麻里)『はらぺこあおむし』(エリック・カール)『わたしのワンピース』(にしまきかやこ)。絵本はいずれも娘のたまのお気に入り。

自分が関わった作品や人を応援せずにはいられないのは、応援団気質ゆえ? ミーハー型応援団と自認していたけど、わたしがコピーライターになったのも、脚本家になったのも、自分の書くもので誰かを力づけたり元気づけたりしたいという気持ちからだから、根っからの応援団といえるのかもしれない。

2008年08月02日(土)  葉山の別荘1日目 海水浴と海の幸づくし
2007年08月02日(木)  ブロードウェイ・ミュージカル『ヘアスプレー』
2002年08月02日(金)  「山の上ホテル」サプライズと「実録・福田和子」

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