2009年06月03日(水)  ピンク一色のカフェに全身ピンクで乗り込む

「会いたいね」と言い続けること数か月、友人まいちゃんと渋谷での打ち合わせ前にお昼を食べる。大阪で高校生だった頃、同じ交換留学プログラムで研修を受けて仲良くなったまいちゃん。高校もその後の進路も別々だったけど、縁あってお互い東京にいて、ときどき会っている。

友だちづきあいが長続きするかどうかの大きな分かれ道は、「食べものの趣味が合うかどうか」だとわたしは思う。同じ食べ物を好きということではなく、同じものを食べたときの気分を気持ちよく分かち合えること。「ランチにいくら出すか」だったり、「予算の中でどの店を選ぶか」だったり、そういう経済感覚も含めて、食べものの楽しみ方に価値観があらわれる。

「まいちゃん」「まいまい」と呼び合うまいちゃんとは、あだ名も似ているけど、食べものの好みがとても近い。彼女が選んで持ってきてくれたお菓子(シーキューブのシュークリームとか)は、その後もわたしの好きなものリストに入ったし、一緒に行ったお店を出るときに、いつも二人ともにこにこして、よかったねと言い合っている。

そういう気の置けない友だちは、新規開拓の良きパートナーになる。そういうわけで、「渋谷だったら、行ってみたいお店があるんだけど」と指名したのは、「タロス」という南イタリア・サルデーニャ島家庭料理のお店。大好きだったレストランJ(現在は閉店)の情報を求めて購読しているeatpiaのメルマガで紹介されていた。eatpiaはおいしいお店連合のようなレストランガイドのサイトで、ここに加盟しているお店はわたし好みの確率高し。

渋谷西口から徒歩3分ぐらいの便利なところにあるカジュアルで明るい雰囲気のお店で、まいちゃんと現地集合。1050円のランチは、サラダビュッフェ(温泉卵に感激)とパンとパスタ(ナスと魚介をチョイス。貝たっぷりのボンゴレ風)と食後の飲み物がつく。渋谷のランチとしては大満足なコストパフォーマンス。子育ての大先輩でオーストリアに留学中の高校生の女の子と中学生の男の子がいるまいちゃんから、はるか未来の学校の話をふむふむと聞いたり、「つばさ」の感想を聞いたり。まいちゃんは「いろんなお母さんがおるやん。ああゆうお母さんを朝ドラでやるって、おもろいと思うわ」と面白がってくれる。会話は二人とも思いっきり大阪弁。

とそこに、プロデューサーから「打ち合わせ開始を遅らせたい」と電話。じゃあ、デザートにいこっか、となる。居心地のいい店内にこのまま居座ってショーケースから選んでもいいし……となったところで、思い出した。「そうや。たばこと塩の博物館にオープンテラスのカフェができたらしいんやけど、そこ行けへん?」「行く行く」とノリ良く立ち上がるまいちゃん。

少し前、新聞で紹介されているのを見て、ネットでも下調べしたそのカフェのメニューがクレープとガレット中心で店名が「セ・ボン・プラージュ」ということからパリっぽいお店を想像していた。坂を上って、たばこと塩の博物館が近づいてくると、目がちかちかするようなピンクが飛び込む。おお、あれは! 浮き上がるような派手派手ピンク! 後で調べると、JT=日本煙草産業のコーポレートカラーである「緑」の補色「フランベリーピンク」をアクセントカラーに採用したとのことだが、アクセントではなく全体がピンク! シャンゼリセ通りはもちろん、インドにあるピンクシティのジャイプールにあっても、このまばゆさは度肝を抜きそう……とうれしさもまじって興奮していると、「まいまい、同じ色やん」と隣からまいちゃんの突っ込み。言われて、わが身を見れば、よりによって今日は全身ピンクで、店にすっかり溶け込んでしまっている。


ランチを食べたばかりにもかかわらず、「二人で一枚」という発想はなく、「二人で二種類分け合おか」となるところも、あうんの呼吸。

「塩キャラメル」と「バナナチョコレート」を注文したら、運ばれてきたのはプレーン。「え?」となったわたしたちの反応を見て、「間違えました? でも、よかったら食べてください」「いいんですか!」。そのプレーンがまた絶品! あっという間に平らげると、塩キャラメルとバナナチョコも登場(写真がピンクフィルターかかったようになっているのは、テラスの屋根もピンクだから!)。3枚を次々とやっつけて、「うちらの胃袋どないなってるねん!」。

話題はもっぱら食べもののこと。保護者会で予算一人あたり200円までのお菓子を買ってくる係になったときのまいちゃんの体験談が興味深かった。こういうとき、どこにポイントを置くかにもその人の食べもの観はよく現れる。早起きして遠出して自分が大好きなうさぎ屋のどら焼きを買っていったら大評判だったけれど、合理的に考える人は「わざわざそこまでしなくても」と思うのよ、という話。200円のお菓子、何買おうってわくわくできたほうが楽しいやんなあ、と話す。まいちゃんには「大麦工房の大麦ダクワースは157円でむっちゃ幸せになれるで」と紹介した。

ドリンクを200円でつけて、一人800円。「満足しましたー」とレジの女の子と話していると、「そのカッコ、うちの店来るために着てきはったんですか?」と言葉も発想も思いっきり関西。「うわ、この指輪、むっちゃかわいい」とこれまたピンクなQ-potのいちごホイップ指輪を褒めてくれるのも、いかにも関西人。「もしかして、関西人?」と聞くと、「みんなそうです」。元気と愛想がよくてかわいい店員さんたち、なぜかそろいもそろって関西人らしい。ノリついでに、まいちゃんとの写真も撮ってくれた。

2008年06月03日(火)  「夜は街より家にいたい」「予定はなるべく入れないで」という感覚
2007年06月03日(日)  マタニティオレンジ127 0歳児時代は子どもより自分優先!?
2005年06月03日(金)  劇団浪漫狂『ピカレスクpp行進曲』
2003年06月03日(火)  海南鶏飯食堂(はいなんじーふぁんしょくどう)
2002年06月03日(月)  きる ふぇ ぼん
2000年06月03日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月03日(日)  4年2組日記 先生の家


2009年06月02日(火)  『友子とモコ』第46回ギャラクシー賞奨励賞受賞

今年1月31日にNHK-FMのFMシアターで放送されたオーディオドラマ『友子とモコ』が第46回ギャラクシー賞(放送批評懇談会が1963年に創設した、日本の放送文化に貢献した優秀な番組・個人・団体に贈られる賞とのこと)の奨励賞を受賞。推してくださった方、ありがとうございます。

『友子とモコ』についての過去の日記はこちら。
2009年01月31日(土) 1月31日に『友子とモコ』を放送する意味
2008年12月26日(金) ラジオドラマ収録→東京帰還
2008年12月25日(木) ラジオドラマを録りに札幌へ

今日の子守話は、保育園へ娘のたまを送る途中の出来事がヒント。空気をつかんで口に放り込み、もぐもぐしているのを見て「何しているの?」と聞いたら、「くうき ばべてるの」(いまだに「たべてる」と言えない)という答えが返ってきた。「おいしい?」と聞くと、「おいしいよ」と実においしそうに食べる。その心の中には、どんな色や味を思い浮かべているんだろうなと想像した。

77「くうきチョコレート」

おなかが すいたら おやつは くうきを たべましょう。
おててを のばして つかんで おくちに ぽいっ。
きょうの おやつは くうきチョコレート。

くうきチョコレートは くうきだから だれにも みえません。
いろも かたちも ありません。においも あじも しません。
だけど たまちゃんには
チョコレートのいろ チョコレートのかたち
チョコレートのにおい チョコレートのあじ。

くうきだから たまちゃんが おもいうかべた 
いろや かたちや においや あじに へんしんできるのです。

おいしくなあれと たまちゃんが おまじないをかけると
チョコレートは とっても おいしくなりました。

たまちゃんは くうきりんごと くうきバナナも たべました。
おなかのなかで くうきりんごチョコレートと
くうきバナナチョコレートが できあがりました。

「たまちゃん ばんごはんよ」と ママが よびにきましたが
「おなか すいてないよ。くうきチョコレートと 
 くうきバナナと くうきりんごを たべたから」と
たまちゃんは いいました。

「だったら たまちゃんの おなかに はいった
 くうきのチョコレートと バナナと りんご
 ママが たべちゃおう」
ママは そういうと たまちゃんの おなかに 
おててを のばして つかんで おくちに ぽいっ。
「おいしいわねえ」と ママが うっとりと たべると
たまちゃんは また おなかが からっぽに なりました。

「くうきの おやつも おいしいけど ほんものの おしょくじは
 はごたえも たべごたえも あるわね」と 
ばんごはんを もりもり たべながら ママが いいました。
「たべすぎて ふとりぎみの ママは
 くうきで おなかいっぱいに したほうが いいんじゃない?」
たまちゃんは そういいたかったけれど
くちごたえは やめておきました。

2008年06月02日(月)  マタニティオレンジ296  「ママ いっぽん!」「もっかい もーむー」 
2007年06月02日(土)  『ベンディングマシンレッド』発進
2002年06月02日(日)  お宅訪問
2000年06月02日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月02日(土)  4年2組日記 バレーボール


2009年06月01日(月)  子どもが消えた!パニック

今朝、保育園の連絡ノートを書いていたら、「たまがいないぞ!」とダンナが叫んだ。「そんなはずないよ」と言って見回したが、姿が見えない。「え! ほんとにいない!」「何やってんだよ!」「知らないよ、わたしはノート書いてたんだから!」と言い合いながら、決して広くない家の中を右往左往。「ベランダか!」と出てみた。最近たまはベランダに出るのが好きで、一人で出入りしている。しかし、ベランダにもいない。「まさか、落ちたか!」と悪い予感に青ざめる。室外機に乗って落ちたら危ないなと思っていたが、ほんとにそれが起きてしまったのか! 。ありえないとは思うけれど、本当にどこにもいないので、消去法で考えると、落ちたとしか考えられなくなってくる。

たくましい想像力が現実を先回りして最悪の事態を思い描き、息苦しくなってきたそのとき、「なんだ、ここかよ」と素っ頓狂なダンナの声がして、敷きっぱなしの布団から顔を出したたまをダンナがもみくちゃにしていた。くしゃっとしわの寄ったかけ布団の下に隠れていたのを見落として、そこを飛び越えて、あわて者のわたしとダンナはあたふたしていたのだった。

たまは二度寝のつもりだったか、かくれんぼのつもりだったか。ばあ、と顔を出したら両親がすごい形相で駆け寄ってきて、泣き笑いしながら痛いほど強く抱きしめるので、怖がって泣き出してしまった。しかし、親の涙も負けてない。我ながら驚き、恥ずかしくなるほどのあわてふためきようを振り返り、これほど何かに必死になったのは、いつぶりだろうと思った。生まれて間もない頃、布団の上に寝かしていたはずなのにいなくなったときも焦ったが、そのときは、キックで体が移動し、予想以上の距離を進んで家具の下に潜り込んでいた。

家の中でほんの数分迷子になっただけで、この騒ぎ。外で迷子になったりしたら、生きた心地がしないだろう。自分にとって、わが子がかけがえのない存在であることをあらためて思い知った出来事だった。

というわけで、今日の子守話は迷子の話。

76「まいごのママとたまちゃん」

ママと たまちゃんは いつも いっしょ。
ママと たま なまえも よくにて なかよしこよし。

ところが デパートにでかけた あるひのこと。
つないだ てと てが はなれて
たまちゃんと ママは はなればなれに なった。

「ママー」と たまちゃんが よぶと
たくさんの おんなのひとが いっせに ふりむいた。
そして たまちゃんを みて
「うちのこじゃないわ」と いった。たまちゃんは
「みんな わたしの ママじゃないわ」と なきべそをかいた。

とそのとき「たまちゃーん」とこえがした。
ふりかえったのは たまちゃん ひとり。
ママが なきべそかいて はしってきた。
「ママー」「たまー」「ママー」「たまー」
なんども なまえを よびあっていたら 
なみだが ぽろぽろ こぼれてきた。 

「もう はなれないでね」と 
ママが たまちゃんの てを ぎゅっと にぎった。
たまちゃんも ぎゅっと にぎりかえした。

2008年06月01日(日)  出張いまいまさこカフェ8杯目『企画という恋が終わるとき』
2007年06月01日(金)  「いしぶみ」という恋文
2005年06月01日(水)  映画『子ぎつねヘレン』撮影中
2004年06月01日(火)  歌人デビュー本『短歌があるじゃないか。』
2002年06月01日(土)  フリマ
2000年06月01日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1979年06月01日(金)  4年2組日記 日記のざいりょう


2009年05月31日(日)  つばさ第10週は「愛と憎しみの川越」

3月30日に朝ドラ「つばさ」がスタートして、はや2か月。明日からは第10週。タイトルは「愛と憎しみの川越」。完成台本(一週6話分で一冊)が配られるたび、表紙に印刷されたタイトルを見るのが楽しみ。元コピーライターとしては、「わたしだったら……」とネーミングを考えてみるのだけど、毎回予想は裏切られ、「毎週は、こう来たか」とうなってしまう。この後も、第11週「愛の複雑骨折」、第12週「男と女の歌合戦」、第13週「恋のバリケード」、第14週「女三代娘の初恋」、第15週「素直になれなくて」……と続く。

10週は、なんといっても甘玉堂にパートとして現れる末永紀菜子役の斉藤由貴さんに注目! キャストが決まったと聞いた瞬間「ああ卒業式で泣かないと〜」のフレーズが耳の奥でリフレイン開始したわたし、『卒業』がヒットした1985年に中学を卒業。同世代の人たちには、その懐かしさだけでうれしくなる一週間。斉藤由貴さんといえば、10年以上前に三谷幸喜作・演出の『君となら』という抱腹絶倒の舞台を観たときに、「この人、コメディもいける!」と驚かされたが、マイペースをステージに持ち込むような独特の間がおかしみを醸していた。「つばさ」の濃い面々にも負けない存在感を見せてくれるのでは、と期待。

「かのこ」と「きなこ」、和菓子繋がりな名前は偶然? 「鹿の子」は主役で「きな粉」は脇役……。そんなところから話は転がる。きな粉を使った甘玉堂の菓子「千日草」は竹雄にリストラ候補にされるほど地味な存在。けれど、その菓子に込められた思いが、傷ついた心を救うきっかけに……今週も土曜日に向けて張られた伏線を拾いながらクライマックスへ。千代のやけっぱちかと思われた浪岡とのデートにも次週以降につながるヒントがあり、二人が観た映画にも意味が隠されている。

この10週は、26週の中でもとくに好きな週。千代の活躍がたくさんあって、おばあちゃん好きなわたしはうれしい。演出は再び、1〜3週と6週を担当した西谷真一さん。

連続テレビ小説「つばさ」(月)〜(土)放送中
【放 送】総合・デジタル総合 8:15〜8:30
     デジタル衛星ハイビジョン 7:30〜7:45
     衛星第2 7:45〜8:00
【再放送】総合・デジタル総合 12:45〜13:00
     衛星第2 19:30〜19:45 /(土)9:30〜11:00(一週間分)

◆NHKオンデマンド配信(>>>こちら)でつかまえる手も。


今夜の子守話は、お風呂の後、「たま、髪切ろっか」と聞いたときの返事がヒント。「かみなりの かみきりやさんで きる」「かみきり」と聞いて「かみなり」が出てくる言葉の瞬発力に感心。たまはなぜか雷が鳴ると「えへへへ」とうれしそうに笑う。先日かなり大きな雷が轟いた日も、「えへへへ」と笑い、「ママ、こわくないよー」と得意げに言っていた。わたしは子どもの手前、怖がるふりをしていたのだけど……。

子守話75「かみなりの かみきりや」

たまちゃんの かみが ずいぶん ながくなったので
きりに いくことに しました。

ふたつ ならんだ かみきりやの かんばんを みると
ひとつは「かまきりの かみきりや」
もうひとつは「かみなりの かみきりや」とありました。
かまきりは かまで かみを きるのでしょうか。
たまちゃんは ちょっぴり むしが にがてなので
かみなりの かみきりやに きってもらうことにしました。

「いらっしゃい」
かみなりの びようしが たまちゃんを むかえてくれました。
かみをきっているのも きられているのも みんな かみなりです。
「かみなりじゃないんですけど いいですか」と
たまちゃんが きくと
「かみが あれば だいじょうぶです」
「おきゃくさまは かみさまです」と
びようしたちは いいました。
ぴかっと ひかって ごろごろと なる かみなりは
こえが おおきくて あかるい せいかくの ようです。

「きょうは どんな かみがたに しますか」ときかれたら
たまちゃんは 「みじかくして かわいくしてください」と
こたえるつもりでした。
ところが かみなりの びようしは 
なにも きかずに たまちゃんの かみを
あまみずで じゃぶじゃぶと あらって
ぼうふうで ごうごうと かわかして
いなづまで じょきじょきと きっていきます。

たまちゃんは なんだか しんぱいに なってきました。
かみなりの かみきりやの びようしも おきゃくさんも
みんな きんいろで くるくるの かみなりあたまを していました。
たまちゃんも おなじ かみがたに されてしまうのでしょうか。

その しんぱいは おおあたりでした。
しあげに かみなりショックを どかんとおとされて
たまちゃんの かみは いっしゅんで 
きんいろ くるくるに なってしまいました。

かみなりあたまの たまちゃんを みて 
パパも ママも めを ぱちくり くちを あんぐり。
もっと こまったことに たまちゃんは
かみなりらしいことを したくて たまらなくなりました。

でんきを ちかちかと つけたり けしたり
たいこを どんどん たたいたり していると
「いいかげんにしなさい!」
とうとう ママの かみなりが おちてしまいました。

たまの髪は生まれてから一度も切っていないのだけど、生まれたとき、すでにずいぶん長かったので(伸びた頭にぐるぐる巻きついて、ポンパドール夫人状態で出て来た)、背中の真ん中過ぎまで伸びてしまった。シャンプーを異様にいやがり、おまけに汗をよくかくので、ムムッというにおいを発する。七五三まで伸ばそうかと思ったけど、夏を乗り切るのは厳しいかな。

2008年05月31日(土)  全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』
2005年05月31日(火)  G-up presents vol.3『Deep Forest』
2002年05月31日(金)  ワールドカップ
2001年05月31日(木)  2001年5月のおきらくレシピ
1979年05月31日(木)  4年2組日記 先生ずるい


2009年05月30日(土)  『絶後の記録』映画化めざしてキンガさん再来日

原爆投下後、GHQの検閲を受けて最初に刊行された体験記であり、美しいラブレターでもある『絶後の記録―広島原子爆弾の手記』。その映画化を目指す情熱の人、Kinga Dobos(キンガ・ドボッシュ)さんが2年ぶりにアメリカから来日し、再会することができた。

彼女との出会いの経緯は2年前の日記に記した(2007年08月13日(月)『絶後の記録』映画化めざして来日)が、あたらめて会ってみて、信念に突き動かされ、それを実現するために誠意と行動力を惜しみなく注ぐエネルギーに圧倒された。財力もコネもない故人が映画を作るとき、不可能を可能にするのはこの情熱なのだ。

ルーマニアからハンガリーに逃れ、イギリスで英語を、アメリカで映画を学んだキンガさん。その恩師が彼女の作った短編映画を気に入り、「これを映画にできるのは君しかいない」と紹介したのが、『絶後の記録』を英訳した『Letters from the End of the World』だった。その運命的な出会いに導かれ、彼女の挑戦が始まった。

2年の月日が流れても、映画化へ向けて具体的なことはまだ何も進んでいない。けれど、キンガさんの情熱は衰えるどころか勢いを増し、つくづく強い人だ、と心を打たれた。

映画を作る意味のひとつに、原作を広く知ってもらえることがある。わたしの日記を読んで原作を手に取ってくれた方が少なからずいるけれど、日本の人にも世界の人にも、もっと読まれるべきこの名著を、わたしも何とかして広めたいと願っている。戦争を憎む気持ちの根っこは、人を愛する気持ちなのだと、静かだけれど熱い文章で、『絶後の記録』は語りかける。その思いを多くの人が分かち合うことが、平和の種をまくことなのだと思う。

絶後の記録』、ぜひ、手に取って、読んでみてください。

情熱で映画を実現させた人といえば、一年前の日記で紹介した(2008年05月31日(土) 全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画『ゆずり葉』)映画『ゆずり葉』が完成したことを月刊シナリオで知る。ろう者の早瀬憲太郎監督のインタビューに、キンガさんに通じる意志の強さを感じた。映画を作るのにろう者も健聴者も関係ないと語られていたが、キンガさんもまた、原爆を憎んで平和を祈るのに日本もアメリカもない、ということを熱く語っていた。

今日の子守話は、壁を溶かすお話。平和のありがたみを子どもに伝えることに人一倍熱心な母から、子どもの頃、絵本や映画や展示会など、さまざまな形で「戦争は、あかん!」のメッセージを受け取った。それを娘にも受け継いでいきたいと思う。

子守話74「チョコレートのちきゅう」

ちきゅうの あちこちで
きょうも くにとくにが けんかして
ミサイルの あめを ふらせています。
ひとをきずつけ いえをこわし まちをもやし 
たくさんの なみだの あめも ふらせます。

ミサイルが チョコレートだったら いいのに。
ちじょうに おちてくる あいだに ねつに とけて
みんなのおやつに なればいい。
チョコレートなら だれも なにも きずつけずに
やさしい きもちに してくれるでしょう。

いっそ ちきゅうが チョコレートだったら いいのに。
けんかして あつくなったら とけて とろけて
くにと くにの さかいめが きえればいい。
チョコレートの うみに ぷかぷかうかんで
はて いったい なにを あらそって いたのでしたっけ。
ひとと ひとの あいだの コチコチも ギザギザも 
チョコレートみたいに とけてしまうでしょう。

子守唄代わりのお話といえば、今日の朝ドラ「つばさ」の放送で続きが完成した『おはなしの木』、公式サイトで全文が読めるので、どうぞ(>>>こちら)。リクエストの多い絵本『まじょのなみだ』も挿絵つきで読んでみたい。

2008年05月30日(金)  相続税も所得税もかからない財産
2007年05月30日(水)  マタニティオレンジ126 ピアスを見たり赤ちゃんを見てもらったり
2005年05月30日(月)  脱力系映画『イン・ザ・プール』
1979年05月30日(水)  4年2組日記 男子べんじょ


2009年05月29日(金)  子守話にホラー誕生

朝、たまを保育園に送ろうとしたら、「はだしのおんなのこ いるんだよ」と突然言い出した。「裸足の女の子って誰?」と聞くと、「おまつりになったらくるの」と言う。保育園児の間で流行ってる都市伝説かしらん。そういうわけで、今夜の子守話はホラー。わたしの頭に思い浮かんだのは、かすりの着物の女の子だったけど、下駄ではなく、現代風に「靴」にした。

子守話73「はだしのおんなのこ」

おまつりのよるに あらわれる はだしの おんなのこ。
おんなのこには くつがない。
おんなのこには かげもない。

あしおともたてず おんなのこは そうっと ちかづいてくる。
そして「くつを かして ちょうだい」と 
ちいさな こえで ささやく。

かわいそうに ちいさなあしが よごれて すりむいて。
くつを かしてあげると おんなのこは あるきだす。
その うしろには かげぼうしが ついてくる。

そして くつと かげぼうしを さらわれて
はだしになった おんなのこは
こんどの おまつりを じっと まつ。

おまつりのよる
「くつを かして ちょうだい」と こえを かけられたら
つぎは あなたが はだしの おんなのこ。


朝ドラ「つばさ」に登場する絵本『まじょのなみだ』を探しに来る人で、今日も今井雅子日記は繁盛。「本屋さんにない!」「どこで買えるの?」の質問もあるけど、内容は、番組オリジナル」今日の放送では、加乃子が作ったハッピーエンド版ラストが明らかになった。「そうそう、子どもって、あんなに喜んでたくせに、わたしが読み聞かせしてあげたこと、覚えてないのよ!」と先輩ママからの声。うちのたまも、子守話のこと、忘れちゃうんだろな。でも、お話のエッセンスが心の栄養になってくれますように。

2008年05月29日(木)  マタニティオレンジ295 「うちの子、ここがかわいい」保護者会
2007年05月29日(火)  マタニティオレンジ125 ちょちちょちあわわ
2005年05月29日(日)  『昭和八十年のラヂオ少年』を祝う会
2004年05月29日(土)  幸せのおすそわけ
2002年05月29日(水)  SESSION9
1979年05月29日(火)  4年2組日記 お母さんのおてつだい


2009年05月28日(木)  水瓶座は12年に一度の幸運期らしい

山田詠美さんのインタビュー記事を読んでいたら、「水瓶座は今年、12年に一度の幸運期」だとあった。24年前の幸運期に山田さんは小説家デビューしたのだという。わたしが大学生の頃、仲良かった友人が彼女の本に夢中になっていて、読ませてもらっていた。「人を好きになると、その人が死んじゃうんじゃないかって怖くて眠れなくなる」と山田さんがエッセーか何かで語るのを「すごくわかる!」と友人はいたく共感していたのだけど、まだそこまでのめりこむ恋を知らなかったわたしは、「自分より他人が大事になることなんて、あるのかしらん」と首を傾げた。そんな思い出のある作家さんが同じ星座だったという親しみと同時に、「ということは、わたしも幸運期か!」と小躍りした。

今年は朝ドラ「つばさ」の仕事に関われて、映画『ぼくとママの黄色い自転車』も公開されるので、脚本家業は幸運に恵まれているといえる。では、他はどうか? 同じく水瓶座のダンナに「今年、幸せな気がする?」とたずねたら、「家族三人仲良く暮らせる普通の毎日が幸せなんじゃないですか」と辛口の彼にしてはほのぼのとした答えが返ってきた。

昨日の夜、ダンナの帰りが遅くて、娘のたまと二人で晩ご飯を食べていたときのこと。こんな会話があった。

わたし「ごめんね。ママ、今日、たまちゃんが保育園の間に、お仕事終わらなかった」
たま「こまったねえ」
わたし「どうしよう」
たま「じゃあ はやく おわらせてよ」
わたし「待っててくれるの?」
たま「うん。えほんとか ねんどとか」
わたし「一人で遊んで待っててくれるんだ? たまちゃん どうしてそんなにいい子なの?」
たま「(照れ笑い)」

思わず紙とペンを引き寄せて書きつけていると、たまがのぞき込んで「ママ なに かいてるの?」。「たまちゃんがかわいいこと言ったから、書き留めてるの」と答えると、「じゃあ〈ママのこと おうちぐらい すき〉って かいて」と言われた。それが、「いい子にしてママを待つ理由」のようにも聞こえた。

その少し前、保育園から帰ってきたときに玄関先で「たまちゃん じぶんのこと すき。おうちぐらい すき」と言ったのを聞いて、「こんな風に自分を肯定できるってすてき!」と感激したのだけど、わたしのことまで「おうちぐらい」(わが家と同じぐらいという意味なのか、家ぐらい大きいという意味なのか?)好きと言ってくれる娘をぎゅっとだっこ。やっぱり今年は幸せな年だ!と感じた。

ちなみに12年前の1997年は広告代理店のコピーライターになって5年目。当時は日記をつけていなかったので、何をしていたかよく覚えていないのだけど、仕事も恋も充実していた覚えがある。人生を変えるような出来事があったのかどうか……と、自分のプロフィールを見てみると、「1997年10月 はじめてのテレビドラマシナリオ『月のなる木』 を日テレ登龍門に応募、2次選考まで残る」とある。3000篇を越える応募数から160篇ほどに絞られた中に入っているのを見つけて(審査結果が載っている「月刊ドラマ」を立ち読みした)、「才能があるのかも」と思い込んだことが、書き続ける自信をくれた。翌年3月に初めて賞を取った映画脚本『昭和七十三年七月三日』は、97年秋の函館旅行が活かされたから、やはり幸運の年だったのだろう。

さらに12年さかのぼる1985年は高校受験の年。第一志望の高校に合格し、新しい友だちも出来た。学校の掲示板で募集を知って翌年の米国留学に応募したのが、この年の出来事だったのか、年をまたいでからだったのか。わたしにとっては、その留学が大きな転機だった。

さすがに1973年、3才のときは運がいいも悪いもなく、幸せな子どもだったのではと想像する。さて、あと約半分残っている人生4度目の幸運年。何が起こるか、お楽しみ。

今夜の子守話は、今朝起きがけに言われた台詞がヒント。
「おにんぎょうと いっしょに ねんねしたのに さびしかったの。
 たまには そんなひも あるの」
「たまには そんなひも あるの」という何気ないつぶやきにドキッとする。「短くて刺さる台詞をください」とプロデューサーによく言われるが、子どもの言葉はまさに、短くて、鋭く刺さる。朝から詩みたいなことを言うなあと感心し、「同床異夢」という四字熟語を連想した。ダンナは「〈たまには〉は、〈たまちゃん〉と、〈ときたま〉をかけているのかな」と言った。

子守話72「さびしいよる」

だいすきな おにんぎょうと いっしょに ねむったのに 
さびしくなるのは どうしてかしら。

ねるまえに つないだ てと ては 
ねがえりを うつと はなれてしまうから。

わたしが ゆめのなかで わらっても
おにんぎょうが みている ゆめは ちがうから。

ひるまは あんなに なかよしだったのに
ねむっている あいだは はなればなれ。

さびしくて こいしくて めがさめたら 
となりで ねむっている 
おにんぎょうを ぎゅっと だっこした。

たまには そんな ひもあるの。


さて、今日も「朝ドラ つばさ 絵本 まじょのなみだ」の検索結果でこちらの日記に来られた方が多数。明日金曜日の放送で、加乃子がつばさと知秋のために作ったハッピーエンドが明らかに。子どもの笑顔が見たくて、母は作家にもなれば詩人にも(もちろん歌手にも道化にも)なるのです。

もうひとつ、金曜日の放送で千波が遺した子守話として登場するのが『おはなしの木』。「続きはまた後で」で終わっている作りかけの物語の続きは、土曜日の放送で。「つばさ」公式サイトによると、巨大絵本(>>>こちら)が登場するそうで、楽しみ。8週にも登場した「先延ばしの呪い」に、「わたしも呪いにかかっています」の嘆きやぼやきや告白の反響が続々。長く生きていると、いろいろあるある。呪いを解くおまじないは、「「起きてしまった物語は変えられな〜い。でも、物語の続きはあなたの手の中にあ〜る」。

2008年05月28日(水)  マタニティオレンジ294 たま語銀行オープン
2007年05月28日(月)  高田さんからの招待状
2005年05月28日(土)  このごろの通販ショッピング
2004年05月28日(金)  日本映画エンジェル大賞授賞式
1979年05月28日(月)  4年2組日記 がっけんのふろく


2009年05月27日(水)  プロデューサーに言われた信じられない言葉

シナリオ講座で教える友人から「プロデューサーから言われたセリフで、これは許せないとか信じられないとか、逆にうれしいことで印象に残っていたりする言葉とか、何かないですか?」と質問が来た。講座でプロデューサー対策を話すにあたって、実体験を集めていたらしい。

こんな返事を書いた。

言われてグサッという言葉、ほとんどないです。
広告時代に比べると、マイルドだなあという印象で。
脚本家にへそ曲げられたら終わりなので
気をつかってくれてるんだなあと思います。
「初稿面白かったです」とまずほめてから
「ただ、シーンのつながりがなだらかじゃないですね」とか
「テーマがぼけてますね」とか
「こころもとない場面がいくつか」のような言われ方。

ひどい言葉ではないけど
「だらだらと長い」「いらない台詞が多い」などと言われると
うちのかわいい子になんてことを!と思います。

あと、本直しした後で「前のほうがよかった」「悪くなった」と言われると、
直しのあの労力はなんだったの〜となります。
プロットから脚本になって「こんな話でしたっけ?」と言われるのも悲しい。

「今井さんの脚本にはいいところもありますが
 悪いところも同じぐらいあります」
これは最近言われた言葉。
楽天的な性格で、おみくじもいいとこだけ信じるので、
こういうときも「ほめられた」ほうを覚えておきます。

『子ぎつねヘレン』のプロデューサーに
「きみ、ト書きがへたくそだね。どこで勉強したの?」と言われたとき、
「じゃあ台詞はうまいってことですね」と喜んであきれられましたが
そのプロデューサーは、わたしの打たれ強さを面白がってくれてました。

きついこと言われるときは「別れ言葉」ですね。
友人の脚本家が、放送後の作品の感想を求められたときのこと。
「あの女優さんの演技が痛かったですねえ」と軽く言ったら
「痛いのはあなたの脚本です」とプロデューサー。
わたしの知る限り、これが破壊力最強です。


友人は講座のつかみでいくつか紹介して、無事生徒さんの爆笑を取ったそう。

質問に答えて、あらためて思ったのだけど、広告代理店のコピーライターを経て脚本家になってよかったのは、「ボツを食らう」ことに慣れていること。自分が書いたものを否定されるのは、自分を否定されるようで、すごくへこむけれど、コピーライター時代にずいぶん鍛えられたおかげで、ダメージは最小限に抑えられている気がする。書き続ける(直し続ける)気力と体力、それが脚本家には何より求められる。

今日の子守話は、娘のたまが「にじのぼる!」と一生懸命訴えるのを聴き、「虹にのぼるなんて、子どもらしい発想だなあ」と『オズの魔法使い』のOver the Rainbowを連想して、生まれた話。後になって、壁に立てかけたマットレスを前に「にじのぼる」と言ったことから、「よじのぼる」を言い間違えていたことが判明。まさか「にじりよる」と混同? それとも「4時」のぼるが「2時」のぼるに化けたのか? 

子守話71「クレヨンのにじ」

そらに おおきな にじが かかった あるひのこと。
たまちゃんが にじを ゆびさして いいました。
「あの にじに のぼりたいよう。
 にじに よじのぼって すべりおりたいよう」

ところが にじは はしっこが きえてしまって
じめんから とおく はなれた 
そらの とちゅうから はじまっていました。
「どうしよう。はしっこがないと にじに よじのぼれない」
こまった たまちゃんは にじの はしっこを かくことにしました。

なないろの クレヨンを つかって 
たまちゃんは そらに にじを かいていきました。
ところが にじを かいている あいだに
ほんものの にじが どんどん きえていきました。
クレヨンの にじを かいても かいても
ほんものの にじが にげていきました。

とうとう クレヨンの にじだけが のこりました。
まだまだ にじは みじかいけれど
たまちゃんの なないろの クレヨンは すっかりみじかくなって
つづきを かけなく なくなってしまいました。

そこに、
「わあ クレヨンの にじだ」
「ぼくにも かかせて」
クレヨンをもった おともだちが あつまってきました。
なないろの クレヨンを もった おともだち。
あかい クレヨンだけを もった おともだち。
あおい クレヨンだけを もった おともだち。

みんな かきかけの クレヨンの にじに のって 
なないろの にじの つづきを かきました。
みんなの クレヨンが どんどん みじかくなって
クレヨンの にじは どんどん ながくなりました。

クレヨンの にじが そらいっぱいに ひろがりました。
ほんものの にじよりも くっきりした いろあいの
にぎやかで たのしい にじです。
たまちゃんと おともだちは にじに よじのぼって すべりおりると
こんどは はんたいがわから よじのぼって すべりおりました。

なんども よじのぼったり すべったりしているうちに
みんなの ふくに クレヨンが くっついて
クレヨンの にじは どんどん やせほそっていきました。

そして いつのまにか クレヨンの にじも きえました。 

2008年05月27日(火)  マタニティオレンジ293 聴診器ごっことマススクリーニング
2007年05月27日(日)  大人計画『ドブの輝き』
2005年05月27日(金)  『シンデレラストーリー』@ル テアトル銀座
1979年05月27日(日)  4年2組日記 みんないっしょに


2009年05月26日(火)  2歳児のネーミングセンス

コピーライターになりたての頃、読売新聞に載っている「こどもの詩」を切り抜いてスクラップしていた。毎朝会社の自席で紙面を開き、作業をしていたのだが、だんだん畑を「ぞうさんのかいだん」と名づける子どものネーミングセンスに感心していた。台紙にした黒い表紙の大判のスケジュール帳は、みるみる膨らんでアコーディオンのようになった。会社の先輩たちが「今井、あれ見せてくれよ」とノートをのぞきにきては、あははと笑って立ち去って行った。一見すかして見えるクリエイター風情の先輩たちが無邪気に子どもの詩を面白がるのが、新鮮だった。

それから15年あまり。新聞ではなく娘のたまの実況で、子どもの言葉の面白さに毎日目を見張っている。

散歩中に「ママ こてなにかな」と立ち止まったのは、邸宅の玄関先。細い竹のようなものが植わっている。「なんだろね。竹かな」と言ったら、「まつげだよ」とたま。

また、別の日のこと。「みどり ことり」と韻を踏むのが聴こえて、絵本を読んでいるのかと思ったら、卓上カレンダーの表紙を見て、言葉をつけていた。クローバーのイラストの隣にカモメが並んでる。その隣のティーポットとカップを指差して、「これは何かな?」と聞いたら、「おちゃのじかん」と答えが返ってきた。

ところで、昨日の日記(「一週間は月曜日からか火曜日からか」の不一致)を読まれたご近所仲間で鉄道ファンのT氏より「世界の時刻表は月曜日から始まる」というタイトルのメールが届いた。

世界の航空会社のタイムテーブルを網羅しているOAG(Official Airline Guide)という歴史ある時刻表があるのですが、運航日の表示が月曜日:1、火曜日:2〜日曜日:7という表示方法を採用しています。また世界の鉄道の時刻表を網羅するThomasCook社の時刻表も運行日の表示は月曜日が「1」、日曜日が「7」です。

とのこと。時刻表も月曜日派だった!

2008年05月26日(月)  いい広告を作るには、いいオンナになれ。
2007年05月26日(土)  マタニティオレンジ124 役員仕切りのクラス会
2004年05月26日(水)  ニヤニヤ本『言いまつがい』
1979年05月26日(土)  4年2組日記 かみなり


2009年05月25日(月)  「一週間は日曜日からか月曜日からか」の不一致

昨日の夜のこと。「来週の予定どうなってる?」と何気なくダンナに聞いたことが喧嘩の発端だった。一週間は月曜から始まると考えるわたしは「来週=明日からの一週間」のつもりで言ったのだが、「日曜から始まる派」のダンナの新しい一週間は昨日の時点ですでに始まっており、「来週=次の日曜日以降」というズレが生じた。日付を確認して、互いの一週間のとらえ方がずれていることに気づいたのだが、「来週空いてる?」と聞いて予定を入れたら子守の都合がつかない、といったすれ違いにもなりかねない事態。

「危ない、危ない」「よく今までミスが起きなかったものだね」などと話しているうちに、「気をつけなよ。日曜から一週間が始まるのは常識だよ」とダンナがいばったので、「ちょっと待ってよ。月曜からじゃないの?」とわたしが反論し、「日曜派」と「月曜派」の戦いになった。月曜から土曜まで学校があって日曜が休みという学校生活を経て、社会人になっても月曜から金曜まで働いて土日が休みというのが一週間のリズムだった。フリーになってリズムはだいぶ崩れたけど、やっぱり月曜から金曜のあとに土日がくっつくという感覚がある。

「日曜日は市場にでかけ〜」の『一週間の歌』も「Sunday Monday Tuesday」の歌も日曜から始まるし、教会へ行く安息日を週の始まりととらえるのは欧米的な考えなのかもしれない。だけどダンナはクリスチャンでもないのに「日曜から始まるって決まっているんだよ」の一点張りで「月曜から始まるなんて言ってるのは君ぐらいだ」とまで言い張る。

「じゃあ『週末』って言葉はどうなるの?」とわたしは反論。「日曜が週の始まりなら、土日は週末じゃないんじゃないの?」と言うと、「日曜が土曜にくっついてるんだよ」と強引な答え。じゃあ辞書を引いてみましょうよと新明解国語辞典を開くと、

しゅうまつ【週末】 その週の終り。[日曜から週が始まると考えた場合も、月曜から週が始まると考えた場合も、土曜の午後もしくは金曜の夕方から日曜にかけての仕事休みを指す]ウィークエンド

とある。「見なさい。辞書には月曜から始まる考えもあるって書いてある!」と鬼の首を取ったように言うと、「君はときどきわけのわからないことを言う!」とダンナは逆上し、「そんなに月曜から始めたいのか! 一週間は8日欲しいとか一年は500日欲しいとか言うのか!」とダンナのほうが支離滅裂になった。

言い争ううちに、なんで日曜か月曜かでこんなに険悪になっちゃうんだろう、どうしてただ「なんでだろね。おかしいね」と面白がれないんだろと悲しくなったり、淋しくなったりして、娘のたまを道連れに玄関先へ家庭内家出して、さめざめと泣いた。こういうとき、子どもは、いつもならお友だちにつられて泣くくせに、へらへらにこにこ笑っていてくれる。「ママねえ、日曜日と月曜日とどっちがえらいかでパパと喧嘩したんだよ」と言ってもわからないだろな。でも、
子守話にしてみよう。

子守話70「日ようびと月ようび どっちがいちばん?」

日ようびと 月ようびが けんかした。
「いっしゅうかんのはじまりは 日ようびだ」
「いやいや 月ようびだ」
「月ようびは 日ようびのあとだ」

「いやいや 月ようびではじまり 日ようびでおわるのだ」 どちらも いじっぱりで ゆずらない。

「お日さまは お月さまより えらいから 日ようびがさきだ」
「日ようびは かいしゃも がっこうも おやすみで
 なまけているから えらくない」
「お日さまがなかったら お月さまはまっくらだから 日ようびのほうがえらい」
「なん月なん日というときは 月のほうがさきだ」
どちらも いっぽも ゆずらない。

けんかをみていた ほかのようびたちも くちをはさんで
「火がないと こまるから 火ようびが いちばんえらい」
「それをいうなら 水だって」
「いいえ 木がなかったら もっとこまる」
「水がなければ 木はそだたないよ」
「それなら 土もひつようだ」
「お日さまを わすれちゃ こまるね」
「お金があれば なんだって かえるさ」

「われこそは いっしゅうかんで いちばんえらい!」と
ぜんいんが いいはって おおげんか。
  それをみていた たまちゃんが
「だったら 玉ようびを つくる!」といいだした。
「た、玉ようび?」
7つのようびが びっくりしてききかえすと、
「いっしゅうかんは 玉ようびから はじまる!
 だって このカレンダーは たまちゃんのものだから
 玉ようびが いちばんえらい!」と
たまちゃんは じしんたっぷりに せんげん。

いっしゅうかんが 8にちになったら
7にちに1かいだった でばんが 8にちに1かいに なってしまう。
ラッキーセブンの7 にじいろの7 7が8になるのはイヤだ!
ひじょうじたいを まえにして
いっしゅうかんの ようびたちは たちまち なかなおり。
「玉ようびだけは やめてくれ!」と いっちだんけんけつして
8つめのようびが くわわるのを くいとめた。

日ようびがさきか 月ようびがさきか そんなことは どうでもよくなった。


学生時代、応援団にいたときにわたしの代の団長を誰にするかでもめた体験が、「玉ようび」のヒント。「そんなにもめるならわたしが団長をやる!」と言った途端、「それだけはやめてくれ!」と団長候補が団結した。

2008年05月25日(日)  カレーパーティ当日
2007年05月25日(金)  車椅子専用クッションのすわり心地
2005年05月25日(水)  オペラに恋して〜愛ラブ3テノール
2003年05月25日(日)  レトルトカレーの底なし沼
2002年05月25日(土)  イージーオーダー
1979年05月25日(金)  4年2組日記 おかあさんが帰ってこれるか

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