2009年01月31日(土)  1月31日に『友子とモコ』を放送する意味

今日は、2005年3月に放送された『昭和八十年のラヂオ少年』以来、4年ぶりのラジオドラマ『友子とモコ』がNHK-FM放送される日。放送数時間前、ダンナとの間で、こんな会話が交わされた。

わたし「1月31日は何の日でしょう?」
ダンナ「意味なしの日?」
わたし「意味なしだったら、1月30日でしょ。ヒント、1をアイと読みます」
ダンナ「アイ、ミイ?」
わたし「アイマイミー(I my me)のできそこないじゃないんだから」
ダンナ「わからん」
わたし「愛妻の日」
ダンナ「ふーん」

それこそ「意味ない」という反応をされてしまったのだけど、今日この日に『友子とモコ』を放送することには意味がある。再び時間をさかのぼり、昨年9月末。「札幌放送局でもう一度ラジオドラマを作りませんか」と直筆の熱い手紙で口説いてくれた若手ディレクターの家富未央と半年間のメールのやりとりの末、初めて会った日のこと。それまで「夕張を舞台にしたい」というわたしの意向を受けて家富嬢が取材を重ねいた。彼女が取材で出会った元助産婦さんと現役の女性救急隊員さんからイメージをふくらませ、、炭鉱で栄えていた頃と現在の異なる時代を生きる二人の女性をヒロインにしようという話が進んでいた。そして、過去で描くのは昭和35年の2月1日未明に北炭夕張炭鉱で起きた事故の前後にしようかと検討していたのだけど、実際に企画が通るのかどうかもまだ決まっていない状態で、家富嬢に会うことになったのだった。

会うなり家富嬢は「やります」と言い、続けて「来年1月31日オンエアです」と言った。真っ先に頭をよぎったのは「時間がない!」ということ。放送一か月前に収録するとして、3か月。他の仕事と掛け持ちしながらオリジナルで一から起こすには、ぎりぎり。だけど、ほぼ同時に感じたのは、「なんというめぐりあわせ!」だった。2月1日未明ということは1月31日の深夜でもあり、放送日が偶然この日に決まったのは、このドラマを作りなさいという啓示のように思えた。わたしの経験では、こういう運命を感じる企画はうまくいく。その直感を励みに本直しを重ね、何とかクリスマス時期の収録に間に合った。

初めて組んだ家富嬢についてはハプニングがありすぎて書ききれないけれど、一言で言うと、新人コピーライター時代のわたしによく似ていた。実際見た目も似ているらしく、渋谷のNHKで一緒いいるところを見かけたラジオドラマ班の方々に「マナカナみたいにそっくり」とまで言われた。ひとまわり以上年上のわたしとひとくくりにされては可哀想だけど、自分の処理能力以上の仕事と格闘し、失敗したり空回りしては上司に怒鳴られる姿は、まさに20代の頃のわたしであり、ドラマのヒロイン、5年目だけどまだまだ半人前扱いされている救急隊員のモコと重なった。叱られるとへこむけれど、倍のパワーで跳ね返してくるところが彼女のいちばんの魅力で、いいところを伸ばして、一人前のディレクターに育ってくれたらと思う。個人的には、ドラマの中のモコの成長以上に、舞台裏での家冨嬢の奮闘ぶりが面白く、忘れられない仕事となった。

ドラマのほうは、収録に立ち会っていたので台詞は聴いていたけれど、現場の音が足されると、救命活動や炭鉱の描写もぐぐっと立体的になり、化けたな、と思った。わたしがこだわっていたラストの台詞は削られてすっきりした形になってしまい、最初は残念な思いがしたけれど、時間が経ち、いろんな人から寄せられる感想を聞いていると、そちらのほうがメッセージが届いたのかもしれないと思えてきた。何より、4年ぶりのラジオドラマを、デビュー作『タカラジマ』と第2作『雪だるまの詩』を作った札幌から送り出せた感激が大きく、次々と届く感想に返事を打ちながら余韻に浸るうちに日付が変わった。

感想を送ってくれた一人のメッセージに「この作品はダンナさんへのプレゼント?」とあった。愛妻の日の翌日、2月1日はダンナの誕生日。

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