2008年11月29日(土)  来年の年賀状の季節

朝から年賀状に使う写真を撮影する。毎年、スプーツ新聞風に一家の近況報告を綴っていて、ダンナにダメ出しされながら文案を練る過程で、必ず喧嘩になる。ようやく文章が仕上がると、そのネタに合わせた写真を撮り、広告会社時代の同僚だったE君に合成してもらうのだけど、撮影もてんやわんや。昨年までと違うのは、娘のたまに被写体としての自覚がしっかり芽生えていること。「いたずらっぽい顔して」と指示すると、それなりに顔を作ってくれる。デジカメまで駆け寄り、モニターチェックして、「もう一回」とカメラの前に立つ女優魂。それに引き換え、大人はなかなか狙い通りの表情ができない。「娘のいたずらに手を焼く親」という設定なのだけど、ほどよい「困った顔」というのが難しく、わたしの顔なんかは「本気で怒った顔」に見えてしまう。少しやさしさを取り込もうとすると、締切に追われているせいもあってヤツレが目立ち、「育児疲れか?」と正月早々余計な心配をかきたててしまいそうだ。何枚撮ってもうまくいかないので、E君に「上からいじって」とお願いすることにする。

来年の年賀状のネタにもなっている、たまのいたずらは日に日にレベルが高くなり、手先の器用さと知恵の発達に比例するんだなあと実感している。食事も遊びタイムで、食べものも食器も親の食事も無傷ではいられない。ひさしぶりの子守話は、スプーンとフォークの話。かわいい顔がついたスプーンとフォークはたまのお気に入りなのだけど、顔がついているがゆえに感情が宿ってしまうようで、しばしば食事が中断して人形劇が始まってしまう。

子守話25 スプーンさんとフォークくん

スプーンさんとフォークくんは いつもいっしょでした。スプーンさんがひだり。フォークくんがみぎ。なかよくテーブルにならんでいました。おでかけのときには ふたりいっしょに おてふきタオルにくるまって こうえんやレストランに でかけました。スプーンさんがスープやごはんをすくい フォークくんがやさいやさかなやにくをつきさし ちからをあわせて しょくじをはこびました。しょくじがおわると ふたりいっしょに ひきだしのベッドにかえりました。そして あしたもがんばろうねと はなすのでした。

スプーンさんもフォークくんも じぶんたちのしごとがきにいっていました。おいしいしょくじの においをかぎながら はたらくのも しょくじをはこんだときの えがおをみるのも いいきぶんでした。なにより スプーンさんはフォークくんと フォークくんはスプーンさんといっしょにいるのが たのしいのでした。

ところがあるひ スプーンさんとフォークさんが けんかをしました。「フォークくんは なまけものだ」とスプーンさんが おこりだしたのです。そのひの ごはんは カレーライスで フォークくんのでばんは ありませんでした。スプーンさんが あせをかきかき あつあつのカレーライスをはこぶのを フォークくんは のんびり ぼんやり みているだけでした。はたらきつかれたスプーンさんは つい もんくをいってしまったのです。

「ぼくのほうが はたらいているときだって あるよ」とフォークくんがいいかえしました。スパゲッティのときは フォークくんだけがはたらいて スプーンさんはおやすみです。「あれはくるくるとめがまわるし とってもつかれるんだ」。スプーンさんとフォークくんは これまでがまんしていたもんくを いいあいました。そして せなかをむけて くちをきかなくなりました。

つぎのひ スプーンさんとフォークくんは うまれてはじめて べつべつになりました。スプーンさんが ひとりでむかったテーブルには スパゲッティが まっていました。フォークくんが ひとりでむかったテーブルには スープが まっていました。スプーンさんは くるくるとまわりながら スパゲッティをまきつけようとしましたが スパゲッティは つるつるのおなかをすべっていくだけでした。「フォークくんは すごいな」とスプーンさんはおもいました。めがまわって ふらふらになるたいへんさも よくわかりました。フォークくんは あついスープになんどもとびこみましたが スープのしずくは 2ほんのすきまから こぼれおちてしまいました。「スプーンさんは すごいな」とフォークくんはおもいました。やけどしそうな スープのあつさも よくわかりました。

スプーンさんとフォークくんは またいっしょに はたらくようになりました。あさごはんも ひるごはんも ばんごはんも どこにいくときも いっしょでした。けんかするまえよりも ふたりは ずっとずっと なかよしになりました。

2006年11月29日(水)  日本アカデミー賞PR番組「日本映画のミカタ」
2001年11月29日(木)  2001年11月のおきらくレシピ
2000年11月29日(水)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年11月23日(日)  「なまえ」が気になる、たま2歳3か月

0歳2か月から3か月に比べて1歳2か月から3か月はうんと早く感じた。それにも増して、2歳2か月から3か月の早いこと。何もかも初めての驚きやおっかなさに少しずつ慣れて、子育ては日常になっていくんだなと感じる。

昨日11月22日で2歳3か月になった娘のたまのこのごろのブームは、「なまえ」。文字が書いてあると、「なまえ?」と聞いて、読み方や意味を問う。道路に書いてある「患」という文字、毎日歩いていても、「なまえ?」と聞かれるまでは気に留めなかった。患者用車両専用の駐車スペースだろうか、としたらこの建物は医療施設なのだろうか。「患者の患だよ」と教えると、「かんじゃのかん!」と歌うように繰り返した。m&mの「m」とエレベーターのボタンを押す「4」の形は覚えていて、車のナンバープレートに4を見つけると、「よん!」と指差す。駅の時刻表道路に縦書きに寝かせて書いてある「TIME TABLE」の、縦になっているEの文字も「エム!」と得意げに指差した。Eを右に90度回転させたらmかあ。文字を知らない時代をできるだけ楽しんでほしくて、あまり教えないようにしているけれど、文字に興味を持つ姿はほほえましい。

この一か月の大きな進歩は、パンツが上手にはけるようになったこと。オムツもズボンもこれまではおしりの下で止まって前だけちゃんと上げて「はけた!」つもりになっていることが多かったのだけど、おしりをキュキュッとひねって上まで上げられるようになった。靴下も靴もはけるけれど、ギャラリーが盛り上げてくれないと、「ママやって」となる。「たまちゃん ぜーんぶ おねえちゃん」と宣言したかと思うと「たまちゃん あかちゃん」に舞い戻り、甘えたい度合に合わせて使い分けている。

手先がずいぶん器用になったせいで、いたずらのバリエーションが広がり、粉チーズの穴から汁気のあるパスタを垂らしてチーズを湿らせたり、味噌汁をスプーンで牛乳のコップにせっせと移動したり。椅子に乗って台所の流しをのぞきこむのも大好き。放置されている洗い物が宝の山に見えるようで、たまった水に手を突っ込んで水遊びしている。

人形のぽぽちゃんのお世話をするのが大好きで、わたしが空き箱で作った「ぽぽちゃんのいす」に座らせたり、おむつ替えごっこをしたり。自分のおむつはいまだに取れる気配なく、毎回事後報告。おっぱい卒業の気配もなく、「とんとん はいってるかー?」とノックしてくるのもあいかわらずだけど、「飲んでるかー?」と聞くと、「のんでるよー」と返事するようになった。

2006年11月23日(木)  マタニティオレンジ31 たま3/12才と食育
2003年11月23日(日)  通帳で伝える愛 『まばたき』『父帰る2003』
2002年11月23日(土)  MAKOTO〜ゆく年くる年〜


2008年11月22日(土)  8年目の「いい夫婦の日」

昨日、ダンナから「明日はいい夫婦の日で我々の結婚記念日だから食事に行こう」と電話があり、びっくりした。語呂狙いで2000年11月22日に入籍し、今年で8年になるけれど、そんな気のきいたことを言われたのは初めて。神楽坂にある日仏会館のビストロを予約したという。

昨日から娘はダンナの実家に預けていたので、夫婦二人で出かける。よそ行きの服を着て、軽くメイクもして、デートらしい格好になった。二人だけでじっくり話す時間はなかなか取れないので、乾杯に始まり、前菜、主菜、デザートを食べる間の二時間足らずでも、ずいぶんいろんなことを話した気になった。仕事の話や共通の友人の話をしても結局は子どもの話に戻ってくる。「これは、たまが好きそうだ」「この店なら、たまも連れて来れそうだ」。どういう風の吹き回しかわからないけれど、いい夫婦の日になった。

今日の新聞に、「夫婦関係を漢字一文字で表すと」というコラムがあった。若い世代は「愛」や「幸せ」、年代が上になると「忍」という回答が目立つのだとか。うちはなんだろうとダンナに聞くと「笑」という答え。わたしは、「楽」が思い浮かんだ。若い頃は楽しくて、あうんの呼吸ができてくるにつれてラクになっていく。

2007年11月22日(木)  マタニティオレンジ205 たま15/12才ではじめて歌う
2006年11月22日(水)  何かとめでたい「いい夫婦の日」
2002年11月22日(金)  ザ テレビジョンお正月超特大号


2008年11月19日(水)  美しさを感じる心

家の中がどんどん荒れている。わたしの仕事が忙しいと片付けが追いつかないのは昔からなのだけど、魔の二歳児というちらかし要員が一人増え、加速度的にものがあふれ返り、収拾がつかなくなっている。家中の壁がシール貼り場になり、お絵描き帳になり、粘土が絨毯にへばりつき……どこまで行ってしまうのか、怖いような楽しみなような。客人が来ると突貫大掃除を敢行するのだけど、仕事が立て込んでいると、人を招くどころではなく、掃除の機会もなくなってしまう。

今朝の読売新聞に、「『美』感じる心 育てよう」の見出しで宮大工の小川三夫さんが文化遺産などへの落書きをどうやって防ぐかについて語っていた。「大切なのは、美しさを感じる心をはぐくむことだ。人は美しいと感じたものを傷つけようとはしない」とあるのを共感して読んでいたのだが、そうした心をはぐくむためには「親が身の回りをきれいにして、美しい空間で子どもを育てることが大事」「親が部屋を清潔にしておけば、子供も自然に掃除するようになる」とあり、頭を抱えてしまった。子どもが手当たり次第汚してかかるのは、「ここは汚してはいけないところ」かどうか区別がつかないほど家の中が美しくないからなのかもしれない。ううむ。

2002年11月19日(火)  白い巨塔


2008年11月16日(日)  『七人は僕の恋人』→シブヤさんの結婚パーティ

本田劇場にて大人計画ウーマンリブシリーズ第11弾『七人は僕の恋人』を観る。2005年に観た『七人の恋人』の女優版。阿部サダヲさんがオカマのマタニティビクスインストラクターを演じたり、巨大ウンコに刺さっていたりという衝撃に度肝を抜かれた男性版に比べると、女性版はおとなしめ……と思っていたら、デビューから数十年経ってじいちゃんになってるアイドル・ズッキーを追いかける女たちの話はパワー炸裂。おかしくて、かなしくて、笑った後にしみじみとなった。ズッキー役の池田成志さん、「体は老人、心は青年アイドル」を見事に痛々しく演じていて、さすが。それにしても、「精子たちの会話」(精子役のかぶりもの姿がなんともいえない)とか、宮藤官九郎さん、面白いことを考える。「外の世界に出て、中流で終わりたくない」なんていう精子の悲哀を語らせて、観客にうなずかせてしまうのだから、さすが。

夜は広告会社時代の先輩、シブヤさんの結婚パーティ。相手の女性は出会ったときに同じ職場にいたので、会場は元同僚だらけの同窓会状態。16歳差の結婚について、からかうようなスピーチもあったけれど。新婦は「年の差を感じたことはありません。彼をクリエイターとして尊敬しています」ときっぱり。かっこいい。

年の差とよく言うけれど、長い人類の歴史や長い一生を考えたら、数十年なんて誤差みたいなもの。下手したら運命の人は、ずっと過去やずっと未来に生まれ堕ちているかもしれない。事実、歴史上の人物に本気で惚れて現実に出会う相手に興味を持てない人もいるし、めぐりあえる時代に居合わせただけでもすごいことなんじゃないかしらん。

2007年11月16日(金)  三丘スポーツ史3に『寄り道ブドウ』掲載
2006年11月16日(木)  映画『フラガール』に拍手
2005年11月16日(水)  『天使の卵』ロケ見学3日目 ミラクル


2008年11月15日(土)  陶芸教室の成果

ダンナの小学校時代のの同級生、壇上君の陶芸教室(>>>10月13日の日記)の作品が届いた。一緒に参加したわたし、ダンナ、ダンナ妹、友人セピー君、セピー君のお母さんの5人分をまとめて届けてもらったので、他の人の作品も鑑賞させてもらう。セピー母のキャンドルケースとセピー君の邪視(目を象った置物。魔除けに使われるそう)は芸術センスを感じさせる出来映え、ダンナ妹の「ひとり酒用コップ」は、焼く前はビールジョッキサイズだったのが、縮んでひとまわり小さくなり、ちょうどいいサイズになった。わたしが作ったハートの器は、急いで仕上げたせいで上薬の塗りにムラがあるのだけど、中におかずを盛ればうまく隠れる。早速晩ご飯のサラダを盛りつけて見ると、サラダと器が互いに引き立てあってくれた。大小ふたつあるし、お客様が来たときにテーブルに出して、「これ、自分で作ったのよ」と自慢してみよう。

ダンナも同じ目論みを持って一輪挿しを作った(途中で真ん中を区切ることを思いつき、二輪挿しになった)のだけど、困ったことに、水が漏る。しかも、底から盛るので、花瓶として使うには致命的。講師の壇上君は、小学校の図工の時間にダンナに作品をほめられたことが陶芸家を志す理由のひとつになったらしいが、「一万人教えて、水が漏ったのは初めて」と嘆いていた。役には立たないけれど、話のネタには使えそう。

2007年11月15日(木)  マタニティオレンジ204 最近の目覚ましい成長
2005年11月15日(火)  『天使の卵』ロケ見学2日目 旅人気分
2004年11月15日(月)  「トロフィーワイフ」と「破れ鍋に綴じ蓋」
2002年11月15日(金)  ストレス食べたる!


2008年11月14日(金)  百均ブログ探偵と『江戸宵闇妖鉤爪』

先日、朝の情報番組に市川染五郎さんが出演して、江戸川乱歩を歌舞伎でやると紹介していた『江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)』。これ、観たいなあと思ったら、念ずれば通ず、数日後にダンナの友人から招待券が二枚舞い込んだ。ダンナが仕事で行けないというので、以前一緒にバレエを観たカヨちゃん姉妹に声をかけると、お姉さんがつきあってくれることになった。

お姉さんと会うのは今日が3度目。そのうち一回は挨拶をしただけなのだけど、自称「ブログストーカー」で、いまいまさこカフェ日記を愛読されてすっかり今井雅子通なので、話は早い。歌舞伎ファンのブログも見歩いていて、「顔出ししている人が多いから、今日も見かけて、声かけそうになったわ。でも顔出しって危険よねえ」とお姉さん。勘が鋭く、会ったことのない人のブログから異変や事件を嗅ぎつける鼻が利くのが自慢で、妹のカヨちゃんからは「姉をモデルにブログ探偵ってドラマ書いて」と売り込みがあった。カヨちゃん姉妹と以前盛り上がった「百均刑事(ヒャッキンデカ)」()特技のひとつにブログ解読を加えてみようか。

さて、肝心の舞台は、火を噴いたりワイヤーで吊って立ち回りしたり、首外れ人間やろくろっ首が登場する妖しい見世物小屋あり、大凧での宙乗りありで、とにかく派手で見応えがあった。染五郎は恋人(商家の娘お甲)と愛人(女役者お蘭)を相次いで人間豹・恩田に殺められ、気がふれてしまう侍と人間豹の二役。恩田に狙われる明智小五郎(松本幸四郎)の女房・お文はお蘭に似ているという設定で、恩田の標的にされる三人の女は、市川春猿の一人三役。

人間豹と明智の対決という明快な筋立て、台詞も現代語調でわかりやすく、イヤホン解説なしでも十分ついていけた。わたしのように歌舞伎を見つけない観客には、打ってつけ。乱歩の世界を江戸時代の設定にうまく移した脚本は、ケダモノのような猟奇殺人者として見えていた人間豹・恩田の葛藤と苦しみをあぶり出し、人間を傷つけるしかない彼の生き様に同情すら覚えさせてしまう。恩田の母(彼女もまた人間豹)は行き場のない捨て子に手を加え、異形の見世物として育てているのだが、その行為を悪だと断じることができるのか、子どもを捨てる人間はどうなのだ、と明智に恩田が突きつける場面、松本幸四郎と市川染五郎の父子対決の緊張感もあいまって、目が離せない名勝負となった。また会おうと明智に言い放ち、大凧とともに宙に舞った恩田の大見栄に、拍手が鳴り止まなかった。シネマ歌舞伎『文七元結』もよかったけれど、やはり生の迫力は格別。

思いがけない招待券で、いいものを見せてもらった。開演前、カヨちゃんのお姉さんが「私なんかが誘ってもらっちゃっていいのかしら。瓢箪から駒だわ」と言った。「もう少ししっくり来る表現があったような」とわたし。渡りに船でもないし、二階から目薬でもないし。「引き出しを開けたらお饅頭が入っててラッキーって感じなんだけど」とお姉さんが言い、「引き出しに饅頭。なんか近い気がします」などと言っているうちに幕が開いた。そして、2時間半後。「よかったねえ」と劇場を後に歩き始めたときに、「棚からぼた餅!」と思い出した。饅頭がぼた餅にたどり着くのに、歌舞伎一本。チケットのお礼にと、お姉さんから長崎・福砂屋のカステラをいただく。二切れ分が個装になった食べきりサイズ。ぼた餅にカステラがついてきた。

2007年11月14日(水)  マタニティオレンジ203 サロン井戸端「お金で買えないもの」
2006年11月14日(火)  マタニティオレンジ29 読書の秋
2005年11月14日(月)  『天使の卵』ロケ見学1日目 なつかしの京都
2004年11月14日(日)  『バニッシング・ポイント』@ルテアトル銀座


2008年11月13日(木)  このごろのたま語「ママのにおい」

娘のたまがワーンと泣いたので、よしよしとだっこして慰めたら、「なみだ ふいてよ」と言う。赤ちゃんみたいな力まかせな泣き方と大人っぽい言い方のギャップに面食らった。

数日前の朝、たまは突然「おねえさん宣言」をした。
「たまちゃん あかちゃんじゃないよ。おねえさん。ぜーんぶ おねえさん」。
ぜーんぶと強調するところが、何ともおかしい。そのくせおっぱいを欲しがり、指をしゃぶり、トイレは事後報告。でも、言葉の使いこなし術は、ずいぶんお姉さんになった。ボケと突っ込みらしいやりとりもできるようになりつつある。

た ま「どうぶつ かう」
わたし「どんな動物飼うの?」
た ま「キリン」
わたし「キリンは大きいから、うちに入らないかなあ」
た ま「ちいさいキリン かう」
わたし「小さいキリンってどれぐらい?」
た ま「これぐらい(と親指と人差し指で切手ぐらいの大きさを作る)」
わたし「そんなに小さいの? なんて名前?」
た ま「キリンです」
わたし「キリンですって名前?」
た ま「うん。『キリンです』って かいてるの」
わたし「どこに書いてるの?」
た ま「かべ」

保育園の帰り、手をつないでこんな話をしていると、仕事のことはいったん忘れて、たま流に言えば、「ぜーんぶおかあさん」に切り替わる。「あ、におい」と、たまが言い、「なんのにおい?」と聞くと、「くものにおい」と答えた。それから、「あかの におい。みどりの におい。ママの におい」と続けた。つなげると、詩みたいだ。

あ、におい。
くもの におい。
あかの におい。
みどりの におい。
ママの におい。

いきなりアスファルトに大の字に寝っ転がったりもする。「何やってんの?」と聞くと、「くも みてるの」なんて言う。空はすっかり暮れているけれど、黒に近い群青色に目を凝らすと、確かに雲はゆっくり動いている。

ショップ99で買い物しようねと手を引いて歩いて行くと、「キュッキュ おそら おんでるね」と言い出す。えっと思って見上げると、2階の高さに看板が掲げてある。寒さに縮こまっている大人に見えないものが、身長80センチの子どもには見える。

お世話ごっこ人形のポポちゃんと遊びながら、たまは「ポポちゃんすごいね。どこでおぼえたの?」とおねえさんぶってほめている。「すごいね。どこでおぼえたの?」は最近のわたしの口癖。

2007年11月13日(火)  Suicaで木村家のパンは買えません
2006年11月13日(月)  マタニティオレンジ28 バリアフリーを考える
2003年11月13日(木)  SKAT.2@Wired Cafe


2008年11月12日(水)  いろんな思いがぐるぐると『ぐるりのこと。』

「まだ観てないの?」と何人に言われたかわからない『ぐるりのこと。』をようやく下高井戸シネマでつかまえる。『ハッシュ』の橋口亮輔監督の6年ぶりの新作というだけで観に行く理由十分だったのに渋谷でのロングランも見逃し、今日になった。

ザ・マジックアワーを遅れに遅れて観たら、劇中に登場した日めくりカレンダーがその日へのカウントダウンだったように、今日の『ぐるり』も今日観る作品だったなあと思えた。表面張力ぎりぎりで持ちこたえている感情のコップの水の張りつめた感じやあふれる瞬間を実にリアルに描いていて、「ああ、そうだよね。これ言われたら危ないよね」などと自分の体験に重ねてしまったのだけど、ちょうど今朝、ひさしぶりにダンナ相手にコップの水をこぼしてきたところだった。粗大ゴミを出すが保育園に娘を送るかの二者択一でダンナは保育園を選んだのだが、めったに送ることがないので、そのたびに園に着いてからの手順を説明しなくてはならない。いい加減覚えてよと思いつつ、昨日のうちに着替えなどは翌日分を用意しておいたので、「ほとんどセットしてあるから。あとは、この連絡帳を壁のポケットに入れて、着替えを持ち帰った袋2つを部屋の中と廊下に一つずつかけるだけ」と言ったら、「なんだ、全然セットできてないじゃん」。その最後の一滴で表面張力は破られ、「だいたいねー、送るのはわたしの仕事って決まってるわけじゃないんだから。そっちにももっと行って欲しいんだから」とウラミツラミが飛び出した。娘と保育園まで歩くのは楽しいし、苦痛だと思ってはいないつもりだったのだけど、忙しさに心を亡くしてしまうと、水面下に不満をためこんでしまう。コップの水があふれる瞬間まで、違和感の滴を一滴ずつ集めてコップのすれすれまで満たそうとしていることに本人も気づかなかったりする。

肉じゃがを冷蔵庫から出そうとしたのか冷蔵庫に入れようとしたのか、はずみで皿からじゃがいもがひとつ床にこぼれた瞬間、「もうイヤ!」と皿ごとひっくり返してしまったのは、まだ20代の頃だったか。子どもを産んだ後に、なにげない一言で涙のダムを決壊させたことも何度もあった。そんな自身の「あのときいっぱいいっぱいだったんだなあ」という出来事が次々と思い出された。それでもわたしはささやかな水たまりをこしらえては自然乾燥でやり過ごしている。あふれた水に溺れずに済んでいるのは、こんな自分を受け止めてくれる人たちがいるからなんだろうな、と生きることの厄介さと救いについて考えさせられた。

2007年11月12日(月)  寝耳に水
2006年11月12日(日)  マタニティオレンジ27 川の字 朝の字
2004年11月12日(金)  何かと泣ける映画『いま、会いにゆきます』
2002年11月12日(火)  棗
2000年11月12日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2008年11月11日(火)  四半世紀前の「今」の『昔も今も笑いのタネ本』

図書館の「今日返された本のコーナー」で目が合った『昔も今も笑いのタネ本』を読む。著者の宇野信夫氏は、歌舞伎狂言作者でラジオドラマも手がけられていたようだから、脚本家の大先輩ともいえる。

「間抜けな泥棒」と「ヤブ医者」がよく出てくる。患者から文句を言われたことがないのは、診た患者がすぐ死んでしまうから、といったオチ。今だったら政治家や官僚がたたかれるところだ。江戸から大正の頃まで、風呂屋の洗い場で、まだ湯船につかっていない人が通るときは「冷えものでござい」と声をかける習慣があったなど、庶民の風俗もずいぶん違う。時代をさかのぼった自分の国に、カルチャーショックを受ける。

それなりにくすっと笑えるものもあるのだけど、笑うまでに考えてしまうものが多い。昔の小咄をまとめたとはいえ刊行は1982年6月だから、まだ四半世紀しか経っていないのだけど、なじみのない言葉が次々出て来る。時代小説や歴史小説を読み慣れていれば、もう少し理解できるのだろうけれど。古典というほど古びていないのに、辞書を引きながらの読書となった。

なげいれ  生け花で壺や筒状の花器に自然の枝ぶりを活かすようなかたちに生けること。
主取(り) しゅうとり。武士などが新たに主人に仕えること。
へっつい  かまど。竈(へ)つ火が変化したもの。
大黒    僧の妻。
反魂香   はんこうこう。たくと死者の霊が煙の中に現れるという香
上布    じょうふ。カラムシからとった糸で織った、上等の麻布。

「莨」という字が何度か登場して、これは何と読むのかと思ったら「たばこ」だった。昔は煙草ではなくこう書いたのか。そういえば、「せりふ」もこの頃は「台詞」が一般的だけど、子どもの頃は「科白」をよく見かけた気がする。ほんの数十年で日本語がずいぶん変わってしまっている。

わからなかったのが、「がれん」。「鯉魚屋(りぎょや)」と客に呼ばれ、「鯉を鯉魚をいう。これしきのことを知らぬとは」となじられた鯉売りが、鯉の値段を聞かれて「がれんにしておきやしょう」と答え、「これしきのことを知らぬとは」とやりこめ返すので、「がれん」は何かの音読みなのだろうと思うのだけど、はて。

声を上げて笑ったのは、「おない年」という小咄。
「右足が痛んでなりません」
「年のせいだよ」
「でも先生、左足も同い年だが、ちっとも痛みません」

2007年11月11日(日)  マタニティオレンジ202 子育て戦力外の鈍感力
2006年11月11日(土)  ウーマンリブvol.10『ウーマンリブ先生』
2003年11月11日(火)  空耳タイトル
2002年11月11日(月)  月刊デ・ビュー

<<<前の日記  次の日記>>>