2008年06月30日(月)  『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミットへ!

わたしを大興奮させた平成プロジェクト制作のドキュメンタリー映画『蘇る玉虫厨子』のその後。名古屋での劇場公開が連日超満員で、日に日に人が増え、劇場側からの要望で7月12日から8月1日まで名演小劇場にて1日3回上映のアンコールロードショーが決定。さらに8月30日から9月12日までは静岡のシネギャラリーにて上映。北海道、金沢、高山でも上映を予定しているとのこと。さらに、「洞爺湖サミットで英語版("The Jewel Beetle Shrine Resurrected")公式上映」のニュース。6月末まで法隆寺の秘宝殿で展示されていた「平成の玉虫厨子」も洞爺湖サミットのゲストハウス・ゼロエミッションハウスにて展示されるそう。これを記念して東京での追加上映会が決定……という興奮づくしな案内メールがプロデューサーの益田祐美子さんから届いた。

会う人ことに「玉虫」をすすめているわたしとしては、ぜひ案内せねば、と思っているところに、大阪に住む母から夕刻届いた手紙は、これまた玉虫の話題。27日に法隆寺へ玉虫厨子を見に行った報告が綴られていた。母がバス停で一緒になった白ブラウスの女性は名古屋から。小学校の頃に呼んだ玉虫厨子の話が印象深く、映画があると聞いて初日に見に行き、職人さんたちの舞台挨拶も聞き、どうしても展示期間の6月中にと駆けつけられたのだとか。秘宝殿まで来てみると、黒ブラウスの女性が一人で見に来ていて、彼女も名古屋で映画を観てたことがわかり、白ブラウスと黒ブラウスのお二人は映画と目の前の玉虫厨子を重ねて鑑賞。そこに夫婦らしき二人が現れ、またもや「映画を観て名古屋から」。名古屋組は母が一巡して戻ってきてもまだ映画話に花を咲かせていたという。これだけ人を動かしてしまう映画をぜひ観たい、と母は興味をそそられたようだった。そういえば、一緒に映画を観たアサミちゃんとわたしも相次いで法隆寺へ向かった。1300年の時を越えて平成職人が飛鳥職人と魂の対話をする『蘇る玉虫厨子』は、余韻のスケールも桁が違う。洞爺湖サミットのゲストの目を見開かせるインパクトは十分にある。登場する職人の技と心意気も、蘇った玉虫厨子の見事な出来映えも、私財を投じた中田金太さんの生き方も、この貴重な出来事を映画という形に残そうとした益田さんも、三國連太郎さんの語りの味わいも、記録に感動を織り込んだ乾弘明監督の演出も、この一本の映画には日本の宝が詰まっている。

『蘇る玉虫厨子』洞爺湖サミット公式上映決定 記念上映会

上映日時 7月2日(水)
1回目:開場15:00/上映開始15:30(上映時間64分)
2回目:開場18:30/上映開始19:00(上映時間64分)
会費:1000円
会場:文化シャッター BXホール
 文京区西片1-17-3 TEL:03-5844-7700
 都営地下鉄三田線春日駅A6出口から徒歩3分>>>地図


2008年06月12日(木)  中田金太さんの置き土産『玉虫厨子』と対面
2008年03月27日(木) ブラボー!『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた技の継承〜』

日本の宝といえば、益田さんの紹介で親しくさせていただいている素敵な素敵な田邊のおじさま、田邊勉さんが応援されている下垣真希さんの東京でのリサイタルの案内が、これまた申し合わせたように今日届いた。田邊さんにぜひにとすすめられ、歌と語りと人柄に聞き惚れたのが3年前(>>>2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』)。歌うように語り、語るように歌う、その声にゆたかな包容力とたしかな説得力があり、聴いていると心がほどけていく。この人が歌うほど、世の中が平和になって行きそうな気がする。

平和のリサイタル2008 『命の賛歌』
2008年8月3日(日) 14時開演(13時半開場)
浜離宮朝日ホール(大江戸線築地市場A2出口すぐ)
5000円(全指定席) 2000円(当日学生)
下垣真希(歌・語り)
ジャー・パンファン(二胡)
崎山弥生(ヴァイオリン)
北川美晃(ピアノ)
お申込み・お問合せ クレッシェンド企画 0120-208314

2006年06月30日(金)  中国語版『子ぎつねヘレンの10のおくりもの』
2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝
2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年06月29日(日)  マタニティオレンジ304 「たらちねの母」と「たらちねの女」

国文学者の中西進さんが新聞に「たらちねの母」と「たらちねの女」のことを書かれている記事を面白く読んだ。豊乳の美女が体型が崩れるのを恐れて授乳を怠った結果、乳腺炎と思われる症状に苦しんだ逸話がはるか昔の書物に残っているという話を引き合いに出し、乳の形を優先させて「女」として生きるか、乳の中身を役立てて「母」として生きるかが論じられている。

「たらちね」には無縁だったわたしは、妊娠出産で「たらちね」を体験したのだが、飲ませなければ泣き止まないし、こっちも乳腺炎で泣きを見るので、「たらちねの女」になる選択肢はなかった。わたしのオリジナル体型を知る人は、「お!」という反応を見せてくれたけれど、「たらちね」のおかげでモテることはなかった。やはり美女とセットでなくてはダメか。


わが「たらちね」はずいぶんしょんぼりしてきたけれど、娘のたまは二才を前にしても卒乳の気配を見せず、いまだに「たらちねの母」を引退できない。どこで覚えたのか、自分で編み出したのか、ボールをシャツの中に入れて「おっぱい!」とおどけていたたまは、最近ではぬいぐるみに授乳するようになった。だっこもさまになり、「たらちねの母」になりきっている。

2007年06月29日(金)  マタニティオレンジ137 おっぱいより朝ごはん
2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日
2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年06月28日(土)  読んで満腹『おとなの味』(平松洋子)

フードジャーナリストの平松洋子さんが書かれた『おとなの味』を読む。「わたしの味」にはじまり「締めくくりの味」まで、「味」でまとめた65タイトルのエッセイ。「もうしわけない味」「奢った味」「男の味 女の味」「匂いの味」……。目移りしてしまうお品書きのように、簡潔だけれど想像力をかきたてるメニューが並んでいる。この人の書いたものを読むのは初めてだったけれど、食べることが本当に好きで、食べることと生きることがしっかり結びついている人という印象を受けた。おいしいものを食べると幸せな気持ちになるけれど、平松さんが綴るおいしいものの話を読むと、彼女の中に広がった幸せまでお裾分けされたような気分を味わえる。食べものの描写が活き活きと感覚に訴えるというのもあるけれど、平松さんの文章が、わたしの中にある幸せな食べもの体験を呼び起こすからなのだ、と気づいた。ある食べものを口に含んだとき、その味や香りと結びついた記憶が呼び覚まされる。それと同じことを、この本に書かれた「味」たちがやってくれたのだった。

娘の十一才の誕生日に、平松さんはお気に入りのレストランへ連れて行った。「贅沢を味わわせてやろうというのではない。かけがえのない贈りものを手渡してやりたかった。それも『もの』や『かたち』ではなく、精神の血肉を育てる真に豊かな味」。そう考えて導いた答えが、その店の味だった。そこで口にした生まれてはじめてのひと皿の味を娘は「わたしのたからもの」だと言い、「その夜着ていた服も履いていた靴も、座った席も、流れていた空気も、忘れられないという」。大人の椅子にぴんと背筋を伸ばして掛けている十一才の女の子を思い浮かべつつ、「忘れられない味」に出会った十二才の夏を思い出した。

その味は、初めての海外旅行で訪れた東ドイツのレストランで食べたコースのランチ。
ハンバーグステーキ以上の西洋料理を口にしたことがなかった中学一年生には、出てくるひと皿ひと皿が目新しく、口に運べば、未知なる味わいに陶然となり、この世にこんなおいしいものがあったのかと目を見張った。ところが、最後のデザートに出たパフェの生クリームに、あろうことかハエが着地した。わたしも焦ったけれど、ドイツのハエも焦ったようで、足をばたつかせるほどにクリームがからみついて体が沈んでいった。結局そのパフェを食べたのだったか、あきらめたのだったか。デザートのアクシデントも含めて忘れがたい食事となったその店の内装やテーブルの形や自分が座った場所まで、四半世紀以上前のことなのに、妙にありありと覚えている。味の記憶は思い出と強く結びつき、そのとき見た風景ごと保存されるのだ。

東ドイツにわたしと妹を連れて行ったとき、母は親戚から借金をしたと聞く。スーパーでは値引きシールのついたものを狙うくせに、外食や旅行には思い切ったお金の使い方をした。その大胆なメリハリのおかげで、わたしには「上等な味」や「めずらしい味」の記憶がたくさん残っている。そして、季節行事や誕生日などの祝い事に食事をからめてエンターテイメントにすることにも、今井家は積極的だった。父の厄よけに大量のぜんざいを作り、道行く人を呼び止めて食べてもらった(関西の風習らしい)日、漬け物がぜんざいの甘みを引き立てることを覚えた。

「雅子ちゃん、一年に晩ご飯は365回しかないから、一食一食を大切にしなさい」
大学一年生のときに下宿した家のダンナさんにそう言われたことも、本を読んでいて思い出した。何を食べるか、誰と食べるか、その一食一食があなたという人間を作るんだよと教えられた。同じ頃、大阪に帰省した折に母は「つきあいの金はけちったらあかん」と言われた。その結果、エンゲル係数の高い学生になったが、おいしいものを求めて京都の町を自転車で走り回り、出会ったあの味この味が学生時代の思い出を彩っている。

就職した広告会社には、わたし以上に食べることが好きな人が集まっていた。脚本の仕事をはじめ、知り合いがふえると、おいしいもの情報網が広がった。年齢とともに舌は肥えていく一方、高級店の一流の味でなくても、気の利いた会話があれば食事はごちそうになることを覚えた。

「すっかり忘れていること。忘れていることさえ気づかなかったこと。うっかり記憶の外に放り投げられていること。じつは、それらもまた、ひとりひとりを支えている。いやむしろ、覚えていること、知っていることなんかほんのわずかなのだ。知っていることに比べたら」というくだりが本文中にある。その「記憶の外」にあるもののいくつかをたぐり寄せ、あれをもう一度食べたいなあと舌なめずりしたり、一緒に食べた人の顔をひさしぶりに思い出したりし、自分がいかに食べものの幸せな記憶を持っているかということに気づいた。親に贈られた味。人生の先輩に教わった味。好きな人と見つけた味。わたしをつくってくれた、たくさんの味に感謝。

2006年06月28日(水)  ロナウジーニョとロナウドは別人?
2002年06月28日(金)  シンデレラが出会った魔女の靴


2008年06月27日(金)  マタニティオレンジ303 幻の一発芸、体文字の「TAMA」

「えむ(M)」に続いて「えー(A)」を体と言葉で表現することを覚えた娘のたまに、「てぃー(T)」を教えた。両手を左右に伸ばすポーズで、難易度はやさしく、すぐに「てぃー」と真似てくれたが、「T・A・M・A たま!」と続けてやらせようとすると、これが難しい。「T」の後はいきなり「たま!」の決めポーズ(顔の下に両手を持って来て、ぶりっこスマイル)でニッコリ。ところが、今朝、ダンナに「たまがTを覚えたよ」と伝え、「たま、パパにT見せてあげて」と言うと、「T・A・M・A たま!」と一気に続けてみせた。「ついにTAMA完成!」と喜んだが、幻の一回こっきりで、後は何度やっても「T」止まりだったり「A」はじまりだったり、「T」の後に「M」に飛んだり。

「TAMA」より簡単な「MAMA」はどうだろう、と応用編の「M・A・M・A ママ!」を教えてみたけれど、「ママ!」のポーズが決まるだけ。「MAMA」だけはずるい、とダンナから不満の声が上がったので、「PAPA」を教えたら、体の左側で丸を作る「P」のポーズを気に入り、うれしそうに「ぴー」を連発。体を張って表現しているのに、まったく「P」に見えないところが何ともおかしい。「MAMA」」「PAPA」が完成したら、今度はダンナの両親から「JIJIとBABAはないのか?」と催促されそうだが、「I」は気をつけのポーズでいいとして、「J」と「B」はどうしよう。

2007年06月27日(水)  中国経絡気功整体の大先生
2002年06月27日(木)  泉北コミュニティ


2008年06月26日(木)  知らなかった、大坂夏の陣『戦国のゲルニカ』 

友人でNHKディレクターの城光一君から昨夜「これから僕の作った番組やるんで観てください」と電話があり、『その時歴史が動いた』を観た。タイトルは『戦国のゲルニカ〜大坂夏の陣、惨劇はなぜ起きたのか』。電話で城君が「大坂夏の陣に一般市民がだいぶ巻き込まれてたことがわかってきて、屏風絵にも残っているんですよ」と話してくれたのだが、通常は主君の活躍を描いて後世に遺すことを目的とする屏風絵に、市民が犠牲になった惨劇が克明に描き記されている。戦争への悔恨が過ちを繰り返さないための教訓として描かせたのだろうか。戦争映画を作る動機にも似ている。

この屏風絵を大阪城天守閣に所蔵するにあたって働きかけた当時の天守閣主任、岡本良一さんが「この絵を見ていると、当時の市民の怒りや悲しみの声が聞こえてくるような気がする。この絵はまさにわが国の元和版ゲルニカと言ってよいかもしれない」と語ったのに由来して、番組では「戦国のゲルニカ」と呼んでいたのだが、血を流し、逃げ惑う民衆の叫びがブラウン管を通しても伝わってくるようだった。これが絵画ではなく史実の記録であることの重みを感じる。そこに描かれているのは、わが故郷、大阪に暮らしていた名もなき人たちだ。

学生時代は歴史にあまり興味が持てず、過ぎたことを学んで何になろうという気持ちもあり、授業で習ったはずの大坂夏の陣についても名称以上のことを覚えていない。年を重ねてから歴史を面白く感じるのは、過去は変えられないけれど、目の前にある未来は変えられることを身をもって体験し、歴史を学ぶのではなく、歴史から学ぶのだと知るからだろうか。番組を観終わってから、「案内してくれてありがとう。戦国のゲルニカのこと、知れてよかった」と城君に電話した。

2007年06月26日(火)  マタニティオレンジ136 サロン井戸端
2004年06月26日(土)  映画『マチコのかたち』


2008年06月25日(水)  整骨院のウキちゃん7 赤道ぐらい知ってますよ編

最近忙しくてなかなか行けない整骨院で、ひさびさにウキちゃんネタを収穫。

院長とウキちゃんの知り合いに「奇数と偶数がわからない」人がいて、「1、3、5、7.9は奇数」と教えたら、「32は3がついているから奇数」と言い出し、「2、4、6、8.0は偶数だろ」と正すと、今度は「45は4がついてるから偶数」と言うような人であったという。「ウキちゃんは、彼女には勝ったって思ってたみたいなんですけど、ウキちゃんの場合、地理に強いって豪語しちゃってるとこが弱みだったりするんですよ」と院長。名門男子高校に通う患者の男の子と昨日交わされた会話を紹介してくれた。

スポーツクラブに通い、TARZANのグラビアを飾るような体型を目指しているウキちゃん、目下の関心事は体重管理。「赤道の上で体重を量ると、軽くなるんですよ」と秀才君に言われて、食いついた。「でも、なんで軽くなるの?」「地球の自転の関係で遠心力が働くので……」。自転? 遠心力? 頭の中にかえってハテナが増えてしまったものの、「ははーん」とレベルを合わせて知ったかぶりするウキちゃん。「じゃあ飛行機で赤道まで行って、飛行機の中で体重量るんだ?」と意味不明な発言。「なんでも、昔飛行機に乗ったときに、今から赤道を越えますっていう機内アナウンスがあったらしく、赤道は空中にあって飛行機で越えるもんだって思い込んじゃってるらしいんですよ」と院長はわたしに報告しながら思い出し笑い。「赤道って何かわかってる?」と院長に突っ込まれたウキちゃん、「知ってますよ! 赤い線って書くあれでしょ!」。ウキちゃん、それはアカセンです。

飛行機に乗らなくても赤道の上で体重を量れることを説明するために、院長はネットで「赤道」を検索。「赤道はこっち」とスペイン語で書いてあるエクアドルの赤道付近の画像がヒットした。それを見たウキちゃん、「エクアドルってスペインにあるんですか?」。ウキちゃん、エクアドルは国名だし、赤道はスペインを通ってません!

やっぱりウキちゃんの地理ネタは面白い、とひとしきり笑わせてもらった後で、「ところで、ウキちゃん、赤道を越えるって言われたの、どこ行きの飛行機だったの?」とわたしが聞くと、「サンフランシスコです」。東京からサンフランシスコへ向かうのに赤道はまたがないのでは……。「もしかして、日付変更線?」「あ、それだ!」。日付変更線なら、東京とサンフランシスコの間にある。赤道と同じく、こちらも目に見えない線であることは、ウキちゃん、知ってるかしら。

ちなみに、家に帰って「赤道」を調べたら、道路法の認定外道路(農道、路地など)を指す赤道(あかみち)なる言葉があることを知った。赤く着色して表示されるからこの名がついたそうで、「赤線」とも呼ばれるとか。赤道と赤線はまったくの他人ではなかったのだ。「東京の首都は新宿?」といい、ウキちゃんネタには意外な真理が潜んでいて、侮れない。

2008年3月24日(月)整骨院のウキちゃん6 ナターシャは白いごはんが大好き
2008年3月19日(水) 整骨院のウキちゃん5 東京の首都は?
2008年2月20日(水) 整骨院のウキちゃん4 「ティ」ってどうやって打つの?
2008年2月8日(火) 整骨院のウキちゃん3 となりのトトロ
2008年1月8日(火) 整骨院のウキちゃん2 首都得意なんです
2007年11月06日(火) 整骨院のウキちゃん1

◆NEWS!!『ブレスト』ケータイ配信開始◆
本日より「ケータイ読書館」にて『ブレーン・ストーミング・ティーン(Brain Storming Teens)』(いまいまさこ著)配信開始。1ダウンロード300円で読めます。

2007年06月25日(月)  割に合わない仕事
2005年06月25日(土)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学最終日
2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)
2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2008年06月24日(火)  カレーとコーヒーとチョコレート

カレーとコーヒーとチョコレートは合うと常々思っている。チョコレートやコーヒーはカレーの隠し味になるし、コーヒーにチョコレートを足らすこともチョコレートにコーヒーを混ぜることもよくあるし、種子に凝縮された味や香りを挽いて引き出すもの同士、いろんな形で相性の良さは証明されている。そして、カレーを食べた後にはコーヒーを飲みたくなり、コーヒーのおともにはチョコレートが欲しくなる。


今日のランチはその理想をかなえるもので、先日ディナーで連れて行ってもらって気に入った八重洲の南インド料理店ダバインディアのランチでカレーを食し、道を隔てた明治製菓の100%チョコレートカフェでコーヒーとチョコレートを味わうコース。ダバインディアのランチは1200円でカレー3種類を堪能。かなりの量なのに、お皿が光るほどカレーをナンでぬぐいつくして平らげてしまった。ずっと気になりながらはじめて訪ねた100%チョコレートカフェにも感激。板チョコを模した天井、壁一面のカカオ、ロゴ入りの食器、飲み物に添えられた一口の「その日のチョコレート」、見事に100%チョコレートに徹している。スイーツは好みのフレッシュチョコレート(日替わりで4種類)をその場で詰めてくれる。今日はショコラブッセにキャラメルクリームという組み合わせを選んだけれど、コルネ(チョコルネ)やラスク(ショコラスク)も気になる。カフェラテがことのほかおいしく感じられたのは、チョコが引き立てたせいかも。

ランチをご一緒したのは、「大阪出身でコピーライター出身」という経歴がわたしと似ている劇作家で脚本家で作家の川上徹也さん。「人生のすべてをエンタテインメントに!」というキャッチコピーを掲げ、どんな仕事も面白くしてしまう企画魂の持ち主。「こんなん出ました」と案内してくれたのは、『司法書士がズバリ解決! ドラマでわかる身近なお金のトラブル』という東京司法書士会との共著。ハウツーものの編集をやったんですかと聞いたら、「もとは戯曲なんですよ」。司法書士有志の劇団「リーガル☆スター」用に書いた舞台『ボケてても、好きな人』をノベライズして解説を加えたものだそう。川上さんの手にかかれば、難しい法律用語もお金のゴタゴタもエンタテインメントになる。

2007年06月24日(日)  マタニティオレンジ135 うっかりケーキでたま10/12才
2005年06月24日(金)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学7日目
2004年06月24日(木)  東京ディズニーランド『バズ・ライトイヤー夏の大作戦』
2000年06月24日(土)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)


2008年06月23日(月)  念ずれば、柿の葉寿司 

奈良に住んでいる高校時代の同級生、ユミちゃんが先日、大阪帰省の折に5年ぶりに再会したとき、「本場の柿の葉寿司をぜひ食べてもらいたいから送るわ」と約束してくれた。ちょうど万葉ラブストーリーの審査で奈良に縁が出来て、審査員の上野誠先生から「奈良の名産といえば柿の葉寿司ですよ。おいしいとこのは、ほんとにおいしいです」なんて話を聞いたりして興味しんしんだったので、念ずれば何とやら、とグルメ仲間の以心伝心にうれしくなった。

その約束の品が昨日届いた。「ゐざさ寿司」というお店の詰め合わせで、柿の葉寿司の他に笹でくるんだゐざさ寿司、桜の葉でくるんだ桜寿司、山菜巻が個装ではなく折詰にぎゅっと詰めてあり、その日のうちにお召し上がりくださいという新鮮なもの。奈良のできたてを東京で頬張る贅沢。口に入れた瞬間にほろりとほどける握り具合が絶妙で、米とネタの引き立て合いも葉っぱの香りも心憎い塩梅。「ぜひ食べて」と力を込めて言っていたユミちゃんの顔を思い出しながら、太鼓判を押すのもわかるわと納得しつつ、ひとつ、またひとつ。娘のたまも、大人に負けじと手を伸ばし、喜々として葉っぱをむく。おもちゃにして終わるのかと思ったら、「おいしいねえ」としっかり味わっていた。

2007年06月23日(土)  「イラン・ジョーク集」のモクタリさんと鎌倉ナイト
2005年06月23日(木)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学6日目
2000年06月23日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/27)


2008年06月22日(日)  マタニティオレンジ302 英語も飛び出す、たま1才10か月

2006年8月22日生まれの娘のたまは、今日で1才10か月。オギャーと生まれた瞬間、助産師さんがおなかにのっけてくれた重みとやわらかみを振り返りながら、「ずいぶんたくましくなったなあ」としみじみしてしまう。「こわれもの注意」な危なっかしさはなくなり、本人自らが破壊者となりつつある今日この頃。元気すぎるのが悩みというのは、ありがたいことだと思う。

「おっぱいを飲んで、気体と液体と固体に分ける」ことができる乳飲み子に感嘆する短歌に出会ったことがある。それ以外は泣くこと、手足をほよほよと動かすこと、手をにぎることぐらいしかできなかったところからスタートして、ずいぶんたくさんのことができるようになった。とくに1才過ぎてからの吸収力には目を見張るものがある。歩く、指を使う、言葉を発するなどは持って生まれた能力だけど、歩いてどこへ向かうか、指で何をするか、言葉で何を伝えるかはまわりの人たちからの影響を大きく受ける。鍵を開ける動きも、傘を差す動きも、人がやるのを見て、真似て、覚えた。口癖なんか、すぐにうつってしまう。わたしが連発する「待っててね」を覚えて、わたしを残して他の部屋に物を取りに行くときなどに「まててねー」と声をかけるようになったが、その言い方がやさしい感じだったので、ほっとした。

わが家の場合、保育園で過ごす時間が長いので、親が知らないところでネタを仕入れてくることも多い。ある日突然「バナナがいっぽんありました」と歌い出し、「ママいっぽん!」とすんなり発音できたのは、この応用だったのかと納得した。覚えた単語を組み合わせて使うようになり、表現がずいぶん豊かになってきた。魚の「ほね」を教えると、食べるときに「ほね なあい」(骨取って、の意味)と催促したり、「キヤキヤ なあい」と言ってお星さまの絵本を探したり。保育園で覚えた「じじ かく」(お絵描き)も大好きで、「あま かいて」と似顔絵をねだる。かわいく書いてあげると「あま」とご満悦になるけれど、不細工に書き上がると「ママ」などと他人扱い。

わたしが昨日仕事だったので、昨夜はダンナとともにダンナの実家に泊まりに行ったのだが、「たまちゃん、英語しゃべってたわよ」とダンナ母が驚いたという。Barneyビデオに出てくる歌を口ずさんでいたのだろうか。ビデオの中でマザーグースが歌う一節「I've been around for many many years for very very very long time」に合わせて「メニメニ ベリベリ」と歌っていたりする。アルファベットは「M」に続いて「A」を覚えた。両手を頭の上でぱちんと合わせる動きが気に入った様子。あとは「T」を覚えたら、体文字で「TAMA」を表現できる。

24時間ぶりに再会したたまは、「ママ ママ ママ いい! パパ パパ パパ マメ!」(タ行が弱いので、「ダメ」と言えず、「マメ」になる)と、ママべったりになってしまった。「なんだよ、ママがいないときはパパ、パパって甘えてたのに」とダンナは不服そうだったけれど、ボール遊びなどをするうちに、「パパ いい」となり、トイレへ向かうパパを追いかけて、「たまもいく!」。いつの間にか、片言が流暢な日本語になっている。「たま語銀行」への貯蓄も、ひと月でどっと増えた。

2007年06月22日(金)  マタニティオレンジ134 わが家語
2005年06月22日(水)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学5日目
2004年06月22日(火)  はちみつ・亜紀子のお菓子教室
2003年06月22日(日)  不思議なふしぎなミラクルリーフ
2002年06月22日(土)  木村崇人「木もれ陽プロジェクト」
2000年06月22日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/26)
1998年06月22日(月)  カンヌ98 3日目 いざCMの嵐!


2008年06月21日(土)  親目線で観た劇場版『相棒』

世間のブームからずいぶん遅れて、テレビシリーズ『相棒』に出会ったのは、去年の暮れ。『アテンションプリーズ スペシャル』の本作りの追い込みで深夜に帰宅したときに再放送していたのを偶然観て、一話で寝よう、二話で寝ようと見続けているうちに四話分観て明け方になった。10年ほど前にも同じようなことがあり、そのときはNHKで『Mr.ビーン』をまとめて放送していた。あれも年末だった気がする。

『相棒』再放送は、ゴールデンウィーク公開の映画版の予告も兼ねていて、シーズン6までどっさりあるテレビシリーズをじゃんじゃん再放送しつつ、映画の告知をし、古くからのファンやわたしのような新規ファンに動員をかけていたのだった。封切られた最初の週末にて丸の内TOEIに駆けつけたら「夜まで立ち見です」と言われ、機会を逃しているうちにひと月半あまり経ってしまったけれど、まだまだロングラン上映中。穴場を狙ってJR王子駅近くにある王子シネマへ行くと、場所柄か、上映8週目だからか、余裕で席に着けた。

映画本編は犯人からの犯行予告を読み解く鍵がチェスになっていて、よくぞこれだけチェスネタを捻ったものだと感心する。チェスを少しでもかじっていれば、より楽しめたと思う。東京ビッグシティマラソンが標的にされるところは、計測チップの使い方など、東京マラソン2008に出場した親近感から興味深く観た。世論という見えない暴力への挑戦は面白いが、数年前に実際に起きた出来事と重ねて観てしまうと、そのモデルに感情移入できるかどうかで作品への評価は分かれるだろう。個人的には、世間がなんと言おうとわが子を守りたいという親の心情に乗っかれた。

子どもは生まれた瞬間から自立に向かって歩み出すのに対し、親の人生は子どもが生まれることによって子ども中心に回り出し、手にかけた分だけ、親の中で子どもの存在感は増していく。子どもが成人しても自立しても、親はいつまでも親で、子どもの人生を背負い続け、世界を敵に回しても子を守り抜こうとする。その切なさを思った。そして、世間を騒がせた当事者の親や家族までが不特定多数からの攻撃にさらされるのは、日本以外の国でもあることなのだろうか、日本的な現象なのだろうか、などと考えた。子どもが生まれて以来、映画を観る目線が「子」から「親」へ変換したのを感じる。

親子といえば、一緒に観に行ったダンナが「ここ、もしかしたら……」と場内を見回し、「初めて映画を観に来た映画館かも」と言い出した。幼稚園の頃、『やさしいライオン』という作品を母親と弟とともに観に来たという。娘はTOHOシネマズのママズシアターで映画館デビューは果たしているけれど、自分が楽しむ作品という意味では、はじめての映画はこれからのお楽しみ。何十年も先に思い出せるような作品を見せてあげられるかなあとダンナの実家で留守番をしている娘の話をしながら帰り道についた。

2007年06月21日(木)  マタニティオレンジ133 おおらかがいっぱい
2005年06月21日(火)  『子ぎつねヘレン』ロケ見学4日目
2002年06月21日(金)  JUDY AND MARY
1998年06月21日(日)  カンヌ98 2日目 ニース→エズ→カンヌ広告祭エントリー

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