Title...ハッピィ*デイズ By...あみ      
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旅記24〜チベット自治区・ラサ編(1)〜「宿探しとセラ寺コルラ」
2004年09月30日(木)
旅記24〜チベット自治区・ラサ編(1)〜「宿探しとセラ寺コルラ」

8/9昼。やっとのことでラサに辿り着いたわけですが。
朝方どぶにはまったせいで、ドロドロぐちょぐちょ。
靴の中も半分以上が分けの分からない物質で埋め尽くされてる。
ぬるぬるして歩くのがキツいし、臭いから一秒でも早く洗いたかった。
そんなこんなでやっと辿り着いた宿「キレーホテル」
日本人旅行者の評判もいいみたいだし、チェックしてた場所。
「ドミ空いてますか?」「部屋は既にいっぱいです」「・・・Σ(゚口゚;」
すぐにでもチェックインしてシャワー浴びたかったのに・・・。
ショックを隠しきれないまま、側の水道でとりあえず足を洗う。
靴の中からいろいろな物が出てきて、ちょっとビビる。
しかも何回流しても臭い落ちないし、黒い水が出てくるし。

やっとのことで許せる範囲になって、再度宿探しに出発。
「バナクショーホテル」を通り越してたことに気づかず、
「カダホテル」が見つからず、西洋人が多い「ヤクホテル」をあたるも
ここもドミがいっぱいで部屋が空いてないとか。うきゃーー!
やばいー。チェックしてた安宿がどれも駄目だなんて・・・。
疲れた足を引き摺りながら、次の頼みの綱「スノーランドホテル」へ。
「一番安い部屋!空いてますか?お願い〜〜」って頼み込んだら
偶然ギリギリ一つ空いてたみたいで、助かったぁ〜〜〜〜。
早速部屋に荷物置いてシャワー。やっとこの臭さともお別れだ・・・(涙)
汚れた衣服の洗濯も一気にしたんだけど、Gパンは特に洗いにくかったー。

さてさて。一息ついたらラサ散歩。
ラサは思ってたよりも都会で、人々がイメージするチベットの
イメージとは少しかけ離れてるかもしれない。中国化してて。
でも、やっぱり通りをちょっと入ると、チベットチベットしてる。
地元民はマニマニしながら歩いてるし、すごいいい感じなのさ。
ポタラ宮まで歩いて行って、とりあえず写真だけ撮って帰ってきたり。
バルコルをマニマニに混じって一周してみたり。のんびりしてた。
うちは計画変更してなぜか勢いでラサに来ちゃったんだけど(笑)
ラサに憧れを抱いて来てる旅人が多くて、そういう人なんかは
ポタラ宮を目の前にして感激&チベットに来たっていう実感沸いたりしたって。
すっごい大きいんだよねー。紅宮と白宮のコントラストも綺麗。

心配してた高山病は大丈夫だった。やっぱり気合いだね!(え、違うかな)
来る途中の山で頭が痛くなったくらい。でも、着いたら治ってるし。
飛行機で来た人はもちろんのこと、バスで来た人もしばらくは頭痛とか
気分悪くなって外出れなかったりしてた。多くの人がやられてた。
階段を登るとちょっとでも、すぐに息がきれてハァハァしてしまう。
二階への階段を駆け上がるだけで、疲れて立ち止まってしまう。
この辺はやっぱりここが高地であることを思い知らされるんだよね。

部屋に帰るとうちの部屋は全員西洋人だった(しかもほとんど男)
でもいい人多くて、カタコトの日本語で話しかけてくれたりとね。
後で聞いた話、日本人とか西洋人かためて部屋に入れてるらしく。
なのに部屋が空いてないため、ここに紛れ込んでしまったらしい。
この日は旅人をそんなに見かけることなく、西洋人多いなっていう印象。
7人部屋で、大量のハエがぶわーって襲ってきた(以後慣れる)
もしキレーホテルが空いたら移ろうかなとも考えてたなぁ。

大きな宿にはどこも掲示板があって、シガツェ、サムイエ、ナクチュ、
ナムツォ、ネパール国境、ヒマラヤ山脈ベースキャンプ、などなど
一緒にランクルチャーターで行く人募集してる張り紙ばかりなんだよね。
うちは「天の湖」として是非行くべきだと勧められたナムツォは
とりあえず行きたかった。あとはナクチュのホースレースも行けたら、くらい。
ネパール国境行って、ネパールやインドに行く人が多くて羨ましかったな。
ネパールとインドものすごい行きたいよ〜〜〜。残念。涙。
キレー・バナクショー・ヤク・スノーと四箇所の宿の掲示板チェックして
いい情報が無いか探してた。なかなかピッタリくるのが無いんだよね。

8/10。どっか行こうかなーと思うも、どこも入場料高いんだもんっ。
あとラサは物価が高いと思う。タクシーにしろバスにしろ食べ物にしろ。
でもとりあえずセラ寺に行ってみる。一人で出発、出発〜〜〜。
でも、バス停に立っててもバス止まってくれないんだよね。
手を挙げないと止まってくれないんだけど、恥ずかしがり屋のため
何台か乗り過ごした後、やっとのことで乗り込めた。
セラ寺に着いて、入り口にて。チケット売り場があるのに
地元民とかみんな普通に入場料払わず入ってるんだよね。
あれ?タダなのかな?ラッキー♪と思ってそのままうちも払わず入場。
もしかしてもっと中で払うのかもしれない、と思い常にドキドキ。
そんなことばっかり考えてたので、ろくろく中は見てないんだよね(笑)

お寺の裏山が岩山で、そこに登れそうだから目指していった。
そしたら広い広い岩山があって、石に仏画が描いてある。よさげ。
セラ寺の裏山は鳥葬が行われてるらしいんだけど、もちろん発見できず。
セラ寺の背中、遠くにポタラ宮、下にチベット集落が見えて眺めがいい。
どんどん岩山を登っていった。途中で中国人の家族連れのおじさん達に
「怖くないのかい?」「大丈夫かい?」って声掛けられたりもして。
その後は地元民についていったら、この辺はコルラルートだったみたい。
大きな仏画が多かったり、ヤギいたり、すっごい雰囲気良いルートだった!
で、ルートを辿ってるといつの間にか出口を出てたみたいで。
気づいたら入り口横の所まで戻ってた。まだ中よく見てないんだけどなー。
で、もう一回入ろうとしたら「待って、チケット買え」って止められた。
だから入るのを止めた。あー、やっぱりチケット要るんだったんだ。
知らないまま入っちゃったけど、まぁラッキー♪ということにしとこう。
次回もラサ編。鳥葬の話とか。



旅記23〜ゴルムド→ラサ移動編(後)〜「恐怖の道端トイレ休憩と」
2004年09月29日(水)
旅記23〜ゴルムド→ラサ移動編(後)〜「恐怖の道端トイレ休憩と」

今まで数々の中国トイレを体験してきた。
特に旅行中だとほとんどが有り得ないほどヤバイトイレだしね(笑)
でもゴルムド→ラサ間のトイレ休憩ほど酷いものはなかった!!
だってさぁ、トイレ休憩が道だよ。木も何も無いだだっ広い一本道。
「トイレ休憩ー。男は前面、女は後面!」とだけ言われた。そ、そんな・・・。
木とか丘とかあったらどうにでもなるんだけどね、何も無いもんで。
みんなが一気に降りていくので、壮絶な光景となってました(笑)
しかも追い越していく車やバスの人にばっちり見られてる・・・。
中国人の女の子達もこれにはショックを受けてたなーー。
でもおっさんだらけじゃなくて良かった、ちゃんと若い女の子もいて。
内モンゴルの帰りはおっさんだらけだったから、行きづらいことこの上なかった。
男の人で長居してる人は可哀想だったなぁ。バスのクラクション鳴らされ
早く行くぞーって言われてるし、遅いからみんなに窓から見られてるし。
他にも途中、小さな食堂街みたいな場所でもトイレ休憩あったんだけど
そこは近くに工事中のおじさんとか、地元民みたいなのがいるのに
やっぱり道端トイレ。ばっちり見られてるのに、こんな場所でもかよー。
ここではもちろん遠慮しといたけど。慣れてくるのが怖い怖い。

この辺は5000メートルを超える山が多く、高山病が一番ひどい地域。
高山病の一番の対策は、飲み物を飲んで出して新陳代謝を良くする事なのね。
水、スポーツ飲料、お茶、ブドウ糖を含んだジュース、などなど。
「高山病なんて気合いで何とかしてやる!今までも何とかなったし」
っていう意気込みで挑み、酸素ボンベも薬も買わなかった私にとって
唯一の頼みの綱がスポーツドリンクだったのに、これじゃ飲めない。。。
極力水分取らずに、トイレ行く回数減らしたいからねぇ。

だんだんと暗くなり、綺麗な景色も見えなくなり。
もちろん電気なんてそんなもん点かないから、後はひたすら眠るのみ!
寝てるとだんだん頭が痛くなってくるのね。高山病だ。痛い痛い・・・。
しかもバスが揺れて頭ががんがんぶつかるから、更に痛さ倍増。
ああ、きっと今ものすごい高度の山越えてんだろうなーとか思いつつ。
えぇい気合いでなんとかするぞ!って自分にひたすら言い聞かせる。
夜はそんな感じでうとうとしたり目が覚めたりで、心地悪く寝てた。
しかもさすが高地、寒い寒い!布団をしっかり被ってた。

さて、明け方の5時ごろにバスがどっかの街に止まった。
着いたぞーと言って半分以上の人が一気に降りていくから、
あれ?もうラサに着いたのかな?やばい、急いで降りないと!
慌ててミニリュックを手に取り、寝惚けたままバスから掛け降りる。
外は雨が降ってて、荷物入ってる後ろのトランクに向かって走った。
その時。
「ズボッ!」
「ウギャーー!!!!」
ええ、どぶにはまりました。しかもすごい深いの。
周りの人が冷たい哀れみの目で見てる中、一人叫びだしたい気分。
興奮してつい日本語で叫びそうになったけど、堪えた。
「ア〜ッ!ア〜ッ!ア〜ッ!!(怒)」と唸って我慢。
雨降ってるしベチョベチョ。ズボンも膝上まで浸かったし、
手を突いたから手も汚れた。鞄や服にも散ってたよ・・・。
しかもありえないくらい臭い!!!ヘドロのにおいがする(泣)
泣きそうになるのをこらえて、後ろの荷物を降ろそうとすると
近くにいた乗客のおじさんが「君も荷物をチェックしてるのかい?」とか
「あれ?ここで降りるの?」とか聞いてきた。「ん?」と思って
「ここはラサじゃないんですか?」と聞くと「ラサじゃないよ」だって。
え〜〜〜〜〜!まだラサじゃないの?!急いでバスに戻る。

乗るときに添乗員に「ここじゃ降りないのか?」って聞かれたんで
「私はラサまで行くんです」って答え、ドロドロを隠しつつ戻る。
布団が汚れるのもお構いなく、自分の寝る場所に戻る。
濡れた場所がどんどん冷えてきて、しかも臭いは酷くなる一方。
死ぬほど臭いの。この臭いの原因が自分だってのが辛すぎる。
周りの人にもきっと臭くて迷惑掛けてるだろうなって思った。
特に前の席の人は、頭の下に私の足がくるから本当申し訳なかった。
ちゃんと寝れたのかが心配です。。。
最初は膝立てて足を軽く置くだけだったけど、寒くなってきたから
この際えぇーい!って足伸ばして布団被って眠った。

8/9昼。そろそろラサが近くなってきたみたい。
でもここが本当にラサかどうか全然見当がつかないんだよね。
風景も、街の様子も、チベットと言うより中国のままだし。
やっぱり違う場所に来てしまったのかも、って心配になる。
一生懸命窓の外を見て、ここがラサだという証拠を探す探す。
どんどん不安になってくるんだよね。もう必死(笑)
やっとのことで「LASA WELCOME YOU」の文字を発見し、一安心。
この看板を見るまで、ここが本当にラサだって信じられなかった。
昨日の12時に出発して今日の11時に到着したから、23時間か。
距離の割には時間がそんなかかんない気がする。
やっと到着!心配してた検問は今まで全然無かったから
これは降りるときにチェックがあるのかな、と思って。
ここまで来たのに見つかって引き返すのも面倒いし嫌だなー。
でも予想外なことに検問も公安の人もいなくて、かなり拍子抜け。
というわけで、やっと辿り着いたラサなのでした。
次回はやっとこさラサ編。



旅記22〜ゴルムド→ラサ移動編(前)〜「何故か中国人正規バスに」
2004年09月28日(火)
旅記22〜ゴルムド→ラサ移動編(前)〜「何故か中国人正規バスに」

何を間違えたのか中国人用正規バスに乗ってしまったのだけど。
闇バスで行く気満々だったのに、どこ間違えたんだろうねぇ。
後日ラサの宿で聞いたら、いろんなルートの人がいた。
成都→ラサ 飛行機(1600〜2500元)楽で早いから、大多数これ。
ゴルムド→ラサ 車チャーター(700元)とばして半日で着いたとか。
ゴルムド→ラサ 闇トラック+ヒッチハイク(約700元)
検問を恐れたのか途中で降ろされ、ヒッチで頑張って来たらしい。
ゴルムド→ラサ 自転車(?元)よくやったなぁと感心するばかり。
みんな意外とかかってしまったらしく、うちの値段ビックリされた。
あと、うちの友達も数週間前にラサに行ってたんだけど、
彼も数少ない中国人バスで行ってたツワモノ。しかも全部自力交渉で。
だから190元くらいかな?一番の格安値だと思うんだけどどうでしょう。
チケット買うときも怪しまれて押し通し、バスの途中でも何回も
「本当に中国人なんだろうな?」って念を押されたらしいですよ。
それでも「中国人だ」って押し切って。普通に辿り着いててすごいなー。

8/8昼。ゴルムド→ラサのバスに乗り込んで出発。
乗るとき身分証のチェックあったらどうしようって思うも、無かった。
きっと途中か最後のほうであるのかなーとかぐるぐる考えてた。
絶対そこでバレるよどうしようとか、どこ出身って言おうかとか悩んで。
天津出身ですって言いたいけど、少数民族が多い雲南出身ですって
言った方が、誤魔化しがきくかなって思ったけど雲南方言話せないし。
結局どこ出身かは聞かれなくて、考えるだけ無駄だったんだけどね。
寝台バスなんだけど、今回初めて靴を脱ぐタイプのバスだった。
やっぱり床に痰とかゴミとか撒き散らされるのが嫌なのかしら。
中国の寝台バスと言えば、強烈な臭さで有名(?)だけど、
今回は高地で気温が高くないから、そんな気にならなかった。

昼12時に出発して、昼過ぎ3時くらいに最初の食事休憩。
「これが最後の食事休憩になります」って言われたんだけど・・・。
ラサまで約24時間かかるのに、こんな中途半端なところでなんて。
しかも出発したばかりなのに、最後ってどうなのよとか思いつつ。
でもどうせ一人だから食べないし、私的には無いほうがいい。
バスの中で待ってたんだけど、ここの景色は最高だった。
すぐ真横に雪山があるのね。真横真横、きっとすぐに届きそう。
普通夏の雪山って、山の山頂が白くてそれが見える感じなんだけど
ここのは目の前、すぐ隣が雪なの。そんな高度が高いんだっ!!!
しかも天気がいいから太陽が反射して、雪がキラキラ光って眩しいくらい。
夏でこんなに日差しが強いのに、こんな近くで雪が見れるなんて。
しかもここだけじゃなくて遠くまでずっと続いてるんだよね。

日本人だってバレたらすぐにでも追い返されそうだから、
極力頑張ってた。ヒマワリの種食べながら編み物したり新聞読んだり。
途中「窓が開かないから手伝ってくれない?」とか
「寒いから前の窓閉めてもらっていいかな?」とか
「どこまで行くの?ラサ?」とか聞かれたときはドキドキものだった。
聞き取れなかったり発音違うと、怪しまれるんじゃないかと思って。
他にも軽い会話をしたけど、頑張って中国人を装いなんとかクリアした。
途中ずっと綺麗な景色が続いてて、写真撮ろうと思ったけど
いかにも観光客かなと思って撮るのやめた(用心しすぎ)

途中で窓から見えたご飯屋さんの看板に「臨夏」って書いてあって。
このバス実は、ラサに行かずに四川方面に向かってるのかもって思う。
バスのフロントガラスににも「○○→ラサ」って書いてあるんだけど
○○の部分がゴルムドじゃないのね、四川あたりの地方の名前で。
やばいーー乗り間違えたかも!って本気で思って、心配する。
他の人に聞いてみたいけど、下手に怪しまれてもいけないと思い
ラサに着くまで不安を抱えながら過ごしたのでした。
次回もまだ移動編、恐怖のトイレ休憩。



旅記21〜青海省・ゴルムド編〜「ラサに如何にして闇で入るか?」
2004年09月27日(月)
旅記21〜青海省・ゴルムド編〜「ラサに如何にして闇で入るか?」

8/7夕方。西寧→ゴルムドの夜行列車に乗る。
途中で中国で一番大きな湖・青海湖を眺めながら、日は暮れていく。
硬座だからあんまり熟睡できないー。人ぎゅうぎゅうだし。
周りの子供が騒いでるし。前回に続き寒かったーー。やっと朝になる。
車窓の景色はだんだん砂漠になって行き、何もなくなってくる。
移り変わりが本当にはっきりしてた。ゴルムドは砂漠の中にある街だから。
何も無いところなんだけど。「ラサへの入り口」のためだけの街。
すごい可愛い赤ちゃんがいたんだけど「どこでもウ○○くんパンツ」
(中国の子供は全員穿いてる、切込みが入ってるズボン・パンツの事ね)
穿いてたもんで、いつの間にか母親の膝の上で漏らしてて大変だった。
向かいに座ってて、あー可愛いなーって思ってたんだけどねぇ。
多分この日がアジアカップの決勝戦だった気がする。中国対日本の。
移動中だったからもちろん見れるわけも無く、残念無念。
列車の中でサッカー特集の新聞読んで、想像を膨らませてた。
その新聞はなかなか記事が面白く、よくあるような日本を批判する
ばっかりの書き方じゃなく、中立の立場で書いてあったのが印象的。

8/8朝。ゴルムド駅に到着。
さて、どうやってラサに行くかが問題だ。
外国人がラサに入るには「入境許可証」を取得して、
ラサで三日間のツアーに参加しないといけない。なんとも面倒なのだ。
しかも一人1660元だなんて、成都から2000元位で飛行機で来るのと変わらないし!
だから、ゴルムドから正規で行く人なんてあんまりいないんじゃないかなぁ。
闇バス・闇トラック・車がかなり流通してて、利用してる人が多い。
まぁ闇だから足元見られてて、これもそれなりに高い気がするんだけどね。
方法はいろいろあるし、ゴルムドに来たら何とでもなる気がした。

こんなことを考えながら駅の出口を出ると、早速来た!
「Go to Tibetー」「ラサー」なんてひたすら声掛けられた。
うちのバックパックとか姿がいかにも旅人だったからなぁ(笑)
早っ!とか思いつつ。闇だからもっとこっそりやってるのかと思ってたのに。
駅出たとたん、行き成りこんな呼び込みがあるとは思わなかった。
無視してたけど、さっき声掛けてきた二人組みがひたすらついて来て。
「どこの国の人?」って聞かれて「(苦笑い)中国人です」って答える。
中国人だと許可証要らないし安いから、日本人ってバレない方がいいと思って。
「うそだ〜〜本当に中国人?見えないよ。なに人?」「ちゅ、中国人です・・・」
(中国人ぽいって今までよく言われてたのに、見分けるとはさすがプロだねー)
そんな押し問答繰り返してるうちに、やっと日本人だと認めてしまう。

最初は闇バスや車チャーターを勧められたんだけど、値段が高いから断った。
「じゃあ中国語話せる?」「話せます」(さっきから話しとるがな)
「うーーん、よし分かった。中国語話せるなら○元でいいよ」
「ちょっと考えさせてください」「昼の12時出発だから調度良いよ」
この値段は闇バスとしては相場よりも全然安いし、ちょっと迷った挙句
“よし、行っちゃえー”という結論に至る。「分かりました!」
「同じ値段でトラックとバスがあるんだけどどっちがいい?」「バスで」
闇トラックは寒いしキツいことこの上ないらしいから、パス。
するとタクシーに乗せられ、バスターミナルまで連れて行かれる。
「成都→ラサ」「蘭州→ラサ」など、長期バスがたくさん止まってる。
ここで少し「あれ?」と思ったけど、重大なことにまだ気づいていなかった。
バスのトランクに急いで荷物乗せて、チケット買うために先払い。
「チケット買ってくるからここで待ってて」って言われ、待ってる。
やっと戻ってきた。貰ったチケット見て、さっきからの不安が現実に。
「これって正規バスじゃないか・・・?」( ̄□ ̄;)!!
外国人用のじゃなくて、入境許可証いらない中国人専用の正規バスね。
「どこの人か聞かれたら北京って答えるんだよ」
「あと、絶対に喋らないこと!気をつけてね」
「小さい鞄はリュックにしまって」
「あ〜帽子なんて被っちゃダメだよ、戻して戻して」
などなど細かなアドバイス(?)をもらい。
「お腹がすいてるでしょ、ここの店で食べたらいいよ」と
バスターミナル横の食堂を紹介される。いや、別に今お腹空いてないし・・・。
「ほんじゃ、また別の人紹介しないといけないから戻るね。
絶対に喋っちゃダメだよ。気をつけてね。さようなら」
といって、ここまで案内してくれた人は去っていった。

一人になると、だんだん頭が働いてきた。
いやいやいやいや、ヤバイって。本当にこれ大丈夫なの?
検問あるし、中国人の身分証見せろって絶対言われるよ。
まだ作ってないのにー(実はそのうち作ろうと思ってる/笑)
しかもチケット200元だったから、いくらかは手数料(?)取られてたし。
まぁ、そんな多くなかったからいいけどさぁ。。。
でももし失敗したら払ったお金が無駄になるし。不安。
とりあえず高山病対策のスポーツドリンクと、長距離移動にかかせない
ヒマワリの種を買い込み、茶碗一杯だけチャーハンを食べて準備。
朝方に着いたから、出発の12時まで少し時間があって暇。
でも丁度良く出発できてよかった。ゴルムドは本当に何も無い都市だから
ここで一泊なんてタイムロスしたくないし、しても見るところないし。
やっと12時になり、寝台バスに乗り込んだのでした。
次回はラサまでの移動編。



旅記20〜青海省・西寧編〜「山越え終了!8元の招待所に泊まる」
2004年09月26日(日)
旅記20〜青海省・西寧編〜「山越え終了!8元の招待所に泊まる」

8/6。朝5時起きの予定だったのに、目覚まし無意識に停めてたらしい。
5時半に目が覚めて、ビビる。やばっ!って思って急いで準備して出発。
6時出発のバスなんだけど、宿からバス乗り場までが遠いんだよね。
荷物重いし相乗りタクシー乗ろうと思ってたのに、タクシーの方から
声を掛けてくれなかったので、結局最後まで歩いて行ってしまった(小心者)
ばかー自分!!でもギリギリ間に合った。ふぅ。疲れたよーーー。

にもかかわらず、出発は30分以上遅れたんだよね。
というのも、チケットの無い人が大量に乗り込んできて。
指定席制なのに何食わぬ顔で人の席に座ってたり、床に座ってるから。
バスの運転手も、お金払ったら普通に床とかに乗せてるからね。
で、10人ぐらいの団体が来るのが遅れて、その人達が来ないと思ったのか
チケットない人大量に乗せたら、団体が遅れてきて揉めに揉めて。
結局チケット無い人は全員降ろされて、ごたごたしたまま出発。
しばらくしたら「ププー」ってクラクションの音が聞こえる。何だ?
タクシーに乗ってチケットない人が追いかけてきてた。そこまでするか!!
駄目って言ってたけど、結局その三人を乗せてあげて、再出発。

バスのほぼ全員が地元民で旅人なんていない・・・。
カウボーイハットのつばを伸ばしてて、まるで麦わら帽子みたいなおじいさんとか。
(意味ないじゃーんって思ったけど、これも様になっててカッコイイ!)
みつあみにカラフルな紐を巻き込んでる、民族衣装のおばあさんとか。
チベット語で何話してるか聞き取れないし。うち一人紛れ込んじゃってるよ!
途中何回も故障でバス止まる。結局ちょっと待ってろって草原で降ろされた。
バスは修理する場所に一旦行ったみたい。でもこんな所で置き去りにされても・・・。
菜の花の真っ黄色な花畑があったので、一人で遊んでた。綺麗綺麗!
そんなこんなしてるうちに、やっとバス戻ってきた。ふぃーー。

故障のため予定より遅く、10時間くらいで西寧に到着!!
成都から山越えルートで頑張ってきて、やっと辿り着いたー。長かった。
毎日10時間くらいバスに乗ってるのに、移動だけで5,6日はかかったね。
西寧というと、旅人の西寧くんの住んでる所。
「連絡くれればうちに泊めてあげるよ」って言われてたけど、
バスに乗ってなかった所をみると、うちの方が先に着いてしまった模様。
そこで早速宿探し開始。ガイドブックに乗ってた20元の宿に行ってみる。
しかし!30元とか値上げしてたし、旅人も少なそうだから泊まるの止めた。
駅前に行って客引きにでも引っかかるか、と思い歩いていく。

駅前もパッとしてなくて、客引きもいなかった。
宿は安そうな所でも50元とか80元してたし、どうしよっかなーって。
駅に着たし、ついでにゴルムド行きの切符の様子を見てみる。
宿代浮かせたいし夜に着くのは面倒なので、夜行列車を探す。
するとちょうどいいのがあった!明日の夕方出発であさっての朝到着する汽車。
しかも硬座の切符ならすぐ買えたので、即買ってしまった。よし順調!
そういえば「西寧→ラサ」の長距離バスも見かけたんだけど、
ゴルムドから入ったほうが安全ぽいので、それには乗らなかった。
重い荷物をどうにかしないといけないので、またも宿探しに戻る。

うろうろしてたら安そうな招待所発見して、とりあえず見てみる。
宿のおじさんのノリが良かったし、ここに泊まることに決めた!!
すると、なんと一泊8元というありえなさ。一瞬自分の耳を疑ったよ。
登記するので身元とか書いたんだけど、ちゃんと「日本」って書いたのね。
名前もいかにも日本人名前だし。なのに「省」の所も書いてって言われたから
一応「天津市」って書いたら、「そっかー天津の人なんだ」だって。
親戚が天津にいるとかなんとか話しだして。普通に中国語で受け答えしてた。
分かった。なんかさー、おじさんうちの事中国人だと間違えてる気がする。
絶対間違えてるって!!!名前とか出身とかちゃんと見てないでしょ!?
思うに、外国人だとこんな8元の招待所泊まれない気がするんだよね。
だから、だんだん「日本人だとばれない様にしなくちゃ」って思い始めた。
「何勉強してるの?」って聞かれても「中国語」って言えなくて
「国際経済とかー財経関係を」って言っといた。間違ってはいないよね(笑)
部屋はボロイし宿にシャワー無いのに、なぜか一人部屋でミニテレビがあった。
でも宿のトイレはドアにガラスの窓がついてて、普通に外から見えるから
すごい落ち着かなかった。近くに人いるしー。あ、もちろん溝トイレね。

適当にバスに乗って、地図を見て目的地近くで降りたら歩いて探す。
有名な市場に到着しました。物価が天津より安いから買い物楽しい〜。
といっても、見てるだけで何も買ってないんだけどね。
「真清」っていうイスラム料理屋さんをたくさん見かけた。
白い帽子被った回族(イスラム民族)も結構いるから、お店も多い。
薄皮本場ワンタンがあって、身がプリプリで美味しかった〜〜vv
あと、おわんに入ったカスタードプリンみたいなのがあって、
何かと思ったらヨーグルトだった。「これは何ですか?」って聞いたら
「ヨーグルトだよ、知らないの?」って言ってて、食べてたら後ろの方で
「この子これがヨーグルトだって分かんないなんて、地元民じゃぁないね」
とか噂されてた。0.2元ぼったくられたような気もするけど気のせいかな。
というわけで、帰ってゴロゴロして就寝。

8/7。西寧の朝。
宿のおじさんが荷物置いていってもいいよって言ってたけど、
日本人ってバレたらなんかその後が怖いので、早めに宿から逃げ去る。
駅に荷物預けて、またも適当にバスに乗り街に遊びに行く。
昨日は見つけられなかった、大量に食べ物やさんがある場所発見。
客引きもいっぱいでどれ食べるか迷う〜。「最もおいしくない料理屋」
みたいな看板のお店があって、え?と思ったけど、結構人入ってるんだよね。
でもそこでは食べず、別の普通の所で食べる。食後にゴマ団子もv
洋服もすんごい安売りしてたんだけど、デザインが駄目だ〜。
この辺はDVDよりVCDが一般的みたいで、音楽VCD買い込む。
観光地は時間無いし、控えめにしといた。
そういえば。買い物をしてるとき、子供に何回もカバンを開けられた。
中国で買ったミニリュックだったから、チャックがスムーズでなくて
開けられたことに気づいた。ムカついて、睨んで別の店に行ったらついてきてて
また2回くらい開けられた。しつこくて、いいかげんにしてよ!って感じ。
その後、おじさんが「子供がカバン開けてたから気をつけたほうがいいよ」
って注意してくれた。気をつけてないとすぐ盗まれちゃうんだよね。
というわけで夕方になり、列車に乗り込みました。
次回は列車移動とゴルムド編。



旅記19〜甘粛省・夏河編(後)〜「お坊さんやチベタンと仲良くなる」
2004年09月25日(土)
旅記19〜甘粛省・夏河編(後)〜「お坊さんやチベタンと仲良くなる」

8/5。さて、朝はのんびり起きてメインのラプラン寺へ。
ラプラン寺はお坊さんがガイドしてまとめて周るみたいで。
お坊さんが中国語で一つ一つ丁寧に説明してくれたんだけど、
宗教用語・専門用語だらけの上、早くて聞き取るのが難しすぎ!
途中で西洋人の団体・英語ガイド発見したのでそっちに乗り換える。
といっても英語も専門用語多すぎて、聞き取るの大変だったけど。
ガイドや説明があると、何も知らないで見るより面白いんだよね。

仏像や壁画あったり。ヤクバターで作ったバター塑像があったり。
綺麗にできてるんだよね。すごいバターっぽい匂いが部屋に充満してた。
西洋人の人は質問大好きなので(笑)進むのが時間かかった。
でもじっくり見れたし、今日は時間たっぷりあるんで良しとする。
見終わったあとは、自由行動だって。せっかくだからうろうろ。
で、気づいた。ここっていろんな所から普通に入れるんだよね。
横も、後ろも、何箇所も道路と繋がってるから。門も何も無いし。
入場料払わなくてもいけるじゃん!なんて一瞬思っちゃったけど、
あー、だから全員ガイドで見るようになってたのかもね。

メインの本堂以外にも沢山小さなお寺があるから、覗いてみた。
そしたらお坊さんがいて、軽く話しかけられて、そのまま雑談。
お坊さんのんびりのんびり過ごしてたけどそれでいいのかしら(笑)
「まぁ座って座って。お茶でも飲んでいってよ」っていうから。
ガラスのコップにお茶っ葉入れて、お湯を継ぎ足していくんだけど
何口か飲んで、五分の三くらい残ってるのにまた継ぎ足していくの。
こっちの礼儀なのかな、縁までいっぱいに入れてくれてた。
わんこそば状態なので、合計するとかなりの量飲んだ気がする。

三人お坊さんがいたんだけど、一人は中国語が話せた。
残りの二人はチベット語しか話せなくて、通訳してもらった。
置いてあった「パン食べなよ」って貰ったんだけど、ぱさぱさっていうか
ぼろぼろとこぼれる感じの、いかにも地元の手作りっぽい食べ物だった。
すっごいおいしいって訳ではなかったけど、嬉しかったなぁ。
お茶とパンと、自分達の文化でそのままもてなしてくれたから。
すごく良い人たちで、長い間ずーっと話し込んでしまった。楽しい!!
留学に来てるとか一人で旅してるとか言うと、ひえーって驚いてて。
写真一緒に撮ろうよって、それから現像したら送ってねって言われた。
ありがとうございます。離れがたかったなぁ。

その後、またマニマニ回って近くの黄金の塔へ行く。
本当は入場料いるんだけど、入っていく人がいたからついて行ってみる。
チケット買ってないけど、さりげなく紛れ込めるかもとか思って。
そしたら入り口でやっぱり止められた(笑)恥ずかしいー。
でもそのお坊さんと話してるうちに「入っていいよ」って言われちゃったv
やったーラッキー。塔の上からの眺めはすごく良かったのだ。

バスターミナルに明日の西寧行き切符を買いに行き、その後買い物。
地元民が被ってるチベット帽子(カウボーイハットみたいなやつ)欲しい!
そこでいろんな店で交渉して、一番安いところで買うことにした。
安さに負けて小さいの買ってしまって、ちょっとだけ後悔気味。
でも旅人っぽくていいじゃん〜ってお気に入りで、ずっと被ってた。

夕食は迷った挙句、昨日の晩・今日の朝と同じところに行った。
その方が人と知り合うきっかけにもなるしと思って。
「重い荷物を抱えてうろうろしてるか、一人で寂しそうにご飯食べてると
地元民が話しかけてくれるし、仲良くなれる」っていうあみ的方法。
そしたらやっぱりうまくいったよ。ビンゴ!
いっつもそこのご飯やさんにたむろしてる人達と仲良くなった。
運転手とかやってる人達かな、7、8人くらいに囲まれた。
せっかくなのでご飯食べながらいろいろお話しする。
旅先で出会うお兄さん&おじさん達はよくしてくれるので、有り難い。

ご飯後に「家に遊びにおいでよ」って言われたので着いて行く。
すると3人のチベタン(中国人でなかった)は近くの宿へ入っていく。
「ここに住んでるんですか?」って聞いたら「違うよ」って言うし。
ん?とか思って。突き当たりの部屋の鍵を開けてもらってるとき、
「知らない自分達について来て、心配とか恐れはないのかい?」とか
「これからちょっとした活動をしよう」とか言われた。
「全然大丈夫だよ」って答えたけど、一体何するのさ?
しかもそんな事言われるとかえって心配になってくるじゃん!!
するとドアが開いて、中の部屋はビリヤード場だった。ホッ。
ビリヤードは赤白玉の日本でなじみ薄いやつと、数字のと二種類した。
3人ともすんごい上手いんだもん。うちの下手さが際立つ・・・。

その後「今晩うちに泊まりにおいでよ!」って誘われた。
でも宿決まってたし、何より「外泊禁止令」が出てたのでお断りした。
(前回大理でおじさんの家に泊まったら後で怒られたのだ〜 ><)
めっちゃ何度も誘われて、断るの申し訳ないくらいだったんだけど。
「仕方ない、じゃあ遊びにおいで」って言われ、家に遊びに行った。
友達のチベタンも何人か集まって行ったんだけど、なかなか良い家。
ヤクミルクホットみたいなの出されたけど、マズイ(泣)
チベット語教えてもらったり、日本語教えてあげたりして盛り上がる。
一人女の人がいて、彼女は中国語全く話せなくてチベット語のみ話してた。
やっぱり中国語(漢語だからね)話せない少数民族多いんだよね。
別の人に「明日、草原に連れてってあげるよ!!」って言われたけど残念。
バス切符買ってるから明日朝もう出発しないといけないんだよね。
せっかくなのに、行かないでよってすごい引き止められた〜。

うち以外は夜ご飯まだ食べてなかったし、一緒にご飯食べに行く。
水餃子なんだけど、中身が羊肉で食べたことの無い味だった。
チベット音楽のVCD流して、みんなで歌って騒いでた。
字幕もうねうねしたチベット文字だから全く読めない!!
その後帰るって言ったら、タクシー停めてくれた。びっくり。
でもすぐそこで、歩いて1分で着くから(笑)断って。
宿の部屋まで送ってくれた。「こんな所なんだ・・・」って驚いてた。
本当に、別れが残念みたいで。もっと早く出会ってれば良かった。
今後も携帯に電話するからねって言われて。(本当にかかってきたし)
チベタンのお兄さん方と女の人。いい友達になれたって思うよ。
また会えたらいいなって思う。ありがとうございます。

次回は西寧編。やっと山越えが終わったぞー。



旅記18〜甘粛省・夏河編(前)〜「ここが本当のチベットかもしれない」
2004年09月24日(金)
旅記18〜甘粛省・夏河編(前)〜「ここが本当のチベットかもしれない」

8/4。朝5時起きで、6時に若爾蓋→合作のバス出発。
なんとバスの中で西寧くん等に遭遇!!黄竜に続き二回目だよ、びっくり。
あれー車チャーターじゃなかったっけ?とか思いつつ。行き先も同じで。
というか、バスがなかなか出発しなくて。なんか揉めてるの。
長距離バスは指定席制だから、大抵前日に切符買うんだけど
座席番号23番の人が3人もいて(なぜー!)だから揉めてたみたい。
可哀想に、椅子も無く床にずっと座ってた人もたくさんいた。

いつもの如くバスが故障。
で、いつもの如く運転手さんが頑張って直します。
バスの下から「カーン、カーン」って打つ音聞こえてくる。。。
どんな古典的方法なんだよってツッコミ入れてたのにそれで直ってた。

合作についたらすぐにバス乗り換えて夏河へ。
成都を離れて以来、どの都市もマイナーすぎてガイドブック載ってないの。
とりあえず全国地図を見て、上の都市へ上の都市へって感じで旅してきた。
今思うとよく辿り着けたよなぁって感心してしまう(笑)
街の地図も持ってない所ばっかりだし、本当に手探り状態。
郎木寺(ランムースー)って所も良いよって聞いてたんだけど
場所がわかんなくていつの間にか通り過ぎてたみたい、残念。

夕方前に夏河に到着!!!若爾蓋から10時間くらいかかった。
ここまでの景色もすごく良かった。世界の車窓からっぽい(笑)
オーストラリアのエアーズロックみたいな風景が続いてるの。
なんか、赤い岩肌や丘が見えるし。中国っぽくなかった。
夏河は他の人の「旅行人」デジカメで地図メモってたから、
旅人が多く宿泊してるらしい「ラプラン寺招待所」に行ってみる。
近いだろうと思って歩いていくと、すんごい遠くて疲れ果てた。
荷物重すぎるってば。歩いても歩いてもまだ先なんだもん。
やっと辿り着いた!と思ったらガラガラの宿泊所…(−−
そんなんだったらバスターミナル前の所に泊まればよかったかもー。
旅人に出会いたかったから、ここまで歩いてきたのにさぁ。
シャワー無いけど10元という激安さだったから、良しとしよう!!
ベットの硬さと布団の汚さも、気にしない気にしない。
名前の通りお寺が経営してるっぽくて、お坊さんが服務員だった。
日が暮れるまでにまだまだ時間があるから、散歩に行くことにした。
(中国広いのに北京時間で統一してるから、この辺はズレが出てくるのだ)

ここ夏河は四川省のチベットだから、すっかりチベット文化圏なの。
街を歩いてる人はチベタンとか地元民、赤い袈裟を着たお坊さんばかり。
ぶらぶらしてると、面白いもの発見。
お寺囲んで、ずらーーっと向こうの向こうまで続いてるマニ車があった。
「一周するには一時間以上かかる」とのこと。とりあえず挑戦してみる。
グルグル回しながら歩いていくんだけど、だんだん適当になっていく(^^;
地元のチベタン達が一生懸命回しながら歩いてるんだよね。
ちゃんと一個一個丁寧に回していってるのがすごいなって思った。
それがここのマニ車大きくて重いから、回すのすごい疲れてしまう。
いつまでたっても終わりが見えなくて、本当に長い長いマニ車だった。
一周するのは、ちゃんとしたら絶対2時間以上かかると思う。
さっと周るだけでも1時間はかかるな。ずっとマニマニしてた。

街が一望できる小高い丘があったので、そこに登る。
丘の上には中国人観光客とかお坊さんもいて、のんびり景色眺めてた。
確かに街が一望できる!!!素敵だった。こじんまりしてる街で。
お寺の周りとかチベタンの家は砂とか石で出来てる感じなの。
すごい異国情緒あふれてて、ラサよりもチベットっぽかったのは確か(笑)
旅を終えた今思うのが、夏河が本当のチベットだったのかもねってこと。
いや、何て言ったらいいか分かんないけど、人々がイメージしてる
「チベット」にかなり近いんじゃないかって思うんだ。
場所的にはチベット自治区の外側だけど、変わんないと思う。
丘を降りてぶらぶらしてると、黒豚がうろうろしてた。
うわー。可愛い!本当に色が黒かったから、じっくり観察してた。

夜はご飯食べて宿に戻ると暇ーー。
他の旅人いないし、宿に一人ぽつーんとしてる。
一人旅中はたまにこんな一人ぼっちの夜があって、寂しいんだよね。
他の旅人がいるときは、大抵おしゃべりしてあっという間なんだけど。
一人になるといろいろ考えて、考えすぎて孤独になってくるから駄目。
ひたすら日本に向けたポストカード書いたりして過ごしてた。
明日はラプラン寺観光だ!という訳で早めに就寝。
次回も夏河編。珍しい友達が出来ました(笑)



旅記17〜四川省・若爾蓋編〜「花が咲き乱れる草原が10時間」
2004年09月23日(木)
旅記17〜四川省・若爾蓋編〜「花が咲き乱れる草原が10時間」

8/3。松藩からバスに乗り込み、若爾蓋/ゾルゲに向け出発。
若爾蓋は中国名「RuoErGai(ルォアーガイ)」、
日本名「ゾルゲ」っていう場所。←ガイドブックごとに微妙に名前違う。
出発後の様子はというと…10分後に故障して道端で修理してた。
てか、今までの旅で学んだ事があるのね。
「中国の長距離バスは毎回必ず何かしら問題が起こり、
三回に一回は必ず故障で足止めを食らう!!!」
間違いない。本当にいっつも故障ばっかりでさー。慣れたけど。
バスに乗ってる人は地元民ばっかりで、ついでに隣の席のおじさんの
腰にぶら下げてるナイフが、こっちに当たっててゴツゴツしてた。
うちは先日買った毛糸で編み物したり、うとうとしたりしてた。

しばらくしたらすぐに草原に出たのね。そっから若爾蓋/ゾルゲまで
ずーーっと草原が続いてたんだけど、本当に最高だったなー!!!
花が咲き乱れて(まさに咲き乱れるって言う表現がぴったりなのさ)
ヤクや羊が放牧されてて、のんびり草食べたり駆け回ってるし
バスが通り過ぎるたびに、地元の民族が普通に手を振ってくれるし。
正直、こんなキツいルートなんでとったんだろって思った事もあったけど
その考えを覆すくらい、綺麗な場所だったのね。穴場っぽいし。

そいえば、麗江の後、シャングリラ、リタン、カンディン等のルートで
成都に上がろうと思ってたんだけど、高山病がやばいらしいし
夏なのに雪が降ってるくらい寒いので、一人では行かない方がいいって
言われてそのルートは中止にしたの。そこも本当花畑が綺麗らしく、
旅ツウの間に伝わる密かなオススメルートなんだけどね。
そこで見れなかった分、ここで十分見れたのかなっていう気もするんだ。

黄色・ピンク・赤・紫・白・青・などなどありとあらゆる種類が咲いてて。
しかもまとまって咲いてる場所は、目立っててすごい華があるの。
黄色なんて本当に光ってるように見える。ぶわーーーって咲いてるから。
ラベンダーの大群は、富良野なんて目じゃないよなって思ったし(笑)
草の緑色が見えなくなるくらい、花だらけの場所もあった。
ずっと窓見てても飽きないんだよね。移り変わりが多いし見とれてしまう。

その時の旅ノートに、こんな言葉が書いてあったから抜粋。
「中国の景色No1が九塞溝でNo2が黄竜なら、No3に入ると思った。
こんな無名なところでも良い所あるんだね。」
その後もっと綺麗な場所あったから若干ランキング下がったけど、
その時はこんなに感動してたらしいです、自分。うん、良かったなぁ。

10時間弱で若爾蓋/ゾルゲに到着!
小さな町だけどよさげな所だった。ここもまた四川省のチベットだし。
適当に招待所探して泊まったら、アイルランド人と中国人の旅人が同室だった。
で、一息ついたら町の探検に出発。日差しが強い〜。
タクシーやバスなんて走ってなくて、移動手段は三タクだけだった。
まぁ、小さいから町の端っこまで歩いていったんだけどね。
町の外れに小さなお寺があって、覗いてみたらまさにチベット寺。
達扎寺と呼ばれるチベット仏教ゲルグ派(黄帽派)のお寺だって。
赤い袈裟来たお坊さんがたくさん歩いてるし、小坊主可愛いしvv

その近くのチベットの村落にも遊びに行った。普通に人が生活してる。
うちみたいな観光客いないから、物珍しいのか少女に話しかけられる。
訛ってて聞き取るのが難しかったけど、しばらく会話して遊んだり。
川沿いの石の上でぼーーっと座って時間を過ごした。
目の前ではヤクが放牧されてて、もしゃもしゃ草はんでる。
ヤクやチベット犬に近づかれて、ギクッて固まったり。
「来ないで来ないでっ」って心の中で思いながら知らないふり。
両方とも意外と危険だったりするんだよね(笑)
ヤクは黒いのに顔だけ白くて、骸骨みたいなやつを多く見かけた。
もしくはパンダ顔っていうのかな。なんか可笑しいのー。
川を一列になって渡ってる姿が、なんだかほのぼのしてた。
空が真っ青で、本当にこの日は天気が良かった。緑も映えてるし。
ただ、小バエがものすごい頭の周りをうろうろしてるのね。嫌〜。
さっき話した子供も、めちゃめちゃハエにたかられてたけど
なんか数時間すると、だんだん気にならなくなってくるんだよね。
歩いててもずっとついてきて、うぎゃーって思ってたけど。

夜はたまたまご飯やさんのテレビでサッカーの試合を見かけ、
なんか青いユニだったから日本かも?と思ったら本当に日本だった。
わーアジアカップの試合じゃん!と思って宿に帰って観賞。
今回の宿は珍しくテレビがついてたのだ!おぉ〜〜。(かなりレア)
結局試合を見れたのは最初で最後だった。決勝見たかったな。
部屋で一人「あっ」「うわー」「よっしゃ」とか叫んでた。
中国人の子の反応が冷たかったけど、一人で盛り上がる(笑)
ハラハラさせられたけど、結局勝ったので嬉しかった。
そんなこんなで満足しつつ眠りました。
次回はチベット色が強い夏河編。



旅記16〜四川省・松藩編〜「ホーストレッキングはしなかった」
2004年09月22日(水)
旅記16〜四川省・松藩編〜「ホーストレッキングはしなかった」

8/2。川主寺で一泊したんだけど、交通の便利な松藩まで戻ることに。
それがバスも何も無いので、タクシーで行くしかなくって。
何台か交渉したんだけどタクシーの運転手ぼりまくり。
どの運転手も高い値段じゃないといかないって言ってて、困った困った。
何台も交渉した挙句、やっとのことで乗り込み出発。
行き先が同じだったから、まだ韓国人の子と一緒に行動してた。
松藩で、運転手にホテル紹介してもらったんだけど、
あきらかに高級ホテルで、韓国人の子が値段交渉してて。
何元が何元になったんだけど、ここでいい?って聞かれたんだけど。
「高いから嫌だ」って言って、だんだん不機嫌になる自分(笑)
うちが事前に調べてた宿に行くことにして、探してる途中に
別の宿も覗いてみたんだけど、その子達曰く「汚いから嫌〜」らしい。
そんなん言ってたらうちと旅行なんて出来ないよ?(ニヤリ)
結局、探してた安い賓館が見つかってそこに泊まったんだけどね。
二人はあんま満足してないっぽかったけど、うちは勝手に手続きしてた(笑)

韓国人の子達は、ここでホーストレッキングするらしく、
うちも誘われて正直かなり迷ったんだよね。楽しそうなんだもん。
しかもここホーストレッキングの有名な場所らしく、皆やってるし。
道端にトレッキング帰りの馬がたくさん歩いてて、馬の街だった。
その子達は、ホーストレッキング後のルートがうちと似てるから
もし一緒に馬乗ったら、その後も暫く一緒に旅できるのね。
でもチベット・新疆まで行かないと行けないから、急ぎ足なのさ。
あと、値段も結構高いかなって思ったんだけど、実は安かったらしい。
馬に乗って遠くまで行って食料宿泊ガイド他込みで、1日100元(約1400円)。
その時はめちゃ高い!って思ったけど、よくよく考えたら安いと思う、うん。
その子達は3泊4日で、近くの景色が綺麗な場所まわるんだって。いいなぁ。
後ろ髪を引かれつつ、駆け足で一人先に出発することにした。
明日の“若爾蓋/ゾルゲ”までのバス切符買うも、工事中で遠回りするから
時間も料金も増えててちょっとショックだった。うーーん。

街で買出し&散歩。
バスの中で食べるおかし(いつも安さに負けて不味いの買っちゃう)とか
長時間の暇つぶし用毛糸(マフラーでも作るか!と思い立った)とか買う。
ホーストレッキングの馬が水を飲んで休む、小高い丘の上に登って
街を一望したり、豪勢な屋根付き橋を発見したり、遊んでた。
松藩は街自体工事してて、伝統的街並みを新たに工事して「作ってた」。
どうなんだろとか思いつつ、多分観光客これからもっと増えるんだろうなって。
その後は、部屋に帰ってマフラー用の鈎針を自作する。
買おうと思ったら売ってなくて、仕方ないから自分で作るか!ってね。
割り箸をナイフで削って、「し」みたいなの形にするんだけど
途中勢い余って切りすぎたのが何個か。結局満足いくの出来上がり☆

夜は懐かしい電話かかってきて、嬉しい知らせがあった。
なんていうかね、忘れられてないんだっていう希望かな。
その希望のおかげで、今後もきっと頑張れるって思ったんだよね。
でも携帯の料金無くなっちゃって、慌ててカード買いに行く。
天津以外じゃ買えないと思ってたのに、普通にすぐ買えたから驚いた。
九塞溝から一緒だった、韓国人の子達とも今晩が最後。
別れは悲しいもんです。

次回は草原が続く若爾蓋/ゾルゲ編。



旅記15〜四川省・黄竜編〜「高地にて、頑張れヒッチハイク」
2004年09月21日(火)
旅記15〜四川省・黄竜編〜「高地にて、頑張れヒッチハイク」

8/1。九塞溝から、朝早く黄竜に向け出発!
しかしバスチケット売り切れ、人が多くて乗れないの。えーー。
すごい困ったって思ってたら、個人のおじさんが話しかけてきて。
交渉の結果4人で割って、車で行く事になりました。
(たまたま日本人のカメラ好きの人、一人見つけたのですーー)
4人いたら値段もそんなに変わらないし、車だと早いしね。
ものすごい勢いでぶっとばし、カーチェイス状態だったという。

黄竜には宿が一箇所しかなくて、しかも高級系ホテルだし、
荷物預ける場所も無いって運転手さんが言ってたので、
途中の川主寺で宿チェックインしてから、黄竜へと。
旅行人に「途中にスイスのような景色が続く」って書いてあったけど。
本当にスイスのような、美しい山々が続いてるんだよね。
ここも高度が高いからちょっと寒くて、雪山がすぐそばに見える。
バスじゃないから、途中で車止めてもらって写真撮ったり。
ヤク(牛)がいっぱい放牧してあって、うおーって思った。
毛がふさふさで水牛みたいなの、近くにいると迫力あるのだ。
本当に山々はスイスって言ってもいい位。車の中から見とれてた。

黄竜の前のレストランは高すぎるし、売店も何も無いので
結局ご飯を食べないで入場。ここもチケット高いんだよねーー。
入り口付近に籠やさん(二人の運び人が担いでる籠に乗る)がいて、
でも元気いっぱいだし、もちろん利用せず素通り。

黄竜の見所は、鍾乳洞の石灰みたいな黄色や白色のふちの中に
九塞溝で見たような、透き通った水色や緑色の水が入ってるの。
そのふちがぐねぐねしてて、段々畑みたいに段になってて。
何個も何個も連なって見えるのが、すごく綺麗なのだ。
途中、水の中に黄色いふちがずっと続いてるところがあって
それがまるで天を泳ぐ竜のように見えるんだよね。
これが恐らく「黄竜」の由来なのかなって思ったりもして。

ここも高山病の危険スポットと言われる地域なので、
途中に酸素バー(笑)が何箇所かあるんだよね。
5000メートル近くあるんだったっけ?よく覚えてないけど。
無料と書いてありながら、ストロー代が一元みたいだった。
どんな感じか気になったけど、健康児なので利用せず。
酸素ボンベや酸素マクラ持ち歩いてる人も結構見かけたけど、
高い!と思って買わなかったし、なんとかなるさと思ってね。
買うくらいなら、気合でなんとかしよう!っていうのがうちなんです。
日本人ツアー客は「食べる酸素」こぞって食べてたらしいんだけど
なんなんでしょう?ちょっと気になるーーー。未体験。

山を登るたびに、もっと綺麗な景色が見えてきて。
黄色い鍾乳洞の石灰みたいなの(なんて言ったらいいの?)が
ずーっと川みたいに連なってて、水が流れてる所とか。
湖みたいになってて、中に透き通った水が溜まってる所とか。
最後は坂道登るのがキツくて、ちょっと疲れてたけど。
しかも高度高いからかだんだん寒くなってきて、ブルブル震える。
お腹空いたから韓国人の子が食べ物買ってるんだけど
下界の三倍くらいの値段なんだよね。うちは我慢してた(>_<)

チベット式お寺が見えてきたあたりで、そろそろ頂上。
五花池って名前だったかな。一番綺麗だった!!!!うおーー。
なんかね、今までは鍾乳洞系のふちが黄色っぽかったんだけど
ここは真っ白くて、それが水の緑水色とすごいマッチしてるの。
上から眺めると、ため息が漏れるくらい綺麗だった。
場所によって水もふちも色が違ってて、すごい自然の神秘。
で、なんか見たことあるチベット帽子被ってる人がいるなーと思ったら。
なんと、成都で別れた西寧くんと再会!!!
確かにお嫁さん&日本の親とでこの辺来るって言ってたけど。
本当に再会するとは思わなかった。うひゃー、びっくり。

さて。見終わって、帰ろうかって事になったんだけど。
バスが一日一本くらいなのかな、昼過ぎにもう終わってるんだよね。
えーーー、バス無かったら、帰れないよ。どうしよう〜。
仕方ない、高いけど三人でタクシーに乗って帰ろうって事になる。
しかし!タクシーもほとんどおらず、たまにいても予約済みとか。
えーーー、バスもタクシーも無いし、本気で帰れないよ!
旅行人に「ここは交通機関が無いので、手段はバスヒッチのみ」
って書いてあったの思い出した。ああ、本当だったのね・・・。
とりあえずツアーの観光バスはたくさんいたので、頼み込む。
「空いてる席が無い」とか「ああ、無理無理」って断られるばかり。
やっとのことで「一人30元で乗せてあげよう」というバス発見!!
どっかの番組で間違った知識流れてるけど、基本的にヒッチはお金いるのね。
でもやっぱり足元見られてるから、ちょっと高かった。
でも他に見つからないし、帰らないとココ何も無いから仕方ない。
黄竜は周り何も無くて、売店や料理屋も無いし一般の車さえ通らないし。

バスで山越えする途中、すごいもくもく霧がかかってて。
高度が高いから、霧というよりは雲の中を通った感じだけど。
韓国人の子二人とも疲れ果て、高山病もあったみたいだし辛そうだった。
バスの中で気分悪くなったり、酸素ボンベ吸ったりしてる中国人も多く。
うち一人が元気いっぱい。(病は気からって言うしね!)
というわけで、なんとかして川主寺の宿へと戻ってきたのでした。
黄竜も九塞溝に負けず劣らず綺麗だったなぁ。
こちらも世界遺産だけのことはあるね。
次回はほっと一息、川主寺&松藩編。



旅記14〜四川省・九塞溝編〜「天国の如き綺麗さに感激と溜息」
2004年09月20日(月)
旅記14〜四川省・九塞溝編〜「天国の如き綺麗さに感激と溜息」

7/30。ツアー好きじゃないし、個人で行くことにした九塞溝。
バスは朝かなり早くに出発。頑張って起きたよ・・・。
るんるん気分でいたら、出発後、かなりたってバス関係の人が
中国語でわーってみんなに向かって話し出す。何だ何だ???
ちょっと訛っててさらに早口だったから、いつもより理解度が低く。
隣の席のおじさんに簡単に説明してもらったところ、
「この先の道で土砂崩れが起こって、道が通れないから
一旦成都まで戻って高速を通って行くしか方法が無いんだ。
だから高速代として20元払わないといけない」だとさ。
なんだとー!バス代だけで100元してるのに、さらに20元だとー。
こんなところがやっぱり中国だよね。到着も遅くなるって言うし。
返金はこの際出来ないって言うから、みんなしぶしぶ払ってた。

途中の食事休憩も、一人だから食べずにバスの中で待ってた。
あーー、なんか一人だとご飯全然食べなくなっちゃうんだよね。
12、13時間でやっと到着。ふう、やっと着いた!!!
早速宿の値段交渉に入るんだけど、どこも高すぎて。
中国一の観光地、さすが。物価も高いし、本当困って困って。
荷物持っていろんな宿うろうろしてたら、同じバスだった
韓国人の女の子2人と再会。せっかくだから一緒に探すことにした。
結局3人部屋で安いところをなんとか見つけた。でもいつもより高め。
ご飯食べるにしても、高すぎ!うちにとってはきつかったー。
天津でこの値段ならもっとおいしいものがいっぱい食べれるのに。

7/31。とうとう来たぞ!九塞溝。
昨日出会った韓国人の女の子二人と一緒に観光することにした。
大学の専門が中国語だったみたいで、会話はスムーズに。
世界遺産だけあって、ものすごい中国人ツアー客なのだ。
料金もありえないありえないってくらい高くて、合計200〜300元する。
こんな高い所どこにもないよー。泣きそう。学割使って少し安くなった。
チケットだけ買って、九塞溝内のバス券(90元)は買わなかったの。
乗るときチェックしなかったって聞いたし、なんとかなると思って。
すると入り口で止められて。買ってない人他に全くいないみたい。
入場料とバス券、両方買わないと入れない的な注意をされたり。
「何十キロもあるから、歩いてなんか登れないし、疲れますよ。
もし途中でバスに乗りたいと思って券買ったら、倍の料金です」
なんて言われたけど、それを振り切って乗り込みました。
入り口は分かれてて、バスに乗れないようになってるし、
見張りの警備員さんが後ろからついてきてるし。

勢いよく歩き出したのはいいんだけど、どんどんバスに抜かされて。
バスの中から観光客が物珍しそうな顔で見てるんだよね、うちら。
他に歩いてる人なんて一人もいなくて、目立ちまくりだし。
いくら歩いても普通の舗装道路のまま、どこにも辿り着かない。
一時間以上歩いても何にも無いの。疲れてきて、もうだめ状態。
「やっぱり入り口に戻ってバス券買いなおそう!」って事に。
下りのバスをヒッチで止めようとしたら、なかなか止まってくれなくて。
やっと乗せてもらって、入り口まで戻ってきたのでした・・・(アホ)
で、どさくさに紛れ上りのバスに乗れそうだったので、挑戦。
(どうしてもそんな高いチケット買えなかったのよ〜)
中国人ツアー客だらけだったので、普通に乗れた!わーい。
何事もやってみるもんだなぁ。うまくいって良かったぁ。
注意※良い子は絶対に真似してはいけません。

最初は映画「HERO」の撮影もされた、長海を見に行く。
バスで30分以上、1時間まではかからなかったと思うけど
ずっと乗ってて、確かにこれ歩いて登るの無理だよなーみたいな。
ついたら、民族衣装着て写真撮影やってる人が多くて。
韓国人の子が着たいみたいだったけど、うちはお金かかるから着ない。
でも今朝お世話してあげて、そのお礼だから一緒に着ようだって。
なんかねー、袖が長くて乙姫様っぽい衣装でした。
長海自体は、広くって、ものすごく澄んでて、綺麗〜〜〜。
後ろに見える山々もスイスみたいな感じで、空は真っ青だし。

次は五彩池。ここに辿り着くまでが中国人の渋滞で大変だった。
やっと見えてきたら、すんごいすんごい綺麗なのーー!!
木の陰から、エメラルド色みたいなのが光ってて、はっきり見える。
近くで見たら、本当にためいきが出た。美しすぎるのね。
水の色がありえなくて、水色とかエメラルドとか緑とか混ぜた感じ。
すごく透き通ってて底まではっきりと見えるし。
しかも場所によって色が全然変わるから、見てて飽きないし、
ずーーーっと見てちゃうんだよね。なんでこんな色になるんだろ。

次は、反対方向の頂上までバスで行って、そこから歩いて降りる。
バスで登ってるとき、綺麗な景色がある度に、「わぁー」って言う中国人。
ほとんどずっと「わぁー」って言ってばっかりで笑っちゃった。
(という自分もいつの間にか、自然に「わぁー」って言っちゃうんだよね)

原生森林、パンダ池、五花海、鏡海、日則溝、なんかも見た。
一つ一つの池が大きすぎて、歩いて回るとかなり時間かかるんだよね。
それでも湖畔を歩いてると気持ちよくて、ずっと歩いてた。
森林地区は本当スイスみたいな山々で、ちょっと山登りした。
リスとか小鳥とか、小さな動物をいっぱい見かけて和んでた。
パンダ池は水がしましまっぽいの。濃い色と薄い色で縞になってる。
五花池は、魚がありえないほど泳いでて、すごいはっきり見えるの。
前に写真館に載せてたけど、本当にそんなのが普通にあるなんて。
「水色」っていう名前がぴったりな色で、小魚がぶわーって泳いでるの。
鏡池は、朝早めに行くと風がなくて本当に鏡みたいなのね。
空と山が二倍に増えたみたいに見える。そこまではっきり映してるの。
他にもすごい滝が激しい場所とか、段々畑みたいな流れの場所とか。
チベット的な小さな村、お店屋さん、寺の集落みたいな場所にも行った。
そう、ここも既に四川省のチベットに入ってたんだよね。

中で食料買うとすごく高いので、我慢して持参のお菓子ちびちび食べてたら
韓国人の女の子が、買ったもの分けてくれたりした。優しい・・・。
彼女達と一緒に行ってすごい良かったと思う。特に写真ね。
中国人観光客だらけだからオート使えないし、中国人に頼むと
アングルとか下手すぎてどうにもならない感じだし、
カメラ構えてるのに平気で人の前通り過ぎていくし、
彼女達のおかげで写りたがりの私は助かった気がする。楽しかったし。
こういう場所は一人で行ってもつまんないかもね、きっと。

九塞溝は広すぎるので、まわる時間が最後足りなくなって残念。
頑張っていっぱいまわった方だと思うんだけど、まだまだ。
草原に小川があって、そこの色が本当に綺麗でもっと見たかったな。
パンフレット買ってないのでなんていう名前か分かんないけど。
お勧め順は、1番が五彩池、2番が五花海、3番がその小川かな。
でも、どこも本当綺麗だったから順番つけがたい。

夜は年に2日しかない(っておじさんが言ってた)祭りがあった。
歌や踊りやってて、人がものすごい集まってた。
ドイツの踊りとか、物珍しいのか大人気。グルグル回り続けてた。
チベット文化地域なんで「あのチベ柄のカラフルな紙」を撒くの。
九塞溝の中にまで風で飛ばされてて、自然に良くない気もするけど(笑)
中国の伝統的な踊りも、チベット的な踊りも、面白かった。
特に最後はチベット音楽にあわせて、みんなで踊りまわる。

という訳で、九塞溝は中国で一番綺麗な場所だと思う!!
本当にすんごい、感動してしまった。良かったーー!o(*≧□≦)o
「童話世界」っていうキャッチフレーズや、世界遺産なのも頷ける。
でもあの中国人観光客の大群がちょっと問題だけど・・・。
人数規制してるくらい観光客が多くて、まわるのも大変だった。
この美しさがいつまでも保たれることを願っています。

次回は黄竜編!こっちもすごい綺麗なのだ〜。



旅記13〜四川省・成都編(下)〜「30頭以上のパンダに会う」
2004年09月19日(日)
旅記13〜四川省・成都編(下)〜「30頭以上のパンダに会う」

7/28。パンダ見るぞ!と張り切るパンダ好き。
一緒に見に行ってくれる人がおらず、一人で行くことに(悲)
動物園にも何十匹いるって書いてあったのに、旅人情報だと
パンダ研修基地に全部移しちゃって、今は一匹しかいないんだとか。
動物園だったら西寧くんが一緒に来てくれるって言ってたのに残念。
(中国人が檻の中の動物を傘とかで突付くのが見たいんだとか)

とりあえずどうやって行ったらいいか分かんないから、
研究基地方面のバスに乗り込み、っていういつもの方法をとる。
で、いつものごとくウロウロ歩きすぎてすごい疲れる。
やっとたどりついたパンダ研究基地。人少ない・・・。
楽しみにしてた博物館は、停電のため入れないしー。
中は無駄に広いんだよね。バスみたいなの走ってたけど、歩く。
自然に近い環境でパンダの研究をする、がモットーらしい。
すると今はもう使われてないみたいな寂れたボロイ檻があって。
一応中覗いてみると、い、いたーーーパンダ!生パンダ(笑)
こんなひどい扱いで、パンダ可哀想だよ中国ーー。
暑さのためか、ぐでーってしてるの。動け動け!!!

また別の檻に行くと、パンダが大量に!!!
どれも基本的にやる気ないし。(やっぱりパンダだからね)
ぐでーってしたありえない変なポーズで寝てるから、おかしくって。
監視員の人も昼寝してて、たまに来た中国人客が
ソーセージみたいなの投げ込んでたら、起きてきて注意してたけど。
うちは暇だし、人もいないからじーーっとパンダ観察してた。
途中から「ウオー」とか言いながら起きてきて、アピールしてんの。
檻から手を出してきて、よっぽどその手をとって握手しようと思った。
あと、二匹のパンダが喧嘩しだして、マジ殴りくらわしてるし。
笹が出てきたら喜んで、急に元気になるパンダ君たち。
むっしゃむっしゃ貪ってるの。仲間で奪い合いになったりもして。
パンダの庭はめっちゃ広くて、一周するのも疲れるくらい。
運動場で子パンダの健康体操の時間なんかもあったりして。
子パンダはコロコロしてて動き回って可愛いのだーー。

熊猫がパンダなんだけど、小熊猫はレッサーパンダ。
こいつらは元気に走り回って、木に登って、ちょこちょこしてた。
愛くるしい動き方で、近くに寄ってきたり、可愛いのだ。
木登りが上手くて、細い枝でもするする登っちゃう。

パンダの鳴き声って、ちょっと悲しそうな泣き声なのね。
なんか、聞いてるこっちまで悲しくなってきちゃった。
中国だから環境微妙にあんまよくないし、うーん、ごめんね。
でも、50頭以上いたと思う。ものすごいパンダだらけで。
こんないっぱいのパンダが戯れてるのを見ただけで、満足。
研究所らしく、パンダの検査や観察もいろいろと行われてた。
最後にパンダ触ったしね。へへ。人が少ないところで勇気出して。
思ってたより毛が硬かった(笑)でも感動!触っちゃったよ〜。
400元で赤ちゃんパンダ抱っこできるらしかったけど、高すぎ!
もちろん即、無理無理。でも大理で抱っこした旅人に出会った。
めっちゃ可愛かったらしいですよ。

その後、成都にあるらしい「イトーヨーカドー」に行く。
中国語の漢字だと「伊藤洋貨堂」ってそのまんまか。
日本の物がいろいろあるらしく、天津なさそうだから行きたくて。
(でも天津には代わりに伊勢丹とダイエーがあるのさ)
見つけるのが大変だった。地図を頼りにバスと歩きで。
歩くのが長くて一時間以上歩いて、死にそうにへとへとになってた。
輪タク使わなかったのはアホかも・・・。貧乏性で、ダメだ。
イトーヨーカドーは日本の物いっぱいあってうわーって感動。
でも日本で買うより高いから、結局買い物はほとんどせず。
なんのために頑張って行ったんだっていう質問はナシね。

7/29。本当は今日出発しようかなとも考えてたけど
朝早いバスで、起きれなかったので延長。旅ではよくあること・・・。
同じ部屋の人が一気にいなくなったので、ちょっと寂しくて。
ごはんも一人だからほとんど食べなくて、つまんなかった。
旅人いないと、たまに寂しくてつまんない時期があるんだよね。
バス切符買って、明日はとうとう九塞溝に向けて出発!
次回は美しすぎる九塞溝編。



旅記12〜四川省・成都編(中)〜「四川料理は辛いが美味いv」
2004年09月18日(土)
旅記12〜四川省・成都編(中)〜「四川料理は辛いが美味いv」

折り紙先生と再会したのもつかの間、出発しちゃって。
お腹空いたから、先生お勧めの排骨面屋さん行く。
そういえば麗江出てからろくな物食べてないよなぁ。
肝心の面はといえば、マジ美味しい!!!
麺がワンタン皮みたいな四角で、厚いんだけどモチモチで。
スープもコクがあって、排骨もちゃんとしてて。
こんな美味しいのに1杯3元とか感動してしまう。また食べたい。

部屋が一緒の、上海の留学生のお兄さんがいて(上海兄さん)
最初会ったとき「中国語できますか?」って質問したのね。
そしたら「ペラペラです」だって!!うおービビった。
うちも余裕で「ペラペラです」なんて言えるくらいになりたい。
発音もちゃんとしてて、声調も間違いなく覚えてて。
特に「麻婆豆腐」の発音がキラキラ眩しかった(笑)
西寧くんと話してて、単語の声調どっちか迷ったときは
「老師!(先生)」って、上海兄さんにいつも質問してたなぁ。
中国語の発音についてもレクチャーしてくれて、
“上海兄さんの中国語講座”状態でした。
おかげで麗江・成都は結構勉強した街だったんだよね(笑)

夜は同じ宿の日本人、中国人、香港人などと一緒にご飯。
あの有名な「陳麻婆豆腐店」が近所にあったから、そこへ。
豪華にいっぱいおいしい四川料理食べちゃったよぉ(>▽<*
香港人は中国語がカタコトで、英語のほうがうまかった。
麻婆豆腐は「辛くしないで下さい」って言ったのに
それでもすんごい辛くて、麻(山椒)もいっぱいきいてて。
なのにすーーーーーっごい美味しいの。やっぱり本場だ!!
おまけなのか、種類の違う麻婆豆腐もあって、どっちも美味しい!
四川なので激辛火鍋も食べたかったんだけど、外が暑くて
みんなに無理って言われちゃった。ちょっと残念なり。

7/28。午前中はパンダ見に行ったんだけど、その話は次回に後回し。
夜はまたドミの仲間とご飯一緒に食べに行きました。
何食べよう?って話で、マクドナルド!って意見は却下(笑)
西寧くんの地元、西寧にはマック無いらしく感動してた。
宿の隣が有名なお寺で、その中にあるベジタリアンレストランへ。
(結局はお寺の「精進料理」ってことなんだけどね。笑)
ここでも麻婆豆腐食べちゃったくらい、四川のは美味いのだv
あと、海鮮おこげ料理とか、肉に見立てた料理とか。
大豆かなんかで作ってると思うんだけど、味とか触感は
ほとんど肉と一緒なの。うわーすごいって感動してしまった。

成都は暑くて、今まで寒いところにいた自分にとっては更にきつい。
夜もなかなか寝にくい時あったし。湿気が多い気がする。
それと、ちょうどサッカーのアジアカップを隣の重慶市でやってて。
みんなで見に行こうかって話にもなったんだよね。
でも中国の暑い三大都市の一つ重慶は、さらに暑そうだよねーって。
あと、GKが楢崎なら考えたかも(また言ってる・・・)
もしくは楽山・峨眉山ツアー企画とかも。でも、結局行かなかったな。
というわけで、次回は最後の成都編。パンダーvv



旅記11〜四川省・成都編(上)〜「中国人です!泊めて下さい!」
2004年09月17日(金)
旅記11〜四川省・成都編(上)〜「中国人です!泊めて下さい!」

7/26。夜11時くらいに成都に到着したわけですが。
麗江寒かったのに、急に暑い暑い!日本みたいな暑さ。
電話したら、行こうと思ってた宿が満室みたいで。
有名な安宿は「ドミが無くなった」とのこと。そんなぁ・・・。
成都はあんまり宿調べてなかったし、他に安宿も無かったから。
駅の待合室で朝まで過ごすという手もあったけど、
バスと列車の長旅であんま寝てないから、疲れてて休みたくて。
「その辺の客引きにあえて捕まっちゃおうか」ってことにする。
たくさん客引きいたから、それに付いていくと駅前の招待所。
招待所は安いけど、中国人しか泊まれないことがまだまだ多いので
「俺らは中国人の少数民族だ」「青海出身だ」なんて言う。
西寧くんもうちも、お互い留学生で中国語話せて良かったぁ(笑)
部屋見て、値段交渉して、値切りに値切って、さぁ泊まろうとしたら。
「(中国の)身分証出して」だって。「今、持ってないよ」
「じゃあ無理です」「なんでだよ!無くても前泊まれたよ」
なんて押し問答をするも、結局泊まれなかったのね。

仕方ないから別の宿をあたる。どこも身分証が無いとダメで。
荷物がどんどん重くなってきて、夜もどんどん更けてきて。
無くても泊まれてすごい安い所が一箇所あったんだけど、
裸の中国人のおじさんが大量に床で寝てて、暑くて、臭くて、
ここはいくらなんでも無理って思った。かなりヤバかった。
うちらがいつまでたっても泊まれなくて、うろうろしてたら。
「この身分証を30元で貸すから」とかおばちゃんが言い出して、
6、7件は招待所あたった気がする。どこも全然ダメで。
まぁ普通のホテルに行けば余裕で泊まれるんだけど、
ホテルなんて高いお金はうちには出せるわけが無く。

結局身分証をタダで貸してもらい、泊まることになった。
写真の顔の部分がちょっと溶かしてあって、いかにも怪しい。
しかも出身「広西」だし「いやいやありえへーん」って言ってた。
フロントの人も怪しみながらも一応チェックインOKしてくれた。
(あれはきっとバレバレだったんじゃないかって思うね)

部屋でほっと一息つく。
「前、成都に来たときはこんな厳しくなかったのに」
「なんでだろうねー」
「あ。もしかしたら、公安くるかも・・・」
「え??」
「さっきのおばちゃんが通報するっていう可能性がある」
「だからタダで貸してくれたのかっ」
「明日は朝5時に出発しよう」
「分かった!」
って、実際は全然こんな会話じゃなかったんだけどね。
内容としてはこんな感じ。ものすごい公安に怯えてた(笑)
しかも貸してくれた身分証、返しそびれてまだ持ってるし。
夜、部屋に服務員が来たり、外で車の音がするたびドキって。
西寧くんが心配してて、それに脅かされたのがいけないんだ。
いやー、こんなところで公安に捕まりたくないよー。
夜もときどき目が覚めて、ドキドキしてた。

7/27。朝早く出発。予定よりもゆっくりだったけどね。
この辺は早く離れたほうがいい、とのことで早足でバス停へ。
向かった先は旅人お勧めの「Sim's Cozy Guesthouse」
今年出来たばかりで新しく、シンガポール人のシムさんと
日本人のマキさん夫婦で運営してるゲストハウスなのです。
二人とも以前パッカーだったらしく、旅人のツボついた設備。
まだ工事してる部分もあったけど、木で出来た手作り感で。
ベッドの側に寝る時用の貴重品入れや小さな台があったり、
シャワールームにカーテンや服かけるフックがあったり、
何よりもトイレにトイレットペーパーがついてるのさ!!
中国だと高級デパートにしかついてないのに!(そごうにも無かった)
一番安いドミ(空調無し二段ベッド上)が、ちょうど空いてた。
ドミ人気らしくって、なかなかとれないらしい。
成都で一泊15元なんて、かなり破格の安さvv

ドミの部屋に入ったら、なんと麗江の宿で一緒だった
“折り紙先生”に再会!ビックリだ。もうすぐ出発だったけど。
近くのおいしいご飯やさんマップ、書いてくれました。わー。
折り紙先生もそういえば同じルートで成都来たんだっけな。
ここの宿でもみんなに折り紙を広めてたみたい(笑)
さて、そうして成都での一日が始まります。
次回も成都編!食べ物おいしい!



旅記10〜攀枝花・峨眉山移動編〜「時速120キロの恐怖タクシー」
2004年09月16日(木)
旅記10〜攀枝花・峨眉山移動編〜「時速120キロの恐怖タクシー」

7/25、夕方。西寧くんと二人で麗江→攀枝花の深夜バスに乗り込む。
というのも彼は西寧に留学中で、中国人と新婚ほやほやな方なんですー。
チベットの民族衣装を身につけて、チベット帽子被ってる、日本人。
攀枝花に朝方着いて、そこから成都まで列車で行こうという予定。
だが、バスの運転手が頑張ったのか何なのか、早く着きすぎた。
「着いたぞー!駅ー!」なんて騒いでるから目が覚めて、
時計見たら、朝の3時くらいだった!!7時くらいに着いたんでいいのに。
バスの中でそのまま朝まで寝てる人もいたんだけど、
西寧くんの約束があり、列車の切符が取れないと困るので出発。
バスターミナルから列車の駅まではちょっと距離があるらしく。
そんな遠くないみたいだから、タクシーで行くことに。
「寝起きで頭が働いてないからぼったくられそうだ」なんて話してて(笑)
韓国人らしき女の子もタクシー探してたから、相乗りして。
タクシーのおじさんに「駅まで距離何キロあるの?」って聞いたのに
「12、3分で着くから。すぐだよ。さぁ、乗った乗った」なんて言われ。
そのくらいなら10〜20元だし、3人で割ると安いもんだし。
西寧くんが前回乗ったときも、そんな高くなかったらしいし。

乗り込むと同時に、スタート。
タクシーはありえないスピードで走り出したのでした。
まぁ深夜で他の車が少なかったし、道も広かったからもあるんだけど。
ぐんぐんスピードをあげ、気づけば時速100キロ超えてるし!!!(一般道)
そして110キロになり、120キロになり・・・・。ありえん。
ひぇーーって、マジ事故りそうなヒヤっともあり、怖かった!!!!
メーターがくるくると、見たことの無い速さで回っていくの。
こんな勢いでまわるメーターなんて見たこと無い。
嘘メーターかな?と一瞬思ったけど、この時速なら確かにありえる。
なんかバスターミナルの位置が新しくなって、前より遠くなったみたいで。
すんごい距離走ってるんだけど、まだまだ着かない(-_-;
そして、やっと駅に到着した時には、メーターは60元を越えていた・・・。
ありえないありえない。今までタクシーで60元とか見たこと無い!!
すんごいビビった。ひえーだよ。本当。お金払うまい!とおも思ったけど、
まぁ騙されたけど、確かに値段自体は正しいんだよね。

しかし列車の出発は8時くらいで、それまで暇なんだよね。
こんな早く着いても困る・・・。列車の切符は余裕で取れたんだけどね。
西寧くんは本当は硬臥(寝台)が良かったらしいんだけど、
うちはもちろん安い硬座(椅子)なので、合わせてもらっちゃった。
あと4時間以上も何しようかーって。待合室の椅子で話してた。
西寧くんは天津のうちの友達にそっくりで、顔とか性格も。
最初出会ったときはビックリしてしまった。珍しいタイプなのに似てて。

やっと朝が来て、列車に乗り込んで、今度は14時間の列車の旅。
西寧vs天津の話とか、楽しかった。「西寧はものすごい田舎!」らしく。
西寧はケンタッキーが一番高級な店の一つなんだってー。
日本の物がどれだけ手に入るか対決とか、物価はどっちが安いかとか、
方言はどうだとか。彼曰く、うちは北京近いのでアル化しすぎてるらしい。
なんか、ちょっとでも発音分かんないと「辞書引け!」って言われるから
彼と一緒にいる時期や、列車の中で学んだ事が多かった(笑)
うちにとっては全然大丈夫だった14時間椅子、西寧くんはキツかったらしく。
しかも車内販売のカートに何度も足を踏まれ、「うりゃぁ!」って言ってた。

途中で峨眉山・楽山あたりを通ったとき、なかなか景色が良くて。
「ここで降りちゃおっか」って話にもなってしまった。
峨眉山は中国っぽい山で、山肌がすごくて、高くて、圧倒されるの。
窓からずっと見てた。世界遺産だし、登ってもよかったなーって少し思う。
そうしてるうちに、夜遅くやっと成都に到着。
しかし問題はこれからだったんだよなぁ。
次回は成都・宿探し編。



旅記9〜雲南省・麗江編(下)〜「宿で完全に沈没・・・さよなら麗江」
2004年09月15日(水)
旅記9〜雲南省・麗江編(下)〜「宿で完全に沈没・・・さよなら麗江」

7/24。今日も宿でのんびり(以下略)ああ、沈没・・・。
予定してた梅里雪山も、虎跳峡のトレッキングも、美しい湖も行かず。
虎跳峡のトレッキングは、ちょっと前に土砂崩れで人が死んだらしく、
入山チケット売ってない(=責任持たないから入りたい人だけ入れってこと)
ってことはタダで入れるし、めっちゃ最高らしいから行く気満々だったのに。
二泊三日くらいかかるから、一人で行くと遭難とか山賊とか危険らしく。
「ありえないトレッキング」ってサブタイトルがついてるくらいだし。
でも、景色は最高らしくて、みんなすごい良かったって言ってた。
一緒に行く人探してたり、天気が悪かったりして、結局行かず。
ちょっと残念だな。湖も行くのにバスで一日かかるくらい遠いみたいだし。
「火祭り」は、ママが今日あるって言ってたのに日にち間違えてたし。
この辺で有名なお祭りで、タイマツぐるぐる回したりするそうな。

そうだ!ベトナム・ラオスに行こう!と思ったのに
リターンビザなくて中国出れないし。もったいない・・・。
シャングリラや雲南のチベット・リタンを通って成都まで行こうと思ったけど
今、時期が悪いみたいだし、5000メートル以上で高山病危険な上
雪降ってるくらい寒いから、一人だとやめたほうがいいかもって言われ。
列車を使ったショートカットコースで成都行くことに。
しかも、同じルートで行く人がいたので、ご一緒することに!

7/25。夕方出発なので、それまで心おきなく買い物と思い出巡り。
麗江は丘に登ると古い屋根がずらーっと見渡せて素敵だったなー。
夜の麗江はちょうちんみたいな赤い灯りで、雰囲気が良かったなー。
朝は雨で濡れた石畳が光って、空気がしんとして、好きだったなー。
小妹と一緒に遊びに行ったり、夜広場で踊ったりしたなー。
大理でひたすら流れてるひょうたん笛のメロディがあって。
麗江でも時々流れてるのね。あれは刷り込み戦法に違いない。
頭から曲が離れなくなって、結局CD買ってしまったからねー。おそろしや。

お好み焼き屋のお兄ちゃんが「鳥笛買ってあげようか?」って。
本人は既に購入済みで、気に入って吹いてた(笑)
でも多分使わないだろうなーと思って断ってしまった。もったいない。
一年以上アジア旅するっていう姉さんにもお世話になったな。
姉さんのアドバイスのおかげで、チベット&新疆に方向転換したから。
一緒にブロッコリーとキノコ食べたし(ブロッコリー好きなのv)
あとは猫好きの少年と、猫嫌いの少年とも、話いろいろした。

心置きなくクロとトラ(これは安易だけどうちの命名なのだ)
そして太郎と次郎と遊びまくる。次郎は最初より成長してたなー。
ツメたてて反抗するようになったし。大きくなってからに・・・(感動)
一緒に成都まで行く人(西寧くんと命名)も猫好きだったけど、
本当はもっと前に出発してるはずが、懐に入れた次郎がふんしたせいで
出発延長になって。それ以来「猫なんてきらいだー!」って言ってた(笑)

出発の時「キヲツケテー」って言いながらママがお守り首に掛けてくれて。
お腹がすくだろうってチャーハン急いで作って、
パンケーキみたいなの持たせてくれて。去りがたい。
来たときと、去るとき。両方ともチャーハンだったなーって思いつつ。
なんだかんだで一週間も滞在してしまった。自分でもびっくり。
宿の仲間が見送ってくれる中、出発。ママともハグハグ。
てか、お別れのときは泣きそうになるので、そっけなくなってしまう。
でも我慢できずに泣いちゃって、こっそり急いでゴシゴシ服の袖で拭く。
みんな手を振ってて、ありがとうって心の中でいっぱい言った。
パパがバス乗り場まで送ってくれて、「元気でね」って言ってた。
小妹はバスターミナルで待ち構えてて、「また電話するから」って
ギュって抱きついてきた。本当、働き者で可愛くて良い子だったな。
毎日明るくって、「二人から告白されちゃってどうしよう」って
相談事されたこともあったし。「ママに内緒で遊びに行こう!」とか。
電話番号教えてあげたら隣の部屋から掛けてきて、「えへへー」とか。
こっそり屋上に連れて行ってもらって、内緒の景色見せてくれたり。
ダメ!行っちゃヤダ〜って泣いてたり、良い子だったなー。
さようなら、宿の人達。さようなら、麗江。
本当に楽しくて、幸せな毎日でした。
絶対また来ます。

次回は成都までの恐怖の移動編。



旅記8〜雲南省・麗江編(中)〜「可愛い子猫とマツタケ祭り」
2004年09月14日(火)
旅記8〜雲南省・麗江編(中)〜「可愛い子猫とマツタケ祭り」

7/22。毎日ぐうたら過ごす。完全に沈没してしまった。
トンパ文字のハンコ作ったら、マジ可愛くてメロメロ。
しかも、ノリが良く腕もいいお兄ちゃんだった。
名前とトンパ文字を両方入れてもらって、トンパ文字がイイ!

そしてそして。麗江のうまいパン屋のうまいあんパンを食べた。
すんごいすんごいすんごい美味い!!!!!!!!
今回の旅行で一番美味しかった食べ物は、これかもしれない・・・。
日本でもこんな美味いあんパン食べたことないよー。ひー。
ああ、幸せ・・・。周りの旅人も競って食べてた。そん位おいしかった。

宿の猫が可愛くて。毎日戯れて過ごしてるの。
うち、怖いからあんまり動物好きじゃなかったのに、猫好きになった。
かなり小さな子猫がいて、ミー子って名づけてたのに
いつのまにか太郎と次郎って名前になってた(女の子なのにねぇ)
片手の平に乗るくらい小さくて、毛がふわふわで。
でもこの前生まれた三匹はタバコの箱よりも小さかった。
すんごい可愛いの。次郎はまだ小さすぎて、椅子とか飛び降りれないの。
だから自分の膝の上とか、目の前の机の上に置いて遊ぶ。
太郎はミャーって鳴くんだけど、次郎はミーって鳴いてて。
猫嫌がってるんだけど、逃げても捕まえてずっと遊んでた。
いじめすぎると育ての親らしいペペ(犬)が追いかけてきて、
ガルルルゥ〜って牙むいてくる。やっぱ犬は怖い・・・。

長く宿にいると、いろんな人が入れ替わり立ち替わりするわけで。
昆明で同じ宿だったラオスカップルや、旅人夫婦に再会したり。
自転車で旅してる西洋人のチャリダーなんかもいた。
この宿に何回も泊まってる常連さんの話はおもしろかったし。
ママ語を解説してくれて、OKにもいろんな意味があるんだとか。
「風呂で洗濯したらアカン!」とか「デ・ン・キ!タ・カ・イ」とか。
すべて大阪弁なんだけど、それがぴったり合ってる!
パパの主な仕事はハエたたきとご飯つぎだとか。

なかでも、折り紙を伝えながら世界中を回ってる日本人がいて。
うちらは「折り紙の伝道師/折り紙先生」って呼んでた。
折り紙って奥が深いんだよね。こんな面白いとは思わなかった。
パタパタ鳥、北京ダック、カンガルー、ゴキブリ、バラ、
なんていうのから動いて遊べる折り紙まで、幅広く。
みんな子供に帰ったようにひたすら夢中になって遊んでた(笑)
ドキドキハートっていうのがうちはお気に入りだったなー。
あと、組み立ててある折り紙を見て、自分で同じの作ってみるとか。
これはパズルみたいで結構一人でハマってた。意外と難しいの。
クジャクはギブアップしたけど、カメはなんとか再現できた!感動。

さて、夕食はその折り紙先生とかと企画したマツタケ祭り。
シャングリラ、麗江あたりはマツタケがいっぱい取れるらしく。
普段のご飯でお腹いっぱいなのに、更に大量のマツタケが!
先生がお吸い物と、焼きマツタケ醤油風味作ってくれた。
てかね、うち生まれて初めてこんなにマツタケ食べた!(涙)
お吸い物は、汁よりも具のマツタケの方が多いくらいで。
どばーーーって入ってて、日本じゃありえない入りよう。
しかもダシがすごい出てて、マツタケー!って感じ(どんな感じ?)
焼いたマツタケも、すごい大きくて醤油香ばしいし
(日本のダシと醤油持ち歩いてる先生、すごい)
熱々の裂いたらピロピロ〜って裂けて、おお、マツタケだ。
口いっぱいにほおばったら、食べるのが大変なくらい大きかった。
ああ、幸せ・・・。

7/23。また宿でのんびり。もしくは街をぶらぶら。
今日はある旅人(ヒゲの人)の誕生日らしく、プチパーティー企画。
うまいパン屋で、ミニカップケーキみたいなの買ってきて。
パパにロウソク無いかって聞いたら「有、有・・・」って出してきたのが。
停電用のものすごいでかいやつなのね。わーお。
「ハッピバースデートゥーユー」の曲とともに出したら。
カップケーキ小さいしロウソク大きすぎるしで、どう見てもお供え物。
ひえーー。何回見てもお供え物にしか見えない!!
ママは「もっと早く言ってくれたらケーキ用意したのに」って言って
急いでお得意のパンケーキみたいなの作ってくれました。
パパが買ってきてくれたので、久々にビールも飲んだ。いいねぇ。
というわけで、そろそろ麗江とのお別れも近くなってきて。
次回は麗江最後の回。



旅記7〜雲南省・麗江編(上)〜「愛しの麗江。概要と人物紹介」
2004年09月13日(月)
旅記7〜雲南省・麗江編(上)〜「愛しの麗江。概要と人物紹介」

うちがこの旅で一番気に入った、麗江編のはじまり。
7/19。大理からバスに乗り、麗江に辿り着いたのは夕方。
実は大理の宿で二人の旅人から勧誘受けてまして。名刺も貰った。
一人は「阿亮客棧」一人は「古城香格韻客棧」を勧めてくるの。
「ここすごいお勧め。本当に良かったよ!情報ノートもあるし」(阿亮)
「メッチャ良い!ここ最高だから!!絶対行って!!!」(香格韻)
どっちにしようかなーって考えてたけど、香格韻をとりあえず探す。
しかし、麗江の道はすごい入り組んでるから、道に迷い・・・。
重い荷物を背負ったまま、一時間くらい歩き回って、
周りはどんどん暗くなっていくし、へとへとになってしまう。
こうなればどこでもいいから一番先に見つかったところにしよう!
やっと見つかったのが、香格韻なのでした。疲れた、マジ疲れた。

入り口を入ると、元気なママがお出迎え。
ご飯まだ食べてなかったので、チャーハン作ってくれました。
動物がいっぱいうろついてて、最初はびっくりした。
犬が3匹と、猫が6匹と、さっき生まれたばかりの子猫が3匹。
あれ?宿に誰もいないなー寂しいなーなんて思ってると
夜の散歩に行ってたらしい旅人がどんどん戻ってきた。
みんなまったりくつろいでる。和気あいあいとしてていいなぁ。
夜デジカメ画像をチェックしてたら、またも写真が消えてた(泣)
大理の三塔公園や、少数民族や、食べ物の写真も・・・
一番悲しいのは中国人の彼とのツーショット写真が・・・
うわーマジ悲しい。というわけで、これまでの写真は無いの。

宿の主要メンバー紹介。
ママ(圧倒的パワー。適う相手はいません!)
パパ(ママに押され気味のナシ族のパパ)
小妹(住み込みで働いてる可愛いリス俗の女の子)
放蕩息子(たまに見かけるホウトウ息子)
犬達(ペペ、ハチ、片目犬)
猫達(名前無いので勝手に命名されてた。そして命名した。
   ボス猫、親猫、クロ、トラ、太郎、次郎)
宿(中国の伝統的四合院で、くつろぎ椅子がいっぱいある)

麗江の紹介。
大理良い場所って思ってたけど、麗江は更に最高だった。
古い街並みは、世界遺産というのが頷けるくらい素敵で。
大理の何倍も広くて、小道が迷路みたいで。
小川は澄んでるし、タイムスリップした気分になる。
例えるならディズニーランドと(夢の国。テーマパークなの)
中国の100年前の街並みと(特に朝方と夜が雰囲気いいの)
千と千尋の神隠しを(あの温泉街の街のような感じなの)
ごちゃまぜにした感じ。うーん、伝わるかなー。
それで、夏でも街から綺麗な雪山がはっきり見えるの。
古い街並みとバックの雪山のコントラストが何ともいえず良いのだ。
今はすっかりテーマパークになってしまってるけど、それでも最高。
これは本当に中国の川?って思える位で、地元の人が汲んで使ってる。
普通に少数民族の人が民族衣装で井戸端会議したり歌ったり。
トンパ文字(象形文字みたい)のグッズ可愛いし、買い物も楽しい。
ただ、寒かった。毎日セーター着て過ごしてた。

7/20。散歩して、また道に迷う。でもおかげで把握できたぽい。
ぶらぶらして、後は宿でおしゃべりして終わってしまった。
夜は宿でご飯が出るのね。ナシ族の家庭料理がたくさん。
8品〜10品とか出てきて、宿の皆で一緒に食べるの。楽しい!美味しい!
皆で食べるのやっぱり美味しいなぁとか、珍しいのも多いし、
何よりママの腕前なのか、本当メッチャ美味しいの。
変な日本語で「バンゴハンー♪」とか騒いでて。
パパと小妹が「おかわりv」ってワンコそばのようにご飯ついでくる。
日本人はカレーが好きでしょ?って作ってくれたカレーは
サラサラしてて中国の味がしたけど、それもアリかな。
食べ終わった後は、満腹満腹、満足満足。
そのままお茶とヒマワリの種食べながら、のんびり。

7/21。大理で一緒の安宿に泊まってた子と、再会。
彼女も激しい勧誘にあい、ここにやって来たみたい。
二人で、白沙っていう近くの村に遊びに行くことにする。
ここも大理の喜州みたいに、小さな少数民族の村で。
村は素朴で、牛や鶏や豚が道を歩いてて、素敵なんだな。
土産物屋の兄さんがすごく良い人で、いろいろ案内してくれた。
まぁ、彼女が高い刺繍買ったからかもしれないけど、良い人で。
(自分の)少数民族の家見せてくれて、家族紹介してくれて。
有名な壁画があるんだけど、入場料いるなら見ないって言ったら
代わりに二人分払ってくれて「見なよ」って。リンゴとかもくれて。
日本語カタコト話せるんだけど、なかなか上手だった。

その後は「Dr.フー」の所に連れて行ってくれた。あのDr.フーです。
建物の外や中に、さくらももことか各国の有名な人のサインや手紙がずらり。
Dr.フーは英語ペラペラで。いいおじいちゃんって感じだった(笑)
最初に雑誌の記事やら手紙やら名刺(どれも日本語のやつ)見せてくれて。
長々と見せられたせいで、マインドコントロールにかけられたかも。
うちは健康なんであんま問題ないんだけど、一応薬作ってもらった。
ちょっと見ただけで薬草をぶわーって調合して、出来上がり。
大量の粉です。何日分あるのかってくらい。
で、料金は自分の好きなだけでいいらしく。その時に知ったー。
彼女が感動して払ってて、つられてしまった。反省してます。
後で宿で聞いたら、皆もっと少なかったみたいだし。
夜はまた、まったりと話し込む。なんか、いろいろ相談聞いてもらった。
反応は「いやいや、それおかしいよ!」っていうツッコミで・・・。
でもアドバイス貰った。結論としては「行っちゃえー!」だって。
というわけで、やっぱり長くなった麗江編。中編に続く。



旅記6〜雲南省・大理古城編(後)〜「外国人の街・少数民族の街」
2004年09月12日(日)
旅記6〜雲南省・大理古城編(後)〜「外国人の街・少数民族の街」

そうそう、肝心の大理古城について話すの忘れてた。
中国のパッカー沈没地、大理&麗江と言われるだけある。
うちも軽く沈没したんだよね・・・。本当、良いところなの!
古い古い街並みがあって、民族のおみやげ売ってて、
道の端には澄んだ小川が流れてて、柳が植えてあって。
普通に民族衣装着たおばあちゃんとか、いっぱいいて。
そのくせ外国人向けのカフェや料理屋が多いの。
英語や日本語の看板も多くて、くつろぐにはぴったり。
西洋人率がすっごい高くて、たくさん見かける。
リピーターや長期滞在者が多いのも頷けるんだよね。

7/16。さて、大理の朝。天気が良くないので一人散歩。
山にでも登るか、と思い立ち。ぐんぐん登っていく。
下を見下ろすと、空と、アル海と、緑が見えて。
すごい綺麗な眺めだなーってぼーっとしてた。
しかし山奥に入りすぎ、人民政府に迷い込む(笑)
今度は蒼山のリフト乗り場まで行ってみたけど、
天気良くないし「遭難するので一人では危険」なんて
ガイドブックに書いてあったので、登らなかった。
いや、リフト代が高かったのが一番の原因かも。

次は喜州っていう少数民族の町へ。
大理古城みたいに外国人向けじゃなくて、本当に地元民用。
小さいながらも、少数民族の人たちが暮らしてて、
古い町並みが残ってて、タイムスリップした感じ。
擦れてないっていうか、大したもの無いけど雰囲気が良いの。

帰りには有名な三塔公園に行ってみる。
よくガイドブックでも見かける、三つの塔と、池に映った塔と
後ろに雪山が見えて、前に少数民族がいるっていう。あそこ。
入場料が私的に高くて、入るかどうか三十分迷ってしまった。
結局入ったんだけどね。上から眺める景色も良いし、
三塔倒公園の、池に映った塔も美しかった。
帰りはバスに乗らず歩いてると、馬車の人に声掛けられ乗った。

宿でたくさん友達が出来た。一緒にご飯食べに行ったり。
中国人旅行者が最近だんだん増えてきてて、びっくり。
ニュージーの留学生もいて、中国語ペラペラなの。
うちも思ったことあんな自由に言えるようになりたいな。
中国人の男の子もいて、オシャレでカッコよくって。
ドミの同じ部屋だったんだけど、見た目日本人ぽい。
実を言うと、ちょっと惚れかけました(・_・*てへ。
違う、浮気じゃないの(笑)でもいい子だったなぁ。
夜、ベランダでお菓子食べたりするのも誘ってくれたし。

宿出る間際ごろは日本人旅人も結構見かけた。
タイで歌手デビューしてる日本人とか、いつも歌ってて。
なんか彼女と喧嘩して家出してきたらしい。
家出するといつも大理に来ちゃうんだとか。で、話が長い(笑)
でも歌詞ノートとか、書き溜めてあって熱いのだ!!
他の日本人とか、うちと逆ルートで来たから情報くれたり。

うちの部屋10元なんだけど、他の日本人15元の部屋で、
同じドミでも微妙に値段が違ったんだよね。
なんでかなって思ったらベッドの柔らかさの違いだった。
うちのベッドは木の上に布敷いたっぽい感じの硬さで、
他の子のベッド触ったらふかふかで、おお!と思った。
まぁ結局寝心地より安さをとってしまうんだけどね。。。
硬くてかなり寝辛かったけど、すぐ慣れてしまった。

そんなこんなであっという間に何日もたってしまい。
買い物も楽しいんだよね。大理染めっていう布が有名で。
いろんな色、柄、大きさのがあって。もっと買えばよかった。
で、明日こそ出発するぞ!って決めたんだけど、
「第一回チキチキ焼肉パーティー」開催するからって
旅人に引き止められ、また一日伸びちゃったり。
焼肉のときは、旅人のいろんな話聞けて面白かったなぁ。

7/19。近郊にある、週に一回の少数民族のバザールに行く。
子豚、犬、猫、鶏、ヒヨコ、ウサギ、などから
食料、野菜、果物、衣服、雑貨などなんでも揃ってる。
子豚とか鶏なんて、いかにも今から食べられます!みたいな売り方で。
しかも売ってる人も買う人も普通に少数民族なんだよね。
民族衣装を着こなしてて、かわいいなーって思う。
午前中はバザール見て、昼にはもう麗江に向け出発。
一週間弱いたからか、愛着沸いたからか、旅人との別れからか。
何でかわかんないけど、大理離れるときちょっと涙が出た。
バイバイ、大理。また来たいな。
次回は愛しの麗江編。これもまた長くなりそうな予感。



旅記5〜雲南省・大理古城編(前)〜「船でアル海の小島探検へ」
2004年09月11日(土)
旅記5〜雲南省・大理古城編(前)〜「船でアル海の小島探検へ」

7/15。やっと大理古城へと到着したわけで。
まずは安宿探し。道で客引きが多くて、宿の名前言っただけで
そこまで案内してくれるんだよね。ああ、南は人が優しい。
行こうと思ってたところはドミが空いてなくて。
しかも「決めた。私も今晩こっちに泊まるから」
とか大理おじさん言い出すし!なぜか一緒に宿探してるの。

次に行ったのは四季客棧って所。雰囲気がなかなイイ感じ。
ドミがなんと10元!(約140円)という激安さなのもかなり良し。
普通のホテルだと100元とか200元余裕でしちゃうし。
四つ星五つ星だと1000元するのも普通にあるし。
部屋ギリギリ残ってて、すぐさまチェックイン。
大理おじさんはというと、部屋を見たとたん絶句。
西洋人のお兄ちゃんが半裸で寝てるし、雑多でちょっと汚いし、
部屋の鍵はあるけど誰もかけてないし、トイレシャワーは共同だし。
私的には、他の安宿と比べたらかなり良いと思うんだけど・・・
「こんな所に泊まるのか!ひどい環境だ。やめなさい。
私のマンションに帰ってくればいいじゃないか!!」
なんて言ってたけど。「やっぱり今日は帰ろう・・・」って
こんな所には泊まれないらしいです。ちょっと一安心。

まだ昼前なので、午後は一緒に観光することに。
うちは別にいいって言ってるのに、なぜか船の値段交渉してるし。
「アル海」っていう湖を船でまわって、小島に行くんだって。
船代はなんと100元!を値切って60元にしてた。
一人だったら絶対行かないだろうなーっていう値段。。。
なんかいつのまにかチケット二人分買ってて、貰った。
船の上では風が心地よい。天気は調度いいしね。

島に着くと入島料もいるらしく、大理おじさんはショック受けてた。
小さなお寺みたいなのとか、少数民族の家訪問したりして。
地元の有名な「三道茶」飲んだり。(人生を表してるらしい)
味の全く違う三種類のお茶が出てくるんだけど、
普通っぽいの、甘いの、ニッケ水っぽいの。
器も入ってる具も全く違うし、なかなかおもしろかった。
あとは別の島で、高い塔に登ったり。周りが広く見渡せるの。
湖なんだけど「アル海」って言うだけあって、海みたい。
帰りは星型のチクチクしてて、皮をむくと芋っぽい食べ物があって。
初めて見たし、初めて食べた。不思議な触感。
大理おじさんは手を繋いでくるやら、肩組んでくるやら、
だんだんセクハラちっくなのがエスカレートしてきて、マジ勘弁。

岸に戻ってきて。アクセサリー売りつける人がしつこくて。
大理おじさんもずっとあしらってたんだけど、しつこすぎて折れてた。
なんか袋にいろんな物が入ってて、ちょっと嬉しそう。
中に入ってるペンダント(大きな緑の布袋さん・・・趣味悪い)
「おそろいだねー」って首からかけられ。“福”って彫ってある指輪を
薬指にはめられ「これで結婚だねー」なんて楽しそうに言ってた。
この辺はもう、ひいてたというか、早く帰りたかった(泣)
恋愛関係の話題ばっかり振ってくるし、本当、勘弁。
夕食とかも一緒に食べて、全部出してもらった。
アリガトウございます。

「麗江行くなら、一緒に行こうか」って、付いてくるのか!?
「一人は危ないから、私も行くよ」って、そ、そんな。
「とりあえず一旦帰るから、絶対また来るんだよ」って別れた。
その後も大理おじさんからしばらくずっと毎日電話があって、
合計100回くらい電話あったけど、一回も出ないまま終わった。
だって友達に危険だからやめとけーって言われたし、
なんだか向こう行き過ぎてた感じがしたから。ゴメンナサイ。
そんな感じで、大理おじさんとはお別れしたのでした。
次回も大理古城編。まだ続きます。



旅記4〜雲南省・大理下関編〜「おじさんの家に泊まりドキドキ」
2004年09月10日(金)
旅記4〜雲南省・大理下関編〜「おじさんの家に泊まりドキドキ」

7/14。昆明から大理に向け出発!
大理といっても大理下関と大理古城があって、古城が観光地なの。
でもバスは大抵下関行きだから、乗り換えて古城に行くことになる。
どのミニバスにしようかなーって選んでたら
もうすぐ出発で、安いミニバスあるからって客引きに捕まり。
そのままタクシーで別のバスターミナルに連れていかれる。
切符すぐ買えって促されて、買った後よく見ると2時間後出発。
しかもさっき言ってた値段じゃないし。
バスはちょうど今出発しちゃったんだって。うおー騙された!!!
もう切符買っちゃったし、駅戻ろうにも別の場所だし。
「騙されたーーばかー!!」っておじさんに文句言うも後の祭り。

仕方ないから暇つぶしにその辺の人達と会話することに。
(少しでも中国語話す機会増やそうと努力してるのさ)
そしたらバイタクのおじさんやら客引きのおじさんやら
10人以上に囲まれ、わいわいがやがや。
「日本人の女の子は可愛いねー」だとか「握手して」とか
「抱きついていい?」とか「アミ、ウォーアイニー」とか
外国人が珍しいのかなんなのか、大人気?(笑)
おじさん達のおかげで暇だと思ってた2時間楽しく過ごせた。
しかも申し訳ないと思ったのか、さっきの客引きのおじさんが
ご飯おごってくれて、お腹空いてたからたくさん食べた。
バスが出発するときは、おじさんたちが見送ってくれて
窓から握手してバイバイしたり、なんだか良い人たちだったなぁ。
彼らに出会ったことを考えると、結果的には良かったのかもね。

大理行きのバスは、最悪だった。道がね。
今回の旅行で酷いバスには散々乗ったけど、ワースト1に違いない。
高速通ってるのに、高速自体が工事中で、道悪くて。
窓や天井に頭を何度もガンガンぶつけて、
特に寝てると更にガンガンぶつけて、痛くて目が覚めるの。
そんなんが延々と8時間も続くんだからたまったもんじゃない。
隣の席の中国人のおじさんと仲良くなって、おしゃべりしてた。
話好きなのか知らないけど、ほぼ7、8時間ずっと喋ってた(笑)
こっちは途中眠くて半分寝てたときもあるんだけど。
その大理おじさんのおかげで聞き取りの練習になりました・・・。
中国語喋るの早いし専門用語多いからなんだか疲れたー。

で、出発が2時間遅れたおかげで、到着も2時間遅いわけで。
下関に着いたのは結構夜遅くって。
しかも古城までバスで行く予定だったのに、時間過ぎてて。
大理おじさんが、「今日はもう遅いから明日にしなよ」って言った。
荷物持ってくれて、その荷物がタクシーに乗せられ。
「ちょっとおいでよ」って言うから、ついて行った。
タクシーの中で「5角(約7円)のホテルがあるんだよ」だって。
ん?とか思いつつ辿り着いたのは、大理おじさんの家だった(爆)
(まぁ結局お金は払わなかったんだけどね)
仕事の社宅みたいな感じで、広くて一人暮らし。
ちょっとヤバイかもー(^^;とか思いつつも、
部屋鍵付いてたし、悪い人じゃなさそうなので・・・。

「友達が心配してるだろう、電話かけときなさい。
でも、私の事はきっと話さないほうがいいね。
普通のホテルに泊まってるって言うんだよ」なんて言われ。
「疲れたでしょ、お風呂入りなよ」って言うから恐る恐る入る。
風呂場は中国にしては珍しくユニットバスでバスタブあって驚く。
まぁ、浸かるなんてゆっくりしたことは出来ないんだけど。
鍵あるから大丈夫か、と思ってさっさと入って出てきたら、
鍵が外側に差し込んだままで、普通に開けれたみたいでビビる。
窓も外の階段上がったら微妙に覗けるし。うわー。
その後はソファでいろいろ話してて、疲れたので就寝。
部屋が二つ三つあったので、空いてる部屋を借りた。

朝起きたら、大理おじさんはもう既に起きてて。
荷物持って出発しようとしたら、「重いだろうから部屋に置いときなよ」
って止められた。一緒に朝ご飯食べたら、仕事に行くみたいで。
部屋の鍵束渡されて、「観光終わったら帰っておいで」だって。
近所の「民族広場」がお勧めらしいので、一人で行ってみる。
ここで写真撮ってたら、デジカメの調子が急に悪くなり。
頑張って石林で撮った写真も、今までのが全部消えた(泣)
きっと内モンゴルの砂漠が原因に違いない。泣きたいくらいショック。

民族広場は大したことなくて、すぐマンションに戻る。
が、鍵の開け方が分からず、かなりドアの前で苦労。
ちょうど大理おじさんから電話かかってきて、帰ってきたから助かった。
「大理古城は日帰りで行って夜戻っておいでよ」って言われ。
「荷物置いていけ」って言われたんだけど、頑張って説得した。
そしたら「今日の仕事はもう終わったから、一緒に行こう」だって。
いや、別に一人で行けるのに・・・と思ったけど、ついてきた。
「民族広場は夜が綺麗なんだよ、だからもう一泊していきなよ」だって。
行く途中のバスの中でも「部屋の合鍵あげるから絶対帰っておいで」とか
「部屋も好きなように使っていいから」とか、ひたすら言われた。
というわけで、一時間ほどで古城に到着したのでした。
次回は大理古城編。量が多いから2回分くらいに分かれるかも。



旅記3〜雲南省・昆明編〜「そんな・・・!石林で一人遭難する」
2004年09月09日(木)
旅記3〜雲南省・昆明編〜「そんな・・・!石林で一人遭難する」

7/12。昼前に到着した昆明。南の都市だな〜って感じです。
しかもかなり都会で、天津よりも街かもーなんて感心したり。
さっそく有名な安宿にチェックインして、散策に出発。
今後の予習のため、少数民族博物館に行きたかったけど
休館日だったので諦め、公園めぐりをすることに。
とある公園の前のお土産屋さんの店主と仲良くなって雑談。
日本語教えてっていうから、いろいろ教えてあげる。
発音がちょっとおかしいけど、まぁいいか。
まだ旅の始まりなのに、お土産いろいろ買い込んでしまった。
パンダマークのタバコとか、象柄の携帯ケースとか、花文字とか。
昆明の信号機が珍しくて。青信号が動くのね、テクテクって。
すごくかわいくて見入ってしまった。おもしろーい。
夜になると同室の人たちが戻ってきてて、なんと全員日本人!
ラオスから来た青年&ラオスから来たカップル旅行者、でした。
中国で出会う旅行者って、大抵英語が通じなくてかなり苦労してる。
本当通じないからさー(笑)筆談で頑張ってる人が多いんだよね。

翌日。昆明に来たらやっぱりかの有名な「石林」でしょ!
と言うわけで一人出発。寝坊したためにバスがなかなか見つからんくて困る。
石林の入場料はメチャ高かったけど、学生証使えて良かったぁ。
大抵の人はツアーで来てて、個人旅行者はサニ族のガイドさんに
案内してもらうか、地図買って自分で見てまわるかしてました。
しかしー!!ガイドも地図も無しで乗り込んでしまった自分。
とりあえず人込みに着いていき有名な見所から先に回る。
写真写るのが好きだから、自分撮りとオート機能を駆使して頑張った。
旅行中は「写真家になりたいなー」って思うし、風景もたくさん撮った。
下から見ると石がぐわーって勢いで生えてるのが迫力あるし、
上から見下ろすと、石が花みたいに咲き乱れてて綺麗なの。

全部見ようと思うと一週間はかかるらしい石林。
せっかくだから全部見たい!と思い立ち、奥深くへと進入。
動物の形をした石やら、細い隙間を抜けたり、牢屋っぽい石やら。
いろんなバリエーションが楽しめた!自然ってすごいなぁ。
しかし、調子に乗ってどんどん奥へ行き過ぎ、観光客はおろか
人っ子一人いなくなるし、ざわめきも聞こえず静まり返ってて。
周りを見渡しても、高い石に囲まれ何も見えない。
歩いても歩いても石に囲まれたままで、他に何もない。
石と石の隙間から、かすかに空が見えるだけで。薄暗いし。
「ヤバイ、遭難したかも!」
そっか、どおりでみんなガイドか地図持ってたわけだ。
石林で遭難するなんて、そんなアホなー。みたいな。
頑張りすぎて端っこの方まで行っちゃったみたいです。
なんとか帰ってこれたけど、ちょっとした恐怖だった(笑)
そのかわり、見所らしいものはほとんど見たって自信がある。

夜は同じ部屋の子(ラオス君と命名)と一緒に夕食。
結構旅が長いみたいで、現地人に溶け込んでるというかなんというか。
ラオス君は人とのコミュニケーションが好きみたいで、
言葉通じなくてもお店の人とジェスチャーで会話して
仲良くなってて、すごいなって思った。
ちょっと離れた場所まで散歩行って、cafeでお茶して。
いろいろ話聞いてると、もっと沢山の国に行ってみたい!って思うの。
帰りは遅いからバスもう無くて、もちろんお互い貧乏旅行者だから
かなり長かったけど、おしゃべりしながら歩いて帰った。
昆明の夜はのんびりと更けていく・・・。
次回は大理編、のはずがその前に下関編を追加!



旅記2〜北京→昆明・列車編〜「涙の列車で二泊三日硬座」
2004年09月08日(水)
旅記2〜北京→昆明・列車編〜「涙の列車で二泊三日硬座」

7/9。さて、内モンゴルから天津に戻ってきてすぐに。
部屋も引き払って泊まる場所もないし、今度は一人旅に出発です。
この時期は列車の切符がなかなか取れないから、
普通みんな先に買ってるんだけど、そんな時間もなく。
「ま、どうにかなるだろー」って感じで出発。
見送りに来てくれた友達には、「切符がなくて今日にでもすぐ
戻ってくるんじゃないの〜?」とか言われつつ。

北京に着くと、案の定昆明行きの切符は数日後まで売り切れ。
詳しいこと分かんないし、とりあえず北京西駅に行く。
すんごい行列!!自分の順番まで一時間くらいかかるの。
それなのに合計四回も並んだ自分って・・・。
切符無いって言われたので、困った困ったって外でうろうろしてたら。
ホテル紹介やら輪タクやらダフ屋のおじさんに囲まれ。
雑談しつつも切符頼んでみたり、話し込んでしまった。
手数料が高いので結局止めて、もう一度並びながら考える。
一度大同や西安に行って乗り換えるべきか・・・うーん。
結局、明日の昆明行きがあったので即買う!!
しかし、それは硬座(硬い椅子)の切符だった。ま、いっか。
韓国人の友達に短信(携帯メール)送るとすぐに電話かかってきて。
「硬座で二泊三日なんて、荷物危ないし、寝れないから辛いし、
切符買いなおして、一旦天津に帰って来い!」とのこと。
この「帰っておいで」って言葉がすごく居心地良くて、本当帰ろうと思った。
しかし、切符の交換のやりかたが分からんで、無理だった(^^:

夜も遅いので、行きつけのユースへと。
去年一ヶ月くらい連泊してた安宿で、会員カードまであるし(笑)
一年ぶりでも、うちのこと覚えててくれたのがなんだか嬉しかった。
でも、ご飯一人で食べてたら全然美味しくなくて。
めちゃめちゃ天津帰りたくて、へこたれてた。
しかもバスに乗ってるとき、隣の人にナンパ(?)されたし(爆)
なんかいい人だったから、普通に会話楽しんでたら
「どこ泊まるか教えてよ」とか「ホテルを紹介するよ」とか
「夜一緒に遊ぼうよ」とか「好きだー彼女になってくれー」とか(笑)
耳に息吹きかけられたり、いろいろセクハラチックなこともあり
だんだんエスカレートしてるし怖かった(泣)
さっさと逃げたけど、その後も電話やメールがキショかった(><

翌日。列車じゃあんまり寝れないからチェックアウトまで寝だめ。
その後夕方の出発まで暇だし、なんと豪華にマックへ!!!
すごい一人ぼっちが寂しくてご飯も美味しくないので、
こうなったら大好物のフライドポテトを食べて元気出そうと思って。
なぜか隣に座ってた黒人さんと写真撮りあったりした(笑)
日本に向けたハガキ書いてたらよく分かんないけど泣けてきて。
しかも一番お世話になった韓国人のお兄ちゃんから電話あって。
声聞いたら安心してもっと泣けてきた。
「なんで一人旅なんてするんだ、機会はまたいつでもあるじゃないか」
とか「今すぐにでも帰っておいでよ」とか、そんな言葉が嬉しかった。
うまくいかないことだらけで、なんで一人で来ちゃったんだろうとか、
早く天津に帰ってみんなに会いたいなーとか、そんな事ばかり考えてた。
切符もし買ってなかったら、この電話ですぐに帰ってたと思う。
(しかし!切符無駄にするなんて貧乏な身には無理な話で)
うちがどうしても帰らないって言うから、仕方なく苦笑いして。
「いっぱい電話するから、気をつけて行っておいで」って言われた。

お気に入りの前門でちょっと買い物して、駅へ向かう。
なんと「セブンイレブン」があって、マジ感動!!!
中国に来てからずっと食べたいと思ってたコンビニおにぎりとかあるの!
うおーー興奮。ついついおにぎりとポテトサラダ購入。ああ、日本っぽい・・・。
店出ようとしたら急に大雨。ありえない大雨で、道はすぐに川状態。
靴の中がぐしょぐしょになってしまったし、服も濡れた。

列車に乗り込むと4人席の窓際!やったー。
ガイドブック見て計画立ててると、だんだんワクワクしてきて。
旅人としての感を取り戻してきたのか、気分も良くなってきた。
これからの旅行がすごく楽しみで仕方なくて、泣いたのが嘘みたい。
人が多くて立ち席の人もすごいいっぱい。床で寝てるから足場ないし。
夜になると寒くって寒くって、雨で濡れたせいもあるのか。
まわりの人も寒くて寝れないみたい。ガタガタ震えてた。
窓のカーテン剥ぎ取って、体に巻きつけて寝てる人も。
暇になると周りの人とおしゃべりしたり、そんなこんなで
二泊三日の43時間はあっという間に過ぎ去ったのでした。
横になれないけど、キツいの慣れっこなんで全然平気だった。
問題は寒い二晩のせいで風邪を引いたことかな。
次回は昆明・石林編の予定!



旅記1〜内モンゴル自治区編〜「星だ!砂漠だ!草原だ!」
2004年09月07日(火)
旅記1〜内モンゴル自治区編〜「星だ!砂漠だ!草原だ!」

7月2日。草原は今の季節が一番いい、という話を聞き。
フフホト行くぞ!と思い立つ。思い立ったら即出発。
せっかくなんで暇そうな人誘ったらOKだったんで、一緒に行く事に。
というわけで、内モンゴルだけは二人旅になりました。
渋滞やらバスの故障で、天津駅に着くまで一苦労。
駅に着いたら着いたで、切符売り場はありえない混みよう。
やっと買えた北京行き切符もなぜか無くしてしまうし。
(よく物失くす子なんです・・・)
ここは中国なんで、切符無くてもいけるかも!と思い。
友達の後ろにぴったりついていったら、乗れた(笑)

北京に着くと、なんとフフホト行きの列車は売り切れ。
仕方ないので西直門バスターミナルに行ってみる。
するといきなりパオトウ行きのバスのしつこい勧誘にあい、
フフホトで降ろしてやるとのことなんで、すぐに出発しちゃった。
寝台バスはなんと一ベッド二人用で、一人じゃなくて良かったー。
寝てるとき顔の上に荷物が何回も落ちてきて「うぎゃー」と叫んでた。

早朝、フフホト到着。バス降りるとき早速帽子忘れる(泣)
街から離れてたのでタクシーに乗りこむ。
「駅まで」と言おうとした私を遮って、友達が言った言葉。
「この街で一番賑やかな場所へ行ってくれ」。。。爆笑。
まあ、結局安宿が見つからなくてバスで駅前に行ったんだけど。
駅前に行くと早速「草原に行かないか?」という客引き。
最初は怪しげで渋ってたけど、なかなかよさげなので決定。
しかもあと30分後に出発というタイミングの良さ!
ずっとロスもなくトントン拍子で来てるのが不思議なくらい。

ここで何人?と聞かれたんだけど。
一緒にいた友達とは通称アジアコンビなんで(笑)
(つまりお互い日焼けしてるし日本人ぽくない顔ってことね)
全然日本人って言われないの。ベトナム、インドネシア、
フィリピン、シンガポールなんてのからアボリジニーまで。
いつまでたっても当たらないのが悲しくなってくるー。

ツアーは韓国人のおじさんおばさん4人、中国人の女の子と
ニュージーランドの青年のカップル(?)、そしてうちらの計8人。
こんなに中国人以外が揃うのは珍しいんだとか。
バンに揺られてると、郊外になるにつれ草原が見えてきた。
パオがいっぱい!!でもそのパオを通りすぎまだまだ奥へ。
ずいぶん進んだ所の、ちょっと小さい場所だったけど満足。
いかにも観光用のコンクリートパオ集団とか、嫌じゃない?
着いたとたんに歌と白酒のモンゴル式お出迎え。
そしてパオは自由にって言われたんで、友と二人で宿泊。

一息ついて外に出ると、本当にどこまでも草原が続いてるのね。
見えるのは、緑の草原と、青い空と、白い羊と、パオだけ。
うわー最高!!!空気も澄んでて天気も良くて、気持ちいいの。
羊を目の前で捌いてもらって、羊肉料理。新鮮だからくさみが無い!
急に大雨が降るも、数分するとまたすっかり晴天に戻ったし。
モンゴル族の家を探検したり、散歩してると野生のウサギや
放牧中の羊、牛、馬なんかを発見したり。すごい楽しい。

民族衣装着て写真撮ったり(嫌がる友にも無理やり・・・)
小皇帝っぽくて似合ってましたよ?(笑)
そのまま乗馬で草原をまわることに。でも、値段交渉のとき。
友が「俺ら二人合わせて250(アーバイウー)だ!」と言って・・・。
その場の全員が大爆笑。(俗:アバイウー=お馬鹿さん)恥かし。
で、うちの乗った馬は白かったので、「スーホ」と命名。
しかし!スーホもまたお馬鹿さんな馬だった。
道草ばっかり食ってるし(馬だから本当に食ってるの〜)
道端でトイレして人にかけてるし(うちも危うかった!)
綱引く人もいないし、日本みたいに柵の中じゃないから
自由に馬乗って草原駆け回るのが楽しくって。
馬が走るとめっちゃ振動が来てハッハッ言っちゃうの。
川を渡ったり、丘に上がったり、胸まで届く高い草があったり、
モンゴル族の家でお茶と羊のミルクのお菓子頂いたり。
草原を自由に駆け回ってると、すんごい気持ちよかったーー。

夕食時はまたモンゴル式で白酒を飲まされたんだけど。
普通の白酒よりも何倍もアルコール度数キツイのね。
50度近くあるかも。口つけただけで痺れる感じがする。
他の集落で歌や踊りを見て楽しんだり。牛の糞燃やして灯りにしてた。
おじさんが乱入して一緒に踊ってたんだけど、それが大爆笑。

空を見上げると満天の星空。星、星、星・・・。
遮るものが無いから、ずーーっと向こうまで綺麗に星が見えるの。
夜中にこっそり草原に寝っ転がって、星を眺めてた。

翌日は砂漠に出発。天気がまたすんごい良くって。
砂漠はなぜか急に砂嵐になり、大変!(こんな砂嵐は珍しいんだとか)
帽子、サングラス、バンダナで口を覆い、盗賊ルックです。
怪しいーって言われたけど、本当砂嵐がかなわんくて。
そんでもってラクダに乗っちゃいました。
ラクダ可愛いー。マツゲ長くって美人さんなの。
ラクダ乗って一応「動物園」らしきところに行くも、廃れてる(笑)
でも足が5本ある牛(メイン)がいて、暑さでぐったりしてました。
最後は砂山からソリに乗って滑り降りる。
すんごい急斜面だよーって思ったけど、意外とするする降りる。
みんなでスイカ食べまくって、のんびりしました。

夜は火鍋!うちの大好きな火鍋!!みんなで食べると更に美味しい。
ガイドさんがめちゃめちゃいい人だったので、労う。
本当にすぐ水とかガム買ってくれたり、気遣いすごくって、最高だった。
火鍋も一人10元でいいとか言って。(50〜100元しそうだった)
本当「すんごい良かった」っていえる草原&砂漠でした。

翌日は博物館で巨大化石なんか見た後、買い物。
せっかくだから蒙牛のアイスやヨーグルト食べまくって。
ハンモックやお茶の塊、ミニパオなんか買っちゃった。
夜は寝台バスで天津に直接帰ることに。
行きとは違って一人一ベッドの激狭いやつ。
おっさんの足が臭いし、布団もおもらし臭いし(笑)
しかもベッドとベッドの間に途中で乗ってきたおじさんが寝だして。
おっさんと密着?(-"-;)とか思ってると、友達が場所変わってくれた。
ありがとう、兄さん。またもお世話になりました。

バスのトイレ休憩は山道とかただの道。まーじーでー!!!
まわりおじさんだらけだし、バスから普通に見渡せるし。
暑くて喉渇いても、極力水分取らないように努力。
高速通らないでいつまでも山道ノロノロ走ってるし。
そして!!故障のため半日足止め。バスがいつまでたっても動かず。
食料尽きてくるし、暑いし、閉じ込められてる感あるし、キツかった。
こんなかんじでやっとこさ天津帰って来ました。
友達も貧乏一人旅タイプなので、楽に旅行できてよかった。
ほら、汚いのとか安っぽいのダメって人とか、
ちょっと考えてから行動って人だと、行動合わんかったりするし。
よかったよかった。
次回は北京→昆明編の予定!



中国旅行記目次完成版(リンク付き)
2004年09月06日(月)
2004年7月2日〜8月31日
中国旅行記目次(リンク付き)

旅記1〜内モンゴル自治区編〜「星だ!砂漠だ!草原だ!」
旅記2〜北京→昆明・列車編〜「涙の列車で二泊三日硬座」
旅記3〜雲南省・昆明編〜「そんな・・・!石林で一人遭難する」
旅記4〜雲南省・大理下関編〜「おじさんの家に泊まりドキドキ」
旅記5〜雲南省・大理古城編(前)〜「船でアル海の小島探検へ」
旅記6〜雲南省・大理古城編(後)〜「外国人の街・少数民族の街」
旅記7〜雲南省・麗江編(上)〜「愛しの麗江。概要と人物紹介」
旅記8〜雲南省・麗江編(中)〜「可愛い子猫とマツタケ祭り」
旅記9〜雲南省・麗江編(下)〜「宿で完全に沈没・・・さよなら麗江」
旅記10〜攀枝花・峨眉山移動編〜「時速120キロの恐怖タクシー」
旅記11〜四川省・成都編(上)〜「中国人です!泊めて下さい!」
旅記12〜四川省・成都編(中)〜「四川料理は辛いが美味いv」
旅記13〜四川省・成都編(下)〜「30頭以上のパンダに会う」
旅記14〜四川省・九塞溝編〜「天国の如き綺麗さに感激と溜息」
旅記15〜四川省・黄竜編〜「高地にて、頑張れヒッチハイク」
旅記16〜四川省・松藩編〜「ホーストレッキングはしなかった」
旅記17〜四川省・若爾蓋編〜「花が咲き乱れる草原が10時間」
旅記18〜甘粛省・夏河編(前)〜「ここが本当のチベットかもしれない」
旅記19〜甘粛省・夏河編(後)〜「お坊さんやチベタンと仲良くなる」
旅記20〜青海省・西寧編〜「山越え終了!8元の招待所に泊まる」
旅記21〜青海省・ゴルムド編〜「ラサに如何にして闇で入るか?」
旅記22〜ゴルムド→ラサ移動編(前)〜「何故か中国人正規バスに」
旅記23〜ゴルムド→ラサ移動編(後)〜「恐怖の道端トイレ休憩と」
旅記24〜チベット自治区・ラサ編(1)〜「宿探しとセラ寺コルラ」
旅記25〜チベット自治区・ラサ編(2)〜「チベット仏教の鳥葬」
旅記26〜チベット自治区・ラサ編(3)〜「チベット料理の一覧表」
旅記27〜チベット自治区・ラサ編(4)〜「ミニゴンパ巡りと禁教のお寺」
旅記28〜チベット・ナムツォ編(前)〜「雲が掴めそうな青い湖で昼寝」
旅記29〜チベット・ナムツォ編(後)〜「空から降る一億の星」
旅記30〜チベット自治区・ラサ編(5)〜「中国的買物交渉方法」
旅記31〜チベット自治区・ラサ編(6)〜「寺の祭りでチベタン大騒ぎ」
旅記32〜チベット自治区・ラサ編(7)〜「爆笑西蔵博物館」
旅記33〜チベット自治区・ラサ編(8)〜「やはりポタラ宮は偉大だ!」
旅記34〜チベット自治区・ラサ編(9)〜「チベットオペラ祭り」
旅記35〜チベット自治区・ラサ編(10)〜「バルコル四周買い物三昧」
旅記36〜ラサ→ゴルムド→敦煌移動編〜「敦煌行きも要パーミット」
旅記37〜甘粛省・敦煌編〜「莫高窟でシルクロード気分」
旅記38〜甘粛省・敦煌編〜「夕日の砂漠・月の砂漠を遥々と」
旅記39〜新疆ウイグル自治区・ハミ編〜「高級メロンを越えるハミ瓜」
旅記40〜新疆ウイグル自治区・トルファン編(前)〜「新鮮ミイラと前夜祭」
旅記41〜新疆ウイグル自治区・トルファン編(後)〜「葡萄祭りと怪しいウイグル族」
旅記42〜新疆ウイグル自治区・ウルムチ編〜「イスラム文化っぽさがイイ!」
旅記43〜蘭州・西安・済南・移動編〜「史上最悪の列車三泊四日」
旅記44〜旅のまとめ編〜「旅のなんでもランキング★」



「本音」
2004年09月05日(日)
なんてね。
国が違うと、言葉も文化も生活習慣も全然違って。
誤解で怒らせちゃった事もあるし、泣いちゃった事もある。
言いたい言葉がうまく表現できなくてもどかしくて。
なんとか近づきたいから勉強して、それでもまだ不十分で。
いっつもコドモみたいに説教されてばかり。
それでも、今まで頑張ってこれたのはあなたのおかげです。
なんでだろうね。なんでかわかんないけど。
嬉しいことも、楽しいことも、何倍にもなった。
ありがとう。
ごめんね。

あみ



旅記、とりあえず目次一覧より。
2004年09月04日(土)
目次(以降変更あり)
旅記1〜内モンゴル編〜「星だ!砂漠だ!草原だ!」
旅記2〜北京→昆明・列車編〜「涙の列車で二泊三日硬座」
旅記3〜雲南省・昆明編〜「石林で一人遭難する」
旅記4〜雲南省・大理編〜「外国人の街・少数民族の街」
旅記5〜雲南省・麗江編〜「パッカー沈没地、宿でぐうたらの毎日」
旅記6〜四川省・成都編〜「やる気ないパンダと激辛マーボー」
旅記7〜四川省・九塞溝&黄竜編〜「天国の如き綺麗さに感激と溜息」
旅記8〜四川省・川主寺&松藩編〜「ホーストレッキングはしなかった」
旅記9〜四川省・若爾蓋/ゾルゲ編〜「花が咲き乱れる草原が10時間」
旅記10〜甘粛省・夏河編〜「ここが本当のチベットかもしれない」
旅記11〜青海省・西寧編〜「物価が安い!8元の招待所に泊まる」
旅記12〜青海省・ゴルムド編〜「ラサに如何にして闇で入るか?」
旅記13〜チベット自治区・ラサ編〜「やはりポタラ宮は偉大だ!」
旅記14〜チベット自治区・ナムツォ編〜「雲が掴めそうな青い湖で昼寝」
旅記15〜チベット自治区・またもラサ編〜「寺の祭りでチベタン大騒ぎ」
旅記16〜甘粛省・敦煌編〜「夕日の莫高窟・月の砂漠でシルクロード気分」
旅記17〜新疆ウイグル自治区・ハミ編〜「ハミ瓜はメロンより美味かった」
旅記18〜新疆ウイグル自治区・トルファン編〜「葡萄祭りと羊肉串とミイラ」
旅記19〜新疆ウイグル自治区・ウルムチ編〜「イスラム文化っぽさがイイ!」
旅記20〜ウルムチ→済南・列車編〜「史上最悪の列車三泊四日」
旅記21〜旅のまとめ編〜「旅のなんでもランキング★」


意外と書くのに時間がかかることに気づいた(´・д・`)
これ全部UPできるかしら。。。うーーん。
最近ほとんど勉強時間にあててるから時間足り無〜い(>△<)



帰宅。ひどい列車。中国語本気で頑張る!
2004年09月02日(木)
8/31に天津帰って来ましたーー!!!いやー、大学開始まで本当ギリギリ。
なんだかんだで軽く中国一周してしまって、アホだ(笑)
でも、最高だった。本当に楽しくて楽しくて。
お金溜まったら仕事辞めて旅人になりたい!!って思う〜〜。
でも旅のおかげでいろんな地方に友だち出来たし、
なんかリスニングが上がった気がする。
ドジな子なんでいっぱい物無くしたけど。携帯とか(泣)

天津→内モンゴル→天津→北京→昆明→大理→麗江→パン枝花→成都→
九塞溝→黄竜→川主寺→松藩→若爾蓋/ゾルゲ→合作→夏河→西寧→
ゴルムド→ラサ→ナムツォ→ゴルムド→敦煌→ハミ→トルファン→
ウルムチ→済南→天津 という感じで旅してきました。

帰り、北京行きの列車が10日後まで売り切れで半泣き。
考え抜いた挙句済南行き乗ったんだけど、キツかった。
安いと思ったら空調なし、快速じゃないボロい列車で。
硬座(硬い椅子席)で57時間+無席(立ち席)で4時間。
三泊四日の耐久レースでした。人めちゃめちゃ多いし。
机の上に二人、机と椅子の下に二人、三人がけの椅子に五人!
背中や腿の上にはいつも人の足が乗ってて重いし。横から無理やり押されるし。
周りの中国人床にゴミや痰や口漱いだ水吐きまくるし。(カバン置いてるの〜)
窓からビール瓶やら汁入りカップ面やらなんでも投げ捨てるし。
昼間は窓全開にしても暑く、夜は凍えるほど寒すぎて眠れないし。
頼みのお湯は出ないし、水道から水も出ないし、トイレは荒れ果て・・・。
列車の添乗員さん?駅員さん?と仲良くなったんだけど、
うちが日本人って言っても信じられないって言ってて。
何でかって言うと、こんなボロ列車に乗ってる日本人
今まで一回も見たこと無いからだって(笑)確かに頑張った。

てか、旅行中出会った人にいろいろ刺激を受けた。
特に中国語はもっともっと頑張らないとダメだ!って思って。
前期は韓国語に走ったり(笑)今考えるともっとやれたと思う。
今期はマジ引きこもりになる位、毎日必死に勉強する。
中国語学科の子とかレベル高くて、負けたくないって思った。
HSK高級取るまで日本帰らないから!って宣言したら
何年かしばらく帰れないねぇって言われた(笑)
今期は日本人ともあんま付き合わないようにしてる。
ルームメイト日本人以外にしてって言ったらロシア人が来た〜。
美人さんでスタイルすごい良いのです。

というわけで、明日からはちゃんとした旅行記UPしたいと思います。
(これも他の旅人に影響された結果・・・)



 
 
 
◆プチ翻訳
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