消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1926年08月31日(火)

夕暮れて寒くなっきて
向こうの小さなハイツに
洗濯物が揺れてるのが見える

一人暮らしの若者だろうか
帰宅も遅いのだろう
たいへんだろうな
頑張ってるんだな
親元から離れてるのかな
帰れないのかも

ふっと寂しくなった


1926年08月30日(月)

新しい自転車を
まだ買いに行けてなくて
それで今週はよく歩いている
運動としてではない
必要な用事のためだけ
それでもぽかぽかしてくるのが心地いい
動きがだんだん軽くなってきた
歩くのもいいかも
雪にならなかったのはラッキー


1926年08月29日(日)

パラパラしながら

本の整理をしていると

当初はよく思わなかったのが

案外いいね と再認識した

自分の中で何が変わったのか

わからないけれど


1926年08月28日(土)

災害や感染や数値の悪化や

いつ何時死ぬかわからない

そう思うと

なんとたくさんのことを

し残しているのだろう

何か行動を起こそう

と思った

エンジン点火


1926年08月27日(金)

なんとなく察している
失敗をくよくよ悩んでいるのでなく
自分に腹を立てているのだと

くよくよなら自分で立ちなおせる
けれど腹立ちをうまく扱えない

失敗だったと認めているのに
ずっと引きずっているのは
正解が見つからないから

どうすればよかったのか
わからないままだから

でも正解なんてないことの方が多いのに
そのことにまだ気づけていないから

そして自分に腹を立てて
人にまで苛立っているから

自分に納得できているなら
人に腹を立てることはないだろう

悲しみであれ後悔であれ
自分の中で消化できたときに
ひとに優しくなれる


1926年08月26日(木)

長くもあった
短くもあった

忘れることはない
忘れはしない過去も

忘れようとしても
思い出す過去も

思い出そうとしても
覚えていない過去も

全部未来にもってゆく
明るい未来にもってゆく

光のさすところにおく


1926年08月25日(水)

黄色の花は春の光
きらきら感にわくわくする
胸いっぱいに抱えたい
ふわふわのぼんぼんと
甘い香り


1926年08月24日(火)

手を替え体勢を変える
バランスのとり方
80%位できるようになった
あとは慣れだろうか
いつか感覚が戻るだろうか
コロナがなければ
もっと活動的になれるのに


1926年08月23日(月)

歩道の石畳の隙間から ど根性ボケ?
しっかり枝を広げ木に育ってるクサボケ?
花が咲けばわかるだろう
何年も守られている感じがした


1926年08月22日(日)

今まで任せず自分でしてきたことを
先にされてしまった

一言 前もって言ってなかったので
たぶん気を利かせてだと思う

方向を知らずにされても困るので
次は言うけれど

任せたっていいのだと知ることも
大事だと思った


1926年08月21日(土)

大丈夫と思っていた
検査数値は悪かった
注意された

どこかで気を緩めると
きっちり響いてくる
少し怖くなった

これからはきちんと真面目にします


1926年08月20日(金)

好奇心の塊でいつも落ち着きがない
集中力の塊でいつも時間を忘れる
時間の過ぎるのに気づかぬ人は
老化から遠いのか
あるいは
ある日突然大老人になるのか


1926年08月19日(木)

そうかそうだ当たり前だ
春を感じて明るく思うのは
日がどんどん高くなってゆくからだ
だからわくわくしてくる
冷たくても雪でも明るい


1926年08月18日(水)

順々に作業をかたづけ
一仕事終えた感

気持ちだけが
春へ春へと前へ走る
期待ばかり膨らませている
ずっと抑えつけられ過ぎてるものね

どんなことがあっても春は来るのだから
今年の春は縮こまらないで
春を満開バクハツさせる


1926年08月17日(火)

冬の真っ最中に思い浮かぶ景は

日本の野に咲き誇るサクラソウ

春の明るく楽しい色

もうすでに待ち遠しい態勢


1926年08月16日(月)

自分を許せていないから
いつまでも解決策を
見つけられない
転換しないといけないのに

最大最悪の失敗と決定して
そこから出発すればいい
馴染んでゆけばいい


1926年08月15日(日)

埋まってしまったもの

それはきっと

恨まれても仕方ないことの代償

だから誰をも恨まないですむ


1926年08月14日(土)

その時なぜ

変わろうと思わなかったのだろう


変えることもできたのに

なぜ変えようとしなかったのだろう


1926年08月13日(金)

鏡開きのお餅は
何だか神々しくて
重くのびる気がして
体に力が入る気がして
同じお餅なのに
ちょっとありがたく思う


1926年08月12日(木)

なんだ?という当て外れ感
肩すかしのような騙され感
期待はずれのがっかり感
鹿たちをかすめて
冬の林を抜けてゆく雪感


1926年08月11日(水)

可動範囲が広がると
体が軽くなる気がする
あたためて動かしてストレッチして
真面目にリハビリしようと思う
さぼり気味だったから


1926年08月10日(火)

リハビリのためには
支える手を替えるのがいいけれど
バランスを崩すのが怖くて
ずっと同じ手を使っていた

今日何となくのんびりしていて
できそうな気がした
やってみたら6割ぐらいの感じ
毎日頑張ればもう少しできそう
少しずつでも普段の生活で
よくなっている気がする


1926年08月09日(月)

小気味よく理路整然と論破し続けるコラムを
読むのは気分がいいけれど
そればかりだと疲れてくる
何かゆるくふわっと
あたたかいものを求める
人は 1/f に生きている


1926年08月08日(日)

海辺の風は冷たいけれど

緑の茂みからメジロの群れ

犬たちは元気いっぱい

解放されている君


1926年08月07日(土)

雪のニュースばかりだけれど
なんとなく日差しに春を感じる
この雲の向こうに春があるような
うれしさを感じる


1926年08月06日(金)

年末は忙しく
新年のいろいろも済んで
やっと気持ちがほっとする
ほんとののんびりお正月気分
たとえ一日でも
スケジュールのないことが
一番うれしい


1926年08月05日(木)

なに焼きというのか
ざっくりざらっとした
大きく重めの湯呑みで
テーブルに傷

コースターを
使えばよかった


1926年08月04日(水)

昔の人は
手間暇を惜しまなかった
生きるために必要だった

生きるためのと思って
手間暇かければきっと
無理だと思ったこともできる
スルーしたことも成就する

丁寧に暮らす とかでなく
必要な手間暇をかけるということ


1926年08月03日(火)

無謀なことをしてきたなぁと

自分を振り返る自分は

老化したんだろうな


1926年08月02日(月)

暗く沈んでゆく過去ではなく

明るい未来へ目を向ける

そんなキーワードだったはず

そんな気持ちで選んだはず

決めたはずだったよ


1926年08月01日(日)

昔のおみくじには
「平」(たいら)というのがあり
「おだやか」「やすらか」という意味をもち
人々は「平」が出ることを期待した

のち人々の欲望がだんだん強くなり
より強い刺激を求めるようになって
おみくじの種類も増えていった とあった

まだ「平」の入るおみくじもあるそう

その記事を読んで
何かまわりの空気が
急に「平」になった気がした
そうだ今年は「平」で行こう

超も爆もメガもいらないこと




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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