消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1926年06月30日(水)

失礼になったかもしれない
配慮が足りなかった
悔いが残ります

月と木星がまぶしく並ぶ


1926年06月29日(火)

もう起こらない
安堵してた矢先

災いはほんと忘れたころに
戻ってくる

朝から情けなくなったし
一日しょぼんとする
それだけ

責める元気もない


1926年06月28日(月)

反省があれば
またやり直せる
落ち着く形を探せばいい

縦も横も関係なく
正面を見て
新しい形を


1926年06月27日(日)

世の中には
真逆のスタンス考え方があるのだ
ということを

心というより
頭がすっきりした


1926年06月26日(土)

道学先生の大目に見るのメモを

反故にしたことを

おおめにみる


1926年06月25日(金)

彩雲になりそうだったけれど

いまひとつ光の条が定まらず

神々しい輝きも

しだいに翳ってしまった


冬の雲はあつい


1926年06月24日(木)

足元ばかり見ないで
虚ろに仰がないで
まっすぐ前を見る
大きく広く前を見る
そうすれば
その中に地面も空もある
そして見るべきものが目の前にある


1926年06月23日(水)

人生の折々に幾度か出会った
心の何かが切りかわった気がする絵

何かが切りかわった
ずっと心に残る
そんな絵のようだった

白の高揚は花ふぶきに優る


1926年06月22日(火)

こだわる暮らしをする人たちは
選ぶにも続けるにも
エネルギーがいるだろう

流れにのるなら意思はいらない

誰かのエネルギーの中でみな同じ


1926年06月21日(月)

悲しむ涙

嘆くため息


涙を選ぶ


1926年06月20日(日)

ぐるぐると

渦巻く中から一つ

つまみあげる言葉


1926年06月19日(土)

乗り越えて大人になった者は

堂々とつよく ゆったりと美しい


まわりに安らぎをくばりながら

しっかりと歩を進めるみち


1926年06月18日(金)

人が自分をどう見ているか 
自分はどう見られているかでなく

自分が自分をどう見るか
そこから始まるこたえ


1926年06月17日(木)

冬の星が見え始めると

秋星は弱々しく見える

それでも

見失いはしない

見届けている


1926年06月16日(水)

この部屋は静か 
外の音は遠い

ソファーに沈んで考えますか
あたたか過ぎるので
窓辺に立って思いますか
ココアが少し重かった

また検査
何て言われるか

明るく年を送りたい


1926年06月15日(火)

白と黒の攻防は
あるいは興亡は
fade-out でなく
すっぱりと

偽りに振り回された時間を
振り返りはしない


1926年06月14日(月)

個の重視というのは
各々が自分を確立し
互いにそれを認めるということで

他と違わなければいけない
ということではないと思う

人と違って目立てばいいというのは
結局は人の目を気にした自己アピール

個の重視というのは
自分の内側を大切にすることであって
そこから出るものが外に伝わるのだと思う


1926年06月13日(日)

白み始めるころ

樋や雨戸の戸袋の上で

ことこと音がして

小さな羽ばたきが聞こえる

眠っていた雀が起きだしたのだろうか

どこからかもう遊びに来たのだろうか

ささやかな朝の気配


1926年06月12日(土)

子どものころ
あの日のあの公園の
真っ紅な葉は何だったんだろう

オレンジや黄色もあって
つやつやであまりにきれいで
たくさん袋に集めた

ずっと思っていたけれど
記憶を頼りに思うのは
ナンキンハゼみたい

そのあとそれをどうしたか
まるきり思い出せないのに
拾い集めたときの鮮やかさは
記憶に残っている


1926年06月11日(金)

古めの木のベンチがある公園

ペイントのない筋ばった木肌

過去に座った人たちを覚えているような

前を過ぎるだけで季節を感じる


天気のよい昼

ふれると温もりがある


1926年06月10日(木)

しあわせをあげたとき
自分もしあわせ
そう信じていた日々

気取りも気負いもいらない
そのままでいてほしい
気休めも気遣いもいらない
そのままを話してほしい

薪の煙 はぜる音


1926年06月09日(水)

今できることを考える

日々の作業や衣食住やそういう
一本の棒に貫かれたような
なすべきことではなく

しゃぼん玉のように
そこからぽっと離れた
どんなことをできるかを


1926年06月08日(火)

迂闊だった
そのチェックを忘れていた
忘れた頃にまた同じこと

前は悔んだけれど

これからもするだろう
何回もするだろう
ゼロにはならないだろう
人は失敗するんだから

そう思うようになった


1926年06月07日(月)

ハッシュタグも
キャッチコピーも
興味がないし
私には関係ない

大仰な看板もポップも
無いほうがいい
景色もお店も
きれいに見える


1926年06月06日(日)

どうあるべきかの教育を受け続けた者と
個の権利を主張する教育を受け続けた者

あたたかな輪はその人物の魅力に集まるけれど
後ろの利益に集まる輪はきっと


大人はオトナでありましょう


1926年06月05日(土)

境内の奥に
細くて長い棒を持った数人の男たちが
待ち伏せのようにうろうろしているのが見えた

私たちはすぐに横から出て商店街に避難した 
お店の誰かが通報していた

あの夢はいったい何だったのだろうか

意味がわからない怖さ


1926年06月04日(金)

噴火した炎は落ちて石となり

冷えしずまりて夜となる

星なき闇に烏啼く


1926年06月03日(木)

暦上に重きを言う人もいるけれど
中国から伝わった暦には
今の日本では ずれがあるらしい

季節は感じるもの
個人の五感でいいと思う

冷たい雨が吹き払ってゆく
公園は大きな水たまり
水輪が次々に生まれる
銀杏の大樹たちは黄色の箒状
桜たちは紅くまだ散らず
まだ晩秋感 
冬はそこ


1926年06月02日(水)

神主さんの白い紙のぴらぴらとか
巫女さんの鈴みたいなシャラシャラとか
よく知らないけれどお祓いのイメージ

その空気感が花ふぶきにはある
邪なものがはらわれてゆく気がする
やさしく気持ちが清められてゆく感じ

そこに立つ小さな自分を感じるとき
何かふわっと力をもらえた気がする


1926年06月01日(火)

今 自分が頑張って生きてる感はない
投げ出したりはしていないけれど
日々の流れをこなしているだけで
大きな目標を持ってはいない

でも花ふぶきは
ゆっくりおだやかに包んでくれる
がんばれる気になる
この気持ちは何だろう

ヨガの人が
大自然のパワーを入れるようなのかな

ずっとこれで
忘れずにいきたい




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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