消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1926年01月31日(日)

無観客なのに満席に見える

座席の背もたれの色

とりどりに不規則なのに

違和感がないという不思議

包括されてる感さえある


世界は普通に自然にこうなんだ

そう思った

一見無秩序に見えるものも

大きな秩序の中にあるのかも


5色には見えないランダムなモザイクは

木漏れ日のイメージと知った


1926年01月30日(土)

やることが大事で

あとはなるようになる 


イタリアの小さな村のおばあさんが

いつも言っていた言葉


今 本当にそうだなぁと思う


1926年01月29日(金)

そうだ
シロクマだ
シロクマの赤ちゃんだ

巣穴から初めて出る世界
雪の上に
お母さんのそばに

ふわっふわで
なんて真っ白
なんてつぶらな黒いめ
なんてかわいい

決めた
ほんものそっくりな
シロクマの赤ちゃんのぬいぐるみ
探そう


1926年01月28日(木)

その窓辺へ

おだやかな山が見える

あなたがずっと見てきた景色


わたしも知っている景色

夢の前に見る

原風景


1926年01月27日(水)

次々に忙しく作業した

忙しいのだけれど

静かな忙しさだった

ゆったりした忙しさだった


振り回されるのでなく

落ち着いた忙しさだった

疲れない忙しさだった


1926年01月26日(火)

やっと解決して静かになった

明日から平穏に進みたい


余分なことに振り回されて

滞ったいろんな作業を

再開する

忙しくなる


1926年01月25日(月)

大地が雨を呼んでいる

そんな匂いの風になった

土の匂いがした


夜になって

気づけば雨になっていた

雨の匂いだけになっていた


1926年01月24日(日)

ずいぶん思い切ったことをしたんだね と

自分に驚いてみせる

ことをしてみたくなって


ぱしぱしと思い切ってやってます


1926年01月23日(土)

失ったものを

持っていないものを

嘆いていてもしかたない

憂いていても意味がない


スタートを切る

そこから始まるのだから

動けば変わるものがある


1926年01月22日(金)

原因不明のエラー
その解決がいたってスローテンポ
こんなものなのかな
一昔前ならこんなかな

一つの処理に2〜3日ずつ経過してゆく
それを4〜5ステップ
今までなら気が遠くなるけれど

今は慣れてしまった
待つしかないので
その不便に慣れてしまった

待つことは自然になった

離島の暮らしのような気がする


1926年01月21日(木)

憧れの南国の花の種をゲット

望郷に似た風情

苗ではないので開花まで数年

それでも種から育てたい

発芽しますように

うまく育てられますように


1926年01月20日(水)

ここまで進んできたのだ

ここに不自由がないのなら

しばらくここでよいのではないか

進むだけが開拓ではないと思う


1926年01月19日(火)

トライアスロンという競技を知って
上田選手、田山選手を見て
なんて楽しそうな競技だろうと思ってから
ずっとファン

田山さんの解説は楽しいし
愛を感じる

次々にゴールする選手たちの
挑戦を終えたあとの
表情が幸せそうだ
達成満足感オンリー
誰も後ろ向きな顔はしていない
そしてまた挑戦し続けるだろう

感動しましたとか
感動をありがとうという言葉は
あまり好きでないので

私は応援の気持ちだけ
楽しかったですか?がんばったねよかったね
私もエネルギーに点火しましたアリガトウ


1926年01月18日(月)

少し前から草地でコオロギのいい声
いつの間にセミと交代したのだろう
月が知っている
夜風も知っている

私はもう
秋の気持ちになっている
今何をすればいいのか
わからなくて


1926年01月17日(日)

山にも海にも行けないから
花火も祭りもないから
夏だ〜!と
はじけられない
満喫できない

冷房の家でニュースを見て
蚊には刺されなかったけれど

都市によりまちまちの
夏休み明けの不安が大きい


1926年01月16日(土)

あれ?なんか違う
どうなってるの?と

よく見たら
自分のタッチミスだった

ぼんやり動いて
びっくりだった


1926年01月15日(金)

その knot は 少し難儀

ときおり引っ掛けてまごつく

若干短くしようか

迷っている

微妙な匙加減


1926年01月14日(木)

その正座を見た時


勝負ではなく

精進なのだ  と感じた


場が清められた気がした


その静かで端正な礼を

記憶にとどめる

     TOKYO2020


1926年01月13日(水)

哀しみをうめることはできないが
怒りを手放すことはできる

ちらっとTVでそんなセリフ
場面状況は不明だけれど
怒りは手放せる のだね

怒りは手の中にあるのかな
振り上げた拳と思えばいいのかな
拳を開けばいいのかな
握りしめたものを放せるのかな


1926年01月12日(火)

夢をもつことは大切だと思う
夢は励む力になる

夢みることだっていい
やわらかでも甘くても
気持ちが明るくはずむ

夢みる少女も夢みる乙女も
いつかは大人になるけれど
大人になっても
夢みたっていいと思う


1926年01月11日(月)

小さなチーズの銀紙をとるのが
ずっと苦手だった

指先にチーズが付くのが
嫌いだった

持ちかえたり
持ち直したり
いろいろ工夫してみても
うまくいかなかった

今日
ふと気づいたのは

外してゆくまま
持つところが狭くなるまま
むこうとしていたこと

戻して持てばよかったんだ


1926年01月10日(日)

静の章


夜鳴く蝉が落ちるころ

月がひんやり光るころ


とんちん館はあすなろ館へ

大樹の木目の木の床へ


1926年01月09日(土)

小雨の間に墓参
お寺にはまばらに人が来ていた
街なかは普段より対向車が多かった

夕方から次から次へ休みなく
天に叱られているような雨音

川や山は離れているけれど
街にも水は溢れる
景色が変わってしまいそうな音


1926年01月08日(金)

ねじれなのか歪みなのか膠着なのか 
消えた気がする

闇の中の手さぐりのような
きついリハビリだったけれど
何かすっきりした

軽くなった気がする
息をゆっくりと深く吸っている気がする


1926年01月07日(木)

世の中が
即効の化学反応のように
結果や反応の即答を求めすぎる

善意の回答者なのだから

ゆっくり醸すものも
あっていいのに


1926年01月06日(水)

時間をかけるということの
大切さを学んだ

そしてそれは
待つということの
大切さであることも

せわしく急いではならないことも
過ぎゆく時間を楽しむことも


1926年01月05日(火)

力を込めてできた

自分の力で頑張って直った

しばらくは平坦かな


1926年01月04日(月)

静の章へ


当たり前とされることは

原理であって明白

動かぬ静


するしないは

その人の動


1926年01月03日(日)

喧噪が閉じた
見ぬ間に終わっていた競技もある

たくさんの人が
この国に来ていたのだなと思う

何度も見ている選手も
初の選手も

参加できたこと
チャレンジできたことが
明日へのばねになるのだろう

ストンと静かになって
前を思い出せないけれど
感じるのは
私の内にも何かが湧いたこと

誰かが偉いとか誰かに感謝とか
そういうはっきりした形でなく
自分の中に湧いたもの
少しずつ満ちてゆくもの

静かだけれど
前より何かの力が増えた
意欲のようなもの

そういうことを感じた


映像でしかないけれど
最後の光の粒が美しかった
生まれ広がり集まり
命のある光のように見えた
ちょっと蟲師の世界を思い出した


1926年01月02日(土)

常識欠如のモーロク爺さん

相手が断れない立場の状況で
自分のしたい放題するって
パワハラじゃないですか

いつもそんな調子なんでしょうね

乙女の大切な宝ものを汚した と
書けばまるでセクハラになるけどね

私なら悍ましいと使う

古今東西 オサという人は
人々をまとめ
揉め事をおさめる立場なのに

選手が可哀想すぎる
みな彼女に同情して
彼女の代わりに怒ってる
TOKYO2020国民的大炎上


1926年01月01日(金)

なかなかマイペースには運べない


順調に進めていると

見定めたように横から追加してくるし

微妙な変更を強いられる


自分の好きにするのはいいけれど

ひとを巻き込むな




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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