消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1925年12月31日(木)

久々に新鮮なメモ

今日は頑張って
終了になった

夕雲が不思議な彩で
雨を待っても
行ってしまった

次のプロジェクトは
ちょっと夢が入る


1925年12月30日(水)

小学校のプールなら
着衣泳の体験学習もあるけれど

国際競泳用の
ピッカピカのプールで

シューズやユニホームのまま
そのままドボンって
いいの? と思ってしまう

終わったらいいの?


1925年12月29日(火)

夕立がくるとか

雷雨になるとか


いささか戸惑って

ノリが悪く


結局持ち越しになる

明日はガンバ!


1925年12月28日(月)

あっという間に
半分になってきた

ついこの間 
満月だったのに

遅く出る月は
ゆっくり上るように感じる

おだやかに
ゆったりと眺められる


1925年12月27日(日)

新プロジェクトは
さくさく進み

次のプロジェクトも
すんなり決まった

しっかりと
カタチが見えている

暑いけれど
わくわくする
燃えている


1925年12月26日(土)

出会うことは宝

そのときには
気づかなかった
それが宝だと

気づかぬままに
手を伸ばさず
とろうともせず

離れたのだ


1925年12月25日(金)

退屈 ・・ ?

退屈なんですか?

退屈ってなんですか?


よく見よく聞きよく考えていたら

そしてよく思っていたら

退屈なんてないでしょ


自分で何かを止めてるだけだよ


1925年12月24日(木)

復活の息吹をみつけた

自然の生命の力


わたしにも


新規のプロジェクト決まる


1925年12月23日(水)

たとえどんなに小さくても

風はムーブメント


静の中で感じ

受け止める


こころに

小さな風を起こそう


1925年12月22日(火)

コロナ禍中 
静かに始まった式典は
白く清らかだった

困難な状況でも
希望を捨てずに挑み続けた選手たちに寄り添い
無念な気持ちにも寄り添った演目だったと思う
黙とうの時間も意味深かった

直前までドタバタで
もう期待できなかった式典は
想像とは違って
この時期だからこそのものに
なっていたと思う

ずっとこの規模でいいのではないか

国力を誇張するパフォーマンスではなく
選手たちを称えるセレモニーで


1925年12月21日(月)

?を包んだまま

残しては 

進めない


1925年12月20日(日)

通りすがりの見ず知らずのご婦人が
寄って来られてマスク越しに
その木はなんという名前ですかと聞かれた
少々びっくり

こんなの久しい
外に出れば ディスタンス
知らない人には
不必要に近寄らない話しかけない
そんな習性になってしまっていたから

袖すり合うも他生の縁
というわけにもいかないイマドキ


1925年12月19日(土)

頭を空っぽに
してみようと思い立った

心を空っぽにするのでなく
頭を空っぽにすることを
してみようと

どれぐらいの時間がいるのだろう

記すために頭に言葉をためておくのでなく
空っぽにすればどうなるのだろう

思考を残さないというのは
軽やかになるのだろうか


1925年12月18日(金)

丁寧にする

それがモットー


受け継いだDNAに

入っている


1925年12月17日(木)

明るい話題をしよう

話題が明るければ

自然に笑顔になる

世界も世の中も

仕事場もご近所も家庭も


1925年12月16日(水)

期待は大きく膨らんで

膨らみ続けて

割れるときもあるけれど


また次の夢を

小さく膨らませ始める


いつも

期待は夢をくれる

彩雲のいろ


1925年12月15日(火)

目先にとらわれるのはよくない

でも
先々のことより
当面にポイントを置くのが
大事なこともある

比重のバランス感覚


1925年12月14日(月)

プロに尋ねる
経験者に尋ねる

それは
大事なことだと思う

知識を得る貪欲さも大事だけれど

謙虚に知識を広げ深めることも
大事なことだと思う


1925年12月13日(日)

機種を変えて

プランも変更した

手持ちのツールが変わったというより

使い方が変わった

世界の見え方が少し変化した


1925年12月12日(土)

消えたくば
なにも残すな
犬が追う

ものを残すな跡を残すな
水に飛び込め泳いで渡れ

闇に潜んで影を消せ
息をひそめて石となれ


1925年12月11日(金)

住宅メーカーの新CMで

『家は、生きる場所へ。』 篇 が好き


いろんな住宅CMの中で
今までで一番
「家っていいな」を感じたCM

いろんなスタイルのCMがあるけれど
家というものの本質
飾りでもステータスでもなく
自分が生きる場所なんだという選択

置き去りにされてきた何かを
思い出すような言葉

なんかほっとする


1925年12月10日(木)

その時は考えて仕舞い込んだのに

どこかわからない 

考え込んで手繰り寄せて

みつけたっ

大したことではないけれど

ちょっと嬉しかったりして

おばかでした


1925年12月09日(水)

古さにこだわるのは

未来に対しての侮辱ではないのか

よりよい新しいものが

生まれるやも知れぬ未来に対して


1925年12月08日(火)

頓珍館の
ちぐはぐな違和感も
ちぐはぐと見るか
変化と見るか

今までちぐはぐに感じて
違和感を持ったものも
変化と感じるなら
愉しみかもしれない

だから
出会うたびに
チャオciaoと
手を振ることにする


1925年12月07日(月)

一歩一歩ひと足ごとに
考えながら進むようになった

突然走り出したりスッキプしたりを
しなくなった

転んで傷つくのを怖れて

それはオトナになったからか
心の老化か


1925年12月06日(日)

いとおしみましたか
いつくしみましたか

かけがえのないものとして
そのいのちを


1925年12月05日(土)

目標は長閑な暮らし

辺境で自給自足するということではなく

この場所で長閑に生きること

ときを長閑に経ること


1925年12月04日(金)

昔フランス詩篇に見た 
甘くやわらかな憂いや虚しさに
憧れたけれど

現代の日本の苦い憂いや虚しさは
辛いという言葉になって
すぐ攻撃性になる


1925年12月03日(木)

これから先を考えるしかない

今までを思い煩ってもしようがない


1925年12月02日(水)

ウィンブルドンが始まって
よかった

ずっとフェデラーを応援している
強くて美しいフォーム
永遠に王者だと思っている

今センターコートの芝が滑りやすいらしい
負傷しないよう祈っている


1925年12月01日(火)

カレンダーの言葉

できるだけ妥協するのがいちばんの利口者。
欲ばりすぎると損をする。
            フォンテーヌ

今 ぴったりの助言だった

考えすぎて疲れ損だったから




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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