消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

1st    index         new


1922年10月31日(火)

受け流すことをできなくて

受け止めるばかりになって

苦しくなる


そうなのか 

いつも受け流すきみは偉いのかもね


1922年10月30日(月)

自分の導火線に火をつける

長い導火線

不思議な感覚

しばらく見ている


1922年10月29日(日)

しょごさん

だんろなひと


1922年10月28日(土)

いじわる

けちんぼ

ずる


いじましいね

あさましいね

みぐるしいね

うつくしくないね

かなしいね


1922年10月27日(金)

馴染むというのか

慣れてきたと思えば

愛着も出てきて

汚れても壊れても

それは落胆とか責任ではなく

自分の手になるという自由

自分のものという安心


1922年10月26日(木)

古い本に善良という言葉をひろった
忘れかけていたかも
使わなくなっていたかも

別の形で
紳士とかレディーとか
そんなふうに
ストレートにではなく
プラスαの意味をもって
使っていたかも


闇を歩きとおすという言葉もあった

歩く ではなく
歩きとおす という部分に惹かれた


1922年10月25日(水)

大人として 
大人を見せる

大人の思いやりは 
分別でもあり 自己犠牲たる時もある

ベイカー先生のことを
父さんはローラに
思いやりのあるひと と教えた


大人の思いやりを持てなければ
大人と言えない
自分はどうだろう
大人の分別も   *17


1922年10月24日(火)

最近広々とした美しい景色を見ていないと気づく

美しい映像も楽しいけれど

自然のスケールの中に立たないと

心は広がらない

だから苦しいのだと


少しばかり高いところへ行ってみようか

果てとつながる風がある


1922年10月23日(月)

ぶれずに生きている人
それを毎日記せる人
すごいなと思う
それはきっと
他者への愛に溢れているから

今の自分は ぶれぶれで
人への愛が足りてない
冷たく頑なになっている
何も記せない


1922年10月22日(日)

最近もう会いたくないと思う人が増えている
自分の気持ちの持ち方なんだけれど
力になってあげたい気持ちがわいてこない人
ずっとひとりでやってみればいい
そう思ってしまう
きっと自分のあたたかさや広さが減っている
人から気持ちが遠くなっている
そう感じながらも
どうしようとも思わないでいる


1922年10月21日(土)

潮時ってものもあるし

踏ん切りをつけるとか
一か八かやってみるとか

そうしないと
ただ時が流れているだけ


1922年10月20日(金)

うれしいは ありがたいで
感謝の気持ち

たのしいは
自分の気持ち


1922年10月19日(木)

娯楽ではなく
日々の責務の中に

たのしみをみつけること
たのしむこと

それが一番だいじかな


1922年10月18日(水)

心配してるよ が伝わる

だいじょうぶだよ が伝わる

それだけで あったかい


1922年10月17日(火)

基本は好きになることから

うれしいことをみること

人のよいことをみること


1922年10月16日(月)

コトが勃発しないと

スイッチ入らないんだよね

あれやこれやたくさんあるのに

計画立ってないんだよね

どうしたものかなぁ

あした たいへんだぞ


1922年10月15日(日)

今度こそ本気で
いらない物の整理をしよう
いつもそう張り切って
すぐ挫折する
無理だな もういいやとなる

でも今回は
少しお疲れムードで
だらんこ始めるので
案外よいかも

考えるのも選ぶのも面倒になって
いい いい いらない って
それでいけるかも


1922年10月14日(土)

背骨の腰の辺りがひどく痛む

誰も知らぬ間に
誰にも会えぬままに
このまま息絶えたら
たくさんの途中で終わる

常日頃から
身ぎれいにしておくということ
恥を残しては死ねない

昔のひとは本当に偉かったね
自分を広げ過ぎないように
収拾をつけていた

常に死を意識するということを
時おり忘れる

というより

時に思い起こせ


1922年10月13日(金)

儚くはないけれど

力強くはあるけれど

面影は まぼろし

すべて 幻


1922年10月12日(木)

柔軟な新しい発想が浮かばない

チェンジがきかない


頭が固くなっている

このままでいいと思ってしまう


お疲れモード


1922年10月11日(水)

面影が

飛び込めと腕を広げて

待ってくれている


面影という言葉に
かるくなった気がする
とべる気がする


1922年10月10日(火)

人に接近することに
めんどくさがり屋なんで

そう云っているけれど
それは臆病なだけ
収拾がつかなくなるという失敗を
怖れているだけでしょ


1922年10月09日(月)

ぞの人とずいぶん出会わない
出会っても会釈を交わす程度で
取り立てて親しく話し込む仲でもないけれど
きびきび働く姿は印象的

遠くに姿を見かける程度になって
動線と時間帯が別になって
それぞれ持ち場を守っている

最近はそんな感じになった


1922年10月08日(日)

笑顔の好感度より

黙している時のまなざしと口元に

その人が出ると思う


1922年10月07日(土)

気持ちに寄り添ってあげて と

伝えたけれど

言葉に寄り添ってるよ


言葉の向こうの気持ちに

寄り添ってあげて


1922年10月06日(金)

嫌なことばかりはっきり思い出す
何でだろう かなしいなぁ
もっといい思い出だけを覚えていたいのに

でもわかった
嫌な事が飛び出て記憶に残っているのは
それが特別だから
そのほかは全て 嫌じゃないことで
平和な楽しい日々ということ

平凡で普通で特別ではないから
ひとつひとつ強くは覚えていない
でも不幸せではなかった

いくつか嫌なことを覚えていても
ほかは全部 嫌じゃない事だったということ

嫌な事をふと思い出したら
ほかはみないいことだったんだ
と思うことにする


1922年10月05日(木)

与えるとか 施すとか
そういう発想でなく

オスソワケではなく

自分のものを分けるという気持ち
それがいちばん尊いと思う

誰でもどんなときでも
気持ちがあればできること
容易くて でも難しい

だから尊いと思う


1922年10月04日(水)

君のオープナーは

よい仕事をしましたね

一気に抜けて歓声があがった

みんな笑顔

少し近くなりましたか?

だといいね

君の笑顔を見ました

テイスティングはどうでした?


1922年10月03日(火)

色々新たな利用登録ごとに
IDが必要になるけれど
維持は面倒なので
もう利用しないつもりの
IDひとつ削除
スリムになった感

いったいいくつのIDを
そしてPWを
持ち続けないといけないのだろう
もっと削除したいけれど
必要だから仕方ないのかな


1922年10月02日(月)

君が見ていた番組
ラグビーの映画を
途中から見た
すごくよかった

題名をたずねたら
知らない単語だった
意味をたずねたら
知らない単語と言われた

推測し合った
話の展開から「不屈」かな?
何度か出てくる詩のようなフレーズ
重みがあったし
実話だったし
その言葉にある精神

調べたらラテン語でそんな意味だった

あとで知ったサブタイトル邦題もそんな感じ


1922年10月01日(日)

ふたりで旅をしたかった

きっと おだやかな

のびのびした旅になったでしょう

何処にしても




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


 *