消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1920年05月31日(月)

まだ完治ではないけれど
ほぼ日常のことは何とかなる
大事にならなくてよかった
安堵といらいら

こういうこと何度も起こり得て
乗り越えないといけないんだろうね

注意深く元気な人と
うっかり者ですぐ何か起きる人

自分に自信をもてなくなった
いつの間にか後者になっている


1920年05月30日(日)

おもいをいたさなかったので
しのばなかったので
たいせつにしなかったので
いとおしまなかったので
だから慌ただしさの中で錯覚して
手放した

おもいでをたどらなかったので
だいじなものもろともにうしなって
いきてゆくちからをなくした
あすへののぞみをなくした

誰かのせいにしますか

せわしなくまわりにケチを押してくる人の
いらいらのせいにしますか

だったらもう今後一切
振り回されないように
ガードして闘え
自分の信念を守れ


1920年05月29日(土)

人はかわってゆくもの

好みもかわる

しばってはいけない
自分をしばりつけてはいけない

きらいになるのも
またすきになるのも

自然なこと


1920年05月28日(金)

土の上に暮らすとき

空ばかり見ていた

高い所にいると

空を見なくなった

目線の遠くはるかに続く景色がある

見下ろす景色がある


小道を通る小さな自転車を

遊ぶ子らの頭頂の輝きを

並ぶ樹冠を上から

不思議な景色


パセリと詠んだ句もあるけれど

遠く新緑は黄金に並んで

むくむくとふくらんでゆく


1920年05月27日(木)

P・チャン選手が引退する
残念だ

スポーツの現役は短いとわかっているけれど
彼のスケーティングはずっとずっと見ていたい
滑らかな音楽に身をゆだねるような
暖炉の静かな炎の揺らめきを眺めているような
風に舞う羽根や氷上に転がる木の葉を目で追うような
彼のスケーティングそのものが調べだった
大会名やプログラム名は覚えていないけれど
記憶にある映像を手に入れたいものです


1920年05月26日(水)

自分に非がある
 

その言葉を失念していた

言葉を失うのは

そのこころも失っているということ


1920年05月25日(火)

美しいまちと思う

いろんな場所に植えられた花木

つぎつぎに花ひらく

最初に見たのはなんだったろうか

沈丁花?それより前に紅白梅も見た

スイセンも

桜も違う品種が色々 白いのや濃いのや八重のや

ハナミズキも 白ピンク

ハクレンも

ベニズオウ トキワマンサク レンギョウ ユキヤナギ

他に何を見たかな

レッドロビンの生け垣ははどんどん伸びている

キャロライナジャスミンのフェンスもきれい

アジサイのつぼみがが待っている

クローバーがゆれている


1920年05月24日(月)

気づいたり
発見があったり
驚いたり

それが人生で それがたのしい


1920年05月23日(日)

ナナメにおいてみた 

案外いいかも

広く感じる


1920年05月22日(土)

夜が 静かにおりてくる

遠く佇む山影を包んで


懐かしい灯に満ちた

夜景をみおろす


幸せなとき


1920年05月21日(金)

体験しなければ分からないことは


知ったかぶりも

錯覚の自己満足も

知っているつもりの自己判断も 

全部NG

知らないということを自覚している事が

一番重要なこと


1920年05月20日(木)

飾り立てたい気持ちはない

暮らしも着るものも持ち物も


ただ 上質に暮らしたい


1920年05月19日(水)

このまちがすきになってゆく

美しい街だと思う

風が抜け空が高く手入れされた花が開く

気持ちが落ち着く


1920年05月18日(火)

ふんだんに用意しておくのでなく

少しを工夫しながら大切に使う

その美しさを感じたい

姿勢のよい暮らし


1920年05月17日(月)

何もなければただの箱やバスケット

そんな効率系でなく


からっぽでもたのしい

そんないれものをつかおう

これからは


1920年05月16日(日)

気づかずに捨てた

救出できなかった


うしなったもの

きっと運気も落とした


1920年05月15日(土)

物に囲まれない暮らしをすれば

探す事もない

失う事もない


1920年05月14日(金)

運を拾いつつあるのかな

処分しようと思った小さな手帳本

パラパラめくったら

四つ葉や五つ葉のクローバーがはさんであった

何年前のだろう

少し色が変わって茶色い緑

その時はきっとしあわせだったよね


1920年05月13日(木)

愚かか賢いか

賢いというのは

客観的に見ることができるかどうかだと思う

離れて見ることができるかどうか

自分の中にいて自分のやり方でしか進めず

周りが見えない人は やっぱり馬鹿なんだよ


1920年05月12日(水)

色んなものを失った

たくさん無くした

細やかな気持ちでだいじにしてこなかったから

だから私から離れていったのだろう

取り上げられたのだろう

今どうしているのかなぁ


1920年05月11日(火)

通り道で辺りにいい香りがした 
何の花か思い出せない
少し柑橘系のような でも時期が違う
自転車を止めて見まわしたけれどわからなくて

帰りに裏側を通って見つけた
満開の沈丁花
ずっしりと剪定された大きな株で
紅と白が並んで合わさって見事だった

こんなに元気な沈丁花を見たのはいつ以来?初めて?
普通の通り道なのによく手入れされた花たち

こんなに近くで満喫できるなんて
しあわせが戻りつつあるのかな
ちいさなしあわせ

傍に これはきっとクローバー
芽吹きだしていた
少し広やかな芝生かな
ふんわりしたら四葉をさがそう

うれしいね
何か大切なことを思い出したような

そうだね元気でいよう

元気がでてきた

もう死んでいたんだけれどね


1920年05月10日(月)

12日の言葉は
あの 失敗からの復活の言葉だった
より賢い再スタートって


1920年05月09日(日)

お地蔵様をもらった
犬でもなく猫でもなく花でもなく

お地蔵さまなんだよ


1920年05月08日(土)

全部自分で捨てたのですから
失ったのですから

泣けばいい
泣けばいい

信用と信頼と切り捨てとが
渦巻いてこんがらがって
わからなくなって

物に責任はないのに



人生終わった そう思った

信頼と信用をはき違えて
罰が当たったと思う

いろんな事を
信頼しなかったから

だから失ったのだ


1920年05月07日(金)

見なかったことにするのができないなら

通り過ぎた車窓の眺めと思えばいい

振り返ることもできないし

逆路で戻る事もない

ちらっと見えて忘れるだろう景色


1920年05月06日(木)

思い出の品といふものは
そこに在るという安堵
そこへ帰れるという安心感
だから
たくさんあっていい
ずっとそばへおけばいい
のではないですか


1920年05月05日(水)

ペースダウンしている余裕などないのだけれど

ちょっと落ち込む 腹立たしい 疲れた

おかしいでしょ、それ って思う

こっちは時間が無いの! そればかり思う

どこかで一発急旋回急上昇しないとね!

何とかしてみせる見てなさい


1920年05月04日(火)

思い出の品といふもの
う〜ん 困ったね 一番困る
膨大な整理できないものたち

今 誤変換で「者」たちになったけれど
物だって者と見られなくもないよね
それもありだね
ならば 人と見なせば少し容易いかも
人の方が案外簡単に整理できるような

物だから整理しないとならない
置く場所がなくなるから

ただ よく言われる写真に残せば?は嫌い
写真はものとは違うと感じる

結局は残せる無限大のスペースは
ハートの中です
どんどん詰めて 浮上しないものはそれまで
ってことにするのもいいかも

でも 
きっかけで記憶を辿るというのは脳に良いらしいですよ
記憶を常に上書きする作業がよいらしいです
記憶の底に沈めたら無かった事になる
それも良くないような気がする

多分ずっと持ち歩くのだろうね
何かのきっかけで思い出したくなくなって
ばっさり切り捨てるまで


1920年05月03日(月)

ひょんな流れで古い写真をみつけた

え?どうしてこんな所に?
なぜこれが?みたいな100%びっくり

でもそれは超お宝だった
いつも記憶にあるけれど
大きく引き伸ばされて飾られた写真は知っているけれど
そのネガなど存在しないと思っていたもの
母も私も気に入っている遠い昔のもの
そのお気に入り集団のネガだった
何かのときにまとめられて箱にいれられて
そのままずっと封印されていたもの
いや〜ホントびっくり としか

デジカメのデータばかりになって
昔の写真のデータをとれずにいたけれど
道が開けた 大展開
しばらく楽しめそう
新たなアルバムをつくれそう

神にお礼をいいたいです
きみをしてその箱を開けさせたことに感謝したいです
母に素敵な贈り物をできるでしょう
人生の温かみの詰まった写真を見られるでしょう
それは聖火みたいなもの
道程であり道しるべであり
明かりであって未来へつながるもの

今いろんなことが急展開で身に起こっている
楽しんであたたまって通り抜けようと思う


1920年05月02日(日)

日めくりタイプは使わない

めくるのを忘れるから

忘れずにいようとするとせわしなくて疲れるから


でも去年の秋

定位置の月めくりは買ったけれど

定番の分の写真がイマイチだったので

迷っているうちにシーズンが過ぎた


いつもの場所に無いのも不便で

なんでもいいかと 言葉の週めくりと

写真と言葉の日めくりだけど1か月で回るタイプで

一枚もちぎらないでまた戻るのを買った


間に合わせだったはずなのに

どちらもわりといい感じ

穏やかに時間が進む


月めくりは写真とスケジュールがメインで

時間は止まっているみたいなのにね

ゆっくり進む時間もいいね


1920年05月01日(土)

ネットで探し物をしていて
流れていろいろ彷徨って
ふと目に留まったのは
以前閲覧していたあるサイト
立派な先生が運営なさっている活気ある場所

昔見ていたなぁと灌漑深く
でもずいぶんスマートに近代化していた
前はもっと泥臭くパーツにも手作り感があふれ
弟子?達が懸命に盛り上げようとしている集団だった気がする
サイトもプロにデザインしてもらえる時代だものね

お弟子さんたちはどうなったのかな
自立して飛び立ったのだろうか
HN変わってその中にいるのでせうか

時間がすごく経った気がする
ネットの変化って速い

変わらずに同じスタンスで頑張っている人達って
すごいなと思う
趣味でサイト立ち上げて20年になりますと言う人たち
子どもなら成人してるよ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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