消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1919年07月31日(木)

隠し事の多い人間なのだ


そう

初めてあの日記帳を手にした日から

自分を奮い立たせてきた

人に話すより頼ってきた

自分と対話してきたのだ

だから今ここにいる のかもしれない


1919年07月30日(水)

三角のこと

書いた気もするけれど

ヒットしない

1940か1941の

土星木星アルデバラン


1919年07月29日(火)

思いついてすぐ材料をそろえた
なのになかなか取り掛からず

時間がない?ポジションが決まらない?
もう少し細部の検討要?
優先順位が入れ替わった?
天候が不向き・・・?
寝不足で頭が働かない・・・?

いろいろモヤモヤ思っていても
結局のところ手つかずのままなのは
失敗を懸念しているから

怖れているのでなく
失敗すると面倒だから  ということだ


たかが小さな取り付け3カ所
失敗ならやり直せばいいだけのこと
取り返しのつかない事態になんかならない

とりかかりましょ とにかく
何でもいいから 今
さあ 動け ジブン

きっと動けばエンジンかかる
もそもそやってるうちにスムーズになる

皿洗いみたいなものだ


1919年07月28日(月)

優しい ってどういうことだろうか

慈悲深い とか 寛大 とか

心が広い とか 親切 とかなら

具体的にイメージしやすいのだけれど

優しい は うまくまとまらない

優しくない の反対か



優しい人 でなくて

穏やかな大人 になりたい


1919年07月27日(日)

大きな花火が七色に開いた

木立に隠れて半分だけ見えた

低いのは木立の間に赤く映えた

閃光と音と白いもや

それはきっと仕掛け花火



月もなく晴れているのに星がない

小さな三角を作っている赤い星だけ見える

ちょっと星の王子さまっぽい



調べると 土星火星アンタレスだった

サン=テグジュペリの描いた三角の星とは違った



ずいぶん秋の気配がする

手摺がひんやりしている

風がクール 

花火大会の河川敷もきっと秋風


1919年07月26日(土)

生きる って

なりふり構わないことかも


暮らす と少し違って


いのちを守ることだから



なりふり構わず

生きること を できるだろうか



ただ此処にこうして流れのまま暮らしているだけかも

それが定めのように

何の選択もなく


1919年07月25日(金)

おととい庭にツクツクが来た
家の皆が聞いた
そのあと神社の境内にもいた
今日も神社に鳴いていた
今年はよく聞く
アブラとクマはもう落ちてるけれど
交代が素早かったなぁ


1919年07月24日(木)

言葉に急がぬこと

胸の内にあたためること

残ったものだけ掬うこと


軽々しく口にせぬこと

おこがましく述べぬこと

大きなことを記さぬこと


         自戒


1919年07月23日(水)

余りを分散して残す場合は

均等にではなく

やり直しのきかない方

あるいは修正の面倒な方に

より多くゆとりを取っておく

簡単に修正できる方はゆとりはギリでもかまわない

足らなければ一から全部やり直すことだってできるのだから


1919年07月22日(火)

ショボいです

見かけ倒しです


カッコイイとこじつける

そのことがショボいのです


暗示にはかからない


1919年07月21日(月)

務めを果たすということについて

為すべきことを全うできない不安があるから座をゆずりたい

為すべきことを小さくしてゆくことは民の不利益につながる

普通の考え方なのに

それを言えない天皇の立場って

言い出すことすらたいへんなのだと

改めてわかりました


美智子さまも単なる夫人ではなく

本当に国民に安らぎを与え続けてこられたと

過去の映像からわかります


この国の民は良識があると思います

労をねぎらい 年齢、体力を思い

無理難題を押し続けることは多分ないでしょう


思いが通ずることを願います


1919年07月20日(日)

イチロー選手のことを
悪く言う日本人って きっといないと思う

胸の内に深い感動をくれる人

良き日本の魂 みたいな そんなものを
自分の中に 考えることを忘れているものを
思い起こさせてくれる人

イチローパパが息子の心に育てたものって
どんなことだろう
親として 父から息子へ 授けたものって


でも凡人としては思う

イチロー選手がすごくあり続けることは
野球に対してピュアであり続けることは
何かを手放しているのかもしれないと
そこに苦痛があるか喜びかはわからないけれど

彼はまだ青春なのだろうか
野球少年のままのハートなんだろうか
大谷翔平くんと同じ野球大好き少年なんだろうか


少し違うかな
大人の職人なんだと思う

独り立ちしたときからは
職人として道を研鑽し続けてきた
野球という技の職人として励んできた
自己を進めてきた
苦しいことを乗り越えてきた
そう思う

決して青く甘い人じゃない
るんるんわくわくの世代ではない
苦さは計り知れず味わっている大人
何度も歯を食いしばって耐えた大人
不安と戦い続ける大人
そう思う

だから ちょっと修験者か僧侶みたいだけど
プロだから きっと仕事中は素をみせないだけ

素のイチロー選手を見たことないから
見ることができてずっこけることができたら
ちょっと嬉しいかも
ほっと余計すきになるかも

厳しいだけの生き方だったら苦しいだろうなって思うから


1919年07月19日(土)

新聞コラムより 続き 

人々から見捨てられていると感じることと、
世評を気にせず自己のうちに深く沈潜することとは異なる。

ロンリネス(ひとりぼっちの寂しさ)と
ソリチュード(孤独)とはまったく別のもの。

町なかで人々と一緒に暮らしながら、
ひっそりとした一人の時間を大事にする生き方「市隠」。


                        と あった


1919年07月18日(金)

選んだ孤独はよい孤独  フランスの言い習わし

              新聞のコラムより


そんな事 ずっときっと知ってる

そう生きてきた

だからここにいる



その言い習わし

フランス人って えらいなぁ

日本には揶揄も含めて真逆の言い習わしが多い


とにかくこの訳がいい


1919年07月17日(木)

掃除機をかけ終わった時

洗濯物を干し終えた時

なぜか部屋がひろびろと清々しく

幸せな気持ちになる

ひとは空気の中に生きている

そのことを感じる


1919年07月16日(水)

この間から気になっていた日付
おぼろげになっていて
どれだけ経ったのだろう
誰か訪れただろうか と

そっとのぞけば
おぼろげな日付も合っていた

7年という月日は
ふつうに戻るということだね
遺された人達にも周りにも
ありふれた日常が流れている
そんな感じがした

生きるための闘いを
家族にしっかり見せて
亡くなったからだろうと思う

小さな花を供えた


1919年07月15日(火)

自分は強いだろうか

強い人なんてそういるはずない


弱いか

誰だって弱いだろう


考えてみるに

粘りやしなりや
それも強さだろうから

チェンジの速さ
それも強みだろうから

もっているかもしれないけれど


折り捨てるのも早いから


きっと

形容は

強い でなく 激しい になる


1919年07月14日(月)

スイカは好きだけれど

育ててみようと思った事はない

美味しいのができなかったらがっかりするだろうから


でも あんなに育つなんて なんか楽しそうだね

来年チャレンジしてみようか


1919年07月13日(日)

枕木で囲われ土が入り出現したエリアはお砂場?

銀のシートが張られ真ん中にちょこんと苗が入れられた

家庭菜園?

何だろうね? 

そう思っていたら

暑くなってめきめき育って鬱蒼と茂って

あれスイカなんだろうか?

気になります


1919年07月12日(土)

よろしく と よろしくお願いします は

別物と思います

あなたがどういうつもりで使っていても

大きな違いに見えます


立ち位置が違うのです

姿勢が違うのです

それは 気持ちの違いです


1919年07月11日(金)

闘うという 意志 でもなく

捨てるという 戦略 でもなく

放置するは 逃げ


1919年07月10日(木)

レースカーテンをバージョンアップ

今までも高機能のはずだったけれど

最新高機能のに替えた


午前の陽ざしの違いに驚いた

今まではなんだったのランク

明るくて暑くない


ブラインドや

暗い布カーテンにブーイングだったから

これはイイ

かなりエコかも


1919年07月09日(水)

タイルの目地の欠けを補修

小さくても欠けは穴のよう

ずっと向こうまで続く暗い穴のよう


白の目地がつながって気持ちいい

穴埋めって こういうことなんだなと

妙な感心をする


1919年07月08日(火)

アマゾンのレビューに大感謝した

こと書籍に関しては
自分が乗りやすいタチであることは分かってる
何かブレーキが必要な時もある
資金にも置き場にも困らないなら
気になるものは手当たり次第に買ってみればいいけれど
ハズレなら惜しげなく処分すればいいけれど
小市民レベルだからそれは出来ない
本なら図書館にあればチェックできるけれど
無い場合 思い切って買っちゃえ系になるのが困る

今日はアマゾンのレビューに助かった
ふと くわばらくわばらというセリフを思い出した

自分には何の関係もないビジネス書だけれど
ものすごく面白そうで
役立つ立たない云々よりただ興味を持った
でも出版社直販の価格がウソっぽい高さ
そんなに出すつもりはない
図書館になく されど出版元に申し込んで買う意味もなく
諦めきれない展開に

ふとアマゾンをのぞいたら
出版社展開の割引プラマイ送料代引き後とほぼ同じで存在

そうかアマゾンなら面倒なく買えるし
と思ってレビューを見たら

目からウロコのレビュー

書籍内容については予測もあって
具体的に書いてあると
やっぱりと思うけれど

その出版社が利益を得る販売システムについては
今まで知らない方法だった
勉強不足だったかもしれない
少々胡散臭い会社のように書かれていた

本のタイトルや帯に煽られやすいタチだから
もっと研究しないとなぁ

アマゾンのレビューありがとう
ずいぶん視野が広がりました


1919年07月07日(月)

ここ一月ほど

思いつきをすぐ行動に移す件が

多くあった

もちろん準備が十分なわけないから

手近な間に合わせ

出来も結果もそこそこ


でもそれで十分と納得できる感性ができた

案外よいかも


すぐ行動できるのは体力が戻ってきてるってことかな

体力が気力につながる

泳ぎたいと思ったのもそこかも

プールなんてずっと拒んでいたのに


1919年07月06日(日)

そうなんだ ・・・

あなたはズルをして

やったぁ 得した と思うのがうれしい人なんだ


嫌なヤツ ・・・


1919年07月05日(土)

昔 海水浴民宿に泊まったとき

おやつにうらの畑で作っているスイカが出た

スイカ割りをしたり

盆にずらっと並んだのを外でぱくついた


果物でスイカが一番好きかも

いろんなフルーツ園の食べ放題は

自分で採って食べるのだろうけれど

見た目で素人にはわからないデカいスイカは

プロが選んで切ってくれるのを頂くのがベストと思う


民宿ではスイカのおいしさを堪能した

海鮮系苦手だからなお嬉しかった

今はお店で買ってもイマイチ

満足スイカにはなかなか出会えない

値段の問題ではなくて

メキキの問題


1919年07月04日(金)

水底の音つながりで
プールを思う
泳ぎたくなったのは久しぶり
その浮遊感離脱感を思う

でもそのプールはもうない
古い屋外50m市民プール
競技会も行われる場所だった
観客席は階段状の長いベンチ
留学生のボビーさんが
寝そべって読書しながら日光浴していた

人の少ない時間帯に
ゆっくりゆらゆらと何往復もする
2000くらい泳ぐ
平と背泳ぎメイン
横泳ぎや犬かきや立ち泳ぎもしてあそぶ
立たない止まらない
潜水は25がギリ

でももうできない
リニューアルの屋内プールは反響音がいや
空が見えて風の渡る水面がいい
なつかしい夏の夕刻
木陰が伸びて夕風にかわる頃
音が消える
ぽかんと浮かんで気持ちが放たれるカンカク
また感じたくなった


1919年07月03日(木)

一刀両断 切捨御免 そんな生き方をしてる?



こぽこぽと音たてて 

水底から湧きあがる気泡の如く

生まれては失せる

束の間の鮮やかな気負い


1919年07月02日(水)

気配がない ということは

なんて静かなんだろう

誰もいない来る可能性もない

鳥の聲もセミの声も届かない

静かな空間

落ち着いたしあわせな時間に思える



でも やっぱり 思い出す

その輝きはソードで鍋で

月光にはならない と


1919年07月01日(火)

自分の力を信じて

過信せず

まっすぐ力を出し切る

彼のプレーが好きだった


年齢的なことかな

体力的なことかな

カップのチャンスはもうないような気がする


彼の冴えたショットをもう1試合見たかった




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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