消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1918年02月28日(木)

侮るな
カンの鋭いタチですから

? と引っ掛かるとき
必ず何かあるから

おかしいと感じたら
追究の手はゆるめません

こそこそ隠そうと企むことの
ほとんどは尻尾が出ているし

小手先ではなく
完全犯罪で隠蔽してください

できないなら
小細工はやめたほうがいい


1918年02月27日(水)

雨があがって庭に出る
久しく時間がなかった
黙々と作業をしていたら
ジンジャーが強く香った
あぁ報われた
もう今年は出会えないかと思っていた
南国の香りをありがとう
元気がもどった


1918年02月26日(火)

この世は生きるに値する (宮崎駿氏)

短い小さな言葉と思う
けれど長く大げさなメッセージより
一番すんなり入った言葉

色んなモヤモヤ感からの
解法が見つかる気がした

万人万物に伝わる言葉と思う


全力で前のめりに走った。
気持ちよさそうに空を駆けた。
一途に相手を思った。
とてもおいしそうにものを食べた。
生きる喜びに満ちていた。


新聞記事で見た上記5行
評判の映画タイトル群よりも
それに先駆けての知る人ぞ知るだろう的な
初演出の子ども向け連載アニメの
少年少女たちを思い起こす
見ながら感じていたことそのものだ
彼 彼女たちを 心から愛していた
人の原点を見ていた
あたたかな心 それがすべてだった


ただ5行目に関しては
映画の方では 満ちているというより 
ベースにあって見え隠れする感じ
絶えず感じるという気はしない
散りばめられている という感じがする


1918年02月25日(月)

疲れがない
不思議に疲れがない
本当に不思議

先が見えるというのは
そんなにすごいことなのか


1918年02月24日(日)

気づけば花芽が膨らみ
蕾があがり
もう咲いていた
ただ今年はその香りの始まりに居られなかった

ソウイウコトモアルトイウコト
ソレモキットキマッテイタコト
ナニカノキッカケニナルダロウコト
キリカエルコトモアリトイウコト


1918年02月23日(土)

小さな光がともって
先が少し開けた

まだまだの道でも
周りの笑顔が輝いて見える

過ぎた長い時間は
一瞬のことに思える


1918年02月22日(金)

功を奏する 
そのあと ひとは どうするのか
ほっとする
にんまりする

どちらでもないけれど
きみの行動に少し驚いて
そのあと 
よかったな と思う


1918年02月21日(木)

すべらかなシーツの上で
ゆっくり動作してみる
疲れがほぐれる気がする
ゆるゆるストレッチ

忙しいからこそ
いそぐなよ
大汗かくな
ゆったり歩いていこう


1918年02月20日(水)

君に教わって携帯電源オフ車両に乗ってから
たいてい利用している

以前に 乗った車両の
乗客のほとんどが携帯を触っていて
一心に指を動かしているのを見て
なんかぞっとした
へんだよ

以来ホームの端っこまで歩いて
オフ車両を待つ

その車内はなぜか静かだ
空席のある長閑な時間帯ではあるけれど
本を読んでいる人が多い
動きはゆっくりかほとんど無し
その風景は落ち着く
無機質な感じがなくやわらかだ
空気の流れを感じる
私も文庫本を開く
行き帰りに懐かしく愉しみな時間

間のたいへんな時間を忘れて


1918年02月19日(火)

文庫本を読むのは
というより手にするのは
何年ぶりだろう という感じ

最近は ハードカバーや
写真の多い大型本ばかりを
買ってきた気がする

布のカバーに入れてさえ
こんなに柔らかでしなやかで
掌におさまるなんて
忘れていた感触だった

文庫本を手にしなくなって何年も経つ
頁数よりも軽くやわらかに感じる
知らぬ間に本の体裁が変わったのだろうか
紙質やカバーや昔とは違うのだろうか

丸めて持っても抵抗なく
携えるというカンカク
美しく健やかな髪のように
そのままきれいにするりと戻る感触
いいなあ

電子書籍端末は当初に買ったけれど
使っていない

軍配は文庫本に


1918年02月18日(月)

激しい雨が大地を冷ます
大気も冷める
やっと芯から冷める

身体が楽になって
頭の落ち着きが戻る

届いただろうか
見つけてくれただろうか


1918年02月17日(日)

久々に文庫本を読んでいる
文章に飢えていた
文字に飢えていた
偏屈哲学者の本
それがすごくすんなり入る


1918年02月16日(土)

イチロー選手のすごさは
数字ではなくて
ストイックな生き方
捨ててきたものにあると思う
手を染めずにきたものの数にあると思う
人間手中におさめられるものは限られるのだから


1918年02月15日(金)

一年生くらいの子供が
ずる賢いのをみると
不愉快で哀れ

でももう会うことはない
悩まされずほっとする


1918年02月14日(木)

記憶に残ったのは 
女王のはじけた笑顔と涙
楽しげなピンクの飾り髪
そして男女ともにカラフルなシューズたち

疲れた頭と体で
毎日ぼんやりと見続けていただけだった

でも セリクのあと 
歩幅が増した気がした
軽々歩が進む気がした

最高のイメトレだったんだろうね


1918年02月13日(水)

ふと思い出した

深い緑色の
ずしりとしてごつごつした
木彫りのオルゴール
どうしたかな
塗りで布張りのきれいなトレイだけあるということは
本体は捨ててしまったのかな

何のきっかけで捨てたとしても
理由は覚えていない

置いておけばよかった
曲は好みではなかったけれど

あの寄せ木の秘密箱といっしょに
ずっと並べておけばよかった


1918年02月12日(火)

ふいに決断する

ずっと眺めていたものを
分解 解体
力を込めて
汗を流して

なぜずっとしなかったのだろう
本当はずっとしたかったのに


1918年02月11日(月)

「いのちの授業」
日野原氏は101歳 10/4には102歳

命とは、きみたちが使える時間のことなんだよ

自分の命と同じように、
人の命も大切にできるような、
自分の時間を誰かのために使えるような、
そんな大人になって下さい。


そうだね
子供のときは
全部の時間を自分のためだけに使っていい

ほんとうにそうだね

誰かのために自分の時間を使うということ
それが大人なんだね


1918年02月10日(日)

時間に追われて忙しいのに
時間が止まってしまっているような
逆に総てが止まっていて
時間だけが流れ去っているような
不思議な感覚の毎日


1918年02月09日(土)

決断とは
「やりたくない・決めたくないこと」を無理やり決める場合に必要。
「正しくないことを選択し、あとの努力で正しかったことにする」行為。
「正しかった決断」にするのは自分 コラムにそうあった

なるほどね
難しいことを決断して正しい結果にする
それは自分なんだね


1918年02月08日(金)

優しくないとしても
優しくなれないとしても

優しくすることはできる

優しくできれば いい

それは 優しい と同じでいい
それで軽くなる


1918年02月07日(木)

ヤサシクデキル 
モット ヤサシクデキル
モット モット

ケンメイニイキル 
ソノヒトミニ
オシエラレタ

ヒトヒラノ シオリ


1918年02月06日(水)

挨拶の気持ちを失っている
言葉が出ない

あとで思う
でも どうでもよくなっている

挨拶って
相手を思う気持ちがあってこそ

今 たしかに人間嫌い

周りに存在するものであって
ひととは感じていない気がする

在るのは 時間だけ

抜け出せるだろうか

思い出せるだろうか
ひとへの敬意と感謝を
夢を託すことを


1918年02月05日(火)

時間が止まってしまったように思う
早瀬のごとく流れ去るようにも思える

何もできず
何もしてやれず

命を繋ぐだけの時間

せめて涙せず眠れ


1918年02月04日(月)

思いのほか は
想定外レベルで突進してきた

知らない世界というものは
何処にでも現われるもので

guardするのに精一杯

いつ落ち着きを取り戻せるだろう


1918年02月03日(日)

『攻撃してくるものは怯えているものであることを。
 怒っているものは、傷ついているものであることを。』


きみのそのちいさな生きものに教わった

ほんとうは私が知るべきことだったのに

ごめんね

きみの気持ちをとばしてた


1918年02月02日(土)

思いもかけない展開 というものが
本当にあるんだと実感する

起こるべくして起こったのではなく
それは運とか偶然とか
想定など出来ないものに動かされて
としか言いようがなく

だから不思議なんだね

今後の展開が読めない ということには
希望も期待も持てる ということが入っているんだよね


1918年02月01日(金)

君よ
護るべき向きを違えているその盾を捨てよ

知らせる言葉があるはずだ
空高く知らしめよ

狼煙をあげよ
鳩を放て

要塞を出で風の丘で眠れよ
草の香で目覚めるのだ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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