消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1918年01月31日(木)

その人形は
穏やかだけれど地味で主張のないものに見えた
こどもの気を引くものではないように思えた

  変換で思った
  地味って滋味なんだと

だから小さなひとたちが
いともすんなり受け容れて
昔からの友達のようにすぐさま抱き上げ
そのままずっと抱いているのを見て
不思議な気がした


今は自己主張にあふれる時代
誰でもいろんな作家さんになれる時代
メッセージを込めた作品をつくる
主張のあるものを世に送り出す
わたしたちはそれを受け止め続ける

でも その人形は反対で

主張を繰り出しているのでなく
抱く人を受けとめている
だから子どもでも癒されるんだろうな
というより寧ろ
とくに疲れたこどもだからこそ
敏感に感じとっているのかもしれない

無言で受けとめるというのは
この人形のような存在のこと
そう思った

その光景を見ていて
何かがかわった

偏らず押しつけず
中庸 という言葉をふと思う


1918年01月30日(水)

どちらかといえば落ち着いて地味なほどの
おだやかでシックな色の
やわらかなぬいぐるみが
ちいさなひとの腕に抱かれている

眺めているとなぜか気持ちが安らいで
和んできた
苛立った気持ちが消えていた

やさしく抱かれたぬいぐるみは
命を吹き込まれて全く違って見えた

小さなひとたちはそれぞれに
新しい世界に懸命に生きている

頼まれて届けてあげてよかった
案ずるより産むが易し
わたしもありがとう


1918年01月29日(火)

気づかぬうちに咲き始めていて
切り取ってきたカサブランカの
香りが苦手になった

その華やかさその甘さ
今は相容れない

重くて苦しい
ただ辛くなる

前は大好きだったのに
もう好きになることはないだろうと思う
胸につかえるものと重なって


1918年01月28日(月)

突然ざわざわと波立って
きみを襲った不幸を
助けることが出来ない

ザワザワしているのはわたし
思わぬしくじりを重ねる

誰かが悪いわけでもなく
誰かが謝らねばならないわけでもない
みな必死に耐えて

でも
確実に不幸がある
それはどこから来たのだろう

あの日もそうだった
キミもずっと耐えてきた

どこか何かいいことひとつくらい
かわりに生まれるといい としか
いつかいい方へ向かう としか


1918年01月27日(日)

新聞のコラムで引用されていた

子規の句

「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」 に はまった


すっと入ってきて もう出てゆかない
ずっと心に残る
何年たっても新鮮な気持ちで思い起こす
そういう句のひとつ

それぞれに思いながら味わえる句
そういう句はいいなと思う

現代アートに近いイマ風の句は
?の時が多くて 記憶に残らないけれど


1918年01月26日(土)

これは運命の出会いだと思った
想定などなかった
夢心地で注文して
そしてすぐに幻となった

ビンテージに近い品
でもきっと
私には意味を持たない品

だから これでよかったの
手を伸ばしかけて
目が醒めました


1918年01月25日(金)

それはもう疑心暗鬼でしかない と思おう

明らかではないのだから

可能性はないともあるともいえないのだから


忘れよう 自分の手落ちと諦めて

忘れよう 疑心暗鬼だとして


1918年01月24日(木)

突然口をついて出てきた歌

誰も居ない

旧いCDを探し出してきて
ボリュームをあげて
思い切り歌った

そうだ
あの頃歌い続けた

私の原点だった

力が漲る というか勇気が湧く


ずっと歌わなかった気がする
何年も歌えなかった気がする

今日
心からのびのび歌って
原点に立ち戻れた気がする
力が戻った気がした

あの頃いっしょに歌ったあなたに
手紙を書きたくなりました


1918年01月23日(水)

何かがかわりつつある
フルーツバスケットの大嵐のように
ガラガラ福引の中に自分を入れて
出てくるのは何? みたいな


1918年01月22日(火)

何でも出来るなぞとうぬぼれてはいないよ
だから懸命に出来る手立てを考える
考え続けているからふと糸口がみつかる
アイデアがうかぶ

あなたは大きなことをいうわりに 
すぐ諦めるよね
投げ出すからそこでストップする

あきらめるなよ
あきらめなければいつか糸口に出会えるよ

あなたは
自分が分刻みで手早く仕事を終えている と言うけれど
セッカチなだけに見えますが?
そして手をつけているのは
簡単にケリが付く仕事だけに見えますが?

手間のかかる面倒なことは
ずっと置きっぱなし
そのうち何とかなると思っているのか
誰かがすると思っているのか

それで仕事が速いなんて
自分で言うところが馬鹿 と思っています


1918年01月21日(月)

アレンジ アドリブ 
アウトロー 一味変える ・・
そういうの好きだけれど

でもそれは

行き当たりばったり
めんどくさがり
マニュアル通りが嫌い なだけかも

それで話が通じるかも


1918年01月20日(日)

病んだ灰色は
切り捨てればいいんだ
いつまでも携えず
思い切りよく切除すればいいんだ

欠損など何でもない
かえって明るくなって風が通った気がする


1918年01月19日(土)

哀しい思い出になってしまった
丸い箱

出してみて
またしまって

結局元の場所

哀しくても想い出は捨てられない
あの時に還れたら
そして違う時間が過ぎてくれたら

パラレルワールドがあるのなら

それだけを思う


1918年01月18日(金)

今年は蛍に行けなかった

いそがしかったしね

来年をたのしみにします

一年後を楽しみにするって

ちょっとわくわくする


1918年01月17日(木)

あなたと会うと
どうして不愉快になるのだろう
お互いかもしれないけれど

いつも気持ちのにらみ合い状態な気がする

はあと溜息が出そう

自分で出来るなら一人ですればいい
ひとを頼るならそれなりの礼儀があると思う
私はヒマではないのです
自分の生活があります
ふりまわされたくありませんから
自分の主張を張ります


1918年01月16日(水)

目的もわかっている
目標もテーマもわかっている

ただアイデアはばらばらに浮かんで繋がらない
企画実行までゆかない

一本が通らずいらいらする

こんなとき
掃除でもするかな
放置している色んな箇所を
掃除して片付けて
黙々と何も考えずに汗を流して

すっきりしたとき
何気に一本が見えてくる

遠回りではない
近道なのだ
何かの無駄に気づくのだ
ごちゃついたものが
シンプルにまとまってくるのだ

すべきことが見えてくる
優先度が見えてくる
選択の重要度が見えてくる

何が大事で
何を大切にするかが見えてくる


1918年01月15日(火)

エトワールをちょっと移してみました

どうかな

強引だったかもしれない

でもすごく雰囲気よくなった

其処がいいよ

そこなら匂い蕃茉莉とかぶらない


1918年01月14日(月)

突然 無性にお習字をしたくなって
お習字をしたい! と言った
すれば? と言われる
そうだよね すればいいんだよね
簡単なことだ

書家とか何々甲子園みたいな
大筆のパフォーマンスでなく
ふつうの「お習字」をしたい

たっぷりの墨をつけて(墨汁でいい)
ふつうの筆で
ふつうの半紙に(書初めの練習の時の細長いのに)
姿勢を正して
きりりと楷書で書きたい

教科書みたいなお手本で

何年していないのかなぁ
そういうの

案外 夏向きな気もする
心頭滅却 ・・・かも


1918年01月13日(日)

久しぶりに長い夢を見た
でもあまり覚えていないのが不思議

以前なら 
よくそんなに詳しく覚えているね と
驚かれるほどすらすらと話せたのに

画は何か断片的 
声(音)の記憶も少なく
展開がわからない

久しく見なかったからかな

ただ少し怖かった
大型台風が近づいているという恐怖と
人気のない夜の学校周りの道
暗い校舎内の廊下
急がないと帰れなくなる
でもどこかに行かなくてはいけないらしい
頼った先生は居なくて
突然知らない人に出会ったり
それが 石原元都知事(似?)だったり
その人と私達は
一緒に近くの公園の古物市の壷を見て歩いたり
それはどうも雨上がりの明るい雰囲気で
一夜過ぎたのか 雨だけ去ったのか
訳分からん という感じ


1918年01月12日(土)

ベランダにいて
ふわりとエトワールを感じた

え? と思って庭におりる

匂い蕃茉莉がほぼ落ちて
エトワールが新たに瑞々しい花を開いていた

毎年この順で開くといいね
賑やかな匂い蕃茉莉が終わって
静かになってからゆっくりと


1918年01月11日(金)

そう思っていたら
梅雨入りした
荒れずに静かに入った

しっとり落ち着いた気分で


1918年01月10日(木)

梅雨入り間近
涼しい

むっとして入るのでなく
涼しく入る梅雨はほっとする
落ち着いて先を考えられる

梅雨時だって色々予定がある


1918年01月09日(水)

ドクダミが白く浮き上がる季節になった
茂みの上に点々と咲きこぼれている
互いの距離は絶妙
どんな時にももたれ合わない関係
孤ではないが個である
混ざり気のない際立つ白に惹かれる


1918年01月08日(火)

仕事というものは100%の結果を残すべきと思う
それが相手への義務と思う
仕事の責任と思う

でも自分のことは
ほどほどがよいとされる
それは100を目指さないこと
望月のみを希まぬこと

それが 
縛られないという意味での自由
揺れ代をもつゆるい程よさの自由
望み過ぎないという完璧な自由

望み過ぎることで縛られ自由を見失う


1918年01月07日(月)

エトワールのこと

またしてもエトワールしか思い出せなくて
調べなおして ベルエトワール
毎回ごめんね
もうこの庭では通称エトワールとしておこう

通り過ぎてふと何かいい香りがしたと思う
辺りを探って気づいた
いいときを過ぎていた

ハゴロモジャスミンと匂蕃茉莉(これもすぐマツリカと言ってしまう)が
庭中ムンムンと盛大に香っていて気づかなかった

ジンジャーリリーとベルエトワール
手放したくない香りなのに

損した気がした というより
やっぱり ごめん

気づいてあげなくて

残り毎日そばに寄って楽しみます


1918年01月06日(日)

ニオイバンマツリが
ほとんど白になって枝々をうめる

アメリカジャスミンという感じになった


1918年01月05日(土)

ひとは 健気な人を応援したくなる

でもあなたの登場は
いつも邪まな匂いがして

だから皆が散ってゆく

あなたのことなんて
誰も聞いていないよ


1918年01月04日(金)

私は刻む

小さな言葉で


私の気持ちを

刻み続ける


1918年01月03日(木)

リボンで飾り結びをする
髪や身の回りのものに
誰かへの贈り物に

だから

ちいさなひとも
リボンをつけてもらって笑む

そうだね原点はそれだ

リボンでひとは嬉しくなる
結ぶひとも 結んでもらうひとも

手で結ぶ行為で気持ちが繋がる


1918年01月02日(水)

ニオイバンマツリが一斉に開いている
ちらほら咲きだった頃のはもう白くなって
濃淡紫と白とできれい
いい香り
去年大きく成長したので
高さは私の背丈くらい
枝張りは腕を広げたくらい(尋?)
ゆったりと成長している
どこかのお寺みたいに大きくしたい
アメリカジャスミンというより
ニオイバンマツリの方が紫のイメージ


1918年01月01日(火)

さあて さて

頑張ってみるかな

気持ちを新たに 

スタートするかな

アグレッシブになってみるかな




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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