消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1917年12月31日(月)

検査値が悪かった
順調だったのにと医師も驚く



生活がルーズになっていたこと

その結果が出たこと

そういうこと

ただそれだけ



でも半分はひとのせい

周りの不規則を被って


1917年12月30日(日)

例年春はアクセサリー熱だったけれど
吹っ切れた気がする

この春は本を買い過ぎた
今日も届いた
これで最後にしよう

買ったものを身に着けるより
手にとり眺めて楽しむより
自分の手で何か作りたい

そんな欲求で
料理本手芸本工芸本
たくさん買った

でも季節が移って
本熱に一区切りがついて

やっぱり庭にいる時間が増えた
土の上が好き花の香りが好き
それだけでうれしい


1917年12月29日(土)

花粉もそろそろ終わりそう
暑さを感じる季節になって
一日窓を開けていた
風が気持ちいい

寝る時 窓を閉めても
部屋にハゴロモジャスミンの香りが残っていた


1917年12月28日(金)

自分の思うように生きなさい とか
したいことをやりなさい とか

長いものに捲かれるのでなく
流されるのでなく
道は自分で選びなさい と

そんな教育になっているような
そんな教育を強く受けてきたような

でもそれでよかったのだろうか
今それでよいのだろうか

自分が一番正しい と思うような
そんなおこがましさはなくとも
皆が自分のしたい方向へ進むことだけを考え
気に食わなければ参加しない そんな風潮
それは これまでの教育の弊害だと思う

他者のために自分を抑えるとか我慢するとか
そんな精神もとても大切だとわかる

相手の気持ちも考える
それを抜きで自分のしたいことだけ主張するのは
何か欠けている気がする

昔の人たちがとても大切にしてきたことだと思う
日本人のこころ ではない
どの民族にもどの邑にもあった
物質が豊かになって消えていった気がする
何かを躍起になって得るための教育で

私達大人は いま
小さなひとたちを
相手の気持ちも考えようとする人間に
育てなければならない


1917年12月27日(木)

もやもやとした不快の中に
閉じ込められていた気分

損だ得だという雑音に流されて
本当のものを探さずにいた 
よいものを考えずにいた自分
ただ待っていただけの時間

大損しているのは 気持ち
楽しくもワクワクもない待ち時間

良いものを選択する楽しみ
それが基本のはずなのに

損得を計ったことが間違いだった
危うさを感じたら決断は迅速に


1917年12月26日(水)

損得を計ろうとして間違えた
決断をのばしたから
キャンセルを躊躇ったから
結局だめになった
その時なら他所で手に入ったものを
逃してしまった
3週間以内に発送としながら
出版社在庫確認に3週間とは
そのあと入手不可とは
大手書店とは思えないひどさ
馬鹿だった
次回は信じない


1917年12月25日(火)

初夏の光と風の中に
すっと伸び立つ
やわらかで真っ白な
真新しい白詰草の辺に
きみと

知っている
いつかの牧場まきばの匂い

さがしもの見つけたけれど
きれいなのは少なかった

来年 また


1917年12月24日(月)

ハゴロモジャスミンが
アーチにこんもりと咲き始める
胸いっぱいになる香りを辺りに広げ
ふくらんで揺れる


1917年12月23日(日)

PCの調子の悪さ

そろそろ考えないと
何もできない


1917年12月22日(土)

著莪の群生が 
静かに花の終焉を迎える
ひっそりとしっとりと
気品ある佇まいで咲き乱れていた
透き通るように静かな
風の通り道だった


1917年12月21日(金)

異国の妃の親身な言葉と気遣いに決意なされたとか

この國の誰もそんな言葉をかけなかったのでせうか
周りの人たちは皆気遣っていると思いますが

立場や世代が同等でないと伝わらないのでせうか

でもやっぱり庶民から見れば
言いたいことは多々あります
聞く耳の問題だと思います
わたくしたちの血税です


1917年12月20日(木)

誰かに(正面でも陰でも)
いい気味〜 と言っている人を見ると
女性なら 嫌いになる
男性なら 軽蔑する

言葉も心根も醜いと思う


1917年12月19日(水)

美しいひとというと
ふつう容姿のことになる
見目麗しき と

でも
容姿ではなく
〜の美しい人 という言葉もある
それなら色々たくさん美しくなれる

言葉遣いの美しいひと
歩き方姿勢立ち居振る舞い
挨拶心配り話し方食べ方etc
多分美しいというより
見ていて気持ちがいいに近いと思う
心がければいろいろ美しくなれると思う
〜美人が増えると思う

こころの美しい人 という言葉には
漠然としすぎてリアリティーを感じない
清らかな心とか美しい心とか物語の中の人のようで
こころのあたたかい人 なら
生きている感じがするけれど


1917年12月18日(火)

奇想天外な話 だとしても
それぞれ思いついた人がいるということ

それはその人たちの夢でありロマンであり
奥底に流れる大げさに言えば人類愛というか人間讃歌で

ジャンルの違う二つの作品が
心で重なった

思いの外 というか
予想外によかったです


1917年12月17日(月)

夜のしじまという言葉
音のない夜が一番すき
寒くても暑くても

静けさがいちばん好き
自分の居る空間が広がってゆく気がする
ゆっくりと自分を取り戻してゆける気がする

朝の音が始まると
もう自分だけの世界ではなくなる
たとえ鳥の囀り一つでも


1917年12月16日(日)

キミノシグサガイトオシク
ワスレタモノヲオモイダス
ソウダネ
セツナイホドケンメイニ
ヒトヲタヨルトイウコト


1917年12月15日(土)

LUNA

未開の裏側を

開拓する快感


1917年12月14日(金)

やっぱり銀はいい ということを
思い出させてくれてありがとう

金より銀がすきだった
その頃は金と銀は離れていなかった
余裕の銀だった
仰ぐもののある位置だった
燻しの銀もすきだった
ステンレスよりよかった

今はどうだ
やっぱり金でしょ
金と銀じゃ全然違うでしょ
かけ離れてるでしょ
黒くなる銀よりいいステンレスだってあるし

そんな感じになってた
でも銀の翼の意味が
思い出させてくれた


1917年12月13日(木)

そのひとは
はだかの王様だ と言われた

わたしもそうかもしれない
みんなもそうかもしれない

でも
周りに迷惑をかけないなら
うぬぼれではなく
何かを強く信じるのは
悪くはない気もする


1917年12月12日(水)

未練という感情の置き所の難しさ

いちばん越えにくいものかも

原因理由が未練なら
どう解決しますか


1917年12月11日(火)

誰かに見合う人になるというのでなく
自分にふさわしい自分になる
そういうこと


1917年12月10日(月)

風もなくあたたかで
のんびり自転車を走らせていた

まだ群青の空に
思いの外高い位置に
か細い月が出ていた

昨日新月だった?

忘れていたことを思い出したような
ほんわりした気持ちになった


1917年12月09日(日)

整理していて
病者の祈り という詩を

かなしくなって
削除した

もう思いたくなくて
もう見たくなくて


1917年12月08日(土)

はらはらと桜散る
嵐の前の春の夜
おだやかな春の夜の少ない年だ
忙しく駆け抜ける春 な年


1917年12月07日(金)

自分で切り開けるものだろうか
負わされているだけではないのか
思いと裏腹に展開し続ける
思わぬメンバーが加わる
どうせよというのだ
私の責任ではないはずだ
幸か不幸かなど
最後まで分からぬというのか


1917年12月06日(木)

今までなぜ動こうとしなかったのかと思う
調べたがりなのに
ナンだっけ?とずっと思いながら
グラジオラス・・だけどちょっと違う
なんか原種っぽいような・・
細いし時期が違う そう思いながら

毎年きれいにあでやかに元気に咲いてくれる花
細身で華奢なのにすっくと立って強い
姿勢もいいし花色が抜群
花を立ち上げる本数が毎年増えている気がする
好きな花

なのに名前がはっきりしない
というか
多分グラジオラス系?・・としか言えなかった

きっとそんなに珍しい名を持つわけでもなく
育て方に難があるわけでもなく
適当に土に埋めた球根
そんな気がする
だから敢えて調べようとするには
キーワードが無さ過ぎる

で、がんばってみて
なんとか同じ花の画像を見つけて・・

やっぱりねぇ と嬉しくなって笑った
そうだよきみはふつうにそうだ

早咲きグラジオラス とか
春咲きグラジオラス とか
花にいい香がある とか 

そうだそんな感じのコピーで植えた気がする
色形でそれぞれに園芸品種名もあるようだけれど
そこまではいらない
きみは春咲きそれでいい
秋に仲間を増やそう
来年からもっとにぎやかになるよう
大好きだからね

名前がわかって他の色を増やせる
うれしいです


1917年12月05日(水)

ささやかな繋がり
なのにそれが途切れるだけで
世界から隔絶された気持ちになるのは
なぜだろう

時間は止まらない
世界は動き続ける
更新という言葉に恐ろしい速さを感じる
足跡など残らぬほどに駆け続けるような
さようならを言い続けねばならぬような

それでも自分の速さは調整できる
立ち止まることも振り返ることも

こころに焼き付けたいと思うのに
上書きされて消えてゆくもの達を
束の間この掌にあたためたい


1917年12月04日(火)

そうですよねぇ〜

その独特の節回しの台詞に
当初苛立った
少し離れたのはそのせいかも知れないと思うほど

でも脚本が好きでずっと見る
回が進むほど好きになる
最終回が一番好きで何度も見る
最終回が一番よかったと思ったものは多くない
大半は決着をつけるためだけの回で
ドサクサに紛れてさっさと終わったと感じる
余韻も何もない
リピートしないと感じる

でもこれは違った
録画であっても見るたびに
何かしみじみとしたものを感じる
自分の中に新しいものが入ってくる

思いやりがふえたかもしれない
熱意が湧いたかもしれない
仕事に愛着を増したかもしれない
高さより奥の深さの意味

そんなことも感じながら



そうですよねぇ〜

当初粘着質に感じて嫌いだったその台詞が
だんだん色んな意味をもって聞こえて
それは人と人との接着剤のようにも癒合剤のようにも思えて
後には明るく響くパイプオルガンみたいに聞こえた

ある意味 そうかもしれない と思う


ある意味 あの人もそうなのかなとふと思う


はじめは嫌いだった台詞だけれど
薬だったのかもしれない

それなりのトーンで使ってみるのもアリかも
そう思えた


1917年12月03日(月)

それは「マンジャーレ」という言葉
初めて目にした言葉
伊語で食べるという意味っぽかった
イタリアンのレストランでは
よく店名に使われているようだった


この店にようこそ足を運んでくださいました
有難うございます
選んで下さったこの店の味を
どうぞごゆっくり楽しんでください

オーナー支配人のその思いが
お迎えの笑顔になるのだと思う

そういう仕事っていいな
心底自分の笑顔で接することの出来る仕事
人の笑顔に接することの出来る場所

接客ということについて
反対側から目を向けたのは初めてかもしれない


1917年12月02日(日)

前はレンギョウを好きだった
今はヤマブキのほうが可愛いと思う

薄紫のイカリソウが山盛り咲いていた
この前は蕾ばかりだったのに

八重の水仙も山盛り
グラジオラスもあでやかなアネモネ色で
幾本も咲いていた

終わってしまった花たちも多いけれど
其処彼処に次の元気な花たちが始まった


1917年12月01日(土)

何もかも嫌になったとき
捨てたもの捨てるべきものを
間違えたのだと思う




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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