消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1917年09月30日(日)

きれいな朝焼けの空にはるかな山々のシルエット
広大な風景と真っ直ぐな道に見とれていた

言葉がよかった

目的地が、人を強くする。 前へ。

トラックのCMだった
もう一度見たいです。


目標とか夢とか希望とか
そういう言葉でなく
目的地というのが新鮮だった
目指して進んでゆく場所
地に足つけて到着する場所
いい言葉だなと思った
私は目的地を持っているだろうか
考えさせられた


1917年09月29日(土)

ロウバイの下に立つ

着実に春へと

きらめきが降りてくる


1917年09月28日(金)

生き残る というのは
命をつなぐ一滴の水を
うまいと思うことなんだろうね


1917年09月27日(木)

にこにこしてるね
ずっとこわい顔してたよ

原因も理由も問わない
対症療法で結構

それで戻るなら
よしとする


1917年09月26日(水)

イライラしない
それを第一として
その方向に考える


1917年09月25日(火)

なんくるないさ〜 という言葉が流行ったとき
意味をよく知らず 自分では使わないで
なんてことないよ だいじょうぶさ 
I’m okay. くらいに聞いていた

その後 
「なんとかなるさ」という意味の使い方と知って
お気楽お手軽手抜きな生き方という感じがして
好きになれなかった


でも今日 本来の意味は 
巷でブームな使われ方とは違って
まくとぅそーけー がつくと知った

「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」という定型句と知った

人として「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」
「なんくるないさ=何とかなるさ」の意味。

「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、
いつか良い日が来る」 という意味。

「人事を尽くして天命を待つ」と同じ感じ。

単に「何とかなる」と言う楽観的見通しを意味するわけではなく
それに相当する語は「ちゃーにかいさ」(どうにかなるさ)と知った

だから本当に真な深い言葉とわかった
よかった すっきりした
それなら心の内で念じられる


1917年09月24日(月)

踏み出す一歩の
向きがわからない

どっちに向けばいいのか


1917年09月23日(日)

何であんな地図見たんだろう
見なければよかった

真相はわからないけれど
なんか打ちのめされた感
ひどい脱力感

取り残されゆく感

返事はしない


1917年09月22日(土)

さがすよさがす
自分でさがす
きっとみつける 
自分でみつける
自分のしあわせ


1917年09月21日(金)

忘れてしまいたい
記憶から消したい
無かったことにしたい

でも無理だよね
パンドラだ

引きずってゆくしかない
悲しくて辛い

ひとがみな幸せに見える


1917年09月20日(木)

毎日陽ざしが明るくて
真冬に向かっているのに
早春という気持ちになる

春がくるの早いかもしれない


1917年09月19日(水)

はてしない物語 のように
元に戻るだけ
ずっと抜け出られない

しずかな暮らしを望むのに


1917年09月18日(火)

繋ぎ止めていた鎖が
突然ぱらぱらと千切れた気がする

今までなぜ置いていたのか
分からなくなった物たち

すっきり処分した


1917年09月17日(月)

あなた方が気にとめずに進むのなら
私が神経質に気にかける必要もないでしょう
もうやめます
気楽というもんです
あとのことは知りません
わたしの責任ではありません


1917年09月16日(日)

ばたばたとうるさい人たちに
振り回されていた

自分のペースはどこへいった

ゆっくりと優雅に落ち着いて
呼吸を整え声を整え

たぶんそこから始めるといい


1917年09月15日(土)

南の窓から陽光が射し込む
東の窓から青空と白い雲が見える
風の音がない
庭にも通りにも部屋にも音がない

静けさの中で一時間

いのちに水がわたるように
しずかに自分を取り戻す

音のない世界の幸せを
大切に思う


1917年09月14日(金)

自分は嘘つきではない と?
嘘を言ったつもりはない
騙そうとしたわけではない 
できなかっただけだ と?

では 訂正します

思いつきだけで話す人
発言に責任を持たない人
自分の言葉を実行しない人
出来なかったことに恥を感じない人
無責任人間
あなたは大ボラ吹き 


1917年09月13日(木)

嵐の番組に中村俊輔選手が出ていたけれど
とんねるずの I が 選手のキック寸前に 
無理やり靴を脱がせて盗っていったので
天才的キックを見られなかった

最悪
笑える場面ではない
悪ふざけも大概にしてほしい
皆の期待をつぶした
番組の楽しさもつぶした
何も面白くなかった
厭な人だと思った


1917年09月12日(水)

ほんとに偶然
元旦に
ゆるキャラぐっずを
もらいました

クマ系


1917年09月11日(火)

肩の力を抜くって
難しいことと思っていた
でも案外出来るとわかった

晴れでなくてはならぬ
というわけではないのだ

力を抜いて仰げば 
晴れていない空でも明るく感じる
とわかった 

難しく生きない って
そういう部分かもしれない


1917年09月10日(月)

十二月になって
立て続けにいろんなことが起きた
処理できないほど

やり残したことがいくつもあるまま
新しい年を迎えた

でも一つの変化を得た

気負わぬゆるさを理解できたこと
小さな英雄から


1917年09月09日(日)

一つしかできなかったけれどいい

一つずつでいい
ゆっくりでいい

進んでいるのだから


1917年09月08日(土)

解決できないままでもいい
決着がつかないままでもいい
いろんなこと背負い込んだまま
年を越していい

時は切れ目なく続いているのだ

生真面目にならず
力をぬいて生きて と

私の小さな英雄は
ゆるキャラになった


1917年09月07日(金)

誰にでも、心の中に小さな英雄がいる。
その小さな英雄を、大事に育てていくことが大切なんだ。
弱気になったとき、悪い心に負けそうになったとき、
最後の最後にその英雄が立ち上がれるように・・・
と言ってた

誰の心にも小さな英雄がいる 
と言ってた

小さな英雄が立ち上がった?
と言ってた

毒を手にするものは
毒に滅ぼされる
と言ってた


ちいさなドラマの中で


1917年09月06日(木)

己の力の限界を知り
静かに引退を決めた人たちがいる
最後の挑戦として
燃え尽きたのではなく
燃やし尽くして
新しい道を探ろうとする人たち

時は流れ
心の整理とともに
しずかに世代は交代した


チャレンジという響き
挑戦という響き
でもここでは 
挑む が一番あう気がする

挑み続ける人たちは
みな物静かだった

熱気や果敢というのでなく
おだやかに優しい人たちだった


闘い終えた人たちを後日集めたパーティー?会場は
茶番試写会番組だった
見たいのは正装してテーブルにつく集団ではない
ゲストの定番コメントも要らない
見たいのは夜風に身を震わせながら
声援を送り続ける仲間たちだ
悔し涙するずぶぬれの敗者に
拍手を惜しまぬ仲間たちだ

現場で燃えて終わるべきだ
その余韻を次回まで繋ぎ続ける人たちが
挑み楽しみ続ける
それ以外の要素を混ぜる必要はないと思う

視聴者もその山にずっといたいのだ
カットで会場に戻る映像は
気持ちが途切れるだけだった


1917年09月05日(水)

買っていた来年のカレンダーの一つを見ていた
ナチュラルに飾られた花々の写真に
リビングバイブルからの言葉が
添えられている

たましい という言葉に反応
とても新鮮に感じた
こころ とは違う響き

そう今この国に
たましい という拠り所はあるのだろうか
その重みや深さを教え育てる意識はあるのだろうか
小手先だけ教育を論じてころころ変更する行政
もっとどっしりと育むものがあるはず
外との競争に勝つためなどという目標ではなく
自身が高まるための教育行政を考えてほしいと思う
その先自ら育つ力になるのだと思う


1917年09月04日(火)

大粒の雨が音たてて降っている

激しさを感じる音ではない
太鼓のようなただ大きな音

冷たさを感じる音ではない
一粒の重さを感じる音

たたきつける感じではない
荒ぶる感じではない

丹念に打ちつけるような
真面目な音

心構えを置いてゆくような音
腹がすわってくるような音


時おりの風が
少し邪魔をしてゆく


1917年09月03日(月)

いじめという単語を広く使い出したメディアが一因
とかねがね思っている

小さな子までが使う

本来いじめは自分より弱いものに対して行なう行為だ
だからその言葉を
その行為を受けた側が発すれば
相手を強い側とみなした言葉になると思う
周りの者たちが使っても同じだ
与えた側を強いとみなし
受けた側を弱いと決める言葉となってしまう
だから言われたくないそう思われたくないで
隠しになってゆく

いじめを見たら教えなさい と学校などが言う
そのことがおかしい
それはすべて強弱を決めなさいといっているに等しい

違うでしょ

小さなときから教え込む言葉は
意地悪 という言葉にすべき

誰が何処で使おうと 
どんな場面で使おうと
受けた者が使おうと 
見ている者が使おうと
善悪をはっきりさせている言葉だ

〜ちゃんが(わたしに)意地悪する
〜ちゃんが意地悪している

強弱でなく善悪を示す訴えだ
その言葉こそが
善悪を正してゆく言葉と思う

言われている人の行為が悪い
言われた人の恥ずかしい行い
皆がそう思っていると
周りにもそう伝え伝わる

直るかどうかは別としても
不良という言葉に近くなる

レッテルを貼るべき行為と対象を間違えることが
今 悲しい結末を生んでいる

小さなひとたちに
イジメなんていう言葉の前に
意地悪という言葉をもっと教えてください
そしてそんな悪い恥ずかしいことをしない人に
育んでください

いつもそう願っているけれど


1917年09月02日(日)

本体が壊れて
もう直せない

取り寄せ注文していた部品5点
使い損ねて真新しいまま残った

いろいろ考えたけれど
他に用途がなく
結局処分することにした

色んな勉強になりました

馬鹿という語がうかぶ


1917年09月01日(土)

ヤドリギの記事の中に
古代ローマの叙事詩の引用があった
サフラン色の実」と形容されていた
熟した黄色の実をさすのだろうか

折りしも
手元に残すかどうか迷った本に
宿り木の一編があった
そこには
オリイブ色の葉」
すきとおった飴のような橙色や
レモン色の実」という形容があって
まだ暫く手元に残している




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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