消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1917年08月31日(金)

学ぶという言葉は
大切にしてきたけれど

見習う という言葉
あまり使ってこなかったと気づく

そこに因子があるのかも

ひとに対する気持ちの持ち方やわらかさ
ハラダチのしずめかた


1917年08月30日(木)

記憶の一片を辿り
ずっとリヤドロで探していた
でも思い違いで
ロイヤルコペンハーゲンのだと分かった

そういえばそうだった気もする
ナオでないとだけ覚えていて
それはリヤドロにすり替わってしまっていた

きみに似ていると思っていた
でも今は
今の私だと思う


1917年08月29日(水)

どっしりと重々しい樹形でなく
やわらかな優しい金木犀に
仕立てたくて


1917年08月28日(火)

トリモドス」
トリモドスノデスカ」
トリモドセルノカナ」
トリモドシタイネ」
トリモドセルノナラ」
ナンデモ」
ダレデモ」
ワタシモ」


オバマ氏の言葉は
忘れてしまったけれど

喧嘩っ早いのは御免だから
ゆっくり確かに歩を進めてほしい
平和を 手本とされる国を
目指してほしい
椅子だけでなく


1917年08月27日(月)

ハラダチヲ
シズメラレズニイル

トテモ クルシイ


1917年08月26日(日)

大きなイベントがくるのは好きではない
それまでの小さな日々が
ほとんど捨てられてゆく


1917年08月25日(土)

時間を失した 
時間を奪われた

腹立ちの中で
見失っているだけ

鎮めなければ
戻ってこない


1917年08月24日(金)

ユルセユルセ
ジュモンノゴトク
スベテユルシテ
ワスレテシマエ

ユルシタコトハ
ワスレテシマウカラ
ユルシタコトニシテ 
ワスレテシマエ

ハラダチヲカカエテイキルヨリ
ソノホウガラクニナル
ユルスコトハ
オノレノヘイアンニナル


1917年08月23日(木)

それは
カミングアウトになるのかな
気さくに話を続けるひと
ひとに話をさせるひと


1917年08月22日(水)

美しい葡萄色の切り子
それがあなたの価値だったのに

見つかりませんね
もう無いのかもしれませんね

色褪せましたね
あなたの切り札

断念します


1917年08月21日(火)

ノイローゼ ?
その言葉に同情はしない
単に力不足と思っている

あぁノイローゼになりそう と言って
すぐなる人はいない
たいていはならないように算段し
極力つとめるから

不足する力は 見究め力と努力 だと思う
立場状況環境精神状態意志
見通し可能性希望断念
いろんなシミュレーションをもってして
自分の位置と方向を自身で見究める
見究めたあとは自分の努力しかない
諦めるべきならその努力を
立ち向かうべきならその努力を
振り払うならその努力を

自分の意志でノイローゼになる人はいない
なりたくないならその努力をすればいいと思っている
死に物狂いになっている状況の人は
それなりの燃え方をしていてノイローゼにはならない
何かのエネルギーが何かを突破させている


1917年08月20日(月)

欠乏を怖れて予備を置く
予備の切れが不安でまた置く
一体どれだけの余剰を積み上げるのだ

無くても何とかなる何とかできる 
という力を持つことこそが
エコだと思う

教わっておくサバイバル術でなく
今持てる力を総動員できるという術(スベ)を持て


1917年08月19日(日)

たった10日ほどのあいだに
ほんとうにいろんなことがあった

ひとは進化しつつ老いる
老いてゆく人は
手放しながら生きているのだろうか
それまで得てきたものを
その手から
気づかぬうちに

胸から失くさずに
抱き続けることは出来ないのだろうか


1917年08月18日(土)

パンドラの箱になってしまった

虚飾のうず
最後に残ったのは何だっけ
きぼう?

華やかな夢を見ただけ


1917年08月17日(金)

生還

戻ってきたというより
新しい地に降り立ったような感じがした

緑の実はなく
柊が白く零れていた


1917年08月16日(木)

化粧品の12月のパンフレット
そのイラストはクリスマスのパーティー かな

華やかに飾るのではなく
色目もアクセも地味なくらい
きっちり落ち着いた装いに見えたけれど
やわらかなライン
清楚なイメージ
なおかつ大人な聡明な

定番とか基本とか
オーソドックスというものを
とても美しいと思った
安らぎを感じた

どんなに飛び跳ねても
最後に心は安定を求めるのだろう


1917年08月15日(水)

良識ある善人たちよ

時に悪人になればよい

爆発で己の健全を保つ 
という良識もあっていい


1917年08月14日(火)

仕事に迷ったら
不平不満を捜すより
世の中の 
人々の
いえそんなに大きくなくても
誰かの

役に立ってると思える仕事
であればいいと思う


1917年08月13日(月)

ハンバーグは焦げる
お鍋は焦げる

青い鳥
もう箱へは入れない

どこへなりと飛んでゆけ


1917年08月12日(日)

煩雑なブックマークを整理しようとして
たくさんの考慮中に引っ掛かる

あれこれと品物とショップを思案して
そのままになっているもの

結局
考慮中を処理するごとく
いくつも買い物をしてしまった

ばっかみたい 
みたいじゃなくてバカ

でもそのあとなぜか仕事がはかどった
買い物する時は労力が要って疲れるのだけれど
したあとはエネルギーが注入されたみたいに
元気が出る

その品物が届けば
自分の生活に新しいジャンルができる
その高揚感によるのかも


1917年08月11日(土)

その緑の実は

一つは少し赤み


1917年08月10日(金)

CMで 
今の積み重ねに未来がある と言ってたけど

それは私には
未来というより将来というイメージ

将来は招ける感じがして
未来って未知数な気がする
予測できないものを含む気がする

わたしには
未来はあしたの積み重ね に見える

そして
立ち止まっていても
あしたはやってくる気がする
知らないものをたくさんもって
望むものも望まぬものも


今を積み重ねたものは
昨日でしかない気がする

昨日とあしたのあいだに
今があると思う


1917年08月09日(木)

青い鳥を入れる

それは未来のしあわせ?
過去への想い?

それは タイムカプセル?


1917年08月08日(水)

ちらりと見たCMで

今の積み重ねに未来がある
歩みを止めたら未来はない 

みたいなことを言ってた
どんなCMだったのか
もう一度出会ってみたいけど


1917年08月07日(火)

ひとつぶ見つけた
もうひとつぶ見つけた
来て来て
見て見て
思わず呼んで
そのきれいな緑色をみつめる

何年かかって実をつけたのだろう


1917年08月06日(月)

教師の質は子ども達に影響するということ
怪しい事件を起こす教師が多々いるし
子ども達の学力低下が教師の問題であるなら
教師の質アップは重要 というのはわかる

ならば同様に
議員の質は国民の生活に影響するということ
そこももっとアップしてほしい
増員に躍起になって質を忘れないでほしい


1917年08月05日(日)

教師の質が低下しているから競争させるという
それで解決するのだろうか
そうではなくて
見習い先生期間を2〜3年ほどとればいいではないか
給料は少し低くして かわりに実家でない者には
見習い期間限定の住居を格安提供すればよい
職員宿舎は多数あるはずだし専用宿舎なら仲間も出来る
授業以外の膨大雑多な教師の仕事を
サブまたは責任者として多面的に一通り全部に携わる
授業も得意科目得意分野でたまに入れてもらう
その中で実践として学ぶ
あとはサブとして色々な学年クラスを回る
子ども達の顔や名前に親しみ
年齢ごとの子どもの特徴を肌で感じ
年間の多彩な校務の流れを知り
ベテラン中堅若手の授業をつぶさに見て
保護者というものを体感し
学校を自分の居場所として身につけてから
自信をもって担任となればいい

見習い期間があれば存分に自分を磨ける
各所回ればいろんな教師を見習える
見習い覚え盗み越すほどの熱意で
それこそが見習い期間のメリット
その段階で自分が不向きと分かるならやめればいい
子どもにも迷惑がかからない

資質低下を止めるなら
子どもと落ち着いて向き合えるよう
不向きを見極める期間と
自分の底上げを自身で図り磨ける体勢を
最初に設けるのが役立つのではないかと思う
教育実習などといっても期間は短く
その時期によっては経験が乏しくなる大卒生に
同じ担任の仕事を求めること自体無理がある
資質の出来ていない人を混ぜて低下などと言わず
入れる前に資質アップを図る
それが一番無駄なく迷惑なく進むと思う

資質低下は他の面のセンセイ方にこそ言いたいです
有権者としては

ヒマそうなほかのセンセイ族とは違って
学校ってところは忙しいんですから
秘書も助手もいないのですから

もちろん見習い期間を置くということは
その期間の給料は余剰教師となり支出増かもしれない
でも資質アップのための予算を設けて
成績の優劣に応じて給料や研究費の分配や増額 などというのなら
資質アップのための予算として組み込めばいいんです

定年までの最初の2〜3年と考えるなら
教師は低総所得になってしまうのかな
後に総額として挽回できるかな
とりあえずは意欲ある人のみ残るフルイにかかるということ


1917年08月04日(土)

長として
色々建て直そうとする意気込みも
使命感もわかるけれど
競争こそが質を上げるという理念をもって
何にでもその原理を入れようとする人
ほぼ喧嘩?という勢いで

何か怖い気がする

敗者切り捨て?
弱者は敗者?
それは自然界の掟?
そうかな
それこそ戦争にでも突入しそうな排他的なものを感じる

進め進めでスピードにのり
出過ぎたスピードを抑えきれなくなっているような
そんな感じ

スピードの出し過ぎは脱線しますよ
前方不注意になって反応が遅れますよ
カーブを曲がりきれませんよ


1917年08月03日(金)

十一月というのは
なぜかどこか寂しい
何も楽しくなくて
銀杏が見事な黄金色に燃えても
つたの壁が真っ赤になっても
きっと淋しくなる

愉しいひと いるのかな

でも
枯れ葉色になってゆく野が
落ちてゆく陽に輝くのは
あたたかな気持ちになる


1917年08月02日(木)

ただ漫然と見ていると
見ているようで何も見えていない
そこに立って顔をそちらに向けているだけ
何の記憶も残らない

何かにフォーカスしていると
なぜか周りも見えてくる

そういうものだよ
だから君は何も見えていない
憶えていないのです


1917年08月01日(水)

新聞のコラムで
手探りという言葉に反応した

自分はどう感じているかを
手探りしながら進む
自分にとっての幸せは何か
いったい何を幸せと考えるか
そんなに簡単に結論は出ないし
一生死ぬまで答えが見つからない可能性の方が高い
ベストでなくてもベターがわからなくても
悪くは無いね を選べればいい

そうなんだ
それでいいんだ
見つからない可能性の方が高い 
と分かっていればいい
だから手探りなんだ

手探りというと
なぜか暗闇という言葉と連鎖してしまっていた気がする
でもしっかり見ながら手探りできるんだ
あれこれ見てさわって
迷いながら確かめながら進めばいいんだ
それも手探りだ

人生は手探り
未知の道を進み続けるのだから
それで当たり前
悠々樂々安心なんて無くて当然

当たり前のことだけれど
なぜかすっきりした

自分に小さな問いかけをし続けること

ゆったり堂々と
手探りたまえ自分




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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