学ぶという言葉は 大切にしてきたけれど
見習う という言葉 あまり使ってこなかったと気づく
そこに因子があるのかも
ひとに対する気持ちの持ち方やわらかさ ハラダチのしずめかた
記憶の一片を辿り ずっとリヤドロで探していた でも思い違いで ロイヤルコペンハーゲンのだと分かった
そういえばそうだった気もする ナオでないとだけ覚えていて それはリヤドロにすり替わってしまっていた
きみに似ていると思っていた でも今は 今の私だと思う
どっしりと重々しい樹形でなく やわらかな優しい金木犀に 仕立てたくて
トリモドス」 トリモドスノデスカ」 トリモドセルノカナ」 トリモドシタイネ」 トリモドセルノナラ」 ナンデモ」 ダレデモ」 ワタシモ」
オバマ氏の言葉は 忘れてしまったけれど
喧嘩っ早いのは御免だから ゆっくり確かに歩を進めてほしい 平和を 手本とされる国を 目指してほしい 椅子だけでなく
ハラダチヲ シズメラレズニイル
トテモ クルシイ
大きなイベントがくるのは好きではない それまでの小さな日々が ほとんど捨てられてゆく
時間を失した 時間を奪われた
腹立ちの中で 見失っているだけ
鎮めなければ 戻ってこない
ユルセユルセ ジュモンノゴトク スベテユルシテ ワスレテシマエ
ユルシタコトハ ワスレテシマウカラ ユルシタコトニシテ ワスレテシマエ
ハラダチヲカカエテイキルヨリ ソノホウガラクニナル ユルスコトハ オノレノヘイアンニナル
それは カミングアウトになるのかな 気さくに話を続けるひと ひとに話をさせるひと
美しい葡萄色の切り子 それがあなたの価値だったのに
見つかりませんね もう無いのかもしれませんね
色褪せましたね あなたの切り札
断念します
ノイローゼ ? その言葉に同情はしない 単に力不足と思っている
あぁノイローゼになりそう と言って すぐなる人はいない たいていはならないように算段し 極力つとめるから
不足する力は 見究め力と努力 だと思う 立場状況環境精神状態意志 見通し可能性希望断念 いろんなシミュレーションをもってして 自分の位置と方向を自身で見究める 見究めたあとは自分の努力しかない 諦めるべきならその努力を 立ち向かうべきならその努力を 振り払うならその努力を
自分の意志でノイローゼになる人はいない なりたくないならその努力をすればいいと思っている 死に物狂いになっている状況の人は それなりの燃え方をしていてノイローゼにはならない 何かのエネルギーが何かを突破させている
欠乏を怖れて予備を置く 予備の切れが不安でまた置く 一体どれだけの余剰を積み上げるのだ
無くても何とかなる何とかできる という力を持つことこそが エコだと思う
教わっておくサバイバル術でなく 今持てる力を総動員できるという術(スベ)を持て
たった10日ほどのあいだに ほんとうにいろんなことがあった
ひとは進化しつつ老いる 老いてゆく人は 手放しながら生きているのだろうか それまで得てきたものを その手から 気づかぬうちに
胸から失くさずに 抱き続けることは出来ないのだろうか
パンドラの箱になってしまった
虚飾のうず 最後に残ったのは何だっけ きぼう?
華やかな夢を見ただけ
生還
戻ってきたというより 新しい地に降り立ったような感じがした
緑の実はなく 柊が白く零れていた
化粧品の12月のパンフレット そのイラストはクリスマスのパーティー かな
華やかに飾るのではなく 色目もアクセも地味なくらい きっちり落ち着いた装いに見えたけれど やわらかなライン 清楚なイメージ なおかつ大人な聡明な
定番とか基本とか オーソドックスというものを とても美しいと思った 安らぎを感じた
どんなに飛び跳ねても 最後に心は安定を求めるのだろう
良識ある善人たちよ
時に悪人になればよい
爆発で己の健全を保つ という良識もあっていい
仕事に迷ったら 不平不満を捜すより 世の中の 人々の いえそんなに大きくなくても 誰かの
役に立ってると思える仕事 であればいいと思う
ハンバーグは焦げる お鍋は焦げる
青い鳥 もう箱へは入れない
どこへなりと飛んでゆけ
煩雑なブックマークを整理しようとして たくさんの考慮中に引っ掛かる
あれこれと品物とショップを思案して そのままになっているもの
結局 考慮中を処理するごとく いくつも買い物をしてしまった
ばっかみたい みたいじゃなくてバカ
でもそのあとなぜか仕事がはかどった 買い物する時は労力が要って疲れるのだけれど したあとはエネルギーが注入されたみたいに 元気が出る
その品物が届けば 自分の生活に新しいジャンルができる その高揚感によるのかも
その緑の実は
一つは少し赤み
CMで 今の積み重ねに未来がある と言ってたけど
それは私には 未来というより将来というイメージ
将来は招ける感じがして 未来って未知数な気がする 予測できないものを含む気がする
わたしには 未来はあしたの積み重ね に見える
そして 立ち止まっていても あしたはやってくる気がする 知らないものをたくさんもって 望むものも望まぬものも
今を積み重ねたものは 昨日でしかない気がする
昨日とあしたのあいだに 今があると思う
青い鳥を入れる
それは未来のしあわせ? 過去への想い?
それは タイムカプセル?
ちらりと見たCMで
今の積み重ねに未来がある 歩みを止めたら未来はない
みたいなことを言ってた どんなCMだったのか もう一度出会ってみたいけど
ひとつぶ見つけた もうひとつぶ見つけた 来て来て 見て見て 思わず呼んで そのきれいな緑色をみつめる
何年かかって実をつけたのだろう
教師の質は子ども達に影響するということ 怪しい事件を起こす教師が多々いるし 子ども達の学力低下が教師の問題であるなら 教師の質アップは重要 というのはわかる
ならば同様に 議員の質は国民の生活に影響するということ そこももっとアップしてほしい 増員に躍起になって質を忘れないでほしい
教師の質が低下しているから競争させるという それで解決するのだろうか そうではなくて 見習い先生期間を2〜3年ほどとればいいではないか 給料は少し低くして かわりに実家でない者には 見習い期間限定の住居を格安提供すればよい 職員宿舎は多数あるはずだし専用宿舎なら仲間も出来る 授業以外の膨大雑多な教師の仕事を サブまたは責任者として多面的に一通り全部に携わる 授業も得意科目得意分野でたまに入れてもらう その中で実践として学ぶ あとはサブとして色々な学年クラスを回る 子ども達の顔や名前に親しみ 年齢ごとの子どもの特徴を肌で感じ 年間の多彩な校務の流れを知り ベテラン中堅若手の授業をつぶさに見て 保護者というものを体感し 学校を自分の居場所として身につけてから 自信をもって担任となればいい
見習い期間があれば存分に自分を磨ける 各所回ればいろんな教師を見習える 見習い覚え盗み越すほどの熱意で それこそが見習い期間のメリット その段階で自分が不向きと分かるならやめればいい 子どもにも迷惑がかからない
資質低下を止めるなら 子どもと落ち着いて向き合えるよう 不向きを見極める期間と 自分の底上げを自身で図り磨ける体勢を 最初に設けるのが役立つのではないかと思う 教育実習などといっても期間は短く その時期によっては経験が乏しくなる大卒生に 同じ担任の仕事を求めること自体無理がある 資質の出来ていない人を混ぜて低下などと言わず 入れる前に資質アップを図る それが一番無駄なく迷惑なく進むと思う
資質低下は他の面のセンセイ方にこそ言いたいです 有権者としては
ヒマそうなほかのセンセイ族とは違って 学校ってところは忙しいんですから 秘書も助手もいないのですから
もちろん見習い期間を置くということは その期間の給料は余剰教師となり支出増かもしれない でも資質アップのための予算を設けて 成績の優劣に応じて給料や研究費の分配や増額 などというのなら 資質アップのための予算として組み込めばいいんです
定年までの最初の2〜3年と考えるなら 教師は低総所得になってしまうのかな 後に総額として挽回できるかな とりあえずは意欲ある人のみ残るフルイにかかるということ
長として 色々建て直そうとする意気込みも 使命感もわかるけれど 競争こそが質を上げるという理念をもって 何にでもその原理を入れようとする人 ほぼ喧嘩?という勢いで
何か怖い気がする
敗者切り捨て? 弱者は敗者? それは自然界の掟? そうかな それこそ戦争にでも突入しそうな排他的なものを感じる
進め進めでスピードにのり 出過ぎたスピードを抑えきれなくなっているような そんな感じ
スピードの出し過ぎは脱線しますよ 前方不注意になって反応が遅れますよ カーブを曲がりきれませんよ
十一月というのは なぜかどこか寂しい 何も楽しくなくて 銀杏が見事な黄金色に燃えても つたの壁が真っ赤になっても きっと淋しくなる
愉しいひと いるのかな
でも 枯れ葉色になってゆく野が 落ちてゆく陽に輝くのは あたたかな気持ちになる
ただ漫然と見ていると 見ているようで何も見えていない そこに立って顔をそちらに向けているだけ 何の記憶も残らない
何かにフォーカスしていると なぜか周りも見えてくる
そういうものだよ だから君は何も見えていない 憶えていないのです
新聞のコラムで 手探りという言葉に反応した
自分はどう感じているかを 手探りしながら進む 自分にとっての幸せは何か いったい何を幸せと考えるか そんなに簡単に結論は出ないし 一生死ぬまで答えが見つからない可能性の方が高い ベストでなくてもベターがわからなくても 悪くは無いね を選べればいい
そうなんだ それでいいんだ 見つからない可能性の方が高い と分かっていればいい だから手探りなんだ
手探りというと なぜか暗闇という言葉と連鎖してしまっていた気がする でもしっかり見ながら手探りできるんだ あれこれ見てさわって 迷いながら確かめながら進めばいいんだ それも手探りだ
人生は手探り 未知の道を進み続けるのだから それで当たり前 悠々樂々安心なんて無くて当然
当たり前のことだけれど なぜかすっきりした
自分に小さな問いかけをし続けること
ゆったり堂々と 手探りたまえ自分
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