消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1916年10月31日(火)

通りに幼稚園の音が溢れている
声や多種の音
小さなひとたちは
自分達の騒音の中で暮らしている
そうやって免疫ができるのだろうね


1916年10月30日(月)

気になっていた箇所の掃除をした

不思議なのは
今日咳がなく調子いいこと

その場所に何かアレルゲンがあったのかしら


1916年10月29日(日)

忘れ得ない
時を経るほど増える
強く心に残っている場面
思い返せば結局のところ
あの時々のわたしは 
なんて恥ずかしい娘だったのだろう
自分では気づかないジコチューそのものの振る舞い
その恥ずかしさだけが残る

いつも献身的な彼女を思い出すとわかる
だれにでもみんなにわたしにも

ジコチューなんか微塵もない

彼女はビーナスだとおもう
DON JUAN ではなく

そうだよ

まったくのジコチューは
誰でもない私


1916年10月28日(土)

些末なことばかり思いつく
どうでもいいことなのに
もっとベースを整えねばならぬのに
もっと大局を見ねばならぬのに

時間ばかり気にして
気にするばかりで手につかず
何もしないで過ぎてゆく

リミットが迫る


でもね いざとなれば何とかなるさと思う
きっといいこと思いつく
簡潔で無駄のない流れ
デコらず手抜きで大まかな動き
それで十分まかなえる


1916年10月27日(金)

ついに出揃った
一色でならぶ
清々しさと少しの淋しさ
色違いも時には愉しいものさ と
ささやく声もする


1916年10月26日(木)

ブータンの国王夫妻が来日されるという記事を見て
ダイアナ妃という言葉を思い出した
そういうひともいた
華やいだ背の高い印象だけが残る
亡くなって何年も経ち
息子が結婚し
もう過去の人なのだと思う

小さくても幸せな国を
これからずっと守ってゆく立場のお二人は
どんな人たちなのだろう

伝統を重んじるという点では
先頃ウェディングのあった英国だって同じでしょう
新しい妃たちに興味がわきます

日本の皇室は いま哀しい
どうなっているのだろう
文明病なのだろうか


1916年10月25日(水)

猫の街というようなところへ
行ってみたいなぁと思う
老猫若猫母子猫美猫ぶす猫
どれもワクワクするだろうね
そういうのがのっそり歩いて
寝そべっているなんて
そしてシャァと威嚇するなんて


1916年10月24日(火)

突然に冬がきたのか
戻ったのか
ある意味きっぱりと

自分の中で
訣別すべきものが
自ずと彰かになってゆくような

クリスタルの硬さで


1916年10月23日(月)

その色の名に反応してしまう
面影を追ってしまう
追いかけて確かめたくなる
あまりにできすぎの偶然を
途絶えたことを
壊されたものを
そのわけを


1916年10月22日(日)

少し現実から離れてみた
離れて彷徨ってみた

でも結局は戻ってくる
そうなるようにできている
そういう暮らししかできない

どんなに現実離れしたくとも
逃避したくとも
投げ出すことはできない


1916年10月21日(土)

覚悟しました、決断しました、決行しました、報告します
ただそれだけのパターンでは
足りないものがあると思うけど?
突進するだけではジコチューです


1916年10月20日(金)

バックアップの整理をしていて
古いアドレスをみつけた
こんなところに埋もれていた
捜せばみつかるだろうけれど
捜すこともなかった

届けられたきれいな実
飾ってから種を植えた
根づき芽吹き時を経て育っている

花咲くまで実がつくまで
このアドレスも置いておこう
枯れたときにはもう消そう


1916年10月19日(木)

読みたいと思って衝動買いした本
時間切れで何冊も積読状態
それでも読みたい本が山とあって
まだまだ買いたくて
1週間ほど徹夜したい気持ち


1916年10月18日(水)

本当に気持ちのよい労働日和
何をしても気持ちいい
動く先々で 次々何かをする 
思いついて何でもかんでもする
淡々と軽々と

行き当たりばったりで繋がりなく
いともばらばらな労働を
綿々としている

いったいどうして今日まで引き伸ばし
置き去りにしていたのか不思議なほど
何の造作もなくすぐ終わるような
小さなこと

でもこまごまとばらばらなことは
案外気合いがないと始められないのかもしれない
今日みたいに何も考えずに動き回るだけの日の方が
はかどるんだね

日向も気持ちいい
日陰も気持ちいい
こんな日って珍しい


1916年10月17日(火)

よくウゴイタ
気になってゲンカイ
作業にトツニュウ
突破すればカロヤカ

誰の責任だの義務だの関係ない
気になるなら動けばよかったのだ
あとの整然とした気持ちよさは
動いた者の特権だ
見ないことにして耐えるより
はるかに健康的

山頂からの眺望は
登った者だけが味わえる


1916年10月16日(月)

回覧に旅行案内があった
お遍路ツアーの参加募集

全行程バスがあります
バス移動です
印も代理でもらえる
限定で一人参加用の部屋もあります
???
それっておへんろなん??

お遍路って修行と思っていたけれど
一人でするものと思っていたけれど
癒され旅だったのでせうか
パワースポット巡りみたい


1916年10月15日(日)

モクレンの下
奥にひっそり千両が紅く色づいていた
びっくり

他の場所のはまだ緑色
色づくには早い
お正月まで持たないよ
でも見えて綺麗です
鮮烈な紅です


1916年10月14日(土)

私がお願いしたことは
時間のかかる課題となったのでしょうか
もうしわけありません
あなたにとっては簡単なことかと思っていました
私はくわしくないものですから

でも解決してくれた
本当に感謝しています
すっきりとしました
ありがとう


1916年10月13日(金)

ちょうどよいやわらかなシャワーになった
温度も量もぴったり
やさしくまろやかな湯が落ちる
ゆっくりと気持ちの疲れのとれる当たり方
本当に心地よい
こんな夜はうれしい

真夏でも熱があっても
毎日湯船に顎まで浸かるのが好き
眠れば溺れそうなほど
いろいろ考え事もあるけれど
短時間でもそれで一日のカタマリがほぐれてゆく
出ればすっきりする

シャワーも好き
時間を忘れる
でもなかなかぴったり好みにはならない
温度設定があっても気まぐれ
ぬるくすれば微妙に強くなったり
弱くすれば微妙に熱くなったり
色んな条件が加わるのだと思う


湯殿という言葉がすき
旅館の感じがする
天井が高く湯気がこもりどこかへ抜けてゆく
うちも天井が高い
高窓に秋の気配が深まる頃はしみじみする

夏用のミント系タブレットが
あと少しになった
秋用タブレットになるとき
本当に秋の湯になる
あと何日かで


1916年10月12日(木)

ブータン国王夫妻の結婚式の写真が素敵
あらためてよく見る
国王も花柄の衣で
明るい慈悲のようで
伝統的な式っていいなぁと見惚れた

目を見張る大きさや個数の宝石で
威厳を着るのでなく
例えばその国伝統の手作業で作られた布
伝統の図柄 衣装
そういうものには受け継がれた心がこもっていると思う
その国に在り 民とともに在り
そんなあたたかさを感じる

国王が結婚を発表するとき
彼女を 国のために尽くす人物に成長すると 紹介したそう

そういう見方をできる王
人気なのがわかる
成長するという言葉がいい


わが国の若きロイヤルを思う
自分が目立って他国と渡り合うのでなく
自国を思うあたたかさで付き合って欲しい

人の成長に到達点はない
自分自身が成長しようと思い続ける限り
暗いトンネルからも出られるのだと思う


1916年10月11日(水)

舞い込んで黙って降り積もる
たくさんの木の葉のように
堆積を続けるものが消えた
吹き払ってくれた風に感謝
手を添えてくれた人に感謝


1916年10月10日(火)

立ち止まればまた踏み出せる。


忙しくて未開封のままだった
カタログやらパンフレットの10月号何冊か
ギリギリで開けていると
とある表紙にあった言葉に反応

当たり前なのに
誰も言葉にしては語らなかったような
新鮮さがあった
立ち止まって踏み出そう ではないのだ
立ち止まること そしてそのあとの
イコール 踏み出せることなのだ

歩き出すではなく踏み出す
自分の意志で歩を出す最初の一歩

誰もが持っている可能性なのだ

誰の言葉かと調べていると
結構たくさんの人が反応しているようだった
で、まだつかめてない


   判明 あるブログでわかった
   その冊子の編集部のオリジナルだそうな

   すごいな と思った
   編集部のことば力と
   そのブログのひとの行動力(問い合わせたそうな)
   そして言葉というものの人を動かす力

この短い言葉にたくさんの人が動かされたと思う
ほんとうにたくさんの人が

わたしも含めて


1916年10月09日(月)

訣別する
その言葉の強さは
勢いある自分の意志だ

いろんなダンシャリより
分類云々より
わたしは 「訣別」 でいこうと思う
自分に勢いがつく
ゆるがない気持ちになる
もし間違って捨てても
訣別なら尾を引く後悔にはならない


1916年10月08日(日)

ブックマークをたくさん整理した
積もり積もった ただ栞しただけの
ネットに繋ぐ度にふえてゆくもの
その度に何か古いの消してゆけばいいんだと
やっと気づいたよ

眺めては溜息する
整理しきれなくなった膨大な栞
省けばいいんだよね
簡単なこと
洋服の選別より容易いはず


1916年10月07日(土)

ねぇ前に忠告したよ

わたしだってずっと思いがある
争いになるから言わないでいるだけで
言ってもいいなら言うよ と

あなたがそういう言い方をするのなら
自分で自分の首を絞めることになるよ と

忘れたの?


1916年10月06日(金)

あまりにもバカバカしくなって
私は私でやっていけばいい
晴れやかにそう思う
人の考えをうかがうのでなく
自分を大切にしていけばいい
自立して
責任をもって
義務を果たして


1916年10月05日(木)

金平糖のツノの数は24だそうだ
何かの式があるそうだ

愛らしいメルヘン
行き当たりばったり自由気ままと思いきや
そんな物理的(科学的?)な数とは

不思議不思議ますます不思議なお菓子
でも見ていると嬉しくなる


1916年10月04日(水)

やっと通じた
しつこいけれど何度でも言う
あなた自身のことならやめるけれど
小さなひとのことだから
うるさいと言われても引かない
あなたなら勝手にすればいいけれど
小さなひとがつぶされては可哀想
何度でも忠告する
通じるまで


1916年10月03日(火)

小さな洗濯物
それは干された靴だったり
吊り下げられた靴下だったり

愛らしさにつつまれて
明るい陽ざしの中に
気持ちよさ気に小さく揺れる

ベビー服の広告は
そういうところでいいと思う
かわいらしすぎるモデルは
いらないかな と思う

どんな家庭にでもある光景
そのあたたかさが思い起こされれば


1916年10月02日(月)

明るい光を美しくとり込む
レースのカーテンではなく

それは
暗いとばりのような気配で
吐息すら閉じ込めようとする

心の寄る辺となる窓には
引かない


1916年10月01日(日)

素でいることも
いられることも
大切だ

でも演じることも
必要だ

職務中は
その任務を演じることは
重要なことだ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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