消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1916年08月31日(木)

ベランダから庭を眺めていると
センニンソウが雪のように咲いていた

昨日バジルを土に戻したときは
気づかなかった

アーチの高い所に
こんもり茂っているから
見えなかった

まわりの花ばかり見て歩いていたから
知らなかった

あんなにきれいに咲いているのに


1916年08月30日(水)

ガラスマグの中で根を出したバジル
植えて と言ってる
暑くて庭に出てなかったから
庭へ来て と言ってる


1916年08月29日(火)

たった一日の
このさわやかさで
熱帯化した頭も体も
芯まですっきりクールダウンした

放り出したくなったり
バクハツしそうになった案件も
明日から速やかに進められそうになった

今日も月が明るく輝く
祈るというより 気持ちが冴えてくる


1916年08月28日(月)

本当に気持ちのよい日だ
部屋にいてここちよい空気だ
何をしたわけでもない
何ができたわけでもない
何の収穫も成果も結果も
何もない
空っぽの日

でもその空っぽに
この空気をいっぱいに吸い込む

久々に
本当にひさしく思いおこさなかった言葉
しあわせ という文字がうかぶ

一年に一度でもいい
毎日なんて贅沢言わない
こんなにここちよい日があれば
しあわせ なんだと思う

ぼんやりからっぽのこころにつめこめる空気
疲れてやる気のない気持ちを
羽衣みたいに包んでいる


1916年08月27日(日)

シコンノボタンがひとつ開いた
あぁこれから次々に開くのだ
その辺りが紫になって
高貴な秋の気配になってゆくのだ

運動会の練習らしい太鼓の音が聞こえる
園児さんの掛け声もときおり響く

もうこれで納めようと思ったり
また手を伸べたり

いいさ 無理に切ることはない
いつか決着はつくものだ
自然の流れというものに
方向を委ねるのがいいときもある

部屋をさわやかな風が渡る
秋になるんだよね
秋より秋の気配が好き
しみじみと心が爽やかになる
今日はほんとうに気持ちいい

人間の悩みなんて
生きものが生きてゆく日々にすれば
きっとたわいないのだろうね
命を失うわけではない
それに 不思議な消え方もする


1916年08月26日(土)

ガラスのマグに挿していたバジル
花が終わりかけて
わき芽がでていたので
先だけ切った
切るといい香りがする

今日気づいた
二箇所から
白く細く長い根を出していた


1916年08月25日(金)

レース越しに
向かいの白い建物が
明るくまぶしく反射していて
その向こうの空は真っ黒で
どうなっているのだろうと窓辺に寄れば
大きな虹が出ていた
そしてほどなく消えた
黒雲の流れは速く
すぐ晴れ間が見えた

そして夜は
まぶしいほどの半月だった
今日は上弦
大雨のあと空は澄み切って
遮るもののない輝きだった


1916年08月24日(木)

それを重荷だと感じるのなら
肩からおろせばいいのです

気になるほどでもないのなら
しばらく担げばいいのです

急ぐことは何もない


1916年08月23日(水)

丁寧に依頼されるなら
引き受けないでもないけれど

偉そうな言い方で
横着すぎです
あとは誰かに(結局私に)
させようとしている

自分ですべきことでしょ

オコトワリします
抵抗します
バリケードつくります
アシカラズ


1916年08月22日(火)

父、母という言葉を考えるとき
思いうかぶ歌詞

ラピュタの君をのせてがすき

父さんが残した 熱い想い
母さんがくれた あのまなざし

そうだ
父、母は こうなのだ

そして誰もがもらうのだ
わたしももらっているのだ

イノッチ とこの前書いたけれど
今パズーの横顔を見ていて重なった
パズーと書けばよかった


さあ でかけよう

この歌 今聞くと
被災地が重なってくる
涙が出てくる


1916年08月21日(月)

何だろう そこに立ってふつふつと湧く気持ちは

気取って生きたくはないという反発感

ひとに見てもらうためにでなく
己のまっすぐ感ブレナイ感
それを大切にする気持ち

ポーズをとるのでなく
静かに佇んでいたい

金色の夕雲が広がっていた
それはどう見たって
うつくしいものだ
哀しいかもしれない
でもそう思って見とれるのは
ひとだけだ

だからこそ
その気持ちを
大切に思う


1916年08月20日(日)

いつの間にか蝉がいない
ツクツクボウシさえ聞こえなくなった
夜には秋の虫が鳴く
だからもう
其処で蝉の話はおしまいに


1916年08月19日(土)

朝方 あなたの夢で目覚めた

元気よくドアを開け
若々しく晴々とした顔をのぞかせた

初めてあなたを夢で見た
そう感じて起きた


1916年08月18日(金)

秋の夕刻
ただ広い空を見るだけで
利権など欲しないだろうに

秋の虫が鳴き始める
権力でなく権限を以って
国を整えて下さい


1916年08月17日(木)

気づかないということだって
忘れてしまえと同様に
生きていくのに大切なアイテムかも知れない
知らぬままなら仏にだってなれるの


1916年08月16日(水)

よく寝た
髪を切った
本をたくさん読めた
アイロンをかけた
調べ物が解決できた
花火を見て
お風呂に入って

今日は
なんておだやかに充実していたんだろう
有意義な日だった


1916年08月15日(火)

刈り取ったバジルが復活して
花をつけていたので
一茎切ってきて
ガラスのマグに挿した

楚々とした白い花と
葉の緑がすごく清々しい

部屋の空気が
いっぺんにクールになった


1916年08月14日(月)

好きなタイプですか

男の人なら 
ウラのないあたたかさを感じる人がいい
イケメンに走ることはないです

女の人なら 
ミステリアスでいてあたたかな感じに憧れる
何かを秘めている謎めいた感じがいい 
秘めるというのは隠すとか秘密にするとかでなく
うるさく表に出さないということ
そしてまわりにはあたたかいひと

好きな感じは 
イノッチ とか 大塚 寧々さん
イメージだけですけど

これでいいですか


1916年08月13日(日)

雨が多くて
それも破天荒な雷雨だったり

静かに始まる秋の気配ではなく
少し暑さをしのげて
ユーパトリウムがちょっと元気を戻して
白もいいなやっぱり紫のほうがいいかな
そんなことだけ


1916年08月12日(土)

ツクツクボウシが時おりやってくる
数は少ない 1匹かもしれない
どこで生まれたのだろう
今年子孫は残るのだろうか


1916年08月11日(金)

大金持ちの議員さん 有り余る財産なら
困っている人たちを助けてあげてください
議員の立場では無理だというのなら
しばし議員をやめればいい
ユーアイでボラすればいい
どっちみち働いていないでしょ


1916年08月10日(木)

永く成長発展させることなく
すぐ飽きて壊すジャイアンに
ぶらさがってるだけの人たちで
何が出来るというのだ

ジャイアンに振り回されてるだけで
何も動けない党など
空中分解してしまえばいい

国を守れぬ集まりなら消えればいい
与野党逆転してもいいことはなかった
知恵も力のうちではないか
マットウな目的に知恵をしぼれよ


1916年08月09日(水)

やっぱりねー という思い

これで番組欄が少しすっきりする
やったー という思い

好きじゃない うんざり
という個人的なことなのだが



慌てて大きなことを隠した? と
言うひともいた


1916年08月08日(火)

消せぬ苛立ちがあって

そうか
わたしも線引きをしたいのだな
そんなふうに思う

引いてしまえばいいさ
そうも思う

そうしませうか
よいですか?


1916年08月07日(月)

目障りに感じていたものを
消去したくてやっと整理着手
見直した部分も新たな発見もアリ

ずいぶんコンパクトになって
気持ち的に安堵

次いってみよー そんな気分


1916年08月06日(日)

その番組宣伝を見たときは
なんてくだらなそうな番組
面白くなさそう
いったい誰が見るんだろう
何系の流れなんだろう
ガチガチのビジネス番組のあとの時間帯に
誰を想定して作ったものなんだろう

そう思ってた

ところが
つけっ放しの流れで少し見た
おもしろくて全部見た

ストーリーが面白いわけでもない
素敵なひとが出てるほどでもない
ばかさわぎでもない

へんにテンションを揚げず
少なからず有名な俳優さんたちが
真顔でやってます
でも ゆるゆるなのです

その脱力感がいい
一日の神経の緊張がほぐれる感じ
脳の疲れがゆるむ感じ
気持ちが弛緩します

リラックスとか癒しとかは
それなりに自覚があると思う
でもこれはそういう類とは少し違って
空っぽになってゆく感じ
何も考えない感じ
可笑しくて笑う部分もあるけれど
あとは淡々と進む
山場とか作らずハラハラドキドキさせず
涙ぐませず心ふるわせず
感情を昂ぶらせず
ヨウスルニ
興奮も高揚感もなく
無表情に進む感じ
で そのまま終わります
でもつまらない話でもない

その平坦さが心地よかった
ドラマチックなものを見たら
眠れなくなるだろうけれど
脳神経や心拍の起伏がゆるやかになるような
すごくゆったりと眠りにつけそうな
そんな感じだった

おかしな番組だなぁと思ってます
制作費はかなり抑えてるんだろうね
安く面白く作ってみました感
でもリピートする気は今のところない
お味見1回で満足というところ


1916年08月05日(土)

今日は涼しい

つくつくぼうしが鳴いたよ


1916年08月04日(金)

TV欄の番組紹介で
他人との間に「線引き」をして自分を保ってきた(ひとたち)
他者を受け入れる、という普遍的なテーマ

そんな言葉を見た


そして断捨離という言葉を思った
ダンシャリアンさんはどうだろう
線引きを出来ないから望むのだろうか
混沌の中に埋もれるから希求するのだろうか
それとも断捨離って線の引きまくりかな
自分はどちらだろうか
線を引いてる?引いてない?引きたい?引くのはムリ?
とりあえず今は断捨離とは少し距離を置いている
断捨離をダンシャリしているような


1916年08月03日(木)

新聞コラムに
今日が命日の作家のことが書いてあった
有名だけれど私は作品を知らない
どんなタッチか知らない

ささやかな起伏を捉え、味わう感性 とあった
墓碑には
<花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る> とあるらしい


変哲もない泣き笑い とある

何から逃げるというのではなく、
日々ちょっとしたことを抱きしめ、明日の糧にする。
そんな生き方もある と


1916年08月02日(水)

アリエナイ
こういうのを忙殺されたというのだろうか
毎年欠かさぬ年に一度のビッグショーなのに
あろうことか忘れるなんて信じられない
自分に驚く

今日まで忘れてた
なぜかふと思い出した

でもきっと満月前の明るい月で
見えなかったんじゃないか
いや雨模様の日で曇ってダメだったんじゃないか
周りが明るくてきっとムダだったかも
思い出すことすらできない
けろりと抜け落ちていたそういう感じ

でもいくら忙しかったとて
いつもはひと月前からチェックして心待ちにしている
期待してわくわくしている
なのにどうしたことだろう

こだわって続けてきたことが
ふと途切れると
なんだかもうシオドキみたいな気がしてくる
途切れてよかったのかも
縛られずに生きよ と言われたような気もち


1916年08月01日(火)

自分の集大成を
皆に見てもらって
あなたは満足げだった

わたしたち孝行したのでしょうね

でも夜になって思います
なぜか心が軽やかなのはわたしたち

大げさなことではなく
安らぎをもらったのはわたしたち




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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