消えてゆく小さなこと
消 え て ゆ く 小 さ な こ と


1st  index       new_


1916年07月31日(月)

そのアートをどうしようかと迷っている
くれた人が誰なのか私は知らない
飾らずにずっとしまったままだったもの
整理していて発見したものだ
特に好きでもないし意味もわからない絵

作品の作者を知った
モダンアートの画家 らしい
ナンバーがふってあった
東京のギャラリーに常設展示されてるらしい

でも今まで忘れていたものだ
ほじくり返して懸命に記憶し直すこともないだろう
忘れることは大切なことだと
どこかにあった

もう要らないのだと思う
捨てていいのかな


1916年07月30日(日)

大手ハウスメーカーの広告がよく入る
夏涼しく冬暖かく
エネルギー消費を抑え
我が家でエネルギーを作り出し
超エコな家 らしい

要するにソーラーパネルを取り付けて発電
夏は屋根や壁に当たったぎらぎらの太陽を
反射素材ではね返している矢印のイラスト

不思議で仕方ない
その反射させたモノはどこへ行くのだろうか
我が家さえ暑くなければいいのだろうか
そのエリアの気温はどうなるのだろう

エコ住宅ではなく
エゴ住宅にしか思えない

地域に樹を植えたり木陰を作ったり
水路をつくり風の通る道を作る街並み
そういう地域全体の取り組みをしないと
ヒートアイランド化からは抜けられないのに

家々がはね返しあった熱は
エアコンもなく開け放たれた学校の窓なんかに
熱風になって吹き込むのだろうね

大手のハウスメーカーが軒並みエゴ住宅化
もっと地域全体を考えろ って言いたい
熱をはね返していいのは
牧場の畜舎や鶏舎 飼料をおくサイロだけでいいと思う


1916年07月29日(土)

ひとの言葉を
あてにしてはだめだ
頼ってはだめだ
先読みフライングしてはだめだ

苦しんで苦しんで
自分で見つける

そんなとき
ひょんと出会うものです

ああそうだと

だから
その書物はいまは要りません
押し付けに感じるだけです


1916年07月28日(金)

小さな花火の向こうに
大きな満月がかかったね

虹みたいだったね
その子が言った


1916年07月27日(木)

本来の姿に戻らねば そう思う
そして近頃
わたしの本来は河童ではないかと思っている

とにかくこの夏
胡瓜に目覚めた 
しっかり冷やした胡瓜にはまっている

少しの塩や味噌やドレッシングで
始めは塩分補給のつもりだった
冷たいものを欲した
こんなに水分があるのかと驚く
2本ほど丸ごとかりぽり平らげて満足する
自分は河童だと思う

そうだ河童に違いない
泳ぎだって達者なほうだ
海なら3キロは平気
プールなら2000
市民プールなら
強制の一斉休憩後 次の休憩まで
ずっと泳ぎ続ける

競泳ではなく
あくまでも水の中で溺れず沈まず止まらず
楽しんでいる泳ぎ

魚座だけれど魚は苦手だし
サルかもしれないと思うこともあったけれど
きっと河童だ 
こんなに胡瓜を好きだ
主食化している
無しでは生きられない
秋になるとどうなるのだろう


1916年07月26日(水)

今年は花火をたくさん見ることができた
花火は元気をくれる
いつもより発数が多い気がした
震災復興支援 なのかな
時間を短縮して
詰めて打ち上げている気がする
どーーん と間延びした夕涼みでなく
連発して 鼓舞されるような
そんな気がした

好きなのは ゆったり上がって
どーーーーんと大きく開いて
色がかわって芯の色もかわって
枝垂れながらキラキラして落ちて
芯にはまだ違う色の玉がいくつかあるの

仕掛けより 打ち上げこそ花火と思う
どんと開いてぱっと消えて闇になるのより
長く残るのが好き
どの火が残るのか最後の最後まで見ているのが好き

大曲まであといくつかある
今年はすごく楽しみ
心にしみる
景気つけ という感じ

一瞬に消えてなくなるけれど
余韻が残っている


1916年07月25日(火)

どうにかなるさ(投げやりで言うのでなく)
意味無く楽天的に見えることも
ある意味大切 とあった

その人といるとなぜか元気になれるから
本当になんとかなりそうに思えてくるから

それは
何とかなってゆくことに通じるとあった


そのこと
忘れていたかもしれない
本当はそういうこと何度もあったはずなのに

何かの効率とか根拠とか
いつの間にかそういうものに
頼ろうとしていたかもしれない
求めていたかもしれない
ひとのエネルギーというものを忘れて

それは見えない掴みどころない気というものかもしれない

キミはいつも楽天的だった
難しいことをくよくよと考えなくて
元気があって動いてた

そう思い出したよ


1916年07月24日(月)

作家の曽野綾子さんがTVで
親と子と ともに苦労すればいいんです と言ってた
今の子どもは苦労を知らなさ過ぎる と
親が子に苦労をさせていない と


言葉というのは大切だ
言葉になって実感として伝わる

苦労は 親子 ともに いっしょに
その言葉に反応した


国が逞しくなるように
逞しい民を育てるのが大人の責任
そう思う

そういうオトナも
逞しくあらねばいけないのだけれど

そうだ
若い時の苦労は買ってでもせよ って
あったね

オトナが諦めてへたってちゃだめなんだね


原発はいらない
たとえ便利でも病気になったら意味がない
動力源が減っても健康ならば 
昔のように人力をつかえばいい
車より自転車や歩き 機械より人手
電動より手動

そうすれば人も丈夫になる
働き口も増える

均質で安い工場製品を使い捨てるのでなく
良質の手作り品は対価として高くても当たり前で
それを少しだけ持ち大切に使えばいい
材料も大切にできる
粗悪な手作り品は安価でよい

世界が儲けに走りすぎた
地球の恵みから必要なものだけいただく
そういう生活を思い出せばいい
原発はいらない


1916年07月23日(日)

ダンシャラナイ
最近そう思うようになった
被災地を想うにつけ考える
大切なものって何だろう
愛しいものって何だろう
手離したくないもの
それは捨ててはならないものだ
何十年と蔵で埃をかぶっていようと

生き方は指南されるものではない
迷いつつ感化されるものだ
ハウツー本が売れるのは
easyに生き方を決めようとするからだ

ほわほわと集めた無駄の中に私は生きている
そう感じる
無駄と無意味は違うのでは そう思う

ダンシャリして引き出しも室内も空っぽになりました
と言うセミナー受講者さんたちを見て
無駄のないシャープな人たちに見える
でも 無駄ってゆとりでもあるような
そんな気がしてくる

どんな教えも説もゴールではないし
ひとが迷いながら生きる通過点に過ぎないと思う
ひとときダンシャリアンになったけれど
通過してしまった
そういう気持ちです
今はダンシャラナイ


1916年07月22日(土)

あたたかいひと
すずやかなひと
あついひと
おだやかなひと
いろいろあって
あたたかいひとがいい
そうありたいと思う


1916年07月21日(金)

それは何だろう 
秘かに得意げな芝居的吐露?
それともあざといチラリズム?
どちらもゴメンだ 好きじゃない
グロテスクです


1916年07月20日(木)

ケチなひとはあたたかくないよ
何でも収支計算する
収支でいつも自分が負になるのがいやなので
ひとには与えない
奉仕ということがない
ふるまうということがない
熱意というものがない
バカにはならない
この程度でいいのではという設定に満足する
要はあなたはケチなひとと思う

始末家とは違う
始末は自分のこと
それでも他へのもてなしの気持ちは沢山ある

あたたかな人 って けちではないと思う

あたたかな人って 絶対 ということばを使わない
ひとを縛る言葉を使わない
そんなことを思った


1916年07月19日(水)

そうだよ と思った言葉
出会ってすっきりした言葉
受け止めて気持ちが落ち着いた言葉

偶然おまけでそういう文章に出会った

ひとは支え合って生きるというけれど
もたれ合いではいけない
それは甘えだ
一人ひとりが自立し、そして手をつなぎ合って生きる
それが大人

そんな内容の文だった
拍手したかったです


1916年07月18日(火)

やわらかなかろやかなゆかいな
きばらぬ文をかくひとだねキミは
私は楽しくなりました
人生こういう生き方とらえ方もあるんだ って思った
ありがとね
ささえられた気がします


1916年07月17日(月)

ISBN : 978-4-594-06420-4
原発のウソという本を読んだ
本当に真面目な本だと思った
今この機に売らんかな出版の本ではないことが
よくわかる
まじめに読んで(真面目に話を聞いて受け止めて)
やっと知識を得た気がした
これまで知識がなかった というより
教えてもらった記憶がない
無関心だった
在って当たり前のものと思っていた 
過去のことなど知らずに普通に存在を認めていた
恩恵だけ教えられていた

日本という国は戦争で痛い目にあって
国家はもう国民を欺かないものと思っていた
偉い専門家たちは
真面目に国民のために良い道を探していると思ってた
でも欺かれていたのだね
命にかかわることなのに

何をどうできるのかわからないけれど
反対でなければならないとはっきり分かった
日本中の人に読んでほしい本
読むべき本だと思う
それに価格がまじめ
真面目なメッセージは
こういう設定でないといけない
華美なブックデザインは不要
そこに払うお金は不必要

たくさんの人が読んでくれたらと思う
心から思う
読んでいて泣けてきたから
この国はどうなるのだろう
ほんとうにダメになってしまう
誰なら任せられるんだろう


1916年07月16日(日)

オヌシ デキルナ
オヌシ ナカナカヤルナ

その声を聞きたくて


1916年07月15日(土)

くすぶる気持ちの奥底 
やっと見えた気がする

私はね
助けることはいとわない
心底ありがたい助かったと思ってもらえるなら

それは ラッキ〜! と思われることとは少し違う

感謝の礼を望んでいるわけではない
押し付けやお節介でなく 
本当に一助となったなら
それで十分に思う
役立ったなら

でも
自分の荷は自分で背負うものと思っている
それが人生だと
荷は人生そのものだと

困った時に力添えをもらうことはあっても
自分の荷を分担してもらうことはできない
人生をひとに生きてもらうことはできない

荷が重いと思うなら
安穏としていても荷は軽くはならない
軽くするのは自分の努力 知恵と工夫だと

ソウ オモッテイマス


1916年07月14日(金)

反応する数字の並び
これはパリ祭?
昔 誕生日のひとがいた
どうしているだろう


ざわざわと気持ちを波立てず
ゆったりと流れる川のようにいたい
夕立の水輪が覆っても
それでも泥川にならぬように
時おり白い水鳥がいるように


1916年07月13日(木)

そうね 本当はパラレル
ずっとそうなのでしょう

それぞれそのまま
接点を作らず重なりも絡まりもなく
自分の道を歩いてゆく

時おりちらと見やっても
素知らぬままに進むのです
そんな旅を続けるのです

各々の言葉を携えて


1916年07月12日(水)

保護したつもりでも
過保護にしたら意味がなく
かえって傷める結果になった

アウトドア的野ざらし状態でも
皮膚は案外健やかに丈夫だ

経験値として鉄則


1916年07月11日(火)

言葉を紡ぐのは涙を流すのと似る
気持ちを浄化し整える

伝えるためにではなく
見つけるために記す


1916年07月10日(月)

次は
万難を排してうけようとせずに
キラクニコトワッテヤロウトオモイマス

それも進歩というものです
成長かもしれません

自分の精神を守ることは必要です
ツブサレタクハアリマセン


1916年07月09日(日)

予期してではなく
期待してでもなく
ふいに起こる
ある突然

振りまわされるのでなく
ドキドキ感を愉しんで
突然ばかり起こり続けばいいのに

そんな日々なら
そんな時間なら
何も考えずに暮らせる


1916年07月08日(土)

自分たち中心の行動で周囲を振り回しているのに
気づかず気にせず気に留めず

気楽にやってますので というあなた(がた)

それでいいのでせうか

まわりにはオキラクとしか映りませんが


1916年07月07日(金)

蝉がうるさいほどになった
今年は白樺に多くとまっている
樹が大きくなって
美味しい樹液がたっぷり出るのかな
でもまだそこに抜け殻はない
今年出る子が産みつけられた頃には
その樹はまだ細い若木だったから

あと何年もしたら
白樺の樹下に穴がたくさんできて
葉にいくつも抜け殻を見るだろうか

それにしても
なぜ蝉は同じルートをたどって
小さな一枚の葉に3つも抜け殻があったりするのだろうか
それも窮屈なほどにくっついて
極めつけのタイサンボクなど一枚に5、6個あったりする
先人の道に従う方が楽で安心?

不思議な光景だけれど


1916年07月06日(木)

トスカーナの山暮らし
猫のしっぽカエルの手
なんだか気持ちがすごくらくになった
のびやかな気持ちになった

何を大切にして生きるのか を
考えるのではなく
感じる こころに生まれる
そういう時の刻み方

いえ 
時を刻むのでなく過ごす
そういう暮らし方


1916年07月05日(水)

見納めて終わりにしようかと思う
山のてっぺんに辿り着いたのではないし
ただ階段の途中 ひとつの踊り場
彼女たちはもう歩き始めている
次へ向かっている
とどまってはいない

私も明日はがんばろう


1916年07月04日(火)

ザキントス島 ナバイオビーチ
なんて綺麗な青なんだろう
こんなに真っ青な海の色があるなんて

紅豚の入り江に似てるなぁと思ったら
本当にそうだった
モデルとなった場所とか

本物の場所があったんだ
まったくの世間知らずでした


1916年07月03日(月)

ここにしずかに眠る
もうすぐ2年になる墓標
お参りしてきた
人影はまばら
でも消えないだろう
見守っているひとたちがいる


1916年07月02日(日)

密着は発見を生む
たのしいね
新しい体操
すらっと背伸び


1916年07月01日(土)

きんと雲かと思ったけれど
ただの千切れ雲だった

金にも茜にも染まらず
旅の途中の迷い雲

太郎にもならず
無言で消える



天窓より___

* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *

* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *

* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *
* * * * * * * * * * * *


日付は通し番号として記しています