消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1916年06月30日(金)

蝉が鳴き始めたけれど
涼しい(というか暑くない)日が続く
しのぎやすい
昨日も今日もエアコンが不要

文明で作る快適空間と違って
自然の過ごしやすさって
やっぱりいい
からだがラク

吹き込むほどでなくても
時おり入ってくるだけでも
風はいい
心地よくほっとする

ずっと曇っているから
レース越しの外の気配も穏やかだ

晴々とした爽快な戸外や森林浴や水辺はリフレッシュできるし
晴天でないことはいろいろの不都合もあるけれど
仕事を考えずにただぼんやりと部屋にいるなら
こういう日こそ リラックスできるのかもしれない

今まで曇天なんて 一番苛立っていたのに
はっきりしてよと思っていたのに
休止中なら関係ないんだね
晴れてもらう必要もない

はっきりしない部分にひとは安らぐこともある
重くない曇天はある意味 安らぎだと思った


1916年06月29日(木)

わからない
全然わからない
今日のグーグルのロゴ
すごく素敵なんだけれど
どう見れば G o o g l e なん?

わからない


1916年06月28日(水)

エンピツは綴り方自由な日記

その形態がいい
安心できる
自分の気持ちで記せる

エンピツ大好き
ずっと続いてほしいです
この形態は居心地がいい
気負わなくていい
気遣わなくていい
リラックスできる

個人の日記に炎上はない


1916年06月27日(火)

言っちゃぁナンですが
あなたのその行動
かの選手タイプですけど?

自分のハッピー宣伝
周りへの気遣いのなさ に見えるけど?

もう少し思慮深いと思ってたので
評価マイナス
それとも誰かにそそのかされてるのかもね
傍にそういうひと居るからね
ナンだカンだで引きづられてるのかもね
お気の毒
付き合わされるこちらのひともお気の毒

世の中そうなのかなぁ
自己主張する人たちに運が来るのかなぁ
複雑な気持ち

きみも主張してみたら?
自己アピールしてみたら?
幸運をいのります


1916年06月26日(月)

哀しみは振りきろうと思っていた
哀しまないことにしようと思っていた

でも突然
思わず涙が溢れて止まらなくなった
だんだん強く泣けてきた
哀しいんだと自覚した


泣かないと強くなれない
涙がひとを強くしてくれる
自分の気持ちに気づくために涙がある
そう思った


1916年06月25日(日)

ただいくつかのゲームを観ただけ
チームとして応援しただけ
選手個人のことはほとんど知らない

でも 感じいいか悪いかは感じる

やっぱりKYだと思う
ふつうはその場は遠慮すると思う
おかしいと思う
ジコチューというか自慢?
というか何なのさ
ぶち壊したんじゃない?

わかりません
理解できません

周りはどうなのかなぁ
ほんとうの本心聞いてみたい


1916年06月24日(土)

時々気になることがある
誰が使い始めたのかはわからない

芸能人やスポーツ選手もろもろ
テレビに映る人たちが
ときに被災地へのメッセージで
自分の行動で「(勇気を)与えたい」
「与えることができたら」という使い方をする

もちろん彼らの行動が
勇気の元になるのだろうとは思う

でも「与える」という言葉に違和感を感じる
本人が使うべきではないと思う

与えるではなく
届ける伝える分ける送る贈る見せる
見てもらう感じてもらう
元気づける勇気付ける
そういうふうに言ってほしい

こんなこと思うの
わたしだけかな


1916年06月23日(金)

今朝のなでしこ記事は沢山の言葉が飛び交う
中でも一番こころに響いたのは
「頼れる沢主将がすべてを元に戻した。」の一行

元に戻すという言葉に反応した
どれだけの価値と重さと苦難が含まれるか
気が遠くなるほどだったけれど
でも気迫の一発で戻ることもあるのだな

いまこの国のダメージは
どうやって戻るのかが見えないほどだ
元に戻すという大前提を越えなければ
その先も見えない気がしている

でもそうかなそうかな
復興という字を思い起こす
興すことで戻すことができるかもしれない
興し続ければ戻るかもしれない

なでしこが見せてくれたのはエネルギーだ
それは心から心へ 渡し合えるものだ

わたしたちはエネルギーをもらったのだと思う
歩み続ければできるよ という勇気

ところで 新聞ではなぜ「沢」になるのかな
「澤」と思ってたし ずっとそのイメージだった
表記上のルールからだろうけれど
イメージが違って別人のような気がした


1916年06月22日(木)

お気に入りのものが
次々に廃盤になってゆく

そんなにマニアックなこだわりを
持っているつもりはないし
高級ブランド志向でもない

新し物にちょっとお試しの浮気をするけれど
きっちりチェックしたら
これと思うものは結構長く愛用する
責任もって他にも薦める

なのにここのところ
品切れと思っていたら廃盤らしい感じ

コンスタントにリピートしている
静かでも熱きファンがいるのに


1916年06月21日(水)

背に SAWA とある
苗字だけれど 
さわちゃんという名前のようで
なんかかわいい
2011生まれの女の子の名付けランクに
アップしそう

強い女の子だ
粘り強く屈しない
倒れてもまた立ち上がる起き上がる

まさに今
わたしたちが想う姿願う姿
力強く頼もしく熱きもの

自分たちのためにあがった花火を見ることが出来るひと
世の中にそう多くはいるまいと思う

神様って 微笑んでくれるんだね


1916年06月20日(火)

熱中症 そんな言葉もかすめる
っぽい 気もする
ダウンする


1916年06月19日(月)

それは 
突然現われて消えるキントウンだったのかも

それは 
夢物語の作り話にすぎなかったのかも


1916年06月18日(日)

虹は 現れたとか出たとかいうけれど
本当は 生まれる だよ
そう思う


1916年06月17日(土)

それはきんとうんかも
大きな雲から次々に飛び出す欠片かも


1916年06月16日(金)

かも知れない
それは強迫な言葉になる 
そのことばに押しつぶされる

悪い連想にはキリがない
かもしれないなど考えないことだ
取り越し苦労という言葉そのものだ

出たとこ勝負で生きているひとは
気楽で強い ソウオモウ


1916年06月15日(木)

こういう気持ちを悟りというのだろうか
ひとは 役立つ時に こうふくだ
役立つために生まれた
そう感じた


自分の仕事じゃないのにやっていた
ただ働きと思ってた
でもやってると楽しくなってきた
終わると爽快で満ち足りた幸せな気持ち
自分の仕事をしたときとは少し違ういい気持ち

その幸せ感は 
人に与えたのではなく
自分が授かったもの

奉仕して自分が幸せ感をもらった

啓蒙書とかセミナーとかでなく
自分の心が得たこと
それを 悟りというのだろうな

役立ったことは 
幸せな気持ちをおこす

暑かったけれど頑張った爽快感

ひとは何のために生まれてきたのか
よく問われる
ひと其々答えは違うのだと思う
普遍の答えは無いと思う
幸せになるために とか
愛されるために 或いは 愛するために
そんな言葉も見る

でも今思うのは
役にたつためにということ
というかだからこそ
誰でも何かの役に立てるのだということ

無意味な命は無い
生まれたことに意味があると
意味のある役割を持って生まれたのだと
役立つために生まれたと


1916年06月14日(水)

最近ボランティア労働が多い
と思っていたけれど

言い換えるよ
単に ただばたらきが多い に

心が広くないとは思う
でも なんで私が と思う気持ちは
抑えられない否めない

気楽な人はホントいいなぁと思います
周りに迷惑をかけていることに気づかずに生きていける人
ひとにお世話になっていることを自覚なしに進める人
怖いもの無し最強だね
天罰ってないのかね

今日は2件ボランティアです
ため息です


1916年06月13日(火)

夕方 時間のわりに明るいなぁと思った

そして何か外がふわっと明るくなったような
不思議な気配を感じて
レースのカーテンを開けて見た

東の空にものすごく大きな
色の濃いはっきりした
まるで分度器のような虹が
一部ふたえになって出ていた

ずいぶん長い間はっきりと
何度見ても大きく濃く
力強い虹だった

虹が儚いなんてウソ
マーチでもパレードでも渡れそうなほどの
立派なアーチだった

家族はそれぞれの場所で見ていた
でもお互い連絡とれない時だったから
帰るとすぐ虹のことを話す
そのことも不思議な感じがする
虹ってその場で誰かに教えたい
できない時はあとで必ず誰かに知らせる


1916年06月12日(月)

偽装する
細工する工作する

でも古畑なら
どこかにボロが出る
完全犯罪にはならない


1916年06月11日(日)

思いついて
夢見がよかったから と
宝くじをたくさん買ってみた
どうだろうか
一枚くらい当たるかな


1916年06月10日(土)

思いがけない夢だった
ずっと先を自転車で横切るキミを見かけた
えっ? 本当に?

市場の方へ行くらしいキミ
引かれるように行ってみた
出口付近で自転車にまたがったまま
2,3人で立ち話してた
こちらに顔を向けていた
思わず大きく手を振った
思いっきり大きな笑顔で

気づいて笑顔で手を振り返してくれた
寄って行くと全然変っていなかった
こちらを見て 少し頑丈になったかな と言う
そういう言い方もあるんだね
相変わらずだね

今どこにいるの?
神奈川 寮にいる
いろんな支店を回ってる

ラケットの話をして

そこで目覚ましが鳴った


でもすごく嬉しい夢だった
夢でこんなに話したことはなかった
暑い日に外で頑張ったご褒美かな
昨日そのラケットを振ってみた流れかな

処分しようか迷っていたのだけれど
やめた


今日のキミの笑顔 忘れない
うれしかった 元気になれた 
ありがとう


1916年06月09日(金)

あっという間に ものすごく夏になった
入道雲が連なっている
空が真っ青だ

糸瓜棚の水彩画の葉書がきれいで
買ってしまった
グリーンカーテンが流行りだけれど
やっぱり棚の方がいい
涼しげだ


1916年06月08日(木)

それは事実なのか作り話なのか
半分創作かかってるのか
どちらでもいいけれど
一寸疲れましたね
引いてしまいますね

有り得るのかもしれない
でもひとに話す必要もないとも思う
話して何だというのだろう
その人個人のことだろうし
文字にしてまとめるほどのことなのか

印刷物になる前にネットに流れて
その人気に出版社が群がるだけなんだろうけれど
それはリスクが少ないってことで
出版の夢や志とは少し違ってたりする

いい書物に出会いたい
つくづく思った


1916年06月07日(水)

おかあさん ゆうやけだよ
きれいだねぇ
幼稚園くらいの女の子が
空き地の前を通りながら
東の空を見て言ってる
薔薇色の雲が広がっている
妹らしき小さな子は
何のことか分からず
(多分背が小さいから)
さっさと歩いている
お母さんがその子を抱き上げて
3人で見ている

その先に行けば公園から見えるよ
山の向こうの西の空
一面の夕焼けだよ


1916年06月06日(火)

満天の天の川を見たのは
何年ぶりだろう
すべて夏の旅先でだった

そして今夜は七夕なのに
一日雨だった
期待も持てない降りだった

でも夕方
夕刊に見た写真は
今まで見たことのない天の川だった

美しくて力強くて
哀しくて
涙が出た

一本の松の天上に
幾万の祈りのようだった

たましいの居場所
祈りの集まるところ
そう見えた


1916年06月05日(月)

カサブランカが開いた
雨が強くて庭に出られないけれど
順次開くだろう

雨上がりにきっと
むせるほどに香るだろう


1916年06月04日(日)

自分のためにとる行動は
ひとのためにとる行為より
満足度が高く幸福感を得るものと
思っていたけれど

己のギセイの上には
真の幸せは成らないと
考えていたけれど

どうもそれは違うようだと
気づく

むしろ他者の幸せを願うほうが
幸福感は早く得られるのかも

ひとは己に関しては
不満や辛いことを乗り越えるのが
たいへんだから

小さくとも
ひとのためにとる行為は
根本は己の幸せ感になる気がする


1916年06月03日(土)

心を揺るがす社説らしかった
どれもいいお話だった
感動する
涙する
その他いろいろの評

なのになぜ興ざめたのだろう
一つならいいんだけれど
本になってどっさり束ねられた言葉を一度に読むと
宗教本のように感じてしまった
生身の人間の話なのに

言葉には出会いというものがある
だから素敵なのだと思う
それは森で小さな赤い実に出会うような
はっとする高まりがあって
胸の奥に灯となってずっと小さな熱をもつもの

市場にずらっとならぶ熟れた旬の果実とは
少し違うのだと思う

古今東西のイニシエの名言というものは仏像的だ
あるいはイエス像的、マリア像的だ
旬とか熟れ過ぎとかから離れて残り
なお輝きを増す


1916年06月02日(金)

結局は 快か不快か
それが根本ではないだろうか
こころの原点で動くものだ
好き嫌いよりもっと深くにあるものだ

理屈というものが働いて
ひとはこころを隠したり捻じ曲げたりするけれど

自分の快、不快に素直になれば
案外うまく運ぶのかもしれない


1916年06月01日(木)

面白い言葉だった

TTP:徹底的にパクる
TKP:ちょっと変えてパクる
OKP:思いっきり変えてパクる

守破離 という言葉もあった

学ぶとき 師匠となるものがあって
のちに自分なりのやり方をみつけてゆくこと
その道筋となるもの




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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