消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1916年05月31日(水)

百回の言葉の羅列
消えて涼やか
軽やかな気持ち


1916年05月30日(火)

松岡修造さんが出した新しい本の会見の会場で
逆にインタビューの記者に問いかけていた
あなたは自分の性格を変えられますか
どんなところなら変えられますか
彼曰く 性格は変えられない
でも心は変えられる

そうか 性格は変えられないのか
というより変わらないんだ

そのときふと髪のクセ毛を思った
一箇所にだけ出るクセ
扱いにくい
いつも面倒だなと思う
欲しくない要らないと思う
でも変えることはできない
しかたないと思ってる

そして
それでいいのだ〜♪ と
バカボンの歌の流れるCMを思い出した
父娘のホッペの渦巻きは
その気分なんだね

変えられないものを
それでいいのだと認める

そのことをふと思った


1916年05月29日(月)

必要ならば買って手元に置く
今までずっと
それが当たり前の生活スタイルだった
だから手元に置くまで
失敗がわからなかった

最近少し考えがかわってきた
自分で管理できる範囲でしか持つべきでない と
わかってきた というより
持つ という行為は管理をともなってこそ と
手元に置くだけでは持つことにならない と
夥しいダンシャリもあったし

そして 借りる ことに開眼した
お金でレンタル品利用というのでなく
ただ単に借りること(無料)

それは探し回っても買えない古い本を
図書館で見つけたこと
買いたての新刊を図書館の新着案内にみつけたこと
公園の樹を育てたくて苗木を探したとき
世話の大変さと花どきの短さを考えたこと

買えないものがあること
買わなくてもすむものがあるということ
借りられるということ
それらが結びついて
借りる楽しさに目覚めた

本は借りられる
花は満開のときに見に行けばいい
借景という言葉どおり景色は無料

それはイロンナコトからの開放を意味する
在庫管理の手間も世話もない
本当に必要ならいつかまた買えばいい
執行猶予みたいなゆとり感
失敗の疑似体験もできる

いろんな面でおおいに借りようと思う
今までの即買いを改め
ちょっとお借りできるものは
借りてみようと思う
買うのはそれからでいい


1916年05月28日(日)

全国感動の渦のように宣伝されていて
期待して購入した本です
でもがっかりだった
というか 受け付けなかった

多分にひとから鼓舞されることに
慣れないのかもしれない
そんな歳ではないのかもしれない
迷える若者に勇気を与える教訓めいた言葉に
なじめなかった

行け行けガンバレ強く大丈夫だよ
そんな声によりも
胸の奥に涙のにじみ出るそんなことに
こころが動かされる
自分のこころが洗われて謙虚になる
謙虚さはまわりへの優しさになる

優しさは強さに成りうるが
強さは得てして優しさを失うこともある

今わたしは 強さの言葉より
やさしさの言葉にこころ動く
その本にはなじめなかった


1916年05月27日(土)

数羽の鳩たちが
乱れた円を描いて飛び交っている

ふだんなら揃って
同じリズムでひたすら旋回し続ける
何も考えていないかのように
無意味に飛び続ける
そんなふうに見えるのに

今日は時にばらけて
交差したり急降下したり
まるで挑むような闘うような
乱れた羽音が聞こえてきそうな飛び方

鳩だって 苛立つ日があるのだろうか
それとも地磁場でも狂っているのだろうか
何かの前触れとか


1916年05月26日(金)

フェデラーが負けた

そうなのかな
そういう調子なのかな

結婚して子どもも生まれて家族の中にいると
人生で求めるものが
それまでと違ってくるのかもしれない

ひとは進んでゆくものだ
時間の流れには抗えないものだ
自分の中の記録というものを
維持とか持続というのは
たいへんな労力だ

だからチャレンジするのかもしれない
伊達選手みたいにチャレンジを楽しめるのが
時間との理想の進み方なのだと思う


1916年05月25日(木)

ふとした気持ちからの
新たな展開

本当はいぶかる気持ちだったのに
すなおになれた
有難く思った
もう許さないといけない時なんだね

今まで自分では踏み込めなかった所へ
すっと手を引かれた気がする
その扉を押してよかった
教えてくれていざなってくれて 
有難く思います

きっと何か動き始める
そうしないといけない気になる
暑さを忘れてしまった

あなたに感謝します
この展開はきっと天の意志
何かいいことが始まる


1916年05月24日(水)

あまりに暑くてへばってしまう
作業がはかどらない 
というより 
はかどらないにならないようにと頑張るから
へばってしまう
考える力も残らない


九州が梅雨明けとか
えーっ?! とか おーっ?! とか
叫びそうになる

徐々に日本中が真夏の直下に入るのだ
ため息しか出てこない
もう少し待ってほしかった
気持ちも身体も準備できないまま
季節が大きく進んでくる

かの地はどうなっているのだろう


1916年05月23日(火)

心に残ったことば(新聞から)

救援の車列に涙こみ上げて
    合掌すれば敬礼返る (仙台市)浅野悦子さん

その光景がまざまざと脳裏に浮かび涙が出た
歌の素養がないから この歌を
正確には記憶に留めて置けないかも知れない
でも胸に沁みるこの光景を忘れることはない
揺るがない光景だ


四万十川(しまんと)の青き流れを忘れめや 暁

  これは文学碑(上林暁)の紹介



四万十川はほんとうにきれいだった
ゆったりしてたっぷりして
初夏の緑の下をカヌーが気持ちよかった
水音をおしりに直に感じて
滑るような浮いているような
葉っぱになった気持ちだった
忘れることはない


四万十川の夏 蛍の最盛期は六月初旬頃とあった

一つの夢になった こんどは蛍にあいたい


1916年05月22日(月)

継ぐことが大事なのか
繋ぐことが大切なのか
必要なのかもう要らぬのか

断ったとて
切ったとて

まことのものなら
絶えることはないだろう
いつかまた通ずるだろう


1916年05月21日(日)

大人になって長く時を経たひとたちは
余力を残そうとする
明日に不安を持つようになって

でもキミはいま
総てを全力で突き進む
毎日その日を使い切って
余力を残さない

大丈夫なのかなと思う
もう大人なら明日のことも考えるもの
ペース配分というものもある

でも気づいたの
そうやって余力を残さず
全力で突き進むから
すべてを使い切るから
明日また新しい力が湧く
残しておいた余力に頼らず
新たに生み出す知恵とパワーが出る

人間そういう風にできてるんだね
自分に過保護にしてちゃダメなんだ
使い切ることも大事かもしれない


1916年05月20日(土)

今までなんで思いつかなかったんだろう

ぴっかーん と
漫画的に頭上に電球が輝いたカンカク

長いホースのゆとり分から
必要分の短いホースを切り取ってくればよかったんだ
水栓カチットは共有すればいい

いたって簡単合理的
ぴったりの短いホースは超便利
なのにずっと思いつかずに不便をしていた

頭の中を訝しく思う


1916年05月19日(金)

長いこと自分を鍛えずにきた来た気がする
以前はもう少し意識して
自分に厳しくしていた気がする
タガをゆるめてそのままそういう風に
暮らしてきた気がする
それがよいことという流れの中で

でもそうだろうか
やっとまた疑問符

何かと自分を過保護にしていて
いいことなどきっとないのだ


1916年05月18日(木)

不思議な夢だった
私はペットボトルでできた自動車だった
単に透明なボディーに車軸を通して
タイヤをつけただけの
工作で作られた軽い車

地面を這うように走る
地面すれすれの自動車目線で走る
かなりのスピード

リニアモーターカーのように
浮き上がっている感じさえする

ゆるやかにくねる石畳の道の先は
はるか向こうまで街並みが見えている
その先に透明な水色の空がある

車の鼻先は キャップなしのボトルの口先
運転席でハンドルを握っているのではなく
私自身が車であって
ワニか蛇かネズミかそういう生きもの感覚で
突っ走っている
タイヤの振動とモーター音はわかるし
エンジンの加速感もあるのに
なぜかシャカシャカと足を高速走行させている感覚

私はいったい何だったのだろう
マシンなのかアニマルなのか

シャカシャカしているうちに目が覚めた
まだ小さな体の地面目線と
這うような飛ぶような浮遊感覚が残っていた

不思議なのは
私はそんな工作をしたことがないし
そういう作品を見た記憶もないこと
何のイメージだったのだろう


1916年05月17日(水)

何かを諦めるというのは
執着を解くことだと思う
追い求める対象からはずす決断だ
価値観を変えることだ

けれど自ら変えるのは労力を要する
疲れる しんどい 苦しい 痛む

自ずと変わる方がいい
ある日突然に起こる変化もある
今まで執着していたのは何だったのかと思うほどに


だから回答者は
相談者の価値観が自ずと変わるべく
進むのだろう
あくまでも変えるのではなく

その学者の
女性だからこその回答は素晴らしかった
相談者の男性は変わるだろうか


1916年05月16日(火)

諦めるな とよく言われる

けれど そうかな

諦めずにいてもうまくいかないことだってある

くよくよせず動じず仕方ないさと
すっぱりと諦めた方がいい ことだってある

上手に諦めることが
次の一歩を出せる
小さくても前へ進める

どんどん諦めよう
最近そう思う


1916年05月15日(月)

激しい雨音に
雑多な音がすべてかき消され

静かな夜と思った

静かな朝に感じた

長い夢を見ていた

思い出せないけれど


1916年05月14日(日)

蛍を見に行った

水音のする暗がりに
その向こうの茂みの奥に
木立の黒々としたシルエットの高みに
ほわっと光ったり
まぶしく輝いたり
すーっと落ちたり
ふっと消えたり

乱舞ほどの数は見えなかったけれど
静かに生きているのだなと思う
ひとだけが興奮してにぎやかで
蛍はクールにひとを見ているのかもしれない
近くに来てもUFOみたいにさっとかわして
川向こうに戻ってゆく

空気は美味しかった
月はぼんやり橙色の上弦
よき散歩だった


1916年05月13日(土)

伊集院静氏のインタビューを見た
被災地の星空の話
あの日 生涯で一番美しい一面の星空だったと語る

私は それはひさの星のように
数々の召された人たちなのかと思ったけれど

こんな日にこんな星空とは神も仏もないものだと思ったと語る
でも後に 生き残った人たちから話を聞いて
あの星空の下ではまだ命があった夥しい数の人たちのことを聞いて
瓦礫にしがみついて空を仰いだろう人たちのことを聞いて
生涯で一番美しかったあの星空は
命を失った人たちが最後に見た空だったのだ
と思うようになったと語る


天の慈悲なのだろうか 


1916年05月12日(金)

女子中学生の悩み相談への回答の中にあった
その子ご指名の評論家のはっとする言葉のいくつか抜粋、中略


人間は「バカ正直」か「ズル賢い」か、どっちか。
そして他人への関わり方は「お節介」か「弱虫」か、どっちか。
つまり、あらゆる人間は「バカ正直&お節介」「バカ正直&弱虫」
「ズル賢い&お節介」「ズル賢い&弱虫」の4種類のどれかです。
           :
これからのために生まれ変わるんですよね?
           :
大人の私からズル賢いアドバイスです。
           :
生まれ変わりなさい。生き残るために。



賢そうな子だったからうまく自分に役立てるだろう

私は「ズル賢い」というコトバに反応
そうか、オトナってズル賢いことができるんだ
そうでなくちゃ、オトナでないんだ

普通は ズル賢い大人になりたくない とか言うものなのに
敢えてそれを武器とする
なんかオトナのスマートさを感じた

それが本物の大人スタンスかも と思った


1916年05月11日(木)

くまけむしの大集合
ぞろぞろ庭を歩き回っている

地面で見ると結構速い
足に登られそうでこっちが避難

でもベランダから見下ろしているのは面白い
集まって葉っぱを食べてる
けむこさんたちの晩餐


1916年05月10日(水)

モンキチョウがミモザの周りを
ひらひら飛んでいるかと思えば
葉に止まって
そしてゆっくり出て行った

見に行くと
卵らしきものがいくつかあった

孵化するといいなぁ

ミモザによく来るらしい


1916年05月09日(火)

本を整理していた
奥にあった名言の小辞典
記憶になく中をチェックしたら
あちこちラインなんかひいている


決心する前に完全に見通しをつけようとする者は、
決心することはできない  アミエル


残念なことに記憶していなかった


1916年05月08日(月)

白ネムが次々に咲く
まだ小さな樹だけれど
ほんわり白いのが無数にのっかって
けさらんぱさらんのお宿みたいで愉快

ピンクのネムの優雅さや
幽玄な感じとは少し違って
楽しげな風情

一夜でしょんぼりした姿になるけれど


1916年05月07日(日)

日が落ちたあとしばらく
空が薔薇色だった

至福のときだ

しあわせなんかない そう思うときですら
なんてしあわせなんだと思える彩

単純だと思う
なんて単純な方法で
空はひとを幸せにするんだろう


1916年05月06日(土)

まかれた種はある日萎えることがある
がんばっていたのに力尽きる日がある
飛んできた種はいつの間にか
大きくなっている

萌芽力という言葉を思い出した

幹が折れてもその元から
新しい芽を吹く樹がある
先を裸にされても
細かな枝をたくさん吹く木がある

己の力で出す根も芽もしぶといものだ
おっとどっこい簡単には消えない

ひとのくらしの復興再建は
結局ひとの萌芽力にかかってくる
そこを支えるのだと思う

温室で囲うだけでは育たない
自分の根と芽を出す力を手伝うのだと思う


1916年05月05日(金)

夢はいつまでもとは限らない
終わっている夢に気づく時がある

断念した夢は突如再燃するときもあるけれど
もう色褪せたときめかない夢は手放せばいい
しがみつかないのがいい
新しい夢をもてばいい


1916年05月04日(木)

ふと思い出したけれど
ドクダミの白いのは
花弁ではなかったかも
苞だろうね

本当の花がまだつぼんでいる時の
まんまるで堅い感じがかわいい
伸びた土筆みたいに長く粗になると興ざめになる

でもやっぱり花と言ってしまう
シュウメイギクやシラユキゲシを思う


1916年05月03日(水)

嫌いになることを怖れた
そういう選択だったのだ
結局は逃げたのだ
自己責任から

回避して失ったのは
愉しさ だったのかもしれない


1916年05月02日(火)

ベルエトワール(バイカウツギ)が可哀想だったので
周りの木の枝をはらった
下の草も抜いた
広々すかっとした
風通しと陽当たりがよくなった
か細い枝に花をたくさんつけていた

急に香りを強く感じる
あたりに広がっている
そう この香りはメインになるべき

シンボルツリー仕立てにしてあげるよ
美しい香りをいっぱい楽しませてほしいから


1916年05月01日(月)

奥の方にひっそりと
でもはっきりと
きれいな白
どくだみが咲きはじめる

昼間は元気よく思う
夕方はうつくしいと思う
咲き始めの気持ちを最後まで
ずっと持ち続ける花だと思う
揺らがずくずれない花だと思う
ブレない花だと思う

風に揺れるタイプの花が
本来好きなのだけれど
だから小振りのジニアやダリアは
好みでないのだけれど

うっそうとした緑から
浮かび上がるドクダミの白には
釘付けになる




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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