消えてゆく小さなこと
消 え て ゆ く 小 さ な こ と


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1915年08月31日(火)

活気 という言葉のために
盛上げることに躍起になるひとたちがいて
活気というのはそういうものだと思っていた
ほとばしり出るものがあること と

でもこの映画を見て 少し変った

俳優さん曰く 高低がない と
そのよさをたっぷり感じる

淡々と流れるような
しずかなくらし

諦めているわけでも
投げ出しているわけでもなく
うちには前向きなエネルギーがあって
時間にあせらないだけ
すぐ報われたいと思っていないだけ

うちに活気を持っているのだ

フィンランドに入ると
そういうエネルギーを持つのだろうか
いい映画だった
そして見終わるとなぜか
お腹がすいたなと思う
おにぎりが食べたくなる


     ruokala lokki   Kopi Luwak     


1915年08月30日(月)

今日出会ったもの
それは今日という日の天の声
宙からのメッセージ
そんなふうに思う


帯状に裂いた布で編むマットや
草履やバスケットは見たことがあったけれど
今日見たのは ボール状に編んだもの

とてもあたたかな手仕事に見えた
ちいさなひとに贈れるものだ
やりとりが出来るものだ

颯爽としたダンシャリアンになれぬ日には
ぬくもりを感じるものに惹かれる

バザーに見るような
押し付けがましいハンドメイドでなくて
心にやさしい手仕事ものだ


1915年08月29日(日)

訪れるという言葉通りに
天から降りてくるのかもしれない

偶然に戸口で手渡された冊子
宗教がらみなら断ろうとしたけれど
生活改善とかなんとか
実践を通して日々の暮らしをより善く
みなが幸せに生きられるように と
宗教ではないといわれ 断れず受け取った

何気なく開いてみると
ああこの本は 今の私が読むべく
降りてきたのだな と思う
目からウロコとか私のことだとか
そこまではいかないけれど
出会い手に取り目を通すべく
その定めになっていたのだな と


ひとは自分では気づかぬうちにも
外れそうになったり堕ちそうになったり
そのタイミングに何かしらに出会う
その天の声に気づける自分でいたいと思う
今日は天窓に耳を寄せている


1915年08月28日(土)

素敵なリボンをみると
つい買ってしまう
そして誰かに贈り物をしたくなる

これは 
とてもきれいなローズのオーガンジー
ふっくらした気持ちになってくる


1915年08月27日(金)

大問題だと思ってメールを書き始め
でも途中で気が変わる
相手にとっては大したことではないのだろう と

頭を冷やして
少し距離をおいて
自分のことではないのだから

大騒ぎはやめた


1915年08月26日(木)

町がまだ動き出さぬ朝
モノゴトの要不要が静かに見えてくる

雑然とした時の中では
何も見えなかったのに

眠気を待つだけの夜には
分からなかったのに

それは禅のように
それは降り積む深雪のように

しずかに振れる鈴の音となって
こころの片隅にそっと降りる


1915年08月25日(水)

ふと思い出して寄ってみた
唖然とする
貴方のポリシーは何処へ失せたの?
誇らしげに 何事にも動じなかったのに
いったい何が起こったの

その門前には
貴方のアートには無関係極まりない
くだらない広告が貼りめぐらされていた

小さなパンくずを求めた ということですか


1915年08月24日(火)

記録の中の自分でなく
記憶の中の自分に
支えられているように思う

記録は記録でしかなく
記憶のない記録は
所詮他人事絵空事

記録になくとも
永遠に忘れない記憶に
人は根ざすのだと思う

心無く生きるなら
何も残らない


1915年08月23日(月)

新聞のコラムにあった
自分の人生は、決して誰かの責任にはできない と

そして 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな と
茨木のり子さんの詩の一節をひいた

我が子とその世代へ と伝えていた
君たちの生は、君たちだけが切り開く。
遠くへ行こう。誰も行ったことのないほど遠くへ。 と


そうだ
わたしも遠くへ行きたい


今の子どもたちは どうすれば遠くへ行けるのだろう
自分で自分の道を切り開くのが大変だ
自分の道 というのが大変だ
すでに数多の道がどこまでも縦横に走り
お膳立ての情報があふれる
小さなオトナ扱いされ
ほんの小さなときから
ごっこ遊びでなく
大人の縮小版のホンモノを与えられる
夢も空想も冒険もない
つまらない

小さなひとには ごっこ遊びで十分だ
いろんなごっこをたらふく楽しんで
ホンモノへの憧れをもって
オトナになればいいんだ
だからこそ
夢膨らませて遠くへいける


1915年08月22日(日)

動いてみて気づくことがある
失敗して気づきがある

やってみなければ
進めない

思案しながらも
進みませう


1915年08月21日(土)

歩き方の美しいひとに
はっと目を引かれることはあるけれど

階段を美しくかっこよく上る人って あまり見ない
動作姿勢的に 下りるより難しいのだと思う

横姿でいいから
美しく階段を上るひとに出会ってみたい
一段ごとに止まって歌う なんていうのでなく
駆け上るのでもなく
ふつうにスムーズに上階へ移動する
ヒールでもブーツでも
スニーカーでもスリッパでもいい

案外 和服で草履の大和撫子が美しく上るのかも


1915年08月20日(金)

時間に追われるように
焦るように
自分のために懸命になっているつもりが

本当はきみを思ってしているのかもしれない
そう気づいた


そうだよ
きみのために懸命にしているよ
きみの安らぎを思っている
願っている


1915年08月19日(木)

義務感責任感で仕方無く始めるけれど
やり始めると一生懸命なタチで
誰のためにしているか関係なくなり
熱心勤勉そのものになる

不思議なことにイイコトが起こる
何かのチャンスを得る
流れ上当然といえばそうだけれど
するまでは気づかない
それはご褒美かな
結局自分のためになっていると気づく


1915年08月18日(水)

有り合わせの間に合わせで
応急処置としたものを
ずっとそのままにしていてはいけない
ふさわしいカタチに戻さねばならない

応急はあくまでも応急
応急に溢れたら乱れてゆくばかり


1915年08月17日(火)

霧でもなく絹布のような雨が降り止んで
ネムの葉の上に無数の小さな銀の粒ができた
透き通ったきらめきでなく アラザンのような銀色
優しく揺れる葉の上に転がりもせず輝いて
異国の山道の景色に見えた
遠く霞んで神の山が見えそうな気がした


1915年08月16日(月)

その細道に見事なエンゼルストランペットがある
自転車で香りに気づいた時にはすでに通り過ぎていて
たいてい もう一度戻って
見上げてしばらく佇んでいる
それは 花というより 
たわわな実りという印象を受ける
熟して香りを放つ大ぶりな果実という風情
夕暮れに見上げる花の大きさに圧倒される
藤の下に入るのとは違う重さを感じる


1915年08月15日(日)

結局 視野の狭い人 なんだ
視野が狭いというのは
自分を客観的に見られない ということ
自惚れともいうけど


1915年08月14日(土)

記念の という
手放せずにあるだけのもの

未練なのかも

今の自分のエネルギーには
きっとならないのに

未練  捨てませんか


1915年08月13日(金)

新しく始めることは
習いごとでなくとも
入門 という言葉を思い起こせばいい

胸の高鳴りも畏れも等しく
何事も安らかに愉しく
謙虚であれる

入門という
それは単純な気もち
大切な簡単なこと


1915年08月12日(木)

考えて考えて考えて
思い続けていると
ふいに突破口ができる
ほんの小さなアリの穴ほどの
でもそこから大きく広げるのは案外容易い
名画のこだわりのほどけた一瞬
明日の作業はきっと弾む


1915年08月11日(水)

ただしがみついていたことに気づく

拘りコダワリというものは
ずっと生き続けるというものでもなく
絶えてゆくものでもある
色褪せる彩をもつものであると気づく


断捨離はモノと空間に終わらない
ダンシャリはあらゆることに波及する
結局は自分を素直に認めることに落ち着く

逃げ込む理由をうだうだ探し続けるのでなく
失敗を認める
あっさり認める
自分を認める
素直に認める
その原点に立ち返る気がする
新しい自分が呼び覚まされる気がする


1915年08月10日(火)

美しき缶への
憧れも誘いイザナイ

胸ときめかせて
祖母や母の手元を見つめていた
幼き自分への郷愁か

きらめくビーズ重厚なボタン
優しげなレース華やかなリボン
縮緬の裂や刺繍糸それぞれに


そろそろもう
いいんじゃないの
缶は缶だと気づいて


1915年08月09日(月)

あんなに群れて草を食んでいた
モーモーさんたち
いつの間にか疎らになって
秋色の草地が残る

もっと広い丘に移って
モーツァルトでも聞いているのかもしれない


1915年08月08日(日)

たくさん積んで
結果つぶす
必要なしと判断して
半日の成果をゼロにする

でも最初からはそうできない
納得して結審する
二度と悩まずにすむ解決


1915年08月07日(土)

明けるのが遅くなったからか
夜涼しくなったからか
夕顔がたくさん咲き続ける
朝もまだたくさん全開でいる

秋の真っ只中

花の精たちが額に飾るのだ
炭鉱夫のヘッドランプのように
耳鼻科医の反射鏡のように


1915年08月06日(金)

ほしいのは ただ 
静かに流れる時間

時おり聞こえる
風の流れ 鳥の囀り

秋は 空高く
志 澄む


1915年08月05日(木)

その不機嫌な顔の ちいさなひとに
何を話しかければよいのか
どう問いかければよいのか
そんなことばかり考えていた

いつも不機嫌そうだった

やっと気づいた
その子はひとに話しかけられることが
いやなのだ
応じることに緊張して拒否反応なのだ

気づいたのは簡単なこと
話しかけずに黙っていればいい
静かにそばにいるだけでいい
何か要求があれば
なにか話してくるだろう
そっと待つだけでいい
気長に素知らぬ顔で
言葉のやりとりを期待せず


1915年08月04日(水)

疲れたけれど
翌日 爽快

ひとは働くように出来ている
生きものは動くように出来ている

命は生きている


1915年08月03日(火)

希望と名付けられた赤ちゃん

ほんとうに素晴らしい名前をもらって



よかったね


希望 と 不死鳥 と
心に残る言葉になった


1915年08月02日(月)

よく動いて
充実はしていた

ほとんど中の作業
時おり外
犬とも遊ぶ
荷物を待つ

成果もあった
でもひどく疲れた
言葉が浮かばない


1915年08月01日(日)

明日も天気よく
気持ちよく目覚め動けますように
今日はそれだけを祈る
30時間の値打の日にしたい



天窓より___

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日付は通し番号として記しています