消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1915年03月31日(水)

今日はとても涼しかった
しっとりと落ち着いた気分で中の仕事をした

昨日の外とはまるで違う
暑さの中で何かに追われるようだったから

静かに作業していると
ダンシャリといっても
何もそんなに急がなくてもいいと思えてくる
始めるとみなイッキにしたくなるらしいけれど
自分のスタンスが変ったという実感があれば
ゆっくり進めばいいのだと思う


1915年03月30日(火)

資産としてコレクションするお金持ちではないです
自分が使うためのモノです
だから使わなければモノの命は全うされない

飾って眺めるものも 消耗してゆくものも
それぞれの使われ方で意味をなし時を経てゆく
使われないままではモノは無意味になるだけ


1915年03月29日(月)

手放すと決めて古書店に出した
今は出版されていない箱入りの小さな白い全集
美書としてアップされていたのが
店の在庫リストから消えた

誰かの手に渡ったのだろうか
新しい持ち主の書棚に収まったのだろうか
何かしらうれしい気持ちになった

そして
沢山の人に読んでもらえる方がいいかも
そう思って図書館に寄贈したまだ新刊の本が
新入リストに載った
予約待ち多数だった本の 
蔵書数が1増えて
すでに貸し出し中になっていた
図書館の対応が早くてうれしい気持ちになった
書架でいつか会えるかもしれない

手放しても見知らぬ誰かに読んでもらえる
家の本箱にただ閉じ込めておくよりいいかもしれない
そして家の書棚にまたスペースもできる
近頃そう思いはじめている


1915年03月28日(日)

高く遠いところでなく
近くに花を見られるようにと
一回り低く剪定された樹
花は目近にも一杯揺れている
でも落ち着かない
その樹は高くあるのが立派
その花は遠く咲いているのが美しい


1915年03月27日(土)

今朝 蝉が元気に鳴いていた
一匹ではない感じ
次々生まれているんだね

昼に 一つ抜け殻をみつけた
新枝についていたから
今年の発見第1号
この間のか今朝の蝉


1915年03月26日(金)

一日捜し物をしていた
途中幾度か方針を変えて
やっと捜し当てた

こんな所にあったんだ
当たり前といえば当たり前の場所
考えれば分かったことかも知れないけれど
四苦八苦して ちょっと蒼くなりながら
やっと辿り着いた

見つかったから気持ちいい
一日の疲れが消えた
問い合わせしなくてよかった
自分を信じてよかった


1915年03月25日(木)

暑いのだけれど
エアコンをしないでいる
大きな扇風機とサーキュレーターを
ぶんぶん回して
部屋中に強烈な風を起こしている

テーブルの上のメモがとんでゆく
ちょっと台風前みたいで
ちょっと南国のリゾートみたいで
それはそれで愉快
熱い風もときに気分いい

あと少し頑張っったら急冷する


1915年03月24日(水)

気になるものみな買ってみた
でも私の欲しいものではなかった
もう何もいらない


1915年03月23日(火)

昼頃 蝉が鳴いているのに気づいた
少し下手だったけれど ジジー と
まさしく蝉だった
今夏 初

夕方 普通(紅)のオシロイバナが
咲いてるのがベランダから見えた
今日気付いた
いつから咲いてるのだろう
今夏 初


1915年03月22日(月)

またしても半日とられて
自分のこと何も進まない
いい加減にしてほしい
自分の力量をわきまえるって
大事なことではないのかな
チャレンジ精神が旺盛とか
探究心好奇心が旺盛とか
自慢してるなら
それ相応に自分の足で進めばいい
イージーにアッシーを得ようとせずにね


1915年03月21日(日)

もう少し
自分で学ぶ気持ちを持ったらどうですか
トリセツくらい読んでくださいね
自分で買ったモノなんですからね
使いたくて買ったのでしょ
訓練くらい自分でしてください

私の時間をつぶさないで
聞けばいいとか してもらえばいいとか
簡単なことを人頼みしないで

脳の回路を 活性しましょー
脳活動の手抜きはやめましょー


1915年03月20日(土)

知らぬが仏 かも知れないし
疑心暗鬼 かも知れない
ばい菌なんて そんなものでしょ


1915年03月19日(金)

その本
あなたに贈ります

その言葉 
あなたにこそ必要だと思うから


1915年03月18日(木)

近頃 大きな書店に出かけてない
手にとって選ぶことが少なくなった
書店で取り寄せることもなくなった
ほとんどネット注文の宅配になった
だから自分で見て選んでない
書評で気になると買ってしまう
ついまとめ買いしてしまう
時間のないまま読まないまま
置いてる本が最近増えた
よくないぞ

ちょっと本を整理してみた
残す本は結局 
自分が書店で目を通して選んだ本

そうなんだね
本はそうして決めるべきだった

買い方を原点に戻したら
今の私は書籍離れするかも
そして活字からよりも
むしろ行動を起こして何かを得たほうがいいのかも


1915年03月17日(水)

ひとりで秘めた想い出は
色が変ってしまうこともあるんだね

ひとと共有した想い出は 何もかわらないのに

ひとと何かを共有するって だいじなんだね


1915年03月16日(火)

検索が変だったのではなくて
かかったのを見る見方を間違った かも

余分にかかっていたのでなく
かかってないのまで見てたのかも

そんな気がした


1915年03月15日(月)

振り返れないというのは
淋しいことかも知れない
でも
振り返らなくてよいというのは
楽になることかもしれない


1915年03月14日(日)

欲しかった和食器が届いた
ずっと気になってた優しい絵柄の小鉢
やっぱり和みます
いいお店を見つけたので嬉しい

ダンシャリって
循環かもしれない
人は何かをはずせば何かを求める
よい循環にもってゆけばいい


1915年03月13日(土)

侍ジャパンがデンマークに勝った
自分の仕事をきっちり果たすという
チームプレーの熱が伝わってきた
楽器の音が頼もしかった


1915年03月12日(金)

ダンシャリのことを振り返れるように
自分の日記内検索(indexの)で集められるように
ピックアップして印をつけた
でもやってみたら何故か不思議なことに
他のものまでかかる
結局また皆はずした

いいよそれで
振り返らないことがダンシャリかも
私の中に溶けてゆくものなのだから


1915年03月11日(木)

引き出しを整理した

外国のお土産やプレゼントでもらった
ふだん使わない高度な刺繍のハンカチたち
洗いなおしてアイロンをかけた
ミシンでなく緻密な手仕事の刺繍は
手にふんわりとやわらかく
少女のようにやさしい色
仕舞い込まずに出番をあげよう


1915年03月10日(水)

気持ちのよい深い風が一日中入り込んだ
海近くの高台の少し潮風のような

時おり強く吹く風ではなく
すーーっと部屋の奥深くまで
吹き込み続ける風
入り江の奥まで突き進んでゆく波のように

わんわん吠えるのでなく
遠吠えのように
息の長い汽笛のように

一日澄み渡っていた空は
夕刻うつくしい茜色の雲の群れにかわった
その合間に青空が見え
高くにはおぼろに白い月が見えた
満月も近いようだ


1915年03月09日(火)

ほとんど眠らなかったかもしれない
でも朝方少し眠ったような

夢を見ていた
藍色の宙に
天の川が大きく流れていた
よこに流れる向きでなく
頭上を縦に走るように
滝が流れ落ちるように
そんな向きに見えた
川の外も星に埋まり
どんなに小さな光もすべて見えていた
満天の星で宙が白っぽく見えるほどに

そばで歓声をあげていたあの老夫婦は
誰だったのだろう
知っている人だったのだろうか
先生と呼ばれる人と学生達のグループもいた

そしてあの旧い校舎内迷路の夢の中にまた居た
そっちはだめ
そっちからは行けない
そこは行き止まりの物置状態のところ
先は暗い階段を下って上る迂回路になる怖い廊下
どうすれば教室に戻れるのかわからない
いつものパターン
雑然とした美術室から誰かが出てきた
男の子たちが廊下で何か作っていた


1915年03月08日(月)

王者の風格というのは
力の強さ ではなく
苦しい時にどれだけ踏みとどまれるか の威圧感

ウインブルドンの雰囲気が好き
CLASSICのコンサートのように
観客がハイレベルのプレーを楽しむ姿が好き
応援合戦とは少し異なる

数時間に及ぶ場合もあるゲームを
独りで闘うのだ
誰のせいにもできない
助けもこない
選手交代もない
自信を失う不安に
耐え切れずにつぶれるのも
這いつくばって踏みとどまるのも
技と精神力

一瞬にかけるスポーツや団体競技もいいけれど
長時間淡々と独りで闘い続ける
テニスの男子シングルスが好き


でも今日の開幕戦の放送は
健闘しているかなりランク下の選手を称えるより
第1シードが守られることが当然な感じに聞こえた
それはそうです
そのためのシードだから
でも少なくとも王者を崖っぷちまで追い詰めていた
その手応えを感じさせていた
もう少し沸いてもいいじゃないと思った
ため息ばかりだったよ
ハラハラヒヤリはしたけれど
ブーイングの出ないところはさすがで
でもちょっとフェアじゃないかもと思いながら見ていた


1915年03月07日(日)

トリアヘズ ウゴケ ウゴケ
トドマルコトナク タエズ ウゴケ
シンゾウノ ハクドウヲ キキナガラ


1915年03月06日(土)

何でもいい 何でも同じ と言うのは
自分の選択権を行使していない
理由は何であれ自身で投げ出している
選ぶ能力がないと同じ

たとえ 
流れのままに
流れに任せる つもりであっても
流れを選ぶ権利は行使できる


1915年03月05日(金)

わたしのなかで
変容発展し続ける断捨離感覚は
ケジメという言葉に収束する

断捨離で人生観もかわる
というその言葉の意味が
身をもってわかった

混沌の中から引き上げてくれた
迷いの中から思い出させてくれた

なんでもいい ではなく
よいものを選ぶ生き方 に
シフトが戻った


1915年03月04日(木)

句集 歌集(短歌) なるものを買ってみた
どちらもなんてスカスカな頁なんだろう
お洒落に気取った胸元のブローチのようだった

シフォンのスカーフをむすんだような
詩集のコンパクトさは気にならないのに


1915年03月03日(水)

それは私にとってDETOX

癒しとは別次元の晴れやかさと健やかさ

断捨離庵化計画


1915年03月02日(火)

試すために手に入れたものが
試さぬままに在る
その光景に気付かせてくれた


1915年03月01日(月)

ギンガムチェックの半袖ワンピース
リボンに花飾りのついた麦藁帽子
そんな感じの本たち

お別れしようか
もう郷愁でしかない

でも 
まだ揺らいでいる




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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