消えてゆく小さなこと
消 え て ゆ く 小 さ な こ と


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1915年01月31日(日)

暑くなって一気に火がついた
フルパワーで動き回っている
片付ける ただそれだけのことに

身の回りの整理をしたい
その思いだけで


1915年01月30日(土)

新聞にちらりと出た紹介を見て
読んでみたいな と思った本が
どこも注文殺到で入荷待ち だった 

ふーん
ひとが考えることって同じなんだね
効果ある文は 効果あるんだ


1915年01月29日(金)

シロネムの今季第1号が開いた
やっぱりこれは
けさらんぱさらん
ピンクのネムは優美だけれど
これはどこかおとぼけだと思う

ピンクは
この春涼しかったからか
早めに予防したからか
新芽が虫にやられることなく
葉が茂っている
もうすぐうっとり咲くだろう


1915年01月28日(木)

その本を読むと
モノに囲まれて暮らすのがいやになって
モノにしばられる暮らしがいやになって
何も持たない所から出発したくなる


1915年01月27日(水)

ともった火を
絶やさぬように消さぬように
忘れぬように


1915年01月26日(火)

春生まれなのだから
私も
そうなれるといい


1915年01月25日(月)

夕闇の底に
どくだみの白が点々と散らばる
白い雲に覆われた満月の下


1915年01月24日(日)

どくだみエリアががこんもりしてきた
花たちがほんとにかわいい
匂いはダメだけれど

微妙にアンバランスの十文字は
一斉に同じ向きにひしめく のでなく
高さもすでに好き勝手

全てが個々の花である と
それぞれが主張するように
精一杯しっかり咲きあがる
健気というより
勝気な花だと思う


1915年01月23日(土)

摩天楼のパセリ より
朝のセロリー のほうが好きかな


セロリーはがっしりしていて
そのまま手づかみかじれる感じ
まるまるばりばりいただく感じ

セルリーだと少しお洒落に
ぽりぽりする感じ
細めのスティックか 銀のフォークで


1915年01月22日(金)

シャンソンをパリの並木で口ずさむ
そんな歌集に出会ひたる日


1915年01月21日(木)

絶対語らないと決めていた
あの世に携えると

でもそうしてはいけないとわかった

あの時なぜ謝らなかったのだろう
どうして謝れなかったのだろう
なぜ証拠隠滅を図ったのだろう
なぜすべて捨て去ったのだろう

ただただもう面倒になったそれだけだ
いっぱいいっぱいだった
でもそれは自分のことで
相手に対する気持ちではない
結局のところ
愛も思いやりもない薄情な人間だっただけ
他人のことをあれこれ言える資格などなく

そのことを自覚するのが嫌で
忘れ去ろうと封印してきただけなのだ
二度と目に触れぬようあの世まで と

でもそれは結局
ずっと自分への咎めになること
謝罪せぬままのことなど
残してはいけないの

あの本読んだからかな
そんな気がする
通さなきゃいけない

もう彼らに会えないし
取り返しはつかないけれど
心の中で知らぬ顔でいてはいけない
はっきりいつも思い出して謝り続ける


1915年01月20日(水)

梅雨前だから一応
冷蔵庫の整理と掃除
まずはチルド引き出しさっぱり
チョコだのキャンディーだの蒟蒻畑だの
たこ焼きお好み焼きのソースだの
とりどりのチーズだの
犬のおやつだの
ケーキミックスの残りだの
佃煮ふりかけの予備だの
調味料の予備だの
そんなもん でした
大したものないね
何でチルドなのかという感じで
でも引き出し洗ってトレー洗って
すっきりした


1915年01月19日(火)

自分が管理コントロールする自分の家のモノの中に
自分がイラつくモノを
漫然と放置してはいけないということ
それは負のエネルギーで損ということ


1915年01月18日(月)

何かの転機や
行動を起こすきっかけとなる本は
沢山あると思うけれど

この本(断捨離)はきっかけというより
突破口となる本だと思う

内容を簡単に紹介されるより
自分で読んでみるのが一番だと思う本

旗印を見上げるというより
BGMのようにどっぷり浸かる感じ

買ってよかったと思う


1915年01月17日(日)

例の ダンシャリの本 買ってみた
半分ほど読んだ
後半のことはまだわからないけれど

自分の考えと重なるところが明文化されてあり
自分一人では出来なかったことを
後押ししてくれるようで読みやすい

話し言葉調なので文章は記憶に残らないけれど
なぜか洗脳されてゆく感じ
それこそ 〜教 になってもおかしくないような
悪い意味ではなくよい洗脳
された人にとっては 更生に近いものが在るだろうから

ヨガの思想からとったというキーワードは
字面が心に飛び込んでくる
言葉の響きが強く
すぐさま行動を呼び起こすようだ

きっとブレークするだろう
流行語大賞なんかにノミネートされるかも

ただ言葉が流通すると
その本来を離れてコトバだけが別の使い方もされる
わたしはダイエットに応用しようと思ったし
もしいじめの場で使われたら最悪だと思った


1915年01月16日(土)

おだやかな一日だった
昨夜胃が大変だったのがウソのように
静かに暮らせた
ゆっくり時間が過ぎて
何の焦りもなく
一日を終えた
花粉の薬を止めたからかな


1915年01月15日(金)

今朝窓を開けた時
美しい庭だった

薄曇の中 陽は見えず
空気はしっとり冷えていて
雨を十分吸った土に
花たちが一斉にかしらをあげていた
高原の朝霧がふと途切れた時のような
不思議なしずけさだった

どの花もみな愛しい
ただそう感じた

たとえ突然好き勝手に増えだす雑草とて
鳥の置き土産のわけのわからぬ木とて
いつまでもこの庭であってほしい
そんな想いがひろがる


工事話が妙に現実味を帯びてくるこの頃
なぜか逆にどんどん増やしてしまう
また苗木を買った
まだまだタイムリミットじゃないよね
その時はその時 潔く全てを諦めるから
そんな感じで


1915年01月14日(木)

花の中にいて 風の中にいて
四季の巡りがわかる
ときの流れがわかる

けれどいま

道筋の見えぬ滞りごとをもって
月日の流れがわからない
刻んだ時間がわからない


1915年01月13日(水)

人が豊かさや進化を求めすぎるとき
無限の欲望は必ず天の怒りをかうと思う
全知全能の神は人が近づくことを疎むだろうから
人は神にはなれないから


1915年01月12日(火)

すぐモノを買うのは
欲しいなと思ったらすぐ買うのは
欲しいと思えば買わねばいられないのは

日々の暮らしで
心が満たされていないからではないのか

値段に関係なくいろいろと
高級品でなく安いものならばなお
考えることなく即買ってしまうのは
気付かない心の何かの欠乏を
結局モノで埋めているということではないのか

満ち足りた思いで暮らしている時
そんなにモノを欲しないのではないのか

ショッピングでストレス解消とかいうのは
モノを欲しいそれ以外に
何か埋められない欠乏を
即買いで埋めているのかもしれない

TVショッピングやネット販売は
消費者を煽るというよりも
結局は満たされていない人をターゲットにしているのかも

消費によって経済が潤うのかもしれないけれど
こころも潤い続けるのだろうか
わきまえることも必要だ
モノに縛られないで
もっと心をゆたかに高めなくてはね


1915年01月11日(月)

ダンシャリ(断捨離)
ダンシャリアン ダンシャリズム

初めて見る言葉で気になったけれど
レビューをいくつか読んで
その本買うのやめた

その精神哲学は今までいろいろ出会ったと思う
中には違うことも含んでいるかもしれないけれど
日々実行していることかもしれない
自分の中の哲学と重なるかもしれない

気が向いたら書店でチェックしてみる
急いでネットで買うこともないと思った



        追記   ・・・ 結局買った 買ってよかった
                 人生観かわるってほんとう


1915年01月10日(日)

まだ考える力のない赤ん坊は
気の赴くままにとにかく行動
そして知識を得てゆく

オトナになって知識も増えて
考えればわかる やってみなくてもわかる と
思うようになる

でも
ひょっとすれば
やってみれば
考えたことと違う結果になるのかもしれない

頭の中で判断すること以上に
やってみることは大事だと思う

いつも言ってたよね
やってみなければわからない って


1915年01月09日(土)

効率よく と
計算してばかりいるより
無駄を承知で動き回る方が
案外カラダにいいのかも
案外キミが正解なのかも

ミソは
無駄を承知で という点


1915年01月08日(金)

心配してるだけじゃダメ
気に病んでるだけじゃダメ
見守ってるだけじゃダメ
行動を起こさなけりゃ意味がない
行動してこそ何かが進む
動かなきゃ動かない動かせない

動かすために動く
思い立って聞いてみた
思いのほか穏やかだった
少しはよいのかな

クララが立つ日を待っている


1915年01月07日(木)

番組の中で米倉涼子さんが
ジムでピラティスしているのを見た

すごい と思った

エステとかして綺麗なんだと思っていたけれど
全く違って 鍛えた身体だった
ずっとクラシックバレーをしていたとも
やわらかく強いしなやかさ

今まで 怖い人というイメージがあって
そんなに好きではない女優さんだったけれど
尊敬の眼差しにかわった
美しかったです

うちの室内バイクはほこりをかぶっている


1915年01月06日(水)

そうかな
世の中サプライズがいいのかな
みんなサプライズを求めるのかな

わたしは
やすらぎの方がいいけど


1915年01月05日(火)

廃校宿舎ガイドの本を譲った
楽しそうな所が沢山載っているけれど
もう行くこともないだろうと思って
まだ初版のままらしいので
それに思いつけばまた返してもらえるし

もう何年も前のことなのに
四万十楽舎のカヌーの記憶が鮮烈
新緑の中の軽快な水の流れ 
水音に身をのせていることは
雄大な自然というのでなく
身近なやわらかな感じだった
自分の存在は自然のあたたかな懐に在る 
というカンカクだった

あの暑いGWに比べれば 今年は寒すぎ


1915年01月04日(月)

さまざまの母たちは泣いたのだ
涙を隠しているのではなく
抑えているのだ
それが母性 なのか
それも母性 なのか

悪者で登場した記者は
ほんとうは
ヒーローになりそこねた弱き善人

少し救われた


1915年01月03日(日)

今日 マダガスカルジャスミンの香りに
はじめてというかやっと出逢えた

前に家にあったのは匂いがしなかった 
種ができたとき絹のように綺麗な綿毛を初めて見たけれど
マダガスカルジャスミンは匂いがないと思っていた
園芸店で見かけると顔を寄せてみるけれど
香りに出逢ったことがなかった
ジャスミンのような香りというけれど
あまり香らないジャスミン?
どこに香りがあるというの? そう思ってた
今までずっとこの花の香りをキャッチできずにいた

きっとタイミングだったんだ
香り出すタイミングに出逢えなかっただけ
いつ香るのかいつまで続くのかも知らないけれど
真夏でも真昼でも夕方でもないのに
昆虫を呼びたいのかいい香りを放っていた
前に家にあったのは外に出されていて
そのとき気付かなかっただけかもしれない

その鉢植
買おうかなと思ったけれどやめた
冬の世話の自信がなかったから

でもいい香りのすることが
やっとわかったので
来年考えてみようかな
うれしい計画


1915年01月02日(土)

庭のあちこちに姫檜扇が咲き始めた
土にこぼれた種が植え替えで運ばれて
そこでまた種をこぼしているのでしょう
三色あったはずなのに
今咲いているのは朱色っぽいのばかり
あと白地のとピンク地のがあるのに
まだ花を見ない
弱くて絶えてしまったのか
神経質で時を待っているのか
不思議なものだ


1915年01月01日(金)

高くなったキソケイが咲き零れる
重ならず枝垂れて咲き続け零れ続ける
樹下一面の花の海
鮮烈にイエローな花の海
香りが足らないのが残念だけれど
二階の窓辺で遠く下に眺めるには
美しいと思う



天窓より___

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