消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1914年02月28日(土)

空が透明になってくると
遠くの音が聞こえる気がする

じっと耳を澄まして澄まして
ひそやかにしていると

急に静かになって
心臓の音がした


1914年02月27日(金)

のぞみはあるのかな
もっていいのかな

丘の向こうへ夢を抱いて
風のなかに立ちたい


1914年02月26日(木)

哀しい花になるのなら
そんな花もういらない
手を放し別れを告げよう
秋の虫とともに


1914年02月25日(水)

いいよ
なんとかなるよ

きらくにいこう
きながにいこう
えがおでいよう

いたいのいたいのとんでいけー


1914年02月24日(火)

学力低下だ学力アップだとかしましいが
学ぶことは真似ることから
上達は慣れることから
ちいさな人たちには再現力をつけさせるのがいい

様々な場面で普段使いしている再現カ
再現するにはあらゆる自分の能力を
意識せず統合して使う
集中 観察 洞察 推理 記憶 反復 
ねばり ひらめき 失敗にめげない 失敗を利用
繊細さ 大胆さ 決断 表現 その他もろもろ・・

再現力はいろんな場面で育つし
その奥行きが学力に繋がるのではないだろうか
お稽古事というジャンルも再現力の最たるものと思う
将来の独創性というものは 再現力の先にあるものと思う


1914年02月23日(月)

行き詰まりを打開しようと
片端から整理したい時
ブックマークから始める
取り敢えず判断は即座にできる
無用の長物の如何に多いことか

そして波に乗ってから
他へ整理を広げる

この成功率はかなり高い
行き過ぎる時もあるほど


1914年02月22日(日)

男が堂々とするというのは
威張ることではないはず
偉そうに見せることでもないはず
公正で対等で素直であることだ
己の中身に誇りと謙虚さを持つことだ
中身はしてきたことに裏打ちされるものだ

アナタハ ドンナコトヲ ドレダケ シテキマシタカ

顔が物語る


1914年02月21日(土)

自惚れてはいけないけれど
期待はする
受けた以上 受かりたい


1914年02月20日(金)

昨日キッチンに置いたジンジャーリリー
今日また二つ開いた

夕方になると
こっちを見てと言わんばかりに
ぴっかり開いて 
香り立った


1914年02月19日(木)

きのう おや満月かと思ったら
一日はやかった

でも今日は見るの忘れて
思い出したときは少し高くなっていた

まぶしくて金属的な明るさだった

少し離れて明るい星があった
木星かな


1914年02月18日(水)

昨日夕方ベランダでふわりと感じた香り
それはジンジャーリリーだったとわかった

そのとき金木犀??と思った
でも少し早いかなと
それきり忘れて
あとでトイレの芳香剤??と思った
でも小窓から出てそんなに遠くへ届かないよね
それきり忘れて

今日ベランダから庭にみつけた一番咲き
咲き終わった花もついているから
昨日のかな

蕾はふくらんでいたけれど
まだまだ咲かないと思っていた
急に咲いたので思いつかなかった

切ってきてキッチンに置いた
ふわっと香る

しっとり艶やかな輝くばかりの白
花嫁が纏う白だと思う
大好きな花


1914年02月17日(火)

でも  とすぐ言ってしまう

反論したいとか逆らいたいとかではなくて
たとえ好きな人と話していても
なおさらのこと

違う角度から見てみるなら的感想を述べることが
一緒に一生懸命考えてサポートしてることになるような
そんな概念にとらわれてしまっていて

でも  とすぐ言ってしまう

口ぐせのように
自分にすら言ってしまう
自問自答推敲形式


そうね  になりたい


1914年02月16日(月)

今日は流れるように外仕事が進んだ
ものすごく頑張った
滞っていたものの突破口ができた感じ
明日も頑張れる気がする というより
頑張るぞとウズウズしている
どんどん進みそう
秋っていいね


1914年02月15日(日)

ツクツクボウシではない蝉の声を聞いた
途切れ途切れに息も絶え絶えにかすれてた
本当に最後のだろう
松から聞こえたけれど
飛び立つ様子はなかった
そのまま落ちるまでじっといるのだろうか


1914年02月14日(土)

頬に甘いそよ風 耳に心地よいせせらぎとなって
心の礎となる岩も宝石のような小石も残さず
流れ去ってゆく 
ただそれだけの文章だ

けれどやわらかなBGMとなって
心をふくらませかるくする
そういう文章もある


1914年02月13日(金)

蟋蟀が1匹 声からはたぶん1匹
しっかり鳴いている
普通の声だ

前に里山の牧場の端でたくさん捕まえて
庭や空き地や原っぱに放した
大きな体で草地をふるわすいい声だった
その声を欲しくて連れて帰ったけれど
その残党ではない声だ
棲みかが違うのだろう
生き残れなかったのだろう


1914年02月12日(木)

ゆっくりと頁を繰る
情景は残るのだけれど言葉が心に残らない文章がある
逆に展開は覚えていないのにただ一言に釘付けになる文もある

たぶん私は後者に惹かれるのだ
長いお話をしてくれる人より
一言残してくれる人の後を追うのだ

そしてそれは探して出会えるのではなく
どちらかと言えば偶然奇跡
でも会うべくして出会えた天の導き
心がふるえる言葉に出会うたびに
自分の殻がとける気がする
そして言葉は世にあふれているものだ


1914年02月11日(水)

弱々しい若い葉と心細げなピンクで
力をふりしぼるように二度目のネムが咲き始めた

今年はダメージ受けたから
もうそろそろ終わりかと思っていたのに
涼しくなってほっと力が出たのかな
いくつもほわほわ揺れてるのを見ると
ほっとする

花期はいつごろまでだろう

来年絶対がんばろうね
惚れ惚れするように咲かそうね
虫より先に手当てするからね
今年はごめんね


1914年02月10日(火)

朝の空気は肌寒く感じるほどだった

午後になっても心地よい薄曇りのまま
涼しい風が部屋から部屋へ抜けてゆくのを感じた
きのうまで 窓から流れ込む だったのに

部屋を渡る風の気持ちよさ
ここがどこか別のところのような気がした
信州とか北海道とか広いところ

でもふと 今日は蝉の声を聞いてないと思った
昨日はさんざんツクツクボウシが鳴いていたのに
本当にもう終わったのかな


1914年02月09日(月)

じぇんぬの奥さんを持つと
ご亭主は夢を売る口調になるのかな

巨資があると
道義的にふつーじゃ無いこともできて
かるく大枚で解決できて
以後ふつーなカオできて
よいですね

そういう人に
ホントにわかるのかなぁ
フツーの生活者の求めていること


1914年02月08日(日)

勝ち組という立場を自負する人の
女性成功者としてのカリスマ的なお話を聞かされる

馴染めないのは何故かなぁ

自分の成功の支えは ただならぬ頑張りだったという話で
その頑張りの下に 見返してやりたいという気持ちが見え隠れする
それは へこまされた ことによるようだ
でもご本人は へこんだ自分を見るのでなく
へこまされた事実と相手を見ている

このあたりかな

へこまされたことに反発して登りつめた力には敬服する
でも へこんだ自分を愛しく思っているのではないことには
共感しない

強い自分だけを愛しているように見えるし
強さだけを好む人に見える
そういう人に 
弱い気持ちを抱えている者への助言が出来るのかなと思う
弱さも人間の一部であることを愛しく思っていなければ
人と共感し合えないと思う

それもありで それもいいじゃないか と
弱さを包括してゆくおおらかさを
勝ち負けの線引きでなく
こころの安らかさ豊かさとして持ちたいと思う


1914年02月07日(土)

この国は
かわれるだろうか
かわるだろうか
少しは




国力を上げる?
国を興す?
リーダーは誰ですか
リーダー像を描けない


文明国だと自惚れず
国民の多くが衣食も教育も足りぬ途上国と認識し
暮らしの安定をまず先に
上っ面でなく国を興すことの基本を考えよ

法の網をかいくぐる個々の好き勝手が通るなら
ルールの存在意味がない
非文明そのものだ
自惚れず仁徳を高めよ


1914年02月06日(金)

あまりに頑なに迷いなく
真っ直ぐに突き進む人の話を聞くのはツカレル

ひとは迷うものじゃないか
立ちすくむものじゃないか
揺れるものじゃないか
打ちひしがれるものじゃないか
項垂れるものじゃないか

だから顔をあげて
空を仰ぐのだ

さわさわ揺れる梢
白いすじ雲
真っ青に澄み渡る空
一面の夕映え
星も月も虹も

誰の励ましを求めなくとも
涙の向こうに見えるはず
勇気はしずかに満ちてくる
ひとはいつも ゆらぎのなかにいる


1914年02月05日(木)

TVドラマの終盤を見ただけの
印象に残ったことだけの感想です
ストーリー細部の間違いはすみません


死を待つだけのような重い病の中で
彼は苦しみを母にぶつけた

死ぬのなら
自分はなんのために生まれてきたのか

母親は考えたのち
母さんもわからない という
でもそれは人に教えてもらうものでなく
人それぞれが考え続けて答えを見つけるものではないかと


死を前にしたある夜
彼は流れた星を見て静かな気持ちで家族のことを祈った
その時わかったと思った

彼の見つけた答えは
自分が生まれてきたのは
家族を愛するために だと




「家族を愛するために」という答え
その言葉 はじめて出会った気がする
はじめてというのが不思議な気がした
出会っていておかしくない言葉なのに

人は 新しい家族として生まれてくるのだものね
家族に愛されるために生まれてくる
家族を愛するために生まれてくる
それは同義なんだ

そしてそれは生きることのベースだ
始まりも終わりもつながって


1914年02月04日(水)

Google の oo の部分に
きらめくソックス 

どこかで見たような
爪先立ちの図はまさしく

マウスをのせると 
彼の誕生日とわかった


1914年02月03日(火)

次の雨までがんばれよと思っていても
項垂れてるのもいる
結局 たっぷり水をやる

水不足の地に後ろめたく思うけれど
仕方ないことと割り切って

しゃんとしている草木を見るのは
やっぱりイイ

災害の地に後ろめたく思いながら
たまにはしっかり雨よ来いと念じる


1914年02月02日(月)

忘れられてゆく
ひとの記憶から薄れてゆく
それも大切なことではないか

そうして自由になれるのだ
頑なな自分から解き放たれて


1914年02月01日(日)

カーテンの向こうはきらめいて
涼しい風が入り込む

部屋に秋の空気が満ちる
透明で広やかになる感じ
あちこちと眺め
模様替えを考える
便利な部屋でなく
美しい部屋へ 替えたくなる

秋の空気はきれいな鈴をならしてゆく
というような文章 なかったっけ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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