消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1913年05月31日(土)

縮こまっている
春の楽しさを忘れてしまった
思い出せずにいる
寒くて暗い気持ち

たとえ辿り着けなくても
思い出して心にあかかと
灯し続けることができるなら
それをしあわせと思えるのに

春が遠くなってしまった
春が見えない


1913年05月30日(金)

赤い攻撃色を抑えよ と
君に
伝わっただろうか


1913年05月29日(木)

夢を追いかけている人だと思っていた
今回かなり現実的な内容の話で
少なからず驚き意外がっかり
語る夢がしぼんで見えた
結局趣味で終わるんだね
プロを目指していたはず
そう思ってた ずっと
期待してきたけれど


1913年05月28日(水)

手作り家具を仕事とするひとが
夢を語るのを聞いていて
本当に羨ましかった

自分のしたいものづくりを貫いて生きている人を
まざまざと見て
羨ましかった 

価値観に従って生きている

リスクを考えないで
後先を考えないで
したい仕事をしている
そんな生き方
どれだけの人が出来るだろう

作りたいモノを作っている
結果的に
認められお金が手に入ると
成功したといわれるのだろう

芸術家に似ている

誰もがそうとは限らないから
誰もが幸せをつかめるのだろうか
と思ったけれど
違うよね
すでにしあわせを選択したのだ
そう生きると

何を幸せとするかの違いだ

自分で決めて選んで進む
それが幸せなんだと気づいた

少し遅かったかも
ちょっと哀しいかも

したいことをして生きてゆくという
当たり前の決心を出来ないのは

でもやっぱりこだわりのモノたちは
高いね
一生ものの家具と言うけれど
人の好みが一生同じとは限らない
作り手の考えも変化すると思う
芸術家の作風もかわるように

伝統工芸とはちょっと違うものだ


1913年05月27日(火)

そり立つ岩壁いわかべでなく
なだらかな丘のように
和することを

風ゆるやかに
緑をなし
鳥の影が過ぎることを

その口元に
笑みとなす言葉を

あたたかな陽光ひかりの中に


1913年05月26日(月)

洗濯ばさみ一つに
こころやわらかとわかる
よかった


1913年05月25日(日)

心が弱い時に
何かにすがりたくて
神を呼ぶのでしょう

心強くして 
一人で立つことができると
一人で歩いてゆけると思うのでしょう
それは身勝手なのでなく
そう神が仕向けているのだと思う

本来命在るものたちはみな
そうやって一人で生きてゆく

人間にだけ
神は少し優しいのかもしれない
すがらせてくれるから

でも本当はひとりで歩けと
諭すのでしょう


1913年05月24日(土)

本当に心から人を迎えるというのは
こういうことなんだなと思う
歓迎するというのは
こういうことなんだと分かる

皇后さまがヒラリーさんをお茶に招いた
玄関に出迎え 抱擁し 
手をつないで中へ案内したと記事にあった

心から迎えられていることを感じて
ヒラリーさんもうれしかったでしょうね
そう思える私たちもうれしくなります
皇后さまはいつも人の心をあたたかくする
計算した行動でなく心からの行動に
その温かさにふれて
まわりの人間も温かい気持ちになる

待っていたのよ
あなたに会えて本当にうれしいわ
さあいっしょに

そういうメッセージが
ただの言葉だけでなく
その行動から伝わってくる


1913年05月23日(金)

その動物たちは
きみの微笑みなんだね

よかった


1913年05月22日(木)

透明な黄色の夕焼けが
冷たい大気を切り裂くようにして
白く高い建物を染めている

赤くない
きりりとした色だ


1913年05月21日(水)

見向きもしない 
という絶対的な強さも
大事なんだよね

いつまでもずるずると
引っ張られていては
だめなんだよね

そんなかあど
みな捨ててしまえ


1913年05月20日(火)

夕方 その下を通った時
ふわっと香った
見上げるとたくさん咲いてきた
淡紅の梅
優しい雪洞のように
辺りがほわりと明るかった


1913年05月19日(月)

荒れに荒れて
きみの言うとおり
春一番だったね


1913年05月18日(日)

攻撃色を落とせ
赤い炎を消せ

清んだみずうみの
しずかな青に

ただそれだけを
願っている


1913年05月17日(土)

高畑淳子さんという役者さん
ゴーカイだ
優等生タイプの女性って普通は小さくまとまる感じなのに
この人はフツーじゃない
その豪快さが好き

転機は自分にかけられた言葉を素直に理解し
受け止めたことにあると思う
そのカンのよさは頭脳明晰ってことなんだろうな

どんな役の芝居を見ても楽しませてくれる
役の中に自分を残さないところがプロだと思う

日本人離れしているような純粋日本人
世界の人種を混ぜ込んだみたいなヤマトナデシコ
そんなふうな日本のお母さんだ
この人を見ていると
ニッポンのおかあさんはエライ!と思えてくる

でも
彼女のメイヨのために付け足します
ゴーカイなだけじゃない
垣間見える精神の奥底のエレガントさが
好きなんです


1913年05月16日(金)

滑らかな曲面の輝き
ご神体の鏡のように
月を映したかったのだけれど
一番星を大きく映す 

それは金星 宵の明星だった
1月は高くにあって
2月が一番明るいらしい
3月には見納めらしい


1913年05月15日(木)

それは銀の鏡のようで
月のようで
天を宿すやも知れぬ

平癒と念じて


1913年05月14日(水)

サバイバル山歩きの記事を読んだ
なるほど何にだってできそう

流行りのエコは
大切とは分かっていても
家事では少々退屈で地味に思うけれど
サバイバルな家事って
なんか俄然やる気が出そう って
変かな


1913年05月13日(火)

生きてゆくのに
100%のことなどなくて
人間バランスが大切
満ばかりを欲してもだめなんだ
そう分かる

いろいろなバランスを
保ちながら生きる
それが生きることだと分かる


1913年05月12日(月)

今日 冷たい風の中に
きらきらする光を見た

はるだはるだ
もうすぐはるだ

そう胸はずむ今の季節が
一番好き


1913年05月11日(日)

なるほどそういうことね
ギョーカイ転換も視野のうちってことね
ビジネスらしきことに手を染めたい ってことかな
今までコマコマとやってきたことを
デッカイところでやりたい というか
拾ってもらいたい?


1913年05月10日(土)

成功したいと思うひとが求める言葉と
安らぎたいと思う人が求める言葉は
自ずと違うだろうけれど

今の自分の姿勢を見つめ
正すきっかけとなる言葉は
すべてに共通と思う

すべてというのは
何をも問わないということ

それがたぶん
真実の言葉で
人を導く言葉なのだと思う

世代性別を超え 人種を超え
時代を超えるものだと思う
儲け主義のハウツー本にではなく
語り継がれた声の中に在るのだと思う

ひとのこころを
ひとのことばを
敬うところに始まるものだと思う


1913年05月09日(金)

また新しいことですか
結局いつも同じことを繰り返しているよ
やっている事が途中で厭になって
あれこれ固い理由を説明してくれるけれど
ホンネは
思いつきで始めたことが続かなくなって
というより、それ以上深めることができなくなって
カタチだけでも上手く終わらせたい それだけでしょ?

初めからパイは決まっていてそれ以上増やせなかった
散りばめ並べ替えたらそこまで
そういうことでしょ?

さあ、今度はどれだけ持ってるの
ポケットに握りしめてる弾は

それを使い切れば終わり
いつもそうだった
あなたの構想は膨らんでいかないし流れていかない
カタチを変えていかない
はじめに在っただけを並べ切ったら終わり
小出しにしているだけ
書物を一枚ずつ千切っているように

そして いつも
さあ次はどの本を千切って並べようかな と考える
あなたの頭の中に在る本たち

そうね あなたの言葉は頭の中にある本
昔に少し書きかけて止めた本
あるいは乱雑に並んだ雑誌の切り貼り

心の言葉でないから たぶん 底をつくのだと思う
そしてそれを空しくなるのだと思う

あなたが人と関わるのは
その本を発表したいだけだよね
自分の心は伏せたまま
いつもそうだったよね

それで私は苦しくなる
そんな本 心に飛び込んでこないから
あなたの模索は装丁のことだけだから
中身は何もかわらないから


1913年05月08日(木)

気になっていたところの一つをクリア
冷蔵庫が輝いて見える
台所が明るくなった
春の陽ざしは部屋をぐんぐん明るくしてゆく
間に合うだろうか


1913年05月07日(水)

自分の眼でよく見て
自分の頭でしっかり考えて
自分で言葉を選んで話したい

そうでない人の話はつまらない
誰かの受け売りを話しているのは
そこにラジオがあるようだ


1913年05月06日(火)

先週 まだ固い蕾と思ったのが
今日咲いてるのを見た
一週間ぶりに見た梅
高いところの枝先で
香りはわからなかった
まだいくつか開き始めただけ

今年はゆっくり梅林に行って見たい
お城へも行ってみたい


1913年05月05日(月)

これまでずっと
あなたは間違っている と抗議する人だった
私は正しい と引かぬ人だった
そういう生き方をしてきた

けれど本当にそうだと誰が言い切れるだろう
己れの思い込みだけだったかもしれない
神のみぞ知る だ

正しい抗議をすることは大切だ
屈せぬことも大切だ
ただ日々の生活上のトラブルは
その域でないことに
その解決のあり方に
今頃気付く

あなたが悪い でもなく
私が悪い でもなく
私も悪い なのだ と

ただ一文字なのだ
互いに己れの非もみつめる心は


1913年05月04日(日)

きっと私はやわらかだった
やわらかに生きていた
やわらかに笑っていた

確認したから 自覚したから
あすからはきっと本当の自分を


くさはらの
やわらかなみどりに
すわるのがすきだった
綿ぼうしや白い花を摘むのが好きだった
雲が流れるのが好きだった

そういつも言っていたのに
いつからか言えなくなった

月夜がいいと 夜風が好きと
おもって

ね いつからだろうね

でもきみともういちど
のはらをかけたい


1913年05月03日(土)

断ち切って
やっと得た安らぎかも知れぬ

静かに力が満ちる
それは平和な力だ
攻撃に使いたいものではない
築くために使いたいものだ
ひとを言い負かすためでなく
問い詰めるためでなく
非難するためでなく
苛立たせるためでなく
手を添えて力を貸し
温め合い歩もうとする力だ
そんな気持ちになる力だ
とても平和な気持ちに今なっている




ふと オバマ氏の言葉に涙していた人たちを思い出した
そういう気持ちになったのだろうか と

オバマ氏の就任演説は全文は読まなかった
ニュースでの断片しか知らない
ただ 美しい善良な落ち着いた言葉が並んでいると思っただけだ
人を煽るのでなく 勇ませるのでなく
落ち着いてしっかり立とうとする気持ち
まじめに足元を見ようとする気持ち
そういう風に思った
敬虔な誓いと祈りそして努め そういうものが
今の時代の人々の心から抜け落ちている
その当たり前のことを呼び覚ましただけだ
ただ人々が素直にその言葉に酔いしれたのは
多分飢えていたから
そして自分でそのことに辿り着けなかったから
彼の導きに感謝した
そういうことだと思う


1913年05月02日(金)

今日はすぐお返事きましたね
今日はちょっと楽しいやり取りでしたね
こんな風にしてた日々もあったのにね
いろいろジョークを飛ばしてたのにね
いつのまにか色々あって
ふたりオトナになりましたね
近寄らず離れず

アノオハナシハ タチキエタノデスカ


1913年05月01日(木)

たっぷりのバスタイムで生き返る
バスタイムという言い方 好みでない

お湯がいい

一番のしあわせだと思う
他のどんな贅沢も引き換えられない




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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