消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1912年11月30日(土)

寂しい日だった
もう何も無いような

悲しい日だった
すべて失うような

希望ってあるのだろうか
持っていいのだろうか

せめて音と光は
残されたい

何も出来ぬうちに
秋は消えていた
もう冬になっていた


1912年11月29日(金)

パーツが変わった
空気が変わった
流れが変わった
品格が落ちた

静かな調べがあって
ゆったり身を沈めるソファーがあって
小さなテーブルを前に
思い思いに時を刻む
その空間が失せた


1912年11月28日(木)

その人が独り言のように呟いたのは
遠慮して意見を出したのだ
でも周りの思いはそれぞれ違って
大きなうねりにはならなかった
きっとがっかり失意したでしょう
なお遠のくのでしょう
それで自然だと思います


1912年11月27日(水)

すごく我慢して生きている気がする
だからソフトな支えを得て
痛みが和らぐのだ

ペインクリニックに近い


1912年11月26日(火)

私は普通にずっと君が代を歌ってきた
雰囲気が好きだけれど
歌詞を特別細かく考えたこともない
大まかに 母国の末永く栄えあらんことを
祈りつつ歌うだけ

君 がいけないというなら
我ら にかえればいい
それだけのことだと思うけど?
反対する人はいないと思うけれど?
いけないんでしょうか

いつまで揉め事を続けるのだろう
方向なく拗ねているだけに見える
もっと建設的に運動するなら
理解できるけれど

教科書問題の延長みたいに取り上げるけれど
これは少し違うのでは?

社会の仕組みがかわり
歌詞を拡大解釈できないなら
見合った形に少しだけ変えればいい
それは許されることだと思う

世界中 国旗だって変遷あるのだし
国歌が相応に変化するのもアリだと思う
揉め事なく心一つになって歌いたい
国の心 まとまってほしい


1912年11月25日(月)

即 テロと言われたが

本当にテロなの?
テロリストなの?
個人のハライセではなく?
そのへんよくわかりません


1912年11月24日(日)

今日はものすごく冷たい
北風ではないのに本気で冬
風にお正月の匂いを感じた

一つ打破
新しい展開になる
今年はなんといろいろ難問の起きること

いったい何の厄年なんだろう

あったかでふわふわした新しいコートでも
買ってみようかな
何か変わるかもしれない

この前買ったミントの苗
寒くてまだ植え替えていない
ポットのままその辺にある
大丈夫かな

猫を抱けばあったかいという発想


1912年11月23日(土)

貴方もですか

ムラムラと波紋を投じたくなった ですか
徐々にメンバーが入れ替わり
新しいことに疑問を抱かぬままに
新しいメンバーで進んでゆく
そのことに不安を感じて ですか

でも少し緩いです
そんな小さな粒石では音すらしない
賑やかさの中で誰も感知していない

難しいですね
貴方にはむずかしいかも
先輩たちが幾度か試みたけれど
うまくいかなかったですね
時の流れかもしれない

さて次はどんな手ですか
翻して奥の手でしょうか
それもアリだと思います
というか、それしかないかも

でっかい石を期待しています
皆が驚き 目を見張るような


1912年11月22日(金)

人と会えた日は嬉しい
人恋しいというわけではないが
人のあたたかさを忘れぬうちに
人と会えるのは嬉しい
人に誘われ言葉を交わすことは
人としての自分を忘れずにいられる


1912年11月21日(木)

冬になると
気付いたときには
夕映えになっている

もっとしっかり
夕焼けに染まりたい

日没がどんどん早くなってゆくから
無理だけれど


1912年11月20日(水)

いのちの大切さ

そう謳うなら

どんな命の再生も
行なってはならないと思う

簡単に再生できるなら
安易に再生を願うから
たった一つの命も
ほんの一つにすぎなくなる

かけがえのないものだから
大切なのではないですか

滅びゆく危惧種も
それが自然の変化なら(たとえ人為的でも)
受け止めるしかないと思う
それにまた 新しい種が増えるかもしれない

命はかけがえなく
けれど種はしたたかだと思っている

死んだアマミノクロウサギは
自分のクローンだけが生き残ること
どう思うのだろう


1912年11月19日(火)

やっと分かった
それ荒らし行為に近いと思う

見た目 まったく普通
悪い言葉はありません
礼儀正しくお行儀よく
明るく丁寧なご挨拶
誰を中傷もしない

でも
時間にお構いなく
場の雰囲気にお構いなく
自分時間の目覚まし時計を
頻繁に鳴らすのはきっと傍迷惑
スピーカーの車がひっきりなしに通るカンカク
広告が電柱ごとに貼られているカンカク
うっとおしいカンカク
それで周りが引いてゆく
非難出来ることでもないので
嫌気が差した人は出てゆく

そういう状態ですね
とうに抜けましたがよかったと思う
どんどん酷くなっている
我慢強い人 無視してる人 
無関心組 同調組み
人それぞれですね


1912年11月18日(月)

時に 自分の影を風に見る
小さく ぁ と驚いて目をやる
今私が通ったよね
あのカンジは私よね

色がそうだった
香りがそうだった
体温がそうだ
口笛のメロディーが
口ずさんだ詩が
腰掛けた梢が
夕焼けを見晴らした丘が


やっぱり私なんだろうか


いえ違う
通り過ぎたのは
すれ違いの旅の風

またどこかへ流れてゆく
きっとまた
どこかですれ違う

そしてまた
はっとして振り返る

今のは私の影?


1912年11月17日(日)

細くしなやかで柔らかなこと
凝っていないこと
筋肉をマッサージするように

心も同じケア


1912年11月16日(土)

誰かにすがりついて歩く と
いっているのではありません

すがる道標をほしいのです
どんなに遠く曲がりくねっていても
その暗闇の先に出口の小さな灯があると
示し続けてくれる道しるべをほしいのです


1912年11月15日(金)

新しい発表を見る
これですっきりした
やっぱり下心アリと見る
運営上の理由でしょう
でもつまらないですね
ある日突然にそうなったことが
皆には落胆でしかない
今後本気で参加する人は減るでしょう
本気で盛り上げてくれた人達が引くでしょう
それも時の流れ
見切りをつけた人はまた別の場所へ溜まってゆく
私はもう無関係です
参加継続の意味無しと決めたので


1912年11月14日(木)

毎日こんな時間まで起きてしまう
もっと早く寝れるのに
夜更かしは一番不健康だと知っているけれど
夜のこの静けさにほっとする
自分だけの時間が流れてゆくのが好きだ
時を忘れて落ち着ける
気付けばいつもこんな時間になっている
でも疲れだけは
気持ちの疲れだけは溶かしてから眠りたい
こんな時間 こんな風に起きている人
いるのだろうか
仕事の人でなくただこんなふうに
きっと贅沢といわれるのだろう
そんなではないのに
ほんとうは何も考えずにばたんと眠りたい


1912年11月13日(水)

考えても答えなどなくて辛い
それでも考え続けることが人生だと思ってきた
だから考えない人に腹立たしかったり落胆したりした
でも ふと思ったよ
傷つかない最良の自己防衛かもしれないよ
しばらくノーテンキに生きてみようかよ
疲れ果てるより 
それもいいかもよ
ね キミもそうしてみないか


1912年11月12日(火)

ひとりになった時
誰を思い出しますか
誰を思いますか

思えるひとがあれば
きっと心があたたまる
涙はあたたかい

ひとはひとりで生きるものと思う
でもひとを思って生きるものと思う
それがいのちのエネルギーだと思う

思うことはどんなときにもできると思う


1912年11月11日(月)

人影のない暗い道を
ひとりで歩いているような
そんな気持ち

人の影を見ないというのは
なんと寂しいことだろう

人の体温は 
姿を見るだけで感じるものなのだ
だから人影を見ないと
その温もりを忘れてゆくのだ


1912年11月10日(日)

泣き言は言わない方です
貴方のように我慢強いです
でも今本当にすがりたい

戻れるなら
大きな温かな胡坐に
すっぽりおさまって
絵本を読んでもらったあの頃に
童謡をうたってもらったあの頃に

伝わるあたたかさをもらって
萎えた今の心に灯をともしたい


1912年11月09日(土)

たぶんもう
会うことはないのだと
思いたい

何度も同じことを
繰り返すだけだから

あなたの決意を信じたい
真意だと思いたい


1912年11月08日(金)

人からどう見られたいか
それは人それぞれで自由だと思う
でも皆見られたいように努力する
例えぶりっこでも
そして真に努力する
そうなろうとする
その辺 取り違えありませんか
見られたいように努力あってこそ
自分も近づけると思うのです


1912年11月07日(木)

まだわかってない
いつまでたってもその調子
だから言われるのだと
いい加減分かれよオトナなら

要するに嘆かわしい
要するに付き合いきれない
だから皆離れてゆく
コドモじゃないでしょ

大のオトナが甘えてるだけじゃ
誰もメンドー見ようとは思わないよ

所詮ステージでヒロインしたいだけ
もううんざり見捨てられろ
誰も拍手なんてしないのに
懲りないね
ひとり静かによーく考えろ
自分の足りないところを

なんて言っても
何度もそのアドバイスをうけて
一度も自分のこととして捉えなかったものね
今さら無理だよね
どうぞご自由に


1912年11月06日(水)

それはいったい何なのでしょうね
フェイント?
トラップ?

救いようがない と匙を投げられた
そう嘆くけれど

それは救いの言葉に
耳を傾けてこなかったから

いつも自分が中心で
自分の言葉が一番で
人の言葉に心を動かさなかったから

自分の言葉で自分を飾り続けてきた
そういうことだと思います

真の自分を見ようとしないから
救いようがないのでしょう


1912年11月05日(火)

最後のジンジャーが開き始めた
凛としてまっすぐ立っている
清らかに白
しっかり高貴な香りを漂わせている
傍にずっといたいと思ったとき
ふっと想ったひと

花と人を重ねることはあまり無いが
皇后さまの姿がよぎった

もたれたり斜になったりせず
まっすぐに自分の芯をもち
ゆったりと柔らかな立ち姿

気品とあたたかさと清々しさと
そして凛々しくもある香りで
辺りを優しく包む

やわらかな花の形に見惚れていると
皇后様の優しい顔と重なった
あの方は周りの人々に勇気をくれます
心のあたたかみをくれます

そして何より
羽ばたく心をもっておいでだと思います
ジンジャーの花は羽ばたく形と
ずっと思ってきたから


1912年11月04日(月)

前々から決まっている仕事なのに
前日になってやっと腰を上げる
悪い癖だ
お尻に火がつくまでダメだ
きっちり仕上げたい派だから
何のことは無い 半日費やす

キミの云いたい事はわかってる

僕にやらせろ15分でできるから

あぁわかってるよ
でもねこれですっきり頭から消せる
忘れられる

中途半端に済ませると
ずーっと頭に残るから厭なんだ


1912年11月03日(日)

気持ちの繕いに
時間を流してゆく

細々とした日常のメンテナンスに
体を動かしながら

在らぬ方を見てはならぬと諫めながら

時折 何かの声を聞き逃して


1912年11月02日(土)

面白い気もしたのだけれど
少し難しくて

そういう文章は私には書けない
そういう言葉遣いはできない
それが私なのだ
とわかった

それはいいことだ
自分をわかるって
素敵なことだ

だからありがとう


1912年11月01日(金)

ダイエット♪ とか 
やせる! とか
そういう言葉でなくて

もっとハードなイメージで

減量

ただそれだけを言ってみる

ボクサーみたいに




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

* * * * * * * * * * * *        
* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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