消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1912年06月30日(日)

もうすぐこの月も終わる
はかなく流れてしまった
何も出来ず見ることも触れることも出来ず
遠く窓から眺めるままに
時は流れてしまった

なんとつまらない夏の終わり
秋も既に十分流れとんだ
秋の始まりの真っ只中の光と空気を
今年はあまり感じることが出来なかった

ほんとうにばかでした
つまらない怪我をして


1912年06月29日(土)

私にこころが無かった
だからなの?

心無いところに
不幸はおりる
そうなの?


1912年06月28日(金)

7:3(しちさん)というコトバがあって

髪型のことが多いのだろうか
その型を否定もしないし
固守するのも自由と思う
似合う人もいるだろうし
安定したイメージを必要とする人もある

そんなことに関係なく
7:3(しちさん)という割合が わりと好き
落ち着く

50:50 は 落ち着かない
不自然に思う 人工的な感じ
そんなに世の中きちんと均衡は保たれないし
かなりムリして頑張っている図

6:4 はどうかといえば
あぶなっかしい
どっちにも転びそうな今にもひっくり返りそうな
どちらがどうなのかそれほどはっきりしていなさそうな
そういう不安定な図

その点 7:3 は 安定している
はっきりしている
だからこそ 意識的にきちんと 3:7 に シフトチェンジできる
切り替えというのは大切な意識だ
何に重きを置くかを はっきり掴んでいてこそ
流れをコントロールできる
きちんと進路変更を出来ることが舵取りだ

7:3 の配分にしていると
何でも結構はかどる
3の方もそれなりに進むから不思議

6:4 では 案外どちらも中途半端に終わっていたりして
6の方が思ったほど進んでない結果が多い
なのに4も進んでいないのが不思議

そんなことつらつら考えていた

7:3 わりと好き


1912年06月27日(木)

しずかな夜更けです
静けさはしあわせだとおもう
どんなこともしずまって
眠らなくとも闇の向こうが見える
夜空は闇でない とわかる
どこかにちいさな命があって
星のふるえる音があるだろう
その小さな音が
あたたかい


1912年06月26日(水)

オトナゲナイネ
派閥をつくるつもりかね
政治家みたいに

内輪で
仲良しグループで〜す って盛り上がるのかね

配るなら皆に
それがオトナと思うけれど
これ見よがしの仲良しごっこ って
何なのかな

そんなに寂しいのかね
おててつないでいたいのかね


1912年06月25日(火)

己の死を願っているわけではない
ただ 怖れなくなった
受け容れてよい
それが運命なら 
多分生まれた時に決まっている
思いも寄らぬ方向に向いていると思っても
宇宙的にきっと決まっていたこと
抗う気持ちはない
もしきみが願うなら
その後を追う
いっしょに行こうと思う
それも決まっていた流れだろうと思う
どうしてそんな気持ちになれたのか
わからない
ただ安らぎを願う
安らぎがしあわせだと思うから
死がやすらぎなら それでよい
そう思うようになった
疲れたかもしれない
闘病って長いものなのだろうね
きみは耐えてゆけるだろうか
その先のしあわせに逢えるまで
続くのだから


1912年06月24日(月)

この時刻になっても
動きの見えぬ場所
誰も動かぬ場所
放置されている場所
不思議だ

夜半に動きが出るのだろうか


1912年06月23日(日)

音たてて雨が降り始めた
窓を閉めに立つと
カーテンを揺らして
雨の匂いが入り込んだ


1912年06月22日(土)

大きな声で
うるさく善意をうたう人ほど
行動しないのですね
声ばっかり

自分中心の行動しかしないで
それって 善意 というのかね
自分達仲間うちの利益 というのでしょ?

本当の善意の人は
黙って陰で動いてるよ


1912年06月21日(金)

夜更けてしずか
この時刻に
自分の何かが鎮まってくる
悪いのは自分だと
明けて来る
そうだね
そう思えればうまくいくのに
昼間はなぜかだめなんだ
腹立たしさだけが渦巻いて


1912年06月20日(木)

死ねなかった というひと
何度も繰り返すひと

自分の中の
死なないように加減してる自分に
気づかないの?

本当は死にたくないのだと
わからないの?

生かしたのは 他の誰でもなく
紛れもなく自分なのだと

気づいたときから
新しいことが始まるのに


1912年06月19日(水)

支えをほしい
こころに支えがいる
ひとを頼っているのではない
自立の支えだ
自律の芯だ

今 見失っている
失せている

消滅したのではないと思うけれど


1912年06月18日(火)

とてもピュアな日記を読んだ
更新の少ないジャンルだし
力を振り絞るようにして書かれたものです
それも随分前のものです

でも
今までどこかで目にしたような腹立たしいエゴサイトは
もう読めません
心を自分でこんなにコントロールできるんだ
体力そのもの 命そのものに不安を抱えながら
こころをコントロールしようと頑張っている人
重い難病の人です

ながく更新されていません
そのひとが今元気かさえわからない
こころから がんばってと
そっと小さな声で祈ってあげるしかない

少しでも少しでも今日の痛みが治まっていますようにと
それだけしかできない

でも祈りというものが本当に聞き届けられるなら
そのひとのこと祈ってあげたい
今も祈ってました

その人がここを見ることはないでしょう
連絡することもありません
でも祈りの力が届けられるなら
たくさん届けたい

痛みがすこしでも和らぐように
祈ります



私のこころから ウザイという言葉は消えました
そんなものは くらべようもない堕落でした


1912年06月17日(月)

最近今までキライだった言葉がふと浮かぶ
聞こえてくるのも嫌いだし
使う人間も嫌いだし
言葉自体嫌いだったのに

それがふと浮かぶのです
使いはしないけれど
使うようになるのだろうか

スサんでるのかな

ウザイ というコトバです

そのコトバを思うとき
厭な目つきになる気がする


1912年06月16日(日)

なぜ途中でそんなに介入するのだろう
それなら始めからキチンと管理すべきだろう
自由にのびのび広げるのか
規律固く管理するのか
安心安全に管理されることになれたオトナたち
新しい驚きや発見なくして
何が楽しいのかわからない
毎日同じ速さで時が流れてゆくだけ
ただ ぼんやりと
流れ去るのを見続けているだけ
おとなしい老人会みたいだ


1912年06月15日(土)

たくさんの芽が出てきてるらしい
秋にまいたばかりの種
すくすく育ってほしい


1912年06月14日(金)

ウラオモテある人間に
幸せはこないと思うよ
悲痛な声を出して
悲壮な顔をして見せても
裏でお気楽してる人に
人をとやかく言う資格ないと思う
周りに心配してもらうことを
幸福のバロメーターと勘違いして
大げさに嘘を並べて酔っている
自分の辛さに酔っている
辛さの大きさはその受け止め方なのに
悲劇のヒロインごっこを続けているのは自分なのに
そのことに気づかなければ
幸せはこないよ
誰かがくれるのではないよ
もらうことばかり考えている人には
しあわせは来ないと思う

幸せな気持ちって
自分のことを忘れてひとの幸せを願ったとき に
ひとのしあわせを自分のしあわせに感じたとき に
降りてくるのかもしれない
ひとって そういうふうにできている気がする
でなければ ひととして生きてゆけない気がする

自分のことばかり言ってるひとに
しあわせな気持ちは降りてこないと思う


1912年06月13日(木)

アドベンチャーゲームの司会進行役が
チャレンジの合言葉を
君に幸あれ と真顔で力強く言っていた

いい言葉だったよ


1912年06月12日(水)

感情の寄り道は
人の心を
広くすると思う
深くすると思う

寄り道しない人は
ほかの人の心を
受けとめない


1912年06月11日(火)

天窓から見上げたり
見渡したり見下ろしたり
悠々としたり
少しつぶやいたり
届けたかったり

久しく心遊ばすことができなかった

風がかわって
空の色がかわって
わたしも変われるだろうか
違う自分をふと見つけられるだろうか
感じる心を忘れずに思い出せるだろうか


1912年06月10日(月)

はずされましたね
あなたがオモテだけ取り繕っていること
相手にはわかるんですよ

あなたは 自分がわからないから
相手もわからないと思っているだけで
見える人は見ていますからね

残念を越えて怒っていますね
それもポーズ
良い勉強だったと思いますよ

真摯さは 相手に伝わります
軽んじられたら誰でも反撃すると思います
要はアナタが相手に真摯でなかっただけですから


1912年06月09日(日)

庭の彼岸花が咲き出していた
リチギだなぁと思う
その色にはっとする
いろんな想いを抱いている色に見える


1912年06月08日(土)

思案してオーダーして
一瞬でキャンセルして
憑き物が落ちたように忘れ去る
どうでもよくなる

必要でないものって
そういうこと
結局は無駄なもの
見極めるのがエコになる


1912年06月07日(金)

はじまりは ストリートパフォーマンス
シルク・ドゥ・ソレイユ 発祥の地で
街の人たちが口々に
ジョワ・ド・ヴィーヴル!(人生に楽しみを!) と言っていた

人生に楽しみを!

いい言葉だね


1912年06月06日(木)

きみの苦しみの代わりならよいのに
いくらでも代わるのに
神がそう決めてくれたらよいのに
そう願います
これできみの苦しみが消えるなら
いつまでもこの不自由を引き受ける


1912年06月05日(水)

あなたの力は回復してきましたか
私は萎えてしまいました
二人に元気が戻るといいですね
時間をかけて ゆっくり
がんばりましょうね


1912年06月04日(火)

今年はこんなにジンジャーが咲いたのに
窓から眺めるだけ
その純白に触れぬうちに終わってゆく
来年もっと咲いてね
きみだけは手放したくないから


1912年06月03日(月)

少しは本来の場の在り方に戻ってゆくのだろうか
そうだといいね

固定観念に引きずられたものたちが
徐々に淘汰されてゆくことを望みます

静かで楽しい場になることを
願っています

ムリかな


1912年06月02日(日)

イヤダナァ マタ ハジマッタ
ナニカノ ケンイニ コビヘツラッテ
オギョウギノヨイ コトバタチガ
ウオウサオウシテイル

エラビヌカレタ カガヤキノコトバ デナク
バナレシタ コギレイナ コトバタチ

タノシゲデモナク オドロキモナク
ナンノタメニ ソコニイルノダロウ
ソンナモノ ミタクナイヨ
イキイキシタ コトバニ フレタイ


1912年06月01日(土)

おだやかなひと

それが一番だと思う




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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− ささやかに −          

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日付は通し番号として記しています         


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