消えてゆく小さなこと


消 え て ゆ く 小 さ な こ と

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1910年07月31日(日)

ぼんやりと肌寒い秋のはじまり
すでに熱い血など流れていない気がする
もう いいじゃないか
忘れようよ 捨ててしまえ
訪れることもない遠い街と思えばいい
もう会うこともないだろうと


1910年07月30日(土)

急に冷えましたね
外の作業があるけれど
どうなんでしょうね

計画のあと少しが残っている
天気がよければ 仕上がるけれど
どうなんでしょうね

見上げてつぶやいてばかりいる
はっきりしない空色
気合いを入れ損ねている

どうしようか
明日にするもよし なんだけれど
早く終わらせたい気もします


1910年07月29日(金)

翻るのを見るのが好き
その感覚が好き
だから
ただ待ち続けているのかも知れない
いつか翻ると思って


1910年07月28日(木)

明日からはもう本当に秋としか言えなくなりますね
このまま 静かな気持ちに落ちてゆけたらいいけれど
ざわつかず錦を映す湖面のように
漣もなく鏡のように
しばらくは心をじっと抱いていたいけれど

きっと
風が過ぎてゆくのでしょうね
少しばかり哀しくさせて
静かに涙を迎えるかもしれない

でもきっと
夜風が過ぎればまた元気になれると思っている
静かに月を待っている
銀色になって


1910年07月27日(水)

やはり勇気がない
そこへ一歩入るには


1910年07月26日(火)

良夜であればよい
ただそれだけ

迷っている
途中で投げ出したくなるかもしれない
なかなか決心はつかない

しばらく時を流してみよう


1910年07月25日(月)

ほたるほたると
流星流星と
騒がなくなったね と言われた

そうだね 
見られないことが多くなって
もう諦めたかも知れない
環境が変わってゆくことに慣れたかもしれない

月だけは ずっとあるだろう
月ぐらい 毎夜照らしてくれるだろう
それだけで 十分だ
そう思えるようになった
それだって贅沢かもしれない
この星は壊れてゆくから

まだまだ生きてる庭
季節をしっかり伝えてくれる
少なくとも蝶の集まる花が咲くし
蝉もたくさん生まれるし
秋の虫も鳴いている
実のなる木もある

それだけで十分だ
ほたるは もういいです
今度は山上のロッジで流星を見てみたい


1910年07月24日(日)

気づけばここのところ 
嫌と思うことばかり書いている
だからだんだん滅入ってゆく

嬉しいことを書けたなら
嬉しいことに出会って
嬉しい発見があって
満ちたりた気持ちになれたら

軽くなれるのに

何かをすっきりさせたくて

それははっきり
あなたをキライということ


1910年07月23日(土)

何か心もとない寂しい侘しい日だった
何があったわけでもない
ただ静かに過ぎた日だったのに

薄暗く湿り気のある一日が
あまりに時の経つのが遅くて
夜ばかり待っていた

哀しい秋を予感するには
早過ぎないか

茜の空も紅の山も
心に届かぬか

あの頂で叫びたいのです
君の名を呟いて


1910年07月22日(金)

回帰 という言葉に回帰する

失ったものへ ではない

失くしたのではなく見失ったのだ
忘れただけだ
思い起こせよ 再び
目を閉じて 
静かに開けよ

静かに静かに心しずかに
満ちてくるものを受けるのだ


1910年07月21日(木)

面白いからって
気軽だからって
100円ショップを利用しすぎた
部屋の中がなんかザワザワしてきた
疲れます

久々に ジョーシツ という言葉へ
回帰したい気持ちになった
ゆったりと時をかみしめたい

高級ブランド志向はもともと持たないけれど

品質に精魂を込めて作られる 心あたたかな上質
そんなものへの憧れを持ち続けたい
ずっと手放したくない と思えるものへ


1910年07月20日(水)

月の光をどこで浴びましょう
丘の上に出掛けましょうか
野原で待ちましょうか
まばらな木立をぬけて
ちらちらと木漏れ月を浴びましょうか
ね どこへ月光浴しに行きましょう
牧の木柵にもたれて静かにあなたといた夜を
覚えてくれてますか
さやさやと風が渡るのが見えましたね
遠い遠い日なのに
昨日のようにまばゆいです


1910年07月19日(火)

家に暮らしの手帳がずっと来ていた
素敵な本と思っていた
今でもただ来続けている
そんな感じです
本自体は素敵だと思います

でもその本に傾倒し過ぎるひとに近寄れない
わたしは文化人よ
おしゃれな生活をしているのよ
意識して素敵な暮らしを実践してるわ  の香りぷんぷんに
近寄れなくている

本は素敵だと思います たまに少し参考にする
ほんのちょっと豊かな気分になれることもある
私はそれだけです
全てを真似るつもりも必要も無いと思っている

だからそこが違うのです
あなたと


1910年07月18日(月)

気持ちを鎮めようとして
考えてみる
理由は何だろうか

きっとあなたは
芸術という中に浸りたいのでしょう
そのエネルギーの中で夢を持ちたいのでしょう
そして自分も人へ発し届けたいのでしょう
そういうものだと思います芸術というものは
ひとりで愉しんでいるだけでは収まらないから

私は 人の営みではなく
天の営みに浸りたい
空も風も星も月も土も水も大いだ
そのエネルギーに身を沈めたい

私は土の上で自分を育てる
風の中で自分の行く道を探す
月の下で自分を振り返る

人へ届けたいエネルギーではなく
自分の歩みのためのエネルギーです

私には
芸術はデコレーションケーキで ごはんじゃない
時々堪能するけれど 毎日はイラナイ
欲するけれど 無い日々もナントカなる
憧れはあっても 必須は別のところにある
そこに根は置かない

だからそこが違うのです
あなたと

あなたのクリームのようなその甘ったるさがいやなんです
もぎたての果実とは違う
純粋とか清らかとは違う次元に感じるのです
幼児性と思うのです
幼な子の傲慢に感じるのです
赤ちゃんが自分の思い通りになるまで要求し続けるように
芸術ってそういうものかもしれないけれど

あなたのたいせつなお友達は
どう思っているのでしょうね
毎日ケーキをやりとりして
たらふく食べているのでしょうか


1910年07月17日(日)

何が嫌なのか 考えてみた
どうして不機嫌な気持ちにさせられるのか
何を不快と感じるのか

表面は いたってまとも
字的には いたって清く正しく美しく
なのにどうして嘘っぽく思うんだろう
醜さもイヤミもなく清々しく設えてあるのだし
文句をつける点はないのに  だ

たぶん つくられた言葉だから

心底から出た吐息を並べてあるのではない
しばらく置いて重ねかえて美しく積み上げた
そんな感じ

それで途中で辟易してしまった
喉につかえて飲み込めないお菓子のような
ヘンに固まったモノを感じる

言葉はあまりに飾り立ててあると
ひとの声を感じない 
ナマなあたたかさを感じない
その辺に転がっているうっとおしい看板と同じだ

感動させようとしている意図を奥底に感じると
うんざりです
感情を支配されたくない
押しつけはごめんだ


1910年07月16日(土)

盛り上がることと 迎合することは別でしょ
アナタは混同している
だからアナタの輪で 盛り上っても
ちっとも楽しくない


1910年07月15日(金)

知りたいことは 一杯在る
でも 知ったからとて 何になる
あの花の名前 あの鳥の名前
だから何になる


1910年07月14日(木)

人並み以上の技量を持つ人が
ぶきっちょさん という言葉で自称するのを 
どうも好きになれない

本のタイトルや講習会の呼び込みが 
ぶきっちょさんでも大丈夫 と使うのは構わない
愛しいぶきっちょさんへのメッセージだから

でも人並み以上の技量を持つ人が
自分のことをいうのは どこか謙遜にはとれない
自分を飾る言葉に感じることもある
謙遜なら他に言葉があると思う

趣味が高じて作品販売なんか始めたら それはもうプロでしょ
チャリティーバザーならともかく 
それなりの商品価格をつけて並べる以上
ぶきっちょさん を連発するのは お客に対しても失礼だと思う

結局のところ かわいいひと と思われたい人たちと同じ
そんな感じが見えて好きになれない


1910年07月13日(水)

毒を吐くつもりではなかった
昇華するつもりだった


1910年07月12日(火)

何かを越えてゆくには
自覚というものがいる

何を超える必要があるのか をしっかりと


1910年07月11日(月)

生まれ来る人が国の未来を担う
育てられ方が国の未来を左右する

少子化対策って 
ただ人数を増やせばいいということではないはず
質が大切だ

犯罪が減らないのは 人の心が病んでいるからだ
社会が人の育て方を間違っているからだ
心の育て方を間違っているからだ
置き去りにして忘れているのかもしれない

きちんとしっかりつくられたモノは
容易く壊れたりしない
心だってきっと同じと思う
壊れやすく傷つきやすいけれど
でも本質はとても強いものでもあるはずだ

国力が衰えた というのは
その国の精神性が低下してるってことだ

未来に実りを期待できるから頑張れるのだ
頑張って働けるのだ
だからこそ子どもたちを安心して託すことのできる
質の高い保育(教育)を真剣に考えるべきだ
働く人の実りを考えるべきだ
少しの人しか使わない立派な建築物をたてるより
大事なことだ

日本は小さな国だ
資源の少ない国だ
人もモノも質が大切なのだと思う
まじめな労働が国の基盤を強くするのだと思う

民を大切にしない国は滅ぶと思う


1910年07月10日(日)

外は静かに更けている
湯船にいると
高窓からひんやり夜気が降りてくる
肩先に秋がおりる
ときおりアラビアンジャスミンの香り

たっぷりと心のしずもりを感じる
この時季のこのひと時がすき

湯の中でしずかに
どんなことでも立ち直れると思える


1910年07月09日(土)

美しいレースや
純白のウエディングドレスは
少女たちの憧れだったりする

でもオトナになれば変わるのでしょう?
結婚すれば変わるのでしょう?
母になれば変わるのでしょう?
コットンのエプロンや
ふんわり肩掛けや
いろんなものに変わってゆくのでしょう?
それが普通なのではないですか?

少女の憧れをいつまでも持ち続けているひとを
素敵という人もいるけれど
私はどこかヘンに感じる
少女時代の憧れは 
過去への憧憬の中にあるものでしょう?
大切な想い出の中にあるものでしょう?

お金に物言わせたオトナカワイイの流行って
キモチワルイ

大人の女性は
若い人と同じであろうとする必要などないと思う
時間に磨かれたオトナキレイを目指してほしい
若いひとの憧れとなるように
エレガントであってほしい


1910年07月08日(金)

かっかっかっ おーそーれみーよ と
大袈裟に笑ってみたくなる展開で
自分の勘に驚いている

波長がかぶると
何か伝わるらしい

予言したとおりじゃないですか
知らぬ間に思った通りのことになってる

やっぱり野心でしたね
私の意固地ではなかった
これでホントにすっきりです
自分の感性をこれからも信じます


1910年07月07日(木)

まやかしでもいいんだよね
ひとときの夢でもいいんだよね
消える虹かもしれなくても
不安も恐れも見ずにすむなら
まやかしも甘い良薬になり得るのですね
ひとときのまやかしとわかっていても
すがるときもあるのですね
人はそうやって生きるエネルギーを得ているのかもしれない
そう思いました


1910年07月06日(水)

さっぱりしましたよ
自分の感性を見直した
私の勘が正しかった
迷ったけれど 自分を支えてよかった
あなたの方がまやかしだった

そうだよね 私でなくても
誰でもわかるのかもしれない
普通に少し距離を置いてみれば

仲間内だからわからないのか
支え合いが過ぎて その馴れ合いから
抜けられないのかもしれない
その中にいて あなたの道は
あなた自身が選んでゆくことだから

しあわせと感じて選んだ道なら
それでいいのでしょうね
分けて欲しいとは思いませんが
私ももう気にしないことにします
というか さっぱりしたから
どうでもいいさ 気にならなくなったから


1910年07月05日(火)

お応えはありませんね
それでは応えになりませんね
やっぱりお子ちゃまの夢なのかな
はぐらかし続けて何処にも行き着かない
何のエネルギーも感じない 
というより押し殺して
息をひそめて気配を消して

まるで捨てたものを拾われぬように
気づかれぬように触れぬように

理由ワケは何でしょう
鎧でしょうか


1910年07月04日(月)

突然だけれど
降って湧いたような感情で
浅丘ルリ子というひとに興味をもった
ある古い冊子のインタビュー記事を見ただけで

見かけと違って穏やかなひとらしくて
ほんとに驚いた
もっとちゃきちゃきした人と思っていたから

スワロフスキーのビーズが趣味で
自分で作ったのを身に着けていた
そんな大女優さんているかな
不思議なかんじのする人でした
あまり知らないけれど
こういう女優さんが日本にいたのねと思った

岸恵子さんも素敵なひと
きちんとした華ある香りを感じるひと
華やか なのでなく 華ある というかんじ
上質のシンプルなセーターをラフに肩先に羽織って
袖を胸元でさりげなく結ぶという着こなしでは
一番似合う女優さんではないだろうかと思っている
他のひとがすると どこかわざとらしかったり
ぎこちなかったり 恥ずかしげだったりするのに
このひとがすると 軽やかに背に馴染んでいる感じ
たぶん 肩掛けにしているのでなく
ふんわりと背中にまわした感じだから
ドレスの人がまとうシフォンのストールのように
やわらかな羽のように


1910年07月02日(土)

小さいひとの声って すごいパワー
幼稚園から通りへ 
金属音的なキィーッとかキャッとかいう声が聞こえる
何度も聞こえるから意識的に出して遊んでるのだろうね

前はこういうの苦手で 頭が痛くなったのに

今日 聞こえても平気だった
というよりカイカンだった

オトナじゃ出せない高音域です
私だって出そうにも出せない
これはすごいパワーだと思った
そのエネルギー 私にもちょうだい!
もっともっと出せ! と思って聞いていた

頭痛のような不快感ではなく 
一番高い鐘の音のような
ほんとに澄んだ高い音だった
正しくは発声された声なんだろうけれど

なんというか 天から落ちてきたように 
頭と心に 同時にきーんときました


1910年07月01日(金)

どんなときにも
白いご飯はおいしい
すなおに喉を通り
おなかに自然にはいります

お菓子はご飯にはならない
どんなにふわふわの
ほのかな甘みのシフォンでも
白いご飯の代わりにはなれない

言葉は白いご飯でありたいと思う
ときに季節のいろご飯もあるけれど

味わいは 自分の心できまるものだ




天窓より          


−ともすれば消えそうになる自分を見失わぬよう−       

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* * * * * * * * * * * *        

− ささやかに −          

*  **  ***  ****        

日付は通し番号として記しています         


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